「光のある間に」

2019年6月16日(日)
新城教会牧師 滝元開
ヨハネによる福音書12章35節〜36節

『イエスは彼らに言われた。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」イエスは、これらのことをお話しになると、立ち去って、彼らから身を隠された。』

 感謝します。無理矢理、広東語を皆さんと共に歌っていただきまして申し訳ございませんが、決して練習のためとは思っておりません。歌うことによって、今回の香港におけるリバイバルミッションに大きな勝利が現されると信じております。本当に今日こうしてみなさんと共に賛美ができて心から感謝します。
 香港ミッション、いよいよ迫ってまいりましたが、神さまのご計画の中で今回、こうした働きがなされて感謝です。特に最近はめまぐるしく世界宣教という扉が大きく開かれて主が一歩一歩導いておられますが、その中に主は明確なご計画を持って進んでおられると思います。私たちでは分からない、計り知れない大きな高い、広い、深い計画がありますけれども、その計画に主のみ声に従って進み続けていきたいと心から願っています。

 去年の冬、私たちザワメキが香港に行った後に、順先生にお話ししました。すると野木先生が香港にいらっしゃる間に、香港でリバイバルミッションをしたらどうかという話をされました。しかも、その一番の理由は、香港は中国に返還され、中国の一部となっていますので、あの大国、中国のリバイバルを目指して香港大会をしようということになったのです。そして、大会直前の大規模なデモです。しかも、香港対中国という大きな戦いです。ここには神さまの本当に深い計画があると思います。
 みなさんもデモの様子をテレビで見ながらお祈りくださっていると思いますが、この写真は、昨年十二月に行った時に撮影したものです。

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 ここは今、デモが行われている香港島側にある一つの通りです。その歩道橋の上から、去年行った時にパシャッと撮った写真です。
これがデモ行進の様子です。

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私たちが集会と宿泊するのは海を隔てた側ですが、この香港島側でこのようなデモが起こってしまっています。今回百三万人の最大の大きなデモになったということを聞いていますが、本当に神さまのみ手がそこに伸べられて、主の勝利が現されるために私たちはその働きを進めることができるように、ぜひ覚えてお祈りで支えていただければと思います。

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 これが香港のチラシとなっていますが、一人でも多くの香港人の方々が来てくださって、一緒に祈ることができるようにお祈りいただければと思います。
 このようなスケジュールの中で、先週はザワメキは韓国に行かせていただきました。どうしてこのタイミングの中で韓国に主は導いてくださったのかなと思ったのですが、韓国に行ったら、何人かの方がこうおっしゃるのです。「世界のリバイバル、特にアジアのリバイバルのためには、日本と韓国と中国が一つになって立ちあがる時にリバイバルが大きく進むので、がんばりましょう!」
日本には日本の役割があるし、そして韓国には韓国の役割があります。そして中国には中国の役割があるので、「そのために立ちあがりましょう!」ということばを何人かの方がおっしゃっていて、本当にこの香港前に行かせていただいた中にも、神さまのご計画があったことを強く感じた次第であります。

 今朝のみことばをお読みしたいと思います。ヨハネによる福音書十二章三十五節〜三十六節、

『イエスは彼らに言われた。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」イエスは、これらのことをお話しになると、立ち去って、彼らから身を隠された。』

 このみことばは、今から二十一年前の東京リバイバルミッションのテーマのみことばです。「光のある間に」というテーマの元に、東京を勝ち取るための働きが、東京の日本武道館で、しかも十日間の大集会が行われました。そこでの大会のみことばでした。その時のポスターがあったのですが、そのポスターはこんなポスターでした。

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 明牧師がどこかの公園にいらっしゃる方かのような服装をして、そういった所で写真を撮ったのだと思うのですが、「崩壊はすでに始まっている。今こそイエスの救いの時。光のある間に」という、こういった衝撃的な、それまでのキリスト教界にはなかなかなかったポスターだったので、いろいろな反響をよびました。「これはまずいんじゃないか?」という反響までいただきまして、「滝元先生どうなっちゃったんだ?崩壊が始まったのか?」と思われたかもしれないです。二十一年前のこのみことば、実は、今回の香港ミッションのテーマのみことばなのです。

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 香港ミッションのチラシをもう一度お出ししますが、この右側に書かれているのはヨハネ十二章三十五節のみことばが書かれています。

『イエスは彼らに言われた。「まだしばらくの間、光はあなたがたの間にあります。やみがあなたがたを襲うことのないように、あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。』

 闇がこの地を覆ってしまう時が来るので、光のある間に、光を信じること、そしてクリスチャンである私たちは、光であるイエスさまを宣べ伝える、その役割があるということが、このみことばを通して語られています。二十一年前の東京リバイバルミッションの時には、何度も何度も光のある間にを歌って、リバイバルが来るように!と戦って祈りました。
 そもそも一九九三年の甲子園リバイバルミッションで明牧師が立ちあがって、あの大きな大会が行われて、それが九三年だったので、その五年後でした。五年後にまた大きな大会に導かれて、ある意味、父にとってはエルサレムからローマに上るような、そういった大きな戦いだったと言っていましたが、大きな戦いが行われました。
 それらの戦いを経て、二十一年経った今、この香港ミッションのテーマに再びこのみことばとなりました。どうしてこれをみことばにしたかというと、昨年、その十二月にザワメキで香港を訪れた時に、香港の日本人教会の方が、「チラシを是非作ってほしい。それに向けてテーマのみことばも添えてくださいね。」と言われました。
 そして香港の働きを終えて帰って来る時に、私の心に響いたことばが、この「光のある間に」という、そのみことばでした。この末の日に、日本のみならず、あの大国・中国に向けて、光のある間に、福音の扉が閉じられる前に、その光を宣べ伝える、そんな働きをしようと、そんなふうに示されました。このみことばは主がお与えくださり、主が示しておられるものだと私は信じています。
 ですから是非、皆さまも一緒に受け止めていただいて、もう一度、この光のある間に、立ちあがって、主のために戦って行くことが出来ればと、心から願っています。

 先ほどは広東語でみなさんに歌っていただきましたが、とても上手に翻訳してくださっています。翻訳されているかどうかというのは判断のしようがございませんが、ただ本当に歌っていてすごくすんなりと歌うことができ、これ本当に主によって受け取っておられる翻訳だなぁとすごく感じました。
 翻訳してくださった方は、ふーさんという、プーさんみたいな方なのですが、ちょっとふっくらされた、本当におっとりしたすごく優しいお兄さんが、翻訳してくださいました。そもそも昨年十二月に行った時に、「主の愛が今」を翻訳してくださったのですが、翻訳するとなったら彼は病気になってしまいました。担当の窓口の方が、「ふうさんが病気になったのよ。やっぱりこれも戦いですね。」と言いつつ受け取ってくださったのですが、今回の大会に向けて、さらに三曲追加をお願いしました。すると、ますます大きな戦いが彼に起こってしまい、彼は、本当に大きな苦しみを通りつつ、三曲の翻訳を主から受けっとって生み出してくださいました。
 賛美の中に力があり、その地の言葉で賛美をするというのはすごく大切なことだと思います。今回の大会を通して、その地、香港で、「ダンシング!」と賛美する時に、香港そのものが歌い出し、主に賛美するようにと、ぜひお祈りください。

 今回集会が行われる九龍側ですから、今デモが行われている香港島のほうには、船で行き来できます。電車もありますし、海の下を潜っていく、車で行けるハイウェイもあります。船が最も安く行けるのです。だいたい百円しないくらいで行くことができます。ですから昨年十二月には、祈って賛美するために、香港島まで船に乗って向かいました。
 その時、いろんな歌を歌いながら海を渡ったのですが、「主の回復の時が」を歌いました。そして「魚が歌い、海が歌い、そして私も歌う♪花が歌い、風も歌う、救い主イエスのみ名を♪」と歌を歌ったのですが、あの日、船上で歌って以来、「魚が歌い、海が歌う〜♪」と歌う度に、あの香港の海の景色がいつも私の目の前に現れるのです。香港が歌い始め、そして中国全土まで、主に歌い始めるように、お祈りをもってお支えくだされば感謝です。

 今回の大会は決して大規模ではありません。集会する部屋も百人ちょっと入るか入らないような部屋なのです。だからいつものリバイバルミッションのように大きな会場で「香港リバイバルミッション!」という感じではなく開催されます。まず始めの第一歩としての集会をしましょうということで、サンライズミニストリーという団体が受け取ってくださいました。ただ、今回の開催実現に至るまでの準備にあたっては、最近のこの世界宣教の働きの中で、今までにないほどの大きな困難を感じていました。
 十二月にザワメキでお伺いした後に、直ぐにでも日程も会場の場所も決まって、早いうちに準備に取りかかろうと思っていたのに、とっても難航しました。いや〜、これはどういうことかなというくらいの大きな戦いを感じました。
 そうしたら今回、行く前にこの大きなデモが起こって、香港そのものがすごく戦っておられると思います。そんな中でのリバイバルミッション、イエスさまが備えられたご計画の中の一つの働きだったなぁということをすごく思います。
 ぜひ、日本から行ってくださる十八名、今日の週報に名前が書かれていますので、そのお一人お一人のためにお祈りいただければと思います。一人ひとりの健康が支えられて、霊肉魂守られるように、ぜひ覚えてお祈りください。

 それぞれの国に行くということは、以前もお話ししましたが、それぞれの君との戦いだということなので、それぞれの国の君が待ち受けていると思います。ですからそこで勝利することができるようにお祈りください。
 以前もこの礼拝の中で証をさせていただきましたが、昨年秋に、ペルーに行った時に、ワッチョの町の真ん中にある山に登って歌った後に、犬に足をがぶりとやられたという話をしました。狂犬病だったら大変なことだと、もし狂犬病だった場合、その犬が十日間以内に死んでしまうと絶対狂犬病なので、私も発症して、早ければ三・四日、長ければ二年間の間には必ず死んでしまうという、そういった状況だというお話をしましたが、幸いにしてその犬は十日間を生き延びました。
 でも最近、そのワッチョの一人の青年から、娘の所にメールが来たと言います。
「dog」と来たそうで、犬がどうしたのかな?その時は英語で来たらしいですね。そうしたら、「・・・」と来て、その後、「die!」と来ました。
何と死んでしまったんですって。えっ!もうびっくりして、ということは、私の命、もう駄目じゃない?と、もうびっくりしました。そうしたら、どうして死んだのかと聞くと、何と、その犬、何を血迷ったのか、高速道路に出て行って、トラックに引かれて死んでしまったそうなのです。少し驚かされましたが、話は戻りますが、それぞれの国に出向き、リバイバルという旗を掲げて乗り込んで行くとういことは、まさしく、その国の君との戦いなのです。決して甘いものではないと思います。
 そのためには、まず私たち自身の土台を、もう一度主によって取り扱っていただいて、堅固なものとしていただかなければなりません。私たちはイエスさまが十字架の上において流してくださった血潮によって覆っていただかなければ何一つできないものであることを感じます。
リバイバルの戦いは、私たちがその場所に立って何かができるから何かをするのではなくて、そこに行くということがすごく大切なことであると信じます。今回も大きな戦いですので、ぜひ光のある間に主がしようとしてされていることが成し遂げられるように、そのためにただただお祈りいただければと思います。

 ヨハネによる福音書十六章三十三節、

『世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。』

 イエスさまはこの世において大きな勝利をもたらせてくださったお方なのです。そのイエスさまの十字架のかげに隠していただいて、主ご自身のみこころだけが現されるようにと、主を見上げ、祈りつつ、主がくださった、一人一人に対する、そして、この教会に対する主の使命としてのリバイバル受け取っていただいて、前進し続けて行きたいと心から願います。日本リバイバルクルセードから始まって四十九年、来年で五十年になります。以来、リバイバルの戦いは止まることなく、進み続け、その延長線上に世界宣教の扉があり、世界規模の霊的戦いが、主によって開かれて、主によって導かれていると、そのことを信じて、ぜひ覚えて祈つつ進みたいと願うばかりです。
 本当に主は絶えず一歩一歩新しい扉を開いておられるなとすごく感じます。実は昨日は、東京でザワメキの集会があったのですが、東京での集会のためにも皆さんにもお祈りいただいて、本当に心から感謝しています。
 今から十八年前、二〇〇一年にザワメキが独立して、定期的に始めたことは、東京で毎月歌うということを始めました。ですから東京ワーシップシャウトというのを毎月開催して、同刻プレイズが行われる時にはなかったりだったのですが、この十八年間で、昨日で百八十回目を迎えることができました。
 そしてまた、前回お話しさせていただいたように、四月から場所が変わりました。渋谷区の広尾という所で、大使館がたくさんあるような、いわゆるセレブの街で、そして二十一世紀キリスト教会という、安藤忠雄が設計したという、そこでの集会が四月からスタートし三回目でした。実は昨日は新城からなんと十八名の方が行ってくださいました。本当に感謝でした。
 これが安藤忠雄設計の教会です。

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 ここでザワメキを響かせていいものかと最初はすごく思ったのですが、でもその教会の牧師先生が本当に喜んでくださって、「是非してください!」と言うのです。そして今回、新城からマイクロバスで行って来たので、「なんと言っていいか!ただただ恐縮です!」と頭を下げられてしまいましたが、本当に喜んでおられました。ここでこんな感じで賛美集会が行われました。

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 手を挙げておられる方が牧師先生です。

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 そしてこんな形で、私たち賛美チームが賛美して、なんと昨日は子どもたちが歌いました。

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 前に出てお決まりの「主の回復の時が」を彼らが歌ってくれました。いや〜すごいな!と思いました。子どもたちの賛美って、すごく力だということは、みことばからも私たちは知るところですが、子どもたちが、そもそも最前列で大声で歌ってくれていたのです。
 この場所そのもの、ちょうど子どもたちが立っている土地のあの下の辺が特に意味がある場所なんですって。三回目、その教会員のみなさんも、海のものとも山のものとも分からない山のものを受け取ってくださって、すごく優しく、温かく迎えてくださって、一緒に賛美ができて、すごく大きな恵みでした。そんな中で、子どもたちと一緒に賛美ができたこと、本当に大きな恵みでした。
 二十一年前には、東京リバイバルミッションに向けて、みんなが東京に上って戦いました。そして二〇〇〇年にはスーパーミッションが四十日間、東京で行われて、ここから東京に!と行きましたが、なんか昨日はみなさんが来てくださって、一緒にそこで賛美をしていただいて、そこに立っていただいた中に、もう一度主が首都東京に「光のある間に、この福音を宣べ伝えなさい!」ということを、この日本を勝ち取るために、その働きをしようとしておられるということを、すごく強く感じました。

 リバイバルミッションで、この八月十三日、十四日と二日間、東京の集会があります。以前もチラシをお配りしましたが、ぜひご参加いただければと思います。
 一日目はお茶の水のクリスチャンセンターの八階で聖会をします。講師が天野先生と大川従道先生がメッセンジャーです。それから平岡先生も順先生もメッセージしてくださいますし、みなさんと共に賛美するという六時間の集会をしますので、ぜひお時間を作ってお出かけいただければと思います。新城からマイクロバスを出して、そこに参加することになっています。
 そして次の日は、東京をとりなします。いろんな形でとりなします。一つのチームは皇居の周りを歩いてとりなします。そしてもう一つのチームは、バスに乗って主要な所を巡ってとりなす。そしてもう一つは、何と電車に乗ってとりなし祈ります。鉄ちゃん必見のプログラムなのですが、電車に乗って、「これは俺に任せておけ!」とおっしゃる皆さん、是非ご参加いただいて、それぞれの賜物がありますので、それぞれの賜物の中で、そこで祈って勝利をするという、そういった働きにご参加いただければと思います。
 午前中にチームに分かれてとりなしをした後は、お昼は、全員集まって、なんと船に乗るのです。そして東京湾を巡って、お弁当を食べた後に、その船の上で賛美集会をし、そしてショートメッセージが語られるという、そういった二日間になっていますので、ぜひ、「私も行こう!」と決めていただいて、ご参加いただければと思います。
 この間、シオンタイムに出ましたら、もう九十を過ぎられた兄弟が、それを見て、「本当に行きたい!あの東京ミッション、スーパーミッション、すごく燃えました。このニュースを見て、すごく燃えた!」とおっしゃってくださっていましたが、是非みなさんもご参加いただいて、日本を勝ち取るための一つの戦いとして、ご参加いただければと思います。本当に主のみわざがこれからさらに起こされていくと信じています。

 この「光のある間に」という、大きなテーマの中で、主が私たちに一つ一つの働きをしてくださっていますけれども、主がそれぞれにくださっている賜物、それぞれの世代の中にある賜物というのがありますので、その賜物を存分に発揮していただきたいと思います。詩篇三十三篇、

『正しい者たち。主にあって、喜び歌え。賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。』

と書かれています。
 今、賛美の力について日々語られていますが、やっぱり賛美の中にある力ってすごく大きな力なのですが、その力はどこに現されるかというと、ここに、『正しい者たち。主にあって、喜び歌え。賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。』とあります。
 賛美をささげるにあたって、私たちはやっぱり子どもたちのような賛美がささげられたらいいなと思います。純粋に自分がうまいとか下手だとか、いい声が出るとか出ないとか、ではなくて、本当に心の直ぐな状況で主を賛美する時に、主のみわざが現されると信じます。

 先週の日曜日は韓国での奉仕でしたが、三つの集会がありました。午前中、一つの教会で集会をして、終わってすぐに三十キロの移動をして、午後またそこから三十キロくらい離れた所での賛美集会があって、そこでまた集会をして、それが終わってまたすぐに今度は夜の集会ということで、韓国に行くとよくあることなのですが、ザワメキの賛美集会が三箇所で行われました。

 一箇所目に行った所は、そこの牧師先生はこの新城にも来てくださった教会なのですが、新しい教会で、私たちそこで集会をしました。すごく恵まれました。何が恵まれたかというと、子どもたちの賛美が本当に良かったのです。
 いろんな教会がありますが、ある教会に行くと旗を振って賛美する教会ってたくさんあります。新城ではそういうことはしていないですが、またある教会に行くと角笛を吹かれる教会があります。それをなんと子どもたちがしていました。
 その子どもたちが、旗振りの子どもが二人いたのですが、もう熱いのです。なんとなく賛美に合わせて振っているというより、必死で、カーッ!と賛美を主に向かって熱くなっているのです。
 そして角笛の子は、礼拝前に角笛を取りに行って、私が一番前に座っていたら、私の顔を見た途端に深々と頭を下げて去って行きました。静かな子の感じでした。そして賛美が始まると、彼は前に出て行きました。それで、二人の少年はすごく熱く旗を振りながらの賛美をしていたのですが、角笛の彼はなんか立っているのです。途中で靴なんか脱いじゃったりして、なんか靴の中にある石を出したりして、なんか彼大丈夫かな?という感じだったのですがさんびの中で、ここぞ!という時になると、プーッ!と吹くのです。しかもなんとも間を射ているというか、神さま、この子どもたちの賛美、すごく喜んでおられるな!そのことがよく分かりました。ですから集会の最後には「ダンシング」の曲を賛美する時には、一緒に入ってもらって、ダンシング!ダンシング!その角笛の彼も、最初は私の後ろで隠れるようにプーっとやっていたのですが、最後は前に出て来て、私の横に来て、プーっと吹いてくれていました。本当に子どものような直ぐな賛美を、子どもたちから私たち一人ひとりに至るまで、主に賛美をささげていくことができればと心から願っています。

 また私はここではインドの証しをさせていただいていないのですが、北インドの働きも本当に守られたことを感謝します。特にヒマラヤミッションという、そういったテーマの中で、今年はネパールとインドを挟んで、このヒマラヤが賛美するように、そういった大きなテーマの中での働きでした。
 本当に神さまが導いてくださって、すでに報告会で報告されていると思いますが、神さまが導かれたというのを行ったみなさんすごく感じました。日本でリサーチしたから行くというのでは絶対できないような場所だったなと思います。
 私たち、昨年も行った場所の山に行って歌いました。

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 これは去年の写真ですが、この山の頂上で、右のほうにヒマラヤが、この時は見えなくて、後から見えるようになるのですが、あるのです。そして今回もここで歌おうと思って行ったら人がいっぱいでした。だから、いや〜ここで今回は歌えないなぁと思って、ここに上がるまですごく時間がかかるので大変なのですが、最近トレーニングを全然していなかったので本当に疲れました。
 でもここで歌わずに帰るわけには行かないから、どうしようかなと思ったのですが、その時にふと私の目に入ったのが偶像の旗がはためいていて、チベット仏教の祈り場があるのですが「そうだ!ここに立って歌おう!」と思いました。
 それで、この辺りからここを見ると、そんなに距離ないかな?と思ったのですが、その時には、「行くしかない!」と思ったので行きました。今回はプロのガイドさんが同行されていたのですが、「私たちあの上に行きますけどいいですか?」と聞くと、「行って来てください。」と言うので、行きました。そこまで登るのに結局三十分以上かかって、すごく大変な所まで登ってきました。上から見た景色がこれです。

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 この岩の上に立って賛美をするということをさせていただいたのですが、本当に祝福の時でした。このヒマラヤが歌うようにという、そんな時だったのですが、そうしたら一緒に行ってくださったプロのガイドさん、ヒンズー教徒の方で、まだ二十七歳の若い男の子だったのですが、彼がガイドした後に、こうおっしゃったと言うのです。
 「今回は特別だった。いつもテレビでしか見たことのなかった本物の日本人のギターと歌で、周りにいた人たちが惹き付けられ、鳥や山が反応してキラキラしていた。素晴らしい経験だった。自分もギターを習いたい。」
 こうおっしゃってくださいました。クリスチャンでない方がこれを言ってくださったというのは、すごいことだと思います。別にこういったテーマで上がっていますとか、一言も言っていません。ただここで歌います!と言って歌って、そもそもギターを抱えて登りますと言ったら、「Really?」とすごくびっくりされていて、そして行く先々で歌って、そして私たちが山の上で歌った時に、下までかなり距離があったので聞こえていないかなと思ったら、「聞こえていた!すごく良かった!」と彼が言って、そして、後々彼の言った言葉が、「鳥から山までキラキラしていた。」
これは神さまご自身の働きで、イエスさまが一度働いてくださったら、このクリスチャンでない方々の覆いが取りのけられたら、リバイバルが本当にすごい勢いで始まるんじゃないかなということを感じさせられた、そんな時でした。
 この山の上で歌い終わった後に、下に下りた時のヒマラヤの姿がこの姿でした。

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 本当に綺麗に、行く前は曇ったりしていたのですが、山の上では雨も降るし、雹も降って、すごい風だったりしたのですが、こんな大きな祝福を主はくださいました。

 ここからもう一つ行った町でも歌ったのですが、そこが今回の宗教の一番のルーツに神さまが導いてくださったという場所でした。そこの洞窟に案内してくれた一人の地元のおじさんがいました。
 最初から「マネー!マネー!」だったので、ちょっとだけ危ないおっちゃんかなぁと思って、目もいっちゃった感じのおっちゃんかなと思ったので、この人の言うことを聞いて付いて行くのはやばいんじゃないかなと、ちょっと思いました。
 でも順先生は愛がありますね。彼に向かって、「私たちはここを祝福しに来た。あなたを祝福したいけどいいか?」『OK』と、「だから、この人が歌うから聞いてくれ。」と言って、私が歌いました。
 私は一歩下がっていて、このおっちゃん大丈夫かなぁ?と思った人に対して順先生が声をかけられたので、「主は私の羊飼い」を歌いました。そして歌い終わったら、本当にこのおっちゃん、目が変わりました。彼の空気感までが変わって、本当にイエスさまの愛って素晴らしいなと思いました。
 今回、このヒマラヤミッションを終えて、私の心に響いたみことばは、第一コリント十三章十三節、

『こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。』

 イエスさまご自身が本当に今、この地に大きな愛をもたらそうとしてくださっているということを、すごく強く感じた、そんな時であったことを本当に覚えて心から感謝します。神さまの導きが一つ一つ、一歩一歩の働きの中に現されて、主が本当に、「これでもか!これでもか!」というほどに、「今まで歩んできた道も私が導いたよ。これからも私が導くよ!」ということをいろんな中で示してくださっていると思います。

 礼拝で何度か語られていましたが、ゴールデンウィークには新城教会の歴史を辿る遠足があって、本当に恵まれました。浦川に行き、東栄、そして津具に行って、そして最後、清崎という所まで巡りました。清崎で明牧師が伝道したことによって、見城しずえ姉妹が救われて、そして岡本キヨ姉が救われて、この新城教会の土台が築かれたという話がなされていましたが、神さまの深い計画が本当に昔からあったなと思うのですが、それと共にやっぱりその時の明牧師が持っていたその情熱ってすごいなぁと思います。
 昔の父の若かりし日の姿を八ミリビデオの映像を見たことがあるのですが、あの人はなにせクリスチャンになってからは世の物を断ち切るという、そういった生活をしていたらしくて、髪の毛がボンバーヘッドのように本当に爆発していました。ビデオの中の父はニコニコしながら髪の毛だけは爆発してて、楽しそうに歩いている、そういう映像があるのですが、「どうしてこんな髪の毛してるよ?」と聞いたら、「そりゃぁクシで髪をとくなんていう、そんな世的なことはできん!」と言っていましたが、それ何よ!身だしなみじゃない?と思うのですが、その後、父はかなりおしゃれに気を遣う人間に変わりましたが、ただ何を言いたかったかというと、清崎に津具までノーパン自転車で、毎週、十何キロのデコボコ道を髪の毛をなびかせながら来たと思うんです。
 そこで週に一回、日曜学校をしてそのお二人が救われるわけですが、その時の明牧師の歳について、遠足の中で語られていたのですが、「若干二十一、二だよ!」とおっしゃってました。若干二十一、二。二十一、二の人って、今ここにいますか?毎週一人で自転車に乗って伝道に行く!って、いや〜すごいな!本当にその若者の、父が持っていた情熱というのは、真似できることではないと思うのですが、父に主が注いだリバイバルの情熱だったと思うのです。ですから私たち一人ひとり、やっぱりその時の熱いリバイバルという思いを持ち続けていかなかったらいけないと思います。

 ローマ人への手紙十一章二十九節、

『神の賜物と召命とは変わることがありません。』

と書かれています。神さまがくださった賜物と召命、それぞれに与えられた神さまからの賜物、賜物と能力という話もされていましたが、主がくださっているそれぞれの賜物、そして主がくださった召命というのは変わらない。どのような中にあっても変わらないから、戦い続けなさい!ということをパウロが言っていますが、私たち一人ひとりもそのような中で、私たちに託された働きを全うしていきたいと心から願います。
 若者には若者にしかできない、若い時だからこそできる力と情熱というのは、やっぱり神さまが備えておられると思うので、本当に主のために立ちあがるときが来ていると信じます。ですから、それぞれがイエスさまのみ声に聞いて動かなかったらいけない時代だと思います。
 私たち人間、すごくいろいろなことを計算してしまって、こうするとこうなって、経済的にこう組み立てて、こうしたら生活も安定するから、それじゃぁここまでのことはしよう、ということをします。ただ神さまは「それしなさい!」と語られます。そのみ声を聞いて、それに従って生きるという、そんな歩みを私たち、全員がさせていただけたら、どんなに素晴らしいことかと思います。

 光のある間に、主がくださった主のわざが前進していくために、この光のある間に、福音を宣べ伝える。しかもこの福音というのが、福音の理解が二十一年前と違って、広げられてきていますので、二十一年前に山に向かって「歌え!」と言っていたら、「大丈夫か?おまえ?」と言われたと思うのですが、しかし本当に今、全被造物と共に主を賛美をする、その働きを成していきたいと思います。

 この間、リバプレセミナーがあって、そこで私は一つのことを教えられました。それはとても有名なみことばの、詩篇百四十八篇のみことばでした。詩篇百四十八篇一節〜六節、

『ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。いと高き所で主をほめたたえよ。
主をほめたたえよ。すべての御使いよ。主をほめたたえよ。主の万軍よ。
主をほめたたえよ。日よ。月よ。主をほめたたえよ。すべての輝く星よ。
主をほめたたえよ。天の天よ。天の上にある水よ。
彼らに主の名をほめたたえさせよ。主が命じて、彼らが造られた。
主は彼らを、世々限りなく立てられた。主は過ぎ去ることのない定めを置かれた。』

ここに皆さんご存じのように、「天にあるすべてのものに主をほめたたえさせよ!」と書かれています。そして七節以降は、七節〜十三節、

『地において主をほめたたえよ。海の巨獣よ。すべての淵よ。
火よ。雹よ。雪よ。煙よ。みことばを行なうあらしよ。
山々よ。すべての丘よ。実のなる木よ。すべての杉よ。
獣よ。すべての家畜よ。はうものよ。翼のある鳥よ。
地の王たちよ。すべての国民よ。君主たちよ。地のすべてのさばきづかさよ。
若い男よ。若い女よ。年老いた者と幼い者よ。
彼らに主の名をほめたたえさせよ。主の御名だけがあがめられ、その威光は地と天の上にあるからだ。』

 「この地にあるすべてのものに主をほめたたえさせなさい。」ということが書かれています。私たち、天において主をほめたたえよと言って歌っていますが、この間、「あ!そうか。」と一つ思ったのが、ここには「天において」と書かれているのです。
 私たち、この地上から「天の星たち、歌え!」ということも大切かと思うのですが、「天において」と、ここに書かれているので、私たち、天において歌わなかったらいけないと思います。
 最近、天の法廷での話がされていて、天の法廷で訴える者に対して、私たちがその場で、その法廷の悪しき訴えを却下することができる、そういった権威があるということが語られていますが、同様に私たちはやっぱり天における働きは天においてすることができるのではないかと、このみことばを通して教えられた気がしました。
 天に立って、そしてそこが変えられるように、そんな思いで賛美をして、主のわざが成されるように祈っていかなければいけないと思います。
 そして「地において」と書かれていますので、この地における賛美も、やっぱり様々な場所があって、私たち行くことのできない場所、立ち入ることのできない場所がありますが、祈りはそこに届きます。そしてそこに賛美が届くので、その場において賛美する、そんな気持ちで賛美していく時に、主のわざがなされると信じています。

 本当に神さまのご計画の中で、「光のある間に」というみことばが、もう一度こうして示されているような、そんな気がしてなりません。
 イエスさまの時が近づいているこの時に、神さまがくださったそれぞれの使命に立って、主のわざに励んでいくことができるように、共に祈って、そして共に遣わされていきたいと思います。
 そのために今から聖餐式が持たれますが、イエスさまの十字架の血潮をあおいで、私たちのすべての罪、汚れを聖めていただくことができるように、天において訴えられている法廷に立って、それを却下して、また時間も空間も越えて、時空を越えて、私たちの過去に至るまで、完全なる主の勝利を宣言する、そんな時をもって、この光のある間に、主の福音を宣べ伝える、そのような歩みをしたいと心から願います。一言お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ、愛する天のお父さま。あなたの素晴らしいみ名をあがめて、心から感謝します。今日はこうしてあなたのみ前に賛美をおささげする、この機会が与えられたこと、本当に心から感謝します。主はここにおられ、共にこの礼拝を受け取ってくださり、またあなたご自身が今日語っておられることを信じて、心から感謝します。
 私たちは主よ、あなたご自身のみこころを行うことができるように、心から願っています。あなたが遣わせようとされている場所に遣わされたいと心から願っています。どうぞ、主よ、みこころを行うことができるように助けてください。主よ、どうかあなたご自身の力が私たち一人ひとりを覆っていただくために、もう一度、あなたの血潮を仰ぎます。あなたの血潮によって、すべての罪汚れを聖めてください。
 そして本当にあなたご自身が今、この時満ちて、「光のある間に、光の子どもとなり、福音を宣べ伝えなさい!」と、もう一度語ってくださっていることを心から感謝します。
 主が始められた、このリバイバルの働き、一歩一歩、ここまで導かれてきたことを感謝します。新たなるご計画の中へあなたは私たちを導かれるお方であることを心から感謝します。私たちに与えられた賜物と召命、あなたご自身がすでにお一人お一人に与えてくださっていることを信じて心から感謝します。そのご計画を全うすることができるように助けてください。
 今日のこの時を心から感謝します。もう一度、あなたを心から誉め称えます。主よ、新たな思いを持って、心の直ぐな思いを持って、あなたを賛美することができるように、主よ、お願いいたします。この時を感謝して、尊き主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。