「戦う教会の25年」

2017年7月23(日)
新城教会牧師 四元雅也
コリント人への手紙第二、3章15節〜18節

『というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったなら、私はわざわいだ。もし私がこれを自発的にしているのなら、報いがありましょう。しかし、強いられたにしても、私には務めがゆだねられているのです。では、私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに報酬を求めないで与え、福音の働きによって持つ自分の権利を十分に用いないことなのです。私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。律法を持たない人々に対しては、──私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが──律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。』

 ハレルヤ!今日はこのようにしてみなさんの前に立ってメッセージをさせていただく機会が与えられましたことを心から感謝いたします。
 巷では先週から、学生たちは夏休みになり、また気候も夏まっただ中という感じになって来て、うだるような暑い夏がこれからしばらく続くのかなぁと思ったりするのですが、みなさんも健康に気を付けながら、お互いに祈り合いながら前進していけたらと思います。

 教会のほうでも、いろいろと夏ならではのプログラムが用意されております。先週から始まっていますが、中高生のレッツプレイズがありました。そして、すごい集会でした。なんと百九十人中高生が集まりました。ホールが中高生でびっしりで熱気むんむんな感じでしたが、その集まった中の百四七名はノンクリスチャンということでありました。

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このように中高生の方たちがバンドで賛美も披露しました。今度留学するまどかちゃんやけんと君も奉仕をされておりましたが、その他、肉を焼いてみたり、いろいろと奉仕に中高生自ら携わって、また友達のケアもし、という形で、中高生の子たちが自分たちですべてのことをやる集会でありましたが、本当にすばらしい集会でした。
 実は先週月曜日のスタッフ会で開先生が、「今回のレツプレはちょっとこじんまりするかもしれない。」とおっしゃっていたのです。ところがどっこい、蓋を開けてみたら、最近にもないくらいの賑やかさでびっくりしたわけですが、本当にすばらしい時でした。

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 この後にも、今週は子どもキャンプがあったり、中高生キャンプがあったりだとか、またサマーコンサートも八月に行われますので、ぜひみなさんお祈りください。

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今回のサマーコンサートでは、残念ながら堅志君が来られないわけですが、それに変わって堀井慶一さんという、去年もクリスマスに来てくださった方が来てくださいますし、またボーカルの和田昌哉さんという方が来られて、いつもと違ったコンサートになると思いますので、是非みなさんお祈りに加えていただき、参加していただければと思います。

 
 今日は、私が講壇に立たせていただいているので「なんだ順先生じゃないのか」とがっかりされた方もいらっしゃるかもしれませんが、順先生は今日午後、たっぷりお話をしてくださると思いますのでお楽しみに。テーマを見ますと、なかなか思いつかないような、どこから霊的戦いに進むんだ?という、「飯田線」というテーマですね。不思議なタイトルを順先生、付けられておりますが、我々クリスチャンがとりなして、悔い改めと共に祈らなければいけないテーマがそこにあるということですので、午後のセミナーにも期待して、みなさん参加していただければと思います。

 あまり前置きを長くしないで、本題に入っていきたいと思います。
先ほど司会者の方に読んでいただきましたみことばは有名なみことばですが、使徒パウロの伝道者としての覚悟というか、心意気というか、そういったものを感じる一文でありますよね。福音を宣べ伝えることは、「どうしてもしなければならないこと」だというのです。もし福音を宣べ伝えなかったら災いだと言っております。これが私の務めで、使命だ!と、はっきりと告白しています。
 パウロという人は、福音のために、宣教のために、人生のすべてを捧げた男でありますが、彼がイエス様と出会う前、彼の生まれ育った過程を見ていきますと、真逆のような人生を歩んだことを見ることができます。彼ほど人生が激変した男もいないんじゃないかというくらい、彼はイエス様と出会ってから人生が変えられたわけですが、ピリピ人への手紙三章四節〜八節を見てみますと、彼はこう言っています。

『ただし、私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。』

 また使徒の働き二十二章三節には、このように書いてあります。

『「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。』

 イエス様と出会う前のパウロは、旧約聖書のあらゆる知識に通じた人物で、本もたくさん読んでいただろうと思います。そして律法の世界にどっぷりと浸かっていました。律法を厳格に遵守することを生き甲斐としていたような、妥協を一切許さないような、そういう宗教家でありました。
 それと同時にパウロは、ユダヤの議会、サンヘドリン、これはパリサイ人の議会だと言われていますが、その議員の一人でした。まぁ日本でいえば政治家、参議院議員のような立場だったみたいです。イスラエル人としてある程度の権力を持っていました。彼は生まれも良く、他の箇所では生まれながらのローマ市民だとも書いてありますので、ローマ帝国の加護の元、何不自由ない生活を送り、安泰に生きていくことのできた、そういう立場であったと思います。イエス様と出会う前のパウロというのは、ある意味でエリート街道まっしぐら。欠けたところのない、女性から見たら、結婚したい人ナンバーワン、という人だったかもしれないです。
 しかし彼は、イエス様と出会ったがために、全くその人生が激変してしまったわけです。イエスさまと出会ってから、彼は、人々から憎まれて、迫害されて、そして命を狙われて、ある時には石を投げられて、また牢屋に入れられたりしながら、福音を宣べ伝えたわけです。
そして伝道者としても、自ら生活の糧を自分で稼いで、じり貧の生活に身を投じながら福音のために世界中を回って語った。それも彼は特別に異邦人に遣わされた使徒であると、自ら告白しています。考えるに、彼はイエス様と出会った後で、聖霊の導きの中で、異邦人伝道に遣わされていったわけですが、おそらく最初のうちは彼の中には葛藤があったのではないかと思います。なんといっても、彼はベニヤミン族のユダヤ人のパリサイ人でして、厳格な宗教家として生きておりましたので、自分がユダヤ人だ、神によって選ばれて神によって律法を与えられた特別な者だと、プライドがあったと思います。傍目からも「私はユダヤ人」オーラが漂うような、そんな男ではなかったかと思います。
 最近巷で、秘書に暴言をはいたり、叩いたりして退いた女性議員がいましたが、学歴や身分へのプライドが高いと、傲慢な態度で人を見下すようになる人がいます。たぶんパウロもそういうプライドを身にまとった男で、「俺はユダヤ人~♪」「神に祝福されし者~♪」と、鼻歌を歌っていたどうか分かりませんが、彼は異邦人には「おまえたち律法を知らない異邦人など呪われよ!」くらいに思っていたかもしれないですよね。「ゲヘナにでも行ってしまえ!」と、そういうふうに思っていたかもしれないです。でも、神様によって遣わされて、偏見に満ちたプライドも打ち砕かれて、そして異邦人のための使徒となった。冒頭お読みしたみことばでも、「私は律法を持たない人のためには自分も律法を持たない人のようになった。弱い人には弱い者、すべての人にすべての者となった。それはどうにかして幾人かでも救うためである」というのです。

 話は変わるのですが、先週のレッツプレイズの前、二回に渡って、スタッフたちで新城市内の中学校、高校に出向いて、チラシ配布を行いました。

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これは資料写真です。夏に厚ぼったい恰好をしております。
毎年七月と十二月にレッツプレイズが行われまして、チラシ配布も毎回行います。ですからレツプレのためのチラシ配布というと、暑い夏と寒い冬、二回行われる、新城教会の季節の風物詩というイメージです。今年も朝とはいえ暑い中、チラシ配布が行われました。僕も近くの高校と中学とに行き、登校してくる子どもたちにチラシを渡すわけですが、やってみて思わされることは、最近の学生たちがとても良い子なのです。すごく礼儀正しい子が多いです。目をあわせて柔らかい声で挨拶をしてくれたり、頭を下げてくれる。チラシを渡すと「ありがとうございます」が返ってくる。気持ち良いのです。チラシがハける枚数も多い。やっていて恵まれます。もちろん中には手を上げて、「要りません。」とやる人もいますが、その場合もその意志をこちらに分かるように表明してくれて、だからやりやすいのです。
でもその中でもたまにいます。完全にシカトしてくる学生が。
 チラシ配布をする時、受け取る側の人にできるだけプレッシャーを与えず、自然に受け取ってもらえるように気を付けます。なんと言っても、こちらは見ず知らずのおじさんで、相手は中学生・高校生ですから世代のギャップもあります。怪しまれないためにも、こちらからさわやかに「おはようございます」と声をかける。それは必須事項です。それも相手が遠すぎても近すぎても良くない。声が大きすぎても小さすぎてもよくない。僕が何年もチラシ配布やりながら到達した最もよい挨拶の距離は、5メートル手前、明るくはっきりと挨拶する。相手がこちらを見て挨拶を返してくれたら、だいたい八割方大丈夫です。やっぱりせっかく配るのですから、なるべく多くの人に配りたいのです。そんな中で今回も自己満足に浸ったわけなのです。「うん。上手くいっている。暑い中、けなげな努力を重ねて、君たちの救いのためにチラシを配っている僕」という感じです。なのに、目の前に空気しかないかのように振る舞い通り過ぎていく学生が、少ないですけど!いるわけです。胸の前二十センチに差し出されたチラシに気を止めることもなく、つんとした顔で前を向きスタスタと通り過ぎて行く、そういう学生に出くわすと、つい後ろ姿にガンを飛ばしている私がいるのです。
でもすぐに切り替えて次の学生に配らないといけませんから、また「おはようございます!」とやるわけです。やはり、福音を伝えるということは、相手にあわせてやらなければならないのです。
そんなこんなで、レッツプレイズ当日はチラシによって来られる方もチラホラいるわけです。チラシ配布にもそんなふうに小さなドラマがあって深いものですね。

 使徒パウロもやはりいろいろと葛藤を覚えながら宣教活動をしていたに違いありません。伝道は魂を獲得するための戦いですから。

 今年は霊的戦い開戦満二十五年と言われています。一九九二年に霊的戦いが始まったのですが、思い返すと、霊的戦いが始まったのは、このレッツプレイズがきっかけでした。レッツプレイズの、しかもチラシ配布が霊的戦いの開戦を告げるホラ貝の音となったのです。

 最近将棋の中学生プロ、藤井創太さんが話題となっていますが、彼のブームに便乗してテレビに出まくっているのが、最近引退した元最高齢プロ棋士のヒフミンこと加藤一二三さんです。彼は自分で自分のことを「将棋界のレジェンド」って言います。それなりの輝かしい将棋の経歴を持っています。
 なんで僕がそんなこと話すかというと、実は僕も自分で言いますが、僕は「レッツプレイズのレジェンド」なんです。何故かというと、僕が高校二年の時にレッツプレイズが始まったからです。それだけのことなのですが。
当初は毎月一回開催され、そして毎回多くの中高生求道者で賑わっていました。しかし、一九九二年、八年過ぎた時点では、年間数回の開催で求道者は数えるほどしか来られなかった。少々苦戦していたのです。
 一九九二年七月、その時もレッツプレイズのためのチラシ配布が計画されていましたが、事前に滝元望さんが中高生会のスタッフにこう進言しました。「学校のそばには何かしらの神社・仏閣があるもので、チラシを配るならば、まずその偶像に出向き、その地域を牛耳っている悪霊に対して戦う祈りをしてから配った方が良い」と。
 当時僕も新米スタッフとして奉仕していましたが、霊的戦いだのとりなしだのってセンスは教会スタッフの中で誰も持ち合わせていませんでしたので、そんなことに気づく者はいませんでした。言われてみて地図を見たら、なるほどおっしゃる通り、学校の近くに必ず偶像があるということで、「まあ、やらないよりはやった方が良いかもね」っていうことになって、チラシ配布のおまけみたいな感じで霊的戦いをすることになったのです。
 ところが、チラシ配布当日の未明、新城教会に突然主からの預言が与えられたのです。どんな言葉だったかというと、「あなたがたは霊的戦いに行こうとしています。でもよく考えてみなさい。あなた方が立ち向かおうとしている神社・仏閣に潜んでいる悪霊は、地域で何百年にわたって人々を束縛してきた強力な敵です。だから、軽々しい気持ちで戦おうとしているのならば大きな間違い。とにかく神様を求めて、真剣勝負のつもりで祈り備え、主に百パーセント頼って戦わなければ大変なことになります。」と聖霊の迫りをうけ、徹夜でとりなしの祈りがささげられ、また出発前には集まった者たち全員で罪の悔い改めと聖餐式を持って、心して出かけて行き、祈りました。その日が実に二十五年前の七月九日のことでありました。
 その時のレッツプレイズは、たぶんその次の週くらいにあったと思うのですが、主の奇跡が起きたのです。なんと数人だった求道者が一気に何十人も詰めかけたのです。我々スタッフとしては本当に不思議な、その戦いの祈りの勝利が現されたとしか理解のしようがない、そういう感覚でした。戦いの祈りの中で勝利が現されたということを実体験した、そんな感覚でした。
 そして、その日から次から次へと、霊的戦いの祈りが開かれ、いろんな奇跡を見せていただいて励まされながら戦いの日々が続き、止まることなく今日に至っているわけです。

 また、その日以来、レッツプレイズには毎回多くの求道者が集まることが今まで続いています。だから、レッツプレイズに今日、このように普通に求道者が集まることも、二十五年前のその出来事を考えると普通ではないんだということを思わされます。神様がその時に扉を開いてくれて、霊的戦いの勝利を現してくださって、それ故に今日に至るまで伝道集会へ魂が導かれるということが継続しているのではないかと思わされます。
 レッツプレイズだけでなく、その他の教会で行われる全ての伝道集会に未信者の方が集う状況そのものが、ひとつの霊的戦いの勝利であることを思わされます。
 私は青年会を担当しておりますが、レッツプレイズの二ヶ月ほど前の今年五月末に青年たちが企画し開催されたThe Call Sweet Nightにおいてもそうでした。前週まで三十名台であった参加人数がどのように伸びて当日百名までなったのか、人間的にはわからないのです。

 先日行われたレッツプレイズも、霊的戦い二十五年が満ちたこの時にふさわしい、思った以上に神様の祝福が満ちた集会でありました。
 
宣教の業は、新城教会の歴史を見ても、パウロの宣教もそうでありましたが、キリスト教会の歴史をみても、戦いの中で前進・拡大して来ました。

 話は変わりますが、映像をちょっとご覧いただきたいと思います。

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 これは使徒信条と言います。新城教会ではあまり唱えることはありませんが、世界中のキリスト教会の中で、プロテスタントももちろんですが、信仰告白の基本となっているような一文です。
 今年の初め山崎ランサム先生が神学カフェの中でも取り上げておられましたが、使徒信条と言われるこの文は、クリスチャンであれば覚えているべき(僕も空では言えないのですが)言葉であると思いますので、ちょっとみなさんで声を出して読んでみたいと思います。

使徒信条
『我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。アーメン』

 そして、次の文もちょっとご覧頂きたいと思います。

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これは古ローマ信条と言われている、使徒信条と同じような信仰告白文です。使徒信条が確立したのは八世紀頃だと言われていますが、古ローマ信条というのはそれに遡ることだいたい六百年前くらい、紀元二世紀後半くらいにできたのではないかと言われる文です。

古ローマ信条
『われは全能の父なる神を信ず。また、そのひとり子、イエス・キリスト、われらの主を。彼は、聖霊と処女マリヤから生まれ、彼はポンテオ・ピラトのもとで、十字架につけられ、葬られ、3日目に死せる者よりよみがえり、天に昇り、父の右に座し、かしこより来たりて、生ける者と死せる者をさばかん。また、聖霊を、聖なる教会を、罪の赦しを、肉のよみがえりを。』

これを読んでみると、先ほどの使徒信条と内容的にかぶる部分があります。というより元々使徒信条の原型となっているものが、この古ローマ信条だと言われています。だから、使徒信条は今からずっと千八百年くらい遡ることができて、西暦百年代の後半に原型を見ることができるのです。すごく歴史の長いクリスチャンの信仰告白となっている文章です。
 ここに時代の流れに飲まれることなく、耐えて変わることのないものとして受け継がれてきたクリスチャン信仰の根っこの部分があるわけです。これは、旧・新約聖書全体の、そこに記されている大事なポイントをぎゅっと凝縮して、単純な短い文でまとめたものです。キリスト教の中心を最も簡潔に現した、聖書を煮詰めてエキスを抽出したようなものと受け止めることができるかもしれません。
 これが編み上げられる、紀元一世紀から二世紀、ちょうど教会が最初に拡大していく黎明期の時代に、教会はどのような状況にあったかというと、ものすごい戦いの中に置かれていました。そして戦いの中で、時代の必要に迫られるように、信仰告白文が作り出されていったわけです。その当時のキリスト教会の必要が、その文章を作り上げたと言われています。
 イエス様が十字架にかけられ、よみがえり、天にあげられて、すぐに教会の時代が始まりました。紀元三十年代のことですね。それからの百年間、黎明期のキリスト教会は、内に外に、様々な激しい戦いで苦しめられていたわけです。外側にはユダヤ教を擁するユダヤ人たちからの激しいねたみと敵意というものがありましたし、当時の世界覇者であったローマ帝国からも迫害にあったりしました。
 当時はキリスト教会に社会的な力は乏しく、ある意味迫害の中で細々とした活動がなされていたわけです。

 さらに、内側から病魔のように教会に忍び込んで、クリスチャンを純粋な信仰から逸脱させてやろう!ともくろむ敵対勢力がありました。それが「グノーシス」というものであります。
 これについても山崎先生が神学カフェで教えておられますが、「グノーシス」とは、ただの単語として見るなら、「認識」や「知識」を意味する古代ギリシヤ語の普通名詞です。それが示唆するように「グノーシス」とは、「知る」ということに特に重きを置く、見た目キリスト教のような、クリスチャンのようなグループで、キリスト教会の拡大とともに入り込んできた流派でありました。

 では、何を「知る」というのでしょうか?

1.イエス・キリストが宣教した神とユダヤ教(旧約聖書)の神(=創造主)は別物
2.悪神である創造主の所産であるこの世界は、唾棄(だき)すべき低質なものである
3.人間もまた創造主の作品であるが、その中に一部だけ、至高神に由来する要素(=「本来的自己」)が含まれている
4.救いとは、本来的自己が悪なるこの世から解き放たれて至高神のもとに戻ること

 グノーシスの特徴として、イエス・キリストが宣教した神とユダヤ教(旧約聖書)の神(=創造主)は別物だというのです。イエス様がお祈りした父なる神様と、旧約聖書で天地を造られた創造主とは別物だと。
二番目、我々が住んでいる世界を悪の宇宙、あるいは狂った世界と見て、それ以前、原初に真の至高神が存在した善の宇宙があるということを唱える。だから創世記の中に出て来る神様の天地創造というのは悪の宇宙、悪の地球を造った。この世にあるものは悪で満ちている。でも本当の至高神、善なる神は別の所にいるというのです。
 そして三番目、創造神によって造られた人間もまた悪であるが、その中に一部だけ、至高神に由来する要素(=「本来的自己」)が含まれている。人間のこの肉体というのは悪だけど、その中にある霊の一部分だけが、本当の神様とつながっている。
 そして四番目、救いとは、自己が悪なるこの世から解き放たれて至高神のもとに戻ること。そのためにその至高神というものを認識するということが必要である。ざっくり言うと、そんな教えであります。

 では、キリスト教会にとってグノーシスは大きな問題になっていたのですが、それはなぜかというと、グノーシス派というのは、キリスト教会をあからさまに攻撃する、「そんなのは駄目だ!」と言うのではなくて、彼らの中にも信仰があるということは、他の信仰を持っていない人よりはまだ見込みがあるということで、特にクリスチャンたちを狙って、彼らが言う「本当の知識」に引き入れようとグノーシスはしたのです。クリスチャンを回心させるべき宣教の対象とみなしていたということなのです。そこが大きな問題でした。

 キリスト教会への挑戦ということで五つのポイントをあげます。

1.旧約聖書で天地を創造した造物主を至高者の下に置く。
 旧約聖書に描かれている、あなたがたが信じている神様とは、グノーシスが信じている神様より格下なんです、こう言うのです。

2.イエスについて、その肉による復活を認めない。
 イエス様が十字架につかれて、そして私たちの罪の贖いを成し遂げられたということを無効にするわけです。そんなことでは救われない。イエスが与えたのは十字架による救いではなく「知識」による救いである、と。

3.「教会」に権威を認めない。
 教会に権威があるのではなく、あなたがたに至高神から与えられた知識が大切なものなのです、と。

4.クリスチャンは、他の人間よりはグノーシスの奥義に導くことができれば救済へ至る可能性が高いと考え、布教の対象とする。

5.各人の自己「認識」(グノーシス)により、誰もが啓示に与ることができるので、各人の解釈に基づき無限に文書を生み出すことができた。

 これが本当に大きな問題となったわけです。グノーシスは、自ら直接神様(?)からの啓示(?)を受け取り、「キリスト教『的』」な文章をたくさん生み出していきました。当時のグノーシスの文書で名前が分かって残っているものだけでも四十はあると言われていますので、新約聖書の二十七巻よりもよっぽど多い、キリスト教文書のようなものが出回っていたというのです。

 次の写真を見ていただきたいと思います。

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 これは「ナグ・ハマディ写本」と言いますが、一九四五年に上エジプト・ケナ県のナグ・ハマディ村の近くで見つかった十三冊からなるグノーシス的なキリスト教文書です。エジプトのクリスチャンたちが用いたコプト語で書かれています。

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そこには、十三冊の中にもっと細かく様々な書巻が含まれています。これを見ると、使徒パウロの祈りだとか、ヤコブのアポクリュフォンとか、ヨハネのアポクリュフォンとか、真理の福音とか、トマスによる福音書とか、ピリポによる福音書とか、とにかくタイトルからしてキリスト教っぽい紛らわしいものがたくさんあるわけです。

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 この写真は、ナグ・ハマディ文書の中に含まれているトマスの福音書という、最も有名な書巻なのですが、この書巻は百十四からなるイエス様が語ったとされる言葉を並べており、イエス・キリスト名言集のようなものです。そして本文中に使徒トマスによって書き記されたとあるので、この名があります。
 何が紛らわしいかというと、今私たちが読んでいる新約聖書の中の四福音書がありますが、四福音書の中でイエス様が語られたことばも、トマスの福音書にあります。福音書に書かれているイエス様のことばと、グノーシス的な世界観でイエス様が「語ったとされる」言葉が並行して同列に書かれているのです。だから紛らわしいわけです。
 当時、こういう、とっても紛らわしい文書がたくさん、ある意味氾濫していたわけです。二世紀以降に、ものすごい量が出て来るのです。『「だれそれ」による福音書』という表題の文書だけでも、ペテロをはじめとする十二弟子、パウロや主の兄弟ヤコブ、マグダラのマリヤ、というようにたくさん出て来ます。また書巻タイトルが別々の本で重複してしまうことも結構ありました。また手紙や行伝、黙示録などについても同様にたくさんありました。内容もまた千差万別。いわば「みことばの乱立状態」というのが、二世紀のキリスト教会の中で起こっていたわけなのです。

 そういう中で、新約聖書二十七巻が最終的にキリスト教の正典として成立していくのですが、どのように成立していったのでしょうか?今私たちが手にしている聖書の新約聖書正典二十七文書には、残存するキリスト教文書としては最も古いものがほぼ顔を揃えています。古いものが残存しているということは、それがキリスト教の初期から教会の中で絶えず読み継がれてきたことを意味します。これは、外ならぬこれらの文書こそが、キリスト教の信仰や思想、文化を伝播させ、また継承させるにあたって大きな役割を果たしてきたということなのです。
 また旧約聖書は、ユダヤ教の中で西暦九〇年頃に、現代のように三十九巻が成立したといわれていますが、キリスト教会においてもそのまま権威ある正典として認められました。
イエス様ご自身が福音書の中で「私は(旧約)聖書を廃棄するためではなく成就するために来た。」とおっしゃっているので、イエス様ご自信が旧約聖書のみことばを認めておられ、それを発展されて、新約の時代のキリスト教を開かれた。キリスト教会も、旧約聖書を認めて、その旧約聖書としっかりと整合性がとれた文書だけが教会の中で読み継がれていったのです。旧約聖書を認めない、あるいは旧約聖書と関係ないようなことが書いてある文書は教会の中で神のことばとして認められなかった。まさに新約聖書は、旧約聖書の世界観を受け継ぎ、霊的な一体感を持ち、人として歩まれたイエス様の姿を、イエス様の実際の歩みに付き従っていた12弟子、もしくはその近くにいた人たちの手によって書かれた。そのような文書が教会の中で受け入れられていったのです。

 新約聖書二十七巻は、西暦三九七年、カルタゴ公会議において正式に正典とされましたが、その会議において、聖職者たちが侃々諤々「私はこの書巻を入れる、これは違うと思う」「いやいや、そうではない」と、議論が交わされて二十七巻が決められた、というのではなく、それまで歩んできたキリスト教会の伝統の中で、教会の中に受け入れられてきた書巻が正典とされた。すでに二十七書巻には権威が認められていたのだけど、それを正式に追認した、という形で二十七巻が認められたのです。

 新訳聖書が二十七巻に集成され、一つの聖書になるという過程の中で、グノーシスとの激しい戦いがあったわけです。グノーシスの多くの書巻は、その後、四世紀、五世紀くらいになると写本もされなくなり、人々の関心を集めなくなって、歴史の中から姿を消していきます。そして今日に至るまで、ほとんどのグノーシス文書というのは消えてしまって、私たちが目にする機会もなくなってしまったわけですが、先ほども言いましたナグ・ハマディ文書がつい最近発見されたということであります。

 この歴史の流れを見ても、我々が今手にしている聖書と、キリスト教のまがいものであったグノーシス怪文書の違いを見ることができます。「草は枯れ花はしぼむ。しかし神のことばは永遠に立つ。」「預言の一点一画が滅ぶよりも、天地が滅びるほうがまだ易しい」と書いてありますが、そのように聖書は長い歴史の中でも色あせることなく今日まで残っている、ということであります。

第二テモテ三章十四節~十七節、

『けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。』

 今まで申し上げたように、初期のキリスト教会では、さまざまな戦いがありました。外側からのイエスさまに敵対していたユダヤ教や、ローマ帝国によるクリスチャンの迫害は、クリスチャンの命に危険が及ぶ激しいものでした。それに加えて、内側には、グノーシスの惑わしがありました。この惑わしは、旧約時代から神様が人類に語りかけ、そして神様と人間との関係が育まれてきた歴史の中で書き上げられた旧約聖書を一切無効にし、「そこに書かれている創造神は神なんてものじゃない!悪いやつだ!」と切り捨てて、「知識」という耳あたりの良い、私たち人間が傲慢に結びつきやすい領域に侵入して、そして神様と人間の関係をねじ曲げ破壊しようとしていたわけです。
 グノーシス主義は、教会が現れて、福音を掲げて世界に伝播されていくのとほぼ同時期に出現し、黎明期のキリスト教における最大の異端として猛威を振るいました。その害毒は未信者に対してのみならず、クリスチャンをも惑わし純粋な信仰から転覆させることを目的としていました。この戦いの中で、キリスト教会は、「何が正しい信仰なのか?」をはっきり提示する必要がありました。
 そのために、先ほどお見せした「古ローマ信条」が作られました。そして、何よりも旧・新約聖書の集成を遂げて、戦いに勝利したのです。激しい戦いをくぐり抜けながら、キリスト教会は宣教の働きを続け、後生に残る輝かしい宝、変わることのない真理を残して、今日に伝えているわけです。私たちはその上に立ち、現代社会での霊的な戦いの中で宣教しているわけです。
 そして、これから後も、世界が主イエス・キリスト様を迎えて、そして新しい神の国を迎える日を待ち望みながら、戦い続けるのです。

エペソ人への手紙四章四~六節、

『からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。』

 その昔に行われていた戦いも、我々の戦いも、同じ一つの聖霊様により、ひとりの神様、イエス様の名前による戦いであります。これからも、神の国の為の戦いをともに一つとなり戦っていきたいと思います。

 新城教会では、二十五年前に霊的な戦いが始められて、神様によってさまざまな励ましを受け導かれてきたわけですね。そして、新城教会が歩んできた道のりを見ても、この二十五年間、戦いを通してでなければ開かれることがなかったであろう扉がいくつもあることを実感させられます。

 二十五年前と言えば、甲子園ミッションが口火を切った年です。その後のリバイバルミッションの働きにつながっています。またざわめきで本格的にCD制作が始められた年です。そして今では十三枚のCDが送り出されています。
 またプレイズ出版が躍進し始めた年です。現在まで事業が拡大しています。
 霊的戦いを通し精錬され、それぞれの働きが筋金入りとなり、そして今日まで活動が続いているわけです。今後も導かれて実を結ぶように、へりくだって主に従い、清さの中で用いられますように感謝とともに祈りましょう。

 私たちは、霊的戦いを通してさまざまな霊的な束縛からも解放されました。私もそうですが、罪の悪習慣から切り離されて解放されることができたり、また地域の霊的束縛からも解放されることができたり、またさまざまな困難や問題、病の背後に働く悪霊からの解放。そして、魂の救いにつながっていく。霊的戦いを私たちはいろんな縄目から解き放って自由を与えてくれるために用いられてきました。
 最初に読んだみことばを見ますと、使徒パウロは、「与えられた自由を福音のために放棄し、すべての人の奴隷となった」と告白しています。ここにクリスチャン人生の重要なポイントがあります。一方では、自由を与えられたことをよろこび、その一方では、その自由をもって主に仕えるということです。
 現代社会はある意味、自由を土台として形作られています。ルネッサンスの時代に起きた民主化の流れですね。市民革命とか、名誉革命とか、いろんな革命の中で、民衆は権力者から自由を勝ち取りました。そして今も私たちは自由の人権を中心に据える憲法の下で、ある意味自由を謳歌するような生活を送ることができています。言論の自由とか、勉強の自由とか、信仰の自由とか、いろんな自由があります。この自由は本当にすばらしいものであるわけですが、自由を握って自由を主張するだけでは信仰生活は片手落ちなのです。自由というのは責任を伴います。自由を持って、自分に与えられた使命を果たしていくということが大事であります。みんながみんな、自由を主張するだけだったら大変な世界になっちゃうわけです。

ガラテヤ人への手紙五章十三節、

『兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。』

 パウロはイエス様と出会って救われ、パリサイ人としての律法主義からキリストにある自由を手にしました。そして、キリストを知っていることの素晴らしさのゆえに、一切のことを損と思うと言いました。彼はそんな中で、自分はユダヤ人にも未開人にも、知識のある人にもない人にも返さなければならない負債があるといいました。そして全ての者のために全ての者になるという覚悟で自分の自由を放棄して、福音のために私は奴隷になります!と自らすすんで異邦人のための使徒となっていったわけです。それはすべて一人でも救いに導くためだと。
 私たちは、今、霊的戦いの中で、被造物全体が解放されるようにとビジョンを受け取って、そして新たな戦いに進んでいこうとしているわけですが、そのために私たち一人一人が神様の前に二十五年、また二十六年目に向かって、戦いの勇士として新たに自分自身を捧げて、そしてまたこの教会としても、またキリストのからだとしても、前進し続けて、神様の前に仕えていきたいと思います。

 これで私のメッセージは終わらせていただきたいと思いますが、最後にみなさんでお祈りをしたいと思います。

 今日は、私がキリスト教の初期のグノーシスについて勉強したことを少しみなさんとお分かちし、新城教会の二十五年間の戦いの中で宣教の働きが前進して来たことと重ね合わせながら、昔も今も変わることのない主の働きは戦いを通して前進していく。またその中で私たちは主によっていろんな解放を受けて、自由をいただいて、今喜んでいるわけですが、その自由を神様の前にもう一度お捧げして、神様のために仕える決意を新たにしていこうと、チャレンジを語らせていただきました。今そのことを覚えつつ、お一人お一人、神様が語ってくださったことを受け取りながら祈る時を持っていきたいと思います。みなさんで短く、自分自身の決意として祈りを捧げたいと思います。

 ハレルヤ。イエス様、全幅の福音、全被造物の解放、その贖いのために私たちはそれぞれに与えられた役割をしっかりと果たし、キリストのからだを建て上げて一つのものとして、戦い続けていくことができるように、主よ導いてください。あなたが霊的戦い二十五年を満たしてくださったことを感謝します。これからもどうか主よ、与えられた恵みの中で私たちは戦いに励んでいくことができるように、イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。