「彼らに主の名をほめたたえさせよ!2019
〜一つになって共に住む幸せ パート3〜」

  • 2019年11月17日(日)

新城教会主任牧師 滝元順
詩篇133篇1〜3節

『見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。』

 ハレルヤ!皆さん、おはようございます。いつも私のために祈っていただいて、心から感謝します。Hiraku & Norikoの歌、素晴らしかったです。人生にはいろんなことがあって、避けられないこともあるのですが、イエスさまが共におられることは、なんと幸せだろうか実感しています。
 今日は午後から県民の森祈祷会があります。今、県民の森は紅葉がすごく綺麗です。私も先週行って祈ったのですが、紅葉を楽しみ、被造物の真ん中で主を賛美する絶好の機会です。被造物も一緒に祈ってくれると思います。是非ともお出かけいただきたいと思います。

 今、読んで頂きました聖書のことばは、大変重要です。クリスチャンは、かつてアロンという大祭司が持っていた役割を共有できるのです。
 そして、イスラエルのために関心を持って祈ると、その祝福が私たちに返って来るのです。聖書の世界はすべてイスラエルと関わりがあります。私たちは日本で礼拝を守っていますから、あまりぴんっと来ないかもしれませんが、イスラエルをしっかり理解しますと、意外や意外、霊的法則の鍵がそこにあります。

 先週は、イスラエルツアーがリバイバルミッションで行われました。この教会から、また全国、海外からも集まった方々がイスラエルで祈ってくださいました。
 今からスタッフの瀧川充彦さんがレポートして下さいます。お聞き頂きたいと思います。それでは、瀧川スタッフを拍手でお迎えください!皆さん、元気に帰って来られて良かったですね。

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 ハレルヤ!皆さん、おはようございます。祈り支えてくださったことを心から感謝します。早速ですが、イスラエルツアーの様子を写真をお見せしながら、報告したいと思います。

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 今回は順先生が「和解」というテーマを神さまから与えられ、そのバトンをいただいて遣わされました。また瀧元望さんをチャプレンとして行きましたが、望さんは「良きサマリヤ人として遣わされていく」というテーマを受け取り、これはただの聖地旅行ではなく、イエスさまにある宣教の働きだという思いで遣わされて行きました。
 新城教会からは十八名が参加し、韓国からチェ先生の奥様が参加されたり、またハワイから冬木先生ご夫妻も参加してくださいました。香港の空港で合流して、イスラエルに向いました。

 空港に着くと、冬木先生たちは先にハワイから到着されていて、私たちをお迎えしてくれました。

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 こんな良いバスが用意されました。

 本当に快適でした。バスの中ではWi-Fiも使えて良かったです。
 今回、通訳として末宗先生が英語から日本語へと通訳してくれました。朝、到着したのですが、早速エルサレムへ向かいました。

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 ここがオリーブ山です。イエスさまがエルサレムの神殿を眺められた場所です。またこの麓にはゲッセマネの園があり、イエスさまが捕らえられる前に祈っておられた場所です。そこで王なるイエスさまをお迎えする、「ホサナ王の王イエス」を賛美し、祈る時を持ちました。

 そしてダビデの街と呼ばれる場所に行って、シロアムの池に「どうしても行きたい!」と予定を変更して行かせていただきました。

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 ヒゼキヤ王がギホンの泉から水を引くために地下水路を作った所です。シロアムの池まで下りて行って病の方々の癒やしのために祈り、「すべてが生きる」を賛美し、ここから癒やしの川が教会に注がれ、また全日本、全世界に注がれることを祈り、賛美ました。

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 その後は、鶏鳴教会に行きました。ここはイエスさまが捕らえられ、最初に連れて行かれた大祭司カヤパの官邸があった場所だと言われます。ここでペテロがイエスさまを三度否みました。
 ここはイエスさまが引き連れられてきた道だと言われています。そのような場所も見ることができました。
 この左手、洞窟がありますが、そこにイエスさまが捕らえられていたのではないかと言われます。イエスさまの尊い十字架の贖いを覚えて祈ることが出来ました。
 ホロコースト記念館にも行きました。六百万人が殺戮されたと言われています。

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 旧市街へ戻って行って、聖墳墓教会に行きました。すごい人で、本当に満員電車に乗っているかのようでした。
 イエスさまが十字架にかけられた場所、イエスさまの体を洗った場所、そして墓と言われる場所ですが、そういった場所で、覚えてお祈りさせていただきました。

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 また嘆きの壁、イエスさまが十字架を背負って歩いたビアドロローサ、この道を歩きながら、イエスさまのことを覚えつつ、イエスさまはこの地上におられ、十字架の贖いを成し遂げられたことを覚える時でした。
 そして最後は、ある施設の屋上に上って、心から賛美し、祈る時を持てました。

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 そして二日目は、スシータという場所に行きました。ガリラヤ湖の東側です。よくメッセージでも出ますが、ここがゲラサの地ではないかと言われています。歩いて上って行くと、高台にはこんな神殿跡があります。

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 ここはデカポリス、ギリシャの植民都市でした。ここにはギリシャ文化が栄えて、ギリシャの神々が祭られて、偶像礼拝がなされていた場所です。こういった古代のモザイクも見ることができます。
 そこにはビザンチン時代、ローマ帝国がキリスト教を国教として、偶像の神殿の上に教会を建てました。教会の跡ということですが、ヨーロッパの教会の形式を見ると、奥が司祭が立つ場所ですが、ただ礼拝のために司祭が立つだけではなくて、「そこは裁判の場所だった。」と、今回ガイドさんから、新しい情報として聞かせていただきました。順先生が天の法廷について語っておりますが、天の法廷であることを覚えて、私たちを訴え攻撃している暗闇に対して立ち向かって祈る機会が与えられて本当に感謝でした。
 このような感じで賛美も献げました。

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 そしてカペナウムに向かって行きました。カペナウムは、「イエスさまの町」です。イエスさまはガリラヤ地方を伝道の拠点としたわけです。

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 ここに黒い石の遺跡があるのですが、これは漁師たちの家の跡だというのです。そして奥にあるのは四世紀くらいのシナゴーグ、会堂の跡です。黒い石は貧しい人たちが使う石、白い石は高価な石なので、漁師たちは貧しい人たちで、黒い石しか使うことができなかったそうです。イエスさまは貧しい人たちの所に行って住みました。
 特にガリラヤ地方の北側をイエスさまは拠点とされたのですが、そちら側は貧しい人たちが住んでいた。ここでペテロに声をかけて、使徒として召し出したのです。本当にへりくだられたイエスさまのお姿をここで見ることができました。

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 ここはガリラヤ湖です。

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 その後、ピリポ・カイザリヤに向かって行きました。この場所でペテロがイエスさまに対して、「あなたは生ける神のみ子キリストです。」と、信仰告白をした場所です。
 ここにヘルモン山からの雪解け水が流れてきて、川が流れて、ヨルダン川に流れて、ガリラヤ湖に流れ、死海へ流れていきます。

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 ここにはパンの神殿があり、このような偶像が祭られていました。またここでは、皇帝礼拝がなされていました。偶像礼拝と皇帝礼拝が重なったような場所で、ここでも真剣に祈りました。特に、大嘗祭を前にした日程でしたので、天皇崇拝も重なって、とりなし祈らなければいけないタイミングでした。本当に神の時が備えられたと思います。

 すべての旅程の中に、主の守りがあり、助けがあり、備えがあったことを覚えて、心から感謝します。また来週午後から、イスラエルの報告会があります。詳しくそちらでも皆さんとお分かちしたいと思います。

 イスラエルツアーのチーム、本当に一つのチームとして、兄弟たちが一つとなって住まう旅でした。いのちが溢れていて、癒やしの川が流れ、新城教会に確実にいのちの主のわざが現されたと確信する旅となりました。報告は以上にしたいと思います。本当にお祈りをありがとうございました。
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 はい、ありがとうございました。イスラエルに行かなくても、なんか行った気分になれましたね。すばらしかったです。新城教会を中心として、このような働きが成されたのは、すごい事だと思います。これは皆さんのとりなしの祈りの結果です。

 今日のテーマも「一つになって共に住む幸せ」について語ります。「パート3」です。詩篇百三十三篇一節、

『見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。』

私たちが一つとなる時に現される力は、信じられないくらい、とてつもなく大きなものとなります。今回のチームも、皆、心を一つにして働きました。ゆえに、このような結果が現されたのです。そうすると、アロンの頭の上に注がれる油が、末端にまで広がっていくというのです。詩篇百三十三篇二節〜三節、

『アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。』

 神さまの祝福が全世界に広がっていく様子を、ダビデはここで描き、証ししているわけです。

 アロンという人物はどういう人かというと、モーセの兄さんでした。モーセとは、出エジプトを導いた指導者でしたが、彼は口べたでした。あまり話がうまくなかったみたいです。しかし神さまからの声を、多く聞きました。それを代弁したのが誰であったのかといったら、兄貴のアロンです。
 アロンは同時に大祭司でした。神さまにいろんなことを訴えることができる、とりなしができる存在でした。
 アロンには重要な役割があったわけです。この役割が、皆が心を一つにする時に、全体に現されると教えているわけです。

 人間は何のために造られたのかに関して、度々、ここでお話しさせていただいています。人類とは、「すべての被造物の管理人」です。

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 人類の背中には、人間以外の被造物はすべて委ねられています。親亀の上に子亀が乗っているようなものです。それで人類が神さまの創造の目的に、しっかりと向かっていったら、すべての被造物は一つとなって、神の栄光を現すはずです。
 しかし、人が罪を犯して神から離れてしまった結果として、どういうことが起こったのでしょうか。こういうことになったわけです。

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 人類も被造物もこけてしまったわけです。その結果、創造の目的から完全に離れてしまった現実があるわけです。
 このような形に誘ったのが、他でもなく、サタンでした。悪魔の誘惑によって、人の自由意思が悪用されて、このような形になってしまったわけです。

黙示録四章十一節、

「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」

 「みこころ」とは「よろこびゆえに」と訳すことができると前にもお話ししました。「よろこびゆえに」とは、「賛美」です。被造物全体には、神の住まいであるみ座を賛美で満たす役割があるわけです。
 やがてイエスさまが帰られる時、何が起こるのか。あらゆる生き物が、黙示録五章十三節、

『「御座にすわる方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。」』

と賛美する、その日が来るのです。このために、すべての被造物は造られたわけです。
 神はご自分が創造されたすべての被造物を通して、神を賛美する「オーケストラ」を編成されたわけです。

 この理解って、本当に分かりやすいと思います。神さまが宇宙の星々から、地球に存在するすべての生き物をなぜ創られたのか、何の目的で造られたのかと、時々不思議に感じますが、すべての被造物は「神を賛美するために造られた」と理解することは、聖書全体を理解する重要なカギだと思われます。
 そんな中で、私たち人類は万物を神の元へ引き出し、主を賛美させる役割であることがよく分かります。

 『全世界に出て行きすべての造られたものに福音を宣べ伝える』とありますが、「もの」が新改訳聖書では漢字で「者」となっていますから、人に限定されてしまうのですが、本来は、ギリシャ語の「クティシス、被造物」という意味が使われています。すべての被造物のためなのです。
 福音を宣べ伝えるのは、まだイエスキリストを信じていない人だけでなく、被造物全体に対するものであるわけです。今まで教会は「人の救い」に限定して働いていました。ゆえに、なかなか宣教がうまくいかなかった現実があるわけです。
 しかし、「被造物全体への福音」という枠組みがはっきりしてくると、福音宣教は自動運転します!とパウロは語っています。

 そんな中、もう一つ忘れてはいけない「鍵」があります。それが何かというと、「イスラエルの回復」です。
 この枠の中に「イスラエルの回復」という鍵を組み込まないと、被造物全体が主をほめたたえるという、枠組みに到達できないのです。

 神は大きな目的を持って、被造物全体を造り、人類を造られたのですが、管理人である人が神から離れてしまったわけです。神さまにとっては、どうしようかな・・・ということです。
 ありえないことですが、あなたが神だとしたらどうでしょうか。自分が創造した被造物が、目的から離れてしまったら、どうしますか?やはり、これを回復しなければいけませんよね。そのためにどうしたのかというと、

 神から離れた人類を勝ち取る方法として、全人類(管理人)の中から、アブハムという人物に目を付け、彼から発したイスラエル、「ヘブル民族」を選んだわけです。

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 大きく図示するとこのような感じになると思います。神から離れた人類を救い出すために、まずはイスラエルの救いのために、神はご自分の御子イエスさまを遣わされのした。
 まずはイスラエルの人たちを救い、そこから救いを広げていこう!と考えられたわけです。
 しかしながらイスラエルの人たちは、救い主がお生まれになったのにもかかわらず、イエスさまを十字架につけて殺してしまったわけです。救い主を拒否してしまったのです。
 それで、どういうことになったのかというと、なんと、イスラエルは隔ての壁の向こう側に追いやられてしまったわけです。現在でも、世界で最も福音宣教が難しいのは、イスラエルです。宣教に関して大きな隔ての壁があります。それは悲しい現実です。ユダヤ人しか通れない道と、パレスチナの人しか通れない道が仕切られていて、軍隊が見張っているような現実が、霊的にもあります。

 しかし、この事が、なんと、我々異邦人の救いにつながったのです!イスラエルの人たちが救いを拒否したものだから、救いのボールがどこに転がっていったのかというと、我々異邦人のところに転がってきて、私たち異邦人が救われたのです。
 もしもイスラエルの人たちが救いを独占してしまったら、我々、異邦人たちは救われませんでした。しかしイスラエルの人たちが救いを受け取らず、放り出したので、救いは私たちの所に巡って来たのです。
 昔、久保田早紀が「異邦人」という歌を歌って大ヒットしましたが、あの方はクリスチャンで、新城教会にも来てくださった方です。異邦人とは本来、「ユダヤ人以外の民族」を指す言葉です。我々はユダヤ人ではありません。日本人ですから、普通だったら救われない存在です。しかしユダヤ人が放り出した結果、我々の所に救いが回ってきたのです。
 そして、イエスさまの十字架によって、隔ての壁が打ち破られて、イスラエルの人たちも含めて、全員が救われるという構図が完成したのです。

 そんな中、私たちのような「異邦人クリスチャンの使命」があるわけです。異邦人とは、ユダヤ人以外の民族を指すと言いましたが、私たちは「異邦人クリスチャン」と言ってもいいと思います。
 「異邦人クリスチャン」とは言いますが、そこには大きな役割があります。エペソ人への手紙は、異邦人クリスチャンに宛てられています。そこでパウロがこんなことを語っています。エペソ人への手紙二章十節、

『私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。』

とあります。異邦人クリスチャンには「良い行い」が備えられているというのです。そもそも私たちは「神さまの作品」だというのが前提です。今日ここにおられるお一人お一人、神さまが造られた作品です。ちょっとお隣の方の顔を見てあげてください。なかなか優れた作品じゃないですか。うまく造ったもんだなぁという感じです。
 私たちは、神の作品ですが、異邦人として生まれたのです。エペソ人への手紙二章十一節〜十二節、

『ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。』

 エペソは、小アジアからヨーロッパ大陸に面する所で、そこに住んでいる人たちは異邦人でした。立場的には私たちと同じ異民族なわけです。「あんたたちは、本来は、救いから除外されていたのですよ。」とパウロは語っています。
 しかしながら、エペソ人への手紙のすごいところは、二章十三節、

『しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。』

 イエスさまが十字架にかかって、血を流してくださったことにより、キリストに近い者になったのです。しかし「近い者」ではまだ不十分だと思います。しかし読み進んでいくと、何と書かれているかというと、二章十九節、

『こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。』

というのです。
 なんとイエスさまの十字架により、復活によって、隔ての壁が打ち破られて、かつてイスラエルの人たちだけに与えられた救いが、異邦人と呼ばれる私たちも共有できる、『あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。』というわけです。
 今、我々は、なんと神の家族として、神さまは選んでくださっているのです。
 イエスさまの十字架は何を成し遂げてくださったのかというと、二章十四節〜十六節、

『キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。』

 イエスさまの十字架と復活によって、何が起こったのかといったら、今までは異邦人とユダヤ人たちとの間に壁があって、敵意があったのですが、それを取っ払ってくださったというわけです。
 神さまの目的は、異邦人から救われたクリスチャンと、イスラエルの人たちと一つにしようとする大きな目的があったのです。それはなぜかというと、「被造物全体の救いのため」に、どうしても必要だからです。
 我々のような、異邦人から救われて、今や、神の家族にされた者たちは、どのような使命があるのかと言うと、イエスさまがすでに隔ての壁を打ち破ってくださった、敵意を取り去ってくださったという、前提に立ち、異邦人クリスチャンたちが、現存している「隔ての壁と敵意を取り去る使命」が任されているのです。

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 現在のイスラエルの地図ですが、灰色の部分は「パレスチナ自治区」と呼ばれています。ここは古代のイスラエルにおいては、北イスラエルの領域に属する地域です。
 「ユダヤ人」という言葉は、厳密に言えば、「ユダ族の人たち」です。「南ユダ王国」に属する人たちを指す言葉です。本来イスラエルとは、北イスラエルと南ユダでイスラエルなわけです。現在も北イスラエルの領域と、南ユダの領域は敵対しているわけです。そして、隔ての壁があります。
 四百五十キロに渡って「パレスチナ分離壁」が作られていて、自由にパレスチナの人たちは出入りできません。
 この壁の内側には、異邦人である「パレスナ人」と、北イスラエルの末裔「サマリヤ人」たちが住んでいます。
 「サマリヤ人」とは、「俺たちは北イスラエルの末裔だ!」という、アイデンティティーをしっかりと持っている人たちです。
 しかし、「パレスチナ人」とはどういう人たちかというと、そのほとんどが、昔からこの北イスラエルの領域に住んでいた人たちの子孫です。現在は様々な歴史の過程でイスラム化したのですが、昔は北イスラエルに属していました。この人たちは、どこかに旅行できたり、移動できるような人たちではないのです。
 パレスチナ自治区の中には、はっきりとしたアイデンティティーを持っている「サマリヤ人」と、アイデンティティーは失ったかもしれないけれど、「北イスラエルの末裔から生まれ出たパレスチナ人」が住んでいるわけです。
 ということは、この領域の人たちのために祈り、愛をかけていくことが、良きサマリヤ人の働きそのものであり、その働きができるのが「異邦人から救われ、神の民となった者達」です。

 壁の内側にいる人たちの多くは、イスラム化しています。私たちが心を一つにすると、アロンと同じ立場になることができます。アロンと同じ立場になると、このようなことができます。民数記六章二十二節〜二十七節、

『ついで主はモーセに告げて仰せられた。「アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」』

 私たちはどういう立場でしたか。アロンですよね。アロンとその子らに属する者たちです。
 ということは、「主があなた」というのはイスラエル人のことです。イスラエル人というのはユダヤ人だけではないのです。南ユダはユダとベニヤミンという二つの民族です。あと十部族は北イスラエルに属するわけです。だから、ユダと北イスラエルも一つにした人たちに対して宣言すると、アロンの所に祝福が流れてくるということです。
 霊的祝福の法則って、我々が考えもしてもみないところに転がっています。ではアロンになるためにはどうしたらいいのか。それは、皆が心を一つにする時、アロンの油が注がれるというわけです。それが心を一つにする時に起こるというわけです。

 時々、人生の中で、いろんな問題が起こったりすると、やっぱり心を一つにしますよね。
 心を一つにすると、アロンの油そそぎが与えられ、北イスラエルと南ユダを一つにすることを理解して、この言葉を宣言すると、私たちの所に祝福が流れてきますよ!ということですね。
 今日、皆さんはアロンですから、前回も宣言しましたが、もう一回、大きな声で宣言し、読んでみましょう。
 では皆さんで、大きな声で民数記六章二十四節〜二十六節、

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』

 北イスラエルの人たちは消えちゃったとよく言われるのですが、消えてはいないのです。アッシリヤが攻め込んで来た時に、サマリヤ人の情報によると三百万人北イスラエルには住民がいたそうです。アッシリヤが三百万人を自国になんか、絶対に連れては行ってはいないのです。聖書の記述を見ても、合計すれば、だいたい二万人くらいです。国のリーダーだけを連れ去ったのです。しかし、ほとんどの人たちはそこに残りました。

 『彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。』という、「彼ら」というのは、アロンとその子らのことですよね。

 今日、私たちはアロンとして宣言しましたから、何かが起こるはずです。「あなた」という所を「イスラエル」と読み替えていきましょうか。

「主がイスラエルを祝福し、イスラエルを守られますように。主が御顔をイスラエルに照らし、イスラエルを恵まれますように。主が御顔をイスラエルに向け、イスラエルに平安を与えられますように。」

 これを宣言したら、『わたしは彼らを祝福しよう。』ということです。この理解があると、イスラエルの回復につながるわけです。

 そして「被造物全体の福音」が成立するわけです。イエスさまの十字架によって、敵意は取り去られているから、恐れず、壁を越えて行ってください!そうしたら祝福があなたに臨みますよ!ということです。

 救いは人だけのものではなく、「すべての被造物の救い」です。すべての被造物間の中にある、敵意が取り去られているということです。

 さて人間は細胞によって構成されています。

 細胞がどのくらいあるのか。だいたい六十兆くらいあるそうです。太っている人は百兆くらいあるそうです。私も百兆くらいあったのが、だいぶ少なくなってきたようですが、細胞一つ一つの中に人間一人を造りあげる情報全て、DNA情報が入っているのです。一つ一つの細胞が有機的につながって、協力し合って、私たちの体は機能しているわけです。

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 これを二つだけ切り抜き、細胞と細胞が、左側の細胞と右側の細胞が連携して、お互いに情報をやり取りして、うまく生きているのです。
 しかしある時、細胞が対立し始めるわけです。がん細胞になるのです。

 今まで生かすために、共に働いていた細胞が、なんと対立関係になって、命を狙うのです。いつ何時、我々の中に剣が入って、がん細胞に変化するのか分からないです。
 この二つの細胞の間には、大きな隔ての壁があって、お互いに行き来できないのです。一方の細胞は、「生かす!」と頑張っても、右側のほうは「死んでしまえ!」と対立するのです。
 でもイエスさまの十字架ってどうでしょうか。コロサイ人への手紙一章二十節、

『その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。』

とありますから、イエスさまの十字架が、すべての被造物の回復、和解ですから、細胞の一つの和解にも関連していると信じます。
 そして、エペソ人への手紙二章十六節、

『また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。』

 これは基本的には異邦人とイスラエルの和解と回復ですが、聖書全体から言うならば、敵意はすでに十字架によって葬り去られていて、被造物全体にある敵意も葬り去られているとするならば、いくら剣が細胞間に入って、対立するようなところがあったとしても、十字架によって対立している細胞を和解させて、元に戻すことだってできるのではないかと思ったのです。
 だから敵になってしまった細胞を祝福して、和解を宣言する祈りが必要ではないかとふっと思いました。

 イエスさまの十字架の血潮は、対立の壁を打ち破るものです。それは異邦人とイスラエルだけでなく、すべての被造物への救いが含まれているのです。
 ですから細胞の回復を宣言して祈ろうではありませんか。今、健康だと思っていますが、もしかしたら、対立が起こっているかもしれません。
 イスラエルに対立があって、どうにもならないと言っていましたよね。放っておいたらどうにもならない。破壊しかないのです。
 でも異邦人クリスチャンが関わったら、外部から関わったらなんとかなるかもしれないと期待しているわけです。
 イエスさまの十字架によって対立関係が解消されるという、この和解、心から祈っていきましょう。

 今から聖餐式を行いたいと思います、聖餐式は和解を意味します。今日は内側にあるすべての領域も和解させていただいて、健康が勝ち取られるように祈りましょう。お祈りしていただきたいです。
 
 一言お祈りして聖餐式に移っていきたいと思います。

 父なる神さま、感謝をいたします。その十字架の血によって平和を造り、み子によって万物をみ子のために和解させてくださったのですと、感謝をいたします。あなたは和解をもたらすために、この地上に来てくださいました。チームの方々がイスラエルで和解を宣言してきました、イスラエルにあなたの和解を現してください。同時に主よ、私たちの細胞の中にも対立関係があるのならば、全員に和解を宣言します。対立しているすべての細胞が和解して、良い細胞に変わりますように。時間軸を元に戻してください。長い命を一人ひとりにお与えください。
 今日ここに与えられているパンとぶどうのジュース、イエスさまの裂かれた肉と、流してくださった血潮であることを宣言します。主が和解の力を体の中に注いでください。イエスさまのみ名によって祈ります。アーメン。