「リバイバルの旗印を掲げて!」

  • 2019年7月14日(日)

新城教会牧師 滝元開
エペソ人への手紙6章10節〜18節

『終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。』

 今日は賛美礼拝、主のみ前に賛美をささげることができて、心から感謝をいたします。神さまの大きな恵みが、今日もこのただ中にあることを信じて心から感謝します。
 「イスラエルの賛美を住まいとされる主」と詩篇の中にありますが、イエスさまは賛美の中に住んでおられます。私たち、こうして主に賛美をおささげできるわけですが、世間一般ですとカラオケに行って歌って、ストレスを発散して、ちょっとだけ良い気持ちになって帰って来るというのが世の常かと思いますが、私たちは救い主イエスさま、今も生きて働かれるイエスさま、ここにおられる主に賛美をささげるのです。そうすると、そこに神さまが居てくださって、神さまの祝福を注いでくださる。そんな大きな祝福が、この賛美の中に注がれますので、この礼拝のみならず、私たちの生きるすべてを賛美に溢れた毎日であればと思います。

 実は今日のメッセージの最後にザワメキ5・5の中に収録されている「おぃ、がんばろうよ!」を歌う予定にしています。どうしてその歌を今日歌うことになったのかというと、ひとつの理由があるのです。私たちの家庭集会に四ヶ月ほど前からK家の皆さんが来られるようになりました。K家は四人シスターズなのですが、いつも彼女たちと本当に楽しく礼拝しています。
 そして、私たちの家庭集会では必ず一曲ずつ新城教会の歌集の中から歌いたい歌を選んでいただきます。そうすると彼女たちが必ず選ぶ曲があって、「何番歌う?」と聞くと、「百二番!」と言うのです。中高生の皆さんだと分かる番号だと思いますが、百二番とは、「おぃ、がんばろうよ!」という歌なのです。それは戦いの武具を身にまといましょうという曲を選ぶのです。CDの中ではラップ調にやっていますが、その歌を最近は毎回毎回、毎週毎週、私たちの家庭集会、「おい、がんばろうよ!」「な〜に?」と、毎回歌っているのです。
 そんな中で、イエスさまが今、私たちに、「おぃ!もうちょっと頑張れ!」とおっしゃっておられるのかなと、そして「聖なる武具を身にまといなさい」とおっしゃっておられると、強く感じています。

 この新城教会にとっては、先週は霊的戦いが始まって二十七年が満ちた、とっても記念すべき週でした。本当に神さまがこの地に立ちあがってくださってくださった記念の週でした。しかも、この地域に暗闇が入った、その瞬間のその時に、主が立ちあがったということを先週も学びました。
 一五七五年七月九日の朝六時に連合軍対武田軍の大きな戦いがありました。そしてこの地に血が流されたがゆえに、この地が汚されてしまって呪われてしまったという、そういった現状があります。そんな中で、この教会が建て上げられて、そのようなことをよく知らないで福音宣教の働きをしてきましたが、この地域に覆われているその覆いを取りのけるために戦いなさい!と、今から二十七年前に、主が七月九日の朝六時、その日、その時を選んで、主は戦いの働きを始めてくださったことを本当に心から感謝します。そして、神さまがまた新たな扉を開いてくださって、また新たな領域へと導いてくださると信じています。

 その二十七年前の霊的戦いの祈りをするには、一つのきっかけがありました。中高生の伝道集会「レッツプレイズ」のチラシ配布でした。チラシ配布をする前に、学校の近辺にある悪しき牙城である神社仏閣に行って、そこにいる悪魔の力が打ち砕かれて覆いが取りのけられるようにお祈りしようということで行くことになっていたのですが、それで早朝の、まだ人通りのない時間は何時だ?朝六時くらいだろうということで朝六時になったのですが、それが奇しくも神さまご自身の大きなご計画であったということを、後の日になって知らされ、心から感謝します。

 実は今週の金曜日はレッツプレイズが行なわれます。今なお続けています。

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今回こんなハガキを配ったのですが、「レッツプレイズ!夏だ!集まれ!レツプレだ!レッツプレイズ二〇一九夏!中高生のためのめっちゃ楽しい食事付きコンサート!しかもタダ!」という、しかもタダなのです。しかも今回のメニュー、何が出るかと言ったら、ステーキが出るのです。大きさはどうなるか分からないですが、ステーキをタダで食べてもらいながら、中高生がコンサートをしてそして中高生に福音を伝えるという働きです。
 これはハガキ大の物なのですが、これを中学校や高校の前で配るのです。先週は月曜日と水曜日に配りました。今回はちょっと特典がありまして、「ヘブンズアイスクリーム&コーヒー無料券を進呈する」という、それはレツプレに来て、スタンプを押してもらったら、レギュラーサイズがプレゼントされる!ということで、スタンプ押して貰わないともらえないのです。でも、すでにチラシ配布で受け取った新城東高校の生徒がこのハガキを持って、早速来たそうです。「アイスもらえますか?」と。残念でしたね。でも集会に来てくれたらいただけるということなので、ぜひ多くの中高生が集うように覚えてお祈りください。
 この間、中高生の集会のユースプレイヤーで、「どう?このアイスクリーム屋のこと、みんな知ってる?」と聞いたら、特に東郷中学校と新城東高校の生徒さんたちはかなりみんな知っているというのです。それでその中学校の子がこう言うのです。「もうね、ヘブンズアイスのこと、バズってる!」と言うのです。「バズってる」分かりますか?私ははっきり言ってわかりませんでした。「バズってる!」で分かる人?分かる人、結構いますね。中学生、高校生は当然でした。「バズる」というのは、ネット上で話題になるということで、随分バズってるんですって。だから中高生の間で「イエスさまがバズってくれるように」と祈っていますが、今回のレッツプレイズを通して、主の新しいみ業が起こされるように是非覚えてお祈りください。

 今週朝、東郷中学校で配りました。特にそこは激戦地のまっただ中にある所なので、ある意味、そこから霊的戦いが始まったと言っても過言でないような場所なのです。徳川家康の陣地があった所、そこでチラシ配布をしていました。
 私は山手のほうから来る子たちのためにずっと待って、ずっとそこでお祈りしていました。来た人に配ると、最近の中学生の子たち、いい子たちが多くて、みんな取ってくれるのです。だから本当にしていて楽しいのです。今回、私は百パーセント取ってくれました。なぜなら、山手から来たのはたった一人でした。彼一人取ってくれて、だから百パーセントでした。
 そして私が見ていたら、うちの娘も一緒に行って配っていたのですが、娘が学校の先生と何やら話しているのです。チラシを配っているので、やっぱり学校の先生としても、責任があるので、「何を配っているんだい?」ということで聞きに来たそうです。そうしたらその先生、娘が中学校時代に学校におられた先生のお一人だったそうで、ただ関わったことはなかったらしいですが、良い先生だということと名前だけは覚えていたそうです。だからその先生といろいろと話して、すごく笑顔でいろんな話をしているのです。それで「そういうことか。頑張れ!」と励ましてくれたそうです。それで先生といろんな話をして、笑いながら話をして、最後に娘がその先生にこう聞いたそうです。「先生、先生は今何を教えてるの?」と聞いたら、「ん?僕は校長だ。」と言われたんですって。だからある意味、その地の責任者が受け取ってくれて、それを容認してくれたというのは霊的な大きな意味があったのかなと、そんなことを思って帰って参りましたが、主の大きな祝福でした。

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 先週いろんな事がありましたが、もう一つ、プレイズ出版の上棟式が水曜日の午後に行われました。これは前方からですが、結構奥行きが広くて、私もそこに参加させていただいたのですが、とても大きな祝福でした。業者さんが来て、そして皆さん、喜びの中での上棟式が行われて、岡本信弘先生が本当に「ここに主の喜びが溢れるように」という話をしてくださいました。これが動画です。



 現場の職人さんたちから、銀行の方から、また設計された方から、そしてプレイズの皆さんまで、この中では、「いつも喜び、絶えず祈り」と歌っています。本当にここにいつも喜び、絶えず祈るという祝福が注がれるようにという、素晴らしい祝福の上棟式が行われました。
 本当に神さまの働きが、めまぐるしくいろんな形で進んでいますが、事細かに主は一つ一つの働きを覚えてくださって、進めてくださっているんだなということを覚えて心から感謝します。

 そしてもう一つあったのが、私の担当させていただいた働きでしたが、リバプレセミナーが行われました。リバイバルプレイズセミナーということで、賛美について学ぶセミナーです。毎回集われる方々は決して多くないのですが、日本のいろんな所から犠牲を払ってわざわざ来てくださいます。本当に大きな祝福でした。
 昨年の十月から始まりまして、五回に渡って行われてきて、一応今回が総集編ということで行われました。今回が最終回ということで、みなさん本当によく聞いてくださいました。
 この学びの中で、神さまはいろんなことを教えてくださいました。最初の学びの時、イエスさまが一つのみことばを私に示してくださいました。詩篇六十六篇一節〜二節、

『全地よ。神に向かって喜び叫べ。御名の栄光をほめ歌い、神への賛美を栄光に輝かせよ。』

 山の上で賛美して祈っている時に、このみことばが与えられました。「神への賛美を栄光に輝かせよ!」と。本来、賛美の中にある力は、とてつもなく大きな力を持っているのです。近年、順牧師を通して、全被造物までも賛美させなければいけないという真理を開いてくださって、教えてくださっていますが、本来ある賛美の力、音楽の力というのはすごく大きなものだから、それを解き放ちなさい!ということを主は教えてくださいました。
 その時、教えられたのは、そもそも音楽、賛美を最初にささげていたのは天使たちですが、その天使の中でも天使長のひとりルシファーが賛美をしていました。神さまに最も近く賛美をささげており、美の極みといわれるほどに、神さまに近く、心から賛美をささげていました。
 しかし、その賛美があまりにも素晴らしかったがゆえに、それを神さまにささげるのではなくて自分に向けてしまったという、大きな罪を犯したゆえに、琴の音と共にこの地に落ちたとあります。だから本当に音楽の中にある大きな祝福と共に、逆に大きな魅力に取りつかれるとそのような事になってしまうんだ、恐ろしいことだなぁということを学ぶと共に、イエスさまはその時におっしゃったのは何をおっしゃったかと言うと、「神への賛美を栄光に輝かせよ!」というのは、「ルシファーが神さまの前でささげていた、その賛美以上の賛美をささげなさい!」ということでした。
 ぜひ皆さんの賛美をさらに栄光に輝かせてください。ルシファーがささげていた以上の賛美でこの地を満たしていく時に、神さまの栄光が現されますので、そのことを信じて進んでいきたいと思います。

 ということで、先週も様々な働きがありましたけど、神さまが一つ一つの働きを導いてくださったことを感謝します。

 さらに、週報にも記されていますが、悲しい知らせでしたが、当教会に今来てくださっているS兄の奥様が天に帰られました。その方の召天式、本当に祝福されました。イエスさまの大きな回復の一つを見たような、そんな召天式でした。大きな深い悲しみもありますが、それと共に大きな希望を感じたひと時で、その召天式の中にも聖霊さまがすごく働いてくださることを見る、そんな時でした。是非、S家の皆さまのために引き続きお祈りいただいて、そして神さまの回復のみわざが、リバイバルの働きのただ中で現されるようお祈りいただければと思っています。

 それでは本題に行きたいと思います。「リバイバルの旗印を掲げて!」というのが今日のメッセージのタイトルです。リバイバルの旗印。旗印というのはやっぱり戦いの時に掲げるものです。きっとこの地で行なわれた四百年前の合戦の時にも、両軍、それぞれ旗印を掲げて来て、「ここがこっちの陣地だよ!」と戦っていたと思います。
 私たち、この教会はどんな旗印を掲げているかと言ったら、やっぱりリバイバルだと思います。もちろん十字架、イエス・キリストですが、その中でもイエスさまご自身が、「リバイバル」という大きな旗印を託してくださって、その旗印を持ってずっと走り続けている、そんな教会だと思います。

 滝元明牧師が東京に出て、十九歳の時にイエスさまを信じて、そしてあの武蔵野の森の中で祈って、「イエスさま!」と祈っている時に祈ったその祈りが何であったかといったら、十九歳のその少年が祈った祈りが、「日本のリバイバル!」でした。それも涙と鼻でぐしゃぐしゃになりながら、「この日本を救ってください!」と叫んで祈ったと、その情熱は今も変わらないと本にも書かれていますが、それ以来の旗印がずっと掲げられています。
 私たち、「リバイバル」という一つの方向に向かう道というのは、神さまが導いてくださっているので、やっぱりそこを目指しさえしたらいいのではないかと思います。だからその旗印の下に、もう一度、この新たな戦いの時に、その旗印をしっかりと掲げて戦うべき時が来ていると、そんなふうに思っています。

 そのような中で神さまが、今私の心に示してくださったみことばが、最初にお読みいただいたエペソ六章十節〜十八節のみことばでした。少しずつお読みしていきたいと思います。十節から、

『終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。』

と書かれています。終わりの時代、私たちは生きていますが、悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、私たちは神さまがくださるすべての武具を身に着けていかなければいけません。
 是非、今日はもう一度、新たな教会として、私たちがこのリバイバルの旗印の下に戦うために、主は「新しくもう一度武具を着けなさい!今はどういった時か分かっていますか?」とおっしゃっておられるような気がします。
 例えば、戦いの最前線で、旗印がどんっと立てられている時に、武具なしで、全く関係なしで、そこでおにぎりを食べたりしていたら、何しているんだ?ということになると思います。戦いの時にはやっぱり戦いの領域に入らなければいけないわけですが、今のこの時代を思うと、やっぱり本当にいつイエスさまが帰って来られてもおかしくないような時なので、そのような中で私たちは戦い続けていきたいと思います。

 その戦いの相手というのは、十二節にありますが、

『私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』

と書かれています。他でもなく、私たちの戦いの相手、様々な戦いがありますが、そのサタンの力を打ち破っていく時に、「わたしは勝利を現す!」ということを、はっきりと示してくださったので、そのことを信じて進んでいきたいと思います。

 そして十三節から、

『ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。』

と書かれています。
 私たちはここにあるように、邪悪な日がこの終わりの時代だというのです。今回、リバプレセミナーで、私の他に鈴木陽介さんが担当してくださるのですが、「音楽と経済と霊的戦い」というテーマで話をしてくださいました。すごく恵まれました。
 そしてその中で語られていたのが、今の音楽界がいかにサタンの手にあるかということを、映像を交えて教えてくれました。本当に今の世の中、私たちが思っている以上に邪悪な世の中だなぁ、本当に大変な世の中に私たちは住んでいて、その中で戦わなければいけない。戦えるかな?と人間的には思うほどに乱れてしまって、汚れてしまって、大変な状況の中にあるわけですが、やっぱりサタンも終わりの時が短いので、そして本当に猛攻撃で戦ってくるわけですが、そのような中で対抗し、そしていっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、『神のすべての武具をとりなさい。』ということなので、新しい神さまからの武具を身にまとって歩んでいきたいと思います。

 十四節から、

『では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、』

と書かれています。真理の帯。真理はイエス・キリストだけです。イエスさまだけが真理であり、サタンは偽りの父ですので、私たちは本当に真理の帯をしっかりと締めて歩んでいきたいと思います。

 そして、

『胸には正義の胸当てを着け、』

 これは当時のローマ兵等の姿をモチーフにして書いているのではないかと思うのですが、こんな感じだと思います。

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 まずは腰に真理の帯を締めて、そして胸には正義の胸当てを付けなければいけないということですので、私たちはこの不義に満ちたこの時代においては、私たち一人ひとりが戦うことができるかできないかというのは、やはり私たちがその聖なる武具を身にまとっていなかったら、戦うどころではないと思います。敵の餌食になるだけだと思うので、私たち、戦うことができる者にさせていただきたいと思います。

 そして、

『足には平和の福音の備えをはきなさい。』

と書かれています。平和の福音の備え、私たち一人ひとり、いつでもイエスさまの福音を宣べ伝えるということをしていかなければいけないと思います。

 先々月の話ですが、ザワメキで韓国に行った時に、私たち今回、春川という所に行きました。春川に行く時に、毎回のように行く場所があり、それは少年院です。少年院に行かせていただいて、少年院の子どもたちにイエスさまの福音を伝える働きをさせていただいていました。今回も福音の備えを履いてそこに行くことができるようにという願いを持っていたのですが、なんと今回はその予定が入りませんでした。すでに他の教会の人たちがそのための準備をしているので、今回は残念ですがその少年院に行くことはできませんと言われました。
 そして、春川を離れる朝の出来事なのですが、私たち、朝食事をしていました。そうしたら春川の牧師先生の所に、一本の電話が入りました。そして何を言っているかなと思ったら、「今からザワメキさんたち、少年院に来ることはできるか?」と言われました。もちろん「喜んで行きます!」と言って、結局行くことができるようになったのです。今回どのような少年たちの所に行くようになったかといったら、いつものように少年院の少年たちの所ではなくて、「まだ刑が確定していない子どもたちの所に行って福音を伝えてほしい。」と言われました。だから私たち、「そういった子たちでも喜んで行きますよ!」と言いました。
 そこはまだ刑が確定していない留置所的な所なのですが、いつも行く場所と違う通路を通りました。廊下を歩いて行くと独房と呼ばれる部屋が一つ一つあるのです。本当に狭い、一畳ちょっとくらいの部屋に一つのベッドとトイレがある。でもちゃんとテレビが付いていましたが。だから少年たち特有の臭いにおいのする、お風呂あんまり入っていないのかな?というような臭いがする所を通って行って、「彼らはこういう所にいるんだ。」ということを思う所を通って行って、その少年たちが待っている部屋に通されて行きました。
 行く前に、「この子たちは刑が確定していないので、他の子どもたちのように明るくなく、きっと心かなり揺れている子たちだと思うので、よろしくお願いします。」と言われました。「はい!分かりました!」と言ったのですが、行ったら、なんか明るい空気なのです。
 行くと、もうすでにそこの教会の牧師先生の奥様がおられて、その子どもたちといろいろとお話をしていて、少年たちなのですが、みんな頭に花輪を付けているのです。みんなかわいく、にこやかに座っているので、「あれ?なんか話と違うな〜」と思いつつ、みんなにこにこしているし、「それでは!日本から来ました!」と行って、いろいろと話をしました。「日本来たことある人?」と聞くと、「あります!また行きたい!」と何人かの子が言ってくれて、すごく心溶けました。
 それでは賛美しよう!ということで、私たちも一生懸命、韓国語で歌いました。彼らは一緒に手拍子で歌ってくださいました。
 そして、そういった少年院や刑務所や仮設住宅でもそうですが、家内がよくする質問があります。家内が、「はい、では質問です!さて私は何歳でしょう?」と言いました。そして、一人の少年が手を挙げました。「はい!」と手を挙げて、なんと言ったかと言ったら、「二十歳!」と言ったのです。すると家内は、「惜しい!残念でした!他の人は?」と聞いたら、今度は何と言ったかと言うと、「三十歳!」と言ったのです。そうしたら家内は何と言ったかというと、「違うわよ!」と言ったのです。それでも喜ばないといけないところだと思うのですが…。「それでは答えを言いますね。答えは十七歳です。」と言ったら、みんな「うぉー!!」と、みんなすごく喜んでくれました。
 でもその中で、家内が話したことが、「私は十七歳というのは、いつまでも大人になれないから十七歳って言っています。でもみんなは現実的に十七歳。十七歳っていうと、本当にこの世の中、いろんな誘惑があって、悪いことをいっぱいさせる力というのがあるけど、でもイエスさまはみんなを守ってくれるから、その悪い力に引っ張られないように頑張ってね。」と言ったら、皆んな「うん!」と言うのです。そして最後に一緒にお祈りしました。
 日本の刑務所や少年院とは大違いで、「一緒にイエスさまを受け入れる祈りをしていいんですか?」と聞くと、「いい。」と言うのです。それで、「イエスさま!」『イエスさま!』とみんな祈るのです。「僕は」『僕は』、「イエスさまを」『イエスさまを』、「信じます!」『信じます!』と、しっかり受け止めて祈ってくれました。その子どもたち、見た目だけではどんな罪を犯してしまったのか全く分からないです。本当にかわいい顔をしていて、道を歩いている少年たちのほうがずっと怖い顔をしているんじゃないかなと思うような、そんなかわいい子たちばかりでしたが、なんらかの罪を犯してそこに入って来たという子どもたちでしたが、でも福音を伝える、私たち、時が良くても悪くても福音を伝え続けるということはとても大切です。

 そしてみことばに戻りますが十六節、

『これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。』

 サタンは火矢をぶさっと私たちに放ちます。ちょっとした隙を見て、ぶさっと来ます。サタンは訴える者とは言いますが、訴える口実がある所に口実を見つけて、その隙間を狙ってぶさっと来るのですが、私たちイエスさまの十字架の血潮をあおいで聖めていただいて、そして信仰の大盾を持って歩んで行く時に守られるので、信仰の大盾を取りましょう。

 そして十七節、

『救いのかぶとをかぶり、』

と書かれています。私たち、このかぶとというのは頭にかぶるものなので、やっぱりこの救いというものを奪われないようにしなさい!と、聖書にはあるので、与えられた救い、これを、今救われていますが、天に召される瞬間に救いのかぶとを下ろしてしまったら天に行けないことになってしまうので、最後の最後まで、救いのかぶとをかぶって歩んでいきたいと思います。

 そして、

『また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。』

 みことばの剣ですね。それによって敵の力を打ち破ることができる。
 今、七つの武具がここに書かれていました。腰には真理の帯、二つ目、胸には正義の胸当て、三つ目が平和の福音の備え、四つ目が信仰の大盾、そして五つ目が救いのかぶと、そして六つ目が剣で、最後は祈りという、本当にこの神さまがくださる武具を身にまとって歩んでいきたいと思います。

 そしてもう一箇所聖書をお読みしたいと思います。イザヤ書五十九章十六節〜十七節、

『主は人のいないのを見、とりなす者のいないのに驚かれた。そこで、ご自分の御腕で救いをもたらし、ご自分の義を、ご自分のささえとされた。主は義をよろいのように着、救いのかぶとを頭にかぶり、復讐の衣を身にまとい、ねたみを外套として身をおおわれた。』

 イエスさまご自身は救い主で、真理の主なのですが、その主ご自身も、この終わりの時代、サタンの力を打ち破るために武装されるというのです。しかもどうして武装されたかといったら、とりなす者がいない、祈る者がいない、戦う者がいない、それじゃぁ私が戦う!と言って、主ご自身が立ちあがってくださったということなんですね。

 そして十八節以降、

『主は彼らのしうちに応じて報い、その仇には憤りを報い、その敵には報復をし、島々にも報復をする。そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。』

 主は激しい流れのように来られるという、そういった賛美がザワメキの中に与えられていますが、イエスさまご自身がどこに来られるかと言ったら、他でもなく激しい風を吹かせて、激しい訪れは敵に対してなされるということです。

 二十節、

『「しかし、シオンには贖い主として来る。ヤコブの中のそむきの罪を悔い改める者のところに来る。」――主の御告げ。――』

 さばきの主として来られますが、しかし私たちには贖い主として来てくださる主ご自身をもう一度本当に心からお迎えして歩み続けていきたいと思います。

 リバイバルの旗印を掲げて、戦い続けていく中に、やっぱり時には疲れることもあると思います。失敗することもあって、傷を負うこともあると思います。
 でも、最近「時を取り戻す」という、素晴らしいメッセージが語られています。さらには「時よ止まれ!」の、時を取り戻すし、悪い時を止めるということが最近語られていますが、私たち、時として、やっぱりいろんな失敗をするので、致命傷と呼ばれるような、これは絶体絶命、死に至る、救いようのない傷というのが人生の中に、「私あの時にあんな傷を負っちゃったなぁ。これがあるからには私は戦えない。」と思うことってあるのではないかと思うのですが、でもイエスさまはその時をも取り戻して、そこにイエスさまの勝利を宣言する時に、私たち一人ひとり皆が主の救いの勇士として戦う者とさせていただくことができるので、そのことを信じて進んでまいりましょう。

 最近、いろんな教会を巡る中で感じることが一つあるのですが、明牧師が四年前に天に帰って、ある意味、明牧師がリバイバルの旗印を掲げて走って来ていたのですが、明先生が天に行っちゃって、リバイバルは必ず来るだろうけど、リバイバルは次の世代頑張ってくださればいいからと、祈りの方向がちょっと変わっちゃった人っているのではないかと思います。
 今までは「主よ!リバイバルをください!」と言っていたにも関わらず、「主よ!そろそろ私を迎えに来てください。」という祈りを、されたことがある人、いらっしゃるかどうか分からないですが、そういう祈り、この牧師先生していないかな?と思うような発言をちょこちょこ聞くのです。そうると、本当にそれでいいのかな?と、ちょこっと思います。
 お年寄りのハレルヤ会のおじいちゃん、おばあちゃんたちからよく聞く言葉が「私たちには祈ることしかできないから祈ってるよ。」と、よくおっしゃってくださいます。祈ることしかできないってすごいことだと思うのです。
 ある意味、戦いの最前線、祈りそのものが、戦いの最前線のその場所に行ってそこで戦うことができるので、それ素晴らしいことだと思うのです。でもリバイバルのこの戦い、人に任せて、私はイエスさまが帰って来られるのを待ち望んで先に行って待ってますからという、そういった思いをもしも持っておられたら、それは横に置いていただいて、もう一度、祈りの戦士として立ちあがっていただければと思います。

 第二テモテへの手紙一章六節、

『それですから、 私はあなたに注意したいのです。 私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。』

と書かれていますので、私たち、与えられたそれぞれの賜物がありますので、それをもう一度、燃え立たせて歩んでいきたいと思います。

 最後にもう一箇所だけ、聖書をお読みします。ローマ人への手紙八章十五節、

『あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。』

と書かれています。
 イエスさまがくださった私たちに対する祝福というのは、奴隷の霊ではないというのです。しかも再び恐怖に陥れられるようなとありますから、「本当にもうあの恐怖は二度と味わいたくない!」というような恐怖、人生の中で経験された方、いらっしゃると思うのですが、「もうあれはやだ!」というような思いを持つことではなくて、しかし主が私たちに与えてくださるのは、「アバ、父」と呼ぶことができる祝福だよとおっしゃっています。「アバ」というのは、ヘブル語でお父さんのことを「アバ!」と言います。
 私は初めてイスラエルに行った時にすごく感動したことがあって、海岸でバスに乗ろうと思ったら、お父さんと子どもが遊んでいて、その子どもがお父さんに向かって、「アバ!」と言いました。乗ろうとした瞬間にそれが聞こえたので、ガイドさんに聞きました。「あれですか?アバ父のアバというのは?」と聞くと、「そうだよ、あれだよ。」と言われましま。私たちは神さまに叫んでいいのは、「アバ父よ!」「お父さん!」
 お父さんが子に悪いものを与えることはない。「ましてや求める者に聖霊をくださらないはずがあろうか。」と書かれていますので、私たちはもう一度、イエスさまの前に大胆に出て、主の働きに携わっていく者になりたいと心から願います。

 ということで、今日は七つの武具について学び、このリバイバルの旗印の下に立つ者としての学びをしましたが、最後は、「おぃ!がんばろうよ!」を歌って終わりにしたいと思います。

 みなさんもこの歌を宣言として、受け取っていただきたいと思います。これはザワメキの五・五のCDの中に入っているのですが、二十年数前にこの場所でレコーディングしました。その時の子どもたち、青筋を立てて、力いっぱい叫んでくれた、そんな思い出がありますが、もう一度、新たなる主の武具を身にまとわせていただきましょう。

「おい!がんばろうよ!」

*お~ぃ!「なに?」 おい!がんばろうよ!「なにを?」 そりゃもう 決まってるじゃん リバイバル
お~ぃ!「なに?」 お~い!戦おうよ!「どうして?」 そりゃもう 当然 リバイバル

頑張る頑張るリバイバル [頑張る頑張るリバイバル ]
戦う戦う リバイバル [戦う戦うリバイバル ]
強く雄々しく恐れずに [強く雄々しく恐れずに]
戦う戦うリバイバル [戦う戦うリバイバル ]

「さあみんな準備はいいかな?リバイバル は戦いだよ。この国をイエス様のものとするためには、 イエス様の下さる武具で武装しなきゃならないんだ。 みんなで一緒に リバイバル のための戦いの戦士になろう。 がんばろうね。 ではまず、しっかり立って。」

腰には真理の帯を締め [腰には真理の帯を締め]
胸には正義の胸当てを [胸には正義の胸当てを]
足には平和の福音を [足には平和の福音を]
信仰の大盾取りましょう [信仰の大盾取りましょう]

*お~ぃ!「なに?」 おい!がんばろうよ!「なにを?」 みんながイエス様信じるため リバイバル お~ぃ!「なに?」
おい!戦おうよ!「どうして?」 そりゃもう常識リバイバル

「どうかな、真理の帯、 正義の胸当て、平和の福音の備え、 そして信仰の大盾、 この武具は全部しっかり付いているかい? でも、戦いのための武具はまだまだあるんだよ。 全部つけないと本物の戦士になれないんだから。 最後までしっかり頑張らなきゃ。」

救いのかぶとをかぶります [救いのかぶとをかぶります]
御言葉の剣受け取ろう [御言葉の剣受け取ろう]
どんな時にも祈りをもって [どんな時にも祈りをもって]
暗闇の力打ち砕く [暗闇の力打ち砕く]

「よし。 準備はできた。さあ、目指すは全日本のリバイバル ! そして、全世界のリバイバルだ! みんなで心を合わせ力を合わせて戦い続けよう! 恐れることなんかない。 イエス様はいつも一緒におられる。 天使だって一緒に戦うんだ。さあ、 みんなで目指せリバイバルだ!」

頑張る頑張るリバイバル [頑張る頑張るリバイバル ]
戦う戦うリバイバル [戦う戦う リバイバル ]
強く雄々しく恐れずに [強く雄々しく恐れずに]
戦う戦うリバイバル [戦う 戦う リバイバル ]

*お~ぃ!「なに?」おい!がんばろうよ!「なにを?」 イエス様か帰られるその日まで リバイバル お~ぃ!「なに?」おい!戦おうよ!「どうして?」 そりゃもう「命がけで!」リバイバル!!