「彼らに主の名をほめたたえさせよ!2019
  〜あなたも行って同じようにしなさい〜」

  • 2019年9月15日(日)

新城教会主任牧師 滝元順
ルカの福音書10章36節〜37節

『この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」』

 ハレルヤ!おはようございます。今の石塚さんの歌、すごかったですね!彼はリバイバルミッションの事務をやっていますが、音大を出ていて声楽家です。感動しました。もう一度、拍手して上げてください。私も歌いたい衝動にかられましたが、やめておきます。

 明日は敬老の日ですよね。お年寄りの方々は、この教会に多くおられますが、赤ちゃんからお年寄りまで一緒に集まることができる団体なんて、教会しかないと思います。私たちは大きな神の家族です。共に主を礼拝する素晴らしい仲間が与えられていることを心から感謝します。

 昨晩は「リバイバルミッション2019」で、平岡修治先生と井草聖二さんが来てくださり、教育館のホールで集会が開かれました。あまり出足は良くないかなぁと思ったら、すごかったですね。会場はいっぱいで、大変素晴らしい集まりとなりました。
 平岡先生のマシンガントーク、まだまだ健在でした。先生は七十歳以上です。後期高齢者の運転の研修に行って来たとか話していました。しかし油ののった集会でした。皆さんのご協力を、心から感謝します。
 秋は収穫の季節ということで、教会でも多くのプログラムがあります。すべてが神の国の拡大のために用いられるよう、祈っていただきたいと思います。

 今週私は、フェルナンド先生と一緒に、スペイン、ベルギー、フランスに行くことになっています。今回は嬉しいことに、新城教会の若者たちがヨーロッパ旅行中で、ちょうど私たちの近くにいるみたいで、集会に来ることになっています。
 「全世界に出て行き、すべての造られたものに福音を伝えなさい!」と命令されていますが、田舎の教会ではありますが、様々な働きをさせていただいていることを、心から感謝しています。

 先週の日、月曜日と、お祈りいただきました「韓国リバイバルミッション2019」が開かれ、新城教会からも三十名以上の方々が現地に集合されました。全国からは四十名以上の方々が来て下さいました。本当に熱い集会となりました。やはり祈りは答えられます。
 韓国リバイバルミッション前後で、ルカ十章から「あなたの隣人を愛しましょう!」というテーマで語ってきたのですが、今日は「その復習と、実践編」として、証しを交えたメッセージになります。

 韓国に行かれた方々の証し会は、来週の日曜日に行われます。楽しみにしていただきたいと思います。いつも思うのですが、私たちが海外で働きをする時には、一年前くらいに計画されます。しかしその働きに照準を合わせるかのように、政治的な問題や様々な気象変化などが現れます。
 それが一回くらいなら偶然かなと思いますが、度々起こると、霊的な戦いだなと思いますし、同時に、主がこの働きを認証してくださっているという確信も湧いて来ます。
 韓国リバイバルミッションを前にして、日韓関係は史上最悪と言われるくらいまで悪化しました。そんなただ中で、日本から行くのは、飛行機代はかなり安くなったので良かったです。沖縄から来られた方に、チケット代を聞いたら、三千円と言っていました。ここから名古屋に行くより、安いチケットでした。しかしチケットの安さはいいですが、韓国に行っても大丈夫かな、みたいなところはありました。しかし、やはり報道に騙されてはいけないですね。行ってみれば分かりますが、本当に穏やかで、韓国の方々、すごく親切にしてくださいました。本当に楽しく過ごさせていただきました。
 それから台風13号が来ました。

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 今回台風は、日本、韓国、北朝鮮を貫くように上がって来ました。しかし詩篇百四十八篇には、七節〜八節、

『地において主をほめたたえよ。海の巨獣よ。すべての淵よ。火よ。雹よ。雪よ。煙よ。みことばを行うあらしよ。』

とありますよね。去年から学んでいますが、すべての気象現象は神の被造物なのです。意味がないものは、何一つないのです。
 特に詩篇百四十八篇を見ますと、台風には大きな意味があることがわかります。それは、「みことばを行うあらし」と記されています。「あらし」だけに「目的」が付与されているわけです。
 今回、こんなコースであらしが進んで来ました。集会の開催さえも危ぶまれるような、ぎりぎりのところでした。日本から来られる方々の飛行機も欠航になるという状態で行われたわけですが、不思議ですね。一時間でもあらしの通過が前後したら、皆、来られなかったと思うのですが、全員、無事に来られたのです。本当に私はびっくりしました。
 初めはどうなるか、と思っていましたが、主が「台風13号に、このみことばを宣言しなさい!」と、エペソ人への手紙二章十四節と十六節のみことばをのせて、日本、韓国、北朝鮮に送れ!と語られている気がしました。

『キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、・・・また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。』

 私はこのみことばを「台風十三号にのせます!」と宣言し、また世界宣教のLINEにも送らせていただきました。今回、まさにこのみことばが実現するようなリバイバルミッションでした。本当に感動しました。
 そんな証しも含めて語らせていただきたいと思います。

 以前にもお話しさせていただいたので、知っている方が大半かもしれませんが、新城教会は、韓国の方がおられなかったら存在していません。同時に、日韓の悲しい歴史がなかったら、私たちは、ここには存在しないのです。
 それがどういうことかというと、私の両親は戦後、東京でクリスチャンになりました。最初、母がクリスチャンになりました。アメリカから遣わされた日系アメリカ人の穐近祐、はつのさんという、方々によってクリスチャンになりました。

 それで母と、はつのさんが仲良くなりました。戦後、一九四七年の事で、東京は破壊されていました。

 日本は壊滅的な被害を受けていたわけです。GHQという駐留軍が日本に来て支配していました。しかし、この二人は東京中を巡って伝道をしたそうです。
 ある日、東京の郊外に行った時の事です。はつのさんが、「あっ!あの場所!」と言って、走って行ったというのです。母もそれにつられて、何がなんだか分からず付いて行ったそうです。すると彼女がこんなことを話しました。
 彼女は日系人で、戦争の最中、アイダホ州に隠れて祈っていたそうです。日本人は捕まえられ、収容所に入れられていました。そんな時、神の声を聞いたというのです。どんな声かというと、「まもなく戦争は終わります。日本は戦争に負けます。」と言われたそうです。そして、「戦争が終わったら、あなた方を日本に宣教師として送ります。傷ついている日本人に福音を伝えなさい。」と語られたそうです。
 それと共に、幻が見えたというのです。幻というのは、夢と違います。覚醒している中に、テレビが見えるようなものです。そうしたら神がこう告げられたというのです。「この光景は日本です。やがてあなたを日本に遣わします。この光景を覚えておいてください。きっとあなたは、この光景と同じ場所に出会います。この場所があなたの拠点となる場所です。その場所をあげますから、そこで伝道しなさい。」と語られたというのです。いや〜不思議なこともあるもんですね。
 やがて戦争は終わり、本当に日本に宣教に来たわけです。「あの幻は何だったんだろう・・・。」と思っていたけれど、東京は自分が見た光景とは、全く似つかない場所であったそうです。
 幻に出てきた光景は、広い牧場だったそうです。麦の穂が揺れていて、牛がいたり、動物がいて、その中に家があるような光景だったそうです。のどかな光景だったのです。
 しかしある日、母と一緒に東京の郊外、東久留米村という場所に行ったら、なんと、幻で見た光景とそっくりな場所があったというのです。それで「あっ!あの場所だ!」と言って、彼女は走って行ったのです。
 中を覗き込んだら、牧場で、アメリカのアイダホ州の山中で見た幻と全く同じだったというわけです。
 その牧場の写真が一枚残っています。これです。

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 中を覗いたら、誰もいなかったそうです。誰も住んでいる様子もなく、それでこの二人、やはり女性は強いですね。誰の許可も得ずに、この中にあった家に住み着いてしまったそうです。いくら戦争の後だと言っても、すごいですね。
 そこを拠点として伝道を始めたそうです。そうしたら、村の子どもたちか、いっぱい集まって来て、多い時には五百人くらい集まったそうです。毎日のように、その場所で賛美して、伝道したそうです。
 宣教師のご主人は、奧さんの過激さについていけなくて、その場所には来なかったそうです。母と二人だけで住んで伝道していたのですが、誰からもおとがめはなかったそうです。

 そうしたらある日、その土地の所有者がやって来たというのです。「おい!おまえら、何やっているんだ!俺が留守している間に、入り込みやがって!ここは俺の土地だぞ!出て行け!」と。当然なことです。無断で住んでいるわけですから。
 そうしたらアメリカ人女性は強いです。「何言ってるのよ!ここは神さまが私にくれるって言ったのよ!」と反論したそうです。こんな論理は通らないことなのですが、そうしたらその所有者、大勢集まっている光景を見て、感動したというのです。
 「本当に神がおまえにこの場所をあげるって言ったのか?」『当たり前ですよ!私はこの光景をアメリカで見ました。」と言ったら、所有者は感動して、「本当か!それじゃぁ、この牧場、おまえにタダでやるわ。」と言って、なんと三千坪の広い土地をタダでもらってしまったのです。すごいでしょう。それで本格的に伝道が始まり、教会が建ちました。

 さてこの牧場から十五分くらい離れた場所に、愛知県から出稼ぎに来ていた赤ら顔の熱血漢の男が住んでいました。「この頃、なんだか、あの牧場が騒がしいねぇ。」と言って、覗きに行ったのです。そうしたらその宣教師婦人と目が合って、「あなた教会に来たんですか!どうぞお入りください。」と招き込まれて、コーヒーを出されたり、アメリカンクッキーを出されて、気をよくして、「あなたもイエスさまを信じなさい。」と言われたら、その男は、何も分からずに、「はっ、は、はい。」と言って、信じてしまったそうです。それが誰かというと、父でした。
 やがて、その場で働いていた私の母と結婚して私が産まれたのです。結婚式は牧場でしたそうです。

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 私の父はおもしろい髪型しています。

 しかし三千坪をタダでくれるなんて、本当に、ご奇特な方ですよね。しかしこの背後に、日韓の悲しい歴史があったのです。
 いつもお話ししていますように、日本は一九〇〇年初頭から、朝鮮半島に入って行きました。そして一九四五年まで、半島を植民地支配しました。戦前の日本地図と言ったら、この赤い所部分です。

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 昔は朝鮮半島も、樺太も、台湾も日本領土でした。なぜなら植民地支配をしていたからです。
 また中国の、満州という場所は、傀儡政権として日本が完全にコントロールしていました。日本の帝国主義は、こんなに領土を広げたわけです。
 ですから植民地からは大勢の人たちが日本に働きに来たわけです。戦争が終わった時点で、朝鮮半島から日本に来て働いていた人は、なんと「二百万人」いたそうです。だから現在、日本に在日コリアンの方々が住んでおられるのです。
 アメリカGHQが、朝鮮半島から来た人たちに、「自分の故郷に帰ってもいい。また、日本に住んでもいい。自分で選択せよ。」と告げました。多くの人たちが、自分の故郷に帰って行きました。しかしその後、朝鮮動乱が起こって、本当に大変な事態となりました。しかし多くの人たちが帰って行きました。
 帰るためには一つの重要な条件が付けられました。長く日本に住んでいた、半島からの人たちは、日本に様々な不動産を持っていました。しかし、それらの不動産は全て権利放棄しなければなりませんでした。
 実は、この土地をくださった方は、在日韓国人の方でした。その名を朴さん。私は韓国に行って奉仕をする時、「朴さんおられますか?お礼を言いたいんですけど・・・。」と言うと、大勢の朴さんが手をあげるので、誰にお礼を言っていいのか分からないです。その方は土地を国に取られるくらいならば、神さまの働きのために使ってもらいたいということで、寄付してくださったのです。それで教会が建って、私の父はクリスチャンになり、母と結婚して、今があるのです。
 ということは、新城教会、原点から、朝鮮半島と深い関わりがあるのです。
 しかし、そんな過去の悲しい歴史さえも越えて、神の業が現されたのです。今日ここにおられるお一人一人にも、同じように不思議な神の計画が現されるということです。

 ルカ十章は、良きサマリヤ人の例えをイエスさまが語られたところでもあります。そのことはよくご存じであると思うのですが、ある律法の専門家が、イエスさまの所に来て、こう言いました。十章二十五節、

『「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」』

 ユダヤ人たちの関心は、地上の生活だけではなくて、永遠のいのちにありました。「霊魂は不滅だ!」と信じていたわけです。
 日本人も同じです。たぶん死後の世界があるだろうと信じています。しかし、ユダヤ人たちは「永遠のいのち」という、はっきりとしたコンセプトを持っていたのです。「どうしたらそれを得ることができるのだろうか」という問いを持っていたのです。
 日本人にも、このような深い洞察が欲しいと思うのですが、その時、イエスさまはこう語られました。ルカの福音書十章二十七節〜二十八節。これはイエスさまが律法学者に逆に質問をして、彼から答えを引き出したのですが、

『すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」』

 永遠のいのちが欲しいと思ったら、何を実行したらいいのか。律法の専門家の回答は正しかったのです。
 まず第一に、『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』と言われました。
 全身全霊で神を愛しましょう!そうしたら、そこからいのちが湧いてきます!ということです。
 人生の中で、最も重要なことは、たった二つです。それは私たちの神を真剣に愛していくこと、そしてもう一つは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ!」とあります。誰でも自分は大好きです。自分が好きなのと同様に、お隣の人も愛してください!この二つの実行が、永遠のいのちに繋がりますと語られたのです。
 前にもお話ししましたが、それは、コインの裏表と同じだと。表側に「神さまを愛する」と書かれていたら、後ろには「隣人を愛する」とあり、切り離すことはできないのです。

 私たちが神さまを愛するのには、理由があります。ヨハネの福音書三章十六節、これは大変有名なみことばですので、一緒に読んでみましょう。

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』

 イエスさまがこの地上に来た目的は、誰一人滅びることなく、永遠のいのちを持ってほしい!ということでした。
 人間には、自由意思が与えられていて、自由意思を悪用して、神の計画とは違った方向に行ってしまうわけです。それを、的外れ、「罪」と呼びます。罪があると、永遠のいのちをいただくことはできないのです。なぜなら、神の法律に違反することになりますから。
 この国だって、ちょっとでも法律に違反したら、裁きがあるでしょう。私は以前、自分の車のアクセルを、普段よりも一センチくらい深く踏み込んだだけです。足にちょっと力が入っただけです。しかしその後、五万円くらいの罰金を取られました。三十キロ以上オーバーして、大変な目に遭ったことがあります。神の国の法律もそうです。
 しかし、罪が赦されれば、無罪放免になるわけです。そのために神は何をしてくれたかといったら、神が人となってこの地上に来て、人が犯した罪の身代わりとなって、十字架にかかり死んで下さったのです。
 人間ならば、一人に対して一人にしか身代わりになることはできないですが、神はすべての被造物の発生源ですから、神が人となって私たちの罪の身代わりとなれば、すべての人類を代表する死となるわけです。
 そればかりでなく、すべての被造物の救いにまでつながるのが、聖書の救いです。
 これほどまでにイエスさまが良くしてくださったのだから、私たちも、イエスさまのために、命をかけて愛していこうというのが、キリスト教精神です。

 そしてもう一つが、「隣人を愛する」ことの大切さです。隣人になるとは、行動が必要なのです。「あなたも行って同じようにしなさい。」と言われました。隣人になるというのは、行動が伴った教えです。ですから、ただ教えを聞いて、「ああ、そういうことですか。」と理解するだけでなく、「行動しなければいけない」というわけです。
 そしてその行動が、良きサマリヤ人の例えにあるのです。何度も話していますが、良きサマリヤ人の例えは、倒れていた旅人を助けるということ以上の内容を含んでいます。それは何かというと、「民族問題」です。
 これはエルサレムからエリコに向かう途中に起こった出来事でした。これは、かつての北イスラエル王国と南ユダ王国のボーダーラインで起こった出来事でした。隣り合って二つの異なった民族が住んでいました。
 世界で民族紛争が起こっています。それは本当に深刻です。アフリカでは何百万人も殺されたりしています。異なった二つの民族って、なかなか愛し合うことができないのです。そして問題は常に国境線で起きます。
 イエスさまはユダヤ人でした。しかし、良きサマリヤ人の話をよく読むと、イエスさまはユダヤ人でありながら、その軸足は常にサマリヤ人側にありました。だからイエスさまに対して人々は、「おまえはサマリヤ人か!悪霊に取り憑かれている!」とののしりました。

 このような原則を、日本と隣合う二つの民族に当てはめるならば、日本と朝鮮半島の関係に成立するのです。
 日本人が、朝鮮半島に住んでおられる韓国の方々や、北朝鮮の方々に対して、隣人になる為には、日本人が日本人のままで何かしても駄目です。日本人でありながら、軸足は、相手の国に置く中で、良きサマリヤ人の立場が形成されるのです。
 今回、このような促しを受けながら、韓国リバイバルミッションを行うことができ、たいへん感謝でした。
 韓国の方々と一緒に、互いに壁を崩して、神の国の為にがんばりましょう!という集会を行ったのですが、日本人として日本に軸足を置くのではなくて、韓国側に立って、尊敬心を持ち、先ほどお証しさせていただいたように、私たちは、悲しい歴史がなければ、地上には存在しないですから、感謝の気持ちを持って奉仕させていただきました。

 しかし良きサマリヤ人の立場は、どこから始まるのかということについても、以前、お話しさせていただきました。家に帰ったら、ルカ十章を時間をかけて読んでいただきたいと思います。エルサレムからエリコに下る道は、頻繁に旅人が倒れていました。
 あまりにも強盗に襲われ、倒れる人が多かったので、大方の通行人は、倒れている旅人に無関心でした。そのくらいこの道は危険で、大勢の旅人が襲われていました。ユダヤ人だろうが、サマリヤ人だろうが、道端に倒れていたのです。だから、「またか・・・。」という感じで、側を通り過ぎて行った祭司やレビ人がいたわけです。
 しかし、この状況に無関心ではなく、関心を持ったのが誰であったのかといったら、ユダヤ人側から見たら敵対関係にある、サマリヤ人がその状況を直視して、関心を持ったのです。
 愛の反対語についても以前、お話ししました。愛の反対語は憎しみではなくて、無関心だと言われます。良きサマリヤ人のテーマは、まさに「無関心」です。倒れていた旅人の横を、知らん顔をして通り過ぎるという「無関心」にあったのです。

 私たちが神の愛を知るために必要なことは、無関心ではなく、「関心を持つこと」から始まります。
 「愛の反対は憎しみではなく、無関心。」これは誰が語ったのかというと、マザーテレサだと、日本では言われるのですが、そうではなく、エリ・ベーゼルというユダヤ人の思想家の言葉です。日本の公共広告機構のキャンペーンで、「マザーテレサなりすまし名言」となったらしいです。

 ところで皆さん、この言葉、誰の言葉か知っていますか?以前一度、話しました。

“私には神、光が見えない。五十年間、私はむなしい暗闇を生きてきた。むなしい孤独だ。私は神の存在を確信できなかった。私の信仰はどこに消えたのか。私の心奥底には何もなく、むなしさと闇しか見えない。この得体の知れない痛みがどれだけ辛いか。神が存在しないなら、魂の存在はありえない。魂が真実でないとすれば、イエス、あなたも真実ではない。”

 ある人物が晩年、この言葉を語ったのです。誰でしょうか。皆さん、驚くなかれ、「マザーテレサ」です。マザーテレサって、聖人に祭られていますが、彼女、最後の最後まで、悩み抜き、神に会うことができなかったのです。
 なぜかというと、彼女の救い主はイエス・キリストではなく、マリアでした。カトリック側がこの事についての本を出版していますから、読めば分かりますが、彼女にとっての救い主はイエス・キリストではなく、マリアが救ってくれると思ったわけです。マリヤはイエスさまが生まれる時に使われた母親です。いくらイエスさまに近い存在に見えても、マリアに救いはないのです。
 いくら慈善事業を一生懸命行い、貧しい人たちを助けたって、彼女には悩み満載でした。救いは「イエス・キリスト以外にない」のです。
 彼女はイエスさまと出会ってなかったから、死にかけた人たちを、ヒンズーの人はヒンズーのまま、イスラムの人はイスラムのままで、福音は語れませんでした。「イエス・キリストが唯一の救いの道だ」と語ることはできませんでした。これは本当に悲しい現実です。
 神を愛する為には、イエス・キリストによってのみ、神を愛することが可能になるのです。マリアによっては、神を愛することは不可能!です。マリアは、私たちと同じように神に使われたただの器でした。

 話しを戻すと、無関心は、神の愛から人を遠ざけてしまうものです。日本に住んでいますと、いろんな領域に関して、本来は関心を持たなければいけないのにも関わらず、無関心になってしまう悲しさがあります。
 特に日本人は、過去の歴史に関して、特に近代史に関して、無関心すぎるのです。日本がどんなことを過去、朝鮮半島の方々とか、中国の方々とか、アジアの諸国に行ってきたのか・・・。もちろんそれらには、政治的・軍事的背景があるけれど、実際に被害を与えたことは事実です。私たちはそれらを罪として悔い改め、回復をもたらす行動が必要なのです。「あなたも行っておなじようにしなさい!」という、行動を主は要求されるのです。特に、対立する民族間での無関心に関して、警鐘を鳴らしているのが、良きサマリヤ人の例えであり、隣人となる条件なのです。ルカ10章はたいへん重要なテーマを含んでいます。

 今回の韓国リバイバルミッション、神の不思議さに感動しました。私たちが一つのことに関心を持たせていただくと、次の関心事に、扉が開かれるのです。
 今までに、私たちは、日本に住んでおられる韓国系の方々と、北朝鮮系の方々に関して、関心を持ったと話しました。
 また日本に住んでおられる朝鮮半島から、二十世紀初頭から来られた方々の子孫の方々、在日コリアンの方々も新城教会のメンバーとして、一緒に礼拝を持っています。素晴らしいです。関心があったからこそ、神は扉を開かれたのです。

 そして今回、どういうところに扉が開かれたかというと、韓国に行きますと、北朝鮮からの脱北者、北朝鮮から逃げ出して、韓国側に来た人たちが大勢住んでおられます。今や、韓国社会に三万二千人から三千人の脱北者たちが住んでいます。
 その方々は普通は、隠れるように住んでいます。やはり写真を撮られたりすると、スパイに連れ戻されたり、殺されるかもしれないからです。だから、表面には出てきません。
 しかし今回不思議と、韓国リバイバルミッションの為に、中心的に働いてくださったスタッフの方々は、チェ先生はもちろんのこと、なんと、脱北者の方々でした。
 会場となった教会が、「聖民教会」と言いまして、その教会の創立者は新城教会にも度々来られた申賢均という先生の教会でした。その聖民教会を会場にして、今回、リバイバルミッションが開かれました。
 集会の司会とか、証しとか、会場係とかをしてくださったのが、なんと、北朝鮮から脱北した方々でした。

 先週の日曜日は、韓国と北朝鮮のボーダー、DMZと言うのですが、そこに、とりなしの祈りをする為に行きました。DMZは、北朝鮮も韓国側も踏み入れることができない非武装地帯です。ここの場所は、北側から二キロ、南側から二キロです。四キロの縦の幅で、横が二百キロくらい半島を横断しています。ここには北側も南側も侵入できない事になっています。
 しかし韓国側からは、DMZの中に許可をもらえば入ることができ、北朝鮮のすぐ側まで行くことができます。
 ある箇所に行きますと、川を挟んで向かい合っています。そこにも行かせていただきました。

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 この場所は、川の向こう側は北朝鮮です。山の上に砦があるのですが、北朝鮮の旗が立っています。

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 一人の少年が「あっ!敵がいる!」と叫んでいました。「敵にしちゃ駄目だよ!」と話したのですが、そんな所にも行って、とりなしの祈りをさせていただきました。こういう場所に行きますと、臨場感があるというか、北朝鮮って遠い国じゃないんだなぁ、すぐ近く、側にあることがよく分かります。

 どうでしょうか。向こう側に家族がいるとしたら、どんな気持ちでしょう。朝鮮動乱の時に、離散家族が発生しました。日本で拉致問題がよく報道されますが、韓国人で戦争が終わった時点で、北側に残され、この川の向こう側に七十年近く、離散している家族は七十万人だそうです。今やその家族、親族、次世代と、何百万人いるか分からないです。私たち、日本人はこういう事に関心があるのか・・・。
 もしも、ご主人が向こう側にいたらどうでしょうか。この距離、たった四百五十メートルです。四百五十メートル先の人に会えないのです。ある奧さんに、「ご主人が向こう側に居て、会えなくなったらどうしますか?」と聞いたら、「都合いいなぁ。」と冗談で言っていましたが、例えば子どもたちや、孫たちが、目と鼻の先に住んでいても、電話もできない、七十年間、どこにいるのか分からない状況が起きたらどうでしょうか。
 チェ先生のお母さんは、家族を北に残してきたというのです。だから、頻繁に、この場所に来て、泣いて、祈っていたというのです。当然のことだと思います。
 「家族が向こう側に居ると想定して、とりなし、祈りましょう!」と「痛みを感じながら祈りましょう!」と祈りました。本当に感動しました。
 政治的な力や、軍事的な力ではなく、聖霊の力によって一致させてもらいたいなと、強く思わされました。

 本大会で一人の方が証しをしてくれました。彼の証しは、本当に衝撃的でした。
 一九八〇年代、北朝鮮で大飢饉があり、何百万という人が飢え死にしたと言われます。彼も家族・親族の中で餓死しした人たちがいたそうです。父親が、このままだったら全員死んでしまうと、父親は脱北して、中国に行きました。中国には簡単に行けるので、中国で食糧を確保してくる!と、お父さんは出て行ったというのです。
 しかしそれっきり、父親は家に戻って来なかったというのです。彼は希望を失ったのです。
 それで彼は脱北して、父を探そうと思ったそうです。ブローカーに頼めば、国を出ることができるというのです。
 しかしあの広い中国で、どこに父親がいるのか分かりませんでした。しかし彼は北朝鮮で、イエスさまのことを少し聞いていたというのです。はっきりとは信じていなかったけれど、祈ったというのです。
 「神さま!お父さんは、どこにいるんですか!」と祈ったら、横にタクシーが走って来て、砂埃で何も見えなくなったというのです。そうしたらタクシーから下りて来た人物がいたというのです。それがなんと、父親だったというのです。あの広い中国で、祈った後に、奇跡的に父親と出会ったのです。
 お父さんと出会って話をしたら、お父さんは中国に来てクリスチャンになっていました。それで、イエスさまのことを北朝鮮に伝えたいという、父親は強い願いを持って、もう一度北朝鮮に戻り、伝道を始めたそうです。政府に見つかったら殺されるけれど、「おまえも一緒に来い!」と言って、北朝鮮に戻ったというのです。
 昔、日本には五人組があって、相互に監視されたのと同じように、北朝鮮ではもっと厳しい監視体制があって、なんとお父さんは公安に捕まえられてしまったというのです。それっきり、家に帰って来なくなってしまったのです。
 せっかく北朝鮮に戻ったのに、また捕まえられて、収容所に送られてしまったのです。しかしそれは、北においては日常茶飯事だというのです。

 それである日、北朝鮮のある駅に行ったそうです。駅に行ったら、ちょうど公安に捕まえられて、裁判所に引きずられていく、七十人の囚人たちの列に出会ったそうです。皆、縄で縛られて連行される途中であったのです。
 その中になんと、お父さんがいたというのです。目と目が合ったというのです。お父さんは目で合図して、平安そうな顔をしていたというのです。しかしそれが父親と出会った最後であったそうです。その後、父に何が起こったのか、全く分からなかったそうです。
 何年か経ったら、一人の人がその時のことを知っていて、報告してくれたというのです。七十人の囚人たちは、裁判所に引きずられて行って、裁判官から何を言われたかというと、「この中で、神を信じる者は立て!」と言われたというのです。これは何を意味するのか、共産主義の国においては宗教は禁止ですから、特に、布教は禁止ですから、死刑を意味するのです。誰も立たなかったそうです。
 しかし、突然一人の男が立ちあがったそうです。それが誰かといったら、彼のお父さんだったのです。「私は神を信じます。」そうしたら、それに続いて、ぱらぱらと人々が立ちあがったというのです。その後、立ちあがった者たちは、皆、銃殺されてしまったのです。
 皆さん、どうでしょうか。「神を信じる者は立て!」と言われたら、北朝鮮では命がけなのです。神を愛するということを、本気で分かっていないと立てないですよね。

 しかし息子はこの事を聞いてすごいショックだったのです。「何が神だ!イエス・キリストは、俺の父親を殺した!」と、彼はその後、脱北して韓国に来たけれど、自堕落な生活、やりたい放題のことをしたと言います。なぜならば「イエス・キリストを信じたことによって、親父は死んじまった!親父を助けることのできない神なんて、神じゃない!」と、反発したというのです。

 しかしある夜のこと、彼は不思議な夢を見たというのです。どんな夢を見たのかというと、天国に、お父さんがいたというのです。お父さんがイエスさまと一緒に立っていたというのです。そしてイエスさまがお父さんのことを、「彼は、わたしのために命をささげてくれた!この報いは非常に大きい!」と、父親が殉教者としての祝福を、天で受けていることを夢の中で見せられたというのです。
 それで彼は本当に変えられたというのです。お父さんは犬死ではない。神の国のために命がけで信仰を守り、神の愛を本気で表した、尊敬できる父親だ!と分かったというのです。
 それで彼は教会を訪れて、イエス・キリストを信じて、今彼は神学生になっています。
 これは江戸時代の話ではなくて、つい最近の話なのです。脱北者の方々に話を聞くと、それぞれすごいドラマがあるのです。

 今回、いろんな方に出会ったのですが、日本人の脱北者の方にも会いました。

 なぜなら、一九五九年から二十年間くらい、韓国系の方々の中で一つのキャンペーンがありました。「北朝鮮は楽園だ!」と言って、九万人から十万人近くが、日本から北朝鮮に渡っていったからです。
 「この世の天国、北朝鮮。」と言う触れ込みで渡ったのですが、行ってみたら、北朝鮮はこの世の地獄だったというのです。韓国人と結婚した、日本人妻も大勢渡って行きました。その中に、かなり多くの日本人たちが含まれていました。それで今も北朝鮮に住んでいるのです。
 この方は、おばあちゃんが日本人だった人です。東京の人で「わしは、東京に帰りたい!東京に帰りたい!」と、死ぬまで泣いていたというのです。当時の辛い出来事をいろいろと話してくれて、本当に関心を持つことが出来ました。

 北朝鮮の元兵士で牧師になっている方とも会いました。軍隊の事故で指が取れちゃったと言っていました。このような方々と出会って、私も心が痛かったです。

 こういう現実があることは、よく知りませんでした。関心を持っていかなくてはいけないことを、今回、強く教えられました。日本では拉致問題がよく報道されますが、さらに現実を直視して、歴史もしっかりと知って、関心を持って、良きサマリヤ人として行動したいです。それは第一に、その方々のために祈ることだと思います。

 ある脱北者の日本人の家系の方が集会終わってから、是非日本人に家に来てほしい!と言うのです。でも夜の十時頃だったので、次回ということでご辞退させていただいたのですが、本当に「日本人に、初めて近い形で会った。おばあちゃんの気持ちを伝えることができた。」と、涙、涙に訴えてくださいました。
 皆さん、この事柄に関心を持って、是非ともお祈りしていただきたいと思います。

 そしてもう一つ、隣人というのは、「被造物は愛すべき隣人である」ということをお話しさせていただきました。被造物も、隣人の中に含まれるのです。
 『あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。』というレビ記十九章十八節のみことばは、その後に続くことは、被造物に対する配慮です。
 神さまは人だけでなくて、被造物全体に対して愛を持っておられます。イエスさまの十字架の勝利は、人だけでなく、被造物全体を勝ち取るためであったということをよくお話ししていますが、今回、DMZに行かせていただきまして、被造物のさけびが聞こえてくるようでした。

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 武装地帯には地雷が三百万発以上埋めてあるそうです。だから踏み込めないのです。
 しかしそのために、人が入らないものだから、植物や動物が回復し、世界で稀に見る野生の王国になっています。
 その事を記録した本を、脱北者の方が私にくれたとお話ししましたが、そこは麗しく被造物が回復していて、まさに、神が創造された原点の姿に近づいている場所です。

 ローマ書八章十九節、

 『被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。』

 普通、被造物は、様々な人の行為によってうめいています。しかしここはある意味で、被造物はうめきから解放されて喜び賛美している感じです。ここの被造物は統一を望んでいないんだろうなぁと思います。北と南が一つになったら、ブルドーザーが入って来て、全て取り払われてしまうからです。「なんとか神さま、それを止めさせてください!」と祈っているような気がしました。
 私たちが関心を持つのは人だけでなく、被造物全体の回復にも関心を持って、祈る必要を教えられます。
 人とは何者なのでしょう。それは、切実な思いで回復を待ち望んでいる被造物の所に行って、「彼らに主の名をほめたたえさせよ!」と、天にあるすべての諸々の星や太陽や月にも「主を賛美せよ!」と宣言し、また地にあるものに関しても「主を賛美せよ!」と彼らに主の名をほめたたえさせることが、私たちの使命です。そのことに関心を持つ時、隣人となることができるのです。

 最後に、「この三人の中で誰が強盗に襲われたものの隣人になったのか?」とイエスさまは問いかけられました。
 強盗がいたのです。ルカの十章は七十人の弟子たちが出て行って、悪霊が追い出され、サタンが天から落ちたという記述から始まっています。強盗とは、悪魔・悪霊どもです。いくら倒れた人たちを助けても、関心を持っても、強盗をやっつけない限り、犠牲者はどんどん出ます。これは霊的な戦いを意味しています。
 私たちが隣人になるということは、根本的には、強盗どもを打ちのめすこと、やっつけること、すなわち、悪魔・悪霊どもを完全にやっつけて、人を傷つける武器を取り上げること、これが私たちに与えられた大きな使命であり、隣人になる条件であるのです。

 今回、韓国リバイバルミッションを通し、学んだ事柄を実践し、隣人とは何であるかを教えてくださいました。心から感謝です。振り返ると不思議だと思います。
 新城教会はそもそも、韓国の方がいなかったら存在していません。
 その後、私の父と田中政男先生がリバイバルミッションの前身である、リバイバルクルセードを始めました。その時に一緒に働いたのが、申賢均先生とか、チョン・ウンサン先生という、韓国の先生方でした。皆、天に帰りました。働きはなくなったのかなと思ったら、今回、私たちがリバイバルミッションを行った会場が、期せずして、申先生が建てたソンミン教会でした。そして、そこにいたのが脱北者の方々でした。その脱北者の方が何を私たちに渡してくれたのかといったら、北朝鮮の現実を知らせてくださり、北朝鮮にいる日本人のことも知らせてくださり、最終的には「被造物の回復」というテーマまで、連続して繋がっていきました。
 神さまの働きは一度始まったら消えません。一度は消えてしまったかのように見えるけれど、必ず、息を吹き返して大きく広がっていくのです。これからも主が私たちに託してくださる働きを、前進させていただきたいと思います。

 今から皆さんとご一緒に聖餐式を持たせていただいたいと思います。今日ここに備えられました、パンとぶどうのジュース、これは被造物です。しかし、それを聖霊によって、みことばによって、いただく時に、イエスさまの裂かれた肉体であり、流してくださった血潮となります。
 北朝鮮の方が「神を信じる者はその場に立て!」と言われた時、立ちあがって殺されましたが、イエスさまの十字架の深い愛の現実を知っていたからです。私たちは今自由に福音を語り、受け入れることができます。そのことを北朝鮮の現実をも思いながら、そのように現場に立つ時、どんな態度ができるのか、深くさせられた旅でもありました。一言お祈りして、聖餐式にあずかりたいと思います。

 ハレルヤ。父なる神さま、み名をあがめて、心から感謝いたします。今日はイエスさまの流してくださった血潮、裂かれた肉を感謝していただく聖餐式を感謝します。
 今からのひとときを祝福してください。北朝鮮の方々のように、本当に私たちも命をかけて神を愛していくことができるように、また隣人を愛することができますようにお願いいたします。今からの聖餐式のひとときを祝福してください。イエスさまのみ名によって祈ります。アーメン。