「2017年あなたは良いもので満たされます —パート19— 
 ~彼らに主の名をほめたたえさせよ!~」

2017年8月20(日)
新城教会主任牧師 滝元順
詩篇148篇

『ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。いと高き所で主をほめたたえよ。
主をほめたたえよ。すべての御使いよ。主をほめたたえよ。主の万軍よ。
主をほめたたえよ。日よ。月よ。主をほめたたえよ。すべての輝く星よ。
主をほめたたえよ。天の天よ。天の上にある水よ。
彼らに主の名をほめたたえさせよ。主が命じて、彼らが造られた。
主は彼らを、世々限りなく立てられた。主は過ぎ去ることのない定めを置かれた。
地において主をほめたたえよ。海の巨獣よ。すべての淵よ。
火よ。雹よ。雪よ。煙よ。みことばを行うあらしよ。
山々よ。すべての丘よ。実のなる木よ。すべての杉よ。
獣よ。すべての家畜よ。はうものよ。翼のある鳥よ。
地の王たちよ。すべての国民よ。君主たちよ。地のすべてのさばきづかさよ。
若い男よ。若い女よ。年老いた者と幼い者よ。
彼らに主の名をほめたたえさせよ。主の御名だけがあがめられ、その威光は地と天の上にあるからだ。
主は、その民の角を上げられた。主のすべての聖徒たち、主の近くにいる民、イスラエルの子らの賛美を。ハレルヤ。』

 ハレルヤ!みなさんおはようございます。大変暑いというか、雨が多く湿った日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。

 先週はリバイバルミッションで、「霊的戦い専門課程スペシャル」がありました。なぜなら、今年は甲子園ミッションの準備の中で霊的戦いが始まって、「二十五年」という歳月が過ぎたので、それを記念してセミナーが開かれました。
 全国から多くの方が来てくださり、たいへんすばらしいセミナーを持たせていただきました。リバイバルミッションも、オールスターでセミナーを持たせていただいたのですが、今朝は、セミナーに参加し、続けて、礼拝にも出席してくださっている方々が多くおられます。
 その方々は、お立ち上がりくださいますか?ありがとうございます。

 特に、今日は、大阪から、池田隊長の教会の皆様が教会上げて出席してくださっています。彼は甲子園ミッションの路傍伝道の隊長で、一生懸命働いてくださった方です。しかし今や牧師になって、多くの信徒の方々を連れて、礼拝に出席してくださっています。

 甲子園ミッションは日本の宣教史上、大きな足跡を残しました。甲子園ミッションがなかったら、私は結婚できなかった!とは言わないけれど、この人とは絶対に結婚していなかった!という、「甲子園カップル」が幾つも生まれました。この中にもおられます。池田先生もその一人だと思うのですが、甲子園ミッションは、後世に大きな祝福を残しました。
 甲子園で出会って結婚したカップルは、十数組あるそうです。今度、彼らをインタビューして、本にして出したいという、無謀な計画がある事を聞きました。早く読みたいものです。甲子園ミッションは、私たちの青春そのものでした。とは言っても、私は四十代でしたから、青春ではなかったのですが、昨日のように鮮明に覚えています。

 私は近ごろ、メッセージの中で、昔話が多くなって、だいぶ親父に似てきたのですが、人生ってあっという間に過ぎます。人生の意味って、なんだろうかと考え込んでしまいます。
 ところで、記憶をどこまで遡れますか?私は、だいたい幼稚園くらいかなぁと思います。はっきりと、物事を認識して覚えているのは、幼稚園くらいです。それ以前は、セピア色になるというか、白黒になって記憶が薄くなっていきます。
 幼稚園の時のことを一つ、はっきりと覚えているのですが、私にとって、ショッキングな出来事がありました。それは何かというと、私は新城幼稚園を卒園したのですが、一年だけ通わせてもらったのですが、秋の遠足がありました。遠足に、おにぎりを母親に握ってもらい、一人で出かけて行きました。浜松の航空自衛隊を見学に行きました。私の世代って、まだ戦争の名残がありまして、戦記物とか大好きでした。零戦太郎とか知っていますか?いつも見ていたのですが、自衛隊の見学は、すごく楽しみで嬉しくて、出かけて行きました。少し遅くバスに飛び乗った瞬間、唖然としました。
 昔の観光バスって椅子が低かったのですが、見たら、ほとんど全員、お母さんとペアで座っていました。えーっ!?という感じでした。一人で参加したのは、私だけでした。私の家は子だくさんで、幼稚園の時代、年子でどんどん兄弟が生まれていましたから、母親も、私の世話なんかする暇もなくて、ただ、おにぎりを持たせて、一人で行って来い!という感じでした。私も、一人で行くのが当然だと思っていました。ですから、なぜ友達たちは、母親と一緒に来るんだと、私は理解できずにちょっとふてくされていました。
 そしてもう一つのショックは、昼ご飯の時でした。みんなのおにぎりを見たら、おにぎりが黒かったのです。私のおにぎりは、白でした。私はそれまで、おにぎりは白!が当たり前だと思っていました。しかし友達のおにぎりは、全員、黒でした。「こいつら、なにを食べているんだ!泥んこおにぎりでも持って来たのか・・・」と思いました。しかし私のおにぎりだけ、海苔が巻いていなかったことに、それから後に気づきました。本当に貧しい環境の中で育ちました。

 あの頃のことが、鮮明に思い出されます。しかし人生の意味は、実際、どこにあるのかと考え込んでしまいます。けれども、今日みなさんと学びたいのは、人類が造られた目的についてです。これは、しっかりと捉えなければならない、人生の目的です。それも、幼い子どもたちから、お年寄りまで、全員に与えられている同じ使命です。
 それは何でしょうか。今日、詩篇百四十八篇を読みました。そこに記されていた使命は、「主をほめたたえる」ということです。主をほめたたえることが、人類に与えられた、最も大きな、大切な使命なのです。
 時に歳を取って、私の人生になんの意味が!?となったとしても、そのように考えてはいけないのです。私たちは、「主の名をほめたたえるために造られた」のです。
 今日も皆で主を賛美しましたが、本当に恵まれました。主がこの場所におられる!というのを実感しました。これが私たち人類の使命です。

 しかしさらなる使命が、詩篇百四十八篇には記されています。百四十八篇は、ハレルヤ詩篇と呼ばれます。なぜなら、「ハレルヤ!」から始まり、ハレルヤで終わっているからです。
 『ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。』とあります。私たちも、「ハレルヤ!」と挨拶しますが、これは「主をほめたたえます!」という意味で、なかなか良い挨拶です。
 韓国教会に行きますと、「ハレルヤ!」と、みんな大きな声で叫びます。日本だと大きな声でハレルヤ!と言うと、ちょっと引かれるところがあります。新城教会ではハレルヤ!と挨拶します。これは聖書的です。主をほめたたえる事が、人類の大きな使命です。

 百四十八篇をじっくり読んでいきますと、大きく分けて二つに分かれているのが分かります。
 一節から六節までは、「天において」の賛美です。七節から十二節は、「地において」の賛美です。
 ここで、詩篇の作者が、読み手に命じているのが、百四十八篇五節、

『彼らに主の名をほめたたえさせよ。』

と命じています。主の名を「ほめたたえさせる」役割が、人類には課せられています。
 地におけるパートにおいても、百四十八篇十二節に、

『彼らに主の名をほめたたえさせよ。』

と命じられています。なんと、人類には、すごい役割が課せられています。
 『初めに、神が天と地を創造した。』と、先週、学びましたが、神は私たちには想像できない、偉大な創造の業を完成されたのです。
 時々話していますが、日本語は単数と複数の見分けが簡単にできません。英語などはsが付いたりして、複数だ!、単数だ!と、会話の中で分かります。「初めに、神が天と地を創造した」と聞けば、単に「神が天と地を創造したんだ」と、軽く考えます。しかしこの「天」は複数形です。
 『ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。』とありますが、この「天」も複数形です。
 口語訳聖書は、「もろもろの天」と訳していて、そのほうが正しいです。「ハレルヤ。もろもろの天において、主をほめたたえよ。」が正解です。
 神は、私たちが感じている空間以上の「諸天」という領域まで創造されたのです。目に見えない世界が、どれだけ現実の世界に重なっているのか分かりません。

 最近の天文学では、三次元の空間だけでは宇宙を説明できないと言います。今や科学の世界も、高次元があるのは当然のように扱われいます。
 実は、スイスのほうで、「CERN」という実験が行われています。高速で粒子を加速して、ぶつける実験をやっていますが、結構危ないです。超高速で粒子を加速してぶつけると、質量が減少するというのです。普通は質量1のものと、質量1をぶつけてバラバラになっても、残骸集めたら2になるはずです。しかし2にならないそうです。
 それはどういう意味かというと、物理の法則、質量保存の法則から外れる事を意味します。ということは、この宇宙に存在する質量の一部が消えたことになります。それは、重大なことです。
 考えられる理由として、他の次元に質量が飛び出したのではないかというのです。時空に穴が開いて微少なブラックホールが形成されるのではないかと懸念されています。科学の世界でも、見える世界だけでなくて、見えない世界が存在することを証明しているのです。

 しかし聖書は初めから、見える世界だけでなく、見えない世界が存在することを告げており、当然として扱っています。そして見えない世界に、重要な鍵があることを教えています。神は諸々の天を創造されたのです。そこにもどうやら、生き物がいるみたいです。そんな世界に住んでいる被造物に対し、低次元に住んでいる人間が何かできるはずがありません。
 しかし、人は、諸々の天に向かっても、「主の名をほめたたえなさい!」と宣言できると言うのです。いや〜人ってすごいですね。

 そしてここに、主を信じる者たちが、賛美させなければならない存在についてのリストがあります。
 一節から、『ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。いと高き所で主をほめたたえよ。主をほめたたえよ。すべての御使いよ。主をほめたたえよ。主の万軍よ。』となっています。
 高次元には、神と人に仕える天使族が存在する事を聖書は教えています。私たちの周りには天使たちがいるのです。それは主を信じる者たちをサポートする、サポーターです。
 私は霊的戦いが始まる前までは、天使の存在なんて考えたこともありませんでした。天使は、森永キャラメルのキャラクターみたいで、クリスマス頃になるとチチチチと出て来て、うっとうしい連中くらいにしか思っていませんでした。
 しかし霊的戦いが始まった時に、天使たちはそういう存在ではないことが分かりました。主の万軍、軍隊だというのです。
 主を信じる者には、主の軍隊が護衛についているのです。たまには悪霊どもがうろうろする時もあるかもしれないけれど、それ以上に、天の万軍が、周りにいて守り、励まし、支えているのです。そのことを意識したことはありますか?
 二十五年前、子どもたちに聖霊が注がれた時から気づきました。もしかしたら主の万軍の天使たちが来ているのではないかと感じるようになって、聖書をいろいろと調べたら、天使たちを理解することは大切な要素だ!ということが分かりました。
 主の軍隊が周りを守っているのです。しかし彼らに、主の名をほめたたえさせる、賛美させるのは、誰の役割かというと、「私たち人間の役割」なのです。だから、周りにいる天使たちに、「主をほめたたえろ!」と命じなければいけないのです。

 詩篇とは、詩篇の作者自身も命じているのですが、読み手も同じ事をやれ!と告げているのです。だから私たちも、御使いたちに、万軍の天使たちに、主をほめたたえなさい!と命じる役割があるのです。
 今日、周りで仕えている天使たちの姿を見えるのか、見えないのか分かりませんが、時々、見えるという人がいます。本当かな?と思ったりもしますが、幼子たちには見えるみたいですよ。しかし幼子たちも、だんだん成長して罪を犯すようになると見えなくなるみたいです。いつも心を聖くしていると、霊の目が鋭くなります。しかし、信仰によって、周りにいる天使たちに、「主をほめたたえろ!」と、宣言してください。
 ちょっと命じてみましょうか。「主をほめたたえなさい!」と。「主をほめたたえなさい!」
 天使たちがびくっとしたのではないでしょうか。今、私たちの周りで賛美が起きているはずです。

 次に述べられているのが、『日よ。月よ。主をほめたたえよ。すべての輝く星よ。主をほめたたえよ。天の天よ。天の上にある水よ。』とあります。
 夏の夜空を見て、どのように感じられるでしょうか。また、夏の太陽、じりじりと紫外線を送って、女性ならばシミを残すような嫌な存在のように考えるかもしれませんが、太陽を見たら、「主をほめたたえろ!」と宣言して下さい。月、星を見ても、すべてそれらは神の栄光のために造られましたから、「主の名をほめたたえなさい!」と宣言する役割が人にはあります。

 七節からは、『地において主をほめたたえよ。』と述べられているのですが、最初に出てくるのが、『地において主をほめたたえよ。海の巨獣よ。』とあります。
 海の巨獣ってなんでしょうか。先日私は、名古屋港水族館に行き、シャチを見ました。シャチの曲芸ではなくて、訓練となっていました。イルカは曲芸ですが、シャチは訓練でした。シャチはあんまり頭が良くないらしく、時間になってもすねてプールに出て来ませんでした。
 彼らはどう猛な海の巨獣です。これを主が造られたのかぁ!と感動し、シャチに、「主をほめたたえろ!」と、宣言しました。続けてイルカのショーを見ましたが、すごかったです。イルカって本当に頭がいいです。観客を意識しているのです。我々が見ているのを意識して、パフォーマンスしていました。頭いいな〜と感動したわけですが、主が造られた存在です。イルカにはっきり、「主をほめたたえろ!」と告げてきました。

 私たちは海の巨獣にもそのように宣言できるわけです。しかし、実は、この海の巨獣とは、詩篇七十四篇を見ると、次のように記されています。詩篇七十四篇十三節〜十四節、

『あなたは、御力をもって海を分け、海の巨獣の頭を砕かれました。あなたは、レビヤタンの頭を打ち砕き、荒野の民のえじきとされました。』

 主が御力を持って、海の巨獣の頭を砕かれたというのです。これは、主の敵なのです。「海の巨獣」は、「竜」とも訳すことができる言葉です。「竜」とはなんでしょうか。サタンの象徴です。
 海とは、聖書においては、悪魔・悪霊どもが住んでいる領域を指します。海の巨獣とは、悪魔や悪霊どものことも含んでいます。
 なんと、私たちクリスチャンは、悪魔や悪霊どもに対して、「主の御名をほめたたえろ!」と宣言できるというのです。これは、すごいじゃないですか。私は近頃、この事に気づかされて、悪霊どもはやっつけて粉々にしてやろう!といつも考えていましたが、元々、彼らは、主をほめたたえていた者たちですから、彼らに主の名をほめたたえさせなければいけない!と気づかされました。クリスチャンにはそのような権威と役割があるわけです。

 実は、イエス様がゲラサに行かれた時、レギオンという悪霊に憑かれた男が遠くからイエス様を見つけて、かけよってきて、何をしたかがレポートされています。それがマルコ五章六節に記されているのですが、

『彼はイエスを遠くから見つけ、駆け寄って来てイエスを拝し、』

とあります。「拝し」とは、「イエス様を礼拝した」という意味です。イエス様は、すべての被造物の管理人の代表です。イエス様の前では、悪霊どもは主を礼拝したのです。すべての被造物が主の名をほめたたえるというならば、この地で悪さをしている悪霊たちを打ち負かすだけでなく、「海の巨獣よ。主をほめたたえよ!」と、彼らに主の名をほめたたえさせるところまで、前進しなければいけないのです。

『すべての淵よ。火よ。雹よ。雪よ。煙よ。みことばを行うあらしよ。』

 時々台風が来ますが、台風とは、みことばを行うために来るみたいですね。どういう意味なのかはっきり分かりませんが、台風が来るのも意味があるわけです。そして次に、

『山々よ。すべての丘よ。実のなる木よ。すべての杉よ。』

と書かれています。さて、杉が好きという人はどのくらいおられるでしょうか。

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 杉花粉症の方々は、今の季節は嬉しい季節ではないでしょうか。画像を見ただけでもくしゃみが出る人がいるかもしれませんが、杉は今では日本国民の敵です。
 日本の山には杉の木がやたらに多いです。新城市にも、「杉山」という、私の家内の出身地ですが、地名があります。なぜ、こんなにも杉の木が増えたか知っていますか?昔は杉の山はあまりなかったのです。戦後、焼け野が原になった日本で、家を建てるための材木がたいへん売れました。それで当時は木を植えると将来、金になる!と言われて、学徒動員までして、すべてのはげ山に、杉や檜の苗を植えました。だからこんなに杉や檜が多いわけです。
 しかしどうでしょうか。当時はそれらは、高値で取り引きされていました。私の親戚の家なんか、山がいっぱいあって、「一雨百万円」と言われたくらい、雨が一回降ったら木が成長すると言われました。
 しかし今は杉の山は誰も管理しないし、枝打ちもしないから、荒れ放題。花粉をいっぱいはき出す、凶器に変わってしまいました。
 この頃、洪水で流木被害が多いです。

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 なぜ、土石流が多いのかというと、それは戦後の植林事業にあるというのです。日本の山肌には、あまり深く根を張っていない杉とかが多く植わっていて、ちょっとした雨で滑るというのです。
 杉たちは日本においては無用の長物のように思われますが、ここには、『すべての杉よ。主をほめたたえよ。』とありますから、杉をただ敵視するのではなく、今週、杉の山に行って、「主をほめたたえよ!」と、特に、花粉症の方々、花粉が飛ぶ前に宣言されるとよろしいと思います。次に、

『獣よ。すべての家畜よ。はうものよ。翼のある鳥よ。地の王たちよ。すべての国民よ。君主たちよ。地のすべてのさばきづかさよ。若い男よ。若い女よ。年老いた者と幼い者よ。彼らに主の名をほめたたえさせよ。』

と続くわけです。
 神が望んでおられるのは、すべての被造物が主を賛美することです。そしてそのための鍵が誰に与えられているのかというと、他でもない、救われた者たち、大きく言えば人類全体に与えられているのです。

 前にも学びましたが、人類の手の上に被造物のすべてが乗っています。すべては管理人の手中にあるわけです。人がどのようにふるまうかで、自然は人の命令に従って動くのです。

 オーケストラを聴きに行ったことがありますか。私はまだありません。オーケストラは、指揮者の振る棒でどうにでも変化します。一度、指揮者をやってみたいと思いませんか?東京フィルとかを前にして、指揮棒を振ってみたいなと思いませんか?指揮棒を早く振ったり、遅くしてみたり、ちょっと早くしたり、遅くしたりと、気分がいいかもしれません。ストレスがなくなるかもしれません。なぜなら、指揮棒と共にオーケストラは動きますから。指揮者は、そういう役割なのです。
 自然界を賛美させる指揮者は誰かというと、他でもない、あなたであり、私です。被造物オーケストラを指揮するのは、私たちであり、観客は主ご自身です。主は、ご自分の造られた被造物全体が賛美されるのを、喜ばれるのです。
 私たち人類が持っている役割を、しっかりと受け止めなければいけないです。

 前にもお話ししましたが、人類と他の被造物の関係は、亀が子亀を乗せているイメージでしょうか。

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 人類の上にすべての被造物が乗っていて、人類の手中にすべてがあるというイメージです。
 しかし人類が罪を犯してしまった結果、「親亀こけたら子もこけた」とのです。

 動物とか植物には罪はないです。しかし、人類の上に乗っていましたから、人類が罪を犯した結果として、彼らもひっくり返っちゃったわけです。
 しかし私たちが救われるということは、他の被造物も回復するのです。この視点を、私たちは忘れていたのではないかと思います。
 神はこの働きを人類にやらせたかったのに、救われた者たちさえも、全くそれらを意識していなくて、自分のことしか考えていなかった現実があると思います。

 実は先週は伝道集会だったので話さなかったのですが、先々週、私は韓国のほうで奉仕をさせていただきました。韓国リバイバルミッションは二〇〇八年と二〇一一年に行われました。以来、私たちと韓国の教会が大変仲良くなって、チェ先生なんかもよく来てくださるようになりました。
 今度、チェ先生が来られてコンサートがあります。楽しみにしてください。義人君たちの結婚式に、義人君が個人的にチェ先生を招待したのです。なぜならチェ先生は、「韓国の義人」と言われているらしいです。彼の教会でも奉仕をさせていただき、多くの方と交わりをさせていただきました。

 韓国に行くと切実な祈りがあります。それは何かというと、朝鮮半島が北と南に分断しているからです。なんとか早く、一刻も早く、統一しますようにと真剣に祈っています。
 1950年から朝鮮動乱があって、日本の経済復興は、隣の国で起こった動乱の特需で復興したのです。そのような悲しい現実があります。
 日本も戦争に負けた時に分割案があって、北のほうはソ連、真ん中はアメリカ、西は中国、イギリスと、分けるプランがあったらしいですが、一説によると蒋介石が反対して助かったそうです。しかし朝鮮半島では分断があって、悲しい歴史と現実があります。家族は北に住んでいて、ある人は南に逃げて交わりができないのです。多くの離散家族がいて、本当に悲しんでいます。韓国教会はそのことを、真剣に祈っています。

 今回、皆で、特に北朝鮮が見える場所まで行って、とりなして祈りました。
 私はそこに行って、寂しさを覚えました。韓国側では統一の日が来たら、いつでも北に行けるように休戦ラインぎりぎりに駅を造って準備しています。
 そこにこんな看板がありました。

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 ドラサンという駅があり、平壌まで二百五キロ、ソウルまで五十六キロと表示されたプラットフォームがあるのです。ここから奥の方に行くと北朝鮮です。

 ここに立って祈った時に、言いしれぬ寂しさが押し寄せて来ました。この国にはうめきがあると感じて、真剣に祈りました。私と一緒に祈った人は脱北者です。

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 北から命からがら逃げてきた人です。何度も何度も逃げ出し、捕まえられて、収容所に入れられても逃げて来たというのです。なぜ脱北したんですか?と聞くと、「生きるためです。」と答えました。
 真剣に祈らなくてはいけないと強く感じて、普通では入ることができないのですが、手続きをすると入れる、休戦ライン内まで行きました。
 休戦ラインは幅四キロで二百キロ以上続いています。DMZと呼ばれる地帯です。板門店という南北が会談する建物もあります。
 私が撮った写真ですが、うっすら見えるのが北朝鮮です。

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 本当に北朝鮮が見える所です。日本の植民地主義なども関わってこういう状況が起きましたから、一緒に祈らなくちゃいけないと感じて十人くらいで行きました。
 その時に一つのみ言葉がぽっと浮かびました。伝道者の書九章十四節〜十五節のみ言葉です。

『わずかな人々が住む小さな町があった。そこに大王が攻めて来て、これを包囲し、これに対して大きなとりでを築いた。ところが、その町に、貧しいひとりの知恵ある者がいて、自分の知恵を用いてその町を解放した。しかし、だれもこの貧しい人を記憶しなかった。』

 案外、国際的に、どうにもならない問題って、いっぱいあります。大国が解決に乗り出してもびくともしない。しかしある時、えっ!?という方法で一瞬にして解決していく事が歴史の中で時々起きます。それがこういうことではないかと思います。

『貧しいひとりの知恵ある者がいて、自分の知恵を用いてその町を解放した。しかし、だれもこの貧しい人を記憶しなかった。』

 この言葉、私は好きです。それが私たちクリスチャンだと思います。私たちクリスチャンは、誰かから記憶されたり、記録されたりすることはないのかもしれない、貧しく小さく見えるかもしれないけれど、天を貫き、地のどん底まで達する権威を主から委託された者達です。ゆえに、「主の御名をほめたたえさせろ!」という命令に従って、宣言していく時、今までどうにもできなかった鎖がちぎれて、難攻不落の町が、国が、人が、そして被造物が解放されるのではないでしょうか。

 今週は是非とも、詩篇百四十八篇に記されている、「主の名をほめたたえさせよ!」という、役割を果たしていただきたいと思います。太陽に向かい宣言して下さい。太陽がどのように神様とアクセスしているのか分かりませんが、何らかのつながりがあるはずです。
 しかし一つ、注意しなければならない点があります。日本人は、お天道様とか、お日様とか、なにかと「様付け」にしてしまうのは、アニミズムと言う思想の影響です。被造物自体が神であると考えて、様付けするのです。お日様とか、お天道様と言う呼び方はよくないです。だいたい、食後の「ごちそうさま」も、おかしな表現です。アニミズム思想とは一線を画する必要があります。すべての被造物、息あるものは、なんらかの神様とのチャンネルがあるはずです。人間とは違うかも知れないけれど、チャンネルがあるはずです。
 人類は、「主の名をほめたたえさせる」役割があり、主の名をほめたたえろ!と宣言する役割があるのです。

 実は今回、DMZに行って、意外な祈りが与えられました。その後、その事を韓国教会で語らせていただいたのですが、DMZは、幅四キロくらいで、二百数十キロ続いているのですが、私が撮った写真です。

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 見てください。緑が豊かでしょう。

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 そこで一冊の本を買っていただいたのですが、このDMZは、数十年に渡って、人が立ち入っていないのです。北のほうからも、南のほうからも、立ち入っていないから、自然界が信じられないほど豊かなのです。先進国の中で、これほど自然豊かな場所が残っている国はないんじゃないかと思われるくらい、自然界が豊かで、回復しているのです。
 ここで自然農業を実験的に許可されている人がいるとの事ですが、この場所で自然農法で作物を作ると、細菌から虫から、動物すべて、うまく循環し、回転しているものだから、農薬はいらないそうなのです。作物を虫が食い荒らすわけでもないというのです。普通よりも大きな野菜が多く収穫できるというのです。これは何十年間も人が手を加えていない、神の被造物が回復しているからなのでしょう。だからこそ、そのような事ができると思われます。
 今はどうでしょうか。農薬を蒔いたり、化学肥料を多く使ったりするから、いっぽうはいいけど、いっぽうでは悪くなるわけです。主が造られたサイクルが壊れた今日この頃です。

 しかし、すべての被造物に回復を宣言するならば、回復につながっていくはずです。
 私はこの所に行って、この地の豊かさが、全世界に広がっていくよう、祈らなくてはいけないと思いました。ここに住んでいる動物、植物、すべてに対して、「主の名をほめたたえろ!」と宣言することが大事じゃないかと、強く教えられ、そのように祈って来ました。
 破壊ではなく、回復のためにクリスチャンは祈る役割があるのです。
 使徒の働き三章二十一節に、こんな言葉があります。

『このイエスは、神が昔から、聖なる預言者たちの口を通してたびたび語られた、あの万物の改まる時まで、天にとどまっていなければなりません。』

 イエス様がこの地上に帰って来られるのはいつか分かりません。私たちいつも待っているのですが、Jesus is coming soon!と先ほども賛美しました。しかしここにあるように、たびたび聖なる預言者たちの口を通して語られたというのですが、イエス様は「万物の改まる時まで、天にとどまっている。」というのです。そんなこと言ったら、いつ改まるの?という感じですが、「万物の改まる」とは、原語では、「万物が元の状態に回復する・復興するまで」と訳せるそうです。適切な言葉は「復興するまで」だそうです。復興するまで、主は天にとどまっておられるという意味だというのです。ある方がそのように説明していたのですが、私はそれを読んで、「復興」ってどのような意味か調べてみました。
 東日本大震災の復興ってなんでしょうか。復興とは、「復興支援」を含みます。みんなが復興の為に努力するから、復興していくのです。復興とは、ただ放っておいて復興するのではなく、誰かが復興のために「努力する結果」として復興していくのです。
 ということは、復興の為の努力が必要です。復興を祈り、私たちに与えられた力の範囲で、努力することが必要です。
 特にすべてに主の名をほめたたえさせるとは、重要な復興努力であると私は考えています。復興とは、私たちの行動を含む言葉であることを認識して、すべての領域に対して「主をほめたたえろ!」と宣言していただきたいと思います。

 最後に、近頃、体験したことをお話ししたいと思います。
 さて、神様が造られた被造物の中で、一番大きな声を出すことができる動物、昆虫は何か知っていますか?子どもたちは知っていますか?ライオンでしょうか?ライオンがガオーっ吠えたら、みんなびびりますよね。
 最も固体の大きさで比較して、地球上で大きな音を出す存在はセミです。

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 セミってうっとうしいですよね。朝早くから、この頃では夜も鳴きますからね。夜泣きゼミというやつもいて、何が不満でこんなにでかい音を出さなければいけないのかって思います。シャングーとこの辺で呼ばれるクマゼミは、無茶苦茶うるさいです。シャンシャンシャンシャンと、一匹が鳴き終わったと思ったら、また次に重なって、もう一匹と、「うるさーい!」と叫びたくなるじゃないですか。
 実際、なぜ、あんな大きな音を出すのか分からないそうです。セミ一匹が何グラムか知らないですが、象の体重に換算したら、超でかい声になります。セミ一匹で日本中に響くくらいの大音量になるのではないでしょうか。あの十グラムそこそこの体重で、あれだけ大きな鳴き声を出すのです。生物学者たち、昆虫学者たちは、メスを呼んでいると説明しています。「メスよ来い!メスよ来い!」と鳴くそうです。でも、メスを呼ぶにしても、ここまで声をでかくしなくてもいいじゃん!と思います。
 でも、この必要以上に大きな鳴き声を与えたのは、他でもない、主がそのように造られたのです。
 ということは、もしかしたら、セミは主を賛美する係かもしれないです。詩篇百四十八篇に、すべての被造物が主を賛美するように、スイッチを押す係が人間ならば、セミにも命じたらどうかな?と思いました。
 先日の礼拝の最後に、ちょっとそれを語ったのですが、私の知り合いがその話を聞きながら、セミに賛美させる?そんなバカな!と思ったそうです。
 でも、その人はその週、神社の中で主を賛美しなきゃいけない!と思ったというのです。
 神社は主を賛美する為ではなく、偶像礼拝の場所ですから、誰もいない神社に行って賛美したというのです。第一曲目。「天と地を造らぬ神々は♪」と賛美したというのです。森は、シーンと不気味に静まりかえっていたと言うのです。
 でも二曲目は、詩篇百四十八篇の「ハレルヤ。天において♪」を賛美したというのです。
 ハレルヤ〜♪天において〜♪と百四十八篇を歌ったそうです。その賛美が始まった途端、シーンとした森の中で、セミが一斉に、ミーン、シャーン、シャーンと、すごい勢いで鳴き始めたというのです。すごかったというのです。それで私の所に来て、「順先生が言ったことは嘘だと思ったけど、びっくりした!」というのです。それを聞いた私のほうがびっくりしました。それで、私と家内で、近くの古い神社の森に行って試してみました。
 一曲目は戦いの賛美をして、二曲目に詩編148編を賛美をしろ!というから、その通りにしたら、びっくりしました。二曲目が始まった途端、「ハレルヤ〜天において〜♪」「ミーン!!!」一斉に、私たちの賛美に合わせるかのように、始まりました。一回みなさん試してみてください。柳の下に、二匹目のどじょうはいないと言いますが、なんか預言的に感じました。私はしばらくして録音したのですが、あまり良い録音ではなかったので、今日はやめておきます。水曜礼拝ではちょっとお聞かせしましたが、本当に恵まれました。

 今まではセミが鳴くと、「うるさい!羽切るぞ!」と、昔は残酷なところがあったのですが、私は悔い改めました。すべてのセミに賛美させたらいいじゃないか!と思いました。彼らを賛美させる役割にしてやろうじゃありませんか。
 セミの命は短いらしいです。二週間くらいだって言われます。しかしそれは都市伝説で、本当は一ヶ月くらい生きるそうです。しかしセミって本当は長生きだそうです。土の中で、数年生きるのです。土の中で最も長生きするセミは、素数ゼミと呼ばれる十七年セミがいて、十七年と十三年の素数の年に大発生するそうです。しかし外に出てからは一ヶ月くらいで死ぬそうです。
 もしかしたら彼らは、主をほめたたえるために、地のどん底から天に向かって賛美する係かも知れません。私たちが、すべての被造物に主を賛美させる係であることを知って、イエス様の十字架の血潮は、万物との和解であったことを心にとめて、聖餐式にあずかりたいと思います。一度みなさん立ち上がって、「ハレルヤ。天において」という、ざわめきの賛美を歌いたいと思います。

♪ハレルヤ 天において 主をほめたたえよ
いと高き所で 主をほめたたえよ
ハレルヤ 地において 主をほめたたえよ
地にあるすべてのものよ 主をほめたたえよ

御使いらよ 主の万軍よ 日よ 月よ 輝く星よ
山々よ 丘よ 木々よ 鳥よ 獣よ 海の巨獣よ
地の王たちよ 国民よ 息あるすべてのものよ
主の御名をあがめよ♪

 ご一緒に祈りしましょう。みなさんは、どのような被造物に対して、主の名をほめたたえなさいと宣言されるでしょうか。それを主から受け取って、私はセミでしたが、いろいろあると思います。「私はどのような存在に主の名をほめたたえろ!と宣言したら良いですか」と主に聞いて下さい。それがイエス様の十字架のあがないの中に含まれています。しばらく、祈りの時を持ちましょう。

 ハレルヤ。父なる神様。御名をあがめて感謝します。あなたにより救われ、御前に集っている者たちが一つの決断をしています。主が造られた被造物に対して、主の御名をほめたたえなさい!と、宣言する役割が課せられていることを学びました。今週は主が命じておられる所に行って、主の名をほめたたえる宣言をします。どのようにそれが伝わるのか分かりませんが、主よ、あなたが直接そこに働いてくださり、あなたが造られた被造物を賛美させてください。そのきっかけとして、私たちを使って下さい。十字架と血潮によって、万物との和解が成立していることを心から感謝します。今から私たちは聖餐式に預かります。万物との和解のための十字架の血潮を、今日は感謝して受け取ります。すべての栄光をお返しして、イエス様の御名によって祈ります。アーメン。