「2017年 あなたは良いもので満たされます!パート20
 〜二倍にして取り戻せ!〜」

2017年9月3(日)
新城教会主任牧師 滝元順
出エジプト記22章7節

『金銭あるいは物品を、保管のために隣人に預け、それがその人の家から盗まれた場合、もし、その盗人が見つかったなら、盗人はそれを二倍にして償わなければならない。』

 ハレルヤ!おはようございます。九月になりました。早いものですね。今年も、残り少なくなってまいりましたが、少しずつ秋らしく涼しくなってきました。この季節は収穫の秋とも言われますが、霊的にも大きな収穫が、すべての領域においてあるように祈っています。

 みなさんのお祈りに支えられ、先週はアメリカのほうで奉仕をさせていただきました。ワシントン州タコマの、竹内先生の教会の修養会で奉仕をさせていただいたのですが、時を同じくして、リバイバルミッションとウエストリバイバルサウンドの共同で、ゴスペルツアーがロサンジェルスで行われました。ロンさんを励ますためのコンサートや、様々な活動がなされたみたいです。アメリカの西海岸で先週は、こちらからのチームが祈りを捧げたのですが、何か新しいことが起こっていくのではないかと期待します。

 フェイスブックに載っていましたが、ロンさんもみんなに励まされて、もう一度、演奏できるまで回復するように祈られていますが、是非とも、ロンさんのために続けて祈ってください。

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 平岡先生も同行されました。

 また、先週はちょっと悲しいことがありました。週報にも報告されているのですが、Kさんが、召天されました。彼はあまりなじみがなかったかもしれませんが、新城教会の教会員の方です。
 彼はメキシコで長いこと働いていて、メキシコの病院で亡くなられました。でも神の計画はすべて時にかなっているということを思うのですが、ちょうど親族のIさんご夫妻がゴスペルツアーに参加しされていたのです。突然、彼はメキシコで様態が悪くなって亡くなられ、ロサンジェルスからメキシコまで結構近いので、現地にI夫妻が駆けつけられ、召天式をされました。
 Kさんは、現地の方々と多くの親交があり、向こうで召天式があったのですが、今週は彼を「偲ぶ会」が水曜日に行われます。是非とも、残された奧さんやご家族のために祈ってください。

 彼のことは強く印象に残っています。始め彼は、クリスチャンでなかったし、教会があまり好きじゃないみたいでした。しかし結婚が決まってから、クリスチャンになってほしいと言ったけど、「俺はクリスチャンにはならん!」と、すごく堅かったのです。
 一度話をしてくれということで、彼と話をして、霊的戦いのことを話しました。この世界は神様もおられるけれど、悪魔・悪霊どももいることを話しました。そして、「あなたは霊感が強いんじゃないですか?」とふったら、その通りでした。彼はいろんなビジネスをやっていて、ある時、うまくいかなくなって、自分が住んでいた関東地方の石仏のある所に行って頼んだというのです。「俺は今、何もかもうまく行っていないから、ここに神がいるなら、俺を助けてくれ。」と拝んだそうです。そうしたら、突然、石仏の空間が開いて、「分かった。おまえを助けてやる。」と声が聞こえたそうです。それからビジネスがうまく行くようになったというのです。
 しかし一方では、いろんな問題が起こって、教会に来た時には苦しんでいました。
 悪霊は、助けてくれるようだけど、神のふりをしているだけであることを話しました。そして、暗闇と光が区別できるように、聖霊様が彼を捕らえてくださるように祈ったのです。その瞬間でした。聖霊様の力が彼に突然注がれて、彼は気絶してしまいました。しばらくして起き上がったら、「分かった!」と言うのです。「今まで仕えていたのが悪霊だということが分かった!」と言って、彼はガラッと変わりました。そして洗礼を受け、クリスチャンになり、長く生活しました。

 昨年、彼は癌になって、メキシコは癌治療で有名らしく、そこで治療をしていたのですが、残念ながら五十五歳で亡くなられました。
 私は彼に、「なぜ、癌になったの?」と聞くと、医者に一つ言われた事があるというのです。「あんたはヘビースモーカーだったからだ。」と言われたというのです。彼はこう言いました。「もっと早くイエス様を信じて、そういうものから解放されていたら人生は変わったかもしれない!」と。

 クリスチャンになって聖い生活をすることはたいへん重要です。人生って、ある意味、自己責任の部分もあります。どういう生活をするかで、将来が決まるからです。

 私もクリスチャンホームじゃなかったら、今頃どんな生活をしているかなぁ?と時々思います。相当やばかったんじゃないか?と、自分の性格から考えて、そう思うのですが、日曜学校の約束を教えられ、酒もタバコも飲むな!という教えを受けて守られたわけです。だから生ていると思います。

 日々イエス様に、人生を預けて歩んでいくことはすごく大事です。しかし彼は、はっきりとイエス・キリストを信じて、主の元に帰って行きました。最後は安らかに帰って行かれました。
 私たちは、誰かに人生を預けて生きていくものです。

 今日読んでいただいた聖書箇所は、出エジプト記二十二章七節ですが、これは十戒の中の、「盗んではならない」という戒めの細則のような箇所ですが、聖書は旧約聖書から新約聖書まで貫いて、旧約聖書で述べられている概念が、新約聖書でどのような意味に変化しているかで、旧約聖書のみことばの解釈に、新約的な概念を上乗せできると思うのです。そんな概念を持って、この所を読むと別の視点が加わります。出エジプト記二十二章七節、

『金銭あるいは物品を、保管のために隣人に預け、それがその人の家から盗まれた場合、もし、その盗人が見つかったなら、盗人はそれを二倍にして償わなければならない。』

 私たちは、人生を誰かに預けて生きる存在です。ここにも、「金銭あるいは物品を、保管のために隣人に預け」とあるように、人は、霊的存在に、自分の人生を預けないと生きることができない存在です。だから、クリスチャンであろうと、クリスチャンでなかろうと、なんらかの霊的存在に自分を預けて生きているわけです。日本人は一般的に仏教だ、神道だ、というキリスト教以外の神々に人生を預けるわけです。
 しかし、そんな中、人生の良い習慣や、諸部分を盗まれる事が多いのではないでしょうか。そして、誰が盗んだのか分からないのです。
 しかしここは、「もしも盗人が見つかったら、盗人は盗んだ物を倍返しせよ!」という規定なのです。

 「盗人」とは、旧約聖書においてはただの泥棒ですが、新約聖書になると、泥棒に新しい概念が付け加えられます。それが何かというと、悪魔のことをイエス様は「盗み、殺し、滅ぼすものだ!」と言われました。ということは、真の泥棒とは、悪魔とその一族、悪霊どもなのです。
 彼らが私たちの良いものを盗んでいった!と分かったら、彼らの手から盗んだものを二倍にして取り返すことができる!と解釈できるのではないでしょうか。
 「私はもしかしたら、多くの物を悪魔に盗まれたのかもしれない…」と分かったら、盗まれた物を取り戻すことができる権限が与えられているのです。

 聖書には、「二倍」というテーマがあります。まずはそれをしっかりと捉えておくべきです。前にも学びましたように、ヨブ記を見ると、ヨブは裕福な家族を持っていましたが、全てを悪魔の訴えによって奪われました。しかし、最終的にはハッピーエンドで終わっています。四十二章十節、

『ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄を元どおりにされた。主はヨブの所有物もすべて二倍に増された。』

と記されていますから、彼は悪魔に奪われたけれど、二倍になって戻って来たのです。
 イザヤ書四十章二十節、

『「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」』

 時々、人生には、様々な苦しみがあったり、試練があったりするわけですが、一定の期間が終わったら、二倍にして取り戻しをしてあげます!と、主はイザヤを通して語られています。

 また、イザヤ書六十一章、ここには「福音とは何か」が、一節から三節まで述べられているのですが、その後の七節に、

『あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受ける。人々は侮辱に代えて、その分け前に喜び歌う。それゆえ、その国で二倍のものを所有し、とこしえの喜びが彼らのものとなる。』

 と述べられています。
 イザヤ書六十一章一節〜三節は、大変有名な所です。

『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現す主の植木と呼ばれよう。』

 『貧しい者に良い知らせを伝え、』とありますが、この「良い知らせ」が、ゴスペル。福音です。福音という文脈の中で、二倍のものを返してあげると約束されています。

 続いてゼカリヤ書九章を見ますと、次のような言葉があります。

『望みを持つ捕らわれ人よ。とりでに帰れ。わたしは、きょうもまた告げ知らせる。わたしは二倍のものをあなたに返すと。』

 これはバビロンに捕囚にされたユダのことを指しているのですが、普通は、他国の捕虜になったら、全く望みはなかったのですが、ユダの人たちには望みがあったのです。だから、『望みを持つ捕らわれ人』と表現されています。
 時に、私たちクリスチャンも捕らわれ人のように、かごの中の鳥のように過ごさなければならない時期を過ごすかもしれません。しかしクリスチャンは、望みを持った捕らわれ人です。必ず、かごの鳥が解放される日が来るのです。今日、みなさんの中に、捕らわれ人のようだという方がおられても、それは決して望みのない捕らわれ人ではなくて、望みを持つ捕らわれ人です。やがて二倍にして取り返してくださると約束されています。

 このように見ますと、聖書には、敵の手から奪われたものを取り返して、二倍のものを受け取るという約束があることが分かります。
 しかし世界を眺める時、あまりにも多くのものが盗まれていることが分かります。これから世界はどうなってしまうのだろうかと思います。

 最近、日本近海が騒がしいというか、日本人はかなり恐れを持っています。それは北朝鮮からミサイルが飛んでくるかもしれないと、恐れているからです。みなさんの中で、私はミサイルを恐れているという方は、どのくらいおられますか?手をあげろとは言いませんが、結構恐れているのかもしれません。でも、あまり恐れないほうがいいと思います。なぜなら、聖書にこんな言葉があります。
 マタイの福音書二十四章六節〜八節、

『また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。』

 このようにイエス様は語られました。「世の終わりは、どのように来るのですか?」と、弟子たちが聞いた時、イエス様の答えがこれでした。まずは戦争のことや、戦争のうわさを聞くようになると言うのです。でもここでは、『気をつけて、あわてないようにしなさい。』と語られています。
 日本人は結構、すぐにあわてますよね。でもああいうのは、案外、マスコミや政府にあおられているのです。様々な策略があるのです。だから、冷静な目を持って、接していただきたいです。もちろん、アクシデントで、戦争になったりすることもありますから祈りが必要です。

 実は今回、アメリカに行き、一人の方と出会いました。彼はこう言っていました。「私の父は、ICBMという大陸間弾道ミサイルの研究者でした」と言うのです。いつ頃やっていたのかと聞くと、「六十年前」だと言っていました。
 この頃、北朝鮮がICBMを開発して、日本のほうに飛ばした!と言って騒いでいます。その技術が、北朝鮮で完成しつつあるとか言っているじゃないですか。みなさん、どう思いますか?六十年前にすでにその技術は、完成しているのです。それが今頃、一生懸命開発しているはずがないと私は思います。
 そもそも北朝鮮という国は、ソビエト連邦、旧ロシアが作った国です。ということは、ちょっと冷静に見なければいけないわけです。

 先日、日本の防衛大臣と外相が、アメリカに呼ばれて、北朝鮮情勢について、いろいろと話し合ったというのですが、彼らが帰って来た時に、何を土産に帰って来たかと言ったら、「イージス・アショア」というミサイルを買って来ました。知っていますか?これ一機いくらかというと、「一千億円」です。一機だけ買ったってどうしようもありませんから、日本全国に置いたら何兆円にもなります。
 実は世界で一番金儲けをしている人たちは誰かというと、いつの時代も「武器商人」たちです。例えば、みなさんが武器商人で、一機一千億円の武器を作って、誰かに売りたいと考えたら何をしますか?
 平和な時に、「これ一機一千億円の武器ですが、買ってくれませんか?」と言っても、誰も買うはずありません。ならば、まず最初に、なんらかの危機を作り出さなければ売れないのです。
 私はこういうのは、すべて仕組まれていると思っています。イエス様が、『気をつけて、あわてないようにしなさい。』と言われましたが、アメリカという国は軍産一体型という、軍事産業が民間の企業と結びついて生きている国なのです。
 武器商人は、敵にも味方にも、武器を売るわけです。

 先日、こんなニュースが出ていました。「米朝が数ヶ月間、秘密裏に協議と報道」と。八月十一日のニュースです。アメリカの上級外交当局者は、北朝鮮側と数ヶ月間秘密裏に接触していたというのです。何を話していたのでしょうか?
 「何月何日にキムさん、北朝鮮からミサイルを飛ばしてくれますか?そうしたら新しい武器を日本に売りに行きますから、その時には、あなたに手数料を払ってあげます。」って、結構、そのような話しではなかったのでしょうか。私が武器を売る立場だったら、このような危機を作り出します。経済という軸で危機を見ると、結構見えてくる部分があります。
 Jアラートとかメールが来たりして、空襲警報が発令されているような感じです。日本人は世界で一番、騙されやすいと指摘されています。でもイエス様は言われました。『気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。』。

 起こっている事柄に関して、しっかりと祈っていくことは大事です。それも、裏も見通して祈らないと、本当の意味で歴史は変わらないのです。
 ですから是非とも、今の状況に関して、右往左往しないように、あわてないようにしてください。うまいことやっているな!と。北朝鮮のキムさんは世界一のセールスマンだと思います。世界で最も高い商品を売りつけることができる人です。裏では全員グルじゃないかと、私は思います。そういう視点で見ると、いろいろ見えてくるのではないかと思います。

 私たちは良き隣人であるイエス様に人生を預けていますから、恐れることはありません!というのが、今日のメッセージです。そして、みなさんには、良い計画が備わっています。

 今回私は、タコマという街に行かせていただいたのですが、竹内先生の教会の夏の修養会で奉仕をさせていただきました。タコマはワシントン州にあります。自然が豊かできれいな所で、気候がいいのです。タコマに来て五十年くらい経つという日系人のおばあちゃんとお話ししたのですが、「おばあちゃん、ここに来て一番感動することは何?」と聞くと、「そうだなぁ。五十年間、蚊に一度も刺されたことがないことだ。」と言いました。いいですね。日本っていっぱい蚊がいて、あぁ!痒い!となりますが、綺麗で良い所です。この地に住んでいる日本人で、アメリカ社会に根ざしてがんばっている方々と一緒に、日本のため、アメリカのために祈ることができました。共に主に近づく機会が与えられて、心から感謝でした。

 続く、月・火とジョー先生とウィルさんとで、モンタナ州とワイオミング州に行きました。結構遠かったですが、一緒にとりなしの祈りをすることができました。
 国を越え、言葉を越えて、一緒に祈ることができ、アメリカの教会でも奉仕できるようになって、神様の計画って不思議だなぁとつくづく思ったのですが、私がワシントン州の教会に行く時には、いつも一人の方が来てくださいます。みなさんもご存じかも知れませんが、アヤコ・ビラップスさんという、おばあちゃんです。

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 今、八十三歳か四歳になっていると思いますが、ご主人のロッドさんがアルツハイマーでちょっと大変なのですが、施設に入れるのではなく、一人でケアしておられます。「祈りながら、私は主人のためにがんばります!」とがんばっているのです。
 だから私は時々、彼女に「アヤコ先生、大丈夫ですか?」と電話します。
 彼女と出会ったことによって、私の人生が大きく変わりました。また、この教会も変わりました。人生って、ちょっとしたきっかけで大きく変わるものです。失ったものを取り戻すことができるのも、ちょっとしたきっかけじゃないかと思います。

 何回も話していますが、今から三十年以上前のことになりますが、教会にいろいろ問題があったりして、これからどうなってしまうのかという不安がある時期がありました。その時、教会は成長したら、どのように変化するのかと思って、アメリカの大きな教会から学んでみたらどうだろう?と、新城教会の会堂を建てた時の建築委員会の方々と一緒に、アメリカに研修旅行に行ったことがありました。しかしその研修旅行に行く前後は、本当にいろいろ問題があって、行くのをあきらめたほうがいいかなと思ったくらいです。でもあえて、ロサンジェルス近郊にある、いろいろな教会を見せていただきました。
 アメリカはある意味、キリスト教を土台に成長した国ですから、教会はたいへん充実しています。地域の中心に教会があって、教会を中心軸にコミュニティーが広がっています。そんな歴史がありますから、どこにでも教会があるし、教会施設とか、大変充実しているのです。
 一九八〇年にこの会堂を建てたのですが、次の教育館を建てようと思った時に、はたと立ち止まってしまいました。なぜなら、会堂を建てるのは、みんなが集まったり礼拝できればいいのですが、教育館は将来のビジョンがないと、どういう部屋を作ったらいいのか分からないからです。それで、様々な教会を見せていただいたのですが、あまりにも規模が違いすぎて、ちょっとがっかりしました。あんまり参考にならんなぁと。でも途中、ハワイに寄って、少し小さめの教会も見せていただいて、日本に戻って来ました。

 でも私、ツアー中、ずっと心が重くて、「日本に帰ったら、また新たなる戦いがあるんだろうなぁ」と、心が暗かったのです。
 飛行機に乗って寝れない時、どうしたら眠れるのか、睡眠薬はいらないです。聖書を読めばいいです。文字も細かいしですし、知らないうちに寝てしまいます。その日、普通では寝ちゃうのに、聖書を二時間くらいずっと機内で読み続けました。
 この話は何度もしているので、何度も聞いている人たちには申し訳ないですが、今回アヤコさんに会ったので、もう一度話をしているのですが、二時間くらい、聖書を読んでいたら、通路の斜め左後ろから一人のおばさんが、「もしもし、あなたはクリスチャンですか?」と声をかけてきました。実はそれが誰であったかというと、アヤコ・ビラップスさんだったのです。
 彼女はYouth with a missionという団体の宣教師で、日本に宣教に行く途中だったのです。彼女も飛行機に乗る前に、大きな問題があったというのです。アメリカ本土の病院から「お母さん!すぐに帰って来てください!あなたの息子が危篤です。」と連絡があったそうです。
 普通、息子が危篤なら、絶対に帰るじゃないですか。でも彼女は祈りの人で、「主よ。どうしたらいいですか。」と祈ったら、主がこう語られたというのです。「息子の命は私に任せておけ!日本に行きなさい!明日飛行機に乗ると、大変重要な出会いがあります。この出会いは大きいですから、しっかりと祈って備えなさい。」と言われたというのです。

 それで彼女は飛行機に乗って、どこに主が導いておられる出会いがあるのかと、辺りを見回したというのです。見回したところ、そんな神々しい人はどこにもいなかったというのです。特に、自分の斜め前に座っている男は、青いアロハシャツ、白いパンツ。髪の毛はパーマをかけていて、サングラスをかけてふんぞり返って寝ている男がいたのです。でもその内、最も望みがないというように見えた男が、聖書らしき本を取り出して、読み始めたというのです。「えぇ!?」と思ったというのです。よく見たら本当に聖書を読んでいたのです。
 それでも、信用できなかったらしいです。「主よ、本当にこの人ですか?」と祈っていたそうです。二時間くらい飛行機の中で祈っていたら、「そうだ。この人に話しかけなさい。」と語られて、私に話しかけてきたわけです。

 彼女と出会ってから、私も、教会も変わりました。それまでは伝道的には熱心だったかもしれないけれど、聖霊様の働きとか、霊的戦いとか、そんなことは全く気にしていなかった教会でした。しかし、現代においても聖霊の働きがあることを知らされ、徐々に変えられていったのです。彼女がその、大きなきっかけになったと思います。当時、彼女はハワイに住んでいました。
 そうこうしているうちに、彼女から手紙をもらいました。「私たちはハワイに住んでいたのですが、今回、タコマという街に転勤になりました。」と書いてありました。「タコマは雨が多い所で、なんだかんだ・・。」と書いてありました。私はその手紙をもらってちょっとがっかりしました。せっかくハワイにタダで泊まれる宿舎をゲットしたと思ったら、タコマ?なんだそりゃ!どこだ!と思いました。

 でも彼女は、本当に霊的な人です。タコマ付近にはいっぱい教会があるのです。大きいのから、小さいのから、たくさんあって、どこの教会に属するか大変悩んだというのです。
 それで祈りながら、毎週、いろんな教会に出席してみたというのです。近くには何千人と集まっているような、すばらしい教会だってあるのです。でもそこに行っても、ピンと来なかったというのです。ある時、ダウンタウンのちょっと危ない地域に、ふるめかしい教会があったというのです。そこに入ってみたというのです。
 そうしたら、主が心の中に、「この教会にとどまりなさい。」と語られたというのです。
 なんと、その教会で当時、副牧師をしていたのが誰であったかというと、ジョー・ハイト先生でした。今ではジョー先生と私たちは、切っても切れない関係になって、ヤエは、ジョーの息子と結婚して、私も親戚になりました。
 私はヤエにいつも言うのですが、「あの日、機内で聖書を読んでなかったら、おまえは結婚できていないぞ!」と言うのですが、関係は大きく広がって、今回も、先生たちと一緒に、アメリカをとりなし、祈ることができたのです。本当に不思議です。

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 今回、ジョー先生とウィルさんとで祈ったテーマは、アメリカ南北戦争の後、インディアン戦争という戦いがあって、インディアンの土地がアメリカに渡ってしまったのですが、そんな激戦地跡地に行ってとりなしの祈りをしました。アメリカの設楽原のような感じです。血なまぐさい感じがするというか、霊的違和感を感じる場所でした。

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 ウィルさんという人は結構霊的に敏感な人で、一緒に行ったら頭が痛い!と言って、頭を抑えていました。日本とアメリカのクリスチャンが一つとならなければ、勝利できないと思いました。この場所の戦いでは、インディアンのほうが断然強かったのです。これがインディアンたちが使っていた武器です。弓矢でもなんでもないのです。ライフル銃です。

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 どうして、インディアンたちがライフルを持っていたのでしょうか。武器商人です。彼らは敵にも、味方にも、武器を売っていたのです。これらの戦争で余った銃がどこに来たか知っていますか?日本に売られて来たのです。イギリスとフランスに分かれて、高性能な武器はイギリスを通して薩摩と長州の連合軍に渡たり、一方、性能が低い武器は幕府側に渡ったのです。それで戦わされたら、どっちが勝ちますか?そりゃ幕府は負けるはずです。この頃から、武器商人たちは世界で暗躍していたわけです。だからそういう側面を知って、しっかりととりなし祈らないといけないと思いました。
 インディアンの人たちの顔を見ると、日本人のおじさんでも、こういう顔の人、結構いるでしょう。

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 この人たちは、モンゴロイドと言って、アジアにいた人たちが、向こうに渡って行ったわけです。バベルの塔から広がって行った人たちです。彼らのルーツはアジアです。子どもが生まれると、おしりには、青いあざがあります。
 人類の土台に、様々な仕掛けがあるのです。根源でなされていたのは、偶像礼拝とか、オカルトです。なぜ人生の良きものが、人手に渡るのか、悪魔に渡ってしまうのかというと、本物の神を礼拝するのではなくて、悪霊を呼ぶ行為をさせられるからです。ゆえに、盗人の手に人生が渡り、奪われてしまうのです。

 今回、ワイオミング州の、三千メートルくらいの高い山に登りました。そこに何があったのかというと、インディアンの人たちが一万年前くらいから使っているのではないかと言われる、「ストーンサークル」がありました。

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 これは悪霊を呼ぶ為の施設です。三千メートルもの高い山の上に、なぜ、こんなものを作るのでしょうか。これは代表的なもので、この辺りに、何百もあるというのです。当時の人たちは、悪霊の力を借りて、人生を豊かにしようという、思いだったのでしょう。しかし、このような行為によって、地は汚され、良きものが奪われてしまった現実があるのです。

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 今でもネイティブ・アメリカン、インディアンの人たちが来て、儀式をやっています。私たちが行った時も、この人はインディアンの人たちですが、太鼓とかを持って来て儀式をしていました。サークルの中には、インディアンしか入ることができないのです。そうしたらジョー先生が、係の人に、「日本人はインディアンの祖先。」とか言って、「だから入れてやって。」とか言っていましたが、「アメリカン・インディアンしかだめ。ジャパニーズ・インディアンだめ。」と言われ、入ることはできませんでした。でも、みんなで、とりなしの祈りをしました。

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 見てください。彼らは、動物の生け贄なんかを捧げて、悪霊を招いているわけです。こういうことをしていればどうでしょうか。良いものが、敵に奪われます。敵による簒奪が国家規模で、世界規模で行われることになります。
 インディアンの人たちのルーツがアジアだとしたら、アジアの私たちが、そこに出向いて、「奪われたものを取り戻します!」という宣言をしなければいけないのではないかと思います。

 また今回は、もう一つ、戦争中、日系人と呼ばれる、日本人でアメリカ国籍になったような人たちや日本人が、アメリカで太平洋戦争中、大変な目に遭った歴史にも祈りを置きました。日本がアメリカと戦争を始めた為、日系の人たちはある日突然、FBIが来て捕まえられ、ちょっとした荷物だけ持たされて、収容所に送り込まれました。

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 ここは一つの収容所跡地ですが、ワイオミング州の真ん中に、一万六千人の日本人たちが集められ、収容されたのです。でもその三分の二は、アメリカ国籍だったというのです。その後、アメリカはそのことを日系人に謝罪しているわけですが、こんな小さな女の子が、監視所がある施設に入れられて、大変悲しい歴史があったわけです。

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 やはり人類の歴史を見ると、戦いばかりで、不幸ばかり、神が与えて下さった一度しかない人生を奪われている現実があります。これらを奪い返す使命が、教会であり、クリスチャンの使命であることを、今回も、いろいろな所に行かせていただいて感じました。

 今日は午後から、霊的戦いセミナーをさせていただくのですが、そのテーマとして選ばせていただいたみ言葉が、「第一テモテ六章十七節」です。

『この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。また、人の益を計り、良い行いに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。テモテよ。ゆだねられたものを守りなさい。そして、俗悪なむだ話、また、まちがって「霊知」と呼ばれる反対論を避けなさい。』

 これがパウロが、若き伝道者テモテに忠告として送った言葉です。それは、私たちが生きるために十分適用できる内容です。私たちが何に望みを置くのか。たよりにならない富に望みを置かないで、むしろ私たちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる、「神に望みを置くように!」と勧めています。
 「隣人に持ち物を預ける」とは、誰に望みを置くかということです。多くの現代人は、経済に望みを置きます。しかしそれは、一瞬にして消えてしまう可能性がある、実態のないものです。そんなものではなく、天地宇宙を造られた方に、望みを置きなさい!と勧めているのです。
 ここに重要なことが述べられています。六章十九節、

『また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。』

 まことのいのち、永遠のいのちを得るためには、「未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げろ!」というのです。基礎が良ければ、将来には希望があるけれど、基礎が悪いと、将来には希望がありません。
 これは、逆を言えば、現代は、過去に置かれた基礎によって影響を受けているということになります。過去にどのような基礎が置かれたかで、現代が支配されているということになります。
 ということは、「将来に向けて良い基礎を築きなさい!」とは、まずは過去を振り返って、私たちが今立っている基礎がどんなものかをよく知って、基礎が悪かったら修理して、未来に向けて良い基礎を築くことがたいへん重要だということです。

 この一年、主が語ってくださっている、「二〇一七年 あなたは良いもので満たされます!」ということは、過去に教会の中に、信仰の中にどんな基礎が置かれたのかをもう一度チェックするということを、教えられています。それは未来に向けて、良い基礎を築いていくための重要な点検になっています。

 午後からは、今年一月くらいから主が教えてくださったことを少しまとめて、もう一度考えてみたいと思います。よろしければ、午後からのセミナーにも、出て頂きたいと思います。「未来に備えて良い土台を築け!」とは、「現代の土台が未来を決定付けるならば、過去の土台が現在を支配している」ということです。
 ということは、過去の土台、先ほども見たようなアメリカの土台を見ると、もう一度、真理の上に置き換える作業が、奪われたものを二倍にして取り戻すために重要な作業であるということです。その時、私たちの未来は、明るいものになる!ということです。

 特に、二倍にして取り戻すテーマの中、先ほど、ヨブの人生についてお話しさせていただきましたが、以前にもヨブ記からお話しさせていただきましたが、二倍にして取り戻すプロセスが教えられていると思います。
 ヨブは大変聖い人で、神にも認められていた人でした。しかしヨブ記一章六節〜七節、

『ある日、神の子らが主の前に来て立ったとき、サタンも来てその中にいた。主はサタンに仰せられた。「おまえはどこから来たのか。」サタンは主に答えて言った。「地を行き巡り、そこを歩き回って来ました。」』

 この会話の後から、最も祝福され、裕福だったヨブとその家族が、どん底に落ちたのです。
 「どうしてこんな事になるのですか!」と、叫べど暮らせど、全く答えがない期間が続くのです。しかしやがて、三十八章、四十章で、神が口を開かれます。
 どんなことを語られるかというと、「おまえを回復してやるぞ!」とか、「助けてやるぞ!」と言うような、彼が期待していた答えではありませんでした。神の答えとは、「宇宙と自然界の神秘」を語り、「動物の世界の不思議さ」が語られ、「人間本位にしか世界が見えないヨブに神は悔い改めを迫る」わけです。
 過去の土台を見ると、人間の歴史は人間中心主義であり、ヒューマニズムです。それが結構、私たちの人生に悪影響を与えていると、お話しさせていただいたのですが、人間とはどういう存在であるかについて、近頃、学んでいます。
 私たちは神様が造られた被造物全体の管理人であって、すべては管理人の手の中にあるということです。ヨブはこのことを教えられて、口をつぐみます。宇宙や自然界の神秘、動物たちの不思議さを語られて、彼は悔い改めるのです。「私は本当に人間中心主義でした!」と、今まで、考えてもみなかった領域に対して、彼は悔い改めの祈りをするのです。

 どうでしょうか。罪というと、自分と神様との関係の罪はよく考えます。しかし、任されている領域を管理していない、使命が果たされていない領域の罪なんて、ほとんど考えません。神様が悔い改めを迫っているのは、人間に任された領域を管理していない!関心がない!おまえは自分のことしか考えていない!ということを指摘されたわけです。彼はその時、今まで気づいていない領域に対する罪を認識して、悔い改めたのです。

 そして次に神は、四十一章全体で、レビヤタンという最強の生物に対して述べるのです。前にもお話ししましたが、リビングバイブルでは、『戦いに備えてかぶとの緒をしめろ。』と、レビヤタンとの戦いを指示され、その後、『主はヨブの所有物をすべて二倍に増された。』と、「二倍の回復」につながるわけです。
 この原則は、もしかして、かなり大きな原則かもしれません。

 そして今、新約時代に生きる私たちは、ヨブのように全く知らない所で、サタンに訴えられることはないと、お話しさせていただきました。イエス様の十字架と復活の後、我々はどのような霊的ポジションにあるかについて、お話しさせていただきました。エペソ二章四節〜六節、

『しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、‐‐あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです‐‐キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。』

 ヨブの時代は、神の法廷に出入りすることはできなかったけれど、今では、訴えを携えて悪魔・悪霊どもが上って来る天の法廷に、私たちは、座っているというのです。
 そして、悪魔の訴えに、「異議あり!」と唱えることができ、天の法廷で勝利することができるのです。日頃、私たちは座っているのですが、イエス様も興奮すると天で立ち上がるのです。ステパノという弟子が石打ちになって殺されそうになった時、イエス様は天で立ち上がったのです。私たちも天で立ち上がって、悪魔に、「おまえたちは私たちから、何一つ盗むことができない!」と、「奪って行ったものを二倍にして返せ!」と宣言できるのです。このような特権を使わない手はありません。

 案外、私たちは、このような権限が与えられていることを忘れているのです。盗人が誰かをはっきりと特定して、盗人が分かったら、盗人は二倍にして、盗んだものを返さなければならない。なんとすばらしいことではないでしょうか。
 この頃では百万円、一年間預けても、百円も利息はつきません。もしも百万円盗まれて、泥棒を見つけたら二百万円になって戻ってくるならば、むしろ盗んでほしいくらいです。
 みなさん、私たちクリスチャンは、時には盗まれるような時があるかもしれませんが、倍にして取り戻すことができる存在であり、「福音とは宣言」ですから、悪魔に向かって「盗んでいったものを返せ!」と、宣言できる存在です。
 私たちは世界中に出て行って、悪魔が盗んで行った領域に入り込んで、おまえたちは倍にして返せ!と、天の法廷で逆に訴えて取り戻す、そのような役割を主からいただいていることを意識し、今週一週間、様々な領域で、悪魔に宣言してください!

 二週間前は、すべての被造物に対して、「賛美せよ!」と、宣言しました。最近、ウォーキングをしていたら、カラスがカーカーと鳴きながら、いっぱい集まっていました。カラスを見ると、なんか食べ物のことしか考えていないように見えました。だから私は言ってやりました。「おい!カラスども!おまえら、食べ物なんかあんまり考えなくてもいい。神は空の鳥を食べさせてくれるという、み言葉を知らないのか。おまえたちはその悪い声で、神を賛美しろ!」と言ったら、グェーとか言って、飛んで行きました。ウォーキングが楽しくなりました。今度は敵に対して、「奪って行ったものを二倍にして返せ!」と、言ってやってください。

 今日は、この聖餐式の時、奪われたものがあったら、宣言してください。健康を奪っている悪魔に対しては、健康を返せ!と。人間関係が奪われているなら返せ!と宣言して、倍返していただきたいと思います。
 今日は与えられた権限を行使したいと思います。最後に一言祈って、聖餐式に入っていきたいと思います。

 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて、心から感謝をいたします。私たちは天の法廷で勝利をする者に変えられていることを、心から感謝します。今日は二倍にして取り戻すという、み言葉を中心に学ばせていただきました。過去の人間の歴史の中で、多くのものが敵に渡ってしまっていますが、私たちクリスチャンを通して、奪われたものを二倍にして取り戻す役割が与えられていることを、心から感謝します。まずは今日、十字架の血潮によって聖められ、天の法廷に座り、また、立つ者として、二倍にして奪い返す準備をします。すべての方々の上に、二倍の油を注いでください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。