「証しとなるために・・」

  • 2019年12月1日(日)

新城教会牧師 四元雅也
ルカの福音書17章11節〜19節【新改訳2017】

『さて、イエスはエルサレムに向かう途中、サマリアとガリラヤの境を通られた。ある村に入ると、ツァラアトに冒された十人の人がイエスを出迎えた。彼らは遠く離れたところに立ち、声を張り上げて、「イエス様、先生、私たちをあわれんでください」と言った。イエスはこれを見て彼らに言われた。「行って、自分のからだを祭司に見せなさい。」すると彼らは行く途中できよめられた。そのうちの一人は、自分が癒やされたことが分かると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリア人であった。すると、イエスは言われた。「十人きよめられたのではなかったか。九人はどこにいるのか。この他国人のほかに、神をあがめるために戻って来た者はいなかったのか。」それからイエスはその人に言われた。「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」』

 ハレルヤ!主のみ名を心から賛美します。十二月に入りまして、石塚さんの賛美もクリスマスの歌が飛び出るようになりまして、この一年早かったなぁ、もう年末かぁと思っています。本当に時が経つのは早いですね。
 今も賛美を聞きながら、本当にほれぼれするような声で、やはり太くて甘くてねばっこいというのでしょうか。僕はいつも皆さんの前で賛美リードをしたりしますが、薄っぺらい声で申し訳ないと思ったりしましたが、このクリスマスを皆さんとご一緒に喜びをもって迎え、お祝いしていきたいと思います。

 週報にも、今年のクリスマスの予定などが書かれておりますし、また今日配られた教会ニュースにも、クリスマスコンサートのチラシ、そしてクリスマスのイベント案内も書かれております。
 今年もいろいろな集会が計画されております。ぜひ皆さんお祈りしていただいて、また当日、すばらしい喜びの集会となることができるように、お互いに励んで、伝道していきたいと思います。

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 クリスマスコンサートは今日からチケットも購入できるようになっております。この礼拝が終わったらチケット販売所が設けられていますので、そちらに行って早めにチケットを買っていただけたら感謝です。

 話は変わりますが、先週は皆さんにお祈りしていただき、私はパラオのとりなしツアーに参加させていただくことができました。そして全員無事に日程を終えて、帰って来ることができたことを心から感謝したいと思います。
 日本から見たら、遙か南の小さな島国のパラオです。

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 皆さんご存じないかもしれませんが、パラオはここにあります。日本の南、フィリピンとサイパンの間くらいです。本当に小さな島国です。
 常夏の海が綺麗な場所です。

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世界自然遺産になっている、右上はロックアイランドといわれるところです。左下の写真は橋ですが、日本が無償で作った橋で、日本との関わりも案外大きい場所です。

 この場所でリバイバルミッションとしてとりなしのツアーが行われました。このツアーも今まで行われてきた海外のミッションの働きと同じ流れ、特に「赦しと和解」というテーマを持った祈りの時でありました。

 二〇〇七年十月にハワイでリバイバルミッションが行われてから、その後、韓国、台湾、タイ、そして二〇一五年にはインドナガランドツアーがあり、また去年はパプアニューギニア、ラバウル、そして今年は香港、そしてパラオという形で、ずっと一連の働きが続いてきております。
 そこには太平洋戦争で日本が行った破壊、抑圧、暴力がありました。日本は人々を、また被造物を傷つけました。ほんの七十四年前ですね。日本が世界中に侵出していき、支配し、戦いをし、そこで血が流されたりということがあって、傷ついた国々が太平洋の広い範囲に及んでいます。私たちはそこに出て行って、そして土地、また人々の癒やしのために、和解を祈る、そういった働きがなされております。
 私もいろんな場所に恵みによって行かせていただいて、働きに加わらせていただくことができて心から感謝します。

 また今回のパラオミッションは、特に私的にも特別なミッションとなりました。先週の礼拝メッセージでも少し順先生が紹介されておりましたが、パラオに行く前に大変なトラブルが勃発しまして、三日前に私のパスポートの有効期限の残存期間が足りないということが分かり、大変な目に遭ったわけです。

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 この赤い枠で書いてある所ですが、二〇二〇年三月三十日までということでした。先々週の火曜日、出発の三日前に、家内から「パスポートの残存期間、大丈夫?」と聞かれて、「何を言ってるんだ!大丈夫に決まってるじゃないか!」と思ったのですが、一応確認しとこ、と思いながら見たら、「ありゃま!足らん!こりゃぁ困った!」普通はパスポートを受けるためには八日間かかるわけです。市役所に聞いてみても、いくら短くても六日間ですと言われて、旅行会社に電話をしたら、旅行会社のほうでは、「最短で一日と言うのも聞いたことがある。」と言うことで、これはいけるかも!と、いろいろ試行錯誤しましが、どうしてもパスポートの発行は難しいと言われ、もう行くことは不可能と思ったのですが、先週順先生がお話しされたように、最終的に、パラオの大統領にかけあっていただいて、出発前日、二十一日の日に、これがそのドキュメントでありますが、大統領サインの許可証が発行されました。

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本当に大きな祝福にあずかって、いろいろと空港とか入関とか、パスポートを見て係官が複雑な顔をして、「おまえ大丈夫か?」という顔をされましたが、「これを見ろ!」とドキュメントを見せて、その都度クリアさせていただきました。本当に感謝でした。
 今回、私にとって最大の陰の功労者は家内だったのですが、あの三日前に言ってくれなかったら間に合わなかったのです。本当にぎりぎりだったわけですが、家内はそのドキュメントが発行されるまでの二日間、生きた心地がしないくらい真剣に祈ってくれたみたいです。でも祈りの中で、「大丈夫。雅也はパラオに入ることができる」という思いが来たそうです。それで本当に確信を持つことができたと言ってくれました。このドキュメントが発行された時には泣いて喜んでくれました。事情を知った方々もともに祈ってくださり、感謝します。
 日本に無事戻ってきてから、大統領宛に感謝状を書きました。パラオのとりなしリーダーのレッジーナさんという方に、「これを大統領に渡してくれませんか?」と送りましたら、「ちゃんと届けました。」と写真が送られてきました。

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 この右側がパラオの大統領で、左側がレッジーナさんです。彼女は二〇一六年に新城教会にも来られて、礼拝で特別賛美と証しをしてくださった方ですが、手に持っている袋は、私が送った感謝状と、私が現地でレッジーナさんにお渡ししたうなぎパイです。大統領へのお土産です。「ドキュメント、出してくれてありがとうございました。」ということで、レッジーナさんに託したわけですが、普通のうなぎパイではなくて、うなぎパイVSOPを贈りました。本当に感謝でありました。
 両国の親善のためにも役に立てたかなぁと思ったりしているわけですが、午後の時間にもう少し詳しく経緯などもお話ししていきたいと思います。

 今回のパラオツアーでは、ローマ人への手紙一章十四節、


『私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。』

 「負債」とは、日本が海外諸国に対して犯した罪です。破壊をもたらしてしまった。それだけではなくて、日本の神々を持ち込んで、神社を建て偶像礼拝を強要したということです。それが私たちを訴える一つの呪いとなる、大きな負債となっている、それを私たちは祈りを通して、現地の人々、地域、被造物を解放していただくことを願って、このような働きが続けられているわけです。

 先週も少しお話がなされていましたが、パラオ共和国という所は、太平洋戦争時代に、歴史に残る出来事が起きました。パラオ共和国の中にあるペリリューという本当に小さな島でありますが、そこでアメリカ軍と日本軍の戦いが行われました。
 一九四四年九月十五日から十一月二十七日まで行われました。十一月二十七日といいますと、先週の水曜日でありますが、この期間にパラオのとりなしツアーが持たれたということにも、時期的な意味もあるのではないかと思います。

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第二次世界大戦が終局するまで、パラオは日本の委託統治の元におかれ、日本の領土であったということなのですが、このような神社、これは南洋神社という神社ですが、アリューシャ列島とか、カロリン諸島とか、そういった島々全体を日本が統治していました。その中心の神社で官幣大社という一番格式の高い神社が置かれていたのが、このパラオの地だったわけです。こんなに大きな神社が建てられておりました。

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 そして島をあげるような祭りが行われていました。

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 これが南洋神社の跡地になっていますが、このように、誰が建てたか分かりませんが祠が今でも残っているということであります。

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 これはペリリュー島です。一番激戦が行われていた場所に戦後、日本の慰霊団が建てた神社であります。ここにはアマテラスが祭られていたり、靖国と同じような戦没者、戦死した日本人たちを祀っていたりします。

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 これはもう一つの島、アンガウルという、ペリリューの南にある島ですが、そこにもう一つの島があって、そこでも激しい戦いが行われたのですが、そこにもこのような神社が建てられております。

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 二〇一五年には戦後七十年を記念して、前天皇陛下夫妻、今の上皇夫妻が、「長年の念願だった。」と言われて、パラオを訪れこのようにペリリューで慰霊の儀式を行いました。

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 これが戦争当時のペリリューの写真です。艦砲射撃と空爆によって、緑が豊かだったこの島がはげ山になってしまって、そして激しい戦いが繰り広げられたということであります。
 ペリリューの戦いでは、日本軍が総員約一万一千人動員されました。その内のほとんど、一万人以上が戦死したということであります。捕虜として二百二名、最後まで生き残った者が三十四名。この三十四名は、終戦後に生き残っていたことが分かった方たちです。またアメリカ軍も相当な死傷者が出ました。

 本当に小さな島です。パラオ全体でも島々を合わせた面積が新城市よりも小さい所です。そんな小さな島の、またその一つの小さな島で行われた戦いで、これだけの人たちが亡くなったということであります。
 またパラオには、神社、慰霊碑が、あちこちに建てられていました。この時期に私たちクリスチャンがそこに行くことができたことは神様の恵みであり、非常に大きな使命であると思います。多くのクリスチャンでない慰霊団、また天皇も、私たちが信じるものとは違うやり方で、そこで慰霊の儀式を持ったわけですから。
 
先々週は大嘗祭も行われていましたが、その時にはパラオからもとりなしチーム五名の方が来てくださり、私たちと一緒に大嘗宮がおかれている皇居の近く、皇居を見下ろせる場所で、その時間ずっと夜中に渡ってとりなしの祈りに参加してくださいました。
 そしてその方たちが今回、私たちを迎えてくださいました。本当にクリスチャンがこういった地に出向いて祈るということが大事なことであると思います。
クリスチャン同士が両国で一つになって、共に祈って、和解がそこで主のみ名によって宣言される。先日はイスラエルツアーが持たれましたが、その中でも大きなテーマとして、和解というものが掲げられ、礼拝メッセージの中でも証しされていましたが、非常に大事なことだと改めて思わされました。

 今回受け入れてくださったパラオの教会は、パラオ・エヴァンジェリカル・チャーチという教会です。

 先週はここで礼拝を持つことができました。

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 これが今回行ったメンバーです。十七名参加しました。いつもリバイバルミッションの働きのために祈り、こういったミッションがあると重荷を持って出向いて行って祈ってくださる方たちが今回も大勢参加してくださいました。それこそ北海道から沖縄の方までいらっしゃいました。本当にすばらしいことだなぁと、頭が下がる思いですが、今回その働きに加わらせていただくことができたことを心から感謝したいと思います。
 午後の報告会で参加した方の証しを伺いたいと思います。新城教会の中で今日いるのは、私と大石さんだけなのですが、その他にもやえちゃん、さらちゃんが動画で証しをしてくださいますので、ぜひ参加していただきたいと思います。


 それではみことばに入っていきたいと思います。先ほどお読みしていただいたルカの福音書十七章十一節〜十九節のみことばでありますが、このみことばは、イエスさまがちょうどサマリアとガリラヤの境の辺りを通られたと書いてあります。
 そしてそこでツァラアトに冒された十人の者たちがイエスさまを出迎えに出てきたのです。彼らは、「イエス様、先生、私たちをあわれんでください」と叫びました。
 当時は、ツァラアトという病気は重い皮膚病で、また伝染性もあって、不治の病でした。治療のしようのない病だったのです。聖書の中にもこのツァラアトに冒された方は汚れていると見なされていました。街中で住むことは許されず、社会から隔絶されるような生活をしなければならなかった。その人たちをイエスさまが癒やしてくださった。そういう記事であります。
 イエスさまはその十人の方たちの「イエス様、先生、私たちをあわれんでください」と叫びを聞いた時に、「行って、自分のからだを祭司に見せなさい。」と言われました。彼らはそのことばに従って、イエスさまの元から祭司の所に向かって行った。その時、途中で癒やされたというのです。
 祭司は、この病がきよくなったかどうか判断する役割を持った人たちだと律法の中に書かれています。
 ツァラアトにかかった人は病でない人たちがもしも近づいてきた場合には、自ら「私は汚れているので近づかないでください!」と言われなければいけないという当時の掟がありました。
 社会的には居ないのも同じという状況がこのツァラアトの人々にはあったわけなのですが、イエスさまから「行きなさい!」と言われた時、彼らは行き始めたわけです。彼らは行く途中で癒やされて、その後、祭司に見せることで、回復が起こるわけです。祭司が「きよくなった!」と認めた時に、彼らは社会に復帰することができる、人々の間に住むことが許されるのでした。
行く途中で癒やされた。癒やされるのを確認してから祭司の所に行ったわけではなく、病気があるままで、祭司の所に行き始めた過程の中で癒やされた。行く道の途中で病がきよめられたことに気づいたということであります。本当に彼らがイエスさまに言われたことをそのまま実行に移したその時に、その行動の途中で神さまの業が始まったということであります。

 私たちはこの教会の中でも、今までずっとリバイバルのために、神の国がこの地に現されるようにと、その戦いの重荷、その任務を自覚して、そして今日まで戦い続けてきております。戦いの中に様々なことがありますが、戦いが継続していくその中に、もうすでに神さまのみわざは始まっている。そして、神さまの国が実現し始めているということを信じなければいけないということを、この場所を読む時に学ぶことができます。

 十一月はパラオの前に、イスラエルのツアーも行われて、祝福のうちに終わることができました。この世界に神さまのみ国が実現して、来たるべきイエスさまをお迎えするために、私たちは準備をしているわけですが、その上でイスラエルのために祈ることがとても重要であると語られております。
 しかし、私たちは長いこと、その意識が南ユダの方向にのみ向いていた。しかし最近、この礼拝のメッセージの中でも語られておりますが、私たちの思いを、新たに北側にも向けることが勧められています。失われた十部族と言われていますが、長年、歴史の中で忘れられたような領域にあった北側の民、サマリア、特に今回ウエストバンクと呼ばれる所において、今も不安定な情勢の中で、ユダヤ人とパレスチナ人のいさかいという問題のある地域でありますが、そこに住むパレスチナ人、またサマリア人と呼ばれるような、以前の私たちだったら重要だと認識してない方たちでありましたが、そういった方たちの間に入って行って、そして奉仕がなされました。
 イスラエルの祝福、イスラエルの回復を、全国家的に祈り、またそのために仕える機会が与えられたことは、とても意義深いことでありました。先週は礼拝でその報告も紹介されて、午後の集会で証し会が行われておりました。

 今お読みしたみことばにも、イエスさまがガリラヤとサマリアの境を通られた時に、十人のツァラアトに冒された人が出迎えた。そしてその中にはサマリア人がいたと書いてあります。イエスさまはそこにいた全員を癒やされた。その中にはたぶんガリラヤ人もいれば、サマリア人もいたでしょう。地域的に境目なので、両方いたと思うのですが、でもその全員が癒やされた中で、戻ってきたのはサマリア人だけだった。それでイエスさまも驚いて、「十人癒やされたはずなのに、戻ってきたのはサマリア人だけか!」と、思わずこぼされたという出来事であります。
 このように聖書を見ますと、随所でサマリア人という存在が、ユダヤ人からは見下されて排除されるべき存在、そういう立場にあった人たちであるわけですが、しかし神さまの目には、そのような区別はなく、イエスさまはサマリアの地にもわざわざ立ち寄って、サマリアの女を通してサマリアに福音を届けられたという箇所もあります。ここでもそのような聖書の記述を見ることができます。

 ルカの福音書を見ますと、別の箇所でツァラアトをイエスさまが癒やされた箇所が出てきます。ルカの福音書五章十二節〜十四節【新改訳2017】、

『さて、イエスがある町におられたとき、見よ、全身ツァラアトに冒された人がいた。その人はイエスを見ると、ひれ伏してお願いした。「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります。」イエスは手を伸ばして彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐにツァラアトが消えた。イエスは彼にこう命じられた。「だれにも話してはいけない。ただ行って、自分を祭司に見せなさい。そして、人々への証しのため、モーセが命じたように、あなたのきよめのささげ物をしなさい。」』

 ここでもイエスさまは、当時不治の病と言われたツァラアトを癒やされました。この時、イエスさまが言われたのは、「誰にも話してはいけない!自分が癒やされたことを言い広めたりしては駄目だよ!ただ自分がきよめられたということを祭司に見せて、認めてもらいなさい。そして癒やされたことが確かになったら人々への証しのために、きよめのささげ物をしなさい。」と言われました。
 イエスさまは、できる限り癒やしの業を行う時に、それが広まっていかないように、評判にならないようにという配慮をされていたようです。

 他の聖書の箇所を見ても、悪魔が追い出される時に、「あなたこそ神の子です!」と叫んで出て行った。でも、イエスさまはそれを聞かれて、それをとどめられた。悪魔がものを言うのを許さなかったというふうに書いてあります。

 そしてご自分が神の子である、処女から生まれて、神としての属性を持っていらっしゃるということを自覚して、人々の前にもそのことを否定することはなかったのですが、それをあえて声高に、群衆の前で、「俺は神の子だ!」と叫んだりはしませんでした。一人の人としての立場をイエスさまは公生涯の中でも貫かれていたわけですね。
 イエスさまに近い家族たちも、イエスさまが神の子だということを信じていなかったと書いてありますが、ここで癒やされた時もイエスさまはそれを「黙っていろよ。」と、人々の前に風潮することをとどめられた。
 そしてただ人々への証しのために、「あなたが後になってから何か人々に言われないためにささげ物をささげなさい。」と、つまずきにならないようにとイエスさまは配慮されたということであります。

 この「つまずきにならないように」ということをイエスさまはいろんなところで語っておられます。マタイの福音書十七章二十四節〜二十七節の所では、こんなことが書かれています。
 イエスさまがある所に来た時に、ペテロにある人が、「あなたがたの先生は、宮の納入金を納めないのですか。」と尋ねました。それでペテロは「納めます」と、うっかり言ったのですが、後から心配になったようで、イエスさまに聞きました。
 そうしたらイエスさまは、ペテロが何も言う前に、「シモン。どう思いますか。世の王たちはだれから税や貢を取り立てますか。自分の子どもたちからですか、それともほかの人たちからですか。」と逆に問われて、ペテロが「他の人たちです。」と言った時に、「では、子どもたちにはその義務がないのです。」と、おっしゃられた。でもイエスさまはそこで終わらずに、二十七節、

『しかし、彼らにつまずきを与えないために、湖に行って釣りをして、最初に釣れた魚を取りなさい。その口をあけるとスタテル一枚が見つかるから、それを取って、わたしとあなたとの分として納めなさい。』

と言われました。 イエスさまは公生涯を歩まれた時に、そのことばや行いは、多くの人々の注目を集めたわけです。普通の人間にはできないことを数多くされましたし、また私たちが思いつかないような神の国についての奥義を語られました。そのことばには権威がありました。
 でも、イエスさまは威張ったりはしませんでした。逆につまずきをおかないように、またここでも先ほどのみことばでも、「証しのためにささげ物をするのを忘れないようにね!」と念を押されたように、証しのために配慮をされていたということを覚えることができます。自分が神の子であるということをおおっぴらに言わずにあえて隠される。
 それはなぜかというと、今私たちが受けている恵みのゆえであります。十字架が妨げられないためであります。イエスさまの目は最終ゴールである十字架に一心に向いていました。そこから決してぶれませんでした。
 だからこそ大きな評判がたったり、民衆から担がれたりしないように、イエスさまは細心の注意を払って、気を配っておられたということを私たちは見ることができるのです。ただただ十字架に向かって進んでいたということを見ることができます。
 イエスさまの公生涯、本当に眠る暇もない、食事をする暇もないほど忙しい、そういう日々であったことが聖書の中に書かれていますが、マルコの福音書六章三十一節〜三十四節【新改訳2017】、

『するとイエスは彼らに言われた。「さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい。」出入りする人が多くて、食事をとる時間さえなかったからである。そこで彼らは、自分たちだけで舟に乗り、寂しいところに行った。ところが、多くの人々が、彼らが出て行くのを見てそれと気づき、どの町からもそこへ徒歩で駆けつけて、彼らよりも先に着いた。イエスは舟から上がって、大勢の群衆をご覧になった。彼らが羊飼いのいない羊の群れのようであったので、イエスは彼らを深くあわれみ、多くのことを教え始められた。』

 当時のイエスさま一行の生活は、落ち着く場所がない、ガリラヤ湖の中の小舟の中しか気を抜くことができるような場所がない、それくらい多くの人たちが彼の動向を注目していた。彼が語る言葉、彼がなす業、それに注目していたということを見ることができます。その中でイエスさまは証しのためにということを気遣っておられた。
 私たちもクリスチャンとして歩んでいくうえで、ある意味で、この世の中のすべての人々の中にあって、そういった公の場で証しのために心を配っていく、イエスさまのみ名が私たちのからだを通してあがめられていくように、そのようなことを注意していかなければいけないということを、このみことばの中で覚えることができます。

 日本のキリスト教会の中の新城教会、またリバイバルミッションの働き、そういった働きの中での私たち一人ひとりの立場においても同じことが言えるのではないかと思います。
 今回、頼りないですが、新城教会の代表として私はパラオの方たちの間でお祈りさせていただくことができました。皆さんもそのような場所に出向いて行く時には、神の国の使節の代表として立つわけでありますよね。

 またこの新城教会の牧師先生たちも順先生を筆頭として、ある意味で公の人という一面を持つわけです。
 特に順先生はこの新城教会の主任牧師としての責任を持っておられますし、リバイバルミッションの伝道者としての責任も持っておられます。それは明先生の時代から、リバイバルクルセードの時代から何十年も続いて、今に至るまで続いているわけですよね。
教会の中にはいろいろと問題が起きることがあります。でもそのことに対して私たちは、「問題が起きた!辛い、苦しい、本当に大変だ。」ということは、当然あるわけなのですが、しかし、それを神さまにあって、信仰によって受け止めることができるように心がけていきたいと思います。
 先々月になりますでしょうか。順先生がお話しされていた中に、ピンチをチャンスに変えるという話がなされていました。大きな戦いで教会全体で戦っていかなくてはならない戦いがあると思いますが、同時に神さまの栄光を見る時となるように信仰を持っていきたいと思います。最初にお読みしたみことばのように、信仰によって、イエスさまによって立ち上がり進んでいくということは、神さまのみわざが起こされる一つの始まりであります。
 癒やされてから進むのではなく、癒やされる前に私たちは進んでいく。その途中で神さまのみわざが現されて、きよめられたことに気づく。私たち一人ひとりが新城教会が新しくされる、新しい扉が開かれる機会となるように祈っていきたいと思います。

 過去の新城教会の歴史を考えていきますと、いろいろと苦しいことがありました。私がクリスチャンになってからも、この場所でも機会のあるたびに語られたりしておりますが、分裂の苦しみを味わった時がありました。ちょうど私が救われて間もない時に教会の中で、教会のあり方、また先生方の牧会に対して批判をする方たちが現れて、教会が嵐の中に、荒波の中におかれた時がありました。でもその時に、それがきっかけで始まったのが、今も毎週行われています県民の森祈祷会です。
 あの時、順先生が山の上に上がって、一人で徹夜で祈られた。そこで本当に大きな戦いがあったわけですが、次の週からみんなで祈りに行こうということになって、県民の森祈祷会が始まって、今でもずっと何十年にもわたって、この新城教会における霊的な発電所のような、新しい油そそぎを受ける重要な意味合いを持つ場所となって、祈りが続けられています。

 また一九九二年、皆さんもよくご存じのことだと思いますが、霊的戦いととりなし、解放の祈りが起こされた。それは今でも重要なリバイバルのための働きとして続けられていますが、その時はある意味で新城教会にとっては最も激動の、最も嵐の吹きすさぶ大変な時でありました。新城教会だけでなく日本のキリスト教会も巻き込むような、大きな嵐が吹いている最中でした。
 教会が二つに分かれるような悲しみも通ったわけですが、本当にそのような中で、今も神さまの恵みとして、この教会に与えられているこれらのことが起こされてきたということであります。
 ですから神さまのみわざというのは、私たちがそのような苦しみの中で信仰によってなおも進んでいく時に始まっていくということを、今日、私たちは確認していきたいと思います。

 十二月に入りますと、この教会の中でいろんな集会が行われていますが、今年のクリスマス集会は今までとは違います。是非皆さん期待していただきたいと思います。何が違うかといいますと、今までは伝道集会というと、そこでメッセージを語るのはお決まり、定番、順先生だったのです。でも今年は他の牧師たちが伝道集会でメッセージをさせていただくことになっています。
 主にあって導かれ、そういった形になったわけです。でも私たちは信仰によって、そこに主の計画があるということを受け止めていかなくてはいけないなぁと思います。
 私も水曜クリスマス祝会でメッセージをさせていただくことになりましたので、また是非覚えて祈っていただきたいと思いますが、他の先生方ももちろんいろんな集会でメッセージをされます。本当に今週から始まるクリスマス集会が、目に見える形でも変化が起きているということになるかと思います。
 この戦いのために、私たち自身、この教会のすべての兄弟姉妹の信仰の在り方、また教会としての在り方というものも、もう一度見つめ直して行けたらと思います。
群衆の目はイエスさまが何をするか、イエスさまの一挙手一投足に注意が向けられて、次はどんなことばが出てくるかな?次はどんな業が現されるかな?と注目を集めていたように、この教会においては順先生がそのような立場だったかもしれません。次はどんなみことばが語られるかな?次はどんな業が起こされるかな?と、そんなことが期待されていたようなところがあったかもしれませんが、私たちの思いもそのようなところから、私たち皆が神の国の中にあって、証しのために用いられていくように、信仰によって進んでいけるように、信仰の持ち方を見直す、そのような時になったらいいなぁと、そんなふうに思っております。
 是非、皆さんでご一緒に祈りましょう。病の中にある方の癒やしのためにも真剣に祈っておられると思いますが、信仰をもって祈りながら前に進んでいきたいと、そのように思っております。

 この十一月、何度も申し上げていますが、和解というテーマがありました。イスラエルツアーでもそうでしたし、またパラオとりなしツアーでもそうですし、この礼拝のメッセージの中でも細胞と細胞の和解の話しが語られてきました。和解という鍵を通して、癒やしの業が起こされることを期待していきたいと思います。そして、それが人の努力とか、知恵とか、また敬虔さによるのではなくて、神さまの恵みによるものであるということを私たちは確認して、主から出ているものに目を向けて、さらに前進していきたいと、そのように思っています。

 これでメッセージを終わりにさせていただきたいと思います。
 皆さんでご一緒にお祈りしましょう。この新城教会は戦いの中にありますが、私たちが一人ひとり、神さまに付く者として、イエスさまが成し遂げられた十字架の贖いと、その恵みの中で生かされた者としての役割を果たしていくことができるように。この世に対して、すべての被造物に対して、私たちが神さまを現す証し人として整えていただけるように覚えて祈っていきましょう。信仰によって歩み出した時に、神さまのみわざが現されるということを信じましょう。
 それでは各自、神さまの前に出て、本当に信仰の告白と共にお祈りの時を持ちたいと思います。ではお祈りしましょう。

 ハレルヤ、イエスさま。今日の礼拝を心から感謝いたします。私たちがあなたに倣い、また信仰を持って進み出て行く時に、その進み行く過程の中に、主は勝利を現してくださっている。そして神さまの国がそこに現されていくということを今日学びました。どうぞ主よ、それがお一人おひとりの、あなたにある人生の中に現実のものとして現されますように。
 今日、聖霊によってお一人おひとりを祝福してください。イエスさま、あなたは私たちに信仰を与え、今日まで支え、守り導いてくださいました。これは人間的な努力や知恵や、また敬虔さによるのではなく、あなたの一方的な恵みによるものです。
 主よ、さらに私たちがあなたの恵みにより頼み、また主よ、信仰を持ってこの戦いを戦うことができるように祝福してください。今日、お一人おひとりが、そのための豊かな恵みに満たされる時となりますように。
 今ここにおられる方たちの中にも様々な領域で、個人的にも問題や課題を抱えている方もおられると思います。どうぞこの礼拝の中で、その中に神さまあなたの豊かなる祝福と、また回復がもたらされていくことができますように。 すべてのことをみ手におゆだねし、イエス・キリストのみ名によって、祈りをみ前におささげいたします。アーメン。