「私の助けは主から来る」

2019年4月18日(日)
新城教会牧師 滝元開
詩篇121篇1節〜8節

『私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。 私の助けは、天地を造られた主から来る。 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。』

 ハレルヤ!感謝します。今日はこうして神さまのみ前に心からの賛美をささげて礼拝でき、そしてみことばを学ぶこのすばらしい機会が与えられていることを心から感謝します。

 お祈りいただきましたネパール宣教ツアーが終わって、もう二週間が経ちましたが、もう一度本当にみなさんの背後の熱き祈りを心から感謝します。
 総勢二十三名で参りましたが、皆が命を守られて、無事に帰ることができたことを心から感謝します。しかも、今回は大きな病に倒れたり、お腹を崩したりする人がなく、無事にすべての働きを全うすることができて、本当に心から感謝します。
 私は六回目の宣教ツアーでしたが、今まで過去六回のうち、三回はお腹を崩して、だいたいお腹を崩すとネパールの場合は十日から二週間くらい崩すのですが、今回はそれがなくて守られました。
 でも実は私はネパールに行く前くらいから少し咳が出ていて、ネパールに行ってその咳が止まりませんでした。そしてホームステイ、土の上で寝たりするわけですが、そんな中で咳が止まらない状況がずっと続いてしまってツアーメンバーに迷惑をかけてしまいました。
 そして帰国したらきっと治るだろうと思っていたら、実は治りませんでした。ずっと真夜中になると咳き込んでしまって、本当に大変な状況が続いていました。おまけに今回、声も出なくなってしまって、その間に奉仕もあったものですから、そこは私が声を出ない分、家内にカバーしてもらいながらずっと進めてまいりましたが、毎晩、夜中に必ず起きて咳き込んでは戦う感じをずっと続けていました。
 実は昨日はZawamekiの東京大会があり、集会寸前で咳き込んでいたのです。その集会前、牧師先生とお話をしている時も咳き込んだりしていたのですが、何と集会が始まったら奇跡的に声が出ました。恵みだなぁと思いました。メッセージの時も声が出ましたし、そして帰って来て昨晩は一晩、全く咳き込むことなく二週間ぶりに平安な、静かな夜を過ごすことができて、「朝まで寝た!」と、何気なく朝まで寝られることって本当に大きな恵みだなと思っていますが、みなさんの祈りに支えられてここまで来ていることを心から感謝します。

 今日は「私の助けは主から来る」というみことばをテーマにさせていただきましたが、ただただ主が助けてくださらなかったら、この働きは成し遂げることができないということをもう一度改めて感じました。
 神さまが後ろから押すように、さまざまなリバイバルの働きへと導いてくださって、近年は特に、そこまで行くか!と思うほどに、海外へと導いてくださっています。
 これがリバイバルを勝ち取るための、また土台を勝ち取るための戦いだということを以前も学びましたが、リバイバルという大きな戦いのために神さまが遣わしてくださっておられるということが、いかに大きな主の戦いかということをすごく強く感じています。主の助けがなかったら何もできないなぁというのが、心からの私の思いです。
 これからもまた世界宣教の働き、続きます。ぜひ覚えてお祈りください。この日本が勝ち取られると同時に、全世界を勝ち取って、主イエスさまの帰られる道が備えられる働きがなされるようにと心から願っています。

 今回、ネパールの宣教の働きが、「ヒマラヤミッション」というタイトルで高い山々に向かって私たちは戦いを挑むという、そういう働きだったのですが、そこで大きな主の勝利が現されました。
 そして五月は、北インドミッションが行われます。ぜひそのためにもお祈りいただければと思っています。今十一名の方々が参加されることになっていますが、北インドの悪しき牙城に攻め込んで行って、そこで主を賛美して、そこの被造物も主に歌い、そして主のみわざが成されるために出向いてまいりますので、ぜひ覚えてお祈りください。

 そしてさらに続きます。六月には香港ミッションというのがあります。ニュースでご覧になった方もいらっしゃると思いますが、六月十八日〜二十一日、火曜日から金曜日という、四日間の弾丸の集会になるのですが、行って、そして二日間だけ十九日と二十日に集会をして帰って来ます。ぜひお時間作って、主が行けと語られる方はぜひ行っていただければと思います。
 そのためのチラシがこれはまだ完成品ではないですが、できています。

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 香港と日本が合同をしてリバイバル集会をするという、こんな集会になっています。平岡修治先生がメッセンジャーで私たちが賛美をさせていただきますが、ぜひお祈りいただいて、「私も行こう!」と思った方は祈り始めていただいて、準備していただければと思います。
 これに先駆けて、五月十九日には野木先生がわざわざ新城に来てくださいます。ここでメッセージを語ってくださって、野木先生と言えばご存じの方はご存じ。中華のシェフなので、昼食は野木先生がご馳走してくださいます。
 今回私たち、ここで集会することになったこともすごく神さまの不思議な導きでした。野木先生が香港におられること、私たち知りませんでした。
 それが昨年の二月にタイに行った帰りに、たまたまその飛行機が復路十円という飛行機だったので、香港で二十四時間の待ち時間があるというチケットだったのです。だから二十四時間あるから、月曜日だったのですが、そこで何か集会ができればなぁと思って私は何気なくホームページを見て、一つの教会にメールしました。「二十四時間あるので月曜日に夜の集会、できたらいかがでしょうか?」とメールをしました。全くつてのない香港で。
 そして、しばらく経ったのですが、返信がずっと来なかったので、これは駄目かなと思っていたのですが、諦めようかと思った時に、ある夜私、眠れなくて、その夜、その教会のことが気になって、コンピューターで教会を見始めました。
 そしてよく見たら、そこの教会の牧師が「野木朗」と書かれていて、リバイバルミッションの働きをずっと助けてくださって、またこの教会でも何度も中華の伝道集会をしてくださった、その先生と最近日本ではお会いしてなかったのですが、先生どこに行ったのかなぁと思っていたら、なんと香港におられました。それで、野木先生ですか!ということで、私は野木先生の携帯番号を持っていたものですから、早速電話をしたら、なんと通じたのです。そしたら、「是非来てくれ!」と言ってくださって、そこからの開かれた道でした。
 神さまは不思議なことをなさって、そこからもう一度、昨年の十二月に行って、この六月の香港大会に至りました。

 どうして香港か?それは大きな目的があります。もちろんリバイバルですが、順先生が香港の大会をしようとおっしゃってくださって、どうしてかといったら、やっぱり私たちは中国のために祈らないといけない。あの大国中国でリバイバルミッションをできたらいいけど、中国本土でできる状況ではないから、今香港は中国の中にありますから、中国の中で集会ができるうちに、光のある間に福音を伝えよう!ということで、このような運びになりました。
 たった二日間の集会が持たれるのですが、これはすごく大きな意味があることであるとすごく感じていますので、ぜひお祈りいただいて、この大会が主にあって勝利するように、また次にさらにつながっていく、そんな働きとなるように、覚えてお祈りいただければと思います。
 一つ一つの働きが主のみ手の中で進められていますが、神さまが下ろしてくださるテーマというのがあまりにも大きいゆえに、本当にこれは神さまの助けがなかったら何もできないなということをすごく強く感じさせていただいています。

 ヨハネ十五章五節に、こんな有名なみことばがあります。

『わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。』

 私たちリバイバルの戦い、リバイバルの働き、土台を勝ち取るための戦い、あまりにも大きなテーマで、そこに向かって挑め!というのは、本当にある意味、人間的に考えたら無謀な戦いだと思います。

 今回のヒマラヤミッション、ネパールの戦いも、すごく大きなテーマ。ヒマラヤに対して剣を向けるというのは、この世界の屋根と呼ばれて、世界を牛耳るような悪霊どもの働きが打ち砕かれるように!どこまでそれを理解されているか分からないですが、二十三名の方が来てくださって一緒に戦うというのは、本当にある意味命がけだなとすごく思います。でもやっぱりイエスさまを離れては私たちは何もできない者だということを、今回つくづくそんなことを教えられながら、でも今回のネパール宣教ツアー、大きな勝利でした。
 今回、この教会からも十二名の方がご参加くださったのですが、特に若い兄弟たち、中学生二人が行ってくれました。これ、参加した若者四人組なのですが、両端が私たちの教会のメンバー二人ですね。

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 彼らが本当に若い力を存分に発揮してくれて、すごく喜びました。「快適!」「ホームステイ快適!」と言っていましたし、そこで何か食物を出してくれたそうです。何かよく分からないものを出されて、その少年は食べたそうで、どうだったかと聞いたら、「めっちゃうまかった!」と言っていました。すごいな、普通だったらちょっとお腹のことを気にしながら食べないのが普通かなと思いましたが、でも食べて、「楽しかった!」と。

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 彼らが本当にいろんな働きをする中で、これはみんなのために祈ってくださいという時の祈りの写真ですが、これは結構感動でした。村中のこどもたちが来て賛美して、「剣を投げます!」と祈った後に、実は一緒に剣を投げた半分の子たちがヒンズー教徒の子だから、この子たちのために祈ろうという時間が持たれて、日本人のみなさんもそこに行って祈ってくださいと言って、彼らが彼らの中に入って行って真剣に祈っていました。いやこれすばらしいなと思って、本当に感動しました。神さまのみわざだなと思いました。そんな彼らが今回、勇ましく戦ってくださって、主のわざでした。

 ネパールを離れる寸前、最後にボダナートという所のとりなしに行きました。本当になんとも混沌とした場所で、人は多いし、ほこりは多いし、鬱蒼としている所なのですが、そこでみんなで賛美して祈ってとりなしして、そして最後、すべての働きを終えてバスの中でもう一度賛美して、勝利を宣言して、歌いきったかなと私は思ったので、歌が終わって、すぐに空港に着く寸前だったので、いろんなパスポートやEチケットのことなどの確認をしたのですが、そんな中でうちの中学生二人が歌い出したのです。何を歌い出したかといったら、「この地は主のもの!この地は主のもの!」と、大きな声で歌い出しました。いや〜この賛美必要だったなと思って帰りましたが、神さまのみわざが今回も大きくなされたことを覚えて心から感謝します。

『私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。』と書かれていますが、ここは以前にも学んだことがある箇所ですが、この一節、二節、

『私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。 私の助けは、天地を造られた主から来る。』

というこのみことばをリビングバイブルで見るともう少し分かりやすく書かれています。

『私は、山に住むという神々に、助けを仰ぐべきなのでしょうか。いいえ、真の助けは、山々を造られた神様から来るのです。 この神様は、天もお造りになりました。』

 これがリビングバイブルの訳です。私たちは山に向かって目を上げるけど、そこは山に住む神々に助けを仰ぐべきか、そうじゃないんだ!本当の神である救い主である神さま、全地の創造主である神さま、主イエスさまに目を注ぐべきだということをこのみことばは語っています。
 今回、ヒマラヤミッションということで行ったのですが、ネパールには八つのヒマラヤがあります。そしてそれぞれの山に神々が住んでいると言われていて、その山々の神々が座していると言われていて、その神々が一つになっている場所というのがカトマンズにあるのです。そこでの戦いが毎年続けられていますが、やっぱりその神々に私たちは目を留めるのではなくて、天地を造られた主に目を留める。そんな思いで戦い続けなければいけないと思っています。

 今回、ネパールに行って毎年助けてくださる地元の先生方、兄弟姉妹がバックアップしてくださいます。パク先生という宣教師の先生をはじめとして、地元の先生方や兄弟姉妹が助けてくださらなかったら絶対にありえない働きなのですが、その協力があってこの働きが一歩一歩進んできたのですが、今回の働きはヒマラヤミッションと言ったら、彼らの目がきらっと光りました。ヒマラヤミッション!
 今までも新城教会が行くツアーが毎回衝撃らしくて、いろんなことが衝撃らしくて、山に上がって、二十人、三十人が来て、そこでひたすら賛美して、そして賛美の中で神さまの勝利が現されるし、ある時は村の長老である霊能者がイエスさまを信じたし、いろんなことが起こされていく。しかも絶対にありえないようなホームステイまでする。すごいなと思っていたらしいですが、今回はヒマラヤミッションときて、彼らは黙っていられない!という感じでした。
 ヒマラヤミッション!そうしたら私たちは立ちあがるしかない!という、そんな気持ちで、その話をしてすぐに、私たちもこれに参加したい!とおっしゃって、できたら五月の北インドにも来たいとおっしゃっています。ぜひ来ることができるようにお祈りいただいて、本当の意味でこの山々に座する悪しき力が打ち砕かれて、ヒマラヤが主を賛美し始める時に、そこから全世界に流れる悪しき流れではなくて、主の祝福がそこから流れる働きがこれから起こされていくように、ぜひ覚えていただければと心から願います。

 三節にこんなみことばがあります。

『主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。』

と書かれています。「あなたの足をよろけさせず、」とありますが、ある意味、私たちの目指す所はここだ!ということを、神さまはこの近年になって、また毎週ごとに語られるみことばを通して、今までじゃないスピードで覆いが取りのけられて、ここだ!という道を神さまは導いてくださっていると思います。
 今まで、主の働きをしながら、足がよろけるようなことがあったのかもしれませんが、イエスさまは今はっきりと私たちを導いてくださっているので、その主のみ声に従って、これから一歩一歩進んでいきたいと心から願っています。

 そんな働きの中で、私たちも一歩一歩いろんな働きが主に導かれていることを心から感謝します。今年の三月の十一日で震災から八年目となりましたが、今年もの被災地でのコンサートを行うことができて、本当に大きな恵みでした。
 今回は会津若松でコンサートをしました。私たちが行った施設に来られている方々というのは、「第一原発の門の前に私は住んでいた。」というそういうおばあちゃんに会いました。そしてその地域の方々が来てくださってのコンサートでしたが、本当に祝福されました。神さまがその方々のことをお忘れにならずに、「そこにわたしの福音、わたしの愛を伝えてくれ!」ということを肌で感じる時でした。
 私たちがコンサートをしていたら、遅れ気味で一人の方が入って来ました。腕章を付けて、カメラを持って来ました。どういった方かなと思ったら、新聞記者でした。福島日報という新聞社の記者の方でバシバシと写真を撮っておられました。
 そしてコンサートが終わってお茶を飲む時になったのですが、その方がいろいろと私にもインタビューをし始めました。「どこから来たんですか?」『愛知県です。』「お名前は?」『滝元開といいます。』「奧さんは?」『典子といいます。』そんな話をしました。
 家内はどこに行っても、みなさんの心が開かれるようにということで、一つの質問をコンサートの中でよくします。「さて問題です。私はいくつでしょう?」という、そういう質問をします。そうするとみなさんいろいろな反応がされるのです。一番厳しいのはシーンとされることなのですが、だいたいみなさんがんばって、「二十五歳!」とか、なんか言ってくれるんですよ。「違います。答えを言いますね。十七歳です。」と言うと、「おー!そうだと思った!」とか言うそんなおじいちゃんがいたりするのですが、そんな話を今回もしました。
 そしてその新聞記者がいろいろ聞くものですから、「滝元さんはおいくつですか?」と言うものですから、『私?私は五十八歳です。』「そうですか。若く見えますね。」『ありがとうございます。』「じゃぁ奥様は何歳ですか?」『十七歳です。』「十七歳・・」メモしていましたね、彼。さぁこれ果たして新聞に出るのかなと思ったら、これが写真です。

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 十七歳は出ていませんでした。残念でした。「音楽とお茶 心うるおす」ということで、福島日報に出ていた記事ですが、本当に神さまがいろんなことを通して神さまの栄光を現してくださって、そこに主のわざをなしてくださっていることを覚えて、本当に心から感謝しています。

 その夜にも一つの集会があって、そこにも一人のやっぱり同じように第一原発の近くから来られた七十前後のおじさんが来ました。すごく生真面目な感じのおじさんでした。それでコンサートをずっと静かに聞いてくださっていました。もちろんクリスチャンではない方でした。
 そして終わった後にその方とお話をしました。「どうもありがとうございました。お元気でいてください。」とお話をしたら、「良かった!」と言ってくださいました。そしてその方、何とおっしゃってくださったかといったら、「実はこの八年間、緊張というのが溶けたことがなかった。だけど今日歌の中で不思議と緊張感が取れた。」と言うのです。神さまの愛ってすごいなと本当に思いました。
 第一原発を追われて、みなさん口々におっしゃるのは、「二日、三日で帰られると思った。」と、みなさん全員そうおっしゃるのですが、それからあっちにこっちに渡り歩いて今の場所に来たけど、ずっと緊張した生活だったけど、歌の中で緊張感がほぐれたというのは、神さまの愛がその方を包んでおられましたしるしでした。その方のみならず、その地域そのものにも神さまが訪れてくださるようにと、そのようなことをすごく強く感じた時でした。神さまの恵みがみなさんの祈りの中で現されていることを覚えて心から感謝します。

 話はまた変わりますが、昨日は東京でのザワメキワーシップシャウトでした。百七十八回目でした。ザワメキが独立してから、毎月歌い続けています。ひたすら歌っているのですが、実は昨日から会場が変わりました。麻布の広尾という場所があります。そこは超高級住宅地なのです。本当にこれ以上いないというセレブの方々が住んでおられる所で、広尾とザワメキが何の関わりがあろうかというか、私たちが行くと完璧に浮くというか、本当にこれは盛っていませんが、街を歩いておられる方々がみなさん、ファッション雑誌からひょいっと出てきたような方々がいるのです。家族中、お父さん、子どもたち、犬みたいな感じで、できあがった感じの人たちが普通にいるし、普通でカフェでこうしておられて、そこでこの新城人が行って、「そこで歌うぞ!」みたいなのは絶対に浮くんですが、神さまは不思議なことをしてくださってそこで歌うように導いてくださいました。

 今年の二月に、NRAという集会がありまして、「日本リバイバル同盟」という働きで、明牧師がそこの一員でリバイバルを求めるための超教派の働きということでずっとしてきました。そして父が天に帰った後に、新城教会、リバイバルミッションからの参加者というのがいなくなったわけですが、私たちこの数年、毎年、東京の尾形守先生という先生の教会で毎年ザワメキのコンサートをしてくださいとおっしゃっていただいて、毎年させていただいています。
 その尾形先生はリバイバルのためにずっと戦っておられる先生なのですが、その先生がNRAの会員なのです。それでNRAの働きをしながら、「やっぱりリバイバルミッション、新城教会の人も誰かいないといけないから、推薦しよう!」と思ったそうです。そこで何を思ったか、私を推薦しました。
 NRAはだいたい行って会議するのですが、私と会議と何の関わりがあろうかというか、「開、おまえはペンペンしていればいい。」とずっと言われていたので、「会議?私が行く?いや!順先生いらっしゃるので、順先生にしてください!」と私はすぐに言いましたが、NRAをずっとして来られた方々がだいぶ高齢化されていてだいたい八十代くらいなのですが、そうしたら順先生若いからいいのではないかと思ったら、「いや、もっと若返らせたいから、開先生お願いします!」と言われました。
 それで私、順先生に相談しました。「こんな話が来ちゃったんですけど、どうですかね?」と言ったら、「それはいい。おまえ良い経験だ。行って来い。」と言われて、行くことになりました。
 それで一泊二日、偉い牧師先生ばっかりの会議に三十数名の集会というか、会議なんですが、一泊しながら行かないといけないということで行くことになりました。いやだなと内心思いながら、内心というか全身でそう思いながらその日を待っていました。
 そうしたら、近くになったら部屋割り云々という話が来ました。一泊して、部屋割り一人じゃなくて、「何人かの牧師先生と一緒に寝てください。」と来ました。そこのホテル、よく見たらだいたいホテルの部屋が四人、五人部屋なのです。これまた嫌なことになっちゃったな〜と思いました。
 私は明牧師からの譲り受けてしまった悪いもので、寝言を言うのです。父は寝言だけじゃなくて歌まで歌ってました。私もよく寝言を言うらしいです。
 ある時、私が寝ていて、突然夜中に歌い出したらしいです。そしてびっくりしたのが私の家内で、「たった一度の人生♪」と突然夜中に歌ったと思ったらバタッと寝たというそんな事実があって、やっぱり今もやっているんだなと思ったのですが、何年か前、インドのナガランドのツアーで行った時に、一人の沖縄の牧師先生と同室になりました。
 それで私、早速言いました。「僕、寝言言うので、ごめんなさい!」と言ったら、「大丈夫ですよ!」と何を出したかといったら、耳栓取り出して、「これあるから大丈夫。」とか言って、彼は寝ました。
 そして朝、「おはようございます!大丈夫でしたか?」と聞くと、全く寝不足な顔をしているのです。「大丈夫じゃなかった!」と言うのです。どうして?「だって先生!叫んでましたよ!」と言うのです。「危ない!」とか言って大声で言って、「それだけじゃない。一晩中話していた。」と言うのです。だから彼のインドツアーの最初の晩を散々から始めてしまったので、そんな苦い思い出があったので、今回偉い牧師先生方と四、五名で一緒。浜名湖だったので、帰って来ていいかな?と、ここまで出たのですが、あえて行きました。
 行ったら、私を含めて三名の部屋でした。でも初めての先生方で、二人とも東京の本当に日本の教会でばりばりにやっておられる先生方でした。若手牧師が集められたのですが、若手といっても、三十代から四十代くらいなのです。私は五十八なので、若手と言っても若手じゃないんですが、先生方、ぱっと見たら、この方は六十いってるのかな?と思うような方が私より若いのです。それでみんな若くて、もう一人の方は三十代だったので、早速言いました。「すいません。私寝言言うので、申し訳ございませんが、よろしくお願いします。」と言って、二つのベッドと和室があったのですが、私は真っ先に和室を取って、「すいません。何かあったらよろしくお願いします。」と言って寝ました。
 そして、ただ寝る前に私、いろいろ話し出したら、普段、ここでは話す状況ですので話していますが、あんまり口は達者ではなくて、ご存じだと思いますが、しかも初めて会った人とはそうそう簡単にはべらべら話さないタイプなんです。にもかかわらず、その日の夜、ガーッと私しゃべっているのです。ザワメキの働きとか、リバイバルミッションの働きとか、父が天皇に対する働きをしていたとか、リバイバルの土台を勝ち取るためだとか、ありとあらゆる証しをガーッとしました。そうしたらそのすばらしい先生方が聞いてくださいました。そして夜寝ました。
 そして朝、大丈夫かなぁと思って、真っ先に、「大丈夫でしたか?」と聞いたら、「開先生!大丈夫でしたよ!」と、何も聞こえなかったそうです。獅子の口を塞ぐように天使が守ってくれたのか分からないですが、ただそのいろんな交わりの中で、その先生が感銘を受けてくださって、やっぱりリバイバルを求める働き、土台を勝ち取る!ということで、「ぜひうちの教会でザワメキの集会をしてください。」とおっしゃってくださいました。「もちろん!日程を合わせていつでも行きますよ!」と言ったら、「いや、今東京で毎月しているんでしょ?」『はい、しています。』「毎月しているなら、うちの教会を使ってください。」とおっしゃってくださいました。
 そこの教会がどういった教会かというと、二十一世紀キリスト教会という教会で、名前からしてキラーンとした教会ですよ。そしてそれが広尾の超一等地に建っていて、なんとそれを設計したのが安藤忠雄さんです。世界的な設計者、安藤忠雄の造った超かっこいい、ザワメキとなんの関わりがあろうというような教会を使わせてくださるということになりました。
 その方は元々大会社の社長で即決力がすごいのです。さらに教会の建っているそこの土地というのはすごく意味がある土地で、元は日本で最も重要な家系の土地であったり、さらに政治界の重要な方々が所有していた土地を、二十一世紀キリスト教会に神さまが不思議な形で与えてくださって、そこを安藤忠雄の設計で建てたという教会なのです。

 神さまは不思議なことで、私たちの思いとちょっと違って、新しい扉を開いてくださって、昨日集会に行って来ましたが、本当に祝福されました。すごく喜んでくださって、先生から後から、「これからもずっとよろしく。」と書いてくださったメールをいただいて、すごく感謝でした。
 昨日その教会に行ったら、いろんなチラシがあって、その中に一つのチラシがありました。「改革者たちを燃え立たせる」というチラシがありました。

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 ロバート・ヘンダーソン、覚えていますか?二週間前、順先生がここでYouTubeをお見せしたこの方なんです。この方が今年、五月三日、四日にセミナーの奉仕をされるという、神さまの導きってすごいなと思いました。
 神さまは本当に世界規模でのリバイバル、また日本のリバイバルということで私たち、一生懸命祈って、この被造物が歌うようにということと共に、今回この天で訴えるものの力が打ち破られるように!ということで新城で開かれたばかりのように私たちが感じて受け止めたことですが、昨日行った教会の先生が、この先生とは本当に良き交わりをさせていただいているというふうにおっしゃってくださって、神さまが道を開いて、扉が開かれたら、私たちきっと思いも知らない所の扉が開かれて、これからリバイバルのための働きというのがなされていくなぁと思います。
 ですからこれからの主の栄光が現されるために、NRAで泊まるの嫌だと人間的なことをぐずぐず言っていたのですが、それがこうして導いてくださった主のみわざを見て、本当に神さまに従順に従っていこうともう一度心から思わされました。

 今年のネパール宣教ツアーで最後の働きで、先ほども言いましたボダナートという所のとりなしに行きました。そこはチベット仏教のネパールの総本山なのです。そこに本当に世界中から来て、そこに来て拝むのです。
 先週の瀧川充彦さんの映像にもありましたが、ボダナートは上空から見ると曼荼羅を現しているという映像があったと思うのですが、そこに本当に世界中からいろんな人が来て、拝んでいる場所なのです。すごく空気がよろしくない所なのです。変な音楽がウワーンとずっと流れていて、そしてそのボダナートの周りをずっとマニというくるくる回るやつを回しながら、みんなぐるぐる回遊魚のように祈りながら歩いているのです。
 本当に嫌な場所なのですが、ただ来月は北インドに行くためには絶対に行かないといけない!とすごく思いました。だから行こうと思っていたのですが、その日の昼までが礼拝があり、その後絶対にそこに行かなきゃ!と思ったので、すぐに食事会場に行って、食事を食べて、そして飛行機の時間が五時だったので、でもすごく渋滞があるので、逆算していくと今しかない!という時に行きました。
 そうしたらおまけにすごく渋滞の中で駐車場が近くなくてすごく遠かったのです。二百メートルくらい離れていて、そこからその場所まで行かないといけない。でも絶対に行かないといけないから、みんなで頑張って行こう!ということで、たった二十分間のとりなしでした。
 「さぁみなさんいいですか。今からそこをずっと歩いて行きますから付いて来てくださいね!」と言って、みんなでうわーっとそこに行って、そしてそこの中に入って、まずそこをぐるりと回ってそこで賛美しました。「主の回復の時が」を歌いました。そして歌った時に、本当に神さまがここで必要な祈り、賛美をさせてくださったなということをすごく強く感じました。
 その中で私自身、教えられたのが、天で訴えるものというのは悪霊どもは星々の間に、また高き所や星々の間に巣を設けていると書かれていますが、そこに高き所でささげる悪しき香というか、祈りが、悪しき天に届いているなとすごく感じました。これが崩されなければいけないなということをすごく神さまがそのようなことを教えてくださいました。
 最近与えられている先ほども歌った「時の声をあげよ」を歌った中に、「宇宙の果てまで賛美を響かせなさい!」と神さまおっしゃっていますし、また「主の回復の時が」の中でも、空が歌い星も歌う、そしてまた風まで歌うという歌詞で、不思議だな、空が歌って星に行くのか!って、私も与えられてその歌詞がなんというか空の次は雲くらいでとどまりそうなのにも関わらず、神さまがくださった歌詞は星も歌うという歌詞でした。そして花が歌って木々が揺れるくらいの歌詞かなと思ったら花が歌って風も歌うという歌詞で、へー!と私自身思っていたのですが、そこで祈られていた悪しき祈りというのが本当にチベット仏教の世界観を表しているようなそんな領域があって、それが風だったり宇宙だったり空だったり、大地だったり、その世界観のただ中で賛美することの深い意味を感じました。その地では悪しき祈りをささげているのですが、その祈りが天に上がっていくことをすごく感じました。この最近順先生が天で訴えているものを引きずり下ろして打ち破らなければいけない!ということを神さまが開いてくださっているメッセージにつなげてくださるかのような神さまの導きをすごく感じました。
 順先生のメッセージの一文をホームページから引き出したのがこの言葉ですが、

“サタンは諸天の諸法廷に管理人の罪を訴え、諸天で敗訴すると、その結果が地上に現れる。」という構図があるのです。しかし私たちが天の法廷で勝利を宣言し、勝訴するならば、地上でも勝利できるのです。”

 「サタンは諸天の諸法廷に管理人の罪を訴え、」管理人というのは私たちですね。そして、「諸天で敗訴すると、その結果が地上に現れる。」敗訴すると、私たちの地上での歩みが敗北してしまうというわけですが、しかしそういう「構図があるのです。しかし私たちが天の法廷で勝利を宣言し、勝訴するならば、地上でも勝利できるのです。」と、このことが語られていましたが、このみことばが語られた時というのは三月三十一日でしたが、私たちはその前の日にその曼荼羅をあらわすその所で、私たちの賛美を天まで響かせるというのは、その星々の中にこの地上から上がって行った悪しき祈りを引きずり下ろすほどの力があるんだということを神さまが教えてくださった気がします。
 霊的戦いというのが始まって、いろんな牙城に行って祈るということを祈り続けました。その地に働く、そこにいるサタンの力が打ち破られるようにと祈りましたが、エペソ六章十二節、

『私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』

 その地の呪いを打ち破る祈りをしましたが、それぞれのその地の、それぞれの牙城から天に上った悪しき祈りを引きずり下ろす、そのことを神さまはするようにと、今回のネパール宣教ツアーの中で主がお教えくださったことだと私は受け止めています。
 今まで多くの戦いを私たちはし続けてきましたが、これからさらなる主のわざがなされるために、今までも祈り続けてきましたが、それぞれの地域、また私たちの生活の中で、その罪の現場の悪しき者が砕かれるという視点だけではなくて、その罪の現場から天に上って行った悪しき祈りを引きずり下ろしてキャンセルしていく時に主の勝利が現されると信じています。

 最後にもう一度、最初のみことばに戻りたいと思います。詩篇百二十一篇一節、

『私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。 私の助けは、天地を造られた主から来る。』

 私たちの助けはただただ主にあります。あまりにも大きなテーマの中でのリバイバルの戦いというものが主のみ手の中で大きく前進し、進んでいますが、もう一度、私たちの助けはイエスさまの中にある。主から離れたら何もできないということを心にもう一度深く刻んで歩んでいきたいと思います。

『主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。』

 イエスさまが帰られるその日まで守られて、主の愛の中で包まれて、そして主の戦いを戦い抜く歩みをさせていただきたいと心から願います。一言お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ。愛する天のお父さま、あなたのすばらしいみ名をあがめて心から感謝します。今日こうしてあなたのみ前に賛美をおささげし、あなたご自身のみ手の中にこうして生かされていることをもう一度覚えさせていただく大きな恵みを心から感謝します。
 今よりとこしえまでもお守りくださる主よ、もう一度私たちはあなたご自身に目を向けます。あなたの助けの中に私たちは今あることをもう一度宣言します。
 さまざまな戦い、さまざまなリバイバルの働きがなされています。私たちの思いを超えるほどにあなたご自身のご計画がこの日本のみならず世界を勝ち取る働きとして進んでいることを覚えますが、この戦い、主よ、あなたのみ手の中で、愛の中で、助けの中で進まなければ何もできないものであることを覚えます。主よ、もう一度私たちを、またこの教会を包み込んでください。そしてあなたの愛のうちに歩み続けることができるように助けてください。
 今日の時を心から感謝します。今すべての栄光を主にお返しし、心から感謝とともに、イエスさまのみ名によって、この祈り、父なる神さまのみ前におささげいたします。アーメン。