「我らの主 弱い者の味方」

2018年11月11(日)
新城教会牧師 四元雅也
出エジプト記23章9節

『あなたは在留異国人をしいたげてはならない。あなたがたは、かつてエジプトの国で在留異国人であったので、在留異国人の心をあなたがた自身がよく知っているからである。』

 ハレルヤ!感謝します。今日もみなさんの前で奉仕できますことを感謝しております。
 今日は、「我らの主 弱い者の味方」というタイトルでメッセージをしようと思いますが、今の菊池陽子さんの歌は、人の心の弱さを隠さず表現しているような歌でありました。今日の礼拝のタイトルに沿うような内容の歌でした。第二コリント十二章に、「弱いときにこそ強い」というみことばがありますが、クリスチャンの法則は、自分を強そうに見せることや、自分が強いと思うところには、神さまは働いてくださらない、ということなのです。むしろ「弱いなぁ、足りない者だなぁ」と、自分のことが申し訳ないような苦しいような、そんな気持ちになってしまう部分こそ、主ご自身の力が働かれる場所であります。私たちは決して弱さを悲しむことはないです。むしろそこに主をお迎えすることが大事であると思います。
 また歌う前の彼女のコメントに、「自然にメロディーと詩が浮かんできた」とありましたが、すごいなぁと思いました。僕は今日も賛美リードさせていただきましたが、僕なんかどれだけ絞り出しても歌なんか出てこないのです。なので関心してしまいますが、いつも新しい歌をつくって歌ってくださることは本当にすばらしいと思います。

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 十一月三日に、甲子園ミッション二十五周年の記念集会がありました。甲子園球場の前のホテルで行われましたが、新城からも八十名くらいの方が参加したということで、この中にも大勢参加された方がいるのではないかと思います。本当にすばらしい集会が与えられて、また甲子園球場の中に入ったり、懐かしい顔にいろいろ会ったり、先生方のメッセージを聞いたり、本当に楽しい集まりであったことを感謝します。

 その日僕は、実は甲子園には行かず別の所にいました。

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 名古屋でこの教会のT姉の次男、Kさんという方が結婚式を挙げられ、司式のために呼ばれて行かせていただきました。この方は文才があってご自分で本を書いておられるのですが、結構売れているみたいです。再版を何回もして、またバージョンアップしているみたいです。

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 「日本国憲法を口語訳してみたら」という、表紙の絵と内容にちょっとギャップのある本なのですが、タイトル通り「憲法」を扱った本であります。私たちはクリスチャンとして、日本の国のためにお祈りすることは、すごく重要です。
今の日本の情勢を考えるに、特に自民党が憲法改正に積極的に向かっていこうと言っています。これは一九五五年からずっと言い続けていることです。安倍総理が自分の任期内にぜひやりたいと言っているわけです。
 自民党が作った憲法の改革草案、これはひどいもので、国民の権利を剥がして、国家の権力を増強するという意図が見え見えになっています。だから私はその憲法改革がそのまま通ったらいけないと思っています。
 ただ、憲法って堅苦しい文章で書かれており、なかなか取っつきにくいです。そこでこの方は、憲法の文章をくだいて、特に若者たちが使うような話し言葉で書き直しています。そして、元の憲法と対比して並べて書かれていますし、国際情勢の中の日本、その中で起きている様々な出来事についても、分かりやすく理解できるようにコラムを書いています。この方はクリスチャンではないのですが、クリスチャンにとってもお勧めしたい本です。特に若い兄弟姉妹には日本の未来のためにもぜひ読んでいただきたいなぁと思っています。
 今日はちょっとだけ、このメッセージにも後で関わりの出てくることもありますので、「前文」という、本文ではなくて、作者の前書きというようなものですが、それを読んでみたいと思います。

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「日本国憲法を口語訳してみたら」より抜粋
日本国憲法前文

俺たちはちゃんとみんなで選んだトップを通じて、俺たちと俺たちのガキと、そのまたガキのために、世界中の人たちと仲よくして、みんなが好きなことできるようにするよ。
また戦争みたいなひどいことを起こさないって決めて、国の主権は国民にあることを、声を大にしていうぜ。それがこの憲法だ。
そもそも政治っていうのは、俺たちがよぉく考えて選んだ人を政治家として信頼して力を与えているもので、本質的に俺たちのものなんだ。あれだ、リンカーンのいった「人民の、人民による、人民のための政治」ってやつ。

この考え方は人類がみんな目標にするべき基本であって、この憲法はそれにしたがうよ。そんで、それに反するようなルールとか命令は、いっさい認めない。
俺たちはやっぱ平和がいいと思うし、人間って本質的にはお互いにちゃんとうまくやっていけるようにできてると信じるから、同じように平和であってほしいと思う世界中の人たちを信頼する。そのうえで俺たちはちゃんと生きていこうと決めたんだ。
人を踏みにじって奴隷みたいな酷い扱いをすることや、くだらない偏見や差別をなくそうとしている世界のなかで、平和を守って、ちゃんと行動したいと思うのね。
名誉ある地位っていうかさ、なんかそういうの、かっこいいじゃん。

そのうえで声を大にしていうよ。
「全世界の人は、みんな、なににも怯えることなく、飢えることもなく、平和に生きる権利を持っている!」
この理想は俺たちの国だけじゃなくて、ほかのどの国にも通用するもので、一人前の国でいたいと思うなら、これを守ることは各国の義務だよ。わかってる?
俺たちはここにかかげたことを、本気で目指すと誓う。誰に?俺たちの名誉と世界に!

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 分かりやすいですよね。聖書でいったらリビングバイブルのような感じです。リビングバイブルよりもっと砕けていますが。
 元になっている憲法はちょっと平仮名の送り方が古風であったり、なかなか言い回しが堅苦しくて分かりにくいところがあるのですが、ここに書かれていることが憲法前文なのです。
 ここには憲法全体を貫く、憲法の中にこめられている理想、「日本国はこういうふうにありたい」という、そういった願いが描かれています。それは、

・すべての人が自由である
・すべての人が平等である
・国家の主権者は国民である
・政治は国民が選ぶ代表者に任される
・戦争を放棄し平和を守る

 これが憲法前文に書かれている理想です。これを元に後に続いていく憲法の条文が書かれているわけなのです。
 日本のために祈っていくうえで、こういった憲法の理想というものもしっかりと自分の中で押さえていく必要があります。この理想は人間的な理想でありますが、国を正しく運営していくために必要なものであると思います。日本国憲法の内容はは結構すばらしいものだと思うのですが、ぜひみなさんも興味を持って見ていただけたらなと思います。

 話は変わりますが、今、ペルーにおいてリバイバルミッションが行われています。世界宣教とりなしのライングループに入っている方には、ペルーから逐一写真とか祈りの課題とか送られてきています。グループに入っていない方もいらっしゃると思いますので、後々のメッセージにもかかってきますので、ペルーのことについて時間を取ってお話したいと思います。

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 これはワッチョという町です。今日はリマという首都に戻ってきているみたいですが、昨日までこの町で集会が行われていました。そんなに大きくない町であります。

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 ここは「霊媒の泉」というワッチョの近くにある湖です。変な名前ですよね。字のごとく、霊能者がこの泉のほとりに来て、動物の生け贄をささげ、血を地面に注ぎ出したりしながら霊に対して伺いをたてたり、霊的なパワーを自分に引き下ろすために呪術をするという、そういう場所なのです。
 だからそこに行くと、ときどき霊媒行為をした残骸、動物の死体だったり、毛だったりとかが地面に落ちているような場所なのです。写真を見ただけでは分からないかもしれませんが、行ってその空気に触れると呪術者たちが好みそうな場所だな、という所であります。
 私も二〇一一年にペルーに行かせていただいておりますので、ここはよく覚えていますが、今回もここで霊的戦いセミナーをしました。

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 これが今回、リバイバルミッションを招いて受け皿となってくださった教会の先生方です。

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 これはチチャという紫とうもろこしのジュースです。現地の牧師先生でビクトル先生、この先生が最初に順先生と知り合って、この集会が実現したわけですが、この先生は長年ワッチョで伝道していたのですが、先ほど言ったようにワッチョは魔術師がたくさんいる町で、また年に一回、全国魔術師フェスティバルが開かれて魔術師同士が業比べをしたりする場所であるので、宣教が非常に困難でした。
 戦いをすごく感じて、もう駄目だと「イエスさまなんとか助けてください。私はこのままではやっていけません!」と祈ったら、神さまが幻の中で、「日本からサムライを送ってやる」と言ったというのです。
 ほどなくしてリバイバル聖書神学校を卒業して、ペルーで宣教師として活動しておられる下田祥之先生とビクトル先生が出会い、下田先生の紹介で順牧師がワッチョに行くようになりました。そこで霊的戦いセミナーが毎回、ワッチョの地で持たれるようになったということであります。
 今回何回目か分かりませんが、今回は一つの集大成ですよね。リバイバルミッションとして行かせていただいた。

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 写真をご覧いただきますと、とりなしもされています。ここは後からも出てきますが、カラル遺跡という遺跡です。ワッチョの近くです。

 そして医療ミッションが行われています。

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 今回も星野先生と、岩井勝先生が現地でミッションをしておられます。ワッチョの町の中でも貧しい所もたくさんあって、大勢の方が診療に来られて、二回に渡って医療ミッションが持たれました。そして医療ミッションの傍らで学校に行って伝道会が持たれたのが次の写真です。

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 そして路傍伝道も持たれています。

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 守りの中で働きがなされています。世界宣教のグループでラインを受け取っておられる方は、開先生が犬に噛まれたと、そういうニュースも来て、心配したかと思いますが、病院で狂犬病ワクチンを打って予防しました。写真を見る限り大丈夫、本人からも大丈夫と報告が来ております。

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 これがワッチョの集会の写真です。私もこの場所に行ったことがありますが、現地の方々と合同で昨日まで集会が持たれていました。今日はリマのワチパという場所、私も行きましたが、そこではレデル先生という、新城教会にも来てくださった先生ですが、その先生の教会で集会が今なされているということです。

 ペルーについて少しだけお話します。ペルーの場所はここです。

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 リマとワッチョはこういう位置関係、車で四時間くらい離れています。リマは首都ですので、大きな都市です。

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 アンデスの文明が上から歴史順に並んでいます。
 一番下がインカ帝国、アンデス文明の中では一番有名な文明です。でもインカはこうやって見るとそれほど古くない。だいたい西暦十五世紀です。
 一番古いのが今回とりなしの祈りに行ったカラル文明、紀元前三千年と書いてありますので、今から五千年くらい前ということですね。「プレインカ=インカ前」と呼ぶのですが、プレインカの文明がチャピンとかナスカとか、シカン文明とかが有名な文明ですが起こりました。ちなみに今名古屋で大アンデス展というアンデス文明の歴史的遺跡から出土したものを展示する博覧会がやっています。先週テレビでも紹介していました。興味があったらそちらも行かれたらいいかと思います。

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 これが先ほど写真で写っていたカラルのピラミッドです。こういうピラミッドをペルーではたくさん見ることができます。「ワカ」と言うのですが、リマの都会も歩いてると突然ワカが出現したりします。あちこちにあります。
 カラルのワカが一番古いといわれます。五千年くらい前とは、エジプトのギザのピラミッド、有名なスフィンクスがたたずむあれよりももっと古い、南北アメリカ大陸の中でも一番古い文明がこのカラル文明です。
 カラル文明をつくったアンデスの先住民は、どこから来たかというと、アジアからベーリング海峡を抜けて北米から南下していったというのです。日本人とDNA情報が近い人です。
 ですから南米まで辿り着いて、そこで力を持つ権力者が生まれて、霊的な力で民衆を動かして呪術を行った、というのがこのピラミッドなのです。
 このピラミッドの上で霊を引き下ろしたり、生け贄をささげたりということが歴史の中でされて、それが後に続いてくるさまざまな文明にもそのまま受け継がれているのです。

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 これもカラルの後に出てきた文明のものですが、外科手術をした痕です。病気だから手術をしたわけではなくて、悪霊は頭に宿るということを信じていて、霊的な意味合いで、悪霊をその人から追い出すために手術したというのです。

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 これは有名なナスカの地上絵です。

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 これはインカ帝国のマチュピチュという町です。

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 これはインカ帝国で拝まれていた太陽神です。カラル文明から霊的な砦が築かれていったのでしょう。インカ帝国の国王は、十歳から十五歳くらいの子どもの生け贄を自分の長寿のためにささげさせたのです。また動物のリャマなども毎日ささげさせたと言われています。南米はそういった生け贄の文化がずっと残されて長いこと受け継がれてきた文化です。

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 これは「トリデシャリス条約」という条約です。コロンブスがアメリカ大陸を発見して、そこからスペインが全世界に乗り出して、世界の国々を自分たちのものにするために侵略し植民地化していった歴史があります。ポルトガルもそれに遅れじと派遣を争っていたわけです。
 そんな中で、一四九二年、ポルトガルとスペインの両国の間で交わされた条約です。世界をスペインとポルトガルに二分して山分けで統治してやろうという身勝手な条約なのです。

こういった条約が交わされたことで、緑色のポルトガルが領土と主張した所は今のブラジルがある所です。青い所がスペインの領土です。今、中南米のほとんどの国はスペイン語、ブラジルだけポルトガル語というふうに言葉が分かれていますが、500年前の条約の影響が今まで残っているのです。
 当時、いかにスペインとポルトガルの強い影響下に彼らが置かれたか、ということです。侵略者の強い支配の中で、先住民は苦役に服し、またスペイン人が持ち込んだ天然痘などの感染症で人口が激減してしまったということもあったようです。そんな中アフリカから奴隷がこの南米に運ばれてきて、労働力として徴用された、そういう暗い歴史を南米は通ってきました。
 南米の方たちは欧州の白人系、インディオの先住民族、それからアフリカの黒人系、大ざっぱに言うと、そんな民族が混じり合っているようです。

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 そしてスペインが持ち込んだのはカトリックです。カトリックに民を改宗させることによって、侵略者たちはその土地を自分たちのものだと主張することができました。けれどもカトリックは元々土着の宗教を排除せずに融合していく傾向が世界中どこに行ってもあるので、彼らは人身供養など、土着の宗教を保ちつつ、カトリックも受け入れていったのです。キリスト教といえどもいっぱい混ざってしまっている、そういったものを見ることができます。
 先々週でしょうか。順先生がハロウィンについてこの教会でもみんなで祈りましょうとお勧めされましたが、ハロウィンの時には、南米でも死者を祭る、そういった行為がなされます。そこでどくろが象徴として用いられます。極彩色に塗ったりして家に並べたり、軒下に並べたり、マスクでかぶったりとかなされたりします。
 そういう霊的な背景、土台がペルーの中にある。そこで戦いがなされるというのは、世界のリバイバルに向けて大きな意味があるでしょうし、また日本人と同じルーツを持つ方たちがペルーにおいてそのような偶像礼拝をしてきたということは、我々がとりなし祈る必要があることを覚えます。

 「ペルーの現在と新城教会」についてお話しようと思います。一九八〇年頃から二〇〇〇年頃まで、ペルーは共産主義者、毛沢東主義的な思想を持つグループがテロ活動をしていました。政府の転覆を企ててです。

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 これは自動車爆弾です。ISなんかも好んで使った戦法ですが、一度に何十人何百人という人を殺傷するということが頻繁に起きました。それが二十年に渡って行われて、その二十年の間に、七万人くらいがテロによって亡くなったと言われています。

 このテロを終わらせたのが、フジモリ大統領です。彼の任期の時に日本領事館がテログループに占拠されるという事件が起きていますが、フジモリ元大統領の手腕で共産主義者たちが捕まえられて、そしてペルーからテロがなくなった。

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 今のリマですが、リマは大変近代化されています。八百万人の人口があり、経済的にも南米で一番安定しているのはペルーだと言われています。テロリストたちが活動していた時期はすごいインフレでした。一番ひどい時は年間のインフレ率が七千パーセント以上という時があったみたいです。一週間のうちに二倍にも三倍にも通貨の価値が下がって物価が上がるということがテロの時代に起きたそうです。経済的にも不安定になって、二兆三千億円くらい損失があったと言われていますが、今は安定している。

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 でもその一方で、こんな貧民窟みたいなものがリマの町の郊外にはどんどん増殖して広がっています。経済格差がひどいということです。田舎のほうに住んでいる方たちは職がなくて、職を求め豊かな暮らしを求めて、都市部に集まってきては、自分たちで家を建てるのです。

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 「家」といっても板っぺらで四方を囲っただけの粗末なものです。こういった家を勝手に建てて、十年くらい暮らすと、その土地の所有権を主張できるそうです。そんな中で伝道していらっしゃるのが下田先生です。

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 これは下田先生が開拓をしている教会の一つです。順先生がメッセージをされています。こういった状態が九〇年代、ペルーの中にありました。

 その頃日本では九〇年に入国管理法の改正があって、不法労働者を日本から締め出す動きがありました。でも日本には高度経済成長期にたくさん外国人労働者が入って来て、彼らを追い出してはやっぱり経済がうまく回っていかないということで、不法滞在者を締め出す代わりの抜け道として、日系南米人には就労ビザを与えますよ、ということにしました。そこで九〇年から南米の方たちがこぞって働くために来られるようになりました。
 新城教会でも、ちょうどその頃、チラシ配布を今のピアゴの前でやっていたら、見慣れない外国人がいて、チラシを渡したところ集会に来られるようになり、というのが始まりで外国人の方へのミニストリーが新城教会の中で始まりました。
 当時のことを思い出すのですが「訪問伝道部会」というのがありまして、日本人相手に無作為に家を訪ねては伝道する訪問伝道をしていたのです。それが外国人に伝道という必要が起きて、訪問伝道部会が中心的に担うようになり新たな奉仕がスタートしました。僕も訪問伝道部会に属していて、外国人の方の住んでおられる家に直接行って、そして教会に導くということをさせていただきました。

 当時は彼らが日本に来始めたばかりです。人材斡旋会社が中間に入って、ペルーから労働者を連れて来て、日本の会社に斡旋して、マージンを取っていたのですが、会社が彼らにあてがった生活の場所はひどいものでした。
 斡旋会社は空き屋の一軒家を借りて、例えば八畳の部屋があったら、その部屋にだいたい五、六人赤の他人を詰め込んで雑魚寝をさせ、一軒の中には十五人とか二十人とか住まわせるのです。台所も一つ、トイレも一つ、お風呂も一つという環境です。彼らは住むために必要な家財道具も持ってきていませんので、ストレスの多い大変不便な生活をされていました。
 ですから彼らの家に訪問に行かせていただいて交わりを持っていると、そういった事情を目の当たりにして、かわいそうだなぁと思いました。
 それで新城教会では彼らをサポートしましょうということになりました。ウィークデーの夜に訪問に行って、「今度の日曜日に教会に来ますか?」「行きます!」と言ったら、日曜日の朝には車でお迎えに行って、何軒か周りながら教会に来る人を連れて、礼拝を一緒に守り、お昼ご飯のカレーライスは外国人の方たちはタダにしてあげました。午後からも外国人の方たちと交わりして、そして帰りは寮まで送って行って、ということを毎週して何年かそういう状態で働きが続いていきました。
そんな中外国人の方たちが教会の中で着実に増えていきました。今でも百人以上の方たちが来ていますが、当時も大勢の方が来てくださいました。

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 これは95年の私と家内の結婚式の写真ですが、この写真で私たちの周りにいるのは全部外国人で三十人くらいいます。外国人たちのミニストリーが始まって、私は当初から関わらせていただいているので、私が結婚することになった時、みんな会社を休んでお祝いに駆けつけてくださいました。
 今もいらっしゃる方たちがこの中に何人かいますが、帰国して今はいない方が多いです。
そんな中で教会に導かれてきた方がこの方です。

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 公畑フェルナンド先生も、九一年には新城教会にいらしたと思います。この方はペルーにいた時からクリスチャンです。また優秀な方で、大学も神学校も出ておられて、教会の中では若者のリーダーもしていました。でも国が経済的に不安定な中で、短期の出稼ぎに行こう、そんな気持ちで日本に来られたみたいです。
 当時、新城に来られたペルー人の方たちは、ほとんど英語が話せる人はいませんでした。迎える我々もスペイン語ができませんので、カタコトと手振りでやり取りするしかなかったのですが、フェルナンド先生は英語ができましたので彼らとの橋渡し的な存在になって、そして霊的なリーダーにもなって、教会の中で働きを一緒に進めて行くことができました。
 ひかるさんも当時訪問部会で奉仕しておられて、二人はいつのまにか仲良くなったのです。それで彼らも九五年頃に結婚されたと思います。そして牧師になられて、そして今日まで新城教会で働いておられるということです。
 フェルナンド先生はペルーで「牧師になりなさいよ」と周りから言われたほど教会でも信頼されていたみたいですが、ペルーでは、「私はそんな器ではございません」といって逃げていたようです。まさか短期の出稼ぎに来たつもりの日本で日本人と結婚して牧師になるとは思わなかったそうです。神さまは本当に不思議な方です。

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 スペインのテレビ伝道です。ホルヘ先生、この方も新城出身で、チーム新城でこういった活動をしました。

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 日本からペルーに帰って行った方たちを集めた集会も持たれました。これは二〇一一年に私がペルーを訪れたときの集会です。明日もそんな集会が持たれます。九〇年当初、この働きがスタートした時に、こんなに長い間続けられ、こんなに大きく拡げられるとは誰も思いませんでした。彼らが新城教会に来られたことを通して、世界宣教のドアが開かれるということが新城教会に起きました。
 九〇年以前の新城市には外国人がほとんどいませんでした。教会にはアメリカ人の宣教師、ジョイさんとかJ.P.とか、英会話を教えながら伝道の手助けをしてくれる人が来ていましたが。私なんか古い日本人的な、「外国人が日本に来たらその国の文化に順応し、文化に自分をアジャストしていくのが当然のことだ。文化的な違いがあるならば向こうが直すべきだ!」という凝り固まった考え方があり、高飛車な見方をしていました。
 でも彼らが来たことによって、いろんな文化を受け入れたり、多様性を受け入れることの大切さを知り、また、彼らの国民性が「賜物」として主に用いられていくことを目の当たりにした時に、潜在的な「日本人が優れている」というような高飛車な考えが打ち砕かれる思いでした。彼らはマイノリティー、少数の民族でありますが、そういった方たちこそ大切な方たちなんだと、彼らでしか開かれない鍵があるということを、まざまざと見せつけられたのです。
 有名なイザヤ書六十一章一節〜二節、

『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、』

という、イエスさまのことを預言したみことばでありますが、これに続くイザヤ書六一章五節には、

『他国人は、あなたがたの羊の群れを飼うようになり、外国人が、あなたがたの農夫となり、ぶどう作りとなる。』

彼らに対する働きが新城教会で成長してきたときに、私たちの物の見方も変えられたし、また一緒に主の働きを担う働き人として彼らが今日に至るまで大きく用いられている姿を見るときに、神さまがなさることは不思議だなぁと思います。世界の国々の情勢も神さまは使われて、我々を整えてくださる。
 今でこそ海外でのリバイバルミッションや伝道活動は、新城教会では普通になってきています。お子さんでもネパールなど海外に行って主の働きに携わるような時代になりました。
 でも九〇年代、私たちにはまだまだそんなことは考えられなかったと思うのですが、神さまが我々を鍛えてくださって、外国の方たちとひとつになって祈り合うことを、彼らを通して身をもって体験させてくださったと思います。

 当初新城教会で外国人たちは、ほんの一年の間にゼロから百人くらいになりました。当時は礼拝も一緒にやっていましたので、会堂が溢れかえるくらいに大勢の人が来るようになって、そしてペルー人の人たちも一緒に賛美をして、賛美の歌詞がローマ字と日本語で出されるようになったりして、通訳もなされるようになったり、新城教会も大きく様変わりしました。
 しかし、九二年、全日本リバイバル甲子園ミッションが始まった時、新城教会は大きな試練を通りました。七月九日に始まった霊的戦いの件で、一緒に礼拝を守り、信仰を共にしてきた方たちがごそっと新城教会を後にし、教会が分裂するということが起きてしまいました。それはとても悲しいことでありましたし、本当に大きなショックを受けた出来事でありました。大勢に出ていかれて新城教会も倒れそうになった時期でした。しかし、そんな状況でも私の記憶の中ではペルー人、ブラジル人の方たちは一人も出ていくということがありませんでした。
 彼らがいてくれることで教会は大きく慰められ励まされたのです。礼拝人数も三五〇人以上いたのですが、彼らがいなければ百人台くらいに落ちていたと思います。でも彼らがいてくれたので、そんなに寂しくなかったという記憶があります。

出エジプト記二十三章九節、

『あなたは在留異国人をしいたげてはならない。あなたがたは、かつてエジプトの国で在留異国人であったので、在留異国人の心をあなたがた自身がよく知っているからである。』

と語られていますが、神さまは本当に在留異国人、外国人たちを通してこの教会に新しい扉を開いてくださった。そういった意味で、今回のペルーミッションもとっても大事な働きであると、つくづく思わされるわけです。

 このみことばは、エジプトから引き出されたイスラエルの民に対して神様が語られたことばですが、このイスラエルの民も、エジプトの地では在留異国人で奴隷でした。モーセという預言者が立てられて、イスラエルを解放するわけです。聖書を全体的に見て思うのですが、例えば強い者と、弱い者があったとした場合に、神さまは掛け値なしに、絶対と言っていいくらい弱い方の味方をします。もし違っていたら教えてください。強い方と弱い方がいたら、絶対的に神さまは弱い方を助けられるのです。弱い者の叫びを聞かれるのが聖書の神さまであります。
 モーセが立てられて、エジプトから脱出し、紅海を分けて海の底を通り、水がないといったら水を与え、食べ物がないといったらマナを与え、肉が食べたいと言ったらうずらを与え、二ヶ月くらいかかってシナイ山のふもとまで導かれてきたわけです。
 そこで神さまは、モーセを通して、イスラエルの民と契約を結ばれたました。出エジプト記十九章一節〜八節、

『エジプトの地を出たイスラエルの子らは、第三の新月の日にシナイの荒野に入った。彼らはレフィディムを旅立って、シナイの荒野に入り、その荒野で宿営した。イスラエルはそこで、山を前に宿営した。モーセが神のみもとに上って行くと、主が山から彼を呼んで言われた。「あなたは、こうヤコブの家に言い、イスラエルの子らに告げよ。『あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れて来たことを見た。今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。』これが、イスラエルの子らにあなたが語るべきことばである。」モーセは行って、民の長老たちを呼び寄せ、主が命じられたこれらのことばをすべて、彼らの前に示した。民はみな口をそろえて答えた。「私たちは主の言われたことをすべて行います。」それでモーセは民のことばを携えて主のもとに帰った。』』

 ここはシナイ契約といわれるイスラエルの民と神さまとの間に交わされた契約について書かれていることばです。神さまがエジプトの奴隷から救い出されて、シナイまで連れてきた民を、今度は「わたしの民にしよう」「契約を結ぼう」とされたわけです。すると民が、「はい!」と答えました。そこで神さまが何をされたかというと、出エジプト記二十章で有名な十戒を与えられました。出エジプト記二十章二節〜十七節、

2「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、【主】である。
3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、【主】であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
7 あなたは、あなたの神、【主】の御名を、みだりに唱えてはならない。【主】は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
10 しかし七日目は、あなたの神、【主】の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。‐‐あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も‐‐
11 それは【主】が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、【主】は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。
12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、【主】が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。
13 殺してはならない。
14 姦淫してはならない。
15 盗んではならない。
16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」

 このような形で十戒です。私たちはこれを見ると、便宜上、「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」とか、「偶像を造ってはならない。拝んではならない。造ってはならない。」とか、「主の御名を、みだりに唱えてはならない。」とか、「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。」というふうに、「ならない、ならない、ならない」と書いてあるので、「戒め」すなわち掟のように考えるわけですが、本当はそうではないです。
 先ほど憲法の話でも出ましたが、この十戒にも前文があります。十戒の前文、

『わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。』

これが十戒の前文なのです。ユダヤ教ももちろんこの十戒を信じているのですが、ユダヤ教徒の場合はこの前文は第一戒になります。残りの戒めを調整して十に合わせるのですが、第一の戒めと言って良いくらいこの前文はすごく大事なのです。憲法の前文というのが後にあるすべての条文の理想を語っていると先ほど言いましたが、この十戒の前文もそうです。

『わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。』

 イスラエルの民は主なる神さま、エジプトから民を連れ出してくださった神さまと「契約を結びます」と応答した、その応答に対して神さまが十戒を与えたということは、イスラエルの民に、「わたしがあなたがたの神!あなたがたをどうした神さまですか?エジプトから連れ出してここまで導いたでしょう?紅海を分けてあげたでしょう?マナを降らせてあげたでしょう?」そういったものがすべて含まれるのです。
 その後でこの戒めが書かれているということはどういうことかというと、「戒めを守らなかったらあなたは救われません、守ったら救ってあげます!」という契約ではないのです。「わたしがあなたがたを救ってあげた。これからあなたがたはこのような戒めを持って、わたしとお付き合いしていきましょう。」そういう教えのことばなのです。律法というのは元々戒めではなくて「教える」という意味があるヘブル語の「トーラー」という言葉です。「守ったら救ってやる、守らなかったら地獄」というものではないのです。
 現実的にイスラエルがエジプトから救われたのは、神さまと契約を結ぶ前か、神さまと契約を結んだ後か?というと、神さまと契約を結ぶ「前」に、イスラエルの民はすでに救われているのです。救われたイスラエルの民に対して、「わたしが救ってあげた神だよ。わたしと契約を結びますか?」「結びます。」「それならわたしと付き合う方法はこういうものです。」「わたしがあなたを救ったのだから、あなたたには他の神は必要ありませんよね?」「わたしがあなたたの神なのだから、あなたたには偶像を作る必要はありませんね?」そういう意味合いでこの十戒をつくられたということなのです。

 だから神さまと人間との縦の関係で、これまではエジプトの偶像の中での生活を長く続けてきた民に、神さまとはどういうお方で、何をしたら喜ばれるか、何をしたら悲しまれるのかということを、具体的に知らないイスラエルの民に対して、「わたしはこういうものなんですよ」ということを教えられたのが、十戒だということなのです。
 このように神さまは私たちを愛して救ってご自分の民にしてくださって、その上で神さまと付き合う方法を語ってくださったということであります。そんな愛の神さまを私たちが信じて歩むことができるのは、本当にすばらしいと思います。
 イスラエルを救われた神さまは「弱い者の味方」であるということですね。
 ペルー人にこの教会を通して助けの働きをさせてくださったように、私たちが自分の弱さを感じるような時、問題の中にある時も、神さまは必ず救い出してくださる。

 聖書全体を見ると、イスラエルの民はその後何度も神さまを裏切るわけです。偶像を作ってみたりして。偶像を作り自業自得で大変な目に何度も遭ったりするのですが、その中で「神さまごめんなさい」と悔い改めて身を低くして主の助けを求めた時に、神さまはどうしたかというと、「おまえ、もう知らんわ!」と見放すことは絶対しないわけです。「弱い者に弱い」そういう神さまであります。本当に頼られると助けないわけにはいかない、そういう神さまであります。そんな神さまを私たちは教会の歴史の中でも体験させていただき、今日まで信仰を守ることができたことを心から感謝していきたいと思います。

 そしてこのペルーリバイバルミッションが最後まで守られて、神さまのすばらしい扉がこの地に開かれていくことができるように、ペルーの地に開かれていくことができるように祈っていきたいと思います。これで私のメッセージを終わらせていただきたいと思います。

 今日はこの教会に神さまが成してくださった一つのみわざの証しを通して、本当に神さまは弱い者を通してみわざを現してくださるということを一緒に学んできました。この教会も何度も何度も試練の時を通ったりしましたが、その度に神さまは抜け道をつくってくださり、脱出の道を用意してくださって、今日まで導かれたことを感謝したいと思います。またその中で現代の世界宣教の働きも続いていることを感謝して、またさらにリバイバルのために私たちが前進していくことができるようにとお祈りをしていきたいと思います。

 また教会や世界の話だけではなくて、個人的な領域においても、今問題の中にある方であったり、弱さを覚えていらっしゃる方であったり、そういった方たちを神さまは決して見捨てることはない。戒めを守ったら救ってやるという神さまではない。本当にその弱い、そのままで愛して、助けの道を与えてくださる。その上で整えて主の働きのために用いてくださる神さまであるということを覚えて、本当に神さまに信頼を持って仕えていくことができるようにと、また問題の中にある方は、その問題をそのまま神さまに明け渡して、委ねて、前進していきましょう。