「主の回復の時が訪れる!」

2018年12月2(日)
新城教会牧師 滝元開
使徒の働き3章20節

『それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。』

 感謝します。今日こうして神さまのみ前に心からの賛美の時が与えられたことを心から感謝します。

 二〇一八年、最後の月となりましたが、先ほどもお祈りしましたように、この年、主がここまで守って支えてくださったことを心から感謝したいと思います。

 つい先日、教会のスタッフの感謝会があったのですが、その中でそれぞれの証しがありました。二〇一八年、本当に大変だったという話が多かったのですが、でもその中で主の勝利があったと、ここまで神さまの守りがあって支えがあったことを覚えて感謝します。

 それでは今日は「主の回復の時が訪れる!」というテーマでみことばを学んでいきたいと思います。

 今日も新しい賛美をみなさんと共にささげました。「主の回復の時が」という歌ですけれども、神さまが本当にこの年の中でこうした曲をお与えくださったことを心から感謝します。神さまがくださったので、このみことばは、神さまがこの私たちの教会に対して、またリバイバルというこの戦いに対して約束してくださっているみことばだと思いますので、ぜひ今日はこのみことばをしっかりと握りしめてお帰りいただければと思います。使徒の働き三章二十節、

『それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。』

『主の御前から回復の時が来て、』とあります。本当に神さまの回復が、この時、この年、ここまで導かれた主が、これから力強く現されると信じて進みたいと心から願っています。

 お祈りいただきまして、ペルーからすでに三週間が経ちましたが、みなさんの大きな愛によって支えられて祈られて、今日ここに命あって立つことができることを本当に心から感謝します。「開が犬に噛まれた!」という情報がみなさんの所に届いてご心配をかけてしまいました。本当に申し訳ありませんでした。不覚にもやられちまった!という感じでしたが、でも本当にこうして生きていることを心から感謝します。

 その証しを先にちょこっとさせていただきたいと思うのですが、この山に私たちはとりなしに行きました。

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 ワッチョという町が一望できる山で、山のてっぺんに行くと、本当に三百六十度ワッチョが見えます。霊媒師の町と言われるその町でこの山の上で心から賛美しました。

 ちょうどこの時は医療ミッションがなされていた時だったのですが、その二日目、この地域を歌って賛美しようということで、ワッチョの町で歌っていたのですが、ふと見たらこの山が目に入りました。「あ!この山に登らなきゃ!」ということで、山に登ることになりました。

 この山のふもとには見えるようなああいった小屋がたくさんあるのですが、みなさんこういった小屋に住んでおられて、電気だけかろうじて通っているという所でした。水道もガスは通っていない場所でした。この場所での賛美、すごく祝福されました。

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 この頂上に十字架、偽りの十字架ですが、そこで主の勝利を宣言して、この地は主のものだ!と、今回、ペルーで神さまが導いてくださった働きがすごく意味のあることだということをすごく感じたので、本当に勝利をみんなで宣言しました。地元の若者たちと一緒に宣言して、大きな祝福と勝利でした。この地は主のものだ!とみんなで宣言し、ここに働くサタンの力が打ち破られる!という祈りと賛美をささげました。

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 アメリカから来られた竹内先生も一緒に行ってくださったのですが、本当に先生も激しく、その地の祝福のために戦ってくださって、大きな祝福でした。これが祈り終わった後です。

 そして山を下りて行きました。私は一足先にギターをかかえて歩いて行きました。みなさん山をゆっくりゆっくり下りて来たのですが、そして先ほどお見せした民家のある所にさしかかった所に突然犬が出てきました。

 最初小さいのがワンワンワンと後ろから来たので、うるさいなぁと思っていたら、そしたら今度は左手から大きい犬が近寄って来ました。二匹で私に向かってうわーっと来たのですが、うるさいなぁと思いながら歩いていたら、本当に突然の出来事だったのですが左腿の付け根ですが、ここに、その時はちょこっとかすったかなという感じでした。その犬は私に向かって吠え続けていたので、「何するだ!」と言って叫びました。被造物に歌えどころじゃなくて、こいつをぶっ倒そうと思いました。すいません、犬の好きな方には。このやろー!と思って、わー!っとやったら、キャンキャンキャンと逃げていきました。その危害を加えた犬はこいつです。

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 野良犬のようですけど飼い犬でした。結構かわいい顔をしていたので、これはもう大丈夫だろうなと私は全然大丈夫だと踏みました。

 でもみんなすごく心配してくださって、私は昔から病院行くとか薬つけるとか、そういう生き方をしてこなかったというか、父はそういう生き方をさせてくれなかったので、だいたい傷つくと唾つけておしまいなのです。だから唾をつけておしまいにしていたら、その横で娘が「犬に噛まれた」と調べ出したら、「狂犬病」、大変な病気だということがどんどん判明されて、それで普段は病院なんかに行かない私が行くことになりました。

 それで病院での様子がこの通りです。

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 この映像が、日本時間の朝四時くらいにみなさんに届けられました。下田宣教師がいろんな写真を撮っていたので、「それ私に送って」と言いました。そうしたら何を思ったか、彼はぽんぽんぽんっと世界宣教にコメントもなしに送ってしまったのです。私は車椅子に乗っているし、さぞ大変なことになっているだろうなと思ってくださった方がいるらしいでしょうが、ちょこっとかすった感じだったので、なんてことないなぁと思っていたのですが、「ワクチン打ちましょう」ということになって、ワクチンを打っている写真です。

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 でもお医者さんはワクチンを打たなくていいと言ったのです。「でも打っておきましょう」と、この看護師さんに医者が去った後にブスッと打たれました。私はよく考えたら三十五、六年ぶりに注射を打ちました。歯医者で麻酔を打ったことはありますが、それ以外の注射って打ったことがなかったのですが、ブスッと結構彼女は上手でした。何の痛みも感じませんでした。

 するとその横で下田先生は「この人は日本の歌手だ」とか言い出しました。「歌手じゃないし」とか思っていたら、するとそこはこういう看護師の部屋でした。

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 その部屋の片隅で注射を打たれていたのですが、彼女たちはミーティング中だったのです。ミーティング中だったのにもかかわらず、「この人は歌手だ」とか言い出したので、みんなが「それじゃぁ歌って!」ということになりました。家内はこの時、待合室のほうで待っていました。そうしたら下田先生が走って行って、「のりこさん!早く来てください!」彼女は何こそあったのかと慌てて来てみたら、「さぁ歌って」ということでここで歌うことになりました。

 今回、医療ミッションでしたが、「逆医療ミッション」になっちゃいまして、地元の病院で歌うという、こんなことあるもんかなと思いつつ、看護師のみなさんはスマホで動画を撮りだすし、ブラボーとか言って喜んでくださいました。

 歌って良かったなと思って終わると、「違う処置室にも行って歌ってほしい」と言うのです。しかもそこでは偶像礼拝について、それが罪だということについて話してほしいと言われるのです。

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 この男性、彼は交通事故で足を負傷していたのですが、私とは比べものにならないくらいの重傷だったのにもかかわらず、彼に向かって歌って、そして偶像礼拝が罪だ!イエスさまは生きている!悪魔も生きているから悪魔にしたがうとえらいことになるという話をしました。こんな笑顔でみなさん聴いてくださって、本当に不思議な体験をしましたが、すべてを益とされる主のみわざがここに現されたことを覚えて本当に心から感謝します。

 陰では本当にみなさんがお祈りくださって、ある方は、ご自分の親戚を狂犬病で噛まれた次の日に亡くしているという方がいらっしゃって、泣いて祈ってくださったというのです。泣いて「主よ!開先生が・・」と祈ってくださったそうです。申し訳ないことをしてしまったなと、本当にみなさんの愛を感じた時でした。

 十日間、犬が生き延びたら私は生きるということだったのですが、生き延びました。こんなメールがきました。最初に「Dog is fine.」だったのですが、下田先生が送ってきました。「perro esta bien.」ときました。

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「perro」というのは「犬」で、「犬は生きてるよ」と送ってきて、でしょ?という感じでしたが、でも神さまの大きな憐れみの中でこの働きに携わらせていただいたことを心から感謝します。

 犬に噛まれた後、私はみことばをいただいたのが、ピリピ三章一節~二節でした。犬に噛まれて、ホテルに帰って聖書を何気にぽっと開いたら、

『最後に、私の兄弟たち。主にあって喜びなさい。前と同じことを書きますが、これは、私には煩わしいことではなく、あなたがたの安全のためにもなることです。どうか犬に気をつけてください。悪い働き人に気をつけてください。肉体だけの割礼の者に気をつけてください。』

 このみことばでした。『犬に気をつけてください。』このみことば、行く前にいただいていたらきっと犬に気をつけて行ったと思うのですが、無防備で行ってしまったものですから、不覚にもやられてしまいましたが、でもこれすごく神さまが大きなことを教えてくださったなと私は思っています。

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 この「perro」というのは「犬」ですが、「perro」が「Peru/ペルー」になったんですって。これは地元のガイドさんが言っていたのですが、ペルーの語原は何ですか?と聞くと、perroだというのです。犬がペルーになった。私たちの格闘というのは血肉じゃなくて、サタンとの戦いですが、これって本当に神さまが何気に私たち遣わしてくださっているようですが、世界のリバイバルのために戦いなさい!とおっしゃっているなということをすごく強く感じました。ダニエル書十章十三節にこんなみことばがあります。

『ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、』

と書かれています。「ペルシヤの君」というのがいるのです。それぞれの国には「国の君」、悪しき君というのがいて、この日本には日本の悪魔のボスがいるのではないかと思います。日本をイエスのものに渡してなるものか!という、そういった存在というのがいると思います。

 しかしペルーには「ペルーの君」が居て、そして私たち今回行って、ある意味、ペルーの土台、そして南米の土台をとりなして、そこに勝利を打ち立てる、規模的にはそんなに大きな働きはしていないのですが、でも神さまがその国の土台そのものを勝ち取るために遣わしてくださっているということを、今回もこのことを通して教えられました。主から託された、私たちに与えられているこの戦いを戦い抜いていかなかったらいけない。

 もう一度、主のみ前に、主が私たちの教会に、私たち一人ひとりに対して、「この終わりの時代にわたしがしようとしているリバイバルは、この全世界のリバイバルだけども、そのために、全世界のリバイバルのために戦ってくれ!」とおっしゃっておられると思います。

 だから今回もこのペルーの戦いというのが、その国の土台そのものに対するもので、だからその国の悪しき君もちょっかいを加えてきたかなぁと思います。私の高級ブランドのユニクロのズボンがばりっと破れて、破れちゃった・・うーんと思ってホテルに捨ててきましたが、ズボン一本でそんなことを教えていただきましたが、みなさんの愛によって支えられたことを覚えて本当に心から感謝します。

 引き続きお祈りいただきたいことがあるのですが、今週は火曜日から香港のほうに行きます。今年の二月にも香港に行って、その時は一日だけだったのですが、香港でのザワメキの賛美集会をさせていただくのですが、今回も同じように賛美集会をさせていただくのですが、それともう一つ順先生が「中国のために」とおっしゃって、だから中国本土で今はリバイバルミッションをすることはできないけれども、もしも香港でできればという、そんな願いの中で今回行きます。

 ですから賛美集会と共に、私たちの慣れないミーティングまでしてくるので、本当に神さまが、みこころでしたら、扉が開かれて、国の悪しき土台を勝ち取るために遣わされていくことができるように是非、火水木金と行ってまいりますので、祝福されるようにお祈りいただければと思います。

 それでは本題に入っていきたいと思います。先ほど読みました「主の回復の時が来る」という使徒の働き三章ですけれども、神さまの回復が私たち一人ひとりに訪れて、そして教会に訪れて、国に訪れて、神さまの帰られる道が備えられていくわけですが、今年一年間を振り返ると、いろんな意味での回復もあったなと思います。

 その一つは賛美の領域が主によって回復されたかなと本当に思います。賛美ウィークというのをさせていただいて、また賛美月間で一ヶ月間ずっと賛美して、本当に賛美をささげてきました。その後、毎週木曜日にも賛美がささげられるようになって、近年にはなく、この新城教会が今まで以上に神さまに賛美をおささげできた年だったと思います。これは賛美の回復だなと思います。

 そんな中で、この十二月に入りましたが、今日みなさんにこんなカードをお配りさせていただきました。「これは日に七度、クリスマスプレイズ!」という、一日に七度のクリスマスプレイズという、そういった企画ですが、これ、同じ企画をネパールツアーの時にもさせていただきましたが、一日に七回賛美するという、こういった賛美です。ぜひみなさんもこの時間に合わせて一緒に歌っていただければと思います。

 七回ですが、まず朝起きたら一曲歌ってください。起きてすぐですね。曲はみなさんが聖霊さまによって教えられた曲で結構ですので歌ってください。

 そして朝食前に二曲目を歌ってください。

 そして三曲目は午前十時です。アラームをかけておいていただいて、十時になったら賛美してください。

 そして四曲目は昼食前、お昼の食事の前に賛美。

 そして五曲目は午後四時ですね。同刻プレイズが毎日されていますが、同刻プレイズがされているその時間にぜひ歌っていただければと思います。

 そして六回目は夕食前。

 そして七回目は就寝前ということで、七回のプレイズがなされますので、ぜひみなさんも歌って、この年の勝利を勝ち取るために、いろんな戦い、いろんな激しい戦いがありましたが、ある意味ここまで乗り切ってこられた中にも、やっぱり神さまへの賛美がこの教会で回復してささげられたゆえにここまで導かれてきたんじゃないかなぁということも、そのようなこともすごく強く感じさせられます。ですから私たち、心から主への賛美というのをささげていくということを日常の生活の中で賛美したいと思います。

 これ、どうして七回なの?というのは、詩篇百十九篇百六十四節に書かれています。



『あなたの義のさばきのために、私は日に七度、あなたをほめたたえます。』

 日に七度、何気にできそうで、なかなかできないことをこういった機会にぜひみなさんも実行してみてください。必ず大きな祝福の扉が開かれると信じています。

 また年を開けて、一月一日、二日は、リバイバル聖会が行われますが、その時も二十四時間の賛美ですので是非ご参加いただければと思います。

 そしてその次の週には、一月十一日、十二日は、以前みなさんにお祈りいただいた「リバイバルプレイズセミナー」、専門課程の賛美バージョンですが、その第二回目が行われますので、ぜひまたお祈りください。そしてそこに多くの方々が日本各地から遣わされて、賛美の勇士が主によって集められて、主によって立ち上がって歌い出す方々が今以上に起こされるためにと思っていますので、ぜひお祈りいただければと思います。

 今回は順先生が一枠担当してくださいます。そして鈴木陽介さんも担当してくださって、霊的戦いのエキスパートが賛美についてより深く、興味深く語ってくださいます。

 そして私の時間の中では、「賛美の勇士となるためのABCパート2」、そしてもう一つは「ギター一本で敵陣に乗り込む!」という、そういったテーマで学びの時を持ちます。ぜひお祈りください。「ギター一本で敵陣に乗り込む」とニュースに書きました。本当に小さく書いたのですが、でもすごくこのフレーズがぴんっとくる方がたくさんいらっしゃるみたいで、日本のいろんな所に行くと、「開先生!ギター一本で敵陣に乗り込むんですね!」と、なんかこれにヒットしてくださる方がたくさんいらっしゃるのですが、ぜひすべての方々がギター一本で敵陣に乗り込んで、そこで賛美しきったら、必ず新しいことが始まるので、そのことが始まればなと本当に心から思っています。

 前回私がここに立たせていただいたのは十月七日でした。その時は、「主への賛美を栄光に輝かせよ!」というテーマでした。だから賛美を栄光に輝かせて歌い続けていく時に主のわざがなされるという、そういったみことばを語ったのですが、その二日後に、私は一つの場所に行って賛美することになりました。それはどこかといったら葬儀場でした。

 この新城教会に出入りくださっていた一人の方が突然亡くなられて、ご親族だけで葬儀場でお葬式をしたいので来てくださいと言われて、だいたいそういう時は、そういった領域に長けた先生が行かれるのですが、みなさんお忙しくて、私だけ空いていたので私が行くことになりました。

 ノンクリスチャンのご親族だけだから、「行って何しようかな?そうだ、ギターを持って行こう」と思って、火葬場ですけど、ギターを持って行きました。私はちゃんとプログラムを作りました。まず祈祷、そして賛美、聖書朗読、賛美、メッセージ、火葬というそういった流れにしました。

 それで火葬場の今から焼かれるという前の部屋でうやうやしく行って、でも私は「これはキリスト教の葬儀だ!」と、なんのためらいもなくギターを持って行きました。それでギターを出して、「それでは今から歌います」と言って、一曲目は「いつくしみ深き」を歌いました。みなさんだいたいあのメロディーを知っているので、いつくしみ深きを歌詞を見ながら一生懸命歌ってくださいました。

 二曲目は「主の愛が今」を歌いました。そうしたら本当にその親族の方々、一生懸命歌ってくださるのですが、賛美の中に主はご臨在くださるというのですが本当に主の臨在がありました。そしてふと見たら、葬儀場のその係の人がその部屋の中にいたのですが、「主の愛が~♪」その前でこうして身体を左右にゆらゆらさせながら聴いているのです。「主の愛が~♪」と本当ににこやかに歌を聴いてくださって、主のご臨在、暗闇のどん底みたいな所にこうして現されるんだな、敵陣へギター一本で乗り込め!とは言ったものの、こんなこと主はさせてくださって、しようと思ってできることではないので、神さまがいろんな所で歌いなさいとすべての方におっしゃっているんだなと、そのことを強く感じました。

 その中で「イエスさまを信じたら天国に行ける!だから私たちには希望がある!」という話をしました。そうしたらそのクリスチャンでないご親族の方が「私もその希望を持ちたい!」と最後にはおっしゃってくださって、すばらしい恵みの時でした。

 そしてその次の日は、私と家内と二人で刑務所での賛美の時でした。ひさしぶりの刑務所で、そこの刑務所は私たちが何度も行った刑務所です。特にそこに刑務官の看守長が私たちの賛美の中ですごく心を動かしてくださいました。何年も前、初めて行った時にそこで歌った時に、そこで二、三十人の受刑者が聴いてくださったのですが、その中で最もやんちゃな人、手を焼いていた人が賛美の中で号泣しました。そして彼が本当に変わりました。変わって出所する時に何と言ったかといったら、「これから滝元さんの所に行きます!」と言って出所しました。にもかかわらず、私たちの所には来てくださりませんでした。

 そして一年後にまたその同じ刑務所に行ったら、その看守長がこう言いました。「滝元さん、あの号泣していた奴は滝元さんの所に行きましたか?」と言いました。「来なかった」と言うと、「そうですか。残念でしたね。どういうご縁か分かりませんが、ひさしぶりに滝元さんが来てくださった今日この日この時に、やつがまたこの所に戻って来てしまったんですね。」と、それだめじゃん!と思うのですが、また来てしまったというのです。でもやっぱり歌には力があるから、その時は教誨師の先生の中の三十人のコンサートが、全受刑者の前で歌ってくれと言われて、そこからある意味、刑務所の扉が開かれました。そんな思い出の刑務所にまた再び、本当に十年ぶりくらいに行きました。

 そして行ったら、実は一人の教誨師の先生を通して私たちは行ったのですが、教誨師の先生が刑務所に電話したそうです。「今回はギターを持って歌ってくれる人が二人来るのでよろしくお願いします」と刑務所に電話したら、「いやこの教誨の時間はお話の時間であって歌の時間ではない」と、そう言ったそうです。でもその先生はまたがんばってくださって、「何を言ってるんだ!わざわざ遠くから犠牲払ってきてくれるのに断るの!」と言ったら、「来てください」と言われて、私たちは行きました。

 だからどこかにこの扉を閉じようとした人はいるだろうなと思って、会う刑務官、会う刑務官、こいつかな?というような思いで見ながら、お交わりしながら歌う時を待ちました。

 そしてちょっと話は先ほどの話に戻りますが、看守長は十年ほど前にもう結構いい歳でした。そしてその方は他の刑務所に行ったということを私は知っていたのですが、もう定年過ぎていて、いらっしゃらないはずでした。

 そして、さぁこれからコンサートです!ということで、私がギターを持って外に出たら、ふと見たら、遠くにその看守長らしき方がいました。ただその看守長は髪の毛ふさふさして大柄の、こういうがっちりした人だったのですが、ぱっと見たらスキンヘッドなのです。違うかな?でも似ているな?と思いました。そうしたら向こうもこっちを見て、違うかな?でも似ているな?という感じで来て、彼何と言ったと思いますか?私に向かって第一声、「あのなんか髪型が変わったので・・」と、あなたに言われたくないっていう感じだったのですが、髪はそりゃ多少は抜けたかもしれないけどあなたはつるつるじゃない!と、そこから十年ぶりの再会をしました。そうしたら「いや~!滝元さんでしたか!」と本当に心の通い合う交わりをその廊下でしました。

 そうしたら周りの看守たちが「そういう人だったのか!」と、これはちょっとまずいという感じになって、最後はすごく喜んでくださって、すごく大きな恵みでした。

 ただ受刑者たち、その時は教誨師の先生方の教誨の時間だったので、そこも二十人くらいの前で歌いました。刑務所は基本的に私語厳禁です。なんかべらべらしゃべってしまうと刑期が延びてしまうので、みんなすごくまじめにこうしています。

 ただ私たち歌っていて一つびっくりしました。その時歌っていたのが、「夢を手放さないで」という歌で、「♪夢を 手放さないで 明日から 目をそらさないで 君を 愛する主イエスが 守ってくれるから♪」という歌を歌いました。それで二人だけで歌っているのにも関わらず、どこからともなく声が聞こえるのです。「♪夢を 手放さないで♪」え?どこから聞こえるのかなと思ったら、ふと見たら丸刈りの彼らが「♪夢を」と歌い始めてしまったのです。本当に囚人の口に主は賛美を与えてくださって、いや~新しいこと始まっているなとすごく強く感じました。

 この話をこの間ザワメキでしたら、順先生が、「やつらの夢が強盗だったらどうするんだ?」とか言っていましたが、でもイエスさまに出会って夢を手放さずにがんばっていただければと思っています。

 でも、神さまの賛美の中にご臨在くださるというその約束のみことばは変わらないので、そのことを信じて、ぜひこの日に七度の賛美をこれからささげ続けていく時に、この十二月、さらなる主のわざが起こされると信じます。ぜひみなさんの職場で、学校で、地域で、ご家庭で、通勤時間中かもしれないし、学校の授業中かもしれないですけど、あっ!十時だ!と思ったら歌っていただいて、四時だと思ったら歌っていただいて、その都度その都度歌っていく時に、神さまは必ず何か新しいことを始めてくださいますので、そのことを信じて、さらなる回復を見させていただきたいと思います。

 そしてもう一つの回復は、やっぱり被造物の回復だと思います。神さまが新しい領域のみことばの真理を開いてくださって、被造物までもが歌うってすごいことだと思います。被造物を味方につけたら、なんというか、天使もそうですが、被造物まで一緒に戦って一緒に歌ったらこわいものはないというか、サタンは打ち破られるだけで、そして悪霊も被造物なので、本当に彼らも縛り上げられて、「イエスさま歌います・・」と悪霊までもが歌うことがなされるということを教えてくださったこと、これは大きな回復だなと思います。

 ローマ書八章二十二節、

『私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。』

と書かれています。被造物全体がうめいているというのです。イエスさま帰って来てください!帰って来てください!とうめいている彼らにも歌うことを命じるときに、この被造物が共に主を賛美するという、そんな大きな回復のわざが始まっていますので、これから十二月、そして来たる年にはさらなる主の栄光が現されることを信じて進んでいきたいと思います

 そしてもう一つの回復は、この使徒三章のテーマですが、やはり健康の回復って大切だと思います。主が私たち一人ひとりに健康を与えてくださって、その健康が回復して、主の勝利が現される!そのことを見せていただきたいと思います。使徒の働き三章一節~八節、

『ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。すると、生まれつき足のきかない男が運ばれて来た。この男は、宮にはいる人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。彼は、ペテロとヨハネが宮にはいろうとするのを見て、施しを求めた。ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい。」と言った。男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。』

 回復の時が来ると語られる前の出来事がこの出来事です。美しの門の所にいた足のなえた人に向かってペテロとヨハネが「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。」このみことばを聞くと、「金銀は私にはない。」ここは一緒だなといつも思って育ってきました。

 でも二章です。聖霊が注がれて、持ち物が共有されて、最近語られているように、平等な世界の中で、ペテロもヨハネもたまたまポケットに財布が入っていなかったからなのかどうなのか、でもここで神さまどうしてあえて「金銀は私にはない。」ということばをここに残したのかなというのは、やっぱり私たちの生活の中の土台そのものが金銀ではないということははっきりしないといけないことだと思うのです。

 私たちがこの資本主義のお金がすべてで、このお金が頼りというのではなくて、「イエス・キリストの名によって歩きなさい!」と言った時に神さまのわざがなされましたので、私たちは本当にそのようなみわざが、回復が訪れるということを信じて、このみことばに立って進んでいきたいと思います。

 この礼拝で語られるみことばというのは、ある意味で神さまからのみことばの宣言だと思います。それを私たちが受け取るか受け取らないかが大きな鍵で、本当に神さまは今回、こうしたみことばを賛美と共に与えてくださったので、主の回復の時が訪れる!うめきも悲しみも賛美に変わってすべての被造物が主を賛美することが始まる!と宣言してくださっているので、そのことを信じてぜひ進んでいただければと思います。その時に神さまの大きなご栄光がこの地そのものに現されていくと信じています。

 八節に、

『おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。』

 イエスさまのいやしというのは中途半端ではないのです。こうやって立たせてなんとなく立った!がんばろうがんばろう、そして慣れたからちょっと歩けるというのではなくて、本当にその瞬間に歩き出して、歩いたりはねたりしながら賛美するというわざが起こされましたので、そのようないやしのわざが起こされる年であることをこの十二月、そして新たな年がそのような年になることをイエスさまのみ名によって宣言します!アーメン!

 最後に十六節もお読みします。

『そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。』

と書かれていますので、このイエスさまのみ名が私たちに与えられていますので、このイエスのみ名による主のいやしのわざが起こされる、そのような回復が訪れると信じています。

 最後にもう一度、二十節をお読みして終わりにしたいと思います

『それは、主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。』

 イエスさまを私たち一人ひとりに遣わしてくださって、リバイバルの回復のわざをこれから始めてくださいます。賛美が回復され、また被造物が回復され、そしてまた私たち一人ひとりの健康も回復されて、主のわざがなされていくことを信じて前進し続けて、主の戦いを戦っていきたいと思います。

 一言お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ、愛する天のお父さま。あなたのすばらしいみ名をあがめて心から感謝します。今日こうして私たちはあなたのみ前に賛美をささげる、このような大きな恵みの中で、ここまで来ることができたことを覚えて、もう一度心から感謝します。あなたの回復の時が、私たち一人ひとりの所に、今訪れていることを信じて心から感謝します。

 この使徒の三章の二十節、今日は私たち受け取ります。あなたの回復の時がイエスさまのみ名によって訪れていることを宣言します。そして主よ、これからその回復のみわざを私たちの生活のただ中に見ていくことができるように助けてください。ここまで支えてくださった主にもう一度心から感謝し、すべての栄光を主にお返しして、主イエス・キリストのみ名によってこの祈りを父なる神さまのみ前におささげいたします。アーメン。