「パワーアップ! 〜よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。さらにまさる道を示してあげます〜」
- 2019年12月22日(日)
新城教会牧師 上條実
第一コリント人への手紙12章31節
『あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。』
ハレルヤ!クリスマスおめでとうございます。皆さんとともにクリスマスにお生まれになったイエスキリストを心からお祝いし、賛美することができます事を感謝いたします。まず一言お祈りさせていただきます。
愛する天のお父さま、あなたのひとり子であるイエスキリストの誕生をお祝いできます事を心から感謝いたします。今日もこのイエスキリストが私たちの救い主であることを、心から信じます。私たちはあなたの救いを頂いて、生かされていることを心から感謝します。今からあなたが与えて下さったみことばを語らせていただきます。このみことばによって、クリスマスにお生まれになった主をさらに理解することができますように。さらにみ座に賛美が満ち溢れるときとなりますように。この礼拝を祝福してください。またインターネットによって礼拝をされておられる方々、また様々な理由で礼拝に参加できない方々にも守りと祝福をお与えください。今日はすばらしいクリスマスの礼拝の時となりますように。主イエスさまのみ名によってお祈りします。アーメン。
いつも私と私の家族の為にお祈り下さり感謝します。また教会の為に、特に様々なクリスマス集会の為にお祈り下さり感謝します。早いもので今日は十二月二十二日です。私は今回クリスマスを迎えるに当たってもう一度、聖書のルカによる福音書二章からクリスマスについて読み直してみました。ルカ二章十一節
『きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。』
いつも読んでいるみことばですが、再度読んで本当に恵まれました。私のためにイエスキリストが「救い主」としてお生まれになってくださった。その救い主であるイエスキリストを信じることができたということは、何にも代えることのできない感謝だと思いました。特にこの十一節で、『救い主がお生まれになりました。』とあります。イエスさまが救い主。本当に感動しました。
皆さんもイエスキリストを信じておられますが、このイエスキリストがどんな神であると考えておられますか?
私は今回もう一度イエスキリストはこのような神だと一つ一つあげてみました。皆さんも考えてみてください。イエスキリストは先ほどお読みしたように、救い主であり、また癒やし主です。また助け主であり、創造主。贖い主。慰め主。祈りに応えてくださる神。問題を解決してくださる神など覚える時、本当に恵まれました。
そんな中で今回二つのことを教えられました。まず一つ目はルカ二章十三節~十四節、
『すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」』
今年新城教会では、「彼らに主の名をほめたたえさせよ!」というテーマでみことばが語られました。このクリスマス。更に主に賛美をささげなくてはいけない。と教えられました。そしてもう一つ教えられたことは、二章十五節〜十六節に、
『御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごを捜し当てた。』
というみことばです。救い主が生まれたと知らされた時羊飼いたちは、私の想像ですが羊を守る仕事でありながら、その生活の糧である羊を野原に置きざりにしてでも、救い主を礼拝するために、急いで行って探しはじめ、そして探し当てたとあります。生活の糧である羊を置いてでも、主をほめたたえるために急いで出かけて行きました。
私たちはクリスマスの時、そしてその後の年末を控えて忙しさをおぼえ、日常生活に追われ、第一にしなければいけないイエスさまを、後回しにしてしまっています。羊飼いは大切な仕事中、生活するのになくてはならない羊を置いてでも、すぐに行動しました。急いで行って探し当てたのです。このクリスマスの時、主に従える器、何よりも主を第一として主に従える器になりたいと教えられました。
今年のクリスマスも、多くの集会が計画されて素晴らしい祝福をいただきました。そして今日はインターナショナルのクリスマスがあります。また明日はレッツプレイズが夕方五時から行われます。そして二十五日はクリスマスゴスペルコンサートがあります。ぜひお友達を誘ってお出かけください。イエスキリストは私たちの救い主として、このクリスマスにお生まれになりました。しかしローマ十章十四節
『しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。』
「伝道」は教会の最重要使命です。救われた者が果たさなければならない主からの「命令」であり「責任」です。私たちがこの地上に生かされている最大の理由は、福音を伝えるためです。伝道は「人間の命」がかかっている「緊急案件」です。このクリスマス、羊飼いたちが、すぐに従って行動したように、私たちも行動していきましょう。
またもう一つ教えられたことがあります。二〇一九年がまもなく閉じようとしているこの時期に、昨年末のカウントダウンワーシップにて二〇一九年のために与えられたみことばを語りました。それはガラテヤ人への手紙三章十五節、
『兄弟たち。人間の場合にたとえてみましょう。人間の契約でも、いったん結ばれたら、だれもそれを無効にしたり、それにつけ加えたりはしません。』
去年の暮れ、中古車を買いました。車を選んで、お金を支払い、名義変更や車庫証明などの手続きをして、今現在乗っています。まだ手続きを完了していなかったら違法になります。やらなければいけない契約の手続きを完了して、自分の物として使用しています。人間の契約でも、いったん結ばれたら、だれもそれを無効にしたり、それにつけ加えたりはしません。ましてや詩篇八十九篇三十四節には
『わたしは、わたしの契約を破らない。くちびるから出たことを、わたしは変えない。』
主は契約を破らない。みことばは変えないお方。約束として下さったことは必ず成就する。主が必ず私たちに将来と希望、祝福を与えてくださる年だ!と教えられました。そしてガラテヤ人への手紙三章二十六節~二十九節、
『あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。』
私たちは主の約束の相続人です。主の祝福を百パーセント頂くことのできる、受け継ぐことのできる相続人です。主が交わした契約書には、主のサインと印が捺印され、受取人は私であり、新城教会です。二〇一九年、大いに素晴らしい祝福。抱えきれないほどの祝福を頂く年とさせて頂きましょう。と語りました。詩篇八十九篇三十四節
『わたしは、わたしの契約を破らない。くちびるから出たことを、わたしは変えない。』
みことばを言いっ放しで終わっていないか? 主の契約を教えたのに受け取らずに終わってしまうのか? 必主の契約は成就する。受け取りなさい。自分と教会の為に語られた契約のことばを受け取らずに終わるのかと、主に語られたような気がします。
今年の一月一日、滝元順牧師が、他の五名の牧師が語った言葉をまとめて、預言的なメッセージとして語ってくれました。今回もう一度その文章を読み直してみました。そんな中で、まだ新城教会が受け取っていなくて、この二〇一九年が終わってしまう。約束というより契約なので信仰をもって受け取れと語られました。
皆さん二〇一九年預言的メッセージを覚えていますか?今日確認の意味で、もう一度告白しましょうか?そしてまだ頂いていないものは、信仰によって頂きましょう。ご一緒に宣言しましょう!
<二〇一九年 預言的メッセージ>
『新しい年に入る前に準備しなさい。準備のないままで入ってはいけません。ザアカイがわたしを見たい一心で木に登ったように、まずはわたしに近づきなさい。わたしはあなたの名前を知っています。ザアカイのように、わたしをあなたの自宅に招き入れ、悔い改め、聖くなり、聖霊の力に満たされなさい。
福音宣教はどうしてもしなければならない、教会の使命です。今年もゆだねられている使命を果たしなさい。
人が互いに交わす契約でさえ、一度結ばれたら変わらないのならば、わたしがあなた方と結んだ契約が果たされないはずはありません。二〇一九年、わたしがあなた方と結んだ契約が実行される年となります。想像だにしない事柄が起こり始めます。
しかしそれを得るために必要なものは信仰です。来たるべき時代に備えて、霊的戦いの剣を磨きなさい。そして国のために祈りなさい。もしも主の民が祈らないなら、日本はあなたにとって災いの国となります。
わたしのために働き続けなさい。黙り込んではいけません。歌い続け、祈り続け、語り続けなさい。
二〇一九年、今までよりもっと激しい聖霊の風が吹きます。なぜなら、わたしはサタンが天から落ちるのを見たからです。わたしが創造したすべてを、サタンの手から奪い返し、彼らにわたしを賛美するように命じなさい。その時、神の国が地上に到来します。』
二〇一九年、新城教会に与えて下さったメッセージです。すべて受け取っていますか?宝くじで一等が当たっていると知りながら、破ったりしますか? 絶対にしません。どんな手段を使ってでも手に入れます。主の契約を受け取りましょう。
これが二〇一九年に与えられた約束です。新城教会に与えられた素晴らしいことを心から感謝し、主に栄光をお帰し、まだ現実になっていないなら、あと残す今年十日間で確実に成就していただきましょう。「私の契約を破らない」とあります。霊的な扉を開いていただきましょう。
皆さん今日、十二月二十二日は何の日であるかご存じでしょうか?今日は冬至です。冬至は、二十四節気の第二十二。北半球ではこの日が一年のうちで最も昼、日の出から日没までの時間が短い日です。実はクリスマスが十二月二五日と言われていますが、十二月二五日がイエス様の誕生日などとは、聖書に記録されていません。十二月二五日説がどこから生まれたのかというと、ローマが国教をキリスト教にし、その日をキリストの誕生日としたのです。何故十二月二五日なのかというと、実は、当時ローマを含めその地域に、一つの強い宗教がありました。それは「ミトラ教」と呼ばれる太陽を神として拝む宗教でした。ローマ帝国はミトラ教の人々をキリスト教に改宗させるために、政治的策略として、今までミトラ教の太陽神の祭りの日、すなわち十二月二五日を、イエス・キリストの誕生日として変えたのです。この時期は一年で一番、日照時間の少ない、暗い日です。しかしヨハネ八章十二節に、こういうみことばがあります。
『イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」』
この暗闇に光を与えてくださるのは主です。暗闇から光に変えて下さるのがイエスキリストです。しかし私たちの毎日は様々な出来事があります。喜びもありますが、今の世の中は暗い出来事ばかりです。あなたは今年一年間どんな日を過ごしましたか?
いつもわが家のためにお祈りいただき感謝します。特別家内のためにお祈り頂き感謝します。皆様の祈りによって支えられております。しかしある日、つらい出来事に遭遇したことがありました。人間的に考えたら、大丈夫だろうか?と心配し、心騒ぐ時がありました。そんな時、ふと「彼らに主の名をほめたたえさせよ!2019」という、今年シリーズで語られているみことばを思い起こし、「そうだ。こういう時こそ主に賛美しよう」と思いました。そしてその時「主を待ち望むものは」という、昔のワーシップソングを思い出し、何度も賛美しました。
♪主を待ち望むものは 新しく力を 力をえる
鷲のように翼を張って 高く高く舞い上がる
走ってもたゆまず 歩いても疲れない♪
すると不思議です。大丈夫だろうかと、心騒いだ問題が、賛美し始めた時から解決していきました。「これからどうなるんだろう。」と思いましたが、確かに、賛美によって圧倒的勝利と解決を与えてくださいました。主に賛美することが、主の名をほめたたえることが、とても力があるんだと体験することができました。賛美には力があります。
またその時第一コリント十二章からみことばを頂きました。二十二節、
『それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。』
このみことばは、キリストが頭で私たちが各器官だという箇所です。この第一コリント十二章をお帰りになってからでもゆっくりと読んでいただきたいと思いますが、教会について語られています。ここでいう教会とは会堂の事を指しているのではなく、キリストの体を意味しています。イエスさまが頭で、ここにいらっしゃる一人ひとり、皆さんが各器官だと言っています。
先ほど、インターナショナルの若い姉たちの素晴らしい特別賛美を聞かせて頂きました新城教会にはペルーやブラジルなど様々な国の方々が集っています。また日本各地から、ある方は仕事で、ある方は結婚して、この教会に導かれてきました。なぜ様々なところから、集ってきたのでしょうか?
主があなたを必要だからこそ、この教会に導いて下さったのです。あなたは、キリストの体の一部分を担う、大切な存在であり、他の部分結び合わされて、キリストの体を築いていく、なくてはならない存在です。あなたという器官が必要だから、主はあなたを名指しで新城教会に呼び、導いて下さいました。あなたは、主がこの教会の一つの器官として働きなさいと、役割を与えて下さっています。だからあなたはお客さんではありません。あなたは新城教会というキリストの体の一つの器官として、必要な、なくてはならない器官です。第一コリント十二章二十二節、
『それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。』
私たちは弱い、主のために働くなんてできない。ダメだとあきらめてしまう時があります。弱いという事は、みことばから見ると弱いと見られる器官がかえってなくてはならない存在であると語ってくださっています。またその関連の中で示してくださったみことばで、第二コリント十一章三十節、
『もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。』
私たちは弱さを誇る。主にあってはなくてはならない存在。弱さは、大きな力があるということを主が示してくれました。第二コリント十二章九節には、
『しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。』
「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」弱さが、主の力。主の力が完全に現れるのだと言っています。
自分がどんな大きな問題や心配事で苦しむことがあったとしても、そういう時こそ、主の力があらわされる。これがみことばです。「弱さを誇れ」「弱さは大きな力がある」とみことばはあります。
またローマ書八章二十六節~二十八節を読んでみたいと思います。
『御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』
私はここを読んで本当に感謝しました。励まされました。力を頂きました。問題などは敗北だと思っていましたが二十六節の後半の所に、
『御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。』
弱い人に対してはね主ご自身が私の為にとりなしてくださる。
暗闇の力、悪魔、悪霊は、「お前は弱い」とささやいてきます。自分で祈ることができないとき、言いようもない深いうめきによって、私のために、主ご自身がとりなしてくださる。
主ご自身が、完璧な主が、私のために、弱い者のために、とりなしてくださるとあります。私のためにイエスさまご自身が祈ってくださっているということを知り心から感謝しました。そして二十七節は、
『御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。』
私たちは様々な所を示されて、祈りに出かけて行きますが、でも自分の思いで祈り、空を打つような拳闘をする時があります。しかし御霊は、神はみこころに従って、聖徒のために、弱い私のために、とりなしてくださる。みこころの場所、みこころの思いで、一番大事な所をとりなしてくださってるんだ!と知った時感謝しました。
そして二十八節、有名なみことばですが、
『神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』
益としてくださるというのです。弱いからこそ強い。主がとりなし、主ご自身が動いて下さるという事を教えていただくことができ、弱さを認めた時「私のために主が動いて祈ってくださる。こんな特権はない」と心から感謝しました。
イエスさまが頭で、私たちは各器官です。「自分なんか…。こんな状況で何ができるんだ。こんな状況になっちゃって…。」と悪魔は、私たちに敗北を認めるように働いてきます。
しかし私たちは主が頭と認め、弱い時には、主が働き、主が祈って下さる。弱い時にこそ、主が勝利を下さるのです。強いと思っているときは、主は動くことができません。しかし弱さを認めた時、主が私のために働いて下さる。弱さを認めるとき、私たちの神は、触れてくださり、助けを与えてくださるのです。
第一コリントの十二章の最後の所で、第一コリント十二章二十八節~三十一節に
『そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒、次に預言者、次に教師、それから奇蹟を行う者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者、異言を語る者などです。みなが使徒でしょうか。みなが預言者でしょうか。みなが教師でしょうか。みなが奇蹟を行う者でしょうか。みながいやしの賜物を持っているでしょうか。みなが異言を語るでしょうか。みなが解き明かしをするでしょうか。あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。』
この三十一節は、今日最初に読んで頂いたみことばです。この第一コリント十二章二十八節~三十一節の前は、私たちは各器官だとあります。そして「からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものだ」と語っています。そして結びで、
『あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。』
とあります。今日冬至のように暗闇の時、大変な時にこそ、賜物を熱心に求めましょう。そしたらさらにまさる道を示してくださいます。このクリスマスの時、弱さを認め、主に目を向けましょう。
「あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう」
今日よりすぐれた賜物を熱心に求めましょう。祈りましょう。まさる道を示してくださいと祈りましょう。
私たちは強いのではない。生かされている。主によって生かされている。私たちは弱いものである。しかし暗闇で、どん底であったとしても、弱い時にこそ、主が動いて下さる。主がとりなして下さる。主がまさる道を私たちに示してくださるのです。
『あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。』
今日、主に求めて、よりすぐれた賜物を頂きましょう。私は真剣に求めています。この教会に、更に優れた主の賜物があらわされるように祈っています。よりすぐれた賜物を求めています。
二十八節からは、使徒、預言者、教師、奇蹟を行うものなど書いてあります。皆さんが、各器官である皆さんがよりすぐれた賜物を熱心に求めるとき、この教会は、さらにまさる道を示していただけると信じます。
この一年に一番暗い冬至の時にこそ、私たちが主に期待して、さらに熱心に賜物を求めていく日でありたいと思います。あの一九九二年、全日本リバイバル甲子園ミッションの準備が始まった時、霊的戦いが始まり、その後教会が分裂するという苦しい時がありました。しかしあの時は新城教会にとって暗い時期でありましたが、すぐれた賜物である「霊的戦い」という扉を開いて頂きました。主からさらにまさる道を示していただき、ここまで成長し、働きも大きく広がってきました。
今、病気や問題などで暗い時であったとしても、主はすべてのことを、あい働いて益としてくださるのが、クリスマスに生まれて下さった主です。各器官が一つとなって新しい賜物が開かれ、さらにまさる道を示して頂ける時であると信じます。
最後にスタッフのT兄の長男のS君、小学校一年生の子どもが私に「パワーアップするようにお祈りする」と言って祈ってくださいました。そしてその後S君と出会う度に「実先生、パワーアップした?」と聞かれました。私は「まだ」と言うと、「なんで?」と聞いてきます。
今回、私はこのメッセージを準備する中、彼の「パワーアップした?」という言葉が、なぜか思い出されました。私も、新城教会もパワーアップする時なのです。苦しい時にこそ、暗い時にこそ、さらに優れた賜物を開いてくださる。そしてさらにまさる道を示してくださる時であると信じます。皆さんこのクリスマスの時パワーアップするように祈りましょう。
クリスマスにお生まれになったイエスキリストは、私の人生にとって、新城教会にとって「絵に描いたような餅」のように、聖書に書いてはあるけれど現実の生活の中では働くことができない神になっているかもしれません。このように祈りが答えられればいいのに・・・。聖書にあるように癒しが起こされればよいのに・・・。問題が解決したらいいのに・・・など、生きたみことばなのに、生きていない「絵にかいた餅」状態になっています。
この暗闇の時、綺麗ごとのようなクリスマスをお祝いするのではなく、今も生きて働き、救い主であると同時に、癒やし主であり、慰め主であり、助け主であり、この地を創造してくださった方である主が、今も生きていて、私たちに働く神の力を体験させていただきたいと切実に願います。新城教会に、この日本に、神の権威の業、力を味わさせていただきましょう。
新城教会がパワーアップして、更にリバイバルし、主の生きている業がこの教会にあらわされ、さらにまさる主の道を開いていただけるように、暗い冬至の時、この日に祈ろうではありませんか。
祈りましょう。賛美しましょう。主の力をいつも体験できる教会とさせていただきましょう。すべて主に栄光をお返しし、み座に賛美をいっぱいに満たしていきたいと願います。
パワーアップしましょう。来週から七十周年記念七十時間リバイバル大会と題して、賛美集会が持たれます。みんなで主を賛美して、さらなる賜物を開いていただく時とさせていただきましょう。
今から聖餐式の時を持ちたいと思います。クリスマス、この一番暗い時に来てくださいましたイエスキリストを心から感謝して、聖餐をいただきたいと思います。一言お祈りします。
愛する天のお父さま、私のような者に触れてくださって、苦しみの中から助け、今全く癒してくださったことを感謝いたします。今あなたによって生かされていることを心から感謝します。
主よ、暗闇に光を。あなたは暗闇の時に光を与えてくださる方です。私たちのために生まれてくださいました。今日、賛美を献げます。主よ、どうか覚えていてくださって、この教会がパワーアップしますように。各器官が一つとなって、よりすぐれた賜物を開いていただき、さらにまさる道を示して頂くことができますように。
今からの聖餐式を祝福してください。主よ、ありがとうございます。触れてください。今日生かしてください。主よ、生かしてください。触れてください。主イエスさまのみ名によってお祈りします。アーメン。