「2017年あなたは良いもので満たされます パート30
 最大の恐れから最高の喜びに ~パート2〜」

2017年12月10(日)
新城教会主任牧師 滝元順
ルカの福音書2章8節〜11節

『さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。』

 十二月に入り、クリスマス集会がいくつも持たれています。先ほどのヘブンリーキングダムも、先週は二回の賛美の機会があり、各地で用いられています。
 また教会におきましては、先週は大石さんの家庭で、四回目になるでしょうか、ご自宅を開放されてのホームコンサートがありました。ご近所の方々が来られて、Hiraku & Norikoが歌いました。祈って準備して、すばらしいコンサートであったと聞いています。古い地域の中で、家もみな大きいのですが、地域の方々が集まって、福音を聞きました。

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 そして昨日は、「子どもクリスマス」がありました。クリスマス集会の中でも、子どもクリスマスは大変盛り上がるのですが、昨日は、三百名くらいでしょうか、子どもたちと親御さん達が集まりました。

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 プログラムもよく考えられていて、洗練されていて、年々、良くなるのですが、前半は屋台風の遊びがあり、ゲームがあったり、毎年恒例の三河戦士ダイジョバンが登場して人気です。

 今週は大きなイベント、「水曜クリスマス祝会」があります。これは絶対に落とせません。是非ともお時間を作って、お越しいただきたいと思います。アメリカから三名のシンガー達が来ます。今のクワイヤーもうまかったけれど、彼らは本当にすごいです。それも、昼食付きで千円です。素晴らしい音楽を聴いて、楽しいお話…であるかどうかは分かりませんが、私がお話しさせていただきます。そして、ランチも食べて、ゆっくりしていただきたいと思います。このイベントに是非ともお越しください。

 そして来週の日曜日は、新城教会のクリスマス祝会となっています。お昼ごはんをみんなで食べたいと思うのですが、二十四、二十五とクリスマス祝会は続きます。みなさんお誘い合わせの上、お越しになっていただきたいと思います。
 このような集りに出ているうちに、知らないうちに主と出会うのです。

 今日、読んでいただきました聖書の箇所も、羊飼いたちが野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた、とあるのですが、彼らにとっては通常の業務の一環でした。羊飼い達は、全く普段とは変わらない業務だったのです。そんなただ中に、主の栄光が現れました。
 神と出会うのは、神々しい体験の中、真剣に魂を詰めないと出会えないように、日本人は考えるのですが、そうではないのです。普段の生活のただ中で、神の栄光は現れるのです。

 私は昨日、神の栄光というか、「主は私のことを知っておられる!」というような、不思議な体験をしました。
 昨日は子どもクリスマスがあり、忙しくて、集まりが終わってから家内が、食事を今から作るのも大変だ、と言っていました。それでは、外に食べに行くか!という話になり、私は、昨日、ピザが無性に食べたかったのです。「ピザが食べたい」と言って、新城にピザ屋があるはずだと、インターネットで調べたら、一軒も出て来ないのです。あれ?先日まであったのにな・・・と思いつつ、一つの番号が見つかったので電話してみました。すると、「この番号は現在、使われておりません。」という案内が流れました。どうも新城のピザ屋は、ほとんど潰れたようで、新城は文化不毛というか、雲の柱にがんばってもらうしかないなと思いました。新城市はついに、ピザも食えない街になってしまったのかと、がっかりしました。
 まぁいいや、と思って、翌日は東京クリスマスがあり車で行くので、車にガソリンがなかったので、ガソリンを入れに行ったわけです。ここからバイパスを、左のほうに行くと街のほうに向かいます。右に行くと、どんどん寂しい荒野に向かいます。そんなことを言うと、住んでいる方々に申し訳ないですが、左に行こうとしたら、結構、道が混んでいたのです。新城でも道が混む事があるのです。しょうがないので、右に曲がって長篠にあるJAのスタンドに行って、ガソリンを入れました。
 それから家内と、「何を食べるか?」と話して、ぱっと見たら、目の前にほっかほっか弁当がありました。「ここの弁当は、この頃おいしいよ!」とか話して、「よし!今日はほか弁の最高のものを食ってやる!」と言って入ったら、一番高い弁当でも五百円くらいでした。それで私は、エビ天、家内は牛丼を買って、家に持ち帰って食べましょうということになりました。
 弁当を作るのに、結構、手間取って時間がかかりました。しかし、弁当屋から出た途端!目の前にあったのがこれでした。私は目を疑いました。「あれ〜!うそ〜!」

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 私は主の臨在に打たれて、地にひれ伏してしまいそうでした。私たちがほか弁屋に入る時にはいなかったのです。ほか弁屋が、弁当を作るのに時間がかかり、寒い中待っていましたが、店の外に出てたら、これですよ。
 なんということ!私がピザを食べたいのを知っていたかのように、ピザーラが自ら来てくれました。多分、主が、「あそこに行って店を出して来い!」と言われたのでしょうね。びっくりしました。実際は近ごろ、移動していろんな所に出没しているみたいです。旧鳳来町にピザ屋はいまだかつてない…。生活のただ中に、主は栄光を表して下さるのです。

 主に願うと、そんなに期待はなくても、ちゃんと準備してくださるのです。ピザーラはここでやることになっていたらしくて、私たちがこの場所に、導かれて来たという事ですが、いや〜不思議なことがありました。
 今週は、生活のただ中に、不思議なことが起こるよう、お祈りさせていただきます。

 ルカの二章、先週もここから学ばせていただいたのですが、先週、このみ言葉を語った後に、ある方が私の所にファイルを送ってくださいました。「今日はメッセージを聞いてびっくりしました。なぜなら、ここから私たちは賛美とみ言葉の朗読を準備してファイルを作っていたからです。」と言うのです。それを聞いて、私も励まされました。

 この教会には、プロのピアニストと、プロの朗読家の方がおられます。その二人は近くの病院などで、ピアノの独奏とみ言葉やストーリーの朗読をされています。後藤さんと星野さんです。今からそれをみなさんにご紹介したいと思います。ルカの二章をピアノのしらべに合わせて、ストーリーを朗読してくださっています。


 その日、町は人口調査の登録に訪れたたくさんの人でごった返していました。
一方、そんな町のにぎやかさからかけ離れた、寂しい野原では、羊飼いたちが夜の番をしていました。
 彼らには人口調査は関係なかったのです。
当時、羊飼いは、政治や経済とはほど遠く、数に入れられない、差別された人々でした。
 羊飼いの家に生まれたら、羊飼いとして一生を終える。他のことを望んでもそれはかなうことはなく、隙間風の入る掘っ立て小屋に住みながら、貧しさや病気もどうすることもできない、その日暮らしでした。
 彼らの望みは、いつかこの状況から救われる、救い主が生まれる、という先祖からの言い伝えだけ。
 その夜も野原で先祖が言っていた希望について想いを巡らせていました。

 すると突然、まばゆい光が辺りを照らし、天使たちが現れ、告げたのです。
「今日救い主がお生まれになりました。この方こそ主なるキリストです。あなたがたは飼い葉桶に寝ているみどりごを見つけます。これがしるしです。」
羊飼いたちはびっくり仰天。腰が抜けそうになりましたが、言い伝えで聞いたベツレヘムの町。
 今天使が告げた、飼い葉桶に寝ているみどりご、これをヒントに、すぐさま出かけました。
 生まれたばかりの赤ん坊が家畜の餌箱に寝かされるなんて、どんなに貧しい家でも聞いたことがありません。
 しかし、彼らは探し当て、救い主にお会いして大喜びで帰って行ったのです。

 実にマリヤとヨセフが宿屋に泊まることができず、キリストが寒くて、くさくて、汚い家畜小屋で生まれなくてはならなかったのは、弱い者、貧しい者、心傷ついた者、病気の者に、近く寄り添い、助けるためだったのです。
 この世界で一番はじめにクリスマスを体験したのは、こんな名もなき羊飼いたちでした。
 いと高き所に栄光が神にあるように。地の上に平和がみこころにかなう人々にあるように。


 なかなかいいでしょう。イエス様は、最も傷ついた人、恐れている人、苦しんでいる人たちのただ中にお生まれになったのです。
 イエス様は、「神が人となられた方」として、聖書は告げています。

 イザヤ書九章に、こんな言葉があります。イザヤという預言者はイエス様がお生まれになる、七百年も前に活躍した預言者です。イザヤ書九章六節~七節、

『ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。』

 イエス様が生まれる約七百年前、ひとりのみどりごが生まれる、と預言されていました。赤ん坊はいくらでも生まれますが、その赤ん坊は普通の赤ん坊とは違うのです。「その名は不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君と呼ばれる」と預言されました。

 ご存じのようにユダヤ人たちは、唯一の神、天地宇宙を造られた神、姿が見えない神で、その名前を呼ぶのも恐れおおいという神を礼拝していたわけです。
 しかし、なんと神が人となって生まれると、イザヤは預言したわけです。当時の世界におきましては、神が人になるなんて、口が裂けても言えないような時代であったわけです。神が人となるということは、逆を言えば、人が神ということになりますから、天地宇宙を造られた神が人になるなんて!そういう世界観は皆無の時代に語られた言葉です。
 イザヤは神からこの言葉をゆだねられました。不思議な助言者とは、新約聖書では聖霊様です。力ある神とは、天地宇宙を造られた神を表します。永遠の父、これも神を表します。そして、みどり子イエス様。すでに、この中には聖書の奥義、三位一体が表されているのです。
 近年まで、聖書はきっとイエス様が生まれた後に付け加えられたんじゃなか、と批判されていました。

 しかし、一九四七年。一人の羊飼いの少年が、死海のほとりで古い巻物を一式発見したのです。彼はその巻物を、骨董屋に売りました。あの辺りは古い時代のものが結構出ますから、それを売って儲けようと思ったのでしょう。
 しかしそれを鑑定してみたら、死海写本と呼ばれる、紀元前に記された、聖書でした。当時は印刷技術がなかったから、書き写して保存したのです。紀元前の聖書が発見されたのです。今でもイスラエルに行きますと、国宝として展示されています。その中にイザヤ書も含まれていました。
 イエス・キリストが生まれる前から、イザヤの預言の中にこのような預言が含まれていたのがはっきりしたわけです。私たちを救うために、神が人となって地上に来てくださった日、それがクリスマスです。

 預言が実現し始めると、びっくり仰天するようなことが、立て続けに起こっています。羊飼いたちに救い主のお生まれを、天使が告げたのも、びっくり仰天なことですが、最もびっくりしたのは、イエス様をみごもったマリヤと、周辺の人たちだったと思われます。

 まずイエス様がマリヤのお腹の中に宿る前、マリヤの親戚、エリザベツの所に主の使いがやって来て言いました。ルカの福音書一章七節、

『エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。』

 年老いたカップルが住んでいたのです。夫の名はザカリヤという預言者、その妻がエリサベツでした。そこに主の使いが訪れて、ルカの福音書一章十一節~十四節に書かれています。

『ところが、主の使いが彼に現れて、香壇の右に立った。これを見たザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われたが、御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。』

 こんな言葉が告げられたのです。なんと年老いたカップルに子どもが与えられるというわけです。
 毎週、週報に、赤ちゃんを産む予定になっている方々の為の祈りが載せられています。今日も三名、大山さん、やえちゃん、清香さんとなっています。この中に突然、私の妻、「滝元享子」が入ったら、超びっくりするでしょう。「うっそー!」ってね。私だって、足がガタガタ震えてしまうと思います。
 年老いた夫婦に、子どもが生まれるなんて、普通では絶対にあり得ないことです。不可能なことです。それがバプテスマのヨハネの誕生でした。彼の誕生は、不可能が可能になった出来事であったのです。これは何を意味するのか。それは、イエス様のお生まれにつながる、預言の成就であったわけです。
 イエス様の誕生は不可能を可能するものでした。その先駆けとして、いのちのない夫婦の間に、いのちが与えられたわけです。
 
 そしてその六ヵ月後、エリサベツのびっくりがまだ覚めやらぬ中、ルカの福音書一章二十六節~三十一節、

『ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。』

 これはマリヤが受胎する瞬間のストーリーです。マリヤという女性は、いいなずけは決まっていたのですが、まだ結婚していない、処女でした。
 当時の世界は今のように乱れた世とは全く違い、イスラエルの結婚観、男女関係は、律法に基づいた、ものすごく厳しいものであったのです。そのような社会的風潮の中、結婚する前に性的関係なんて、絶対にありえない時代でした。今でもイスラム世界とかは、その習慣を少し保っていますが、今から二千年前は、本当に厳しい世界だったのです。マリヤは堅く自分を守っていたのです。

 そんな中に、み使いガブリエルが現れて、「あなたはみごもっています。男の子を産みます!」と言われたわけですから、本当に腰が抜けるくらいの驚きと恐れであったはずです。だからマリヤは、初めは冗談じゃないかって、なんの挨拶かと戸惑っています。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」とか言って受胎を告知されたわけですから。
 普通では生物学的にありえないです。イエス様は処女マリヤから生まれたのです。「へ〜、そんなことあるのかいね」と、多くの人たちが言うのかもしれません。しかし、もしもイエス様が処女から生まれなかったら、キリスト教はやめたほうがいいと思います。正常な父と母がいたとしたら、キリスト教なんか、信じない方がいいです。なぜなら、人間は、生まれる時、必ず、父方と母方の遺伝子を受け継いで生まれるからです。

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 男ならば、XYの遺伝子です。女性はXXです。男ならば父方からY遺伝子をもらい、母方からX遺伝子の二つの中の一つをもらって、生まれるからです。女の子が生まれる場合は、父方からXをもらって、母方からXを一つもらって、生まれるわけです。

 ヨセフとマリヤの二人が、イエス様の誕生に、生物学的に、なんらかの関わりがあったとしたら、私たちは、キリスト教をやめたほうがいいと思います。
 なぜなら、遺伝子は太古の昔から、ずっと受け継がれているもので、その中には悪い情報だって、多く含まれているからです。
 少し前まで、人間は白いノートを持って生まれて来る、と考えられていたわけです。子どもは白紙で、生まれてから学習をして、情報を書き込んでいくと考えられていましたが、最近、遺伝子が研究されて、人は生まれる時、分厚い百科事典みたいな情報を持って生まれることがわかりました。
 孫たちを見ていても、「こいつら、絶対になんらかの情報と共に生まれて来たな」と思います。一歳くらいのチビが、スマホを操作します。どこで覚えたのかなと思います。やっぱり親がやっていれば、ちゃんと情報として入るのでしょう。もしもイエス様に、父方と母方の遺伝子情報が関わっていたとしたら、イエス様を神として信じないほうがいいです。罪ある人間の子孫は、罪ある人間です。ちょっぴり聖人っぽいかもしれないけれど、イエス様は、人間の中の一人で、神として信じないほうがいいです。
 しかし処女から生まれたのならば、話は別です。カトリック教会では、マリヤは神の子を生んだんだから、マリヤも神の一人として、拝まれています。これは大きな間違いです。カトリック教会の理解は、生物学的に言えば、神はマリヤの卵子を使って、聖霊によってみごもったと考えるわけです。
 これは絶対に違います。マリヤは単に代理出産です。イエス様はマリヤの胎を便宜上借りてお生まれになったのです。
 だから、マリヤもヨセフも関係なく、「聖霊によってみごもった」と聖書は記しているのです。今から二千年前、遺伝子情報のことが知られていない時代に記されたとは思えない、完璧さがあります。
 「聖霊によってみごもった」とは、イエス様が持っていた遺伝子は、神の遺伝子以外の何者でもなかったのです。
 イザヤが預言したように、「聖霊」と「父なる神」の遺伝子をもらって、イエス様は誕生したはずです。イエス様は三位一体なる、神の遺伝子をこの地にもたらしたお方です。人間の悪が蓄積された情報とは関係なく、イエス様はお生まれになったということです。ゆえに「イエス様は救い主だ」と断言できるのです。
 イエス様が処女からお生まれになったことは、本当に大事なことです。

 しかし、処女がみごもるような事件が起きた時、当人は本当にびっくり仰天、戸惑ったのは当たり前だと思われます。マリヤもよく生んでくれたと思います。今ならば恥ずかしいから、どこかの病院に行ったかもしれません。人目に耐えながら、救い主イエス様を、この地上に産み落としたわけです。神が人となられた方に頼るなら、救うことができるはずです。
 人間って、先ほども言いましたように、遺伝子が受け継がれ、その中から生まれ出る存在です。遺伝子の中に、様々な問題が潜んでいます。

 以前にも話したのですが、沖縄の方々はたいへん明るい方々ばかりです。しかし精神的病が、本土の倍もあるのは、調査してみると、沖縄戦が関わっていると言われます。沖縄戦があまりにも激しすぎて、そのただ中を過ごした人たちは、極限状態の中で遺伝子が書き換えられたのではないかというのです。人間はあまりにも大きな恐怖やストレスに遭遇すると、遺伝子が直接書き換えられるというのです。
 沖縄戦のただ中で、その悲惨さを体験した方々は、戦争が終わっても、何があったか、ほとんど話さなかったそうです。時々、かたりべというような人たちが、悲惨さを語っていますが、特殊な人たちで、ほとんどの人は一言も話さないで人生を終えていったそうです。人間は本当の恐怖に出会うと、体験を口にも出来ないのです。
 一人の牧師は沖縄戦の時、五歳だったと話していました。五歳の時の体験をはっきり覚えているというのです。彼は悲惨な光景は見なかったけれど、「アメリカ兵が来て、五歳の子どもにも銃を突きつけて、収容所まで連行した。その時のことは忘れることができません。」と話していました。遺伝子の中に、恐怖体験が書き込まれたら、それは受け継がれ、後の世代に、大きな影響を与えるわけです。

 そう考えれば、イスラエルの歴史は、殺戮につぐ殺戮、他国による支配につぐ支配の歴史です。相当、人々の遺伝子は悪い情報で満ちていたと思われます。そんな遺伝子をルーツとして神は生まれることはできないはずです。イエス様が処女マリヤから生まれたのは、最も深く傷ついている人々の所に、神が人となって来てくださった証拠です。それも、「万民の救い」とありますから、私たちにも適用されるものです。
 私たちも深く傷ついていたら、神の世界から直接来られたイエス様に、心を寄せるなら、救われるのです。
 神は天地宇宙を造られたお方ですから、なんの曇りもない、一点の陰りもない、傷のないお方です。その方が人となって来てくださったわけですから、その方と知り合いになったら、人生は変わるはずです。

 クリスマス・ストーリーを見ていきますと、ルカの福音書二章十三節~二十節の中に、

『すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。』

と記されています。誰のために歌ったのかと言えば、先週もお話しさせていただいたように、最も地域で虐げられ、暗く傷ついていた羊飼いたちのために、歌ったのです。神ご自身が、私たちのために、希望の歌を歌ってくれるなんて、なんとすばらしい事でしょうか。
 羊飼いたちが、御使いたちの言いつけどおりにベツレヘムに行くと、なんと飼い葉桶に寝ておられる、みどりごイエス様と出会ったのです。救い主と出会った時、この羊飼いたちは、どのように変えられたのかが、二章二十節に記されています。

『羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。』

 なんと、救い主と出会った時、彼らの心は明るくなって、賛美しながら帰って行ったのです。
 イエス様は私たちの目の前で賛美してくださいますが、イエス様と出会うならば、私たちも、主を賛美する者に変えられるのです。
 どんなに暗く寂しい人生を過ごしていても、イエス様と出会うなら、賛美しながら帰る者に変えられます。すばらしいですね!

 私も日本人の一人ですが、日本人は、他の国々の人たちと比べると、なにか分からないけれど、心のどん底に、いい知れない暗さがあると思いませんか?日本人独自の暗さ、というのでしょうか。私はそれを感じます。
 私は、明日から韓国に行くのですが、日本人ってほとんどが中国、朝鮮半島経由で入って来た渡来人の子孫です。この島に、太古の昔から住んでいたというのは嘘です。遺伝子調査をすれば、それがよく分かります。みんな渡来人です。
 しかし日本列島に長く住んでいる人たちは、ルーツが同じ、韓国人と比べると全然性格が違います。中国の人たちともキャラが違うし、アメリカ人とも違うし、他の国に行くと、それがよく分かります。日本人って、何か、いい知れない暗さがあるなぁって感じます。しかし日本人は、それを良しとしていますが、その理由を突き止めなくてはいけなと思います。

 私は明日から、韓国の春川、冬ソナのヨン様の舞台の街で集会があります。今日は東京クリスマス集会があって、終わったら名古屋に移動し、明日の一番の飛行機で春川に行き、夜、集会をやって、次の日に帰って来て、水曜日は水曜クリスマス集会です。ちょっと忙しいなぁと思いますが、韓国はなんのための集会かと言いますと、韓国は南北に分断している、悲しい現実があるわけです。韓国に行きますと、早く統一しますように!という、祈りが強く捧げられています。そのための、街をあげての集会があるようです。その集会の講師として、なんで、日本人やねん!という感じですが、招いていただいて本当に光栄です。

 韓国人は日本人と基本的なキャラが違い、基本的に明るいです。東京の山手線なんかに乗ると、みんなうつむいて、スマホをピコピコやっています。異様な世界です。
 本当に殺伐とした世界です。しかし、韓国に行きますと、結構、自由です。
 韓国も、この頃、日本に似てきたところもあるけれど、少し前はもっと自由でした。結構、周りから話しかけられたりと、こういう世界は日本にはないな〜って感じます。日本人は自分の情報を、外に出さないです。ましてや、地下鉄の中で、隣の知らない人に、身の上相談なんてもっての他です。

 結構前の話で、以前にも話したことがありますが、ある日、韓国の南大門市場という所に買い物に行きました。そうしたら、途中で、韓国人のおじいちゃんが、「おまえら、どこに行くんだ。」と、日本語で話しかけてきました。日本語がよくできる人でした。私は、「今から南大門市場に買い物に行きます。」と答えたら、こう言うのです。「なぜ、韓国にまで来て、買い物なんかするんだ。おまえたちの国には、いくらでも、ものあるだろう。」と、つっこんで来ました。だから、「南大門市場に行くと、韓国の文化が分かる。」と答えたら、「文化を知りたかったら、博物館に行け」と言いました。
 あげくの果てには、「おまえの職業はなんだ」と聞くわけです。あぁ、来たなという感じでした。私はその日、ジーパンを履いて普通の格好をしていました。「私は日本から来た牧師です。」と答えると、おじいちゃんがこう言うのです。「韓国の牧師はそんなラフな服装はしていない。ちゃんとネクタイをして、背広を着ているもんだ。おまえを牧師として、認めることはできない。」と言われちゃいました。くそーって感じだったのですが、それでもいろいろ話す事が出来ました。

 私は、「ところでおじいちゃん、あなたはクリスチャンですか?」と聞くと、おじいちゃんがこう言うのです。「俺か〜、まぁ、クリスチャンと言いたいけれど、クリスチャンのような、クリスチャンでないような、いわば、迷える子ヤギだな。」と答えました。すかさず私は、「子羊でしょ!」と突っ込むと、「それはどっちでもいいけれど、俺はちょっと前に、友人の死に目にあった」と言いました。
 「友人が俺の手を堅く握って、『俺はこれからどこに行くんだ。どこに行くんだ!暗い所に落ちて行くみたいだ!教えてくれ!』と言ったけど、俺は友に死後どうなるのか教えることができなかった。あんな悲しいことはなかった・・・。」と言うわけです。なんか深い話を、これ、すべて地下鉄の中の初対面の人との会話です。
 私は「イエス様を救い主として信じると、死後の世界もちゃんと分かるよ。どこに行くかはっきり分かるよ!」と言ったら、「教会に行っても俺はそれが分からないから苦しんでいるんだ。」というわけです。「単純にイエス様を自分の救い主として信じ、受け入れるだけで救われるから、一緒に祈ろうよ。」と勧めたら、「じゃぁ祈ってくれるか。」と言うのです。これ全部、満員の地下鉄の中での話ですから。
 「じゃぁ、お祈りしましょう!私の後について祈ってくださいね。」と言ったら、おじちゃんが、「イエス様を信じます。アーメン」と声を出して祈りました。すると周りも「アーメン!」とか言って、サポートしてくれて、なんと満員の地下鉄の中で、おじいちゃんはイエス様を信じたのです。
 南大門市場に着いたから、「達者でね〜!」と挨拶して降りたら、しばらくして、そのおじいちゃんがホームを歩いていました。「どうしたの?」と聞くと、「あんたたちと話していたから、乗り越しちゃった。」と言って、他の場所に急ぎ足で移動していかれました。
 「いや〜いいなぁ」と思いました。日本でも自由に、こういう話ができたら、もっと社会が明るくなるのにな、と思いました。しかし日本では、絶対にできませんね。

 東京の地下鉄でスマホをぴこぴこやっている人の隣からのぞき込んで、「何されているんですか?」と聞いたら、大変なことになりそうです。不審者として警察に通報されそうです。日本人って、共通した暗闇があるような気がします。
 私は、イエス様が日本人の心の暗闇に訪れてほしい、と心から思います。

 この教会には海外から来られている方々がおられます。そういう方々は、本当に貴重だと思います。日本人の暗さを緩和する役割だと思います。
 日本人がなぜ暗いかの一つの理由について、数年前に話したことがあるのですが、これはキリスト教と関わりがあります。
 一六一四年、徳川家康がキリスト教禁教令を出しました。そして一八七四年まで、キリスト教を禁止する、高札が、日本全国に立てられていました。実に二百六十年間、日本は、厳重な監視社会でした。国民は幕府から常に、見張られていました。
 先週は神学校があったので、この事を話したのですが、江戸幕府は、五つの制度を駆使して、二百六十年間、人々を監視し、支配しました。それが、「五人組連座制」と、「寺請制度」、「絵踏」、そして、「公開処刑」でした。この徹底したキリスト教禁教・摘発制度が、二百六十年間も機能していたのです。

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 豊川に御油という地域があるのですが、そこに行きますと、高札が復元されています。そこにはキリシタンに関する、「キリシタン宗門禁制」という高札があります。どのように記されているのかというと、「ばてれんの訴人、銀五百枚」「いるまん、銀300枚!」と賞金額が表示されています。「ばてれん」とは宣教師です。宣教師を見つけたら、銀五百枚ってどのくらいの金額かというと、一人が一生遊んで暮らせるほどの額だそうです。莫大なお金です。キリシタンを一人見つけたら、銀百枚です。これだって現代なら、一千万円以上の価値があると思われます。

 日本人の苗字は多いのです。二十万、三十万とあります。韓国に行きますと、苗字はたった三百くらいです。それは氏族社会を表します。一方、日本での名字の数は二十万、三十万です。なぜ、そんなにも苗字が多いのかというと、江戸時代までは一般の人は、苗字を付ける事が出来ませんでした。苗字は全て、もぎ取られて、ファーストネームだけで呼ばれていました。御油には江戸時代の町並みが再現されていて、住民の名前が表示されていました。それは全て、ファーストネームでした。

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 小左衛門だ、新小左衛門だと、みんなファーストネームで呼ばれていました。タイトルは、百姓とか、水飲みとか、苗字はないわけです。なぜ名字を取ったかと言ったら、五人組を作るためでした。五人組とは、五人で一つのチームです。それを親族とか入れないで、全ての人の苗字を取って、知らない人同士で五人で一つのチームを作らせたわけです。それで、お互いに監視させたのです。現在の名字は、明治以後、自由に、適当につけられたために、数が多いのです。
 五人組とは、「五軒一組でグループを作らせ、相互監視と治安維持、そして年貢徴収のための連帯責任を負わせた。特にキリシタン検索と摘発に大きく利用された。キリシタンが見つかれば、その五人組だけでなく、周辺の家々と一族も罰せられた。」と説明されていました。
 五人組制度が二百六十年間続いたらどうでしょうか。知らないうちに、内側に深い恐れとなり、人に対して心を開けない体質が国民性として、形成されるはずです。「向こう三軒両隣」という言葉がありますが、自分の家を一軒目として、左右、二軒、三軒、「五軒」です。五人組を表す言葉だと思われます。

 寺請制度は、今でも存在します。あれは江戸時代に作られた、クリスチャン監視制度の名残です。寺請制度は、どこかの仏寺の檀家にならなければならず、旅行する時も、通行手形を寺から発行してもわらないと、街の外に出ることは出来ませんでした。

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 そして、年間一度、正月には絵踏の儀式がありました。檀家寺に集められて、キリスト像とか、マリヤの絵を踏んだわけです。こんなの私たちプロテスタントから言わせれば、偶像ですから、踏んでも良かったのですが、カトリックでは、神聖なものと教えられていましたから、踏むことが出来ないで命を捨てていったわけです。

 類族帳というのがあって、結構これは怖いです。類族帳は、「転んだキリシタンを監視する制度で、転びキリシタン本人、転び前に出生した類族、転び後に出生した類族に分け、死骸の吟味などを行い、類族帳に記載し、年二回提出させた。生死・結婚・離婚・転居・改名などを記さねばならなかった。棄教した者たちは、男子は六代、女子は三代先までの一族が監視された。」
 一度キリシタンになったら、棄教しても執拗な監視がなされました。明治時代になって、高札が下ろされて、プロテスタントが入って来ても、キリスト教に対しては同じ反応です。キリスト教は恐ろしい、絶対にキリスト教徒になっちゃいけない・・・。

 キリシタンであれ、そうでなくても、社会全体がこのような支配を二百六十年も体験したのです。公開処刑もなされました。目の前で、罪人たちは殺されて行ったわけです。日本人のDNAの中は、真っ暗になったのじゃないでしょうか。
 その影響は、濃淡はあるにせよ、大きな影響を与えていると思われます。

 先日、名古屋に、キリシタンが迫害され、処刑された場所があるのを聞いて、行って見ました。

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 栄国寺という場所ですが、キリシタン千人塚があって、千人分のキリシタンの首が埋めてあるらしいのです。記念碑を読んでみたら、一日のうちに二千人の首が切られた日もあった、と記されていました。それは十七世紀のことです。そんな公開処刑が公然と二百六十年間に渡ってなされていたら、大きな恐れとなって入り込んでいるはずです。現代の子どもたちに、いろんな問題があったり、引きこもりがあったりしますが、その因果関係を証明するのは難しいかもしれないけれど、結構、江戸時代の影響は大きいのではないかと思います。

 私たちは希望のない国民に見えるかもしれませんが、イエス様がこの地上に来てくださったのは、当時、最も暗闇を抱えていた羊飼いの所に来てくださった事からも分かるように、日本人にとっても大きな希望だということです。クリスマスは、日本人とかけ離れた感じがしますが、実は、足許を見るならば、実に重要な出来事であったのです。

 日本人は解放されなければならない部分があります。それを自分自身にも感じます。海外なんかに行くと、「俺ってやっぱ日本人だ。だめだこりゃ。ついて行けない」という事がよくあります。暗闇が自分を引き止めている部分があります。これを癒やされるのが、イエス様です。

 今から聖餐式を行いますが、聖餐式は、イエス様と一つになる瞬間です。日本人ならば、日本の歴史の中で、最も暗い部分にイエス様来てください!癒やしを与えてくださいと祈りましょう。
 他の国から来られた方もおられますが、その方々も、その国、その国で、様々な事件が歴史上ありますから、知らないうちに引きずっています。人間はアダムとエバが罪を犯す前までは良かったけれど、罪を犯してから、悪しき力の影響下にあります。それを救うために、イエス様はこの地上に来てくださった!その喜びを、クリスマスの時、もう一度確認したいと思います。
 一言お祈りして、今からの聖餐式に移りたいと思います。

 ハレルヤ。天の父なる神様、御名をあがめて心から感謝をいたします。あなたは暗闇の中に光を灯すために来てくださったことを、心から感謝いたします。
 内側に、人知れぬ暗い部分があることを感じますが、どうか、日本人の暗い心の中に、光を灯してください。
 この国は二百数十年にわたって、多くの支配を受けてきた国ですが、主よ、そんな国にもあなたは光を照らしてくださることを、心から感謝いたします。私たちの人生の中の出来事で傷ついた所も、今日は癒やしてください。
 またあなたは、肉体の癒やし主でもありますから、心から感謝します。今日は、全員が心癒やされ、体も癒やされ、主の前に仕えることができるように、羊飼いたちのように、主を賛美する者に変えられますように。
 今、ここに備えられました、パンとぶどうのジュース、心から感謝します。み言葉と聖霊によって、今この聖餐式を祝福します。
 国々におかれている暗闇を、この聖餐式の中で取り去ってください。イエス様の御名を通して、祈りを御前にお捧げいたします。アーメン。