「主の賛美を栄光に輝かせよう!」

2018年10月7(日)
新城教会牧師 滝元開
詩篇66篇

『全地よ。神に向かって喜び叫べ。御名の栄光をほめ歌い、神への賛美を栄光に輝かせよ。』

 ハレルヤ!こうしてみなさんと共に賛美をささげることができた恵みを心から感謝します。
 先週の礼拝では「地震」について語られました。そのためにお祈りいただきましたが、それと同時に先週は台風二十四号が近づいていましたので、礼拝の最後にはみなさんで宣言し、台風二十四号がみことばを行う嵐となって、決して害を与えないようにと、そういった祈りをしましたが、神さまがある意味、あの大きな台風の中でこの日本をお守りくださったことを心から感謝します。しかし全国で四名の尊い命が失われてしまいましたが、最近の大きな被害とは違って、あれだけの大きな台風の中で守りがあったことを心から感謝します。
 そして台風と共にこの地が「地震」からこの日本が守られるように学びをして、今日はこの礼拝を迎えましたが、先ほどの礼拝前のプレイズタイムをしている十時十四分、ひさしぶりにこの地での地震がありました。震度三でした。震源地は県民の森辺りだったそうですが、ちょうど今日のプレイズタイムのソングリーダーが中高生だったのですが、「真夜中に歌え」という歌を選曲していたので、曲中に「大地が揺れ動き、獄の戸開く」とい歌詞がありましたので、その歌の最中に来てしまったかなと思ったら、その歌を歌う前に来ました。でもある意味、やはり神さまの訪れが現されようとする時に、サタンもなんとか最後の挑戦にかかっているのではないかと思います。この時、もう一度私たち心を合わせ、神さまからの使命を全うしたいと願います。最近学んでいます通りに、この被造物に命じて、決してこの大地が揺れ動くことがないように、私たち管理者としての使命を全うしていきたいと心から願います。
 今日の午後からは県民の森の祈祷会がありますので、ぜひ県民の森に行っていただいて、二十五年前に始まった甲子園ミッションを記念しての祈祷会ですので、ぜひその地のためにお祈りしていただければと思います。

 つい先日、ザワメキで広島の呉という所に行きました。こんな写真がありました。

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「主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される。エレミヤ書十章十三節  一九九〇年七月二十日 滝元明」

という、こんな色紙がその教会の玄関に置いてありました。
 この頃、甲子園ミッションの開催決定の告知がなされ、きっと父の頭の中にはこのみことばしかなかったんだと思います。
 決して上手ではない字だなと私は見て思いましたが。見る人によっては上手な字らしいです。見る人が見ないと分からないですね。私は見て、「なんなんだこれ」と思いましたが、でもその熱気だけは伝わってきます。

 今年は甲子園ミッションから二十五年という大切な時ですので、私たち、本当にもう一度、この地に神さまのみ業が始まるように心から願って祈っていきたいと思います。十一月三日には甲子園ミッションアフター二十五という、大きな大会があります。
 本当に神さまのみ業がこの地に訪れるように、もう一度、集いますので、ぜひみなさんもご参加いただければと思います。限定三百人ということですけれども、もうすでにこの教会五十人以上の方が申し込んでくださっています。三百人を満ちますと入れなくなりますので、是非ともお申し込みいただいて、一緒にリバイバルを求めていただければと思います。

 そして、お祈りいただきました「リバプレセミナー」が今週行われます。続けてお祈りいただければと思いますが金曜日から土曜日にかけて行われます。主から「セミナーに行きなさい!」と語られた方は、そのみ声に聞いて、ぜひご参加ください。今回は、リバイバルのために、特に霊的戦いの賛美の真髄を学ぶセミナーです。現在十名の方がお申し込みくださっていますが、さらに多くの方々が与えられるようにと願っています。
 でもその二日間の中で、無料の集会が二回あります。十二日金曜の夜の山頂賛美集会というのがありますので、お時間ある方はぜひお越しになってください。本宮山に行って歌います。今回、この集会は楽器持参OKという集会ですので、どんな楽器でも持って来てくださっても大丈夫です。タンバリンでも、トランペットも、ドラムでも何でも良いので、ご参加いただければと思います。
 そして土曜日の午後二時からは「リバプレ九十分」という集会が行われます。その最後の集会は、賛美を九十分一本勝負!ということで賛美します。今回の学びだけではなくて、ぜひ本当に賛美の剣を、来てくださったすべての方が受け取って帰っていただければと思っていまして、それを体得するための、そういった集会になればと願っています。

 では今日のみことばに行きたいと思います。今日は詩篇六十六篇一節〜二節です。もう一度お読みします。

『全地よ。神に向かって喜び叫べ。御名の栄光をほめ歌い、神への賛美を栄光に輝かせよ。』

 「主への賛美を栄光に輝かせよう!」というのが、今日のみことばのタイトルになりました。
 この二〇一八年、今年は甲子園ミッションから二十五年ということで、特別、私たちも心新たに大きな期待と共に進んで参りましたが、今年は近年になく、たくさんの賛美がこの教会でささげられたのかなぁと、そのように感じています。
 四月には一週間ぶっ通しの夜の賛美集会があって、そしてまた七月は賛美月間で毎晩三十一日間、ずっと賛美しました。そしてまた再び、今は毎週木曜日の賛美集会が行われています。いろんな形で賛美集会が行われています。またリバイバルミッションでは四十八時間ぶっ通しの賛美も行われましたし、今年は今までになく多くの賛美がささげられていますが、賛美の中にある力というものをもう一度、私たちはしっかりと握りしめて、そして主のみ前に賛美をしていきたいと心から願います。
 そもそも賛美は、神さまがお受けになるべきものですね。ですから、私たちがささげる賛美も、神さまにおささげするものであるわけですが、まだ私たち人類がこの地上に誕生する前に賛美をしていたのは天の軍勢たちでした。天使たちが神さまの前に心から賛美をささげていました。その時の賛美はやっぱり神さまと天使との中に麗しい関係があったと思います。そして神さまのみ顔だけを拝して、神さまに近く、「あなたを賛美します!」と心から賛美がささげられていました。
 しかしその賛美の先頭で歌っていた天使の長であるルシファーが、その賛美のあまりにも大きな力に触れて、「音楽ってすごい!賛美ってすごいな!こんなにすばらしいものなんだ!」という音楽に触れたと思います。
 結果、彼は何をしたかというと、その賛美を自分に向けてしまったというのです。イザヤ書十四章に書かれているみことば、有名なみことばの一つですが、イザヤ書十四章十一節〜十六節、

『あなたの誇り、あなたの琴の音はよみに落とされ、あなたの下には、うじが敷かれ、虫けらが、あなたのおおいとなる。暁の子、明けの明星よ。どうしてあなたは天から落ちたのか。国々を打ち破った者よ。どうしてあなたは地に切り倒されたのか。あなたは心の中で言った。『私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山にすわろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう。』しかし、あなたはよみに落とされ、穴の底に落とされる。』

 これが天使であるルシファーの姿であると言われています。神さまへの賛美がささげられていたのにも関わらず、彼はその賛美を自分に向けてしまうという、そのような大きな罪を持って、神さまの栄光を横取りするということをしてしまいました。ですから彼は琴の音と共にこの地に落ちるという、そのようなことになってしまいました。
 エゼキエル書二十八章十二節には、さらにこんなみことばがあります。

『「人の子よ。ツロの王について哀歌を唱えて、彼に言え。神である主はこう仰せられる。あなたは全きものの典型であった。知恵に満ち、美の極みであった。』

と書かれていまあす。『知恵に満ち、美の極みであった。』というのです。神さまの前に最も近く、神さまのみ顔を拝しながら賛美をしており、美の極みであり、最高の存在とされていた彼が、その賛美の力に触れて、「この音楽ってすごいな!」と、そこできっと体感したんだと思います。
 そして、その素晴らしい賛美を、なんと自分に向けてしまったがゆえに地に投げ落とされたわけです。私たちは堕落した天使であるサタンが奪っていった賛美を奪回して、神さまへの賛美をしなければいけないわけですが、ただ悪魔が奪っていった音楽を取り戻すとは、悪魔が使った使い古しの道具を私たちが拝借してそれで神さまを賛美するのではなくて、神さまが与えてくださっている、本来ある神さまからの賛美を、音楽を、楽器を、メロディーを、リズムとハーモニーを、主におささげするべき時が今来ているのかなと、そのように思っています。
 ですから、神への賛美、主への賛美を栄光に輝かせよ!という、そのみことばは神さまからの私たちに対する宣言であると信じますので、ぜひ心から主を賛美していただければと思います。
 老若男女、すべての方々が主のみ顔を、私たちの目の前にして、神さまを仰ぎ見て、「あなたを賛美します!」と、ルシファーが歌っていた以上に輝いた賛美を私たちはささげなければいけないと思います。ルシファーが堕落する前に、神さまとのすばらしい関係の中にあり、素晴らしい賛美があったことと思いますが、私たちは、それ以上に神さまに近くなって、それ以上に輝いた賛美を持ってこの地に主の栄光を現していただく、そのような時が今来ているのかなと思います。

 詩篇八篇は先週も語られたみことばの一つだと思いますが、一節〜二節、

『私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたはご威光を天に置かれました。あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。』

 賛美には大きな力があります。それはこの賛美を通して敵の力を打ち砕く。マタイの福音書ではイエスさまがこの乳飲み子たちの口というところを賛美に置き換えて語っておられましたが、賛美によって敵の力が打ち破られるのです。そしてその賛美をささげていた、この詩篇の八篇ではダビデ王様ですね。ダビデ王様が語っていますが、ダビデ王様はその後になんて言っているかというと、三節〜四節、

『あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。』

 二度言っています。「人とは、何者なのか。」きっとダビデにしたら、竪琴をぽろんぽろんと弾いて、天を見ながら、目の前には羊たちや牛たちが草を食んでいる所で竪琴をぽろんぽろんかき鳴らしながら賛美をしているのですが、その中で、その賛美の力に彼はきっと触れたと思います。
 いや〜人とは何者だ!賛美するだけで敵の力は打ち砕かれるし、そしてこの被造物までもが神さまを賛美するという、その姿を彼は目の当たりにしたのではないかと思います。五節以降をお読みします。五節〜八節、

『あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。すべて、羊も牛も、また、野の獣も、空の鳥、海の魚、海路を通うものも。』

と書かれています。
 人に対して与えてくださったその権威というのが、すべての被造物、ちょうど目の前にいた羊、牛を見て、このことばを語ったと思います。賛美するだけで、この目の前の羊だとか牛たちまでもが、神さまを賛美しだして、この被造物が歌う。こんなに大きな権威を与えているんだ!「人とは何者なのでしょう。」と、ここでダビデは言ったわけですが、ダビデがささげたように、私たちも同じように心からの賛美をささげ続けていきたいと思います。
 また彼が「私はいつも私の目の前に主を置いた」と書かれているので、私たちが本当に賛美する時、私たちの目の前に神さまを置いて、神さまを賛美していくときに、神さまのみ業がなされますので、そのような賛美をしていきたいと思います。
 賛美していく時に、私たちの生活のみならず、私たちの回りのあらゆる場所が変えられるということを見ることができると思います。

 少し話が変わりますが、九月十七日は敬老の日でした。そして、私と家内とで、この地域の敬老会にお招きいただくということを前回のメッセージの時にお話ししましたが、今回で三回目でした。一回目は母が天に帰ってすぐの九月に行きました。私たちが歌うということで、この地域の、かつてはこの教会がこの地域に入って来て、敵対関係にあったような、迫害してくださったようなおじいちゃんおばあちゃんの所に行って歌うということだったのですが、その一回目から本当に祝福されました。
 ただその当時の区長さんが母の葬儀に来られていて、ここで歌われている歌を聴いて、「あんたたち、歌ってくれるのはいいけど、歌う場所は教会じゃないでのん。だから、なんか違う歌も歌ってくれ。」と言われて、「わかりました。」と言って、いろいろ考えていました。ふるさととか、春の小川とか、そういうのでいいかなと思っていたら、オーダーが入って、「坂本九さんの上を向いて歩こうを歌ってくれ」と言われたので、わかりましたということで忠実に歌いましたが、虚しい歌で「ひとりぼっちの夜♪」じいちゃんばあちゃんが、「ひとりぼっちの夜♪」こんなに失望させるような歌、歌っていいのかなと思いながら一年目は終わりました。
 そして去年も、私たちは気を使いまして、大きな古時計、チックタックチックタック、という歌ですが、その歌を歌いました。おじいちゃんがんばったけどその時計はとまり、人生終わっちゃったよみたいな、そういった歌なのです。だからこれもどういったものかなぁと思って、そしてまた今年もお招きいただくことになったので、その時の写真があります。

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 これが富沢区の敬老会です。今年から七十五歳以上になりました。去年まで八十歳以上だったのですが、七十五歳以上、こんなに大勢の方々が来てくださいました。

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 そして私たちはこんな感じで歌います。日の丸を目の前に睨みながら歌う。本当になんてこった!という感じですが、そして歌うのも、これ今ジュースが出ていますが、ジュースが出て、ビールを注ぎだして、みんな一杯やってちょっと気持ち良くなっちゃった感じの所でみんな歌うのです。そこで「ひとりぼっちの夜♪」となるので、もうみなさん、ちょっと酔いも回って、なんか歌なんか聴いているのかよく分からない感じになります。
 だから、うーんと、でもここで歌わせていただけることの恵みということですごく思ったのですが、今回みなさんにお祈りいただいて、もちろん今までもお祈りいただいていましたが、今回は、特にこの地の大地が歌うようにと、そういった神さまからの権威をいただいたので、そんな思いと共に行きました。
 今回違いました。空気が違いました。行って入ってセッティングしていて、何かが違う!と本当に感じました。そしておじいちゃんおばあちゃんたちの前で歌ったのですが、今回はひとりぼっちの夜もチックタックもやめました。九州で仕入れてきた一つの歌がありまして、「内、外、上、下、喜びで」という歌なのですが、歌う?歌わない?ちょっと歌ってみましょうかね。お遊戯付きで、いつもはちょっと酔いが回っちゃった感じの中で歌うので、みんな聞かないそぞろな感じになるのですが、これでは負けてはいられないと思って、みなさんの手をこちらのものにしました。ただその歌詞が、「主の血で心のお洗濯。内、外、上、下、神のもの」という歌詞がありまして、ここちょっと突かれるといやだなと思ったので、ちょっと変えて歌いました。みなさんも一緒に真似していただけますでしょうか。

♪内、外、上、下、喜びで
内、外、上、下、満たされる
主の血で心のお洗濯
内、外、上、下、神のもの

 では、敬老会バージョンで歌いたいと思います。

♪内、外、上、下、喜びで
内、外、上、下、満たされる
あなたも心のお洗濯
内、外、上、下、喜びで (くりかえし)

ということで、どうもありがとうございました。

 この歌をじいちゃん、ばあちゃんと一緒にやったら、見事に全員やってくださいました。良かったですね。そうしたら歌もしっかりと聴いてくださって、神さまのご臨在ってすごいな!と今回思いました。

 市会議員の方々がそこで話したりするのですが、いつも私は聞いていて、なんかちょっと引っかかるのです。この場でこのおじいちゃんおばあちゃんの前で話すことかな?と、ちょっと思ったりしながら聞いていたのですが、今回は主のご臨在があると、市会議員の方々の語りまで変わるのです。なんか人の徳を高めるというか、ちょっと希望に満ちた感じ。
 そしてさらに副市長さんが来て、こんなことを言いました。「富沢はすごい良い場所だ」というのです。この場所、富沢ですね。「新城はいろんな所があるけど、ここは良い場所だ」というのです。またうまいことを言うのかなと思ったら、新城市のその日の人工は四万八千八百三十八人でした。そしてその内の七十歳以上の方の比率は何パーセントかというと、新城四万八千八百三十八人中、七十歳以上は二十七・九パーセントなんですって。でも「この富沢は若々しい。」と言うのです。富沢に限っては十五・二パーセントだというのです。すごいですね。「だからここには希望があります!」と彼が言っていました。いや〜、これは神さまの祝福の一つのしるしかなと思いました。
 しかもこんなことを言っていました。「もしも仮に市町村合併というのが今後起こって、絶対ありえませんが、新城市と豊川が例えば合併した場合に、豊川市という名前になったら新城という名前は消える。でもいくら新城という名前が消えても、消えないのは富沢だ」と言うのです。「だからこの地のために、おじいちゃんおばあちゃんがんばってください。」と、いろんなことを言っていましたが、でもその姿を全て見て、神さまがこの地を選んで、この地に教会を建て上げて、そしてこの地の祝福を一生懸命祈って、この地を管理して、この新城富沢でみなさんがこの地を踏みしめて、ここで、「ハレルヤ!主よ、来てください!」と言っておられる祝福のしるしがこの地域に現されているのかなと、そんなふうにすごく強く思わされました。
 私たちが歌い終わって、終わったら区長さんが出てきて、なんだかすごく感動してくださっていました。「いや〜、よかった〜。本当に富沢にこんな方々がいるとは!」なんて、ちょっと持ち上げてくれました。そして「この方々に普通だったら高額なギャラを払わないといけないのにタダで来てもらっている。この場をお借りしますが、来年も来てくれますか?」と、そう言ってくださいました。本当に祝福でした。
 終わった後に、おじいちゃんおばあちゃんと握手をするのですが、おじいちゃんおばあちゃんが本当に喜んで、今まではちょっと酔いが回って「よかったな〜ほいじゃ〜な」という感じのおじいちゃんおばあちゃんが今回、「本当に良かった!」と、私、初めてお会いしたおじいちゃんが、「あんたらいいな。」と言うのです。「あのな、空気がいい。雰囲気がいい。」と言うのです。歌がどうこうとかそういうのではなくて、「雰囲気がいい。」と言うのです。
 それはもうキリストの香り、神さまご自身が現してくださったしるしだなと思います。おまけに「あんた顔もいい。」なんて、相当目が悪いのかなと思ったのですが、神さまが働いてくださると見た目まで神さまが調整してくださるのかなと思いましたが、本当に主のご臨在がある所にある祝福というのが、これからもっともっとこの地域に、そしてこの街に流れていかなかったらいけないと思います。
 そして、しかも、みなさんが住んでおられる場所、「大変だ」という時に、この新城教会に逃げ込んで守られるのではなくて、みなさんの地が変わるように、そのことを目指して祈っていただきたいと心から願います。

 甲子園ミッションが二十五年前にありましたが、その当時のことが下條真紀子先生を通してリバイバルミッションニュースに、その対談の中でいろんなことをおっしゃってくださいましたが、その中でこんな事が書かれていました。
 あの時の印象に残っていることの一つに、ある一人のメッセンジャーが現れて、こうおっしゃったそうです。「みなさん、空気が吸いやすくありません?」と、そうやって言ったというのです。甲子園球場でクリスチャンが集まって、主を賛美する、そこで空気を吸って、「空気が吸いやすくありません?」そうおっしゃった。いや、確かにあのために本当に日本中、世界中が祈ってくださって、集結した三日間、神さまの臨在のあった三日間で、空気が吸いやすいという、そのような祝福が注がれたと思うのですが、この富沢に来たら、「あぁ〜!空気が吸いやすいな!でも家に帰ったらちょっと息苦しいな」というのではいけないと思います。私たちそれぞれの街が「ここ空気が吸いやすいな!」と言われるような、そのような場所になるように、ぜひ本当にみなさんのそれぞれの場所での歩み、働きをしていただければと思います。

 私たち一人ひとりはどのような存在かというと、私たち一人ひとりは神さまの宮だということが書かれています。第一コリント六章十九節、二十節に、このようなみことばがあります。

『あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。』

と書かれています。
 私たちのからだそのものが神の宮なのです。ですから、みなさんそれぞれ、この礼拝が終わってそれぞれの地域に帰って行かれますが、そこに神さまが、主が共におられるという信仰を持って、そして神さまへの賛美を栄光に輝かせていくときに、その地が歌うということがこれからさらに起こされていきますので、ぜひ賛美していただきたいと心から願います。

 先々週、直島という瀬戸内海に浮かぶ島に行きました。そこの教会にお伺いしたのは私たち二回目なのですが、リバイバルとか滝元明と言っても全くご存知でない方々ばかりなのです。
 そこの信徒の数はお二人でした。前回行った時もお二人、今回もお二人で、しかもおじいちゃんとおばあちゃん、八十代のおじいちゃんと、八十代のおばあちゃん。二人だけの教会に、他の島から牧師先生が来られて、そこで礼拝をするという、兼僕の牧師先生が来てくださって礼拝をするという、そこでの礼拝でした。
 そこの教会、とても綺麗なのです。写真があります。

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 これがそこの教会の会堂の中です。二人だけであるはずなのに、この日は違いました。他の島から助けに来てくださった三人が奥にいます。そして一番手前の方はそこの牧師先生と、そこのお隣の方が、八十代のおじいちゃん、そしてその後ろにちょっと見えるのが八十代のおばあちゃんなのですが、今回そこに行きました。そしてまず行って、私たち準備をして、「さぁ今日はどうですかね?」と言ったら、「いや〜、人は来るかなぁ?分からないな」と言いました。
 でもわざわざこのために、その島全戸に私たちのコンサート礼拝のチラシを作って、全戸に新聞折込を入れてくださいました。そしておじいちゃんおばあちゃん、ずっとお祈りをしてくださっていて、さぁ果たして来るか。おじいちゃんとおばあちゃんと三人の所で、「主よ、来ますように!人が来ますように!」「でも何人来るか分からないゼロからもしれない」と言っていたら、写真中央の三人の女性、三人の七十代の仲良し三人組のご婦人たちが来てくださいました。
 来て最初から最後まで、一生懸命歌を聴いてくださって、にこやかなのです。そして最後、先ほど歌ったダンシングを歌いました。ダンシングを歌い出したら、一人のおばあちゃんが「あ〜!!」と、何かを見ているのです。私が歌っていたら、この辺を見て、「あ〜!!」と何かを見て感動しているのです。そして終わった後に、「良かった!本当に来てよかったです!」と言うのです。なので、「どなたに誘われて来たんですか?」と聞くと、「島の反対側の村に住んでいるんだけど、チラシを見て来た。」と三人来られました。だから三人の教会、三人が来て、倍ですよ。だからこの新城教会にしたら三百人の所にまた三百人来て、六百人、一気になるという奇跡、だから本当に喜んでおられました。
 この直島という島を本当に主は愛しておられるなということをすごく感じて、その礼拝の中で、私は最近ここで語られていることを言いました。「この島そのものが歌うように、島の人たちもそうですが、この島そのものが、わっさわっさと主を賛美するような島に変わりますように!」と言ったら、牧師先生、すごく嬉しそうに、うなずいて聞いてくださり「よかった!また来てくれ!」と、そうおっしゃってくださいました。
 神さまは本当に、ここは無理かなというような所に、これから働いてくださるお方ですので、あとちょっとかなという、そういう戦いのクライマックスに来ているのではないかと思います。
 だからサタンも一生懸命、台風を送って、今度は地震をやって、「もうおまえたちの祈りは聞かれないぞ!」くらいな、そういう勢いで最後の挑戦をしているのかもしれませんが、私たちは信仰に立って、必ず主は働いてくださってリバイバルを起こされる!と、そのことを信じて歌い続け、祈り続け、そして主へのみことばを語り続けていただければと思います。

 実は今週の水曜日に、ひさしぶりに刑務所に行くことができるようになりました。刑務所でのコンサートがあるのですが、やっぱりそれぞれいろんな場所で、そこで神さまへの賛美を響かせるというのは、とても大切だと思うのですが、私たち、そこに行くのは数年ぶりに行かせていただくのですが、いろんな刑務所に行って、いろんな所長さんとお話をして、いろいろとお交わりをする中で、やっぱりそういった働きをされている方々、本当にそこに入ってくる受刑者たちがなんとか更正するように、彼らが変わるようにと一生懸命願っています。
 そんな中で一人の所長さんが言われた言葉を思い出したのですが、一人の所長さんがこうおっしゃいました。「いろんな受刑者がいるけど、世間から見たら、この受刑者を見たら怖いと思われるかもしれないけど、実はこの受刑者は決してモンスターではないんだ」と言うのです。どういったことかというと、「みんな普通の人間なんだよ」と言うのです。「だから人は、たった一つの言葉で変わるから君たち、歌い続けてくれ」と、以前言われたことがあるのですが、やっぱり、今回ももう一度その道が、小さな道ですけど、開かれるようになって、もう一度主はそのような場所に私たちを遣わそうとしておられることも神さまのご計画の中かなとすごく思います。

 士師記六章十二節〜十四節、ギデオンに主が現れておっしゃったことが書かれています。

『主の使いが彼に現われて言った。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」ギデオンはその御使いに言った。「ああ、主よ。もし主が私たちといっしょにおられるなら、なぜこれらのことがみな、私たちに起こったのでしょうか。私たちの先祖たちが、『主は私たちをエジプトから上らせたではないか。』と言って、私たちに話したあの驚くべきみわざはみな、どこにありますか。今、主は私たちを捨てて、ミデヤン人の手に渡されました。」すると、主は彼に向かって仰せられた。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」』

 このようにギデオンに語っています。かつて出エジプトをした時に、数々の奇跡をして、本当に大きな神さまの栄光が現されたにも関わらず、今のこのイスラエルの民の状況はどういったものですか!もう惨めですよ!どうにもならないですよ!あなたどこに行っちゃったんですか!という、そのような中で、神さまはギデオンを選ばれました。
 甲子園ミッション、二十五年前、本当に栄光を現されて、あの甲子園球場に十二万何千人という方々が三日間で集められて、本当に主の輝く栄光が現されて、二十五年経って今どうかと言ったら、あの時のように多くの人が集まるわけでもなく、特に大きな変化があるわけではないのですが、しかしそのような中で主が私たちに語っておられるのは、「わたしがあなたと共にいる」とおっしゃっておられるのです。
 そして十四節をもう一度お読みします。

『すると、主は彼に向かって仰せられた。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」』

 「あなたのその力で行って、わたしがあなたを遣わす。そして救い出す。」とおっしゃっていますので、私たち一人ひとり、もう一度、神さまからの新しい賛美の剣をいただいて、主のみ前で力ある賛美という剣を持って、この地を勝ち取って、すべての被造物をも歌わせる、そのような賛美と共に、みなさんの住んでおられるそれぞれの街を、またそれぞれの会社であったり、人間関係の中であったり、学校であったり、それぞれの場所を勝ち取っていく働きをさせていただきたいと心から願います。
 本当に神さまご自身がここまで私たちを導いてくださったことをもう一度心から感謝すると共に、『全地よ。神に向かって喜び叫べ。御名の栄光をほめ歌い、神への賛美を栄光に輝かせよ。』これが神さまからの今日私たちに与えてくださっているメッセージであると信じます。一言お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ、愛する天のお父さま。あなたのすばらしいみ名をあがめて心から感謝します。今日はこうしてあなたを賛美し、あなたを礼拝する、この大きな恵みの中に、私たちを入れてくださったことを心から感謝します。主は今日もこの場所にいてくださり、私たちのこの礼拝を受け取ってくださっていることを心から感謝します。あなたのみ顔を拝し、そしてあなたのみ前にささげることのできる恵み、そしてこの賛美を心から感謝します。
 もう一度私たちの唇に新しい賛美と、新しい賛美の剣をお与えください。そしてこの賛美をさらに栄光に輝かせることができるように、そして与えられたそれぞれの力で、それぞれの地に行き、それぞれの場所で、あなたの栄光を現す者としての働きを全うすることができるように助けてください。この地にリバイバルを起こしてください。あなたの業を成してくださいますように。失望することなく私たちが歌い続けることができるように助け、戦い続けることができるように助けてください。主よ、お願いいたします。
 ここから始まったあなたのみ業が、今全日本に広がっていることを感謝します。またアジアに広がり、また世界にも持ち運ばれていることを心から感謝します。その力であなたは行け!と語ってくださっていることを感謝します。私たち一人ひとりを主が遣わしてくださることを信じます。心から感謝し、尊き主イエス・キリストのみ名によって、この祈り、父なる神さまのみ前におささげいたします。アーメン。

 イエスさまに賛美の拍手をおささげいたします。