「みことばのとおりに、
あなたのしもべに良くしてくださいました」

  • 2019年9月8日(日)

新城教会牧師 上條実
使徒の働き二十章三十五節

『このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」』

 ハレルヤ!感謝します。今日こうして皆さんとともに主を賛美できます事を心から感謝します。

お祈りして頂いております韓国リバイバルミッションですが、先週皆様に配布された資料では、新城教会より二十七名の方が行かれるとありました。しかし、ツアーではなくご自分たちで飛行機やホテルなどを手配された方々もおられ、わかっている範囲では三十六名の兄姉が行っております。また全国からの教会からも十名ほど行って下さり、五十名近くの方々が韓国リバイバルミッションに参加してくださっています。しかし出発日に台風十三号が韓半島に接近していまして、飛行機が欠航するのではないかと心配しました。ある方々は搭乗しようとしていた飛行機が欠航してしまったとの連絡が入り、心配しましたが、感謝なことに他の飛行機に振り替えることができ、すべての方々が行くことができました。本日の週報にも集会のスケジュールをお渡ししておりますので、時間に合わせてお祈り下されば幸いです。しかし本日の朝連絡が入り、行こうとしていたDMZ(南北境界線・非武装地帯)に行くことができないとの連絡が入りました。行く途中の道路が台風にて倒木してしまい、バスが通れないということで、イムジンガクという北朝鮮が見る展望台に変更になったとのことでした。お祈り下さい。そして夜は、申賢均牧師が設立した、ソンミン教会 (ソウル市瑞草区)で韓日合同礼拝があります。また明日は南北分断の地、鉄原という、朝鮮戦争の激戦地に出かけ、夜は春川市の主香(チュヒャン)教会で統一祈り会があります。是非覚えて、とりなしの祈りをささげていただきたいと思います。

 なぜこの日程で韓国リバイバルミッションを開催するのかご存じでしょうか?普通は皆さんが出席しやすいように金曜日に始まり日曜日の夜帰国するというスケジュールを立てると思います。しかしなぜ今回は日曜日と月曜日に開催し、火曜日に帰国するというような日程になったかというと、それには意味があります。特に明日、九月九日の為にとりなして祈っていただきたいと思います。その理由を映像に出したいと思います。

<九月九日とは>

「一九四八年 (昭和二三年)の九月九日に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が成立された日。建国された日です。
また一九三八年の九月九日、現在の北朝鮮の平壌にて韓国長老派が第二七回長老教総会で神社参拝を決議しました。翌日一〇日付けで下記のような声明文を出しました。
『我らは神社は宗教ではなく、基督教の教理に反しないという本意を理解し、神社参拝が愛国的国家儀式であることを自覚し、よって神社参拝を率先励行して国民精神総動員に参加することにより非常時局下での銃後の皇国民として赤子たるの忠誠を尽くすことを期する。昭和十三年九月十日 朝鮮耶蘇教長老会総会長 洪渾騏』」

このように九月九日は、「北朝鮮の建国の日」であり、また同時に、「韓国の長老教会が神社参拝を決議した日」が九月九日です。韓国のキリスト教会が偶像礼拝、神社は宗教ではなく、基督教の教理に反しないという本意を理解し、神社参拝が愛国的国家儀式であることを自覚し、よって神社参拝を※率先励行(そっせんれいこう)して国民精神総動員に参加することにより非常時局下での銃後の皇国民として赤子たるの忠誠を尽くすことを期すると宣言し、イエスキリストよりも、悪魔・悪霊が勝っていると認めてしまった日です。「率先励行(そっせんれいこう)」とは「率先的に先頭に立ってやるべきことをしっかりやること」という意味であり、率先してキリスト教は悪魔・悪霊の権威の下にあると、自ら認めてしまったのです。北朝鮮と韓国の為に、南北の統一と同時に、韓国の教会の為に祈ってください。韓国がその悪しき縄目から解かれて、真の霊的リバイバルが起越されるようにお祈り下さい。また同時に日本と韓国の間にある問題からも解放されるようにお祈り下さい。特別九月九日は大きな意味を持つ時なのです。
 また今週はリバイバルミッション二〇一九が、先週に引き続き、金曜日から日曜日まで行なわれます。特別今週の土曜日午後七時半からは、新城教会にて開催されます。伝道集会になりますので、ぜひ新しい方をお誘いください。メッセージは平岡修治先生。とても分かりやすく、楽しいメッセージを語ってくださいます。また今回ゲストとして来てくださる方は井草聖二さんです。この井草さんは、とても良い証しを語ってくださいます。彼は牧師の家庭に生まれました。しかしある時引きこもりになってしまいました。今、引きこもりは社会問題になっており、よく耳にすると思います。しかしそんな彼が教会にあった一つのギターを見て、弾き始めたのがきっかけで、引きこもりから解放され、なんと世界でトップ五のギターリストにまでなったという、普通では聞けない演奏と証を聴かせてくださいます。特に引きこもりから自分は解放されたという、赤裸々な証しをしてくださいますので是非、犠牲を持って土曜日の午後七時半からお越しください。
それではみことばを学んでいきたいと思います。いつもこの礼拝では先生方から素晴らしいメッセージを頂いています。私も今日のメッセージの為に「主よ何を語ればよいのでしょうか」と祈りました。特に先週礼拝の滝元順牧師が「彼らに主の名をほめたたえさせよ!二〇一九〜世界最強生物は何でしょう?〜」というテーマで素晴らしいメッセージを語ってくださる前に「主よ私は来週の礼拝でメッセージを語る順番です。あなたがこの新城教会に語れと言われるメッセージをお与えください。」と短く祈り、特別賛美を聞き、その後メッセージを聞いていました。そのときメッセージの終盤に、主から語って頂いたみことばを、今日ご一緒に学んでいきたいと思います。先ほど読んでくださった使徒の働き二十章三十五節。有名なみことばです。『受けるよりも与えるほうが幸いである。』
その使徒の働き二十章三十二節~三十五節を、リビングバイブルでお読みしたいと思います。

『私は今、あなたがたを、神様とそのすばらしいみことばとにゆだねます。このことばが、あなたがたの信仰を強くし、神様のためにきよい者とされた人々が相続する財産を、あなたがたにも与えるのです。私はお金やぜいたくな衣服をほしいと思ったことなど、ただの一度もありません。この手、この両手が、どれだけ自分の生活や、いっしょにいた人たちの必要のために働いたかは、よくご存じでしょう。また、貧しい人たちを助けることでも、常に良い手本となったつもりです。それは『与えることは受けることよりも幸いである』という、主イエス様のことばが、いつも頭にあったからです。」』

 ここに登場してくる人物は、有名なパウロです。当初彼はクリスチャンを迫害した人物でした。しかしご存じのように劇的な改心の中で、逆に主のみ名を宣べ伝える伝道者となった人です。そのパウロが、ある町でテントを作りながら、自分の生活や、いっしょにいた人たちの必要のために働き、また貧しい人たちを助けることでも、常に良い手本となったとあります。そのパウロが、「受けるよりも与えるほうが幸いである。」と語りました。このみことばはとても有名なことばです。私たちは与えるよりも、受けたいという願いがあります。しかし聖書は、「受けるのではない。与えるほうが幸いだ。」と書いてあります。パウロは与える人生でした。「この手、この両手が、どれだけ自分の生活や、いっしょにいた人たちの必要のために働いたかは、よくご存じでしょう。また、貧しい人たちを助けることでも、常に良い手本となったつもりです。それは『与えることは受けることよりも幸いである』という、主イエス様のことばが、いつも頭にあったからです。」とリビングバイブルにありますが、パウロは与え続けた人物でした。彼は先ほども語りましたが当初はクリスチャンを迫害した人物でした。クリスチャンはパウロを非常に恐れていました。しかし聖書にあるように、直接主から声を聞き劇的な改心をしました。そして迫害したものが、逆に主のみ名を宣べ伝える伝道者となったのです。その後様々な戦いもありましたが、主からの祝福を頂き、主に尊く用いられ、新約聖書の多くの手紙の著者となるほどの人物でした。そのようにパウロが「受けるよりも与えるほうが幸いだ。」と語りました。そのことの故にパウロはとても祝福された人物でした。へブル人への手紙十三章七節に

『神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。』

とありますが、パウロの話したことを思い出し、パウロの信仰に習うものにならなくてはいけないと思います。聖書は様々な預言者や指導者が聖書の中に書かれていますが、その指導者たちの事を思い出せとあります。聖書のへブル人の手紙十一章一節に

『信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。』

とあります。その後多くの信仰者、指導者の事が書かれています。アベル、エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、サラなどなど多くの指導者が書かれています。そしてへブル十一章三十三節と三十四節

『彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得、獅子の口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。』

とあります。私たちは聖書にある人物、それも素晴らしい信仰を持った人たちの信仰に、ならいなさいとあります。その信仰にならったら祝福を頂くということは理解しています。
しかし暗闇の支配者は「聖書にそのように書いてあるが、お前はそんな立派な人物ではない」などなど様々な不信仰を抱かせ諦めさせてきます。聖書には指導者とありますから何か遠い存在のように感じます。しかし今日はもっと身近なところに目をとめて「受けるよりも与えるほうが幸いである」というみことばを従った時にどんな祝福があるかを考えていきたいと思います。今から語ることは人ではなく、ただ主に目を向け、主にすべて栄光をお帰しつつ語っていきたいと思います。

 実際「受けるよりも与えるほうが幸いである」というみことばに従い、祝福されてきているものの一つ目は、私たちの教会「新城教会」だと思います。
 今礼拝している会堂は、一九八〇年に献堂されました。その後、教育館が与えられ、またリバイバルミッションセンターが与えられて、駐車場も大きな敷地があり、そして毎週大勢の方々が集ってくださっています。今日の週報に先週の集会出席者人数内訳という欄がありますが、先週の礼拝総出席者数を見てみると五〇一人となっています。

 この新城教会の歴史は、六九年前に北設楽郡津具村(今は合併して設楽町)に滝元明牧師と・清子夫人が伝道に入ってきました。始めの住居は津具村簀の子というところに住み始めました。山深い場所であり、住居もたった四軒しかないようなところ、そして住居は椎茸の乾燥小屋を住居として、伝道が開始されました。その後設楽町八橋という所に住み、そして新城市札木という新城中学校の北側に、四軒長屋の片隅で、元ダンスホールであったところを半分は住居、半分を会堂にして伝道がなされました。そして主の不思議な方法で豊川市で伝道されていたスウェーデンの宣教師であるレナンデルという先生から、伝道集会の講師として招かれ、伝道集会を導きました。その後次々とこの地域の教会に招かれ、ついにはほぼ毎週火曜日に伝道集会の為に出かけ、金曜日まで伝道集会をして、土曜日に帰って来るというように、日本中を巡る伝道者となりました。ですから、ウィークデーは、ほとんど家にいませんでした。うちの母である滝元清子師が教会の対応や、七人の子どもたちの育児と大変忙しく、今から思えばスラム街のような状態だったと思います。その後一九六〇年、今から五十九年前に現在の場所に移り住み、ここまで成長して来ました。始めは民家が四軒しかない様なところから始まり、因習の深い地域であり、設楽ケ原の決戦場になっているような、霊的には良くない環境の中で、今があることを考えるとき、なぜここまで祝福を頂いたかというと、今思うに、この新城教会は「受けるよりも与えるほうが幸いである」というみことばを実践して来たからだと思います。既に亡くなりましたが、滝元明牧師が毎週のように他教会の伝道集会の為に招かれて出かけて行ったこと為。また現在の主任牧師である滝元順牧師も超がつくほど忙しく、日本中だけでなく、世界に出かけてご奉仕しておられる。またざわめきも賛美の働きの為に日本中に出かけて行かれています。普通は自分の教会の兄姉の為に奉仕をすることだと思いますが、様々なところに呼ばれてご奉仕しておられる。滝元順牧師が「呼んでくれるのが花だよ。」と言っておりましたが、とにかく「受けるよりも与えるほうが幸いである」というみことばを実践している教会だと思います。「受けるよりも与えるほうが幸いである」というみことばを従った結果が、今の新城教会だと思います。

 また二つ目に新城教会の働きから始まって、来年で五十年になりますが、「リバイバルミッション」もそうだと思います。一九七〇年(昭和四十五年)、当時は「日本リバイバルクルセード」という名称で始まりました。そして一九九三年に高校野球でおなじみの「阪神甲子園球場」にて三日間集会をして、延べ一二万四千人の大会衆が集い、日本のキリスト教の歴史に残る伝道集会を行いました。その時日本中の教会、七五〇教会で決起大会をしました。その後東京や日本の主要都市において伝道会をするなど、皆様のお祈りに支えられて働きを進めてくることができました。現在も海外宣教として今日、韓国リバイバルミッションなど多くの働きがなされ、様々なセミナー。また四七都道府県を巡っての伝道集会。などなど様々な集会が現在も行われています。一九九三年の全日本リバイバル甲子園ミッションの決起大会から、同様の形式で今も行っていますが、講師の謝礼や交通費、宿泊代など全部の経費はリバイバルミッションで賄い、集会時の席上献金をリバイバルミッションにささげていただくやり方で、現在も継続させて頂いています。一見無謀な方法に見えると思いますが、支えられています。チラシも五百枚までは無料で差し上げますという、至れり尽くせりの、このリバイバルミッション、「全国の教会に主にあって仕えます!」と言ってきましたが、今まで支えられてきました。特に皆さんがたくさんの献金をささげて下さり、支えられていますが、これも一重に主のみことばに従って、「受けるよりも与えるほうが幸いだ。」というみことばの祝福だと思います。

 またプレイズ出版もそうだと思います。素晴らしい祝福をいただき、今度また新社屋が建て上げられ、印刷のみではなく、レストラン、就労継続支援B型事業所 シャローム。デイサービスシオンと老人施設アークホームなどなど素晴らしく拡大されて行っています。プレイズ出版も「受けるよりも与えるほうが幸いだ。」というみことばの祝福だと思います。人間の努力でもなく、ただただ主に栄光をお返ししたいと思います。

 そんな中で、この八月の終わりに、O姉のお父さん、Nさんが亡くなられ、教会で召天式が行われました。火葬している間ご親族の方々とお交わりをしながら待っていた時、その中に岡本正広兄も来られていました。彼まだクリスチャンでない方に、自分がどれだけイエス様によって祝福されて来たかを、証されていました。私は何度もその話を聞いていますし、実際に小さい時から見てきましたので、良くわかってはいましたが、再度彼の体験談、証を聞いてとても恵まれました。岡本正弘兄の祖父・祖母がJR茶臼山駅前にお店を出しました。田舎の駄菓子屋と日用品などを売っておりました。たった五坪ほどの面積の店でした。そんな中で彼が尾張一宮のとある商店で働きながら夜間高校に行き、その後彼が新城市に帰ってきて、ご両親とともに店を引き継ぎました。五坪の店から二十五坪のお店に広げて商売をされていました。当時はまだ日曜日もお店を開けておられ、初めは礼拝には交代で出席されていました。しかし「安息日を覚えて、これを聖なる日としなさい」というみことばに従おうと、まずは午前中だけお休みにして、午後開店しました。すると不思議と売り上げが上向きに伸びたそうです。その後家族で話し合い、全てみことばに従おうということで、日曜日は完全に休みにしました。そのことで市場仲間からは、「日曜日が一番儲かる日なのに、どうかしている」と強く止めるように説得されたそうですが、日曜日はお休みにして、全員教会に来られるようになりました。すると今までイエスキリストを頑なに反対していたおじいさんも救われ、売り上げ的にもかなり祝福を受けたそうです。そして茶臼山駅前で二五坪ほどで商売していましたが、その後一九八七年に新城市の野田地区に野田店を出店しました。新城市の小さなお店は軒並み閉店し、街中はシャッター街になってしまっています。全国どこでも同じだと思いますだと思いますが、マルイチも当然同じような状態になってもおかしくない時代です。しかしみことばに従うと、まったく時代は関係なく、祝福を与えてくださいました。

 私がマルイチの事を全部お話しても良いのですが、今日は本人がいるので、短くと言ってありますが、どのくらいになるか分かりませんが、お話していただきたいと思います。岡本正広さんです。拍手でお迎えしましょう。よろしくお願い致します

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 ありがとうございます。いつも私のためにお祈りいただき、ありがとうございます。特に今、上條先生が言ったように、「受けるよりも与えるほうが幸いです。」という、みことば、私が大好きなみことばです。それと「すべてのことについて感謝しなさい。」というみことばがあります。
 私はもう少ししたら六十九歳になりますが、滝元明先生、清子先生が先ほど言われたように、今から六十九年前に津具に来られ、犠牲を払い、東京のお嬢様、日本女子大の教授さんが来まして、あの山の中で生活をしながら、自転車に乗って滝元先生は日曜日になると清崎という所に伝道に来てくれました。その時は若干二十三歳くらいだったと思います。その青年が津具村から下りて来て、清崎で伝道して救われたのが見城しずえさんです。そして見城しずえさんによって、うちの母が救われました。その後新城市に移り、当時は「設楽教会」という名称で教会をしていましたが、そこで若者たちが救われました。私が思うには、その時に一度リバイバルが起きました。新城中に若者たちが出て行って、太鼓を叩いて、「ただ信ぜよ」を歌いながら、天幕集会をし、多くの人たちが救われました。その天幕集会をやったりしたことによって、新城市の方々に中学校の北側に教会があるということを知らせることができました。また今の場所に移動し赤い屋根の教会ができました。ちょうど今のリバイバルミッションセンターのある場所に、滝元先生たちの牧師館がありました。そこで先ほど上條先生が言ったように、滝元先生は火水木金まで伝道して、土曜日に帰って来ました。そして土曜日の午後に子どもたちを集めて、子ども祈祷会をしてくれました。その時の我々は、いつも言うのですが、見城家、滝元家、岡本家、伊藤家、森家、みんなその子どもたちが子ども祈祷会に集まりました。その時に子どものリバイバルが起きたと思います。何が起きたかというと、そこに出席していた子どもたちみんなが全員、牧師、牧師夫人になりたいという夢を持ちました。学校でみんな「将来何になりたい?」と質問されると「牧師になる。」「伝道者になる。」との志を持ち、発表していました。今思うと、三十人近い人たちがみんな日本全国に出て行き、様々な所で伝道し、奉仕をしている姿を見ることができます。あの時、滝元先生夫妻が犠牲を払って、忙しい中、子ども祈祷会をしてくださった。その時のメッセージは、良く恐ろしい話をしてくれたり、天国の話、地獄の話をしてくれました。そのことによって、いつか大きくなったら牧師に、そして伝道者になろうと夢を抱いていました。その中には上條先生、そして弟の信弘、また滝元望君がおったり、滝元開先生がいたり、見城家のみんながいたりして、みんなが貧しい中で「いつか必ず牧師になろう!」と思ったのが小学生でした。
 でもある時、そんな人ばっかだったら新城教会は成り立たないと、上條実先生の奧さんのお父さん、上條先生が、「マサ君、教会は牧師ばっかじゃいかん。学校の先生もいるし、医者もいるし、大工さんもいるし、みんないるんだ。だからそういう人がおって教会が成り立つから。」と教えてくれました。私はいつか必ずイエスさまのために働ける仕事がしたいなぁと思ったのが中学二年生です。

 その時に、うちの親父が事業に失敗し、我が家はお金がなく、高校に行けなくなりました。その当時の友人は、今素晴らしい牧師になりました滝元順牧師でした。彼と二人で小学校の時からずっと一緒でした。毎日彼と遊び、畑、田んぼ、山の中をかけめぐっていました。勉強もせずに、成績は彼も俺もできませんでした。でも滝元順牧師には一つ、できたのは音楽でした。今ではエレキギターは当たり前ですが、その当時はエレキを弾いていると言ったら不良少年だと言われていました。ベンチャーズとかビートルズとか、あの時の流れのやつを聞いたり、エレキキターを弾いたりしていたら、ミスター穐近という、堅い牧師が東京におりまして、「ギターなんか弾いたりして、そんなことをしていたら、おまえは駄目になる。」とめちゃくちゃ怒って言ったのですが、滝元順牧師はそれに負けずに、グロリアシンガーズという賛美グループを作って日本全国を回って、演奏しました。 しかし私は十五歳の時から二十歳まで、音楽には全く縁が無く、商売に明け暮れて、いつか必ず新城に戻って来て商売をしたい!そしてイエスさまのために働きたい!というのが夢を持っていました。滝元順牧師は音楽を志したことによって、音楽が素晴らしいのですが、私はあまり得意ではないのですが、滝元順牧師、彼がいたことによって、今は日本で有名なミュージシャンになってエレキをやったり、ベースをしたり、ドラムをしたりする、素晴らしい人が、この教会から生まれたのです。そういう事があったことによって、「受けるよりも与えるほうが幸い。」与え続けたということなのです。

 私も先ほど言ったように、五坪の店から十五坪になり、そして今から三十二年前に、野田店を作りました。その時、先日亡くなられたNさんに協力を得ました。私は学歴もありませんが、Nさんは早稲田大学卒の頭抜群な方で、私の店を全部というほど助けをいただきました。私が三十五歳の時、野田店を作ったのですが、どうしたらよいか全くわからず、恐怖のあまり寝ることもできませんでした。売上も当時は思うように行かず、一年、二年、三年くらい行きました。そしてこのまま行ったら潰れるのではないかと思いました。しかし何とか三年くらい経ちました。そんなある時、よく言われる、事件が起きました。その事件というのは、教会に分裂が起きました。分裂が起きた時に、出て行った人たちはお金があった人たち。残ったのは、子どもと若者だけでした。だから教会は新会堂を建て、その後教育館を建てていましたので、計算上、絶対に返すことができないということを聞きまして、これは大変だと思い、ここにおられる佐野兄が、「マサ君、順牧師の顔を見たら、とても気の毒な顔をしている。」と言いました。私も、順牧師をずっと子どもの時から見てきましたが、最悪な顔をしていました。そこで三人で同世代、佐野君が一番上で、俺で、順牧師ですが、「それじゃぁ順牧師を呼んで飯を食って、一回話そうか。」ということになって、三人でご飯を食べて、「何とかしよう」と順牧師を励ましました。しかし何とかしようかと言っても、何ともならないですが、とりあえずプレイズ出版が始まったし、佐野設計事務所、マルイチとこの三つで、頑張ってささげようと話しました。私たちの家族では十分の一をささげるだけじゃなくて、十分の五から十分の六くらい献げようと決めました。「教会がなくなったら大変だ」ということで、そこからささげ始めました。

 そうしたらなんと、次の年マルイチ野田店の売り上げが一気に上がって来ました。今思うと本当に不思議だと思います。人間的には考えられない事が起きました。急に売り上げが上がって来たのです。佐野兄は、データを取ってまとめることが得意ですので、グラフを作って見せてくれました。上がった時の月と年度を見たら、主に思い切ってささげ始めた、あの時からでした。マルイチも、佐野設計事務所も、プレイズ出版も、その時から一気に売り上げが上がったのです。そして今は教会も安定してきたので、いつまでもそんな献げ続けたわけでもありません。ある程度目処がつくまではなんとか頑張ろうかとささげ続けました。今も順牧師に「教会の経済状況はどう?」と聞くと『何とかなっとる。』と言いました。「何とかなっとりゃいいけどな。」という話をします。しかし本当にあの時に、子どもたちも、我々もそうですが、志を持って、「いつか教会のために働きたい!」ということが、今に至るなぁと思っております。

 そして、十分の一献げたことによって、イエスさまは我々にいろいろな面で、お返してくれて、今は七年後に本店ができ、かれこれ作ったスーパーは八軒あります。今やめた所もあり、四軒のスーパーを持っています。それから私の兄である康宏君がいったことによって、「マナハウス」という障害者の子たちが仕事ができる施設というか場所も与えてくださいました。本当にイエスさまに助けていただき、今こんなふうにやらせて頂いております。

 今迄の人生に、いろんなことが起きたのですが、「すべてのことに感謝しなさい。」そして今日のメッセージのように「受けるよりも与えるほうが幸いです。」というみことばはその通りで、大変恵まれています。あんまり多くしゃべるといけないので、これくらいにしておきますが、まだまだ続きはたくさんありますので、いつかそういう機会をつくっていただいて話したいと思います。滝元明、滝元清子、滝元順の裏側とかね、それから教会の裏側とかね、そんな話も沢山ありますので、期待しておいて下さい。滝元明牧師があそこまで立派になるというのは奇跡ではなく、当たり前だと思います。しかし滝元順牧師が今のように、立派になって牧師をしているということは奇跡しかないと、小さい時から知っているので私は証言できます。皆さんはわからないと思いますが一番身近にいて、六十五年くらい一緒にいるので、本当に奇蹟しかありません。またそんな話をする機会がありましたら、ゆっくりお話をしたいと思います。そして今、一生懸命本を書きたいと思っております。しかし途中まで書いたのですが、今仕事がおもしろくて、ちょっとお休みしておりますが、いつか出版したなと思っております。いつもありがとうございます。

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 はい、ありがとうございます。教会で大きな事件が起きた時、おおきな犠牲を払って、売り上げの十分の五から六を献げたと言われていました。普通では考えられないことですよ。しかしその後祝福を受けたと話してくれた時の手の角度が、四十五度くらいを示したと思いますか?彼の示した角度は九十度でした。野田店を九二年に作り、大変大きな借金をして作ったと言っておりました。しかし本当に不思議です。主のなさることは不思議です。献げ始めた時から祝福が始まり、その後すぐ大きなお店、今のマルイチ本店を作ったのです。マラキ書三章十節からのみことば、

『十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。──万軍の主は仰せられる──わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。』

 主を試してみよという箇所はここしかありません。試してささげたのではなく、当時はただ教会を助けたいという一心で兄たちはささげて下さいました。岡本さんや佐野さん、またプレイズ出版も誰から見ても、大きく成長しているということがわかると思います。

その主に与えるというみことばは、生きて今も働いています。主が不思議を起こしてくださいます。素晴らしい祝福を見せてくださいます。岡本さんたちも何もしていないのではなく、主の為に与えるだけではなく、身を粉にして働いておられます。努力も素晴らしいのですが、ただイエスさまが本当に素晴らしいことを見ることができます。「受けるよりも与えるほうが幸いだ」と言うみことばを実行した時、必ず素晴らしい祝福を与えてくださいます。先ほどもお話ししましたが、個人経営の商店は、全部閉店してしまいました。町は軒並みシャッター街になってしまっています。しかし主に従ったマルイチはイエスさまが祝福をくださり、生き残ったのです。ヨハネ一章一節から、

『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。』

とありますが、みことばはイエスさまご自身です。そのみことばを行った時に、必ず祝福され、「このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」とありますが、闇である暗闇の力から打ち砕くことができたのです。

 そして今日のタイトルになったみことばですが、詩篇百十九篇六十五節、

『主よ。あなたは、みことばのとおりに、あなたのしもべに良くしてくださいました。』

 みことばに従っていく時に、主はみことば通り、よくしてくださる。そして詩篇百十九篇百三十節に、

『みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。』

 経営能力がある、ないは関係ないと思います。それはみことばに従っていくとき、ついて下さると思います。みことばの戸を開くと光が差し込み、悟りを与えてくださいます。経営の知恵を与えてくださるということです。また詩篇百十九篇百六十二節、

『私は、大きな獲物を見つけた者のように、あなたのみことばを喜びます。』

とあります。みことばに従うとき、大きな獲物を見つけることができます。そしてそのみことばを喜びます。マタイによる福音書十三章二十三節、

『ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」』

 言うまでもありません。みことばを聞いて従うと、百倍の実を結ばせてくださいます。ヘブル人への手紙四章十二節、

『神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。』

 みことばは剣です。宣言し、また実行する時霊的戦いで勝利することができます。みことばは主そのものです。今日のテーマは、「受けるよりも与えるほうが幸いです。」、今日私たちはできることを思い切って、主のみ名によって実行しましょう。皆さんのできることをイエスさまに献げるとき、あなたにも祝福を表してくださいます。
 私も教会の献身者として働き始めた時、大きな集会があり、大型バスを借りて出かけようということになり、献金がなされました。その時私も「受けるよりも与えるほうが幸いである。」というみことばを思い出し、「試してみよ」と思い、一度試してみました。その時頂いていたサラリーのほとんどをバス代の為に献げたことがあります。その後、どうなったかというと、本当に不思議ですけど、名古屋の知り合いから「ちょっと来い。」と呼び出されました。「俺、太って全然入らなくなったから全部やるよ。」と言われました。私が知ってはいましたが、実際に見たこともないような、立派なメーカーの服やズボンばかりでした。それも私のサイズに合わせたんじゃないかと思うほど、ピッタリのサイズでした。靴やかばんも無料で頂き、本当に驚きました。みことばに従うということはこういうことなんだと体験させていただきました。

 経済的なことばかり言っているのではありません。祈ることもできます。また今度の土曜日に伝道会がありますが、友達を誘うということも、神さまに返すことだと思います。病の人に対してお見舞いしたり、訪問したり、ある人はとりなしの祈りをしたり、ある人は愛の実践をしたり、様々な形で主にお返しすることができます。受けることではなく、与えていく人生を学びましょう。「受けるよりも与えることが幸いです。」今韓国リバイバルミッションが行われており、多くの方々が現地に出かけて行きとりなしています。これも与えることだと思います。隣人である韓国の為に、北朝鮮の為に祈りましょう。
最後にこの「受けるより、与える事が幸いです」というみことばを学びましたが、自己実現の為に行うのではありません。ただ主が賛美されるために行いましょう。すべて主に栄光をおかえしして、みことばを終わりたいと思います。今から聖餐をいただきます。イエスキリストが「受けるより、与えることが幸いである」というみことばを実行された方です。イエスさまは私たちのために十字架にかかり、葬られ、三日目によみがえってくださいました。このことを心から感謝して、聖餐を頂きましょう。お祈りしたいと思います。

 『愛する天のお父さま、今日あなたのみことばを学びました。今日あなたのみことばは生きて、今も働く事を信じます。今日もう一度あなたが、私たちの救い主であることを信じます。今日、みことばを実行し、与えていくものとさせてください。受けるものでしたが、今日私たちに触れて下さって、与えるものとさせてください。今日何を与えて行けばよいかを、この聖餐式を通して、一人一人に語ってください。イエスさま、私たちは与えるものとしてつくり変えてください。もう一度祈ります。今日私は主に、何を与えていくものなるかを語ってください。特別韓国と北朝鮮の為に祈ります。両国を祝福し、指導者を祝福してください。また経済的にも祝福してください。そして主が二つの国の壁を崩して下さり、真の統一をさせてください。主よ今日から私たちは与える者となることができますように。自分のためにではなく、人のために、主の為に人生を使うことができるように導いて下さい。今からの聖餐式を祝福してください。主イエスさまのみ名によって、感謝してお祈りいたします。アーメン。』