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New Year セレブレイション

2018年1月1(日)
新城教会主任牧師 滝元順

 ハレルヤ!新年、明けましておめでとうございます!日頃の感謝と共に、二〇一八年も、よろしくお願いいたします!
 今、ご覧になっていただきましたように、教会では数多くのプログラムがあります。お見せしたのはイベント編ですが、それに加えて、礼拝、家庭集会、様々な諸集会、とりなしの祈り、セミナーなど、数多くの働きがあります。これらすべて、やがてイエス様がこの地上に帰って来られ、この地の王となり、世界を治めてくださる日のための働きです。ただ単に、私たちが幸せになって楽しく生きる、もちろんそのことも含みますが、究極的ゴールは、主がお帰りになるその日を目指しての働きです。二〇一八年、主が帰って来られる道を備えるために、働いていきたいと願っています。これは牧師とか、スタッフだけではなく、キリストのからだに属するすべての兄弟姉妹が一丸となって働く時、成し遂げられる働きです。

 昨年も、テレビ、ラジオ、その他メディアで流れていたニュースは、総合すれば、悲しいことばかりでした。これでもか!というくらい、多くの悲惨なことが起きています。人類は、二〇一八年も、どこに向かっていくのか、本当に不安です。
 しかし、一つだけ希望があるとしたら、イエス様が再臨されて、世界の王となってくださるなら、すべての悪しきは一掃されます。クリスチャンはその日を真剣に祈り求めなければならないです。
 二〇一八年、主がお帰りになる日が含まれているかどうかは分かりませんが、私たちは常に準備したいものです。

 昨日は十二月三十一日、今日は一月一日で、昨日は日曜日で礼拝もありましたし、夜の九時からは、カウントダウン・ワーシップもありました。三つも礼拝が連続しているわけですが、賛美三昧、み言葉三昧で共に過ごすことができるのは、まさしく神の国のモデルです。やがてイエス様が帰って来られる日、このような祝福が、世界規模で現されると思うと、心がわくわくします。

 私は毎年、十二月三十一日のカウントダウン集会がたのしみです。私以外の五人の先生方が語ってくださるメッセージを聞くのを、本当に楽しみにしています。なぜなら、それは翌年の指針となるからです。
 礼拝の後、夜九時から集まっていただけるか心配していましたが、本当に多くの方が集まってくださり、共に主をほめたたえることが出来ました。五人の先生方のメッセージ、本当に恵まれました。キリストのからだで一つなんだなと、それぞれに役割を与えて、み言葉を解き明かし、神の国を目指していることを実感させる夜でした。
 まもなく、メッセージがテキストとなって、お手元に届きますので、それを読んでいただきますと、二〇一八年の指針になると思います。
 いつもメッセージの順番は、くじで決めます。聖書の中に、くじは、主が決定するという言葉があります。じゃぁ、宝くじの当選番号を教えてもらおうじゃないか・・・と言うのは駄目ですが、先日、ある方が、どうしてもその月に五万円不足していたというのです。それで真剣に祈ったそうです。教会の帰り道、祈って宝くじを一枚買ったそうです。
 さて、みなさん、どうなったと思いますか?なんと、五万円当たったそうです。そして支払いができたというのです。富裕層になりたいとかの邪心で宝くじを買っても駄目ですが、本当に困っていると、主は、何を通しても支えてくださるんだなと感動しました。
 今年も、主と共に生きていきたいと願います。みなさんのすべてを、主はご存じです。必要なものは与えてくださいます。明日のことは思い煩うな!と聖書は告げています。決して心配しないで、すべてを知っておられる主を信じて、二〇一八年を生きて行きましょう。

 私は十二月に、本当にびっくりすることがありました。主は私を知っておられるという、主を畏れることが一つありました。
 私、欲しいものって、ほとんどないです。みなさんはどうですか?欲しいものってありますか?この歳になると、欲しいものもなくなっちゃって、ちょっとさみしいです。若い頃は、いろんなものが欲しいと思ったけれど、今は欲しいものがないのです。家内に、「あんた何か欲しいものある?」「ん、何もない。」「美味しいもの食べたい?」「太るからいいや。」という感じです。
 でも近頃、ちょっと欲しいな・・・と思うものがありました。それが腕時計でした。どのような腕時計かというと、私は海外によく行くので、毎回、時刻を合わせるのが面倒くさいです。韓国は同じ時間なのでいいのですが、アメリカなどに行きますと、州によって一時間、ずれていたりするのです。時間がずれているのを知らないと、飛行機に乗り遅れたりするわけです。
 南米もそうです。アルゼンチンに行ったことがあるのですが、アルゼンチンとブラジルの間に、国境線があります。国境線をまたぐだけで一時間、違います。これなんだという感じです。
 しかし最近は、時計でもGPSがついていて、空だけ開いていれば、スイッチオン!で、その国の時刻にぴたっと合う腕時計があるのです。私はそれが欲しくなりました。でも、値段が二十万円近くするのです。これは無理だ!と思っていたら、最近、カシオが八万円くらいで出しました。それで、これならば買えるかもしれんぞと、Amazonで検索したり、楽天とか、ヤフーとか、価格ドットコムなんかで調べると、値段がまちまちでした。送料あんた持ちなんてのもあるので、いろいろと調べないといけないわけです。一円でも安いのを買おうと思って調べていました。でも、「八万円か〜、ちょっと高いな・・・無理かな」と思って、あきらめていました。それは十二月のことです。

 十二月の半ばくらいでしょうか。私が外に出ていたとき、家からLINEが来ました。「なにか荷物が届いているよ。」というのです。写真を送ってくれました。そうしたら、四角い小さな箱でした。
 家に帰って箱を開けてみると、なんとその中に時計が入っていたのです。それもGPS時計でした。
 高価な物をもらったことが嬉しいというより、びっくりしました。私に時計をプレゼントして下さった方は、遠くに住んでおられる一人のおじさんでした。
 ある時、その人が車で走っていたら、「順先生は、腕時計が欲しいに違いない・・・」と思いが心に来たというのです。それも、「GPSの付いた時計を欲しがっている・・・」と言ったそうです。そうしたら奧さんが、「欲しいなんて思ってないよ。」と言ったそうですが、ご主人は、「いや!順先生は欲しいと思っている!」と言って、自分で買いに行ったというのです。奥さんは、迷惑じゃないかなぁ・・・と思ったそうです。しかし迷惑どころか、私はもうびっくりでした。その前日くらいにも、その時計を検索していましたから。そうしたらなんと、千キロくらい離れた所から、腕時計が送られて来ました。
 今年は、いろんな所に行け、ということかなとも思いますが、良いものをもらったのも嬉しいですが、主はすべて、ご存じだということです。必要なものは、主は、あなたが買えなくても、誰かに買わせることがお出来です。
 でも、なんで分かったのかな・・・と思います。きっと、私の側で仕えている天使が、私がAmazonを検索しているのを横で見ていて、日本中を見わたして、買えそうな人の所に飛んで行って、「順がほしがっているから、買ってあげなさい。」と語りかけたのかも知れません。ちょっと鳥肌ものですけれど、私に起こることは、みなさんにも起きます。
 主任牧師に起きることは、教会全体に起こると信じます。もらうことばかり期待しているような教会ではいけませんが、主の御心が現される教会にならないといけないですね。

 昨日は最初に、滝元開先生が語ってくれたのですが、「あなた方は世の光です。」という箇所から語りました。光は隠すことができないと語りました。新城教会には霊的戦いの剣が与えられて、それは隠すことは出来ない。その剣は全世界で用いられるものだと話しました。
 私の独断でのダイジェストなので、本編はちゃんと読んでいただきたいと思いますが、彼はエゼキエル書三十八章から、「備えなさい!」というみ言葉を引用して、今年は、戦いに備えて全世界に出て行く準備をしなさいと語りました。
 今年、主があなたに何かをさせようと計画していますから、備えてください。これをしなさい!と言われた時には、実行して下さい。

 次に立ってくださったのが、岡本信弘先生でした。先生が引用したのはエペソ四章から、私たちが信仰の一致と、知識の一致とに達して、イエス様の身丈にまで成長するということを話しました。
 昨日、信先生のメッセージを聞いていて笑っちゃったのですが、なぜかというと、この頃、信先生の家の冷蔵庫の中身が消えるというのです。夫婦でこれを食べよう!と、美味しいものを買って冷蔵庫に入れて、楽しみにして開けると、それが消えているというのです。
 実は我が家でも、同じ現象が起こっているのです。だから笑ってしまったのですが、どうも両家には、泥棒がいるみたいです。だいたい犯人は突き止めているのですが。

 信先生が語ってくださったのは、私たちは神の壮大なプロジェクトチームの一員で、それぞれに役割があり、そのために召されているというのです。それぞれの役割を受け取って、一丸となって神のプロジェクトを実現しなければならないと話されました。
 そのためには、一人ひとりが成長しなければいけないわけですが、主は、今年は一人ひとりを成長させて、神のプロジェクトを遂行するにふさわしいものにしてくださると、語りました。

 次にフェルナンド先生が、詩篇四十六篇から、『川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。』という所から語ってくれました。今年はこの教会に川が流れると話しました。川が流れるとは、洪水でもくるのかな?ではないです。川とは、聖霊の流れです。今年主が、神殿の敷居の下から水を流してくださるというのです。私たちがその川の中にどっぷりと浸かり、常に浸っていることが必要だと語られました。その時に癒やしがあり、成長があり、繁栄があると語りました。
 今年主が、新しい流れを与えてくださる事を感じて嬉しかったです。

 次に四元先生が語ってくださったのは、黙示録八章からでした。先生はよく勉強して、難しい神学的テーマをクリアしながら、しっかりと説明し、語りました。
 かつて荒野の旅をするイスラエル民族は幕屋を持っていたのですが、そこに香の台があって、神のために香が焚かれていました。
 寺とか神社とかで香が焚かれることがありますが、ああいうのもやっぱり古くはメソポタミアやエジプトの文化の中で、主を称えるために香を焚く習慣がサタンに横取りされている側面もあるわけです。
 香が焚かれるとは、「すべての聖徒の祈りの象徴」です。香の煙が上って、神の前に届くとは、聖徒が祈る祈りが、主の前に届くことを意味します。
 しかし、この祈りとは、「時計が欲しい」とか「宝くじが当たりますように」というような祈りではないのです。それは神が持っておられる計画、神の御心を捉えた祈りを表すと語りました。それはただの祈りではなく、御心を捉えた祈りだというのです。
 それはローマ人への手紙八章とつながっていて、この頃ここからよく語っていますが、聖霊様のうめきと、被造物のうめき、そして、聖徒のうめきが一致する時、主の前に祈りが届くという、深いメッセージを語って下さいました。
 今年は私たちの祈りが主の元に届き、それも被造物全体のうめきと共に、主の前に焚かれる香のように立ち上り、御心が地に現されるというメッセージでした。プリントが配られたら、よく読んでいただきたいと思います。

 最後に上條先生が語ってくださったのですが、ヨハネの福音書十一章から、ラザロがよみがえった奇跡の物語から語りました。
 ラザロというイエス様の親しい友人が死んでしまいました。ラザロは墓に葬られて封印され、四日も経っていたというのです。
 しかしイエス様はラザロの家族に「墓の蓋を取れ!」と命じられたのです。その時、家族は、「イエス様。もう四日目です。腐っていますよ。絶対に墓の蓋など取らないほうがいい。」と言いました。しかしイエス様は、「取りのけなさい!」と、強いて墓石を取りのけさせたのです。
 するとイエス様は、墓穴に向かって、「ラザロよ、出て来なさい!」と宣言されたのです。
 当時、死人はミイラのように、布でぐるぐる巻きにされていました。私もラザロの墓という場所に行ったことがありますが、急な石の階段を下りた、地下室にあるのです。そこからラザロはよみがえって、ぴょんぴょん跳ねて地上まで出て来たと思われます。信じられない奇跡が起こり、そのことを通して皆がイエス様を信じたという記事を引用し、今年は今まで私たちが封印して、絶対にこの祈りは答えられっこない!とあきらめていた領域の蓋を取る時、奇跡が起こるという、預言的なメッセージでした。

 彼はこのメッセージを語る前に、これが本当に主から来たものかと疑って、主に求めたそうです。「何かしるしをください。」と祈ったら、なんと三日間連続で、この箇所からメッセージを語っている夢を見たというのです。そして主が、この所から語りなさいと語られたそうです。
 みなさんの中に、一生懸命祈ってきたけれど、これは無理だろう、と思うようなラザロの墓のような祈りの課題があるかもしれません。しかし、今年はあえて、その蓋を取って、「ラザロよ、出て来なさい!」と、宣言する年にしましょう。
 その時、相手のほうから、飛び出してくるのです。私たちが墓に下りて行って、腐った死体を引き出すのではなく、自ら出て来たというのです。包帯をぐるぐる巻かれたラザロを目の前にして、イエス様は「この包帯をといて、家に帰らせろ!」と語られました。すごいことが起こりました。
 みなさん、今年は期待してください。今まで長い間、あきらめて封印された領域の蓋を取って、宣言してみるべきです。

 このように五人の先生方が、それぞれ必要なみ言葉を語って下さいました。二〇一八年、大いに期待して、信仰を持って進んでいきたいと願っています。

 最後に、私が今年、主から導かれているみ言葉も、加えさせていただきたいと思います。それは、コロサイ人への手紙二章十二節〜十五節です。これは、新城教会でバプテスマ式を行う時、必ず読む箇所です。

『あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。』

 私はこのみ言葉が、大好きです。これは主を信じる者たち、「信じてバプテスマを受ける者は救われます!」とありますが、信じてバプテスマを受けた者たちに与えられている権利だからです。今日、すでに主イエスを信じ、バプテスマを受けられた方々は、もれなくこの権利が備わっています。
 バプテスマは神秘の領域です。水の中に浸かって出て来るだけで、なんと、イエス様の死とよみがえりを瞬間的に辿るからです。
 先日、四人の方がバプテスマを受けられました。嬉しかったですね。十二月二十五日でした。バプテスマを受けるまでは、皆、葛藤があると思いますが、水の中に入るバプテスマを受けるのは、すごく大切なことです。これは新約聖書中の神秘の領域です。水に浸かって出て来るだけで、イエス様の死とよみがえりを一瞬にして辿ってしまうからです。

 先日、子どもたちのバプテスマ式はおもしろかったです。一人の少年が、「一瞬で出て来るのではなく、俺を水の中に十秒間浸けてくれ。」と言ったので、私は牧師になって初めて、十秒間水中に浸しておくバプテスマ式を行いました。それ以来、記録は更新されていませんので、次回、誰か一分とか二分頑張って下さい。でも、長い時間浸かっていればいいわけではありません。瞬間でも、バプテスマを受ける時、死から命に移るわけです。イエス様がよみがえられた時、「わたしは天においても地においても一切の権威を受け取った!」と言われました。
 イエス様の公生涯には権威があり、すばらしかったですが、天においても地においても一切の権威を受けたとは言われませんでした。
 バプテスマを受けるのは、限定解除です。免許証でも、普通免許でも、オートマ限定が付いていると、クラッチ付きの車を運転できません。クラッチ付きの車に乗りたかったら、限定解除をしなければいけないわけです。オートバイでもそうです。限定解除しないと、排気量の大きなオートバイには乗れません。
 クリスチャンもバプテスマを受けないと、限定付き権威です。しかしバプテスマを受けると、限定が解除されて、第一に、十三節、「すべての罪が赦される」のです。今まで犯してきたすべての罪は帳消し!すばらしいですね。
 生まれてからこのかた、どのくらいの罪を犯してきたか分かりません。家系の中にも罪が流れています。しかし、それらが全て消し去られるわけです。

 しかしそれだけでなく、「債務証書が無効にされる」のです。実は罪とは、二つの領域によって定義されます。以前にもお話ししましたが、それは、神に対する反逆と、悪魔・悪霊どもと結ばれる「契約」という二つの領域によってです。

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 ユダヤ人たちの最も大きな祭りは、「ヨム・キプール」と呼ばれる、「大贖罪の日」です。その日には、二頭の山羊が用意されて、一頭は神に生け贄として捧げられました。しかしもう一頭は、すべての罪をその山羊に託して、「アザゼルのため」といって、荒野に放たれました。アザゼルとは、荒野に住む悪魔の名前です。悪魔に対する生け贄として、旧約時代は放たれたわけです。

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 これは何を意味するのかというと、罪には二つの方向性があって、神に対する反逆と同時に、悪魔・悪霊と結ばれる債務証書が存在するという事です。バプテスマを受ける時に、この債務証書も無効にされるのです。
 案外この事に気づいていない為に、クリスチャンになっても債務証書が残っています。クリスチャンが霊的攻撃を受けるのは、ほとんどが債務証書による訴えです。
 一九九二年に聖霊が注がれた時、債務証書を無効にする祈りをするように主が導かれました。それから解放の祈りを行うようになりました。罪の悔い改めは、神の領域だけでなく、悪魔と結ばれた契約を断ち切る祈りを加えるようになりました。その結果、様々な問題が消えていくようになりました。バプテスマを受けると、このような権利が保障されるのです。

 次に、「すべての支配と権威の武装を解除し、」とあります。すべての支配と権威とは、悪魔・悪霊どもの軍団を意味します。悪魔・悪霊どもは様々な武器を持っていて、私たちを苦しめるのですが、私たちがイエス様を信じてバプテスマを受ける時、彼らが持っている武器が、すべて武装解除されるのです。また、武装解除されるだけでなく、「彼らを捕虜として凱旋の行列に加える」というのです。
 なんと今まで私たちに挑戦していた、悪魔と悪霊どもの軍団が、完全に力を失い、捕虜となるのです。今までみなさんを攻撃していた悪霊どもの軍団は、武装解除されるばかりでなく、「捕虜となる」のです。このことを今回、主は私に、印象深く語ってくださいました。

 捕虜の存在は、昔から記録されています。これは古代バビロニア帝国の捕虜の壁画です。

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 これはエジプトで描かれた捕虜です。

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 ある国の軍隊が捕虜として捕らえられると、全ての武器は勝利した国の軍隊に奪われて、捕虜達は勝利者の意のままに扱われるのです。
  かつてアジアにジンギス・ハンにより、世界最大の帝国がありました。彼らはアジアからヨーロッパに至るまで、多くの捕虜を捕らえて、意のままに扱いました。

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 日本に「元寇」という、モンゴルが日本に攻めて来た事件があったのですが、実際に攻めて来た兵士たちは、中国の南宋と、韓国の高麗の軍隊が捕虜となり、モンゴル兵として日本に攻めて来たのです。
 捕虜になると、向きが変わり、支配者の言いなり、意のままに働くようになるのです。
 かつて日本でも戦争により、様々な捕虜が生じました。これは日本兵がロシア兵によって捕虜になった時の様子だと言われます。

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 戦争には捕虜はつきものです。一度捕虜となったら、すべての武器は取り上げられ、捕虜にされた国に百パーセント従わなければならないのです。

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 近頃、ISに捕らえられた者たちも、このように意のままに扱われ、殺されたわけです。

 日本がアメリカと戦争し始めた時、アメリカに住んでいた日系人たちは、集められ、収容所に入れられました。自由は全くありませんでした。

 捕虜は、霊的世界においても生じるものです。イエス・キリストを信じる以前は、私たち自身が悪魔の捕虜でしたが、主を信じて洗礼を受けると、今度は悪霊どもを捕虜とするのです。そして、彼らを凱旋の行列に引きずり出すのです。

 イエス様が活躍されたのは、ローマ時代でしたが、ローマの軍隊は、他国に攻め入ったとき、必ず、捕虜達を戦利品として引き連れて凱旋しました。「見てみろ!今回の戦争で、こんなにも多くの捕虜を捕えたぞ!」と、凱旋の行列には、手足を縛られた、惨めな顔をした捕虜たちが必ず、引き出されました。

 今まで、悪霊どもに苦しめられてきたかもしれませんが、二〇一八年、今度は逆です。悪霊どもを捕虜として、凱旋の行列に引きずり出すのです。そのように、主は約束してくださっています。
 すでにみ言葉の中で約束されていることですが、み言葉は、時が来るまで覆われていて、聖霊によって覆いが取られ、実現するものです。今年はダイナミックな勝利が現される年になると信じます。悪霊どもと小競り合いするような一年ではなく、悪霊どもを捕虜とし、凱旋する一年にしますよ!と、主は語っておられます。

 では、悪霊たちを捕虜として、彼らに何をさせましょうか?
 昨晩、悪魔の組織に内輪もめさせなければならないと、開先生が語っていましたが、今年、与えられているもう一つのみ言葉は、詩篇百四十八篇です。これは去年から心に響いているみ言葉です。詩篇百四十八篇は、人類に与えられている使命を詠っています。
 人類は何をするのか。それは、神が造られた被造物全体に対して、「主をほめたたえなさい!」と宣言する役割です。詩篇百四十八篇、みなさんで読んでみたいと思います。

『ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。いと高き所で主をほめたたえよ。
主をほめたたえよ。すべての御使いよ。主をほめたたえよ。主の万軍よ。
主をほめたたえよ。日よ。月よ。主をほめたたえよ。すべての輝く星よ。
主をほめたたえよ。天の天よ。天の上にある水よ。
彼らにの名をほめたたえさせよ。主が命じて、彼らが造られた。
主は彼らを、世々限りなく立てられた。主は過ぎ去ることのない定めを置かれた。
地において主をほめたたえよ。海の巨獣よ。すべての淵よ。
火よ。雹よ。雪よ。煙よ。みことばを行うあらしよ。
山々よ。すべての丘よ。実のなる木よ。すべての杉よ。
獣よ。すべての家畜よ。はうものよ。翼のある鳥よ。
地の王たちよ。すべての国民よ。君主たちよ。地のすべてのさばきづかさよ。
若い男よ。若い女よ。年老いた者と幼い者よ。
彼らに主の名をほめたたえさせよ。主の御名だけがあがめられ、その威光は地と天の上にあるからだ。
主は、その民の角を上げられた。主のすべての聖徒たち、主の近くにいる民、イスラエルの子らの賛美を。ハレルヤ。』

 人類は、天の最も高い所から、地のどん底に存在する被造物のすべてに対して、「主の名をほめたたえさせる」役割です。百四十八篇七節に、「海の巨獣よ」とありますが、これは他でもない「竜、レビヤタン」、すなわち、「サタン」を意味します。
 私たちクリスチャンは、悪魔・悪霊どもに対して、「主の名をほめたたえよ!」と、宣言する権限があるのです。
 普通、悪魔・悪霊どもに対して、「主の名をほめたたえろ!」と命じても、ほめたたえるはずがありません。なぜなら、悪魔・悪霊どもは、神に反逆している存在だからです。クリスチャンに強く、反発している連中ですから、そんな者達が主をほめたたえるはずがないのです。
 では、どうしたら、彼らが主をほめたたえるのか・・・。それは、彼らを捕らえて捕虜にすればいいはずです。捕虜になったら、私たちの意のままです。彼らに「主をほめたたえろ!」と命じ、今まで反逆していた存在を、主をほめたたえる側に向きを変えさせることができるはずです。そのためには、まず、「悪霊どもを捕虜とする」ことが条件です。

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 この写真はケニアの写真ですが、ケニアのある刑務所の写真です。彼らは皆、国に反逆し、極悪な犯罪を犯した者たちですが、刑務所に捕らえられて、主を誉め称えるゴスペルクワイヤーを作らされたのです。YouTubeに流れています。本当に歌がうまいです。囚人達が獄中で、主をほめたたえているのです。
 なぜなら、彼らは捕虜となったからです。今までは自分勝手なことばかりしていた連中ですが、捕まえられて、刑務所の中で、「おまえたちは主をほめたたえろ!」と命じられ、ゴスペルクワイヤーを作らされ、主を賛美しているのです。

 それと同じではないでしょうか。悪魔・悪霊どもを捕虜とする権限、コロサイ人への手紙二章の権限を使って、捕らえた悪霊どもに対して、「主をほめたたえろ!」と命じるとき、彼らはかつて主のみ前で、主をほめたたえていた連中ですから、賛美のすばらしさを最もよく知っている者達です。捕虜達が主をほめたたえ始めたら、他の悪霊どもは、怒るはずです。そうしたら、内輪もめが起こり、サタンの国は崩壊するでしょう。竜たちに対して、レビヤタンに対して、「主をほめたたえよ!」と宣言するために、彼らを捕虜として、凱旋の行列に引きずり出すという、コロサイ人への手紙二章のみ言葉は、たいへん重要です。

 さてここで、現代社会で最も強く悪霊どもが働いている領域について、考えてみたいと思います。
 それはどこでしょうか。その領域の悪霊どもを捕虜とし、主を誉め称えさせることが出来たら、サタンの王国は大きく揺れ動くはずです。
 ダニエルが夢を解き明かしました。そこで大きな像を見たのです。

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 これは時代が進むにつれて、どんな国々が起こるかの預言でもありますが、同時、サタンの王国を表しています。
 歴史上の世界帝国に対応し、バビロニア帝国を支配していた悪霊ども、ペルシャを支配していた悪霊ども、ギリシャ・ローマを支配していた悪霊どもが存在し、それらは連結して、大きな体を形成しているわけです。
 しかし、最後の足首の部分は、終わりの時代を表していますが、鉄と粘土で形成されていて、他の部分にはない脆さを含んでいました。
 それが、ダニエル書二章四十二節〜四十三節に記されています。

『その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。鉄とどろどろの粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは人間の種によって、互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。 』

 これは、終わりの時代になると、今までのような一帝国による世界支配は終わり、強い国と弱い国が一体になる時代が来ることを表しています。去年にも話しましたが、鉄と粘土が混ざったような時代です。

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 これは現代世界そのものだと思われます。

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TPPの国々などを見ても、参加している国々は、強い国もあれば弱い国もあり、宗教も言語も歴史も、何もかも違うけれど、「経済」では一つになるのです。こういう時代が来たら、終わりの時代を意識しなければならないのです。
 現代社会において、悪魔・悪霊どもが最も強く働いている領域は、「経済の領域」であると言えます。私たちが切っても切れない、経済の領域に、悪魔・悪霊どもは、自分たちの王国を形成しているのです。
 しかしながら、クリスチャンであっても、なくても、この王国とは切っても切れない関係にあります。経済界から離れては、生活が成り立たないからです。今年も私たちは、悪魔の帝国のただ中で生きるのです。しかしこの領域で、悪霊どもを捕虜と出来るなら、サタンの王国は崩壊するはずです。

 実はイエス様が、マタイの福音書六章二十節〜二十四節で、次のように語られました。

『自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。』

 イエス様は、私たちが神に仕えるのと同時に、富にも仕えるとことはできない、と断言されています。私たちクリスチャンは、神の国に属するものです。富とは経済の領域であり、悪魔の帝国です。そこに、同時存在はできないというのです。
 これはどういう意味でしょうか。

 「神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」の「仕える」とは、訳し直すなら、「支配される」とか、「奴隷になる」という意味です。私たちが経済の世界に支配されたり、奴隷になると、サタンの王国に取り込まれ、神の国から外さると言うことです。
 ということは、金の奴隷となってはいけない、ということです。ではどうすればいいのか、たいへん難しい問題です。しかし、経済の世界を、逆に、奴隷とすれば解決するはずです。経済世界に従属するのではなく、経済の世界を勝ち取って、彼らを奴隷とするのです。

 今世界は、たった数人によって支配されていると言われます。現在、世界人口は七十三億人くらいですが、七十三億人が持っている資産の半分は、世界のたった数人に所有されていると去年報道されていました。たぶん今年は、世界の富の半分は、ほんの二、三人に手渡されているはずです。超富裕層の人たちがいるのです。彼らの意のままに、世界は動かされているのです。
 ニュースや報道に接するとき、数人の金持ちによって世界は動かされていることを頭に入れて見るのと、見ないのでは、入ってくる情報は全く違います。
 北朝鮮問題も、まさしくそうです。衆議院選挙の時、北朝鮮がミサイルを撃ちましたか?撃たなかったですね。この間もネット・ニュースに流れていましたが、安倍政権の危機と、北朝鮮のミサイルの発射の時期を重ねると、絶妙なタイミングで北朝鮮が安倍政権を助け、救っているというのです。
 先日、トランプが来て、日本は何を買いましたか?「イージス・アショア」という一機一千億円の武器を二機買いました。今度は、巡航ミサイルも買うと言っています。莫大な金が動いています。
 国民は、「北朝鮮は、怖い怖い」と言っていますが、もしも、私が兵器を売る会社に勤めるセールスマンならば、平和な時に武器は売れませんから、まずは、危機を創出すると思います。金正恩は、世界で最高のセールスマンだと私は思います。彼に、「すいません〜、ミサイル一発よろしく!」と頼めば、高額な武器が売れるからです。「え〜、そんな〜」と思うかもしれませんが、世界は経済で動いているということを、頭に入れてニュースに接したら、見えてきます。
 経済の中に、暗闇の策略があることを見抜けば、金の奴隷から抜け出すことができます。

 経済界を支配して、金儲けをしている連中がいるのです。そのような人たちは、金の奴隷ではないのです。彼らは、金を奴隷にして、金に働かせています。しかしその金で、悪魔の国を維持しています。
 彼らは、自分たちの所持金を世界に遣わしているのです。金に向かって、「金どもよ。おまえを遣わすから、金を引っ張って来い!」と、富裕層と言われる連中は、金を遣わし、世界経済を独り占めしているのです。
 例えばみなさんに百万円あったとします。百万円に頼るのか、もしくは、百万円を遣わすのと、使い方も全く違うはずです。
 仕事をして、金の支払が、報酬のすべてだと思わないほうがいいです。みなさんの労働の代償を、紙っぺらに置き換えないでください。労働とは、もっと尊いものです。それは神に対する奉仕です。一ヶ月働いたら二十万、三十万円と、紙っぺらで評価すること自体、金に支配されています。不正の富を三十万円勝ち取ったら、奴隷として遣わして、経済を勝ち取るものになっていただきたいのです。

 今年は、がっちり、儲けて下さい。それは自分の欲のためではなく、経済の領域の中に働いている、悪しき力を捕虜として、不正の富を勝ち取る為です。金に支配されるのではなく、その背後で働く悪霊どもを支配したら、世界は変わっていくはずです。

 日本人って貯金が大好きです。あなたに貯金はいくらありますか?先日、授産所のみんなと、一緒に食事をしました。そうしたらその中の一人が、「今、貯金がいくらあるか、一人づつ告白タイムをしよう!」なんて言い始めました。彼らは自分の貯蓄高を自慢し始めたのですが、「順先生おごって。」と毎年言って来ます。私は「そんなに貯金があるのなら、来年は招待してよ!」と言ったのですが、彼らはがんばって貯蓄しているみたいです。がんばるなぁと、感心したのですが、銀行に貯金するとは、一体、どういうことか、考えたことはありますか。

 個人が銀行に金を預けると、銀行は預かった金を、厳重に金庫に保管しておくのではなく、どこかに投資するのです。他人から集めた金を投資して、がっちり儲けるのです。それで、儲けたものの、ごくごくごく一部、すずめの涙以下のものを、預金者に返す、それが利息です。
 今は、どうでしょうか。百万円預けたって、ネット銀行などではちょっと年利がいいですが、百万円預けたって、利息は一年で百円くらいでしょうか。
 しかし、銀行はあなたの百万円をどこかに投資して、がばちょと儲けているのです。いや〜、してやられています。

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 このグラフは、どのくらいの貯金を日本人がしているのかを表しています。また、国によって預金率が違うのです。これを見てください。日本人がいかに貯金好きか分かります。持っている資産の半分は、預貯金です。
 しかし、アメリカ人の預貯金は、個人の現金資産の十三パーセントくらいです。アメリカ人は、貯蓄するのではなく、多くを投資に回しています。これは、みなさんに判断していただきたいのですが、今世界一、裕福な国はアメリカです。日本は経済大国とは言われますが、その割に国民はあまり豊かではありません。企業はどんどん内部留保して太っているのですが、一般の人たちは、どんどん痩せていくわけです。特に安倍政権になってから、企業の内部留保は増大し、その反面、個人の所得は急激に下がっています。

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 日本人は、してやられているのです。いくらお金があったとしても、金の奴隷側にいるのです。しかしアメリカは、金を、投資として遣わしています。

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 あまりにも具体的に話していますから、自分で判断し、考えていただきたいと思うのですが、案外、私たちは知らないうちに、金の奴隷になっているのかもしれません。日本は、金の奴隷傾向が強い国になっています。
 しかし、金を奴隷にしている国は、知らないうちに豊かになっています。私たちが常日頃、当然としている考えの中にも、悪魔が働いている事に気づかされます。今年は、積極的に、不正の富を勝ち取っていただきたいです。

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 前回もちょっと話しましたが、今、仮想通貨が話題になっています。たとえば、仮想通貨の代表格であるビットコインは、七年前は一万ビットコインが、たったピザ二枚の価値でした。
 しかし現在、一ビットコインは、先日、二百万円以上になりました。初めから比べたら、二千万倍以上になったのです。七年前、ビットコインに一円を投資していたら、二千万倍ですから、二千万円になっているはずです。嫌になっちゃいますよね。経済の世界は、こんなもんです。

 主から知恵をいただいて、金を奴隷として、遣わす側に回ったら、経済だって豊かになるはずですし、経済の中で働いている悪霊どもを、奴隷に出来るはずです。彼らを凱旋の行列に引きずり出すことができるのです。そして、奴隷達によって、神の国を拡大できるのです。
 日本人として、金の奴隷になるのではなく、彼らを奴隷として、凱旋の行列に引きずり出し、勝ち取っていくような者になることを、主の御名によって祝福します!アーメン!
 今年は一円が何千万になるくらいの知恵を、主からいただいたらどうでしょうか。一円を投資したら、七年後に、二千万円になっていたとのことですが、七年前に一円を銀行に預けていたら、いまごろ消えています。不正の富の領域の人たちは、金を支配する情報をよく知っています。ゆえに、どんどん太るのです。そして、それらは悪魔の帝国のために用いられます。

 今年は、経済においても、聖霊の知恵をもらって生きていただきたいです。かなり具体的なところまで踏み込んでお話しましたので、みなさんが主との交わりの中で、理解していただきたいです。また近いうちに、このような事に関して、セミナーを行いたいと思います。霊的戦いの中で、経済を勝ち取り、悪霊どもを捕虜とするのです。

 クリスチャンにはなんとなく、金儲けに関しての罪悪感があります。どこに原因があるのでしょうか。それは、その領域に悪霊が働いているからです。しかし、今度はその領域の悪霊どもを捕虜とするという、逆の意識を持ち始め、霊的戦いの中で経済に関わり出したら、金の奴隷ではなく、神の国を拡大するために、喜んで勝ち取ることができるはずです。
 今年は多くを勝ち取って、主の為に捧げて下さい。
 一円が二千万円になったら、ふところは痛みません。世界は、そのように動いていることを知って、悪霊どもを捕虜としていただきたいと思います。

 二〇一八年、六人の牧師たちが語ったメッセージを、私が独断と偏見でまとめさせていただきました。
 昨晩、集会が終わって、ちょっと疲れて寝てしまいました。それで今朝早く起きてまとめました。

<二〇一八年、預言的メッセージ>

 あなた方は世の光です。どこにも隠れることは出来ません。あなたがたの光を、すべての領域に輝かせなさい。与えられた、霊的戦いの剣を輝かせて戦いなさい。二〇一八年は、全集団が備えをし、世界に攻め上る年となります。
 そのためには、それぞれに与えられた賜物を駆使し、信仰の一致と、知識の一致をめざし、成長しなさい。それはわたしの、壮大なプロジェクトを実現する為に、どうしても必要な事です。  
 今年は、教会に川が流れます。その流れは「聖霊の流れ」です。わたしから流れ出る、水の中に常に浸っていなさい。そこにはいやしがあり、成長があり、繁栄があります。
 聖徒達のいのりは、立ち上る香の煙のようです。そのいのりとは、あなたがたの願いとは別の、わたしの計画を実現させる為のとりなしの祈りであり、それが聖霊のうめきです。そのうめきに耳を傾け、全被造物と共にとりなし、祈るとき、地にわたしの計画は実現します。  
 今まで、不可能だと諦めていた封印を解き、わたしがかつて墓の前で、「ラザロよ。出てきなさい!」と命じたように、不可能に見える領域に対して、宣言しなさい。そのとき、死者が自ら出てくるような、信じられない奇跡が起きます。
 すべての被造物に対し、わたしを賛美するよう命じなさい。それが人類の役割だからです。わたしがゲラサに行った時、レギオンがひれ伏し、わたしを礼拝したように、彼らを捕らえ、武装を解除し、彼らにも、わたしを誉め称えるよう命じなさい。 
 経済の領域に、サタンの王座が存在します。あなた方は不正の富を勝ち取り、神の国の為に用いなさい。金の奴隷となってはいけません。そこにはあらゆる悪しき根があるからです。むしろ、金を捕虜とし、彼らを奴隷とし、神の国実現の為に働かせなさい。そのとき、サタンの王国は破壊し、あなた方の戦いも終わるからです。 
 二〇一八年、わたしの日はさらに近づいています。


 このように、まとめさせていただきました。これが一人ひとりに実現するよう、また、教会に実現するよう、切に祈り続けていきたいと思います。

 最後に、聖餐式を持って終わりにしたいと思いますが、二〇一八年、主が語ってくださったみ言葉が実現しますよう、祈りつつ、聖餐式に入りたいと思います。
 一言祈ります。

 ハレルヤ。父なる神様、感謝いたします。二〇一八年のために主が語ってくださったことを、聖霊によって受け取ります。どうか神の国の実現のために私たちを用いてください。今日ここにあります、パンとぶどうのジュースを祝福してください。十字架の血潮を通して、全被造物に主をほめたたえさせることができますように。悪魔・悪霊どもでさえ捕虜とし、凱旋の行列に引きずり出し、彼らに主の名を誉めたたえさせることができますように。
 特に今年は、経済の領域で勝利を与えてください。尊きイエス様の御名を通して祈ります。

アーメン。