「彼らに主の名をほめたたえさせよ!2019
〜世界最強生物は何でしょう?〜」

  • 2019年9月1日(日)

新城教会主任牧師 滝元順
詩篇8篇

『私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。すべて、羊も牛も、また、野の獣も、空の鳥、海の魚、海路を通うものも。私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。』

 ハレルヤ!おはようございます。早いもので九月になってしまいました。学生の皆さま方は学校が始まるので、ちょっと憂鬱かもしれません。しかし長い夏休みが終わって、ご両親はほっと一息かもしれませんが。
 この夏は私にとってたいへん忙しい一ヶ月、二ヶ月でした。しかし皆さんのお祈りに支えられて、こうしてメッセージを取り次がせていただけますことを、本当に感謝しています。

 今週は韓国でリバイバルミッションが開催されます。是非、祈りに覚えていただきたいと思います。日本からは三十六名の方々が行かれます。
 リバイバルミッションの働きで、いつも感じるのは、計画は、一年くらい前に立てられます。しかしその時期に合わせるかのように、様々なことが起こることを体験します。
 今年は香港でリバイバルミッションがありましたが、一年前くらい前から計画されていましたが、香港リバイバルミッション直前に、香港に大きなデモが起こって大変な騒ぎになりました。やはりリバイバルミッションの働きは、何気なく計画されているようですが、国々に遣わされていることを感じさせます。
 韓国リバイバルミッションも、一年くらい前から計画されていたのですが、この時期になり、日韓関係が史上最悪だと言われるようになりました。今回もやはり遣わされることを感じます。

 神は、日本人だけを愛しているのではなく、全世界の人々を愛しておられます。全世界に祝福を与えようとされています。しかしそれを阻む勢力もあることは確かです。ですから、それらを打ち破り、聖霊によって世界が一つとなり、主が帰られる道を備えることが私たちの重要な使命です。
 田舎にある教会ではありますが、雅也先生も先週ここで話しておられましたが、多くの国々から兄弟姉妹を送ってくださり、国を越え、言葉を越えて、神の国の国籍を持つ者として働かせていただけることを、心から感謝しています。

 私はこの八月、家で寝たのは数日ではないかと思うのですが、様々な場所で奉仕をさせていただきました。思えば八月になって、最初北海道に行き、韓国に行き、その後、東京で奉仕して、沖縄に行って、明後日から韓国に行きます。韓国から、帰ったらヨーロッパ、アメリカ、イスラエルに行く事になっています。
 私は八月で六十八歳になりましたが、普通なら引退しているはずですが、人生の中で一番忙しい時期ではないかと思われます。このように使っていただけるのは、本当に神の恵みしかありません。
 よく信弘先生に、「使ってもらえる時が花だ。」と言われるのですが、本当にそうだなと思います。花がしぼまないように、頑張っていきたいと思います。

 いつも話していますが、人生は、ある意味で、はかないです。「人とは何者なのでしょう。」と、今日のみことばにもありましたが、だんだんと枯れていきます。先週も長橋久兄弟が九十歳で召天されました。信弘先生の司式で召天式が行われました。しかしその日の内にインターナショナルのホセさんというおじさんが、亡くなられ、明日はまた召天式があります。

 皆さんは現在、どの辺を走っておられますか。人生は猛スピードで進んで行きます。

 先月は、いろいろな働きがあったのですが、八月十五日、十六日と、私はある教会から奉仕を頼まれました。どのような奉仕かというと、「子どもキャンプ」でのメッセージでした。六十八歳のおじさんに、信じられないことですが、小学校一年生から六年生までのキャンプを受け持ってくれというのです。
 「どんな集会をやったらいいんですか?」と聞くと、二日間に四回集会があるというのです。「どのくらい話せばいいのですが?」と聞きました。先日、リバイバルミッションのキッズキャンプがあって、メッセージタイムは二十分くらいでした。ですから短くやればいいのかと思ったら、「毎回、一時間話して下さい!」と言うのです。一時間を四回!「祈りも含めて一時間半くらい、枠を取ってあります。」と言うのです。いや〜、どうなるのかな〜と、今年一番よく祈ったかなぁという感じでした。「主よ、助けてください。」みたいでした。

 子どもたちは座布団に座っていました。「一時間、俺の話を聞けるもんなら聞いてみろ!」というようなところもあったのですが、すごかったです。この子どもたち、私の話にメモを取りながら、一時間、身じろぎもせずに聞いてくれました。その後は真剣に祈り、いや〜感動しました。私は子どもたちに対する世界観が変わりました。
 帰って来て、「リバイバルミッションの子どもキャンプも、メッセージタイムを一時間くらいにして!次回は俺がやるから!」と、ちょっと自信が付いちゃったようです。
 本当に、子どもたちは主の勇士であることを感じました。素晴らしい体験をさせていただきました。

 その後、沖縄にも行かせていただき、大変良かったです。最近、家内と一緒に行っています。リバイバルミッションも、私と家内の二人で送ると、それだけで事足りるので経済的です。部屋も一つでいいし、経費がかかりません。
 集会タイトルも、「滝元順・享子師リバイバル聖会」なんですね。毎回、家内が最初に語ってくれます。今日も話してもらおうかなと思っていたら、突然呼び出すのはやめてと言われたのでやめました。一度ここでもやってほしいと思うのですが、二人で力を合わせて奉仕できるのは幸せです。

 さて、今日のメッセージ・タイトルは、「世界最強生物」です。
 世界最強生物って、何だと思いますか?

 ライオンが絶対に強いかなと思ったら、調べてみたら、ライオンってそんなに強くないらしいです。
 トップスリーを発表しますと、三位はサイでした。サイの角は骨ではないそうです。皮膚だそうです。だから折れてもまた再生するというのです。人間の髪は再生しないのに、なんでサイの角は再生するんだ。
 第二位は何だと思いますか?キリンだそうです。キリンって、めちゃくちゃ強いらしいです。ライオンなんかにも蹴って勝つというのです。
 そして最強は、アフリカ象だそうです。この巨体で踏まれたら、誰も勝つことができないわけですね。
 神さまの被造物ってすごいですよね。それぞれに不思議なパワーを与えておられます。
 しかし、聖書がいう世界最強生物は、これらもそうですが、さらに強い存在がいます。

 子どもキャンプで、子どもたちの心を掴むには、まずはなぞなぞクイズです。
 皆さんに一つクイズを出します。聖書のみことばには関係ありませんが。
 「お百姓さんが玉ねぎ、じゃがいも、レタスを軽トラに積んで走っていました。すると急カーブにさしかかりました。その時、何を落としたでしょうか?」
 玉ねぎ、じゃがいも、レタスを積んでいました。何を落としたのか?何だと思いますか?

 やっぱりレタスが軽いからレタスかなぁ?って私は思いました。
 子どもキャンプでこのクイズを出したら、一人の少年が「はい!」と手をあげました。答えを聞くと、「スピード!」と言いました。正解です。スピードを落としたのです。荷物は落ちなかったのです。頭が柔らかくないと駄目だなぁと思いました。そうです。スピードを落とせばいいんですね。

 また、こんなのも話しました。「小さいけれど大きくて、弱く見えるけれど一番強い。偉く見えないけれど一番偉いものはなんだ?」と聞きました。その答えは、「子どもたち」です。子どもたちは、学校や家で一日中走って行動します。一日中、大きな声を出して話したり、笑ったりしているし、階段を上る時に手すりを使いません。二段、三段、飛び越えて行きます。
 子どもの時の力を大人になっても落とさなかったら、幸せに生きることができそうです。マタイ十八章四節(リビングバイブル)、

『ですから、小さい子供のように自分を低くする者が、天国では一番偉いのです。』

 天国で一番偉いのは、子どもたちです!最強生物というのは何かと言ったら、まずは「イエスさまを信じる子どもたち」です。最強です。それが世界最強生物ということになるわけですね。
 今日、ここにいる子どもたちは、世界最強生物です。子どもたちの祝福を祈らなければいけません。神さまはすごい力を子どもたちに与えています。しかし、だんだん成長すると、スピードを落とさないで、賜物を落としていくのです。本当に残念です。
 教会の未来も子どもたちにかかっています。子どもたちのために、是非とも、お祈りしていただきたいと思います。

 同時に、「子どもたち」という言葉は、「主イエスを信じる者たち」でもあります。ヨハネの福音書一章十二節、

『しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。』

 世界最強生物は何かと言うと、「イエス・キリストを信じた者たち」です。
 「私は弱いんです・・・。」とか、時々聞きますが、決してそうではありません。イエス・キリストを信じる者たちは、世界最強生物です。お隣の方に、「あなたは世界最強生物です!」と宣言してください。
 ここには世界最強生物が揃っています。教会に来て、自分の立場がどういうものかを知ったら、人生は変わるのです。案外、「私は弱いんです…。」と悪魔に騙されているのです。本来、イエス・キリストを信じる者たちは、世界最強生物です。
 詩篇八篇を読ませていただいたのですが、二節で、

『あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。』

と記されています。子どもたちが世界最強生物だと話しましたが、神さまは敵をやっつける為に、乳飲み子とか、幼子の口を使われるというのです。そして五節には、

『あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、』

とあります。
 人類とは、どのように造られたのかと言うと、塵芥のような存在として造られたのではなく、神は人を「神よりいくらか劣るもの」としたのです。

 旧約聖書はヘブル語で記されましたが、訳す時に、訳者の世界観が関わるのは否めません。「新改訳二〇一七」という聖書が出たのですが、こうなっています。

『あなたは人を、御使いよりわずかに欠けがあるものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。』

 しかし「新改訳第三版」では、

『あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。』

 これは「エロヒーム」という言葉を、どのように訳すかで変わるのです。人が、み使いより劣るものなのか、神より劣るものかで、人の位置付けはまったく変わります。「エロヒーム」という言葉は、ほとんど「神」と訳されている言葉です。しかし2017では、訳者が、「神」と信じられずに、「御使い」と訳したわけです。
 しかしこれ、本当に矛盾しています。同じ新改訳2017で、ヘブル書一章十三節〜十四節を見ると、

『御使いはみな、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになる人々に仕えるために遣わされているのではありませんか。』

となっています。み使いは「人に仕える存在」です。にも関わらず、人がみ使いよりも落ちるのは矛盾です。「エロヒーム」は、「神」と訳すべきです。
 神は人を、神よりちょっと劣る、被造物の中で最も強い存在として、創造されたのです。み使よりも落ちるならば、人類は天使族に対して権威を行使できません。悪魔や悪霊どもは、天使族ですから、それらに打ち勝つこともできないはずです。私たちは、神よりいくらか劣るものとして造られたのです。

 そして神は、人にどのような仕事を委託されたのかというと、これはいつも話していますが、「人は被造物の管理人」という立場です。創世記一章二十八節、

『神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」』

 悪魔・悪霊どもは、誰を攻撃するのかというと、動物とか、植物とかは、攻撃しません。人だけに関わり、標的にします。悪魔・悪霊どもが攻撃する対象は「人」です。どうして人を攻撃するのでしょうか。人って割の合わない生物だなぁと思います。しかし、それは人のポジションに関わる問題です。
 神はご自分が創造された被造物を管理する「管理権」を、人類に手渡されたのです。そして、管理される対象の中に、『地をはうすべての生き物』が入っているのです。そこには人類を罪に誘惑し、神の前から引き離す存在である「悪魔と悪霊ども」も含まれるわけです。
 人が「被造物の管理人である」という立場に気づくなら、彼らは管理されてしまう存在です。ですから悪魔は自分たちが管理されないためには、管理権を神から委託された、人類を執拗に攻撃するのです。
 「私は悪魔に攻撃されて大変です!」という人は、言い換えれば、神から、大きな管理権が手渡されている証拠です。ゆえに悪魔も真剣に、その働きを止めようとしているわけです。
 しかし、私たちが最強生物であり、被造物の管理人であることに気づき、はっきり位置付くなら、人生は大きく様変わりし、悪魔は私たちを無視して働くことはできなくなります。

 私たちはしばしば、「現代人的世界観」で聖書を読んでしまいがちです。そのために、案外、分かっているようで分かっていない事柄が多く生じます。
 聖書という書物は、一義的には、二千年前のユダヤ人たち、イスラエルの人たちに対して書かれました。イスラエルの人たちは独自の文化を持っていました。聖書は、彼らの持っている世界観に合わせて記されたのです。細かく説明しなくても、読んだらすぐに、彼らは理解出来たのです。
 ユダヤ人たちの世界観は、現代人とは全く違っていました。我々が予想もしないような考え方を持っています。今から二千年前の、イエスさま時代のユダヤ人たちは、独特な世界観を持っていたのです。
 そのことを知らないと、聖書を正しく理解できないという本を、先日読みました。そんな中で、よく知っておくべき彼らの世界観に、「空間、時間、物質」に対する理解があるそうです。これを押さえておかないと、誤解してしまうというのです。

 現代人にとって空間とは、別に特殊なものでもなんでもないです。日本人にはちょっと違った感覚がありますが、特に、西洋的世界観では、空間なんて、どこでも同じだと考えています。
 また時間について、東洋人の時間概念はサイクルだと言われます。朝があって、夜があって、生があり、死がありと、それは「輪廻的時間感覚」です。
 「還暦」とか普通に言いますが、還暦は輪廻の意味ですから、クリスチャン的ではありません。時間とは繰り返し、サイクルであると考えるのです。
 また、物質とは、西洋的な世界観では「物は物」とし、全般的に物質に対する世界観は、良いものより、「悪」という世界観もあります。しかし、これらと比較して、ユダヤ人は、全然違うというのです。

 空間には、「特別な空間がある」と理解していました。ユダヤ人たちは、神の宮を造ることに専念しました。前回のメッセージでもちょっと触れさせていただいたのですが、イエスさまがサマリヤに行かれた時、サマリヤの女がイエスさまに、「私たちはこの山で礼拝しているのですが、あなたがたはエルサレムで礼拝しています。どちらが本物の礼拝場所ですか?」と聞きました。
 しかしイエスさまの答えは、「エルサレムでもない。またあなた方が礼拝している山でもない。霊と真によって、どこでも礼拝できる時代が来る。」と答えられました。これは当時のユダヤ人が持っていた空間に対する世界観を知らないと、正しく理解できません。イエスさまの答えは、ユダヤ人たちの空間認識を超えた発言でした。
 イスラエルに行きますと、今でも、ユダヤ教徒とサマリヤ教徒がいます。11月に私は、サマリヤツアーをやるのですが、サマリヤ教徒の人たちにも会いに行きます。彼らはゲリジム山で礼拝しています。両者とも、天地宇宙を造られた、聖書の神を信じています。
 しかし、ユダヤ教徒たちは、「俺たちが礼拝する場所が本物だ!」また、サマリヤ人たちは、「いや、俺たちの山が本物だ!」と主張していました。今でも考えは同じです。どこに理由があるのかといったら、空間に関する特殊性にあるのです。
 彼らにとって、神の宮とは、「特別な空間」でした。神殿とは、天が地に降りて交わる特別な空間でした。
 ユダヤ教徒たちも、サマリヤ教徒たちも、同じ神を認めている。しかし、神が人と出会うための空間は、各々、自分たちの神殿が本物だと考えていました。
 だから、正しい神殿がなければ、神は来てくれないと考えていました。

 さらに、限られた空間に、神が人と出会うための「特別な時」があると信じていました。それが何かというと、「安息日」でした。安息日に、ユダヤ人もサマリヤ人も、自分たちが正しいと見なす神殿に行き、礼拝しました。
 そうするなら、神が設定された「空間と時」に合わせ、神が人と出会うために下りて来られると信じていました。だから特定の時に、神殿に行けば、神と出会えると考えていました。ゆえに、彼らは安息日を厳格に守り、神の宮に詣でたのです。
 どうでしょうか。神が訪れる特別な空間があり、特別な時があり、その日に合わせてその場所に行けば「神に会える」なら、絶対に行きたいですよね。それでユダヤ人とサマリヤ人たちは、自分たちが正しいとする宮に出かけて行ったのです。現代の人々が持っている空間・時間認識とは、全く別物です。そのような世界観で、聖書は書かれています。

 前回もお話ししたように、私たちが日曜日に礼拝を守るのには、同じ概念があります。新城教会においては、日曜日十時半から礼拝が行われますが、旧約聖書的な概念でいえば、この空間は特別な空間であり、神が人と出会うために用意してくださった空間であるわけです。
 そして特定の時、日曜日の朝十時半から集まって主を礼拝し、賛美する時、神が人と出会うために来てくださるのです。その考え方は、旧約聖書的空間・時間認識にあるのです。これはある意味で、教会の基本だと思います。

 しかし、イエスさまが来られた時、その概念を超える発言をされました。それは、「あの山でもない。この山でもない。霊と真を持って礼拝する、その時が来ます!」とは、何を意味していたのでしょう。イエスさまが行かれる場所で奇跡が起き、悪霊が追い出され、病が癒やされました。それは、イエスさまご自身が「歩く神殿」となったのです。
 イエスさまは、特定の場所とか、特定の時に現れる旧約的な神を越えて、どんな場所でも、どんな時にでも、イエスさまが行かれる場所が、「神の宮」であり、「神の時となる」と解釈されたのです。

 天と地が出会う場所が、特定の場所だけではなく、イエスさまを媒体として、すべての場所が神殿となるのです。それがどこに受け継がれたのかというと、現代の教会であり、主を信ずる一人ひとりにあるのです。

 イエス・キリストを信じる時、私たちはイエスさまと同じような働きをすることができます。一人ひとりが動く神の宮として、神の時として行動できるのです。
 今週、皆さまが訪れる様々な場所、時間、それら全てに、旧約時代においては、特殊な空間と時にしか現れなかった神が、常時、私たちと共に働いてくださるのです。そんなすごいことはないのではないでしょうか。
 今週、皆さまが歩く神の宮として生活するならば、会社に行っても、あなたが神の宮ですから、そこが特殊な空間となります。そして神の時を招く場所になるのです。
 九月から新しい学期が始まり、仕事も始まるかもしれませんが、私たちは、神の宮をもたらす、最強生物なのです。
 ユダヤ人は、時間について、始まりがあり、中間があり、そして終わりがあると直線的な時概念を持っていたというのです。神が時間を始められ、やがて時間に終止符が打たれる。そこには中間的な時間もあると考え、それは「安息日」の時の概念でもあったのです。しかし今や私たちは、ユダヤ人たちが持っていたような、空間的、時間的概念を、イエスさまによって超えているということです。

 そしてもう一つ、「物質」についてですが、ユダヤ人の物質概念は、「物質は神の栄光の現れ」と考えていました。
 イエスさまの時代、「グノーシス主義」という思想が現れ、キリスト教に挑戦しました。その思想は善悪二元論で、「肉体」は悪だと考えました。
 どうでしょうか。この考えって、現代にも影響していると思いませんか。「私は罪だらけの悪い者です。本当に汚れた体です!」みたいな考えがあります。もちろん、罪によって物質は汚されるのですが、物質は神が創られた被造物です。本来、物質は神の栄光の現れのはずです。体は神の栄光の現れそのものです。
 お隣の方に、「あなたは神の栄光の現れそのものです!」と宣言してさしあげてください。

詩篇十九篇一節、

 『天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。』

とありますが、私たちは神さまの栄光の現れそのものです。だから物質を悪と考えてはいけないのです。しかし、そこに罪が介入すると、せっかくの栄光の現れが消えてしまいます。
 案外、現代人は善悪二元論で「物質は悪」という考え方にとらわれている気がします。もちろんそのような面もあるのですが、物質世界は、神の被造世界ですから、それは栄光の現れそのものであるわけです。

 今回、沖縄に行ったのですが、沖縄って本当に美しい島です。「名護の夕陽は世界で一番美しい」と言いますが、それは世界中でよく聞く話しです。でも、本当に美しいです。
 沖縄で八日間過ごさせていただき、いろいろ奉仕させていただいたのですが、ある教会に行ったら、その教会の牧師が私が語ったメッセージに、すごく感動してくれました。
 私は「すべての被造物はうめいている。人が罪を犯したことによって、うめいている。被造物をうめきから解放する働きは、大変重要な働きだ!」と語りました。
 ローマ人への手紙八章十九節、

『被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。』

と書かれています。
 この箇所の「被造物」とは、人間以外の、神が創られたすべての被造物を指しています。彼らは「神の子どもたち」の現れを、今か今かと、待ち望んでいるというのです。
 「子どもたち」と複数ですから、誰のことかといったら、世界最強生物の子どもたち、イエス・キリストを信じた者たち、クリスチャンを指しています。被造物は、うめきながら待ち望んでいるのです。
 「切実な思い」とは、ギリシャ語では「アポカラドキア」という言葉が使われているのですが、これは合成語で、「頭をまっすぐに伸ばして観察すること」という意味になるそうです。「誰か俺たちを救ってくれないかなぁ〜」と、被造物は首を長くして待ち望んでいるのです。
 神が創られたものはすべて「良いもの」ですから、管理人は、それらがオリジナルの姿に回復するよう働くのです。「被造物はうめいています!」という話をしました。

 川でも、人でも、山でも、木でも、土地でも、すべては神の被造物です。
 そしてその中の命は、「わたしが道であり、真理であり、いのちです。」と語られた、イエスさまから来た命です。
 しかし、日本人が持っている自然界に対する世界観は、「地球は進化してできた。しかし緒霊は宿っている」という考えです。太い木を見れば、木の精が住んでいる、山を見れば山神様だと、川には龍神が住んでいて、土地には地の神様が住んでいる、と考えます。何らかのうごめきを感じるけれど、それらを、諸霊として、悪霊どもの宿り木のように考えてしまうわけです。
 そのような間違った考えを持つと、どのようなことが起こるのかということです。例えば、木の中には神が与えた命があるのですが、人が木の命を、神々として礼拝したら、悪霊は木を使って働き、木の命はうめき、悲しむのではないかと思います。日本はすべて、この構図です。神が与えた命を、間違って、神々だとか、諸霊と考え、それらに手を合わせて拝んでいます。結局のところ、本来の命は悲しみ、うめくわけです。
 このような、間違った世界観を持っていれば、あたかも、木の中に霊が宿っているかのように、悪霊どもが人を騙して働くわけです。
 私たちは正しい世界観、「すべては神の被造物。命はすべて創造主から。」という考えを持たなければなりません。自然界に、躍動する命を感じたら、「わたしが道であり、真理であり、いのちです。」と語られた主が与えられた命です。物質は「神の栄光の現れ!」と理解したら、神が創られた被造物との付き合いは、麗しくなるはずです。

 沖縄では、木が拝まれています。どういう木が主に拝まれているのかというと、「ガジュマル」という木です。ガジュマルは、根を枝から下ろしている木で、それを先祖の霊の現れと考え、太いガジュマルの木の下で線香が焚かれ、礼拝所となっています。
 こんなことをすれば、ガジュマルに宿っている、神が与えた命は、うめき始めるのではないでしょうか。

 私がこのように話したら、その教会の牧師が、「今日のメッセージを聞いて、私は慰められました!」と言うのです。
 その牧師は理知的な方で、リバイバルミッションの働きに協力してくださる素晴らしい方です。今年になって、その先生は、ちょっと特殊な感覚が与えられたというのです。
 ある日、他の教会に奉仕に行くために車で走っていたら、街路樹が悲しんでいるイメージがきたというのです。木が悲しんで涙を流しているイメージが来て、自分も知らないうちに涙が出て、「人の罪によって、木々を悲しませている罪を赦してください!」と、神に真剣に祈った体験があったそうです。
 そしてある時、ガジュマルの木を見たそうです。沖縄には「拝所(うがんじょ)」と言って、珊瑚礁などが悪霊を引き下ろす場所になっています。そこには、ガジュマルが生えています。そこを通りかかったら、「おい!俺を助けてくれよ!助けてくれ!」と声が聞こえたそうです。見るとガジュマルの木の下に拝所(うがんじょ)があって、線香が焚かれて、人々が拝んでいたそうです。その上にあるガジュマルの木が、「俺は人の罪によって、こんな惨めになったんだ。おまえクリスチャンだろ!俺のために神に祈って、解放してくれよ!」という、悲痛な声が聞こえたというのです。
 それでその先生は、「神さま、人の罪を赦してください。このガジュマルを今、解放します!祝福を受けよ!」と宣言したそうです。そうしたら、ガジュマルの木が、「ありがとう!ありがとう!」と感謝したというのです。
 そのとき彼は、「…自分はちょっと頭がおかしくなったんじゃないか。」と思ったそうです。今年になって、そういうことを度々感じて、ずっと悩んでいたというのです。
 しかし今回私が来て、「被造物はうめいている。管理人として、それらを解放し、それらを賛美させる役割がある!」という話をして、「私に与えられた感覚は、頭がおかしいのではなく、神が与えて下さった感覚だと分かり、本当に安心し、慰められた!」と言いました。
 私は、木から「順!助けてくれ!俺のために祈ってくれ!」なんて、聞いたことは一度もないし、動物からも感じないし、鈍感だなぁと思うのですが、もっともっと、私たちは世界最強生物としての役割を果たさなくてはいけないと思います。

 例えば動物の熊も、北海道に行けば神です。アイヌの最高神として祀られています。だからうめいているはずです。

 犬も神社では、狛犬となって拝まれています。うめきが被造物全体に及んでいると思います。
 被造物が切実な思いで神の子どもたち、最強生物の現れを待ち望んでいるということを知り、とりなして祈るようになる時、被造世界は回復し、人の役割も回復されるのです。

 今回、韓国リバイバルミッションがあるのですが、日韓関係史上最悪という中で行われます。ですから、なかなかパワーがいると思われます。しかしこういう時にこそ、神の民たちが、一致する必要があります。そのとき、神が業を起こしてくださるのではないかと思います。
 韓国に行きますと、悲しい現実があります。それは南北が分断しているからです。

 黄色い帯状の部分を挟んで、韓国と北朝鮮は分断しています。黄色い帯の部分を「DMZ」といって、ここは双方が手を付けてはいけない緩衝地帯です。そのように国連が決めた場所があります。北朝鮮側から二キロ、韓国側から二キロ、二百数十キロに渡り半島を横断しています。
 来週の日曜日の午前中は、韓国の方々と、日本から出向く人たちと一緒に、この場所に行って祈ることにしています。来週、礼拝でも祈っていただきたいと思います。
 分断の歴史の中に、人の罪が関わっています。特に日本が帝国主義の中で、アジアに関わった負の遺産が、このような部分に現れています。

 本日、午後から韓国リバイバルミッションの為のセミナーを開催します。是非とも、ご出席下さい。最近、どうして日韓関係がこじれたのか、理由が分からないと思います。私もあまり分からないのですが、私なりの結論をお話しさせていただきます。
 そして今日は特別、一人の方に証しをしてもらいたいと願っています。それは北から救出された方です。その方の証しは、絶対に聞いたほうがいいです。今日しか聞くことができないと思いますから、是非とも聞いて、韓国、北朝鮮の為にとりなして祈ってほしいと思います。北朝鮮、韓国、日本が一つになり、戦争など起こらないように、平和が来るように祈らないといけないです。

 現在、日韓関係がこじれている根源に「安全保障」が関わっています。だからある意味、危ないです。神の民が事前にとりなしていかないと危ないです。人間って本当に残酷な生き物です。拷問所も作るし、病院も作る矛盾した生物です。こんな生物は、他にはいないのです。人を助ける場所も作れば、拷問して苦しめる場所も作る。みんな平和を求めているようですけれども、一端、留め金が外れると悲惨なことになります。それらを事前にとりなすのが教会、クリスチャンの役割です。

 私は二年前に、DMZにとりなしに行きました。たいへん心が痛かったです。ここに韓国側が駅を作っています。

 平壌までは二百五キロ、ソウルまでは五十六キロとなっています。

 線路はこの奥で止まっています。北朝鮮に入るからです。私はここで一人の方と一緒に祈りました。右側の方は、北朝鮮からの脱北者です。「ここから電車で家に帰りたいでしょう?」と聞いたら、『帰りたい。』と言われました。「北に家族はいるの」と聞くと、「いるよ。」と答えました。彼がここから電車に乗って、自宅に帰り、北朝鮮のキムチを食べられるようにと、真剣に祈ってあげました。
 私たち、日本人はこの場所に身を置くことがないから、あまり痛みを感じません。しかし韓国には大きな痛みがあるのです。ここからは北朝鮮が見えます。そんな所に行って、とりなしの祈りをします。北朝鮮からのトンネルもあって、ここにも入って行きます。

 脱北者の方がそこで、私に本を買ってくれました。「DMZ」という本です。この本、どういう本かというと、DMZは七十年近く、北側も南側も踏み込んでいないのです。だから自然が完璧に回復しているという、写真集でした。
 近代国家の中で、これほど豊かな自然を残している場所も他にはないというのです。ここで有機農業をやれば、薬とか肥料とかを使わなくても、ものすごく良い野菜が収穫できるそうです。ここでは、神の創造の姿そのものが回復しているのです。
 私はここに行った時、神さまから語られた思いがしました。DMZは被造物が回復している場所だから、この場所の被造物たちは、「俺たちはここを手渡したくない!南北統一なんか嫌だ!」と叫んでいるようでした。なぜなら、南北が統一したら、ここにはブルドーザーが入って、豊かな自然は壊されてしまうからです。「俺たちは神に祈る!南北なんか統一してたまるか!」と、被造物の叫び声が聞こえるような気がして、被造物も隣人として受け入れなくてはいけないことを教えられました。
 今回、私たちは、この場所に行って、人だけでなく、国家だけでなく、被造物全体も麗しく回復するように、祈りたいと思います。

 そしてもう一つ、韓国が南北に分断している原因があることに気づかされました。それが何かというと、偶像礼拝です。
 悪魔がイエスさまに、「もしひれ伏して私を拝んだら、全部あなたに差し上げましょう。」と言いました。「俺の前にひれ伏したら国をやるぞ!」と言ったわけです。
 ひれ伏して礼拝するスタイルは、私が調べたところによると、世界に三つあります。
 一つはイスラムです。イスラムの人たちは、必ず、ひれ伏してアッラーの神を礼拝します。イスラムの国々は大統領がいようと、政治家がいようと、関係ないのです。一人の宗教指導者が国の鍵を持っていて、その人物の言いなりになって、人々は皆、苦しめられるのです。
 そしてもう一つ、ひれ伏して礼拝するのが、チベット密教です。チベット密教の人たちは五体投地(ごたいとうち)といって、ひれ伏して礼拝するのです。彼らは「ダライ・ラマ」という一人の男に、すべて支配されています。
 そしてもう一つ、ひれ伏して礼拝するのが韓国と北朝鮮です。祖先崇拝、チェサというのですが、先祖の霊のふりをしたサタンにひれ伏すのです。それを北朝鮮と韓国が同時に行います。正月と盆に「せーの!」で、どーっと、両国民全体がひれ伏すのです。そうすると悪魔がその中から一人の人物を選んで、今は金正恩という三十代の男に鍵が渡り、アメリカの大統領が出ても話がつかないのです。これは絶対に、霊的な力だと思います。とりなして祈らなくてはなりません。

 沖縄にも同じような風習があります。墓場に行ってひれ伏します。今はあまりひれ伏さなくなったけれど、元々はひれ伏して礼拝していました。日本の中で最も悲しい歴史を刻んだのは、沖縄かもしれません。その根源に、霊的な力、神に訴える力があることを知って、私たちが管理人としてうめきを聞き、うめきを取り去り、悪霊どもを打ち負かし、悪霊どもでさえ、「主をほめたたえ賛美しろ!」と宣言する者にならなかったらいけないと、今回強く教えられています。

 最近、詩篇百四十八篇をよく学んでいますが、詩篇百四十八篇に記されている事柄は、諸天の最も高い所から、すべての人間まで、すべての被造物に主をほめたたえるように、神は命じておられます。
 すべての被造物は、神を賛美するために造られています。私たち、管理人は、すべての被造物オーケストラを指揮する役割です。神はすべての被造物を動員して、神を賛美するオーケストラを編成しようとされているわけです。
 そのために管理人が何をしなければならないのか。悪魔の覆いを取り去り、被造物のうめきを取り去って、彼らに「主を賛美しろ!」と命じ、宣言することです。神の創造を原点に戻して、「主をほめたたえろ!」と命じる時に、すべての被造物が賛美し始めます。

 私たちは、世界最強生物として、すべての被造物を管理して、すべての被造物に主を賛美させる役割です。
 天に向かっても、「主をほめたたえろ!賛美しろ!」と、地に向かっても「主を賛美せよ!」という宣言が、私たちに課せられている、最も大きな役割です。
 それを担うのが、子どもたちであると告げるのが、詩篇八篇が語るところです。教会に属する子どもたちが、神の霊に満たされて、被造物の管理人として働くことができるよう、祈っていきたいと願っています。

 今から聖餐式を行いますが、聖餐式は、この間も話しましたように、これぞ特殊な空間と時間です。「わたしを覚えてこれを行いなさい。」と、イエスさまは言われましたが、「覚える」とは、イエスさまが再臨される前に、「あなたの所に行きます!」という意味です。それが聖餐式です。
 今日、一人ひとりが、主の勇士として、神の時をすべての場所にもたらす者となるように、祈り、聖餐式に入りたいと思います。

 ハレルヤ、父なる神さま。み名をあがめて心から感謝いたします。私たちは世界最強生物として造ってくださったことを、心から感謝します。今から聖餐式を行います。このパンとぶどうのジュースを、みことばと聖霊によって祝福してください。
 今週は韓国リバイバルミッションがありますが、主が栄光を現してくださいますように。今からの聖餐式を祝福し、イエスさまのみ名によって祈ります。アーメン。