「彼らに天と地をほめたたえさせよ!パート9
 〜天と地は主をほめたたえよ!〜」

2018年5月6(日)
詩篇69篇34節

『天と地は、主をほめたたえよ。海とその中に動くすべてのものも。』

 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。ゴールデンウィーク、最後の日となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
 早織さんの演奏、すばらしかったでしょう。今度、早織さんの演奏のCDが出ます。三週間くらい前に、録音が終わっています。楽しみにしてください。でも一つ問題があります。それはちょっと資金が足らないようです。ちゃんと出せるように、祈ってあげて下さい。またみなさんの中で、心ある方は、少し助けてあげたら、良いものができるのではないかと思います。

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 先週は、四十八時間、連続で賛美する集会がありました。出られた方も多くおられると思うのですが、「リバイバルプレイズ48」という集まりでした。本当に恵まれました。全国から、多くの教会から、今回は若者が多く参加して下さいました。今朝ある若者に、「何時間出た?」と聞いたら、「四十八時間すべて出ました!」と言うのです。会場で寝ていたみたいですが、それでもすごいです。
 四十八時間連鎖賛美だなんて、過激なことをやるなぁと思うかもしれません。しかし、これは大きな意味があるからやっているのです。
 実は四十八時間連鎖賛美は、詩篇百四十九篇に基づいています。詩篇百四十九篇は、ご存じのように、最高の賛美、最高に高められた賛美について述べています。
 最高に高められた賛美は、「諸刃の剣」となって、神様は究極的に讃えられるし、もう一方では、「国々に復讐する」とか、「鎖で彼らの王たちを、鉄のかせで彼らの貴族たちを縛るため」「さばきを彼らの間で行うため」という、霊的戦いにおいても大きな役割を果たします。
 その究極の賛美が、どこで発生するのかというと、「床の上」です。なんと、床の上なのです。この二日間、この会堂が多くの人たちにとっては床の上となりました。パウロとシラスのように、眠らないで主をほめたたえていました。
 以前にもお話ししましたように、パウロとシラスが夜中に、床の上に起き上がって、祈りながら、主をほめたたえている時に大地震が起こって、牢獄が壊れて、牢獄を監視していた監守の家族全員が救われたという記事があります。それは町を支配する、最も強い存在が打ち破られた証拠でした。
 四十八時間連鎖賛美は、床の上賛美です。普通は眠ってしまう時間に、あえて起き上がって、主をほめたたえる時、大きな勝利が与えられるのです。

 また百四十九篇は、百四十八篇の継続の中で語られている「ハレルヤ詩篇」です。最高に高められた賛美とは、どういうものか。それは、天と地の賛美です。
 詩篇百四十八篇を分析してみますと、まずは天での賛美から始まります。「いと高き所で賛美しろ!」と命じられています。それは神の国の賛美です。「すべての御使い、日、月、すべての輝く星、天の天、天の上にある水」が主を賛美するよう、命じられています。
 続いて、地での賛美が命じられていて、「海の巨獣、すべての淵、火、雹、雪、煙、あらし、山々、すべての丘、実のなる木、すべての杉、獣、すべての家畜、はうもの、翼のある鳥」と自然界も、動物たちも、主を賛美しろ!と命じられています。
 そして最後に、「地の王たち、すべての国民、君主たち、地のすべてのさばきづかさ、若い男、若い女、年老いた者、幼い者」と、人類が、聖歌隊に加わるのです。

 この最も高められた、究極の賛美は、被造物全体の賛美を表します。そのことを意識した者たちが、夜を徹して床の上で賛美する時、すごいことが起きます!と、教えています。その結果、地球を支配している、宇宙を支配している敵の首領たちが打ち破られるわけです。
 百四十九篇九節は、

『それは、すべての聖徒の誉れである。ハレルヤ。』

と結んでいます。私たちは主の聖徒たちです。クリスチャンの最も栄えある仕事、誉れある仕事は、詩篇百四十八篇と百四十九篇に述べられていると思われます。四十八時間に渡って、このことを実行しましたから、天で地で、大きな変化が起こったと信じます。そして今日のみ言葉は、詩篇六十九篇三十四節です。

『天と地は、主をほめたたえよ。海とその中に動くすべてのものも。』

 神は天と地を貫き、創造主をほめたたえることを望んでおられます。それゆえに、「リバイバルプレイズ48」を開催させていただきました。そして今日の午後からは、「四十八時間プラス」という賛美集会があります。プラス二時間で、合計五十時間になります。最後の二時間は一番おいしいところかもしれません。神様の働きは、最後に良いものが出るからです。最後の二時間、是非、賛美して下さい。出ることのできない方は、その時間を意識し、心の中で、または賛美を口ずさんでください。

 近頃良く話していますが、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい!とありますが、新改訳聖書だと、「者」と人になっています。しかし福音は本来、ギリシャ語では、「All creation」、「すべての被造物」に対するものです。
 福音が、人だけのものなのか、すべての被造物に対するものなのか、この理解が違うだけで、キリスト教全体の枠組みが大きく変わります。本来は “Preach the good news to all creation.”です。すべての被造物が、神によって回復され、救われるのが福音です。
 そのために働く者たち、選ばれた者たちが誰であるかというと、「彼らに主の名をほめたたえさせよ!」と百四十八篇で二回ほど述べられていますが、これこそ、人の役割です。
 イエス・キリストを信じて、それで終わりではないのです。神が造られた被造物全体に福音を宣言する、すなわち、彼らに主の名をほめたたえさせる役割、それが人類です。

 話は変わりますが、先週はアメリカからチームが来てくださいました。

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ジョー先生が先週はメッセージを取り次いでくださったのですが、人間にも、肌の色が違ったり、文化が違ったりと、多様性があります。
 そんな中、日本人だけでなく、他の国々の人たちが加わって賛美したり、一緒に祈ったりする時、普通では開かれない扉が開かれるのです。日本人って、案外、小さくまとまりやすいのですが、殻をやぶって、全世界に出て行く時に祝福されます。全世界で主をほめたたる時、すばらしいことが起こるわけです。
 今回は、十一名の方々がヤキマから来てくださいました。それで私たちは、いろいろな場所に行って賛美したり、祈ったりしました。これから新しいことが起こるのではないかと期待します。

 前回、ジョー先生が来られた時、本当に不思議なことがありました。前にもお話ししたことがあるので、覚えているかもしれません。そもそも、ジョー先生や、ヤキマの方々と出会うきっかけは、今から三十年くらい前、綾子ビラップスさんという方と偶然、ハワイから日本に帰って来る大韓航空の機内で出会ったことでした。その出会いから、すべてが始まったわけです。あれも本当に不思議でした。
 しばらくして綾子さんは、タコマに移りました。あの辺には、教会がいっぱいあります。彼女は、「主よ。どの教会に行ったらいいですか?」と祈ったそうです。普通は大きな教会に行きそうだけれども、少し危ない地域の、小さめの教会に入った時、「この教会に属しなさい」と主が語られたそうです。すると、その教会で当時、副牧師をやっていたのが、ジョー先生でした。
 そんな繋がりから、今では切っても切れない関係になりました。私の姪っ子のやえは、ジョー先生の長男と結婚して、ヤキマに住んでいます。

 何年か前、ジョー先生の娘がヤキマのスタバで働いていました。ある時、東洋系のおばあちゃんが、夕方になると店に来て、新聞を読んでコーヒーを一杯飲んで帰って行くというわけです。もしかしたら日本人かなぁと思ったらしいです。日本人って、どこに行っても、振る舞い方というか、空気感に独特のものがあります。だから、日本人かもしれないなと思って話しかけたら、やっぱり日本人だったというのです。それで、やえに紹介したそうです。
 その方は、ご主人が軍人で、アメリカに住むようになったそうですが、ご主人がベトナム戦争で戦死して、ひとりぼっちになり、日本人なんかほとんど住んでいない街に一人で、三十年以上暮らしていたそうです。周りの人たちとも、あまり交流がなく、英語も十分じゃなかったらしいのです。

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 その人はメリーさんという、おばあちゃんです。ジョー先生が日本に来た時、メリーさんの事を考えると、心が痛いというのです。なぜなら、アメリカと日本の関係の中で、戦争によって彼女の人生が大きく変わったからです。元々は、この方は東京に住んでいたわけです。このおばあちゃんを自分たちが世話したいといって、ジョー先生と教会が、おばあちゃんの後見人となって、今は、養老院に入ることができました。おばあちゃんはヤキマの教会に、すごく助けられています。
 ジョー先生達が日本に来た時、是非とも、おばあちゃんがかつて住んでいた東京に行って祈りたいと言うのです。「おばあちゃんの昔の住所が分ったら、その場所に行って祈れば、現実感があっていいのでは?」と言うと、おばあちゃんは70年近く前に、世田谷に住んでいたというのです。
 しかし、世田谷区って、百万、二百万もの人たちが住んでいて広いのです。だからこの中から、七十年も前のおばあちゃんの痕跡を見つけるのは、大海の小石を拾うようなもので、絶対に無理です。
 それで、どこで祈ったらいいのかなと、ちょっと悩みました。でも祈っている時に、ふっと、すばらしい場所が思い浮かびました。それは、東名高速道路の入口って、世田谷にあります。そして入口の左側に、マックがあります。アメリカ人に困ったら、マックに連れて行けば大丈夫です。マックに行って、喜んでもらいながら、マックはアメリカの企業ですから、日本とアメリカという関連性もあるし、世田谷だし、すべての条件を含んでいます。そこで、おばあちゃんの祝福を祈ればいいじゃないかということで、世田谷のマックで祈ることにしました。それをコースの一番最後に組んで、新城に帰る前に、マックに行って祈れたらいいと、考えました。

 その日、マックに向かって、スタッフの一人が車を運転していましたが、途中で道を間違えて、寺みたいな所に入ってしまいました。東京ですから、道を間違えても当然だと思いますが、運転手の彼がこう言いました。「ばあちゃんは昔は仏教徒だっただろうから、寺で、とりなして祈ったほうがいい。」と、自分の正当性を主張するわけです。それもそうだなと思いました。しかし寺の入り口に、「無断立ち入り禁止」とありました。「無断で立ち入ったら即刻、警察に通報します。」とか、恐ろしいことが、そこら中に書いてありました。しかし、彼は、その寺にバスを乗り入れてしまいました。私はちょっとどきどきして、「早く、ここから出て!」と言ったのですが、袋小路みたいになっていて、あっ、あっ、みたいな感じで中に入ってしまいました。困ったな・・・と思いました。
 そうしたら、彼がまた「外人さんたちが来たのだから、ここで観光すればいい。」みたいなことを言って、「寺の事務所に頼むか・・。」とか言いました。「じゃぁ、おまえ行って来いよ」という感じだったのですが、その寺は巨大な墓場を併設していて、無茶苦茶広いのです。何万という石塔が建っていました。そうしたら彼はこう言うわけです。
 「たぶん、おばあちゃんは昔は、祖先崇拝をしていたと思うよ。祖先崇拝は霊的には一番悪い行為だから、この場所で断ち切りの祈りをしたら効果的だ。」と、さらなる正当性を主張しておりました。私はおなかも減っていたので、マックに行きたくてしょうがなかったのですが、彼はそういうわけです。
 世田谷には墓は多くあります。その中で、おばあちゃん関連の墓が、万が一あったとしても、そんなもの絶対に見つかるはずがありません。
 みなさんもどうですか。自分の家系の墓でも見つけるのも、結構、難しいですよ。
 すでに夕暮れになっていて、さらに難しい環境でした。墓場にふらっと入ると、一つの石塔が目にとまりました。
 面倒だから、ここで祈ろうと思いました。目の前にあった石塔には、「小原家の墓」とありました。ジョー先生に、「メリーさんの日本名はなに?」と聞いたら、「大原さん。」と言いました。「大原も、小原も同じようなものじゃないか。大は小を兼ねる!この場所は絶対にいい!」と、この場所でとりなして祈りました。
 さて、みなさん、この墓は誰の墓だったでしょうか。なんと、なんと、なんと、この墓は、おばあちゃんの両親の墓だったのです!
 メリーさんは大原さんじゃなくて、実際は、小原さんだったのです。アメリカ人にとって、オハラもオオハラも、同じように聞こえます。本当にびっくりです。
 私が写真を撮って、ヤキマに送ったら、「どうして我が家の墓が分かったの?」というわけです。
 その時、「主は生きておられる!」と確信しました。時には、人生でミスをするような事もあります。しかし主は、それさえも使って、主が導きたい場所に導くんだなぁと、なんか鳥肌が立ちました。

 みなさんも時々、ちょっとミスったかな・・・、まずかったかなということもあるかもしれません。しかし、そんなことも越えて、主は、事を行われるのです。
 私たちの神様は本当に、愛の深いお方だなぁと思います。七十年くらい前に東京から、アメリカに移った、このおばあちゃん、誰も知らないと思います。やえたちが発見しなかったら、今だって誰も知らないと思います。しかし主は、これほどまでして、おばあちゃんの祝福を祈らせるなんて、ただ事じゃないと思います。それは、おばあちゃんが特別ということも、あるかもしれないけれど、主の愛は全ての人に注がれています。今日ここに来られた、全員に、同じように主の愛は注がれています。いろんな事が重なって、この場におられるかもしれませんが、意味があるのです。それぞれに目的と意味があるのです。
 ある瞬間は、主が何をされているのか分からないことも多いのですが、振り返ると奇跡が見えるのです。「あのことがなかったら、今はない!」ということが、クリスチャン生活では、多く起こるのです。
 時々このような奇跡的を見せていただいて、主は私たちにも愛を注いでくださっていることを、確認するのです。

 今回、ジョー先生のチームと共に、いくつかとりなしに行かせていただいたのですが、飯田線を三時間くらい奥に入って行きますと、「平岡」という駅があります。平岡先生とは全く関係ないですが、誰も知らないような駅があります。
 以前にも、ちょっとお話ししましたが、かつてそこには、捕虜収容所がありました。

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 そこに平岡ダムというダムがあるのですが、このダムは捕虜たちとか、中国から騙されて連れて来られた人たちとか、当時日本は、韓国を併合していましたから、韓国人たちを連れて来て、造らせたダムです。この村には当時、韓国人たちだけでも、三千五百人くらい住んでいたというのです。
 特にひどい目にあったのが、中国人達と、連合軍の捕虜だというのです。小さな町なのですが捕虜収容所の跡地があって、記念碑も英語であります。

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 しかし、英語で書いてある内容と、日本語で書いてある内容は、全く違うのです。英語では日本がひどい事をしたと記されていますが、日本語は適当に書いてあります。日本は歴史を隠したいんだなぁと思いました。今回、ジョー先生たちとそこに行かせていただきました。
 そして一人のおじいちゃんと出会いました。村澤さんというおじいちゃんです。その方が小学生の時、その光景を見たというのです。毎日のように、捕虜が苦しんでいる様子や、ある時は殺される様子も見ていたというのです。小学校の低学年、七歳か八歳の時だそうです。今でも頭の中はその時の記憶で溢れています。その事実をなんとか後世に伝えたいという思いで活動をして、今や八十六歳です。捕虜たちは解放時に、アメリカ兵が九十三名、イギリス兵が二百十六名いました。捕虜達は飯田線を貨車に乗せられて、運ばれたわけです。飯田線は悲しみのラインです。
 今回、ジョー先生たちが行って、村澤さんの癒やしを祈りました。感動でした。

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おじいちゃん本当に癒やされていました。アメリカは戦争に勝ちましたが、捕虜の人たちはひどいめにあったわけです。捕虜収容所の所長たちは、東京裁判で死刑になりました。敵国の人たちがキリストの愛によってこの地に来て、おじいちゃんのために癒やしを祈ったのは、最高の回復でした。
 本当にイエス様は、愛の深い方だなぁと思います。私が三十年くらい前に、綾子さんと出会わなかったら、こういうことにはならなかっただろうなぁと、すべてが働いて益となるとありますが、主は一人のたましいを愛して、その人を回復しようとされています。

 今日ここに、神の愛から外れている人、忘れられている人は、誰一人いないのです。今はどう見えるとしても、これから二十年、三十年後、振り返ったら、本当にすごいことが起こっています。
 しかし、なぜ、これほどまでに、人は神の愛を受けるのか、それは被造物全体の回復の為です。「彼らに主の名をほめたたえさせる」という、その大きな働きのために、人類は特別に選ばれているのです。
 最初に読んだように、「天と地は主をほめたたえろ!」と宣言する役割として、私たちは選ばれているのです。

 人類の中で一番苦労した人物って誰かなぁと思います。聖書の中にモーセという人物がいますが、モーセほど苦労した人物はいないと思われます。時々、私たちもいろいろと苦労がありますが、モーセはたった一人でヘブル民族二百万人くらいをエジプトの地から解放して、四十年かかってカナンの地まで連れて行ったわけです。彼の苦労は比べものにならないくらい大きかったはずです。
 だから時々、苦労があるときには、モーセの生涯を思って下さい。モーセはそんなにも苦労したのか、我々も頑張らないといけないなと、励まされます。
 モーセが死後の世界に入る前に、ヘブル民族にいろいろと語っているのですが、三回に渡って語った言葉があります。その一つが申命記三十章十九節〜二十節に記されています

『私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。確かに主はあなたのいのちであり、あなたは主が、あなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地で、長く生きて住む。』

 モーセはすごいことを語っていますね。「祝福されて生きてください。幸せになってください。」と告げているわけですが、モーセはヘブル民族の祝福の証人として、誰を立てたかというと、「天と地」です。「私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。」と語りました。
 裁判などで証人という役割がありますが、証人とは、弁護士に頼まれて被告を弁護する役割です。被告と敵対していたら、絶対に証人なんかにはなりません。敵方の証人になるかもしれないけれど、味方の証人にはならないです。
 申命記を見ますと、様々な形で、モーセは天と地を証人として立てています。これはただの慣用句ではありません。彼は本当に、天と地を味方にしていたのです。
 だからあんなにも大きな働きが出来たのです。まさしくモーセは地の管理人であり、天と地を証人に立てるほどの人物でした。ゆえに、偉業を成し遂げることができたと信じます。
 ということは、天と地を証人として立てることが出来るならば、どんな困難だって乗り越えることが出来るはずです。

 出エジプトの時にモーセが体験した奇跡を分析しますと、まさに、彼は天と地を味方につけていました。被造物全体がモーセの働きを援護して、偉業を成し遂げたことが分かります。
 パロの前に行って、「ヘブル民族を解放せよ!」と告げた時、十の奇跡を行いましたが、その奇跡を分析してみれば、動物や昆虫、自然界そのものが総動員でエジプトから、ヘブル民族を脱出させました。

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 アブだとか、カエルだとか、バッタだとかが助けて、ヘブル民族はエジプトの地から脱出できたのです。被造物と敵対していたら、「カエル、仲間を多く連れて出て来て・・」と言っても、「いやだ、俺はカエル」と言ったかもしれません。彼らが協力したのです。地を味方にしていました。紅海は分けるは、昼は雲の柱、夜は火の柱、まさしく彼は、天と地を味方につけていました。

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 私たちもそうなりたいですね。天と地と対立関係ではなく、味方につけるなら、人生における様々な、山や谷を越えることができるのではないでしょうか。
 その秘訣が、「彼らに主の名をほめたたえさせる」という、賛美につながっているのではないかと思われます。

 しかし悪魔も、人類が天と地を味方につけると強力な存在になることを、よく知っています。モーセがそれをやって、自分たちが打ち破られたのを知っていますから、なんとか人類が天と地を味方につけないように、彼らに主の名をほめたたえさせないよう、真剣に働いているのではないかと思います。
 悪霊どもが働いている現場って、様々な場所があるのですが、突き詰めれば、「天と地」ではないかと思われます。

 今回、ネパールに行って、チェパン族の元酋長が、イエス様を信じました。「イエス様を信じたら、土地に住んでいる悪霊を追い出し、真っ新な土地を新しい世代に受け継がせることができる」という話をしたら、酋長は、「おまえが言っていること本当か?」と言うのです。「それが本当なら、俺もイエス様を信じたい。」と言って、彼は土地に、「土地よ、主をほめたたえろ!」と宣言しました。

 以前にもお話ししましたが、土地は、生き物です。土地がなかったら、人は生きることが出来ません。そもそも人は、土地から造られています。土地は黙っていますが、モンスターです。時々、牙を剥いて立ち向かってきます。
 聖書を見ると、土地の上で罪が犯されると、土地を呪い、土地に血が流されると土地から呪われるという構図がある事を教えています。
 日本人は霊的にたいへん敏感だと思います。日本人は空気感を読むのがうまいです。みなさんも、お互いの空気感を読み取りながら生きておられるのではないでしょうか。
 これは、天と地の狭間で、霊的雰囲気を読みながら生きている証拠です。

 山本七平が、「空気の研究」という本を書きました。日本人には特有の感覚があるというのです。それは何かというと、「臨在感的把握」、すなわち、「物体になにものかが宿っているように感じる、アニミズム的世界観が、その場の雰囲気や世界の空気をつくり、人々に支配をもたらしていく。」と論じています。
 マスメディアが社会の空気を変えたり、リードしたりします。太平洋戦争がなぜ起こったか、そこには様々な要素があるのですが、突き詰めると、「空気感」だというのです。国民全体が、もはや戦争しかないという空気になった、というのです。それで戦争をやったというわけです。それで三百万人も死んだのです。
 別に一軒一軒を訪問して、「こうしてください。ああしてください。」と説得したわけではなく、世間の空気が変わったからです。同じようなことを、結構体験しているのではないかと思います。

 空気に関する用語って、結構多いです。人の気配がするとか、雰囲気が良いだとか悪いだとか、重苦しいとか、張り詰めているとか、ピリピリしているとか、よどんでいる、濁っている、しらけているとか、空気に関する言葉は多く存在します。
 空気を読むのが不得意な人はKYと呼ばれます。しかし、こういう人たちは結構大事だと思います。「私はKY系だ」という人は素晴らしいです。空気の中に働く、悪霊を打ち破る賜物を持っている人たちです。
 でも普通、日本人は空気に支配されています。

 日本には、クリスチャンになりにくい空気感があります。九十九パーセント以上が日本ではクリスチャンではないわけです。礼拝に集っているのは、たったの〇.二パーセントだそうです。この時刻に、日本中に八千くらいの教会がありますが、〇.二パーセントしか、礼拝には集っていないわけです。
 あとの九十九.八パーセントはどうして行かないのかと言えば、日本ではクリスチャンになりにくい、空気があるからです。
 日本人の学生たちがアメリカなどに留学して、時に、教会に誘われると、教会に行く若者の九割がクリスチャンになるそうです。なぜなら、向こうの空気がクリスチャンになりやすい雰囲気があるからです。日本人は信仰に関して、大義も名分も別にないのです。ただ、空気で生きていて、クリスチャンになったほうがいいね!と、アメリカで教会に行った学生の九割が、クリスチャンになるというのです。
 しかし日本に戻ると、クリスチャンになった九割が元に戻るそうです。誰かに説得されてとか、情報があってクリスチャンをやめるわけではないのです。ただ空気感です。

 実はこの空気感こそ、悪魔が働いている現場ではないかと思われます。エペソ二章一〜二節を読んでみますと、

『あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。』

 「不従順の子ら」とは、「主を信じながら従わない」存在ではなく、「まだ主を信じていない人たち」のことを言います。
 主を信じていない人たちは、どのような霊的状況に置かれているのか、それは空中の権威を持つ支配者の下にあるというのです。
 原語で見ると、空中とは「アエール」、空気のことです。当時の人々は、ギリシャ的世界観の中で生きていたわけですが、パウロはそんな環境でこの書簡を書いたわけです。一般の人たちは、「空中は悪霊の活動の場所」と考えていました。パウロは当時の一般人の思想を、そのまま拝借したというのです。
 ということは、一般の人たちが、空気の中に悪霊が働いていると考えていたわけですが、間違いではなかったのです。

 現代の日本も同様です。みんな空気感で生きています。みなさんが、職場で、夫婦の間で、親子の間で感じる空気感は、取りも直さず霊的な感性だということです。

 今週、いろんな空気感を感じるかもしれませんが、これこそ空中の権威を持つ支配者が醸し出している空気感です。これを勝ち取らないと、いけないのです。
 日本が救われるためには、空気感が変わらないといけないです。難しいな、と思うかもしれませんが、空気感が霊的なものならば、クリスチャンが祈りによって、空中の権威を持つ支配者に立ち向かえば、変わるはずです。

 近頃、祈りによって空気感が少しずつ変わってきたのではないかと思います。日本の政治、このままでは危ないぞ、憲法が改正されたら軍事大国になり、若者たちが徴兵されるような国になりそうだと誰もが感じています。安倍内閣は危ないなって。しかし、なかなか、その空気感を変えることができませんでした。先日、国会に行って祈りました。その頃は森友問題も加計問題も消えていました。みんなで祈りました。そうしたら、その後あたりから、空気感が変わって来ました。この五月三日の憲法記念日も、今までとは違った空気感でした。憲法改正!という声よりも、反対の声が強くなりました。
 なぜ変わってきたのか、空中の権威を持つ支配者に立ち向かい、「天と地は主をほめたたえろ!」と宣言した結果ではないかと思います。

 そして今、大きく変わってきたのが、朝鮮半島情勢です。去年の夏は、もしかしたら、核戦争になるのではないかという空気でした。北朝鮮からミサイルが飛んで来て、どうなるのかという感じでした。Jアラートなんかが鳴って、近所のこども園でも避難訓練が行われました。本当に信じられないくらい、追い込まれていました。
 それが今は、あれほどまでに対立していたのが、信じられないです。はっきり言って。

 どうしてですか?空気が変わったのです。これからもっと変わるように、祈らないといけません。こういうのは、利害関係が関わっています。しかし世論とか、世界の空気さえ変われば、世界は変わるのです。

 去年の八月、私は一番危ない時期に韓国に行き、韓国の兄弟姉妹と共に、DMZと呼ばれる非武装地帯に入りました。
 先日の南北首脳会議が行われたのも、DMZ内の板門店という施設でした。そこでとりなし、祈って来ました。申請書を出すと、中に連れて行ってくれます。
 統一した時のために、駅が作られていました。平壌まで、ソウルまで、と表示された駅があるわけです。

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 しかし立派なプラットホームの端は北朝鮮です。私の右側にいる人は脱北者の人です。一緒に北朝鮮が見える場所で、真剣に祈りました。空気感が変わるように、主がなにかしてくださるように真剣に祈りました。

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 皆の祈りは、空気感を変えると信じます。

 空中の権威を持つ支配者がいて、いつも働いています。しかし私たちが諦めないで、この権威を持つ支配者に立ち向かって祈る時、空気感が変わるのです。
 今一番、あなたにとって空気感が悪いところは、どこですか?やっぱり会社かな?夫婦間かな?親子間かな?と、いろいろとあると思います。これは霊的なものです。今回は、空気と土地を勝ち取りたいです。
 この近所の土地、設楽原の土地は空気感が悪いです。昔、戦いがあって、血が流されていますから。時々いろいろ出るし、空気感が悪いです。
 でも、「天と地は主をほめたたえろ!」と、被造物全体に対して宣言する時、空気感も変わり、土地も回復し、最終的には主が帰ってきて、世界を治めて下さるのです。大きな勝利を与えてくださるのです。

『天と地は、主をほめたたえよ。海とその中に動くすべてのものも。』

と、詩篇で述べられていますが、私たちが、常に、詩篇百四十八篇のように天と地を結んで、彼らに主の名をほめたたえさせる役割を果たすなら、空中の権威は打ち砕かれて、大きな勝利を与えてくださると信じます。
 その働きのために、一人一人、主の大きな愛によって選ばれ、ここにいるのです。そのことを覚える時、感動の波が押し寄せて来ます。

 今から聖餐式を行います。聖餐式は、私たちを主が愛してくださり、主の働きのために選んでくださった証拠です。
 あなたがここにおられるのは、大きな神の計画です。いろんな背景があって来られているかもしれませんが、ただ単なる計画ではなく、主の大きな計画があります。今それが見えなくても、しっかり掴んで歩んでいきたいと思います。一言祈ります。

 ハレルヤ、天の父なる神様、心から感謝します。今から聖餐式を行います。あなたの絶大な愛のゆえにありがとうございます。
 私たちを天と地を回復する役割のために召し出してくださっていることを、感謝します。そのことを覚えながら、空中の権威を持つ支配者を打ち破り、主の勝利を宣言します。今からの聖餐式の時を祝福してください。イエス様の御名によって、祈りを御前におささげいたします。アーメン。