「2017年あなたは良いもので満たされます。 —パート25—  
不正の富の正しい管理人となろう」

2017年10月22(日)
新城教会主任牧師 滝元順
ルカの福音書16章10節〜11節

『小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。』

 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。今日は足許の悪い中、衆議院選挙もあり、いろいろと忙しい中、主をほめたたえるために集まってくださり、心から感謝致します。
 台風も近づいていて、日本は大変な所だなぁと思うのですが、近ごろ、私は考え方を改めました。なぜなら、詩篇百四十八篇を読むと、嵐は、「みことばを行うあらし」と記されています。また、すべての被造物が主をほめたたえるようにと、命令されているわけです。その中で、台風も主からの命令を受けて、なんらかの目的を持って、日本に近づいて来ていると理解し、台風に向かっても、「主のみこころを実現しろ!主をほめたたえろ!」と宣言して祈るようになりました。是非、台風に向かって、「みことばを実現しろ!主を賛美しろ!」と宣言してくださいね。台風二十一号が喜んで賛美して、大暴れするのも困りますが、私たちは被造物の管理人として、そのような使命があるのではないかと思います。
 また私は雨が大嫌いです。雨の降らない国に住みたいと願うほどですが、雨も主が造られた被造物ならば、雨も、賛美しながら降っているのではないかと思うようになったら、なんだか嬉しくなりました。
 この気持ちがいつまで続くかわかりませんが、すべての被造物に主をほめたたえさせたいと願っています。

 私たちは「自然」という言葉を、簡単に、自然に使うのですが、「自然」という言葉は、極めて仏教的な言葉であり、進化論的な言葉です。漢字が示しているように、「自ら然り」で、自分自身で成り立っているという意味になります。自分自身で成り立っているのは、私たちを造ってくださった創造主以外にはないわけです。被造物に対して、「自然」と呼ぶのはいかがなものだろうかと、ある方が指摘していました。「自然」という言葉を使ったとしても、「神の被造物」という意味として、置き換え、捉えたいと思います。

 今日はアルゼンチンから、ベネデッチ先生ご夫妻が来てくださいました。先生方は、毎年この教会に来てくださり、日本人の礼拝にも出てくださっています。先生にメッセージしていただきたいのですが、先生のスペイン語は普通のスペイン語よりもずっとレベルが高いらしいのです。だから、なかなか先生のスペイン語を日本語に通訳できる能力の方がいないらしいです。フェルナンド先生でも難しいみたいです。先生はすばらしいメッセージを携えて、インターナショナルの兄弟姉妹に恵みを与えるために、毎年来てくださっています。
 私たちはアルゼンチンから、大きな恵みをいただきました。先生ご一家に、お立ち上がりいただき、大きな拍手で歓迎しましょう。午後から奉仕をしてくださいます。

 新城教会で霊的戦いが始まった時、主が私たちをアルゼンチンに導いてくださいました。そしてアルゼンチンでも霊的戦いが起こっていることを確認させていただき励まされました。私はその頃、混乱の中にあったのですが、アルゼンチンで現実的に教えを受けて支えられました。先生方が来てくださっていることを、心から感謝したいと思います。

 「二〇一七年あなたは良いもので満たされます。」も“パート二十五”になってしまいました。このような冠タイトルを付けておくと、その下のタイトルを付けやすいという事もあって使っているのですが、今日は、「不正の富の正しい管理人となろう」というタイトルでお話をさせていただきます。

 今日ここに来られている方々は、ほとんど日頃は会社で働き、経済活動のただ中におられると思います。会社は利益を追求する場所ですから、聖書の価値観とはちょっと違いますから、いろいろと葛藤もあると思います。そんな中で頑張って主に仕え、働いておられると思うのです。私たちは経済活動のただ中に身を置いていますが、クリスチャンとして、経済のシステムに関して、どのような理解を持ったらいいのかについて、学んでいきたいと思います。

 みなさんは、お金が好きですか?嫌いな人はいますか?金が嫌いな人がいたら、私がその金を引き受けますので、いつでも申し出て下さい(笑)。私たちは、金がなかったら生きることができないです。

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 こんな札束を枕にして一晩、寝てみたいものだと思います。どんな夢を見ることができるのでしょうか。こんな札束をあげると言われて、いらないと言う人は誰一人いないでしょう。子どもの頃から金には馴染んでいますから、やはり金は好きですね。

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 これは日本だけかと思ったら、外国でも同じようです。

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 しかし一方で、人生の中で一番問題が起きやすいのが、やはり金です。あるクリスチャン弁護士の方とお話をしたら、「不思議ですけれど、いろんな犯罪を調べてみると、犯罪者は皆、経済的破綻とか、経済的問題を抱えているんですよ。順先生が言っているように、経済の中に一番強い悪霊の力が働いているのが、仕事をやっていて分かりますよ。」と言われました。
 実に、「この世は悪魔の支配下にある」と聖書にありますが、最も強力に、効果的に、悪霊どもが働いている領域、それが経済です。

 ダニエルはネブカデネザル王の不思議な夢を解き明かしました。

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 これはネブカデネザル王様が見た夢ですが、彼はそれを何の前情報もない中で解き明かしました。巨大な体は、ある意味、サタンの王国を表しているのではないかと思われます。同時にこれは、世界の歴史がどのように推移するのかについての、預言でした。
 この中で、終わりの時代を現す足首は、鉄と粘土が混ざっている状況にありました。

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 鉄と粘土が混ざっている時代が訪れたら、主が帰られる日が近いことがわかります。その時代に、人手によらずに切り出された小石により、サタンの王国は粉々に砕け散るのです。そのことを旧約時代にダニエルは教えられたわけです。鉄と粘土が混じった時代とは、何を表すのか。鉄のように強い国と、粘土のように脆い国、普通は混じることはないのですが、それがあたかも混じっているような時代が来たら、歴史も最後のパートに来ていると意識する必要があるのです。
 実に今の時代は、鉄と粘土が混じったような時代に来ていると思われます。もちろんこれからも時代は続くかもしれないし、何とも言えない事も事実ですので、慎重な態度も必要ですが、今の地球環境や、政治、国々の経済等、すべてを総合して言えるのは、鉄と粘土が混じっている世界が見えてきます。

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 TPPが崩れるように、私は真剣に祈っていたのですが、アメリカが抜けて頓挫しています。しかし、これに加わろうとしている国々を見たら分かります。環太平洋にある強い国も、弱い国も、言葉も、宗教も、文化も、何もかも違って一つになろうとしています。国々を宗教でまとめることは絶対にできないし、政治的にもまとめること不可能です。しかしただ一つ、「経済」という領域では、一つになるわけです。

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 アジアの諸国を見ても、アジア太平洋地域の経済連合はいくつもあります。ASEANとかAPECとか、TPPも絡んで、強い国も弱い国も、鉄のような国も粘土のような国も、入り乱れて一つになる運動が盛んです。これは、もしかしたらダニエルが見せられた、終わりの時代かもしれないのです。
 そのキーが、経済です。人は、足の裏で地面を踏むわけです。私たちの生活に最も直接的影響を与える、踏まれる領域は、経済だと思われます。経済の中に、様々な問題が起こっています。金という実態のないものを巡って、様々な事件が世界中で起こっています。

 この頃、オレオレ詐欺が横行しています。これだって、金以外の目的はありません。暇で、冗談でやっているわけではないのです。金をせしめてやろうと詐欺電話もかかってきます。是非とも注意していただきたいです。「オレオレ!孫の誰々だよ。」「息子の誰々だよ。」と言う声を信じたら、一発で金を取られます。命じゃないです、金を取られるのです。
 最近はスマホだとか、コンピューターとかがあって、大変便利な時代であることも確かです。私は海外によく行きますが、海外に行っても、電話ボックスを見つける必要はありません。スマホさえあれば、日本人にはLINEがあれば、LINE電話で、どこの国に行っても、すぐに連絡が取れます。本当に便利ですが、フィッシングメールも多いです。気を付けてくださいね。

 先日、家内が一通のメールが「アップルから来た」と言って見せてくれました。
 アップルから領収書が送ってきました。モバイルレジェンドとかいう、二千四百円のゲームアプリを買った領収書でした。「隠れてこんなゲームやってるのか、、。それも二千四百円!高いの買ったな〜!」と思いました。家内は知らないというのです。すると、家内じゃなくて、孫たちが無断で買ったのかなと思って、「誰!こんなの買ったのは!」と言うと、誰も買ってないというのです。おかしいぞ?と思いました。
 下のほうに、「iTunes支払いでキャンセルの場合」というリンクがあり、時々、間違いもありますから、すぐにキャンセルしようと思ったのですが、私はピンと来て、もしかしてフィッシングだと困るなと思って、家内に言いました。家内は焦って、iTunesのパスワードを変えたりしました。しかし一回パスワードを変えると、いろんな所に関連しますから、ごちゃごちゃになりました。
 パスワードって不思議です。「私は絶対に覚えているから、どこかに控えなくても大丈夫。」と確信を持つのですが、必ず、私の場合忘れるのです。大文字だったかな、小文字のどっちかな?と、三回くらい入力しているうちに、「ロックされました」と出てきて、さらに面倒になります。
 しかしこれ、実は精巧に出来たフィッシングメールだったのです。キャンセルのほうに行っちゃうと、いろいろと情報を盗まれるわけです。みなさん、ぜひ気を付けてください。
 iPhone使っている人たち、「アップルからのメールには要注意!」です。アンドロイドのほうにも、そういうのが来ると思います。本当に金で、世界は一喜一憂しています。

 しかし、案外、経済に関しては、常にどっぷり浸かっていますから、大きな戦いがあるとは思っていません。私たちは、経済活動の一つの駒として利用されていますから利益をあげるために必死です。
 けれども聖書は、ちょっと立ち止まって、経済のことについて、考えなさいと勧めています。
 ルカ十六章十三節には、こうあります。

『しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」』

 神に仕えることと、富、財産に一緒に仕えることはできないというのです。こんなところを読みますと、「あれ?私たちが富のために汗を流すのは悪なのかな・・・」と思ってしまうのですが、富というところに*しるしが付いていて、「マモン」と記されています。マモンとは、イエス様の時代、「経済の神」として拝まれていた、日本的に言うならば、稲荷とか、弁天とか、恵比寿とか、そういうたぐいの偶像でした。これは、神にも仕え、悪霊にも仕えることはできない、すなわち、経済のただ中に、強力な悪霊が働いていることを意味しています。
 テモテへの手紙第一、六章十七節には、こんな言葉があります。

『この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。』

続いて、テモテへの手紙第一、六章九節〜十節は、

『金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。』

 金銭を追い求めることが「あらゆる悪の根だ」と告げています。経済の中に、強力な悪しき力が働いていることを、裏付けているかのような言葉です。
 どうしても必要な経済の領域が、あらゆる悪しき根が根付いている領域であるというわけです。そんな所だとは、なかなか意識出来ません。
 それで聖書は、私たちに何を勧めているのかというと、マタイの福音書六章二十節〜二十四節、

『自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。』

 ここでも、『神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。』と告げています。どこに蓄財しなければならないのか、それは、主が帰って来られた時に現される「神の国銀行」に蓄財しないといけないのです。

 また教会は、霊的資産の活用アドバイザーと言ってもいいかもしれません。教会に来ているうちに、私たちは、永遠の国での資産を勝ち得ているのです。私たちは生きている中で財産を蓄えようとするのですが、それでは不十分なのです。永遠の世界に、どのくらい財産があるのかが大切みたいです。
 しかしこの現実の世界の中で、金にまつわる世界は、様々な悪しき根がびっしりと、張っていて私たちを狙っています。

 カール・マルクスは共産党宣言の中で、こんなことを語っています。「歴史の流れを決める最大の要因は金である」。
 確かにそうだと思います。前にもお話ししましたが、経済、金という中心軸で、世界に起こっている危機を見ると、別の世界が見えて来ます。今の日本、アメリカ、韓国、北朝鮮の問題でも、経済中心軸で見ると、危機ではなく、ある意味、ある人たちにとってはビジネスチャンスみたいなのが見えてくるわけです。だから歴史を決定付けるのは、金だとマルクスは言っているわけです。

 私たちは常日頃、銀行にどれだけ金が増えたかで、一喜一憂します。しかし銀行のシステムも、どこで、どのようにして出来上がったのか・・・。また、貨幣経済は、どのようにしてできあがったのか、案外考えないわけです。「そんなの生まれた時からあるから考えたことないわ!」って。

 私の小学校時代、「子ども貯金」というのがありました。それは来たるべき修学旅行のために貯金をするという趣旨でした。私は七人兄弟で貧しかったから、子ども貯金の日が一番嫌でした。なぜなら母はいつも、十円しかくれなかったからです。十円玉を持って子ども貯金をするのは、当時でも恥ずかしかったです。でも、今から考えれば、あの子ども貯金も、国家の策略だったなと思います。
 どうでしょうか。「貯金は良いことだ。」と、日本人なら皆、考えています。しかし、「持っている金を投資してください。」と言われたら、どうですか?「投資は危ない」と思うわけです。でも、貯金は安全だと考えるわけです。
 でも、アメリカなんかに行くと全然違います。「貯金するよりも、一円でも余ったら投資しろ。」ということを小学校で教えるわけです。余った金をどこに投資して利益を得ようか、と考えるわけです。日本人は投資ではなく、貯金するわけです。
 私たちが銀行に貯金をすると、銀行は何をするのかというと、みなさんから集めた金を運用して、投資するのです。それでがばちょと儲けて、すずめの涙くらいを、利息と称して返すのです。近ごろはどうでしょうか。一年間、百万円預けたって、百円にもならないじゃないですか。金融機関の方もおられるので、ちょっと話すのが心苦しいところもありますが、実際には、銀行が儲けているわけです。人の金を無断で投資して、ひどいことやっているな、と思います。

 ヘンリー・フォードという自動車王がこんなことを語っています。「国民が銀行制度や、貨幣制度を理解していないことは良いことだ。もし国民がそれらを理解したら、明日、夜が開ける前に革命が起こるだろう」。
 銀行制度について詳しく知らないからいい、と言っているのです。しかし制度について知り始めると、「うっそ!」となります。

 どの国にも「中央銀行」というのがあります。これも以前にお話をさせていただきましたが、日本では一万円札が最も高額な紙幣です。しかし将来は、一万円札がなくなるかもしれないそうです。先日、インドで最も高額な紙幣が廃止されました。犯罪者はやっぱり、高額紙幣を狙いますから、低い値段の紙幣しか出回っていなかったら、犯罪も減るらしいです。また輸送費だとか、印刷費だとか、安くなるので、高額紙幣を無くしたほうがいいという意見もあります。
 コインも、本当に面倒くさいです。私はコインはあまり好きではありません。家内はちゃんとコインも管理しているのですが、私は結婚するまで、財布というものを持ったことがありませんでした。財布を持つ文化がなくて、いつもポケットの中にじゃらじゃらさせていましたから、コインは逃げるから好きじゃなかったです。

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 これを見てください。コインをよく見て、一万円札を見ると、どこが違うのか?コインは「日本国」が発行しているわけです。
 例えば、「一円玉を発行する権限をあなたにあげましょう。」と、「あなたが一円玉を作ったら一般に全国に流通します。欲しいですか?」と言われたらどうですか?近所の自動販売機のアルミニウム缶などを拾ってきて、一円玉を作れば、本物の一円になるわけです。一億個作れば一億円です。ばかになりません。でも発行権はもらわないほうがいいのです。一円玉を一個作るのに、二円かかるそうです。

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 一万円札をプレイズで刷ったら、信弘先生は捕まります。でも誰かがどこかで、刷っているのです。これも話しましたが、一万円札の発行所は、「日本銀行」です。日本銀行は、ジャスダックに上場していて、株を買うこともできるのです。ある意味、一般の会社が発行しているわけです。なんかおかしいですね。

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 アメリカドルは、世界の基軸通貨です。こんな強いものはないです。どこの国でも使えます。南米に行っても、自国の通貨よりも、ドルのほうを喜んで受け取ってくれたりします。ドル札って、「THE UNITED STATES OF AMERICA」って書いてあるから、アメリカ政府が発行しているかのように見えますが、そうではないのです。「Federal Reserve Note」とあって、「連邦準備銀行紙幣」です。
 実はドル札は、純粋な民間会社によって発行されています。本当に、どうなっているわけ?国が出しているんじゃないわけ?ということに気づいただけでも、ガーンッという感じですよね。
 アメリカのドル札を出している人たち、株を持っている人たちは、一般の銀行家です。この人たちがドル札を印刷したら、世界中で流通するわけです。一万円札を一枚印刷するのに二十円くらいだと聞きました。九千九百八十円は儲けとして入ります。いやまぁ、誰が儲けてるのかなと・・・。
 特にロスチャイルド家が、その中心だと言われます。「一国の通貨の発行権を私に与えよ。そうすれば、誰が法律を作ろうがかまわない!」と、こんな発言をしています。どんなにいろんな法律があったって、一国の通貨発行権だけ捕らえたら、法律なんて関係ない!と言うのです。
 なんと世界はこのように、ごく一部の人たちに握られているのです。
 今のFRB総裁は、イエレンというおばちゃんですが、この人が一言経済について発言すれば、翌日の株式相場はがたがた動きます。この人物の一言は重いのです。歴代のFRBの議長は、全員、ユダヤ人です。なんか複雑な事情があるわけです。経済の中には、最も大きな霊的策略と、秘密の力が働いているということを知らなければ、生きていくことができません。
 今日読んでいただいた、ルカの福音書十六章十一節〜十二節、

『小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。』

という、み言葉ですが、「小さい事に忠実」ということは大切ですね。「あの人は目立つことしかやらなくて、小さな事は何もやらない!」とか言って、腹を立てる時があります。私たちは、小さい事というか、みんなが嫌がるような、「小さい」と思われるような事を、一生懸命やらないと、主は、大きな仕事を任せてくれないというのです。やはり私たちは大きく見える事も、小さく見える事も、分け隔て無く主の前にやって行きたいです。
 しかしこのみ言葉の文脈から、「大きい事」と「小さい事」について分析すると、「小さい事に忠実」というのが、「不正な富に忠実」に対応しています。そして、「大きい事に忠実」が、「まことの富」に対応しているのです。
 「小さい事に忠実」って、実は「経済」のことを指しているわけです。経済の事は、大きいように思われるけれど、実際は、小さくなっている気がします。あまりにも、一般過ぎて、ほとんど気にかけない領域が多いです。先ほど、お金がどのように発行されているかを話しましたが、気にかけている人はあまりいません。金融システムがどうなっているのか、あまり気にしていないし、「小さなこと」のように考えています。
 しかし「小さいことに忠実」とは、経済のただ中で起こっている事柄に関して、クリスチャンは、管理人ですから、気にかけるように勧めているのです。その領域をとりなし、祈ることが、まことの富、神の国の到来にまで関係すると告げているのです。神と富がガチンコ勝負みたいな、今の世界で、神の民が重要なカギを持っているのです。

 日頃、小さいと考えている経済活動が、実は、地上に神の国を引き下ろすための鍵となる側面もあるのです。ただ目の前に吊された人参を食べる馬のような者であってはいけないと思います。ただ中に入りこんで、敵の策略を見抜いて、経済の領域を勝ち取り、神の国が広がるよう、祈る者にならないといけない、ということです。
 その時に、まだ見たことがない、体験したことがないような経済的祝福も伴ってくるのではないかと思います。

 今、最初に読んだルカ十六章は、一節から見ると、不思議なことが語られています。まずは一節〜九節まで読んでみたいと思います。

『イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。「ある金持ちにひとりの管理人がいた。この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。主人は、彼を呼んで言った。『おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計の報告を出しなさい。』管理人は心の中で言った。『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。土を掘るには力がないし、物ごいをするのは恥ずかしいし。ああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。』そこで彼は、主人の債務者たちをひとりひとり呼んで、まず最初の者に、『私の主人に、いくら借りがありますか』と言うと、その人は、『油百バテ』と言った。すると彼は、『さあ、あなたの証文だ。すぐにすわって五十と書きなさい』と言った。それから、別の人に、『さて、あなたは、いくら借りがありますか』と言うと、『小麦百コル』と言った。彼は、『さあ、あなたの証文だ。八十と書きなさい』と言った。この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。』

 先ほどは、「金は危ないぞ!」という箇所を、いくつか紹介しましたが、ここでは、「不正の富で友を作れ」と、イエス様は経済活動に関して、かなり積極的な発言をされています。
 「不正の富」とは、当時のラビたちの言葉使いで、金のことだそうです。金を「不正の富」と呼んでいました。二千年前から、すでに経済界の中に、不正と偽りがあったのでしょう。ゆえに、ユダヤ教の指導者のラビたちは、金のことを「不正の富」と呼んでいました。しかし、それらを使って、「友を作れ!」こんなことをイエスさまは語ったわけです。なんか混乱して来ます。
 そして次に続くのが、十六章十節からの、「小さい事と大きい事」についての勧めです。
 「不正な富に対して忠実であれ!」とは、言い換えれば、経済について正しく評価し、内側をしっかり理解しろ!という事であると思います。
 私たちが日頃、身を置いている経済の世界に関し、賢い管理人にならなければならない事を教えています。

 悪い管理人が、主人から任されていた財産を乱費しているのを、主人はどこかからかの訴えによって知ったのでしょう。「あんたの雇っている管理人は、財産を勝手に使っているよ!」と密告があったのでしょう。それで主人は怒って、「財産を任せているけれど、どんなふうに管理しているんだ!会計報告を出せ!」という感じです。

 その時に不正の管理人は何をしたのかというと、すぐに主人が貸し付けをしている債務者たちを呼んで、まずは油を借りていた人に、「あなたはどれだけ主人から借りているんですか?」と聞いたら、「百パテ」と答えました。百パテというのが、どのくらいの量なのか、現代のリットルに直すと、「三千七百リットル」です。三千七百リットルとは、個人の消費ではないですね。また小麦百コルとは、「三万七千リットル」です。
 油とは、当時はオリーブ油を意味しましたから、現在オリーブ油一リットル、いくらくらいでしょうか。昨日アマゾンで調べたら、純粋なのは一リットル二千円くらいしました。油百パテ、三千七百リットルとすると、「七百四十万円」です。
 小麦粉も、調べてみたら、三万七千リットルは、二十トンくらいに当たります。末端価格として、六百万円以上です。だから個人の消費というよりも、商売がなされていたということです。
 債務者を呼んで、この管理人、油を借りている人に、「百パテを五十にしてあげますよ!」と、五十%も値引きしちゃったわけです。それも主人に言わずに、勝手に値引きして、小麦粉を借りている人に関しては、二割引き、八がけで証文を書き換えさせたわけです。悪いやつだ、どういうことだ?と思います。
 でもそのやり口を見て、主人は、「おまえ。頭がいいな!」と誉めたのです。そして、イエス様も、「抜け目がない」と誉めているのです。これって、一体なんなのか。本当に訳がわからないのですが、旧約聖書からの流れをよく理解して、この箇所を勉強すると分かって来ます。

 実は旧約時代は、イスラエルに住む同胞に、何か貸しても利息を取ってはなりませんでした。でも、異邦人と呼ばれる人たちからは、利息を取っていいという規定でした。
 ユダヤ人たちがどうして、金持ちになったのかというと、同胞からは利息を取らないで、異邦人と言われる一般人からは、利息を取ったから、金融の中心となったという側面もあります。
 しかしどの時代でも、どこの社会でも、裏社会があるわけで、イスラエルも同じでした。
 いくら同胞から利息を取るなと言っても、やはり人の欲がうずまく世界ですから、不正はあるわけです。油百パテ、三千七百リットル、円と換算すると、七百四十万円、小麦粉百コルは、二十トンくらい、薄力粉にすると、三百円くらいになるでしょう。六百万円です。
 それをディスカウントしたのは、どういうことかというと、実は、管理人だけでなく、主人も悪かったのです。適正価格、相場は、油百パテは三百七十万円分くらいのものだったわけです。小麦粉は四百八十万円くらいのものだったようです。この価格が、実は、適正相場だったわけです。
 しかし主人も、より多く儲けたいのです。たぶん畑を貸して、そこからの収穫物でバックしてもらっていたと思うのですが、結局、管理人を使って、倍ぐらいふっかけていたわけです。

 管理人も主人も、倍ぐらい儲けたいという意志を踏んで、適正価格は三百七十万円くらいだけど、七百四十万円にしていたわけです。
 しかし自分の不正がばれて身が危なくなったので、債務者を呼んで、適正価格に戻したわけです。これらの価格を世に出したら、どういうことになりますか。主人が不正をやっていたことがバレるじゃないですか。
 なんだ!あの畑の主人!今までは倍にしていたのか!二割増しか!ひどいな!と。事実を明らかにされたら、主人は社会で信用を失い、都合が悪いわけです。しかし不正な管理人は、自分の身は守れるし、債務者に恩も売れるわけです。「いや〜、うまいこと考えたなぁ」ということです。

 イエス様、何を言わんとしているのかというと、経済の中の不正に関して無関心であってはならない、見抜け!ということを、教えていると思います。
 日頃、何気なく、小さなことだと考えているのですが、経済の中には、昔も今も、不正が多く存在するのです。しかし私たちは、全く不正には感心がなく、小さな事のように考えている。けれども、そこには暗闇の力が働いているのです。
 しかし、このような事柄に、関心を持って、「ここには不正があるのだろうな・・・。」と気づき、事実を知り、とりなして祈る必要があるのです。不正に関して目が開かれると、経済のただ中で、敵の手に渡った不正の富が、逆に神の民のほうに向かって流れて来る原則があるのではないかと思います。
 今週も、経済活動のただ中で生きるわけですが、是非とも、不正を見破りながら、働いていきたいと思います。

 例えば、この頃人気のある、百円ショップとかどうですか?「百円ショップって安いな〜っ」と、日本の百円ショップは世界一安いという噂があって、ただの噂かもしれませんが、私は海外からお客さんが来ると、お土産を買いたいという時には必ず、百円ショップに連れて行きます。みんな目を輝かせて、いろんなものを買うのですが、最後に、私は買って来たものをチェックしてあげることにしています。なぜかというと、海外から来られる方は、日本のことが分からないから、クリスチャンでも、偶像とか買ってしまうのです。仏像の線香立てとか、そういうものが入っているので、「これは偶像だよ」と、はねてあげます。しかし百円ショップって安いって、考えているでしょう。
 でも、利益がなかったら、商売は成り立ちません。百円ショップって、原価って一体どのくらいか、考えたことありますか?百円ショップを悪者にしたら申し訳ないですが、ある百円ショップが商品二千点の仕入れ値を、情報公開したそうです。すると、三十円台が四十種類、四十円台が百四十種類、一番多いのが七十円台だというのです。しかしこれら、どこで作られているのかというと、やはり、貧しい国々で作られています。アジアの貧しい国々が、雀の涙のようなコストで作るわけです。それが仲介人の手に渡りながら、三十円ということは、最初は一円くらいかもしれませんが、中間で多くの利益を取っている人もいるわけです。
 でも案外、私たちはそういうことには無頓着です。実際、どのくらいの原価だったのか?とか、背後にどのくらいの人たちが関わり、泣いているのか?なんて、あまり気にかけません。あっ!百円だ!安い、買っちゃえ!と言って飛びつきます。これは一つの例ですが、私たちは経済のただ中にある、様々な闇を意識しなければならないことを教えられます。

 実はルカ十六章、十七、十八、十九章と読み進めますと、結構、お金にまつわる事柄が出てきます。
 十九章にイエス様がエルサレムに入城した時のことが記されているのですが、こんなふうになっています。十九章四十一節〜四十六節、

『エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」宮に入られたイエスは、商売人たちを追い出し始め、こう言われた。「『わたしの家は、祈りの家でなければならない』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした。」』

 イエス様がオリーブ山から、エルサレムを見て泣いたというのです。なぜ、泣いたのかという事に関して、以前、少し触れたのですが、去年の十一月にイスラエルに行った時、ユダヤ人のガイドから話を聞いて納得しました。またイエス様は宮に行かれた時、すごいことをされたわけです。

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 これが、古代エルサレムの模型です。真ん中にあるのが神の宮、神殿です。

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 イエス様はここに入って行って、突然、大暴れして、両替の台を蹴飛ばしてバラバラにするは、生け贄を売っている人たちを追い出すはと、「わたしの家は祈りの家だ!」と、商売人たちを追い出したのです。
 これを見るとどうでしょうか。神の宮で商売をやっていたことが悪と、ふっと考えてしまいます。そうすると、「教会も昼にカレーを売ってる・・・」と、そこにつなげられると困るわけです。実際、神の宮で両替も、生け贄を売ることも、律法で許可されていたのです。許可されていたのにもかかわらず、イエスさま大暴れです。これはどういうことか・・・。
 神殿は、「神殿シェケル」というお金しか、納めることが許されていませんでした。ギリシャから礼拝に来たら、ドラクマというお金ですから、神殿に税として納める金は、両替しなければなりません。それでどうしても礼拝のためには、両替屋は必要でした。また動物の生け贄も、暑い砂漠を、動物連れて旅をしたら、死んじゃうでしょう。だから、生け贄を売る店が神殿内には必要でした。神に正しい礼拝を捧げるためには、両替も、生け贄も必要な存在なのです。だからこれは、「商売が悪い」と言っている訳ではないのです。
 しかしイエス様が、こんなことをしたのには理由があるのです。しかし、神殿に来る人たちは気づいていなかったのです。

 エルサレムは、神殿を中心にして、手前左下には小さい家が多くありました。これは貧困層の住宅街です。そして上のほうは、結構大きな家が並んでいました。これは富裕層の住宅街だというのです。神殿に働いているのは、律法学者とか、パリサイ人という人たちでしたが、彼らは、富裕層と結託して、なんと、両替でも法外な手数料を取っていたのです。
 生け贄も、たとえば一匹千円の鳩だったら、一万円くらいで売りつけていたのかもしれません。神の家が、宗教家たちと富裕層が結託し、金儲けのために使われていたのです。
 その現実、不正に対して、イエス様は怒られたのだというのです。

 先ほどの十六章で、小さく見えることの中に不正があると、神の国の働きをとどめると学びました。経済界の中に、昔も今も、様々な不正が働いているから、しっかりと注意しなければいけないし、イエス様が地上に帰って来られる時は、不正は全てなくなり、貧困層も富裕層も消えて、平等になるはずです。

 世界の資産の半分が、八人の手中に渡っていると言われます。世界人口の半分、三十六億人のもっているのと同額の富が、たった八人の富豪に集中しているというのです。こういう時代に私たちは、生きているわけです。
 飽くなき欲望を持って、世界の富をかき集める連中が経済界の中に、様々な偽りを持ち込んでいるのです。私たちがその事に、関心を持ち、祈っていくのです。主が帰って来られない限り、なかなか現実を変えるのは難しいかもしれませんが、とりなして祈っていくなら、主の日は早められるはずです。

 イエス様も、現実の世界をよく知っていました。富裕層と貧困層の問題に大きな関心を持っていて、戦いを挑まれたわけです。

 私たちは不正の富のただ中に生きていますが、策略と不正を意識し、見抜き、とりなし祈っていく時に、不正の富が神の民の手に渡り、不正の富を使って、神の国は勝利するのです。そのような勝利に向かっていくことを願っています。
 みなさんは良い管理人として、経済のただ中に送られています。教会に来られているすべての方々が、世の中の経済の原理によって金持ちになるのではなく、悪魔が奪っていった富を、神のために勝ち取り、豊かになっていただきたいと願っています。
 そのために必要なことは、小さい事と、大きい事に忠実であると言うことです。経済活動の中にある不正を見抜き、とりなす者になりたいと願っています。
 今日は、常日頃、身を置いている経済の中で、一度、立ち止まって、この地を勝ち取るために、このテーマで語らせていただきました。
 最後に、聖餐式に移らせていただきたいと思います。祈ります。


 ハレルヤ。天の父なる神様、御名をあがめて心から感謝いたします。私たちは不正の富と呼ばれるただ中に生きています。しかし主よ、私たちは主の勇士として、不正を見抜き、とりなし、神の国がこの地上に現されるために、働く者とさせてください。
 十字架の血潮によって、すべての被造物が回復していることを今、宣言します。私たちが、主から託された役割を知ることができますように。今からの聖餐式を祝福してください。イエス様の御名によって、祈りを御前にお捧げいたします。アーメン。