「復活祭メッセージ」

2019年4月21日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
マタイの福音書 27章50節〜54節

『そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都に入って多くの人に現れた。百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことに神の子であった」と言った。』

 今日はみなさんとご一緒に、復活祭の礼拝を守ることができて、心から感謝しています。復活祭とは何か?それは、イエスさまが私たちの身代わりとなって死んでくださり、三日目によみがえってくださったお祝いの日です。
 聖書の中に有名なことばがあります。クリスチャンならば誰でも知っていることばですが、ヨハネの福音書三章十六節、

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』

 この「世」とは、「コスモス/世界」という意味ですから、その中に私たちも含まれるわけです。人には自由意思が与えられているのですが、その自由意思を悪用して神から離れておかしな方向へ向かっているのが現代です。しかし神が私たちを救い出すために、人となって地上に来てくださったのです。

 罪を犯したら必ず罰がありますよね。ちょっとしたことが、結構、大きな罰につながります。ある時私は、右足にちょっと力が入りました。そうしたら旗を降るおじさんが出てきました。交通整理のおじさんかなと思ったら警察官でした。そして最終的には法廷にまで送られました。時速三十キロ制限の所を、六十数キロで走行したため、三十キロオーバーでは、その場で切符が切れないということでした。私は普段よりもアクセルを、ほんの一センチくらい深く踏み込んだだけです。
 しかし最終的には裁判所にまで連れて行かれて、「被告は…判決文!」とか言われて、「罰金五万円!」と言い渡されました。「不満ならば、一日二千円で牢屋に入ることもできる。どちらか選んでください。」と言うのです。
 私は家に帰って家族に相談しました。「どうしよう?」と言ったら、「牢屋に入ってきたら?メッセージを語るときに豊かになる。」みたいに言われたのですが、いくら一日二千円でも嫌だなと思って、五万円払ってやっと自由な身となりました。神さまの前でも同じです。人が罪を犯したら、正当な裁きがあるわけです。
 しかしイエスさまは私たちの罪の身代わりとなって、十字架にかかって死に、代わりに罰を受けてくださっただけでなく、よみがえられたのです。それは、あなたの罪は完全に帳消しです!という意味です。

 今日は復活をお祝いする記念日ですが、イエスさまが墓から出てきた瞬間を描いた絵です。

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 イエスさまって、どういうイメージを持ちますか?このイエスさま、かっこいいですね。こんなイエスさまが出て来られたら、「キャー!イエスさま、かっこいい!」となると思うのですが、イエスさまはイスラエルに生まれた方です。
 イエスさま時代のイスラエル人たちは、どんな顔をしていたのかを、法医学の手法で再現できるというのです。それでどんなふうに復元されたのかというと、こんな感じだそうです。

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 ちょっとイメージが崩れますが、これが本来のイエスさまの顔に近いそうです。

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 結構、親しみのある顔ではないかと思います。イエスさまは神さまだから、神々しい印象を持つのですが、そうでもないと思います。神が一般人になってくださったのがイエスさまです。今や世界中でイエス・キリストのことは宣べ伝えられていて、今日は復活祭ですから、世界中でお祝いがなされています。

 先週私は、韓国のテジョンという場所で奉仕をさせていただきました。みなさんに祈っていただいて、本当にすばらしい集会でした。私はその教会がどんな教会か知りませんでしたが、行ってみたら大きな教会でした。

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 「いつも愛の教会」という教会でした。日本には、「時々、愛の教会」というのがあるのですが、ここは「いつも愛の教会」です。本当に良い教会でした。

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 先週の日曜日の礼拝です。これは第一礼拝で、四回礼拝があるのです。

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 賛美もすごかったです。

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 私はここで奉仕をさせていただいたのですが、みなさんのお祈りによって大変良い集会でした。なかなか韓国で日本人が奉仕をするのは難しいところもあるのですが、この教会の主任牧師チョン先生が、今年の始めに祈っていたら、「日本から滝元順を招け・・。」と、主が示してくれたそうです。
 新城教会の韓国の方や、在日韓国人の方々も一緒に行って下さり、証しをしてくれました。本当に感動でした。また新城教会で証しを聞けるといいなと思いますが、秘密の証しがあるのです。神さまは偉大な神さまです。奇跡を起こしてくださる神さまです。

 しかし日本人にとっては、「神さまはいるの?いないの?」が問題です。神が存在するのと、存在しないのでは、人生の前提が全く違います。日本で「創造か?進化か?」という話になれば、ほとんどの人が進化論を支持します。
 本来日本は、八百万の神々の国ですから、進化論を持ち出すのはおかしいのです。なぜ日本人は進化論をすんなり受け取ってしまうのかということです。
 そんなことも、今日はちょっとお話しさせていただきたいと思いますが、今の時代は進化したとは言えない時代です。なぜなら、人間の設計図DNA配列が見つかったからです。

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 これは人間の設計図です。設計図には秩序があります。知的存在が関わらなかったらありえないことです。

 ちょっと話は変わりますが、先週はプレイズ出版の新社屋の起工式がありました。今度プレイズ出版が、ちょっと離れた場所に移ります。それで工事関係者とか、設計士さんとかが来られて、起工式があったのですが、私はそこで話をしました。

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 「プレイズ出版の社屋は自然には建たないでしょう。ここに設計士さんがおられ、工事関係者の方々がおられて、それで建つのですから、宇宙だって同じです。私たちが存在すること自体、神がおられる証拠です。」と話しました。工事関係者の方々も頷いて聞いておられました。しかし日本ではなぜか、進化論が出てきます。

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 猿から進化して、この頃では、すべての人類がスマホを持つまで進化したそうです。

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 また、マクドナルドを多く食べると、もっと進化できるという噂もあります。気を付けて下さい。しかし人は、決して進化した存在ではないのです。

 聖書の中に興味深いことばがあります。神がいるのかいないのか、分からなかったらどうしたらいいのか。ヨブという人物が聖書に出てくるのですが、ヨブは苦しみの中で神に真剣に祈りました。その時ヨブは、聖霊によって、こんなことばを語りました。もしもみなさんの中で、神さまがいるのかいないのか、分からなかったら試して下さい。ヨブ記十二章七節〜十節、

『獣に尋ねてみよ。それがあなたに教えるだろう。空の鳥に尋ねてみよ。それがあなたに告げるだろう。あるいは地に話しかけよ。それがあなたに教えるだろう。海の魚もあなたに語るだろう。これらすべてのもののうち、主の御手がこれをなさったことを、知らないものがあろうか。すべての生き物のいのちと、すべての人間の息とは、その御手のうちにある。』

 もしも神さまがいるのかいないのか分からなかったら、獣に聞いてみろというのです。家に帰ったら、ペットに、「ワンちゃん、神さまっているの?いないの?どっち?」と聞いて下さい。そうしたら、『いるに決まってるワン!』と答えてくれるに違いありません。そして「空の鳥に聞いてみろ!鳥だって知っているぞ!」と言うのです。また、「大地に聞いてみろ!」と言うのです。
 今回、起工式でこの話をさせていただきました。日本人って、土地に命があるということを皆、信じています。だから家を建てる時、必ず、地鎮祭をやるわけです。あれは、土地に命があるという前提でやるわけです。本当に土地には命があるのです。
 その命はどこから来ているのか。「すべての命あるものは、肉なる人の霊もみ手の内にあることを。」
 この宇宙、地球は命で満ちていますが、出所はすべて、天地宇宙を造られた神が与えた命です。だから大地に聞いても、神さまがいることを教えてくれるというのです。神が造った被造物は、すべて命を持っていて、問いかけたら答えてくれる!と言っているわけです。

 しかし悲しいことに、ダーウィンが進化論をヨーロッパで唱え始めた結果、それが世界に広がりました。そもそもヨーロッパで、進化論が出るのはおかしいのです。なぜなら、そこには長いキリスト教の歴史がありますから、神がおられることは歴史の前提だからです。にも関わらず、すべてが進化して出来たという理論が現れるのは、その背後に「なんらかの意図」があるのです。しかし、ほとんどの人たちが、どうして進化論が出てきたのか、理由を知りません。
 ダーウィンの進化論を世界に広げたのは誰かというと、トマス・ヘンリー・ハクスリーという人物でした。この人はダーウィンの番犬ともいわれ、ダーウィンの進化論を擁護して、広がっていきました。
 それが、孫のジュリアン・ハクスリーという人物に受け継がれるわけです。彼は何を作ったかというと、「ユネスコ」です。ユネスコの世界遺産とか、ユネスコが関わったらお墨付き!みたいなところがあるのですが、ジュリアン・ハクスリーがユネスコを創設しました。彼がユネスコを作った意図は、「優生学の適用」でした。それは自然選択よりも遙かに人工選択の方が効果がある、という考えに基づいています。それで進化論をどこに導入したのかというと、教育の中です。日本の教育も、進化論を真理かのように教えています。そこには一つの意図があるのです。
 その意図とは、「進化論的ヒューマニズム」を世界に広めるためでした。

 最近、どうでしょうか。同性婚や人工中絶が横行しています。今年、ニューヨーク州で人工中絶の法案が通りました。どんな内容かといったら、破水している最中でも中絶が可能になる法律です。信じられますか?お産の最中でも中絶していいというのです。赤ちゃんを殺してもいいのです。しかも、人工中絶に関わるのは、医者でなくてもできるのです。怖いじゃないですか。アメリカで法案が通ったら、必ず、日本に来るのです。
 同性婚はどうでしょうか。LGBTなどと言って、性にも多様性があっていいじゃないかと主張しています。しかし、神は男と女以外、造っていません。それ以外の性は造られていません。しかし今は虹色みたいに、いろんな性があってもいいじゃないかという情報が、茶の間にどんどん入っています。これは何かというと、一言で言えば、「優生種の保存」で、最終的には「人口削減」です。
 現在、地球には七十億以上の人たちがいて、地球は狭くなったから、人口を削減する計画が立てられて、そのために有用なのは、進化論を教育の中に入れることでした。世界中の教育の中に、進化論が入ったのは、背後にユネスコが関わっています。ユネスコが作った教育基本法が世界中に広がったわけです。地球には優秀な人しか要りません!人口は多すぎますから減らしましょう!というところから始まったのが進化論です。

 現代の進化論者の主張は、有害な突然変異が多すぎると言います。ある意味で、それはあたっています。有害な突然変異が多い時代です。
 福島で原発が爆発しましたが、日本では水素爆発と言っていますが、これを見ればわかるでしょう。きのこ雲です。

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 これは核爆発です。世界の国々は、日本には三回核爆弾が落ちたと言われています。広島、長崎、そして福島です。

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放射線が出て、放射線は目に見えない弾丸みたいなものですから、DNAの鎖を打ち抜くのです。
 この頃、訳の分からない病気が増えています。それで、有害な突然変異が多いから、これではいけない!というわけです。

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 それではどうしたらいいのか。左側のほうは一万年前の馬の写真ですが、こちら側はサラブレッドの写真です。デブっとした馬がこんなに精悍になるためには、一万年以上の時間がかかったというのです。長すぎるというのです。
 これを縮めてしまえ!というのが、現代の進化論者の主張です。それではどのような手法を使うのかというと、「機械と人間の融合」だというのです。サイボーグみたいなものです。
 最終的には人間と機械を融合させ、進化した人間だけの世界にしようと考えているわけです。

 実はこういう世界が来ると、聖書は予め預言しているのです。黙示録十三章十六節〜十九節に預言のことばがあります。黙示録は二千年ほど前に書かれた書物ですが、そこにこんなふうに書かれています。

『また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。ここに知恵がある。思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は六百六十六である。』

 時々、「666」が不吉な数字だといって、ナンバープレートが666の車の後に付いくのが怖いと考えます。666は聖書から来ている数字です。
 やがて時代が来る!と聖書は警告しています。そのような時代が来たら気を付けろ!と告げているのです。右手か額に刻印を受けさせて、刻印がある人しか売ることも買うこともできない時代が来る気を付けろと語っています。
 この頃、こういうのがあります。

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 右手にチップを埋め込むのです。最近、マイナンバーも徐々に、いろんな所で使われるようになってきました。全員にマイナンバーが付いていて、マイナンバーがなければ、銀行口座も開くことができないです。マイナンバーカードを落としてしまったら不便ですよね。「あなたよく落としますね。じゃぁ、右手にカプセルとして埋め込んであげますわ。」と言って、入れられる時代が来ます。アメリカではすでにそれが進んでいるのです。
 またこの頃、誰でもスマホを持っています。スマホを落としたり、割ったら本当に不便です。今や、命の次に大事なものが、スマホかもしれません。だからガラケーの方々、おめでとうございます。一番、正解です。スマホなんか持たないほうがいいです。
 「あなたはよく、スマホのガラス割りますね。落としますね。不便でしょう。じゃぁ、頭の中にスマホを埋め込んであげますよ。」となるわけです。頭の中で、「滝元順!」と考えるだけで、私に電話がかかるわけです。「新城教会!」と考えれば検索できるわけです。今やその時代が近づいているのです。
 頭にチップが埋め込まれて、右の手にマイクロチップを埋め込まれて、まさしく刻印を受けさせる時代が来るのです。聖書は二千年も前から、その時代を警告しています。こうなったら、やがて一人の人物によって、世界はコントロールされてしまいます。世界中の人たちが奴隷みたいになってしまいます。

 以前に話しましたが、少し前までは世界の下位三十六億人の資産と、最も裕福な人たち「六十二人」の資産が同じだと言われていましたが、去年はそれが八人になったと言われます。今はもっと少なくなっているかもしれません。やがて世界中の富を誰かが独り占めする時代がくるわけです。そうなれば、地球に住む人たちは、すべて奴隷となり、ある人の意図のまま、歴史が進んでいくのです。
 それは背後に悪魔の力が働いているのです。その中で最も強調されるのが、「神はいません。すべては進化してきました!」という「進化論」です。日本人は進化論をまことしやかに受け入れていますが、実は、少数の人物による世界支配の布石です。世界人口削減計画と共にあることを知らなければいけません。
 だから、私たちを造ってくださった神を受け入れて生きることは重要です。地球の未来を反キリスト的人物に渡さないためにも、進化論ではなく、神がおられる!ことをしっかりと認めて生きていくことが重要です。

 メディアによって様々な情報が流されますが、それらを鵜呑みにしてはいけないです。グローバル化とか、教育による思想統一、進化論的ヒューマニズム化、同性婚、人工中絶、戦争の創出、食糧の独占もなされています。
 世界の食糧は大きな会社に全て握られているようなものです。動物愛護、自然保護も間違った形で用いられています。
 今、同性婚が出ていますが、すでに同性婚はアメリカでは認められました。しかし次に準備されている法案って、何か知っていますか?私はアメリカに行って、それを聞いて、びっくりしました。次はペットとの結婚だそうです。ペットとの結婚の合法化だそうです。信じられますか?人間って堕落すれば、そこまで行ってしまうのです。
 価値観が多様化している時代だから、いいじゃないの?と絶対に考えては駄目です。背後に世界中をコントロールしてやろうという、悪魔の意思が働いています。それらに気づいて立ち向かい、祈る人たちが起こされないといけないのです。
 天地宇宙を造られた神の支配の中に生きていく時、本物の幸せを受け取ることができるのです。

 礼拝が始まる前、召天者記念会がありました。毎年、復活祭に合わせて、召天者記念礼拝があります。かつて一緒に礼拝を守っていた方々が、今では天国に帰ってしまいました。その方々を記念して、主への礼拝があるのですが、新城教会は来年で、私の両親がこの地域に入って伝道を始めて、七十周年です。よくやってきたなという感じです。長い歴史がありますから、その間に天にお帰りになった方々も多くおられます。
 新城教会の納骨堂に、今、どのくらい納骨されているのかを聞いてみたら、百二十くらいあります。天の新城教会も、結構大きくなったなという感じです。
 人生は、この地上で終わるものではありません。進化論者は何と言うかというと、「自然に進化したのだから、死んだらすべてが終わりだ。」と言うのです。死んだらすべてがなくなるというのです。進化ですから、最後は無秩序です。死は究極の無秩序状態です。二度と再生不能となり、宇宙のもくずと消えて、広い宇宙のどこを探しても、あなたの片鱗さえも見つけることができないのが、進化論の行き着く先です。
 しかし聖書はそう言ってはいません。死後の世界もちゃんとあるのです。

 死後の世界。「あなたの知らない死後の世界・・・」なんて、時々、番組がありますが、聖書ははっきりと伝えています。やがてこの地上の役割を終えたら、地上から出て行くのです。
 私もこの頃、死ぬ時ってどんな感じかシミュレーションするようになりました。親父も死んで、母親も死んで、次は滝元家では私ですから、寂しいなぁって感じます。今年六十八歳。私の同級生なんかも、「あいつ死んだの知ってる?あいつ死んだの知ってる?」って、聞かされるたびに、「えー!?」という感じです。同級会なんかに行けば、しんみりします。皆、やがて、この地上から出て行かなければいけないわけです。

 この地上から出ていくのは、海外旅行の出国の列につくようだと思います。海外旅行に行く時って、別に悪いことをしていないのに、出国の列につく時ってどきどきします。死んだときも、なんらかの書類を持たされて、地球から出て行かなければいけないのです。
 日本人はそのことを予感しています。だから言うのです。「お迎えが来る。」
 この列について出国をした後、お迎えが来るのです。
 私たち日本人のパスポートはいろんな国に入ることができます。しかし死んだ時に地球から出国して、次に入ることができる国は二つに一つしかありません。それをみなさんがおとぎ話ととるのか、現実として受け取るのかは自由です。自分で選択すればいいです。
 でも、楽しみにしてください。百年以内には、みな出国しますから。私も含めて、この列につきます。「そういえば、二〇一九年四月二十一日の復活祭礼拝で頭のはげたおっさんが言っていた話とよく似ているなぁ。」と思い出しながら、出国するのではないでしょうか。
 出国した後は、入国です。そのことについてイエスさまは、一つのストーリーを語られました。ルカの福音書十六章十九節〜二十二節、

『ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。』

 現代社会は、金がすべての世界です。しかし、貧しい者も金持ちも、皆やがて死んでいくのです。
 ここにラザロという究極的な貧乏人が出てきます。この人は健康も失っていて、全身におできができていたのです。金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていました。「思っていただけ」なのです。実際に、もらえていたかどうかはわかりません。
 でも時が来て、金持ちも、ラザロも死んだのです。進化論なら、これで終わりです。しかし聖書は、次の情報を提供しています。ルカの福音書十六章二十三節、

『その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。』

 どうも金持ちと、ラザロの入国した国が違うみたいです。神を信じたラザロは、神の国、天国に入ることができたのです。「アブラハムのふところにラザロが見えた。」と新改訳聖書では訳していますが、新共同訳ではこのように訳しています。

『宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。』

 こちらの訳のほうが正しいと言われます。二つの訳が成り立つけれど、「宴会」と訳したほうがいいというのです。なんと、地上の役割を終えて、今、神の元に行っている人たちはどんな生活をしているのかというと、毎日パーティーをしているみたいです。いいですね〜。苦しみから解放されて、毎日、宴会三昧だというのです。本当にすごいなと思います。
 聖書を見ますと、神の国には、「宴会」というテーマがあるといわれます。地上から去って、神さまの国に入ったならば、そこは苦しみも悲しみも嘆きもない国で、毎日、喜びが満ちている国です。それは毎日飲んだくれているという意味ではありません。喜びが溢れているという意味です。

 しかしながら、金持ちは、苦しみの国に入ったのです。金持ちは死後の世界から、「なんとか助けてくれー!」と叫んでいます。しかし死後は、「どうにもなりません。」と断られています。
 金持ちは、次に何と言ったかというと、「地上で生きている家族をなんとかしてください!」と頼んでいるのです。「ラザロがよみがえったら、死後の世界がどんなものか分かるから、そうしてくれ!」と頼んでいるのですが、「ラザロがよみがえったって、彼らは信用するはずがない。だから地上には、預言者がいるから、彼らに聞け。」と言っています。
 これは、地上に救いを与える場所があるという意味です。それがどこかといったら「教会」です。教会は、天を引き下ろす場であると前にもお話しさせていただきましたが、天国へのゲートです。

 今日みなさんが教会に来られたのは、永遠と関わりのある重要な時間です。選択の瞬間です。やがて私たちがこの地上から出て行く時、どの国に入るのかを決める瞬間なのです。
 それは宗教の問題ではありません。現実に、死後の世界があるならば、正しい選択をすべきです。正しい選択とは、天地宇宙を造られた神、イエス・キリストを受け入れて一緒に歩んでいく決断です。その道は真理の道、永遠のいのちへの道につながります!と教えています。
 今日ここにおられる、すべてが、私たちを造ってくださった神、イエスさまを人生にお招きして歩んでください。
 やがて出国する時に、神さまの世界から派遣された天使たちによって、神の国に行くことができます!天国に行くことができます!と聖書は教えています。

 しかしながら、聖書が語っている救い、「永遠のいのち」とは、死後、天国に行きますよ!というのが、真の意味ではありません。
 今日読んでいただきました聖書の箇所は、イエスさまが十字架についた場面ですが、イエスさまが十字架にかかって死なれた時、どんなことが起こったのか。信じられないことが記録されています。マタイ二十七章五十節〜五十四節、

『そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都に入って多くの人に現れた。百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことに神の子であった」と言った。』

 聖書は歴史書でもあります。当時起こった事柄を、記者が記録したのです。当時のイスラエルは、ローマ帝国に支配されていました。ローマの支配下で、自由のない国でした。そこでこのような書物が書かれました。ということは、偽りは書けませんでした。実際に起こった事柄を記述しました。
 なんとイエスさまが十字架の上で息を引き取った瞬間に、信じられないことが起こりました。地震が起こって、墓が開いて、死んでいた人たちが生き返ったというのです。
 そしてイエスさまが復活した後、よみがえった者たちが、ぞろぞろとエルサレムに入って来たのです。それはもう、信じられない光景でした。
 実は復活祭って、イエス・キリストの復活をお祝いするのですが、復活祭の一番の意味は、「聖徒たちのからだが生き返った」とありますが、私たちのよみがえりを約束し、記念する日が復活祭です。信じられますか?私たちは一度死ぬけれど、この地上にもう一度、よみがえるのです。
 もしも私が宗教を作るとしたら、ここまで言うと眉唾ものに思われますから、言いたくないです。天国に行ったら終わり、ちゃんちゃん!のほうが、みんな信じやすいですから。また地上に戻ってくるなんて言ったら、「おまえ大丈夫か?」みたいなところがあります。
 しかしキリスト教の最大の特徴、他の宗教と全く相いれない特徴、それは一度死んで、死後の世界に行くけれど、やがて地上に戻ってくるというものです。これが永遠のいのちであり、他宗教とは違うところです。
 ここまで言い切っているのは、人が作った宗教ではなく、神ご自身が教える真理です。

 今、世界のキリスト教界の中で注目を浴びている神学者がいるのですが、「N.T.ライト」という神学者です。彼が、「驚くべき希望」という本を書きました。すでに読んだ方もおられると思いますが、現代の教会は大きな誤解をしていると指摘しています。彼がこの本の中でこんなことを語っています。

“キリスト者であることの目的は単に、あるいは少なくとも主に、「死後天国に行くことだ」とすっかり思い込むようになった。世界の多くの地域でキリスト教が考える将来とは、被造世界が最終的には消滅し、純粋に霊的な存在(完全に非物質的という意味で)になるという運命を意味するようになったことだ。これは天国というときや、キリストにある希望について語るとき、私たちキリスト者が信じているものとして、教会内外で今なお広く普及している認識である。”

 実は初代教会は、死後のいのちを永遠のいのちとは捉えていなかったというのです。死んで行く場所とは一時的な場所だと考えていました。彼はこの本の中でそのことを、様々な角度から証明しています。永遠のいのちとは何か、それは、「死後のいのちの後のいのち」だというのです。
 私たちはこの苦しい地上から去って、パラダイスとよばれる天国に行くのです。現在、百二十人の新城教会からの聖徒たちは、パラダイスにいるのです。しかし、やがて復活して、「死後のいのちの後のいのち」で地上に戻ってくるのです。なんと、やがてこの地上が天国になるのです。

 この地上も神が創造された場所です。神が創造した場所で、ある人は金持ちで幸せに生きたが、ラザロのように究極の不幸で過ごさなければいけないとするならば、あまりにも不公平です。神が造られた場所が不公平というのは、おかしな話です。

 神は、人生のすべてを回復してくださるお方です。人生を振り返ってみれば、本当に楽しい期間はあまり長くはないです。例えば家族全員が揃って、楽しく食卓を囲める時期って、本当に短かったなぁと思います。私には子どもは二人しかいませんが、家族四人が同じテーブルに着いて、楽しく食事をしていた時期なんて、本当に短かかったです。あっという間に子どもたちは成長し、結婚して、家からいなくなってしまいました。今は、夫婦二人だけです。両親だって死んでいきました。この地上は苦しくて、悲しすぎるから、廃棄処分にしてほしい!という気分にもなります。
 神さまが造った土地なのに、神さまが造った被造物なのに、なぜ、そんな悲しみや格差があるんですか?という疑問が残ります。

 しかし神は、すべてを回復してくださるお方なのです。この地上をもう一度、リフォームして、この地上に、主を信じる者たちが再び戻って来て、永遠のいのちを持って、死も苦しみも悲しみもない地上で、楽しむことができる「宴会が地上で始まります」というのが、「永遠のいのち」です。それは究極的な希望ではないですか?ここまで言い切っている宗教って、はっきり言ってほかにはないです。

 死後の世界で終わりではない。やがてこの地上に戻ってくるのです。それを証明するために、イエスさまは十字架にかかって死なれましたが、三日目によみがえられました。
 そして、イエスさまのよみがえりの前に、すでに聖徒たちのよみがえりが、イエスさまの死とともに実現していたのです。イエスさまがよみがえられた時に、イエスさまに先んじることなく、イエスさまの後に付いて都に入って来たという、今日読んでいただいた箇所は、「聖徒のよみがえり」、すなわち主を信じる者たちの、究極的な姿を現しています。

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 その時、聖所と至聖所を分けている幕がやぶれたのです。これは何を意味するのかというと、神の世界と人の世界が、今まで隔たれていたけれど、神が人と共に住むという、エデンの園が回復することを意味しています。
 私たちはこのような、新しい天と新しい地を目指して歩んでいることを、しっかりと心に留めるべきです。

 そして、人の救いとは、人だけにとどまらずに、「被造物全体の回復」につながるのです。神さまは多くの被造物を造られましたが、人にはどういう責任があるのかといったら、「被造物の管理」です。

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 人類が親亀だとしたら、被造物は子亀のようです。人が神さまに従って、正しく歩んでいくならば、正しい方向に行きます。でも人が道を誤った時、「親亀こけたら、子もこけた。」という感じです。

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 今は多くの被造物と人類との間には、対立関係があります。しかし、私たちがイエス・キリストを信じることによって、人だけでなくて、神が造られた被造物全体の回復につながるのです。
 私たちがこの地上に戻ってきたら、草木は何もなく、人間以外の被造物はなかったらどんなに寂しいでしょうか。
 神が造られた被造物すべてが豊かになり、人との間の壁もなく、被造物すべてが調和して生きる世界、そこが天国です。それがイエス・キリストを信じる信仰と共に始まるのです。

 イエスさまは私たちの罪の身代わりとなって、十字架にかかって死んでくださったのですが、この世を愛された。この「世」とは「コスモス」、広大な宇宙をも指す言葉です。神さまは人だけでなくて、すべての被造物を愛しておられ、人の救いを通してすべての被造物を解放しようとされているのです。
 このような神の遠大な計画の中に、私たちは生活していることを理解すると共に、これからどのような時代がきても、地上から出て行かなければならない時がきたとしても、決して揺るぐことのない準備をしておきたいものです。

 今日ここにおられます、お一人お一人が、イエス・キリストを自分の神として中心に据えたらいいのです。日本人は何を信じているのか分かっていません。八百万の神々なのか、先祖の霊なのか、寄り頼める神さまを失っています。天地宇宙を造られた神であるイエス・キリストを自分の神として歩む人生は、あなたに永遠の希望をもたらします。それを証明してくださったのが、イエスさまの十字架と、その後に起こった復活です。

 復活祭の良き日に、イエスさまの復活を感謝するだけでなくて、私たちのよみがえりも含んだ壮大な計画を理解したいと願います。最後に一言お祈りして、死後のいのちの後のいのちまで、受け取ってお帰りになっていただきたいと思います。
 あなたが祈る時に、神があなたの名前を、天の書物に書き込んでくださいます。私と一緒にお祈りしていただきたいと思います。今から私が祈りますから、その後に付いて、声を出してお祈りしていただきたいと思います。では、祈りましょう。

 父なる神さま。今私は、み子イエスさまを私の救い主として、人生にお迎えします。私の神として、私の人生を導いてください。先に天に帰ったすべての兄弟姉妹と同じ道を歩ませてください。死後のいのちが保証されていることを感謝します。しかし、そればかりでなく、やがてこの地上によみがえる、大きな計画を信じます。楽しかったあの時代を、さらにグレードアップして、生き返らせてください。復活を信じます。残された人生も、神の計画の中で生きることができますように。イエス・キリストのみ名によって、祈りをおささげします。アーメン。