「-2017年-あなたは良いもので満たされました! 
~勝利、感謝、主に栄光!~」

2017年12月31(日)
新城教会主任牧師 滝元順
詩篇103篇1節〜5節

『わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。』

 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。今の演奏、すばらしかったですね。もう一回聴きたいです。彼は本当に腕があがりました。きらきら星をやっていた和樹君とは、とても思えないです。人間って成長するもんだなぁって感動します。
 今年、彼は冷水くんとデュオを組んで、BtoZというグループ名で日本縦断リバイバルミッションで奉仕してくれました。クラッシックの領域も、主が徐々に勝ち取ってくださることを覚えて、感謝したいと思います。

 今日は、十二月三十一日で、2017年、最後の日です。それが日曜日と重なり、夜九時からは越年の聖会があります。
 教会では年末年始、多くのプログラムがあります。明日は新年礼拝があり、午後四時からは二十時間PPHがあります。今回は新しい企画ですので、ぜひお越しになって下さい。今年は「全国縦断リバイバルミッション」で、多くのクリスチャンのミュージシャンが働いてくれたのですが、全員集合でコンサートをしてくれます。

 また、今日の昼は特別プログラムがあります。ネパール宣教の為に、ノブズ餃子を焼いてくれます。売上はすべてネパール宣教に献げられます。ネパールから新城教会に、挨拶の動画が届いたのですが、先週の山の子どもたちの様子です。

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 今朝のメッセージは、今年のタイトル、「あなたの一生を良いもので満たされます」の完結編です。
 株も上がったといって喜んでいても、そのままにしておいたら金にはなりません。利益を確定して、初めて金になるわけです。み言葉の真理を確定し、自分のものにしなければなりません。詩篇百三篇を自分のものとして、受け取っていただきたいと思います。その秘訣は何かというと、「感謝」です。主をほめたたえ、主に感謝するということが、最も重要ではないかと思われます。
 世の中にはあまり感謝が多くないですよね。不平・不満やグチは多いです。しかし、聖書は「感謝しなさい」と勧めています。

『わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』

 今年もいろいろあったかもしれませんが、悪いことは案外覚えています。しかし良いことは忘れがちです。良いことを思い出して、主に感謝しなさいというのです。

『主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。』

 今日もこうして、とりあえず健康でこの場に居られることを感謝しなければいけないです。健康を害して、教会に来られない方も多くおられます。人生、いつ何時、病になるか分からないし、事故が起きるか分からないし、一寸先は闇です。しかし、一年、守られてきたことを、まず主の前に感謝するところに、祝福の秘訣があるわけです。あなたの一生を良いもので満たされるとは、主が良くしてくださったことを忘れないことです。

 『あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、』とありますが、私たちが主を知らなければ、滅びの穴に向かっていたのですが、救い出されて、「恵みとあわれみの冠」をかぶらせてくださったわけです。

 先日も証ししたのですが、十二月の始めに、私は葬式を依頼されました。しかし司式する前に、あと数時間でその人は亡くなるからぜひとも会いに行ってくれ、と頼まれました。まずは生きておられる間に、ちょっとでもお会いして、お祈り出来たらと思って、朝早く、私は家内と一緒に病院に出かけました。一刻を争うから、一時間でも早くと言われるわけです。
 到着すると、その方はまだ生きておられましたので、お祈りさせていただきました。「主よ。この方が、永遠の国に入ることができますように」と祈りました。しかし、「万が一、癒やしてくださったら感謝です。」と、あまり期待しない祈りをしました。
 しかし、奇跡が起こったと話しました。その方は、先週、退院されたそうです。年末は家で過ごすことができるというのです。まさしく死の縁からの生還です。医者たちも、「奇跡だ!」言っているそうです。あと何時間持つかと言っていたのが、良くなって退院ですから。大きな話題になったそうです。時にはこのような奇跡も起こりますから、最後まであきらめちゃいけないと思います。
 後から聞いたのですが、祈られた時に、今までつかえていたものが、ぼんっと落ちたというのです。俗にいう、憑き物が落ちたというのか分かりませんが、死の霊が消えたみたいです。それから、めきめきと元気になったというわけです。
 教会に来ていると、奇跡も起きます。頻繁ではありませんが、たまには起きます。主に期待したほうがいいです。私たちの主は、生ける神です。石や木や金属で作られた神々ではなく、生きておられる神様です。この方に信頼し、来たる二〇一八年も過ごすなら大丈夫、というのが聖書の教えです。

 昨日調べてみたら、聖書全体では、「感謝」という言葉が百五十二回、使われていました。特に多いのが詩篇です。今日も詩篇百三篇からお読みしましたが、詩編には五十二回も「感謝」という言葉が出て来ます。いかに感謝することが、人生の中で重要か分かります。誰に感謝するのか、私たちを造られた主に感謝するのです。それはクリスマスに生まれてくださったイエス様です。

 クリスマス集会もたいへん祝福されて、多くの方が来てくださいました。先週の月曜日、教会スタッフたちも「読み」を間違いました。月曜日で、ウィークデーだから、そんなに多くは来られないだろうと思っていたら、座る場所もないくらいの盛況でした。その時にもお話しさせていただいたのですが、クリスチャンの前提は、進化論ではなく、天地・宇宙を造られた神を認めることを前提とします。
 進化論が本当で、人間が今まで進化して現れてきたのならば、羽が生えていたって良いと思うのです。人は空を飛べませんから、羽が生えてやっと進化も完成じゃないですか?しかし、人間よりもいち早く、鳥たちが羽を生やして、大空を飛んでいるのは不思議です。
 被造世界をじっと眺めると、「これは絶対、進化じゃない、デザイナーがいる」と分かります。

 クリスマス集会の時にも話しましたが、クジャクを見てください。

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 絶対進化ではこうはなりません。こんなに派手派手しくしたら、目立ちますから、敵に狙われると思います。よくぞここまでカラフルに作られたもんだと感心します。 

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 これは何か知ってますか?猫?
 先日、豊川のホームセンターに行ったら、猫とか犬が売られていました。いくらぐらいかな?と思って見たら、二千円とあったので、安いなと思いました。しかしそれは猫の止まり木の部品で、下を見たら二十万円でした。びっくりしたのですが、これは猫ではなくて「蛾」です。

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 誰がこのように造れるのでしょうか。進化では絶対にありえないと思います。
 時々、柄の入ったTシャツとかトレーナーを着ている人がいますが、蛾でもこんな柄のトレーナー着ています。

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 この蛾を見てください。このハエを模しているのです。

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 神がおられることは、明かではないでしょうか。

 鳥たちも、かなり頭がいいそうです。人間が一番頭がいいと考えていますが、そうでもなくて、カラスは一度誰かの顔を覚えたら、忘れないそうです。
 実は今回のPPH、素晴らしいコンサートと共に、なんと「ジビエ料理」を楽しむことが出来ます。新城教会には、いろんな人たちがいまして、私は近ごろ、自然保護的な観点の話をしているのですが、彼らはそんなのお構いなく、バンバン動物を倒して食っています。聖書の中に、「屠って食べなさい」という言葉があるのですが、彼らはそのみ言葉を実行しているみたいです。今回、この付近で掴まえた野生動物を食べさせてくれるそうです。それも神の恵みではないでしょうか。
 日頃、私たちが食べているものは、人工的に造られた肉とか野菜ばかりです。しかし神が与えた自然のものは、健康にも良いと思います。
 先週も狩りに行って、一匹、仕留めてきたそうです。

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 カラスの肉って、結構うまいです。私も食べたのですが、味わい深いです。人間って結構、見た目で判断するところがあるのですが、カラスの肉はうまいです。でも一度、こんなことをしたら、カラスはずっと覚えているそうです。その人の家も、車も何もかも知って、仲間にも伝えるそうです。「新城教会に猟友会があるから気をつけろ。本部は平井にあるぞ!」とか、いろんな情報を仲間に伝えるそうです。その情報は、後世にも残るというのです。
 神は全宇宙を造り、すべてを支配しておられる方です。この方とお友達になり、この方が成してくださる良いことに感謝し始めると、人生に奇跡が起こるのです。

 ピリピ人への手紙四章四節〜七節、

『いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。』

 時々、人生には思い煩いがあります。思い煩いが百パーセント心を占めてしまい、それ以外、考えることができない時もあるかもしれません。そういう時にこそ、「何も思い煩わないで、あらゆる場合に感謝を持ってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」というのです。
 みなさんの中で、「心の中は思い煩いで満ちています!」という方がおられたら、思い煩いを横において、イエス様に感謝して、思い煩いを神に知ってもらうと、奇跡を体験できます。

 第一テサロニケ五章十六節〜十八節のところも、大変有名な箇所です。みなさんで読んでみましょうか。

『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。』

 天地万物を造られた神が何を考えておられるのかって、普通では、理解できないです。天の最も高い所から、地のどん底まで、すべてを造られた方ですから、そんなすごい方の心なんて、知ることは不可能です。しかしその神が人類に対して、何を考えているのか、願っておられるのかが、ここに記されています。

 第一に神は私たちに、「いつも喜んでいなさい。」と言うのです。今日、喜びはありますか?喜びは途中で落とすものだと思うのです。子どもたちを見ていると、みんな喜んでいます。がっかりしている子どもたちを、あまり見たことがありません。子どもの時代はみんな喜んでいるのですが、歳を取る途中で落とすのです。
 もう一度、喜びを拾わないといけないです。しかし教会に来ると、喜びが回復して来ます。「いつも喜んでいなさい!」というのです。また、喜ぶためには人間は、少しは努力しないといけないです。ネガティブな、否定的なことばかりを言うのではなくて、神がなしてくださった良いことを思い起こすのです。聖歌の中に、「数えてみよ、主の恵み」という歌がありますが、今年起こった良いことをリストアップして、それを喜ぶことが秘訣です。

 そしてもう一つは、「絶えず祈りなさい」とあります。常に祈り心で生活するのは大切です。忙しくて祈る時間がないという人もいますが、一時間とか二時間、祈りの時間が取れたらベストですが、もしも取れなくても、毎日の生活の中で、常に祈り心を持って生活するならば、主は、あなたの思いを受け取って下さいます。
 携帯とかインターネットでも、ネットにつながってさえいれば、新しい情報は自動的に入って来るじゃないですか。しかし、接続が切れていると情報は入って来ないです。クリスチャンも同じです。常に、主との回線がオンラインでいるなら、恵みは自然に流れて来ます。

 そして十八節、「すべてのことについて感謝しなさい。」とあります。「すべてのことについて」とありますから、多少、嫌なことがあっても、それも含めて、感謝してみなさいというのです。『これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。』とあります。絶えず喜び、祈り、感謝する中で、神との交わりは進んで行きます。

 私の母は、去年亡くなったのですが、亡くなる前、私は母の所に行って聞きました。九十二年も生きましたから、「九十二年間も生きたけど、人生を総括すると、どんな人生だった?」と聞きました。すると、「そうだなぁ。感謝だったなぁ。」と答えました。
 次に何と言ったかというと、「私は東京の女で、こんな田舎に来るとは夢にも思っていなかった。」と、ちょっとぼやいていました。「滝元明と結婚するなんて、考えてもしなかった・・・。」と言うのです。
 でも、彼女はこう話しました。「田舎に来て良かった。結婚して良かった。だから新城教会もあるし、多くの兄弟姉妹に囲まれて、楽しく生きることができた。本当に感謝だ。」と言いました。
 私たちの人生って、時々、意外なことが起こります。「えー!」というような事もあります。母は、東京一番!と、思っていたらしいです。東京からこの辺に来るのは、六十、七十年前には相当なショックだったと思います。山の中の青年と結婚して、これからどうなるのか・・・と思ったわけですが、教会ができて、多くの兄弟姉妹が出来て、多くの方々に愛されて一生終えることが出来ました。初めは分からないかもしれないけれど、感謝しながら生きたことによって、今があるんだなぁと思いました。

 すると母はこう言うのです。「人生の中で本当にびっくりしたことが一つあった。」それは何かと聞いたら、「おまえが牧師になったことだ。」と言いました。「俺が牧師になったこと、そんなにびっくりした?」と聞くと、「そうだ。おまえだけは絶対に牧師になるとは思っていなかった。しかし牧師になったのは、本当にびっくりだ。しかし感謝だ。」と言いました。
 彼女の人生を総括して、最大の驚きは、私が牧師になったことだったらしいです。意外中の意外だったみたいですが、神は奇跡をなさいます。奇跡の人が、みなさんの前に立っています。

 これは、誰でも同じだと思うのです。イエス様と友達になれば、時には意外なこともあるかもしれないけれど、意外なことさえも使って、信じられない結末を迎えるのです。
 ですから、何はなくとも、イエス様と一緒に歩むことが、祝福の秘訣であるわけです。

 私も、こんな者が牧師になってもいいのかな・・・と思いましたが、現在、牧師としてみなさんの前で語ることが許されて、本当に感謝しています。
 私の話をいつも忍耐を持って聞いてくださり、本当に感謝します。好きでもない話もあるだろうし、興味のない話もあるだろうし、一年間、よくぞ付き合って下さいました。

 牧師をやっていて、一番嬉しいのは、聖書のみ言葉の真理に気づかせていただく事です。
 詩篇百十九篇百三十節にこんな言葉があります。

『みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。』

 私なんか、わきまえのない者ですが、聖書のみ言葉は光を放つとあります。聖書は、結構、理解できていないことが多いと思います。知識的には知ってはいても、心に落ちてこない。実生活に反映されない事が結構多いと思うのです。しかし今年はある意味、私にとって、み言葉の理解という点では、革命的な年であったと思います。

 特に「福音」に関する理解が深められ、変えられた事が、私にとって最も嬉しいことです。
 聖書は、福音とは何かを、始めから私たちに語っているのですが、私たちは人間中心的に接していますから、理解していないのです。
 コロサイ人への手紙一章六節に、福音について次のように記されています。

『この福音は、あなたがたが神の恵みを聞き、それをほんとうに理解したとき以来、あなたがたの間でも見られるとおりの勢いをもって、世界中で、実を結び広がり続けています。福音はそのようにしてあなたがたに届いたのです。』

 日本は、なかなかキリスト教が広がらない国です。どこに原因があるのか。各教会、一生懸命やっているけれど、なかなか広がらないのは、どこに原因があるのかいろいろと論議されています。
 ここで初代教会が力強く前進した秘訣が示されていて、福音に関して、「本当に理解した時、広がった」というのです。
 逆を言えば、福音の一部を理解していた時には、あまり広がらなかったのです。けれども、本当に理解した時、勢いづいて広がったというのです。
 福音の中身が何かに関して、同じコロサイ人への手紙一章十九節〜二十節で、このようになっています。

『なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。』

 キリスト教信仰の中心は十字架です。イエス様が十字架にかかって、私たちの罪のみがわりとなってくれました。人類の罪のみがわりとなって下さったのは、間違いのない事実です。しかし、福音の全体理解から言うと、間違っています。イエス様が流された十字架の血は、人間のためだけではなく、「万物との和解」であったのです。

『十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださった』

 神が造られた被造物は、どれほど多いのか分かりませんが、イエス様の十字架によって、人間との和解だけでなく、万物との和解が成立したと教えています。

 ただ自分が救われて、永遠のいのちをもらって終わりではなく、和解の言葉を誰かに伝えたり、宣言する、「和解の使者となる」ことについても、お話しさせていただきました。私たちは、和解のために働くように召されているのです。
 第二コリント五章十八節〜二十節、

『これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。』

 私たちがイエス・キリストを信じる以前は、神と対立関係にありました。私たちを造ってくださった神と対立していたら、いいことあるはずがありません。
 しかし、私たちが主を信じる時、天地宇宙を造られた神との和解が成立するのです。
 今日ここにおられる方々は、すでに神との敵対関係は何もないです。

 この敵対関係が解消されると、和解をもたらす働きが、人の手に委ねられるのです。私たちは和解の使者として、世の中に出て行くのです。
 まだ主を知らない人たち、神と対立関係にある人の所に行って、「どうぞ神と和解してください。」と勧めるわけです。クリスマス、多くの伝道集会がありましたけれど、それは神と人との和解の働きでした。

 しかし神と人との和解だけでなく、「人と人との和解」も委ねられています。
 誰かと対立して交わることができないのは、幸せではありません。しかし私たちは、人と人との和解にも関わることができるのです。それは、民族と民族、国と国の和解も含んでいます。

 リバイバルミッションの働きも、初めは「神と人との和解」から始まったのですが、その後、国と国、民族と民族との和解に導かれていきました。
 特に、日本は太平洋戦争を通して、アジア諸国と対立しています。しかし、私たちがそこに入って行って、和解の使者として働く時、すばらしいことが起きました。韓国でも二回ほど、リバイバルミッションを開催させていただきましたし、台湾でも行いました。タイでも行いました。そして二年前は、インドのナガランドで、和解のための働きをさせていただきました。そういう所に行ってみると、日本人って、結構恨まれているんだなぁと分かります。恨まれていたら、いいことは何もないです。私たちは、和解の使者として、出て行かなければならないです。

 今年も、教会を通して、和解の働きが世界に及んだ事を、心から感謝します。
 この数年、ネパールで活動させていただいていますが、これは先週の山の写真です。ネパールの山岳民族、チェパン族の人たちです。

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 彼らは世界最古の生活様式を保っている人たちです。しかし私たちが、何年も続けて訪問しているうちに、服装が結構カラフルになっちゃいました。それが良かったのか悪かったのか、分かりませんが、私が最初に行った頃は、みんなこういう感じでした。

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 だいぶ変わったなという感じです。私たちが心を開いて出向いて行く時、壁が崩れて、ネパールの山の中の人たちを、身内のように思えるようになりました。

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 お医者さんたちも連れて行って、年間一度だけのクリニックが行われます。

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 水の改善などもさせていただきました。これらは国と国、民族と民族の和解から導かれたことです。
 来年もこの働きを前進させなければいけないです。是非とも、二〇一八年もネパールに行っていただきたいです。二〇一八年のネパールTシャツができました。
 また今年は、スペインにも行くことができました。日本とスペインって、すごく深い関わりがあります。日本人は、もしかしたら今頃、ポルトガル語か、スペイン語を話していたかもしれません。なぜなら、十六世紀に、ポルトガルとスペインが日本に入って来たからです。豊臣秀吉をはじめ、武将たちが真剣になって、スペインとポルトガルを追い出したから、今、私たちは日本語をしゃべっています。もしもあの時、植民地になっていたら、今頃私たちはスペイン語です。それは、南米大陸を見たらよく分かります。

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 今回スペインに、ザワメキの二人も一緒に行きました。彼らもテレビ番組で演奏しました。ヨーロッパ中に放映されたのですが、これをお膳立てしてくれたのが、ホルヘ先生夫妻です。彼らがどこに居たかといいますと、新城からもう少し奥に入った東栄町の「東栄チキン」という会社に働いていました。彼らはクリスチャンになって、ある時突然日本から消えました。どこへ行ったのかなと思っていたら、不法滞在で捕まえられて、本国に強制送還されていました。
 しかし彼は、数年後、スペインから牧師になって帰って来ました。それがきっかけで、私たちもスペイン宣教に行くことができるようになりました。そしてスペインに住む方々の為に、奉仕させていただきました。
 あの時、ホルヘたちを世話して良かったな、と思いました。今回もスペインに行ったらこの夫妻が、「順先生には世話になった!」と言いました。私は全然覚えていないのですが、彼らは、寝る所がなくて、よく教会に泊まっていました。それで食べるものもないから、家内が彼らの為に朝食を用意していたというのです。朝食を用意することはよくあるので、忘れてしまったのですが、「あの時の朝食、今でも忘れられない!」と話していました。一宿一飯の恩義といいますが、今では彼らは、スペインでテレビ伝道者になっています。私たちを招いてくれて、スペイン宣教が開かれました。なんと、ザワメキは今回、ドイツにまで行ったのです。これらもすべて、和解から始まった働きです。
 私たちはこれからも、福音の奥義を理解して、和解のための働きをしなければなりません。

 しかし今年、最もみ言葉の奥義として、理解させられたのは、十字架型の和解と名付けさせていただいたのですが、十字架の中には三つの和解があると言うことです。神と人との和解、人と人との和解。そして、もう一つ、「神と地の和解」、すなわち、「神と被造物全体との和解」です。十字架は縦の棒と、横の棒、そして縦の棒は土地に刺さっています。この中から、和解が、この三つの領域に及ぶことに気づかされたことが、私にとって大きな祝福でした。

 ある神学者の方が、「聖書は万物は御子によって造られ、御子にあって成り立っていると告げている。ならば、万物はまた、御子によって和解させられるはずである。今日の環境破壊は、人間の罪の結果引き起こされた。被造物、自然界の責任ではない。ゆえに、被造物、自然界も、また、救いの時を待ち望んでいる。」と記していました。

 私たちクリスチャンは、神と人、人と人との和解だけでなく、神と神が造られた被造物との和解を取り持つ使者として、働かなくてはいけないのです。
 すなわち、福音は、人だけのものではなく、神が造られた被造物全体のものだからです。ローマ人への手紙八章十八節〜二十二節に、こんな言葉があります。

『今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。』

 いろいろな苦しいことがあると、自分だけが苦しいと思うのですが、実は、神が造られた被造世界も、共にうめいているというのです。私たちがうめけば、被造世界もうめいているのです。
 しかし人間は、自分中心的に物事を考えるので、人間のうめきは気にするけれど、被造物全体がうめいていることに関しては、気づかないのです。
 被造物は、自分たちがうめいていることを理解してくれる「神の子どもたち」、すなわち、そのような理解を持ったクリスチャンが現れるのを、切実に待っているというのです。
 ローマ人への手紙八章を読んでいただきますと、人のうめき、被造世界のうめき、そして、聖霊のうめきが出て来ます。人のうめきと、聖霊のうめきとの間に、「被造物のうめき」が加えられると、「すべてが相働いて益となる」という言葉につながります。
 そして、「圧倒的な勝利者となる」のです。クリスチャンが圧倒的な勝利者になれない理由は、被造世界がうめいていることに関して、理解がないからです。このうめきに耳を傾けなければいけないのです。福音とは、そもそも、被造物全体に対するものであるからです。そのところに今年は気づかされたのは、大きなことではないかと思います。

 人類は、神と対立しながら、罪によって、知らないうちに被造世界とも対立しています。
 神が造られたもの全ては、最初は、バランス良く保たれていたのに、罪により被造物と対立した故に、その結果を受け取っているのではないかと思われます。
 私たちが被造世界のうめきを聞いて、神が造られた被造物全体と和解できたら、案外、今まで体験できなかったことを、体験させられるんじゃないかと思います。

 近ごろ、教会の中でちらほら、奇跡が起こっているのは、他でもない、神が被造物全体に持っておられる愛について、またそのうめきについて、理解し始めたことによるような気がします。
 周りにある被造物は、すべて神が良いものとして造られたわけですから、その対立関係を解消するならば、人生は輝くのではないかと思います。

 私は近ごろ、一冊の本を読んでいるのですが、時々、「ひとりぼっちだなぁ・・・」と悲しむ時があるのですが、絶対に、君はひとりぼっちではありません。ひとりぼっちだと思っている人、今日からその考えを捨ててください。あなたは多くの仲間に囲まれています。今日、ここにひとりぼっちの人は誰一人いません!
 どんな仲間に囲まれているのかというと、こういうことです。

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 人体には自分の細胞の十倍の細菌類が住み着いているというのです。そして、主人の心身をコントロールしているというのです。あなたは多くの微生物に囲まれて生きているのです。六百兆個くらいの微生物、バイ菌と一緒に過ごしているのです。
 読んでいるのは、「あなたの体は九割が細菌」という本ですが、人は自分が百パーセントだと思っているのですが、人の部分って一割しかないというのです。人間の遺伝子が最も高度に進化したものと考えるのですが、実は、人間の遺伝子は二万一千個くらいあるらしいですが、最も多く持っているのは「ミジンコ」だというのです。ミジンコは、なんと三万一千個だというのです。微生物のほうが、人間よりも多く遺伝子を持っているなんて、信じられないじゃないですか。

 人間はバイ菌をいやがるけれど、実はバイ菌がいなかったら、生きていけないのです。多くの病気も、人間と微生物との対立関係の中から生まれてきたのではないかと、生物学者は指摘しています。肥満も、アレルギーも、鬱病も、微生物の問題ではないのかという仮説ですが、私はこれを読んで納得しました。日本人って、微生物を殺すのが、大好きというか、除菌グッズが溢れていています。微生物は悪いものだ!こいつは嫌いだ!と思っているのですが、バイキンマンは友達です。
 みなさんの体に、人の細胞の十倍くらいの微生物が住んでいたら、それらとうまく共存したら、案外、健康に生きられるみたいです。
 肥満は、一九五〇年以前はなかったそうです。食べ物が変わったり、様々な環境変化が関連しているようです。しかし肥満は、カロリーだけでは計れない、微生物との対立関係かもしれないと論じています。
 目には見えない微生物、大嫌い!と言うのですが、これらもすべて神の被造物たちです。十字架の中の和解に含まれている存在です。すべての微生物とも和解したら、反発は起こらないかもしれないです。

 これは一つの例ですが、神が造られた被造物全体の和解のためにも働く必要があります。その時、神が持っておられる御心が、この地に現されるのです。
 今日はここにおられます全員が、被造物との対立関係がなくなるよう、祈りたいです。

 人類が罪を犯したことによって、「いばらが生じた」とあります。神が造られた直後はすべてに調和があったのですが、罪の結果、いばらが生じたというのは、自然界に変化が生じた事を意味します。
 しかし、いばらの冠を、誰がかぶったのか知っていますか?イエス様が十字架で、いばらの冠をかぶってくださったのです。
 言い換えれば、人間の罪によって被造物全体が虚無に服したそのうめきさえも、十字架の血潮によって聖めてくださった事を意味します。
 そして私たちが、神と人だけでなく、人と人だけでなく、神と全被造物との間の和解の使者として、遣わされる時、神の国の実現につながるのではないかと期待します。

 二〇一八年、体の中に住む微生物とも和解して、対立関係は何もなく、なくてはならない友達となって、共存・共栄するよう祈ろうじゃありませんか。
 「体の中の微生物が祝福されますように!」などと、祈ったことありますか。ないと思いますが、結構、健康に生きる秘訣じゃないかと思います。最後は、神が造られた被造物全体が主を賛美する日が来るのです。
 黙示録五章十一節〜十三節、

『また私は見た。私は、御座と生き物と長老たちとの回りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍であった。彼らは大声で言った。「ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」』

 イエス様が帰って来られる日、神の前でPPHがあるみたいです。その時には人間だけでなく、神が造られた被造物すべてが賛美して、主をほめたたえるのです。それをお膳立てするのが、私たちの役割です。
 このような福音の奥義に気づかされたことを、本当に感謝しています。今まで私たちは、矮小化された考え方の中に閉じ込められていました。しかしそうではなく、すべての被造物が主をほめたたえるために、私たちは生かされているのです。

 今日はすべてを感謝して、主の前に栄光をおささげする賛美を、最後にして、聖餐式を持ちたいと思います。
 今日と、明日の午前の新年聖会でも聖餐式があります。毎週のように聖餐式に預からせていただいていますが、イエス様の十字架の血は、人類だけでなく、神が造られた被造物すべてに及ぶのです。私たちの体の中に住んでいる、微生物のためでもあったというのは、今まで考えもしなかった事実です。息あるものすべては神が造られたのですから、それを意識して聖餐式を持ちたいと思います。

 その前に一曲賛美したいと思います。「勝利、感謝、主に栄光」というザワメキの賛美です。ザワメキ・クラッシックバージョンで一緒に歌います。日系のブラジル人の音楽家が感動して、フルオーケストラでYouTubeにアップしています。フルオーケストラをバックにして、「勝利、感謝、主に栄光」を心から賛美しましょう。


 ハレルヤ。主よ感謝します。この二〇一七年も守ってくださったことを感謝します。今日はすべての栄光をあなたにお返しし、心からの感謝をあなたにお捧げいたします。私たちの感謝を受け取ってください。いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝して、二〇一八年も過ごすことができますように。
 今日、すべての対立関係が消えていることを宣言します。神との和解も、人との和解も、民族と民族、また国と国、被造物全体との和解も宣言します。
 体の中に住んでいる微生物とも、何一つ対立関係がないことを宣言します。二〇一八年、和解の使者として私たちを遣わしてください。
 今から聖餐式を持ちますが、この中で心から、感謝を捧げることができますように。イエス様の御名を通して祈ります。アーメン。