「神様の巨大プロジェクト」

2018年2月11(日)
新城教会牧師 岡本信弘
エペソ人への手紙4章11〜13節

『こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。』

  ハレルヤ! 主の御名を賛美します。寒い日が続いていますが、皆さんお元気ですか?
 私は先週インフルエンザにかかってしまいました。普段あまり熱を出したことがないということもあり、三十九度何分まで上がって、ちょっと大変でした。実は、家内が先にインフルエンザになり、私が手厚い看病をしたために(笑)というわけではありませんが、その前から私が風邪気味だったこともあって、移ってしまったようです。
 私もたまに熱を出しますが、病気で仕事や礼拝を休んだのは七年前の二月以来です。七年前も大変だったなと、つい最近のことのように思い返したりするわけですが、でもこうして今日、健康でこの場所に立つことができ、皆さんと共に主を賛美できる恵みを本当に感謝いたします。

 二月という月を考えると、様々なことが起こったことが思い出されます。先週も順先生がお話しされていたように、二十六年前、聖霊が激しく臨んだのが二月十三日でした。
 そして、一九九三年に開催された甲子園ミッションの準備がスタートしたのも、その前年の一九九二年二月からでした。このことは、後でまた少しお証ししたいと思います。

 さて、今日二月十一日は何の日か知っていますか? 建国記念日で祝日となっています。建国記念日を法律で定めて祝日とする国は多いですが、いつを建国記念日とするかは、国によって異なります。
 日本では実際の建国日が明確ではないため、日本神話をもとに定められています。日本神話の登場人物であり古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日が、紀元前六六〇年一月一日と日本書紀に記されており、明治に入り、その日を新暦に換算した日が二月十一日ということで定められたようです。建国記念の日が、日本神話の偽りの土台の上にあることを覚え、私たちクリスチャンはこの国を勝ち取る祈りをしてまいりましょう。

 早いもので、あっという間に一ヵ月半がたとうとしていますが、今日は、昨年十二月三十一日のカウントダウンで語らせていただいた御言葉をもう少し掘り下げて学んでみたいと思います。その時は、今日お読みしたエペソ人への手紙 四章十一〜十三節の御言葉から、「キリストにある一致」ということをお話ししました。教会には様々な働きがありますが、最近、皆が一致して働くことの重要性を、あらためて教えられています。

 今、冬季オリンピックが開催されていますね。冬季オリンピックは割合個人競技が多いわけですが、先日、ここで、「将来、サッカー選手になりたいです」と語った少年がいました。それを聞いて、そんな夢を見ることができるのはうらやましいなぁと思いました。
 私は運動が苦手でした。滝元家、見城家、岡本家は家も近く、子どもが多かったのですが、岡本家だけが運動神経が鈍かったのです。運動会で走ると、六人走って私はいつも五番目でした。私はまだビリではなかったのですが、私の兄や姉は、六人走ったらいつも六番でした。しかし、滝元家、見城家の子どもたちは皆、いつもトップを走っていました。そんな運動神経の鈍い者からすると、サッカー選手になることなど夢にも思えないことで、そんな夢が持てるなんて素晴らしいなと思います。
 皆さんがサッカーに興味があるかどうかわかりませんが、今年は、サーカーワールドカップが行われる年です。昨今、若者には野球よりもサッカーのほうが人気があると言われていますが、チームプレーである以上、ゴールキーパーや守備にあたる人がいなければ、どんなに得点力のある素晴らしい選手が一人いたとしても、攻撃だけでは試合に勝利することはできません。また野球でも同じです。どんなにすごいホームランバッターがいても、相手を抑える投手や鉄壁の守備がなったら負けてしまいます。
 同じように、教会の働きも牧師やスタッフが働いただけで教会が成り立つわけでもありません。また、ここにおられるクリスチャンお一人おひとりは、神様のために何かしたいと思っておられることと思いますが、一人だけでできることは限られていますし、一人だけでは成長もできません。

 一般社会で大手の会社は、毎年、何千人という人を入社させるわけですが、そのためには当然、一次試験、二次試験と何回も試験をし、上司や人事担当者が面接をして、なんとか有能な人材を獲得しようとするわけです。しかし、試験や面接だけで、その人が本当に優秀かどうかを見極めるのは至難の業です。
教会の働きにおいてはだれがどうやって私たちをここに集めたのでしょうか。それは、神様が私たちを選んでここに導いてくださったのです。そのことをまず、覚えていただきたいのです。
そして、集められた目的は何かと考えた時、「プロジェクト」というキーワードが私の頭に浮かんできました。
 プロジェクトとは「ある大きな目標を達成するための計画をして実行すること」という意味があるわけですが、そのプロジェクトを進めるにあたっては、それぞれの分野から卓越した技術を持つ、数十人、ある時には数百人のスタッフが集められ、プロジェクトチームを作り、目標達成に当たるわけです。
ネットで、「巨大プロジェクト」と検索してみると、世界において成し遂げられたプロジェクトが出てきました。私は、その中の二つに目がとまりました。

 一つは、皆さんの中でも覚えている方も多いかと思いますが、アメリカ宇宙局(NASA)により一九六一~一九七二年にかけて実施された、人類初の月への有人宇宙飛行計画、アポロプロジェクトです。九年間で、約四十万人の人がそのために雇用され、六回の有人月面着陸が成功したという、偉大な事業なのですが、そこには同時に二万以上の企業や大学が協力し、お金を出し、技術を出し、この壮大な事業計画が進められていったそうです。人類史における科学技術の偉大な業績としてもしばしば引用される出来事です。
一方、プロジェクトといっても良いことのためだけに組まれるわけではありません。
 皆さんが知っているかどうかわかりませんが、マンハッタンプロジェクトというものがありました。これは、第二次世界大戦中の原子爆弾製造計画の別名で、ナチス・ドイツなどが原子爆弾開発計画をしているということを知ったアメリカ、イギリス、カナダが焦って、原子爆弾開発・製造のために、科学者、技術者を総動員して、七万五千人を雇用して行われた巨大プロジェクトなのです。結果的に原子爆弾が完成して、一九四五年、広島・長崎に投下され、数十万人が犠牲となってしまったのです。 

 このように、目標達成のために人員が集められ、専門家がかかわり、計画し実行してくのがプロジェクトであるわけですが、プロジェクトの成功には、三つのことが重要であるとある本に書いてありました。
 その一つは、「一人ひとりが自分の役割を認識すること」。何人もいるから、一人くらい何もしなくても関係ないと自分の役割を怠ったらプロジェクトは成り立ちません。
 二つめは、「同じ目的意識をもって前進すること」。すぐに達成できることは少ないので、しっかりした目的がないと途中で挫折してしまう可能性が高いので、協力して、お互いが目的意識を共有することが重要です。
 そして三つめは、「皆が成長して目的を達成すること」、とありました。当たり前のことですが、答えのないものを探り出し、作り上げていくわけですから、同じところにとどまっていては新しいことを得ることはできないのです。ですから、一人ひとりが成長し前進させなければなりません。

 これは、キリストのからだを建て上げるためのプロセスにも通じるところがあります。
 まず一つは、神様が「あなたを選び、役割を与えた」ということです。一般の会社経営でいちばん重要なことは、どれだけ有能な人材を確保するかです。神様は、キリストのからだを建て上げるためにあなたを選び、賜物を与え、あなたに合ったふさわしい役割を下さっています。エペソ四章十一節には、このように書かれています。

『こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。』

これはほんの一例です。会社においては、試験を通った人が有能な人材と認められ雇用されるわけですが、その人が会社の期待どおりの働きをするとはかぎりません。私たちクリスチャンも、神様に選ばれたといっても、その選びにふさわしい働きをしなければ神様の計画に狂いが生じます。
 皆さんの中には「私のような何も役に立たない者がなぜ選ばれたの?」と思っておられる方がおられるかもしれません。私もその一人ですが、ヨハネ十五章十六節には、次のようにあります。

『あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。』

皆さんもよく知っている有名な御言葉だと思いますが、ここには、私たちが神様を選んだのではなく、神様が私たちを選んでくださったと書かれています。一般社会においては、人が考え、人が選ぶわけですから間違いがあるかもしれません。しかし、神様の人選には間違いはありません。神様はご計画の中で、私たち一人ひとりを神の国の働きのために選び、それぞれに必要な賜物を与えてくださっているのです。
創世記十二章に、アブラハムが(この当時、まだアブラムでしたが)、神に召し出されたことが書かれています。

『その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがカランを出たときは、七十五歳であった。』(創世記十二章一〜四節)

 この時、アブラム自身も、「なぜ神様は私を選んだのかな?」と思ったかもしれなません。だれの協力もない、何の力もないアブラムでしたが、後に彼の子孫からイエス・キリストが誕生するという壮大な神様の計画のもとに、彼は選ばれたのです。そのことは、後から知ることになるわけです。

 私も幼い時から献身したいと思っていましたが、今から三十七年ほど前、この会堂が完成して二年目の時、「神様は、私のような何もできないし、話すことが下手で、頭の悪い者を本当に選んでおられるのかな?」と献身すべきかどうか、悩んでいました。
 当時、礼拝には百二十~百三十名が集っておられたと思いますが、すでにスタッフが数名いた頃で、そんな中、私は滝元明先生に、「この教会には、あと何人の献身者が必要ですか?」と聞いてみました。その時先生は、「神様は私たちに五百名入る会堂を与えてくださった。しかし、五百名の人が来た時にそれに対応する働き人が用意されていなっかたら、神様は魂を送ることはない」と言われました。私はそれを聞いて、「今が神様の時だな」と思って献身させていただきました。明先生が語られたその言葉は、生涯ずっと忘れることができない言葉であり、私の献身を決断させてくれた言葉でした。

 時は流れ、一九九〇年にプレイズ出版が始まり、今年で二十八年になります。そして、プレイズ出版が株式会社として独立して六年、新規事業展開を進めて丸三年となります。そして、この働きにかかわってくださっている働き人は、プレイズ出版全体で四十名ほどですが、神様がそれぞれの働きのために選び、導いてくださった人々であることを感謝します。
 皆さんが心配してくださり、「先生、事業大丈夫ですか?」と声をかけてくださり、プレイズ出版の働きのためにいつもお祈りいただきありがとうございます。事業の報告をすることも、お礼を言う機会もなかなかなく、本当に申し訳なく思っています。高いところからですが、いつもお祈りをありがとうございます。心から感謝しています。
 少し報告させていただくと、老人ホームのアークホームは、入れ替わりはありますが、十三室が満室の状態です。一階にあるデイサービスしおんも、一日十五名定員のところ、毎日ほとんどいっぱいで、時にはお断りしている状態です。
 そして、就労支援B型の施設シャロームも、昨年の今頃は、利用者さんも少なかったのですが、だんだん軌道に乗りつつあり、現在は、毎日十~十二名くらいの方々が利用してくださっています。
 印刷出版部門は、皆さんご存知のようにペーパーレスで縮小傾向にある大変な業界ですが、昨年よりも売上が少し上がって祝福されていることを感謝します。
 今いちばん心配しているのはレストランです。飲食部門は、私が思っていた以上に大変です。これから四年目を迎えますが、メニューのリニューアルや新メニューの開発など、いろいろ検討しています。大変ではありますが楽しみでもあります。
このように、プレイズ出版は、それぞれの部門で働きが違います。

エペソ四章十二節に、『聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり』とありますが、一人ひとりが、「これをしたい、あれをしたい」と、自分のためではなく、また、「これができるから、あれができるから」と、できる力があるからではなく、足りないものであってもできることをさせていただきたいという思いの中で整えられ、遣わされた場所において神様に仕えていくことが、神様のからだを建て上げるというプロジェクトを成功させることにつながっていくと思います。
プレイズのスタッフは、一人ひとり能力やできることは違うわけですが、皆クリスチャンで、神様のために働きたいという献身の意思をもって入ってきてくれた人たちばかりで、忠実に働いてくださっていることを感謝します。いろいろ大変なことはそれぞれの部門にありますが、スタッフにとっていちばん大変なのは、知恵もない、力もない、足りないことだらけの社長についていくことかもしれません・・・。
この働きはただただ主の夢の実現のために始められたことですので、プレイズ出版全体の働きのために、ぜひ続けてお祈りいただければと思います。

 次に、プロジェクトを成功させるために大切なことは、「一致して前進する」ということです。「一致」という言葉は、世の中でもよく使われますが、言うはやすし行うは難しで、簡単ではありません。
 一般社会では、同じ趣味や同じ学校・部活、同年代、同郷といったことがきっかけでグループをつくります。共通のものがあれば意気投合しやすく、話も弾むと考えるのは普通です。しかし、その人たちが必ずしも一致しているとはかぎりません。時に、お互いをけん制したり、相手を陥れようとしているかもしれません。一致するには信頼関係が不可欠です。憎しみ合っている者が一致することはできないのです。
 そのことを察してか、パウロは、少し前の三節で、『平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい』と教えています。
 教会というところは、年齢、職業など、さまざまな違いを持つ人が集いますから、普通で考えると一致は難しいと思われます。確かに皆さんの中でも性格の違う人は大勢いますよね。この人とは性格が合わないなと思う人がいるかもしれません。しかし、教会は一つの大きな神の家族です。家族には、信頼と愛情があり、主を中心に一致できる集まりといえます。
 現在、新城教会には七百名以上の教会員がいます。感謝なことにこの教会には幼い子どもからお年寄りまで、年代も幅広く、バラエティーに富んだ人たちが集まっていますが、麗しい関係が培われています。皆が一致していくためには御霊の一致が不可欠です。御霊の一致がなかったら、一致することは不可能なことです。御霊によって一致するなら、互いのために祈り、とりなすことができます。それは時に、家族の血縁以上のつがなりとなります。

 しかし、クリスチャンといっても御霊の一致が難しい場合があります。
先ほどお話した全日本甲子園リバイバルミッションがスタートした時、一九九二年から一九九三年の二年間で、私は十年くらい寿命が縮まったかと思うほど、様々な問題が起こりました。多くの人々が協力をしてくれた一方で、多くの人の誹謗中傷、反対があり、「同じクリスチャンなのになぜ?」と思うほど、御霊の一致には程遠いものでした。
 近年のキリスト教会においては、この全日本甲子園リバイバルミッションこそ、巨大プロジェクトだったと思います。しかし、このプロジェクトに、知識を持ったプロが集まったわけでもなく、大集会を導く経験者がいたわけでもありません。何も知らない、力のない弱い者が集まり、ただただ主に期待して始めたわけですが、それをよく思わない人たちが大勢いました。
 この働きが始まった当初、明先生が、「この指とまれ!」と題して、「一切の組織を作らず、教会でも個人でも、祈っていただける方、協力していただける方たちと手を取り合って進めていきます!」と宣言しました。それは、今までのキリスト教会の常識では考えられないものであったわけです。
 そうすると、全国から聞こえてくるのは、「今のキリスト教会でそんなことをしても集まるはずがない」、「そんなことを言って、生意気だ」といった批判でした。キリスト教会で有名な伝道者と言われる偉い先生から、「私のところにあいさつに来ないなんて・・・」などと言われたこともありました。教会内においても、「私利私欲のためにやっている」など、様々な反対運動が起こって、ぎくしゃくしたことがありました。
 それでもこのプロジェクトが進んでいったのは、聖霊様の働きだという確信を持った人たちによる御霊の一致があったからこそ、乗り越えられたのです。反対も激しかったですが、次々と全国各地から祈りのサポーターが手を上げてくださり、確かに聖霊様によってこの働きが進んでいったことを見ることができるわけです。

 エペソ四章十三節前半には、『ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、・・・』とあります。
 信仰の一致とは、私たち一人ひとりが、唯一の神であるイエス・キリストから目を離さないことです。そして、知識の一致とは、ただ単に知識を蓄えることではなく、祈りや御言葉を通してイエス様をもっと知ることです。
 全日本甲子園リバイバルミッションは、人間的な一致とか人間的な策略ではなく、「信仰の一致と神の御子に関する知識の一致」を皆が第一に求め、いつもイエス様から目を離さないで祈り、イエス様を慕い求めていったからこそ、主が働いてくださり、血のつながり以上の一致生み出し、大きな祝福をいただくことができたわけです。

 そして三つめは、「キリストに似た者となる」ことです。エペソ四章十三節の後半では、『完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです』とあります。クリスチャンとは、「キリスト者」、「キリストに似た者」という意味がありますが、皆さんは、キリストに似た者になることができていますか? 似た者になるためには、イエス様がどんな方かを知らなければ、キリストに似た者になることはできないでしょう。
 今日は、ゴスペルクワイヤーの方々が、「神は愛なり」という素晴らしい賛美をしてくれました。第一ヨハネ四章十二〜十三節には

『いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。』

とあります。私たちは直接神様を見ることはできません。しかし、愛なる神様を信じる私たちがそのご性質にあずかり互いに愛し合うなら、神様が私たちのうちにおられることがわかり、ますます神を知り、神様に似た者になることができるのではないでしょうか。
 聖書の別のところには、ある律法学者の一人がイエス様のところに来て、『すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか』と尋ねた時のイエス様の答えが書かれています。
 
『「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」次にはこれです。「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」この二つより大事な命令は、ほかにありません。』(マルコ十二章三十〜三十一節)

 ここでも、最も大切なものは、「愛」だと教えています。神様自身を愛すること、そしてその神様の愛をもって隣人を愛すること、これがいちばん大事なことなのだと。私たちが愛を実践してキリストに似た者となることは、かなりハードルが高いことかもしれません。

 しかし、ヨハネ十五章十六節後半には、こんなことが書いてあります。

『それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。』

神様が私たちを選んでくださったのは、私たちを祝福するためであることがわかります。これこそ、神様の私たちに対する愛です。ですから私たちは、そんな神様の思いを受け取り、神様に似た者とされ、愛を表していくことがすごく重要であるということを覚えていただきたいと思います。

 今、三つのことをお話ししましたが、少しまとめをしたいと思います。今日のテーマである「神様の巨大プロジェクト」の成功は、新しい神の国の到来をすべての被造物が神様と和解し、そして主をほめたたえる者となるということにかかってくるかと思います。
 聖書は、『はじめに神が天と地を創造した』(創世記一章一節)という御言葉から始まっています。
 神様は、五日間ですべての被造物を造り、六日目に人類を創造されたとあります。まさしくそこは楽園であり、人もすべての被造物も神様をほめたたえ、毎日が喜びに満ちていたことでしょう。しかし人類は、サタンの誘惑に負けて神様を裏切り、罪が入り込んだために神様との交わりが絶たれてしまったのです。
 そんな神様を裏切った人類に対して、神様はもう一度その関係を回復させようと、人間を含むすべての被造物をサタンの手から神の手に奪い返すために、ひとつのプロジェクトを始められたのです。
 それは、今から二千年前、神がひとり子であるイエス様をこの地上に下さり、イエス様は、人類のすべての罪をその身に負い、十字架にかけられ死んでくださっただけでなく、三日目によみがえり、もう一度神様との交わりを回復するルートを作るという、壮大なプロジェクトでした。これは、人間の救いと、神様との関係の回復です。しかし、それだけではこのプロジェクトは不十分です。
 順先生が今年のテーマに掲げておられるコロサイ人への手紙二章十二〜十五節から、『彼らに主の御名をほめたたえさせよ』と語られているように、すべての被造物をサタンの手から奪い返す働き、これが私たちクリスチャンに委ねられた大きなプロジェクトのひとつでもあります。
 コロサイ人への手紙二章十五節に、

『神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。』

とあります。つまり、今までサタンの支配下にいた私たちや、サタンの言いなりになっていたすべての被造物が、逆に神の支配下に移され、すべてのものが主をほめたたえるものとなる、と同時に、サタンさえも捕虜とし、凱旋の行列に加えるようにすること。すべてのものを神様の前に膝をかがめさせ、主を賛美させる働きをするために、私たちが選ばれたということです。そのために、神様は私たちに巨大プロジェクトを与え、それを遂行させようとされているのです。
 
私たちは本当に弱い者で足らない者ですけが、まず神に選ばれた者であること、役割が与えられていることを知ってください。そして、自分に託されたものが何であるかということを祈り、教えていただきましょう。一人ひとりは役割も違うし、それぞれにできることも違いますが、無理なことを神様は皆さんに求めているわけではなく、それぞれに賜物を与え、やるべき働きを委ねておられます。私たちはそのことをしっかりと自覚し、そして私たちに与えられた御霊の実を実らせていきましょう。御霊の一致を求め、他の人と理解し合い、互いにとりなし合い、キリストに似た者に成長させていただきましょう。
 そして、神様との関係修復のために立ててくださった神様の巨大プロジェクトにより救われた私たちは、さらに多くの人々の救いのために、また、すべての被造物が主を賛美させる新たなプロジェクトのために召されていることを忘れてはなりません。
 
皆さんは、まだ自分の賜物が何かわからないかもしれませんが、「神様のプロジェクトに参加している私を、主よ、使ってください。何もできない者ですが、できることで主に仕えていきます」と今、祈りたいと思います。お一人おひとりが御言葉によって教えられたことに思いをめぐらし、再献身をして祈りましょう。そして、この二〇一八年、神様の巨大プロジェクトに参加している者にふさわしく、主に喜ばれる働きをしてまいりましょう。



 代表してお祈りします。

 愛する父なる神様、御名をあがめます。こうして今日、皆が集められて、主を賛美し、主の恵みの中に、祝福の中にあることを心から感謝します。
 神様に背を向けた私たちをもう一度、主のもとに交わりを回復させようとしてくださっていることを心から感謝します。そのためにひとり子イエス様をこの地上に送ってくださり、救いを完成させてくださり、同時にこの地上の働きを私たちに託してくださり、そのためにここにいるすべての人を選んでくださったことを心から感謝します。
 私たち一人一人がその選びにふさわしい働きをすることができるように、主よ、助けてください。肉体的な健康を与え、霊的な健康を与え、そして魂の健康をもって日々喜んで主に仕え、主のために働くことができるように導いてください。互いに愛し合い、キリストに似た者となり、主のプロジェクトの一員としての役割を果たせるよう導いてください。
今日、ここに集まったお一人おひとりを、そしてインターネット礼拝をされている方々の上にも、同じ恵みと祝福、主の業を現してください。信仰を持って、主の御名によって祈ります。アーメン。