「彼らに主の名をほめたたえさせよ! パート18
~人とは、何者なのでしょう?Part3~」

2018年9月23(日)
新城教会主任牧師 滝元順
詩篇八篇

『私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。すべて、羊も牛も、また、野の獣も、空の鳥、海の魚、海路を通うものも。私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。』

コリント人への手紙第二 五章十八節〜二十節

『これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。』

 ハレルヤ!おはようございます。皆様に祈っていただきまして、無事にラバウルから帰ることができて心から感謝します。
 ラバウルの過酷な戦い、今年の私の仕事の中で、最も大変だったかもしれませんが、祈りがありましたので支えられました。
 四元雅也先生も一緒に行きました。日本からは二十二名の方がお邪魔しましたが、「日本とパプアニューギニアの和解」という大きなテーマを掲げて訪問させていただきました。
 雅也先生は裏方で一生懸命働いてくださいました。パプアニューギニアにはあまり、レストランがないのです。みんなで食事に行きましょう!と言っても、レストランが見つかりません。しょうがないので、バナナとかパパイヤとかビスケットをマーケットで買って、それをメンバーに配るような旅でした。雅也先生は買い出しに行ったり、写真を撮ったりと、たいへん忙しかったです。今から少し、パプアニューギニアのツアーについて報告をいただきたいと思います。
 先生はなんと、蚊に三発刺されました。そして帰国後、発熱しました。この人はマラリアかもしれません。しかし、彼はすぐに専門病院で血液をたっぷり、蚊よりも多く抜かれて検査をしたら、陰性でした。だから、何の病気にもかかっていない、健康な人です。どうも風邪だったようです。では、よろしくお願いします。

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 はい、私が言おうと思ったことを言われてしまいましたが、ハレルヤ!お祈りいただきまして、二十二名が無事に帰りました。特に今回、参加された方々の中には、七十歳を超える、少しお歳を召された方が数人いらっしゃいまして、スタッフたちの中には、「大丈夫だろうか。祈らなくては・・・」と祈っていましたが、我々よりも元気なくらいでした。みなさんお腹を壊すこともありませんでした。順先生は、最終日にお腹を壊しましたが、みなさんは帰るまでお腹を壊すことなく帰ってきました。
 私は帰ってきて、翌日にダウンしまして、二日ばかり何も食べられずに、三十九度まで熱が上がったので、やばいぞと思って検査に行きましたが、検査は陰性だったので感謝でした。昨夜からは食べることもできるようになり、今は元気になったことを感謝します。本当に祈りに支えられたんだなぁと感謝します。トラブルからも守られて、現地で大変な目に遭うとか、困ることもなかったです。

 また今回のツアーに関しては、滝元望さんがすでに七回も、ある意味で極地のような場所に行って、地ならしを現地の教会としてくださり、今回、リバイバル・ミッションと、SIRのコラボ企画で全国から兄弟姉妹をお連れして、現地に出向くことが出来ました。

 スライドをご覧いただきながら、少し報告させていただきたいと思います。これがパプアニューギニアの位置です。

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 ポートモレスビーがパプアニューギニアの首都になります。
 ラバウルは、「ニューブリテン島」という島にあります。

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 「東ニューブリテン州」という、「愛知県」とかそういうものですが、矢印のある場所が、ラバウルになります。

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 泊まった場所は、赤い印のあるココポという街で、赤い丸で囲ってある所を中心に活動しました。なのでパプアニューギニアの中では、ごくごく一部です。

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 こういった熱帯雨林のジャングルが広がっていて、国土全部がジャングルじゃないかというような場所でした。小さくて見えないかもしれませんが、やしの木とバナナ、これは自然に生えています。取ろうと思えばいくらでも取れます。なので、ここにいる人は仕事がなくても生きてはいけます。ココナッツとバナナさえ食べていれば、生きていくのには支障はないです。
 最近は海外資本がたくさん入って、プランテーションとか、いろんな工場なども建っているのですが、現地には経済的なメリットはなかなか落ちてこなくて、みんな安い賃金で働かされています。
 また教育のレベルも案外低くて、教育を押し進めようという努力はされているみたいですが、学校を途中でやめてしまう人が多いということです。それは教育を受けなくても生きていけることもあるし、搾取されて疲れてしまって気力が失せてしまっているところもあるのではないかと思われます。現地の方たちと交流する中で、すごく明るいのですが、その反面そういうことを感じました。

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 とてもシャイです。日本人以上にシャイかもしれません。学校なんかで先生が「これ分かる人?」と言っても、しーんっと誰も手をあげないと、先生が言っていました。
 シャイなんですが、バスで道を走っていますと、道端に子どもからお年寄りまで何もしないで座っているのです。彼らは何をしているのかと聞くと、「彼らは一日中、あのように過ごしている」というのです。何もせずに通る車に手を振っているのです。
 マーケットに行こうとして道を歩いていますと、座っている人から、やあ!とか、グッモーニン!とか声をかけられるのです。日本でそんなことがあったら「何?この人?」と思うのですが、向こうはそれが普通です。最初にラバウルに着いた時はあまりにもみんなが手を振ってくれるので、「あっ!ラバウルの人たちは我々が来ることを全員知っているんだ!」と思いました。
 パプアニューギニアの約九割がクリスチャンで、教会の働きが社会において大きな力を持っています。

 九月の教会の午後のセミナーでも少しお話をさせていただきましたが、このツアーの意味について、いろいろ考えさせられたのですが、一つ大きなものは、第二次世界大戦です。第二次世界大戦当時、日本はパプアニューギニアになんと二十万人もの大軍を投入したわけです。そしてアメリカをはじめとする、連合軍と戦争をこの異国の地でしたわけです。日本の本土でアメリカとソ連が戦争したようなもので、他人の家に上がり込んで喧嘩するようなものです。
 二十万人のうち、生き残ったのはたったの二万人で、九十パーセントの命が失われたわけです。「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」という言葉ができるくらい、悲惨な戦場でした。
 しかも戦死した人の多くは食糧を断たれた状態で戦地をさまよい歩き、餓死する人や、あるいはマラリアや風土病に感染して、どこで死んだのかも分からないのです。死んでも帰れないというのがニューギニアの戦争だった。本当に無残な戦いでした。次々と戦力が投入されましたが、失われていったのです。

 パプアニューギニアを含む、ソロモン諸島とかいろんな島々があって、連合軍との熾烈な戦いがなされたわけですが、その司令部が置かれていたのがラバウルでした。そこから戦いが指揮されていたのです。とりなし祈るうえで、象徴的な場所になるということで、今回とりなしのミッションがなされたわけです。

 このとりなしの祈りがなされるうえで、やはりテーマとしてあげられたのは、流血による「土地の呪い」です。

 そして戦後七十年以上を過ぎた今、現在を生きる我々、日本人クリスチャンが現地に出向いて、日本人がおいた呪いを、聖書が教えている十字架による和解と解放という、新しい契約によって解いていく。現地の主にある兄弟姉妹と一緒に祈ることを通して、その悪しき鎖が断ち切られる。これが今回のツアーのミッションであったわけです。

 一日目からいろいろな場所を訪れて、その地のクリスチャンたちと集まりを持ったのですが、初日から三日目くらいまでは、ずっと和解の祈りがなされました。
 現地の方々も精一杯、私たちを歓迎してくださって、和解の受け入れを表明してくださいました。ちょっとスライドをご覧いただきたいと思います。

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 伝統衣装や伝統的な楽器によるパフォーマンスとかがありました。これは三日目に行われました、今回私たちが行った最大の和解の集会になります。東ニューブリテン州の教会連合と、すべての教団教派の教会が合同で主催してくださっています。

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 おそらく三千人くらい集まったのではないかと思います。これは彼らの聖歌隊です。動画ですので少し聞いてみてください。結構上手いです。だいたいアカペラで楽器を使わずに歌うことが多いです。こうやってどこを見るわけでもなく、丸まって歌ったりします。その辺がおもしろいなと思いましたが、こういったクワイヤーが次々に出てきて賛美を捧げました。

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 会場に到着して、このように並ばされて、「では今から入場してください!」と言われて、厳かに入場行進をする場面です。これも動きますので見ていただきたいと思います。
 こちら側には伝統衣装を着た方々が丸太を切り抜いたドラムで踊りを見せながら我々を迎えてくれています。いろいろと歓迎のプログラムを用意してくださって、我々の文化にはない、向こう独自の手法で、和解の集会が導かれていきました。

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 これは順先生が現地の教会連合の議長さんに、和解のしるしとして、日本刀を渡すという、過去は戦いのために来たけど、そうではないという意思の表れとして刀を渡す場面でした。刀は向こうが準備してくれていましたが、セレモニーライクなこともたくさんありました。
 手前にある輪も午後にお話ししますが、おもしろいものです。

 そして和解の祈りをみんなで捧げました。いろんな代表がスピーチしました。

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 右側の方がアラン・キンキン先生という、我々と行動をずっと一緒にしてくださり、すべての和解の集会で挨拶をされた全教会の議長です。向こうは挨拶が多く、五人くらい一回の和解の集会で挨拶するのです。その中で順先生も挨拶をして、毎回同じようなプログラムで進むものですから、何を話したらいいのだろうという感じですが、順先生は、本当にすばらしく毎回、良いスピーチをこなしておられました。

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 これは現地の教会連合共同で建てた、今回の和解の集会の記念の石碑です。我々は、イエスさまのみ名において、この記念碑を建て、和解のしるしであるという意味で、皆で祈る時を持ちました。

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 これはケーキに入刀しているところです。こういうのも、今回二回くらいありました。

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 これは州知事の挨拶です。この方もクリスチャンです。

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 順先生もこのようにご挨拶されました。
 現地の人たちのいろんなパフォーマンスがあった中で、「おまえたちもやれ!ということで、「ハレルヤ天において」を賛美しました。熱帯雨林の自然豊かな森の中に街があるので、被造物が賛美するようにと賛美をしました。
 それと同時に、現地の人に一番うけたのは「ダンシング」です。現地の人はすごくシャイですが、みんなで躍らせて楽しんでくれて、非常にウケました。勝利の主イエスが罪のなわめを解くんだ!それゆえ私たちはダンスするんだ!ということがよく表されていました。
 日本から行った方たちが喜んで、はしゃぎまわって踊ってくれました。皆喜んでこの歌を聞いてくださいました。

 この集会、現地の人たちがいかに私たちを歓迎し、期待してくださったのは、先ほども言ったように彼らの国の中にある、打ち破ることができない壁でしょうか。そういった何か見えない呪いを、彼らは実体験しているのです。そういう中で「解放されたい!」という思いを持っておられます。
 ですから私たちが行く先々で、和解のための謝罪をして、呪いを打ち砕くために一緒に祈る時に、特に、「呪いが打ち砕かれますように!」という祈りには、すごく力強く反応が返ってくるのです。本当にこの祈りに期待してくださっているんだ、ということを強く覚えました。
 日本でみなさんが祈りを持って、とりなしてくださっている力をすごく感じました。
 現地の教会に今回の集会を通してブレークスルーが起きて、大きな解放がこの国の上に起こされることを、今後、見たいなぁと願いを持って、この旅から帰って来た次第です。みなさんの祈りを、心から感謝します。これにて報告とさせていただきたいと思います。ありがとうございました。
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 ありがとうございます。午後からリバイバルミッションニュースの発送作業ですが、その中で、報告会があります。ツアーに参加してくださった方々が証ししてくださいますので、期待して下さい。

 今回、私も参加させていただいて、本当に感動しました。日本人はあまり考えていないのですが、アジアの諸国の人たちは、日本が現地に来て謝罪してくれる、和解してくれるのを心待ちにしています。
 今も語られましたが、誰かの家に知らない人たちが入って、喧嘩するような状況です。そのために国土が荒らされて、その後、どこからも謝罪がない中で、悶々とした生活が続いているわけです。そんなただ中で、クリスチャンが行って、キリストにある平和と謝罪をさせていただくのは、大きなことだと今回、強く教えられました。

 「人とは何者なのでしょう」と近頃、語らせていただいているのですが、詩篇八篇の中で、第一に、人とは「悪魔・悪霊どもと戦う戦士」であると語っています。
 そして二番目に、「被造物すべてを管理する管理人」だ、と語らせていただいています。そして、それに付け加えて、もう一つ、私たちは、「和解の使者である」ということです。被造物を管理する管理人だけでなく、私たちは「和解をもたらすキリストの使節」という立場に気づき、役割を果さなければならないのです。

 第二コリント五章を先ほど読んでいただきましたが、ここに私たちの使命が記されています。イエス・キリストを信じるときに、どのような使命が与えられるのか、それは「和解の務め」が与えられると述べられています。
 そして同時に、「和解の言葉」がゆだねられて、和解の言葉を語らなければいけないのです。
 和解するのは、私も一番不得意な領域かもしれません。しかしクリスチャンにとって大事なのは、「和解」というテーマをしっかりと理解することです。
 今回、和解の務めと和解の言葉を携えて、ラバウルに行くことができて、本当に感謝しています。

 行く前に語らせていただきましたが、新城教会関係者の中にも、おじいちゃんの世代で、ラバウルで命を落としたり、命を落とす寸前だった方々がおられるわけです。
 今回、ラバウルの元日本軍の基地があった所に、とりなしの祈りに行きました。

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 ここは日本の航空基地跡地です。ラバウルには四カ所、日本の航空基地があって、今はこんな感じです。今は何もありません。そこでも大きなセレモニーが準備されていて、和解の式典がなされました。
 ここに行って、私は複雑な思いでした。前にもお話ししましたように、家内のおじいさんが、この地で亡くなったからです。
 たぶんじいさんは餓死したのだと思います。遺体も出てきていません。戻ってきたのは石ころです。
 Nさんは、今百歳ですが、彼はずっと、とりなして支えてくれました。彼は数少ない生き残りです。
 Oさんの軍隊手帳が今でも残っています。その中に、「昭和十九年二月二日、午後八時頃、輸送船、愛西丸六千トンにて、ラバウル港出航」と記されています。彼はこの日に、日本兵の遺骨を日本に運ぶ命令を受けて、ラバウル港を出航出来たから助かったのです。人生って、ちょっとしたことで、大きく変わるわけです。
 今回一緒に行った、Hさんのおじいちゃんもそうです。帰って来られたんですよね。東三河の方々は、結構、そのような方が多いです。

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 このおじいさん、小さい時は日本人と一緒に行動したそうです。私たちが着いたら、君が代を歌い、軍歌を歌いました。日本って、現地でいろんなことをしたんだなぁと分かりました。
 先週の日曜日は、私はある教会に奉仕に行ったのですが、部落に入る前に酋長の所に行って、村に入る許可を得ないと入れません。今回、私たちは和解に来たので、酋長さんに、「戦争を行った世代の末裔として、ここに来ました。お許しください。」と、その村も、皆クリスチャンですから、キリストにある平和を宣言して、和解をしてから地域に入らせていただきました。
 すると、「ちょっと来い」と言われて、村の真ん中に小屋があり、中に入ったら日本軍が残していった、鉄兜とか、武器の破片が集められていました。

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 「これはこの村に、日本兵が残して行ったものだ」と言いました。そして、これ分かりますか?遺骨です。日本人の骨だと言うのです。何箱もありました。でも、なんか人の骨にしては太いな?牛の骨じゃないのか?というのも混ざっていましたが、根深いものがある、と感じました。

 そのような所に行きますと、私たちクリスチャンが和解の使者として出向いていかない限り、村の人たちは、傷ついたままであることが分かります。
 マタイの福音書五章二十一節〜二十四節、

『昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから、来て、その供え物をささげなさい。』

 この箇所は、イエスさまが語られたことばの中でも、結構厳しいことばです。これは「イエスさまのアンチ・テーゼ」と呼ばれ、ある人の主張を覆す発言でした。
 「人を殺してはならない」というのが、モーセの律法です。しかし、それを昔の人たちは、「人を殺す者は、さばきを受けなければならない」と解釈したわけです。
 「人を殺す」とは、武器で人を殺す、それがさばきに値するという解釈でした。
 しかしイエスさまはその解釈を覆して、「兄弟に向かって腹を立てる者」とか、「能なし」「ばか者」と言うだけで、ゲヘナの火に投げ込まれる、地獄に落ちるぞ!と言われたわけです。
 そして最終的には、誰かに恨まれていることに気づいたら、礼拝に行く途中でも、中止して、まずは恨まれた人と和解してから戻って来て礼拝しろ、と語られたわけです。いや〜イエスさまの教えって、結構厳しいですね。

 私たちも時々、人間関係の軋轢で、溝ができたり、壁ができることがあります。しかしそれを放っておいてはいけないのです。和解しろ、というのです。私たちが主を礼拝する前に、まず、恨まれていたらその人と和解しないと礼拝は受け入れられませんよ!というわけです。
 イエスさまは、人殺しは、武器で人を殺すという、昔の解釈を超えて、「人を憎んだり」、また「恨まれる」という感情的な事柄も、「殺してはならない」という律法に触れる罪であると語られたのです。

 しかし、この教えは、個人的適応というよりも、もっと大きな意味があります。イエスさまはこの教えを、山上の垂訓といって、山の上で語られたのですが、どこで語られたのかというと、マタイ五章はガリラヤ地方で語られました。
 当時、イスラエルには「ガリラヤ、サマリヤ、ユダヤ」という、三つの区分ができていました。それはイエスさまがお生まれになる以前の、歴史的な動きによって区分されたものです。元々、この三つの地域の人たちは、皆、兄弟でした。イスラエル十二部族という兄弟でしたが、当時は、三つに分割されていました。
 各地域に住んでいる人たちは、互いに、他の地域の人たちが好きではありませんでした。ユダヤの人はサマリヤ人を嫌っていました。また、ガリラヤは、当時、ユダヤと政治的には一緒になっていたのですが、ガリラヤの人たちは、ユダヤ人と呼ばれるエルサレム近辺に住んでいる人たちからは、差別されていました。

 人間って不思議なものですが、例えば、太平洋戦争時代の日本の罪についても、世代が変われば憎しみは薄くなるのかというと、そうでもないのです。
 今日も韓国から来られた方々がおられますが、日本と韓国の間には、「近くて遠い国」と言う言葉があります。日本は長い間、朝鮮半島を植民地支配したわけです。植民地支配をした世代は昔の人たちだから、当時の人たちと、今の日本人は全く違います。しかし日本人にとっても、韓国の方々にとっても、やはり、なんらかの壁を感じます。
 放っておくと、憎しみは薄れるのかというと、そうではなく、憎しみは純化されると言われます。マタイの五章を、英語の聖書で見てみると、「without a cause」、「理由なくして」という言葉が付いています。
 例えば日本と韓国の関係、また、北朝鮮との関係も、日本の犯した罪が関わっているのですが、今の世代は植民地支配した人たちの世代とは違いますが、ある意味で、「直接的理由なしに憎んでしまう」、「受け入れることができない」現実があります。別に自分が、直接的被害を受けたり、被害を加えたわけじゃないけれども、お互いに、直接的理由はないけれど、何か憎しみがある、壁がある、「これが一番問題なんだ」とイエスさまは語られたわけです。

 パプアニューギニアも実にそうです。パプアニューギニアに侵入した世代は、私からしてみれば、おじいちゃんたちの世代です。今は、お互いに、「戦争を知らない世代」です。中には、百歳近辺の方々で、戦争を体験した方々も残っていますが、ごくわずかです。ある意味で、「理由なくして」お互いに傷があるのです。これが、イエスさまが指摘された問題点です。
 これが人殺しと同じだから、恨まれていると思ったならば、その人たちのところに、自ら出かけて行って、和解してこい!という教えなのです。
 その点について、以前からリバイバル・ミッションは主から教えられて、十年以上前から、その働きを始めました。まずは、ハワイから始まりました。真珠湾に日本が爆弾を落としたことから、太平洋戦争は始まりました。ハワイで和解の集会を行い、次に、韓国で二度ほど和解の集会をさせていただきました。その後は、台湾、タイ、ナガランドと続きました。
 そして今回、パプアニューギニアという、最も過酷な場所にまで出かけて行って、和解をし、それから主を礼拝しなさいという教えを実行しました。このような働きは、本当に重要です。
 恨まれていることに気づいたら、その人たちの所に、自ら出向いて行く時、主は、礼拝を受け取ってくださるのです。

 イエスさまがマタイの五章で語られたことばは、個人と言うよりも、歴史的な意味の方が強いのです。当時の、ガリラヤ、サマリヤ、ユダヤという、分断された民族、兄弟たちの和解についての教えなのです。我々は、イエスさまのメッセージの、歴史的背景をよく理解するべきです。

 先ほども、雅也先生が語っていましたが、パプアニューギニアの方々って、すごくシャイです。結構明るいんですが、個人的にはシャイです。こっちから近づいていくと、後ろに下がってしまうような、日本人と共通する所があります。

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 子どもたちですが、すごく明るくて、皆かわいいです。ジャングルの中に住んでいます。

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 マラリアの蚊がいっぱいいます。行ってみて、これは駄目だ、防ぎようがないと思いました。現地の人たちが怖がっていたら、本当に怖いです。現地の人に、「マラリアってどうですか?」と聞くと、「危ない!危ない!」と答えます。
 先週、ある教会に行って、教会の場所が分からなくて、ちょっとしたジャングルみたいな所で待たされたのですが、その時私も蚊にやられました。私は薬も飲んでなかったし、注射もしていなかったので、ちょっと暗くなりましたが、マラリアをもたらす種類の蚊なのかどうかは、分かりません。現地の人に聞きました。「マラリアの蚊ってどれ?」と聞くと、「あ!ちょうど今、腕に止まっている!」とか言って、ぱちんっ!とやっていました。私たちのように、後から薬を飲めるのは感謝です。私は後から薬を飲んだので、大丈夫だと思いますが、現地の子どもたちは、飲むことができないのです。貧しい中に暮らしているからです。

 実はパプアニューギニアは資源が豊富で、本当は豊かな国です。しかし戦前から、日本はその地に入って、様々な資源を日本に持ち帰る事を行っていました。今でも、日本、欧米諸国が、現地の安い労働力だけを使って、資源を自分の国に持ち帰っています。こういうことは、良いことじゃないです。私たちは、その地の祝福のために、お祈りをさせていただきました。

 やはり、政府レベルでは、なかなか和解はできないだろうなと思いました。しかし私たちはクリスチャンですから、主のみ名によって受け入れ合うことができ、本当に感動しました。

 和解のことを考えている中で、まず第一に「神との和解」が前提です。そして次に「人々との和解」です。そしてもう一つは、「被造物との和解」を忘れてはいけないと今回、主から教えられながら、現地に行かせていただきました。
 コロサイ人への手紙一章二十節、最近、よく引用していますが、

『その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。』

 イエスさまの十字架は、人だけの和解ではなく、「天にあるものから地のどん底にあるもの」、「神が造られた被造物全体との和解」の為であったのです。
 そして和解の使者は、ただ人と和解するだけでなく、神が造られた被造物との間にある和解も、宣言しなければならないのです。
 以前引用したことがありますが、民数記三十五章三十三節、

『あなたがたは、自分たちのいる土地を汚してはならない。血は土地を汚すからである。土地に流された血についてその土地を贖うには、その土地に血を流させた者の血による以外はない。』

 この言葉をまともに受け取ったら、すごいことです。一度、戦争などで大地に血が流されたら、その地は病んでしまうのです。その土地を回復するには、その土地に血を流させた者たちを引きずり出して、全員、処刑しないと土地は回復しない事になります。
 日本兵だけで二十万人死んだわけです。日本兵を殺したのは誰かというと、オーストラリア、アメリカ、イギリスも関わっていました。主に戦った相手はオーストラリア兵だったらしいです。当時、日本人を二十万人殺したオーストラリア兵とか、アメリカ兵とか、イギリス兵を全員連れて来て、パプアニューギニアで首を切らないと、パプアニューギニアの土地は息を吹き返さないことになります。
 しかしクリスチャンは何ができるのかといったら、万物との和解という権限と使命をいただいていますから、土地に向かって、「ここに置かれた呪いを解きます!」と宣言したら、土地との和解が成立し、土地は回復するのです。

 パプアニューギニアの方々って、アーメン!とかハレルヤ!とか、あまり言わないです。私は現地でいろいろ、スピーチをさせていただいたのですが、パプアニューギニアの代表の方々って、スピーチを全てタイプして、それを読み上げるのです。あと、何枚原稿を持っているのだろうという感じで、結構、退屈なものがありました。私は原稿を読むのではなくて、みんなの前で、自由に語らせていただきました。自分で言うのもなんですが、ウケました。私は楽しくやりましたので、みなさん喜んで受け入れてくださいました。
 でも、彼らが一番反応する時は、「今、日本のクリスチャンとして、この土地に日本がおいた呪いを解きます!宣言します!」と宣言する時に、会衆全体がわーっ!と叫ぶのです。
 このシャイな人たちが、どうしてそこまで叫ぶのかなと不思議に思いました。なぜなら、彼らは体験しているのです。この島が命を失ったのは、日本が来て戦いを行ったからだという、共通の認識を持っています。
 そのことに関して、私たちが和解の使者として、宣言をしたとは、彼らにとって一番嬉しいことだったみたいです。
 ローマ書八章十九節には、

『被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。』

とありますが、パプアニューギニアは、本当に美しい自然が残っている所です。しかし日本がおいた呪いによって、すべての被造物がうめいているという、うめきも、私は感じました。
 パプアニューギニアには綺麗な鳥がいっぱいいます。神さまが造られたファッショナブルな鳥たちが多くいます。海も綺麗です。花も、本当に美しい自然が残っています。バナナもたくさん売っています。熱帯雨林が広がっています。
 こんな美しい被造物ですが、やっぱり、うめいているだろうなと思いました。そして私たち日本人が行って、神に罪を悔い改め、土地のうめきを取り去る宣言をしたのは、大きな和解だったと思います。

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 この場所は日本軍の飛行場があった場所です。オレンジ色になっているのは、火山があって、温泉が湧き出ているからです。
 日本がここから去った後、ここで大噴火があって、五メートルくらいの火山灰が大地を覆い尽くしました。彼らは皆、言っています。「これは日本の罪のせいだ。日本が罪を犯したから、火山が大爆発して埋まってしまった。」というわけです。
 私たちは罪を悔い改め、被造物に対しても、住んでいる人たちに対しても、和解を宣言できて感謝でした。最後には、この場所で温泉卵を作って食べました。美味しかったです。
 みなさんの祈りに支えられ、今回の旅は、たいへん祝福されました。重ねて心から感謝をします。
 第二歴代誌七章十四節を最後にお読みしたいと思います。

『わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。』

 『わたしの名を呼び求めているわたしの民』とは、クリスチャンのことです。彼らが、みずからへりくだり、祈りをささげ、主のみ顔を慕い求め、悪い道から立ち返る、和解を求めるとき、神が親しく天から聞いて、その地をいやしてくれる。地とは、土地のことです。また、人は土地から造られたわけですが、今回の和解の旅を通し、日本の地もいやされることを信じます。

 過酷な旅ではありましたが、真剣に祈ってくださったことによって守られました。
 私も最終日に、ちょっとお腹を壊しまして、三回くらい連続してトイレに行きました。汚い話でごめんなさい。ちょっと熱っぽくなって、最後の、日本側主催の食事会には行けませんでした。
 普通、日本においては、食前の祈りは短いほど喜ばれるのですが、パプアニューギニアの食事会は、食事を並べておいて、その前に、最低一時間は、集会があるのです。来賓のスピーチとかがあって、食べられるのは一時間後です。だんだん慣れて来ましたが、最後の日本側の主催では、短くやればいいと思うのですが、一時間あったと聞きました。日本側から、豚の丸焼きを一匹提供して、日本の女性たちが、肉じゃがとカレーライスを作って、現地の方々にふるまい、和解のしるしとしました。たいへん麗しかったそうです。

 今回は、目に見えない世界においては、大きなことが起こったと期待しています。是非とも、続けて祈っていただきたいと思いますが、パプアニューギニアの方々は、国家レベルで準備してくれたので、この後に、何も起こらないと、がっかりされると思うのです。お金をかけて、盛大にやったけど、何も残らなかった、残ったのは疲れだけだったではまずいですから、今後の祈りが大事だと思います。我々も、「あぁ、やれやれ」ではなくて、本気で祈らなければいけないな、と思っています。
 心から、皆さんに感謝するとともに、続けてお祈りをよろしくお願いいたします。
 最後に一言、お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ、天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝いたします。守りの中でこの旅を終える事が出来て、感謝をいたします。和解というテーマで行かせていただきましたが、すでにあなたと和解をしています。恨まれている人たちの所に行って、和解を宣言でき、心から感謝します。
 今から私たちは聖餐式を行いますが、これはイエスさま、あなたとの和解のシンボルです。イエスさまの十字架は、すべての被造物との和解でした。そのことを覚えて、また、今日はパプアニューギニアを覚え聖餐式を行います。どうか今からの時を祝福してください。イエスさまのみ名を通して、祈りをおささげいたします。アーメン。