「占領すべき地は非常にたくさん残っている」

2020年10月11日(日)
新城教会牧師 四元雅也
ヨシュア記13章1節

『ヨシュアは年を重ねて老人になっていた。主は彼に告げられた。「あなたは年を重ね、老人になった。しかし、占領すべき地は非常にたくさん残っている。』

 ハレルヤ!主のみ名をほめたたえます。今日こうして皆さんの前でお話しさせていただけることを心から感謝致します。
 十月に入りまして、秋がだんだんと深まっておりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。今年はコロナ禍と呼ばれるような世界全体を揺り動かすような中にあり、社会も皆さんの生活も変化があるのではないかと思いますが、そのような中でも神さまからの恵みが私たちに注がれていることを覚えて感謝いたします。
 いきなり個人的なお話で恐縮ですが、最近我が家でも感謝なことがありました。私の家は二〇〇四年に建てて住んでいるのですが、最近いろいろ綻びが出てきて、外壁の継ぎ目のコーキングが傷み、雨漏りするようになってきたので、数年前から外壁塗装やりたいなぁと思っていたのですが、子どもの教育費がかさんだこともあって、なかなか踏み切ることができずにいました。
 今年になってコロナ問題が大きく取りだたされているのですが、それに関連し政府が国民救援策の給付金を出しました。我が家は家族が八人なので、合計八十万円出ました。子どもの教育費も少し落ち着いたこともあり、今回踏み出すことにしました。私は豊田のほうで月に一回家庭集会を持たせていただいおり、Hさんにいつもお世話になっているので、お願いしてやっていただきました。写真があるのでちょっと見ていただきたいと思います。
これが塗装前です。

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 藻が壁に付いていたり、色が褪せたりしていたのですが、塗っていただいて、

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 明るく綺麗に塗っていただき、これでしばらく雨漏りの方も心配しなくてすむかなと思って、すごく感謝しております。
 ちょうど同じようなタイミングでI君の家も外壁塗装をやられていましたね。I君の所はSさんの所で塗装していただいていたみたいですが、新城教会には塗装屋さんが二人いらっしゃるということで、また皆さんもご指名されたらいいかと思います。
 そんなことを言うのも怒られるかもしれませんが、これも我が家にとってはコロナで与えられた神さまの恵みとして受け取っているわけであります。
 マタイの福音書六章二十六節を見ますと、

『空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。』

と書かれていますが、信仰を持って歩んでいくのは恵みだなぁと思います。
我が家も決して豊かではありませんが、今まで食べられないこともなく、折りにかなった助けも与えられて、不足することなく守られてきているということは本当に感謝です。今も一人の子どもは大学に行っており、一人は高校生で、まだまだ経済的必要が多い中ではありますが、神さまの恵みに頼っているわけです。

 もう一つリフォームネタですが、先週、教会スタッフ総出で、一日がかりでプレイズの旧社屋の掃除をしました。去年の十月に新社屋ができてプレイズは移転したわけでありますが、それ以降なかなか有効利用できていなくて、今年になったらコロナもあって、集会もできずリフォームどころじゃないというところもありまして、一年間ほとんど放置状態だったのですが、先週ようやく内部を掃除して、集会ができるくらいにセットされました。

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 印刷室だった所を集会できる部屋にして、あとは祈祷ルームとか、個人的な祈りにも使えるように幾つかの部屋を準備しました。
 まだコロナの元で集会がなかなかできない中に、あえて部屋を準備することにも、きっと主にあって計画があり、また宣教の拡大のための準備がなされているのではないかと信じ、神さまに期待していきたいと思わされました。

 今年は、新城教会が宣教七十周年ということで、これまでも皆さんの証しをうかがう機会が多い中にあります。兄姉の体験談を聞くと、やはり神さまがお一人お一人に、それぞれ信仰の歩みの中で導いてくださっている、祝福を備えられてきたことを感じます。
 今日の午後の集会は、新城教会の中でも最も長老格のお一人、H姉にインタビューした動画を放映し、恵みがお分かちされる時があります。

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 Hさんは、九十一歳だとうかがいましたが、新城よりもっと奥の設楽町で生まれ育たれました。故・滝元明先生も設楽町の近く、津具村出身でありますが、新城に出て来られた後、設楽町にも度々、天幕集会に行かれました。その伝道によってHさんは救われた、そういったお方であります。新城教会の最も古い時代をご存じの方なので、ぜひ会場で、またネットでご参加いただけたらなと思います。
 そんな証しを伺うと、新城教会の歩んできた道のりも、決して平坦ではなくて、むしろ戦いと挑戦の日々という感じであります。しかし、そこに神さまの大きなみ手があって、今日まで守られていることを、この集会の中でも見ることができるのではないかと思います。

 冒頭にお読みした聖書箇所に関連したお話ですが、モーセに率いられたイスラエルが、奴隷となっていた地を脱出して、出エジプトを果たしたとき、ヨシュアは三十歳から四十歳くらいであっただろうと言われています。
 それからヨシュアは荒野で四十年間、モーセの従者として、モーセを通して現された神さまのわざを体験し、また神さまからの訓練を間近で体験して歩んできたわけです。
 また、彼の時代から四百年以上前の時代ですが、アブラハムという人が神さまによって召し出されました。彼が生活していたカルデヤのウルの地、今で言うイラクの地、チグリス・ユーフラテス川流域に世界最古にでた文明、その中で彼は育ちました。そこから神さまに召し出されて移動して行き、カナンの地、神さまが「ここをおまえに与える」とアブラハムに言われたわけです。
 このアブラハムは、ヨシュアが引き連れているイスラエルの民の始祖であり、また、言うまでもなくイスラエル民族からずっと後の日になって、イエス・キリストが誕生するのがこの民の中です。アブラハムを主が選ばれて、そこから産まれたイスラエル民族の中に、神さまは神の子イエス・キリストを世界に送り出されたわけです。

 そういった歴史背景の中で、ヨシュア記の物語が進んでいくわけですが、一章から十三章まででは、ヨシュアはだいたい七十〜八十歳くらいの年齢だったのではないかと言われています。
約束の地カナンに入る直前、ヨシュアはモーセから指導者としての立場を引き継ぎました。そしてカナンに侵攻し征服して、大勢が決するまでの戦いの日々が、一章から十三章で描かれています。その期間は、おおよそ七年程だったのではないかと考えられていますので、十三章の時点でヨシュアは八十から九十歳くらいの年齢に達していたと考えられています。

 このヨシュアを通してなされたイスラエルのカナン征服とカナン人の聖別は、大きな主の御手が働いてイスラエルを勝利へと導いたことがつぶさに描かれています。
 一番有名な戦い、エリコの戦いでは、七日間に渡り、神さまが「黙って城壁の周りを回り、一日一周六日間回って、七日目は七周回り時の声をあげなさい。」と仰せられ、イスラエルがその通りにした時、城壁が崩れ落ちてイスラエルが攻め込んでいったわけであります。

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 これが「エリコの戦い」です。エリコの町は聖絶、すべて滅ぼし尽くされたわけです。

 次に、イスラエルはアイという町を攻めて行くのですが、緒戦では、アカンの犯した罪によって敗北を喫して、もう一度、神さまの前にへりくだって、罪を取り除いて、もう一度戦いに挑んで勝利した、そういうアイの戦いがありました。

 そして、十章に入ると、カナンの地の五人の王たちが団結し、連合軍を編成してイスラエルに立ち向かって戦いを挑んで来ました。少し読んでみたいと思います。ヨシュア記十章九~十四節、

『ヨシュアは夜通しギルガルから上って行って、突然彼らを襲った。主は彼らをイスラエルの前でかき乱された。イスラエルはギブオンで彼らを激しく討ち、ベテ・ホロンの上り坂を通って彼らを追い、アゼカとマケダに至るまで彼らを討った。彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主が天から彼らの上に、大きな石をアゼカに至るまで降らせられたので、彼らは死んだ。イスラエルの子らが剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。
 主がアモリ人をイスラエルの子らに渡されたその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。「太陽よ、ギブオンの上で動くな。月よ、アヤロンの谷で。」民がその敵に復讐するまで、太陽は動かず、月はとどまった。これは『ヤシャルの書』に確かに記されている。太陽は天の中間にとどまって、まる一日ほど、急いで沈むことはなかった。主が人の声を聞き入れられたこのような日は、前にも後にもなかった。主がイスラエルのために戦われたからである。』

 ヨシュア記を見るとき、神さまがイスラエルとともにおられ、カナン征服の折に大勝利をもたらされたことが書かれていますが、イスラエルの民はそのわざをただボーッと指をくわえて見ていたわけではありません。ここで読んだ通りに、主の絶対的な加護があるわけですが、イスラエルも命がけで戦ったことを見ることができます。
 今、お読みしたみことばにも、イスラエルが夜通し歩いて移動して、カナン人が「敵はまだ遠くにいるだろう」と油断していたところに奇襲を仕掛けたと書いて有ります。それで驚いたカナン人が陣営を捨ててばらばらに逃げて行ってしまいました。それをイスラエルが追いかけながら屠っていくわけですが、そこに神さまが大きな雹を降らせられたと書いてあります。また太陽が沈むのを遅らせてイスラエルを援護された。結果として、イスラエルの子らが殺した数よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かったと書いてあります。神さまは、ヨシュアの呼びかけに奇跡を起こして応えられたというのです。
 ここまで読んで、「雹が降る?太陽が沈むのを遅らせる?そんなことがあるのか!?」と思われるかもしれません。

 先週の話ですが、神さまが私たちの呼びかけに応えられたのを皆さんご存じですか?先週、台風十四号が日本に向かって進んでいると報道されました。火曜日の時点での予想進路はこんな感じでした。

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 図の日本列島の中に黄色い点がある所が新城教会の大体の位置です。赤い丸が打ってある辺りが、日曜日の朝、私たちが礼拝に参加するくらいの台風の予想位置でした。
 僕は、その日の礼拝メッセージ担当だったこともあり、「皆さんが台風の中で教会にお越しになるのはかわいそうだ。」と思い、台風が逸れるように祈り始めました。
 次の日になりましたら、順先生がラインの世界宣教とりなしグループで台風襲来の予想に触れ、「台風の進路が変わるように祈りましょう」特に「南に進路を変えるように」と呼びかけられ、みんなで祈りがささげられ始めました。水曜日の時点では予想図はこんな感じでした。

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 皆さん一生懸命祈ってくださったと思うのです。木曜日の時点ではほとんど進路は変わらず、むしろやや北寄りになっていましたので、一目見て「まずいな」と思ったのですが、よく見ると進行スピードが速くなっていて、礼拝の時には愛知県は台風が去った後、ということになっていましたので、「ああ良かった、礼拝の時には台風が過ぎた後だ。ハレルヤ」と個人的には思っておりました。

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 ところが金曜日になると、台風は予想進路を南寄りに変え始め、昨日には、さらに大きく進路を南に向け、なんだか変てこなカーブを描いておりました。

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 これが今朝の天気図です。

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 順牧師は「祈りが聞かれ過ぎました!」なんて書いておられました。

 本当に祈りに応えてくださって感謝だなぁと思います。私たちは以前から台風が日本列島に近づいてくると、「みことばを行う嵐よ!被害をもたらすのではなく主をほめたたえて、また主のみことばを実現しろ!」と祈って宣言してきたわけですが、神さまは応えて下さいます。神の国の管理者、被造物の管理者としての私たちの叫びに主は応えられたわけであります。ヨシュアが神に語りかけた時に応えられたようにです。本当に感謝だなぁと思います。

 先週はもう一つ、世界宣教の中でも奇跡を見ることができましたね。
この二週間ほど、私たちはスペインで宣教しておられるホルヘ先生ご一家の皆さんのために真剣にお祈りしておりました。先生ご家族全員がコロナに感染されて、重い障害を持っておられるアロンくんは肺の機能が低下して、命を保つ手段がなくなってしまい、医者からいつ亡くなってもおかしくないと言われていました。そして先週も日曜日から火曜日まで、先生の病状についていろいろと報告が来ていたのですが、思わしくない状況でした。

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 これが先週の日曜日から火曜日までの先生の写真です。世界宣教に出ていた写真ですが、日に日にチューブが増えていくというか、酸素吸入をしたり、ICU(集中治療室)に入ったり、また痛み苦しみも実感して大変な状態であると報じられて、私たちも気を揉まされました。
 アロンくんは支えられて生かされていましたし、ホルヘ先生のご家族はそれほど重症化することなく過ごすことができておりました。主の守りがそこにもあった、皆さんの祈りが応えられたのでありますが、ホルヘ先生だけはなかなか大変な状況で、このままどうなっていってしまうのかなぁと心配されていました。ところが昨日、新たな写真が送られてきて、ICUから出て酸素はまだ付いていますが、食事もできるようになったということで、お顔の様子も随分変わって、これで髭を剃ったら元のホルヘ先生になるだろうと思いました。

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本当に感謝です。こうしてみんなで祈ったことが応えられるわけであります。本当にハレルヤであります。

 今週は先ほどお話しがありましたように、上條先生が心臓から出ている大動脈を人工血管に取り替える手術をされます。このためにも皆さんに祈っていただいていますが、続けて真剣に祈りましょう。癒やされるように、手術が無事終るように、祈っていきたいと思います。

 話しが少し逸れましたが、ヨシュアのその語りかけに対して神さまが圧倒的な後ろ盾というか、むしろ神さまご自身が前に出て戦っておられるという、そういう状態をヨシュア記の初めから十三章までの間で見ることができます。イスラエルはまさに破竹の勢いでカナンに進出し、土地をどんどん勝ち取っていく、そのような状況があります。

「【主】がイスラエルのために戦われたからである。」とあるように、神さまご自身が戦われ、イスラエルを勝利へと導かれました。
そして、ここまで敵との戦いに全て勝利してきたイスラエルと、ヨシュアに対して神さまはこう言われたのです。ヨシュア記十三章一節、

『ヨシュアは年を重ねて老人になっていた。主は彼に告げられた。「あなたは年を重ね、老人になった。しかし、占領すべき地は非常にたくさん残っている。』

 この時点で、カナン征服の計画は大勢が決して、イスラエルを押し返そうとする勢力はもはや無く、ただ、まだいくつかの民族がバラバラに存在していた。神さまはそれらの民をも絶滅しなさい、攻め込んで行きなさいと、ヨシュアを鼓舞されました。
 そしてカナンの征服のための戦いは、この後も継続されていくのですが、実はこの後の戦いは、ここまでの戦いとは違った戦いになっていきます。
ヨシュアがそれまでの戦いでは、イスラエルの軍事的な指導者として、全軍を率いて敵と戦っていました。しかし、十三章からはある意味で、軍の司令官というよりも、イスラエルの政治的リーダーという立場へと自分の立場を切り替えていきます。
 ヨシュア記十三章を見ると、神さまが、カナンの土地をこの時まだ平定されていない、まだイスラエルが攻め込んでいない地域も含めて、イスラエルの十二部族に対しそれぞれ所有地を割り当てられます。そして「攻めて行きなさい。」と命じられるのですが、ヨシュアに率いられて攻めていくのではなく、部族ごとにそれぞれの割り当て地に対して攻め込んでいく形になっていきます。そういう意味で、それまでの戦いとは違った戦いをしていくことになりました。

 そのなかで、イスラエルに降伏・あるいは戦いの意志を示さない民を、彼らは滅ぼし尽くさなかったことが書かれています。イスラエルの間に住むことを許したというのです。結果としてイスラエルはカナンの地を平定しましたが、「聖絶しなければならない」と神さまが言われた先住民のいくつかの民が、イスラエルの中に残るという結果になりました。
 申命記二十章十六〜十八節を見ると、

『あなたの神、主が相続地として与えようとしておられる次の民の町々では、息のある者を一人も生かしておいてはならない。すなわち、ヒッタイト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたとおり必ず聖絶しなければならない。それは、彼らが、その神々に行っていたすべての忌み嫌うべきことをするようにあなたがたに教え、あなたがたが、あなたがたの神、主の前に罪ある者とならないようにするためである。』

 このように神さまはイスラエルの民に命じておられたわけです。しかし、イスラエルはこの命令を完遂しなかったのです。

カナンの地への進出から約三十年後、ヨシュアの人生が終着点に近づいたとき、彼は死を前にして、イスラエルの全家をシェケムに集めました。そこで彼は最後の大仕事をイスラエルの全家に対してします。

 シェケムという場所は、イスラエル人にとって非常に重要な場所でした。アブラハムが神さまに導かれてカナンの地に始めて入ったとき、このシェケムに滞在しました。そこには「モレ」と呼ばれる大きな樫の木がありました。「モレ」は「占い」という意味です。アブラハムがそこに入って来た時、そこは占いがなされ、大きな木を礼拝する、偶像礼拝の聖所だったのです。
 そこで神さまが「この地をおまえに与える。」とアブラハムに約束されたのです。ということは、偶像礼拝の地を「勝ち取りなさい!」とアブラハムに命じられたわけです。
 また、アブラハムの孫であるヤコブは、カランの地に一旦行って戻ってきたとき、ここに井戸を掘って、そして「エル・エロヘ・イスラエル」と、名付けました。「イスラエルの神である神」という意味です。ヤコブが掘った井戸は、ずっと後にイエスさまがサマリヤの女と出会われた「スカルの井戸」と同じ場所です。
 そして、ヤコブの子ヨセフの遺体は、出エジプトして、カナンの地に連れ帰られた時、埋葬されたのがシェケムだったと書かれております。シェケムという場所は、イスラエルがカナンの地を所有することの象徴でした。

 そういう重要な場所にヨシュアはイスラエルの民を集めて、最後の仕事をしたのです。それは、彼らを、神に従う者として強い信仰の告白に立たせ、神さまに選ばれた民としてもう一度神さまとの契約を結ばせることでした。
 モーセによって引き出されたイスラエルの民は、シナイで神さまとの契約の関係に入りました。「シナイ契約」と言われています。その後、その契約を結んだ民は、全部荒野で死に絶えてしまうわけですが、カナンの地に入った時にヨシュアは、もう一度イスラエルの民に、神との契約を結ばせたわけです。それが「シェケム契約」と呼ばれています。ヨシュア記二十四章十四〜十五節に、

『今、あなたがたは主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕え、あなたがたの先祖たちが、あの大河の向こうやエジプトで仕えた神々を取り除き、主に仕えなさい。主に仕えることが不満なら、あの大河の向こうにいた、あなたがたの先祖が仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。ただし、私と私の家は主に仕える。」』

 ここでヨシュアが「あの大河の向こうやエジプトで仕えた神々。今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々」と言ったのはどういう意味でしょう。
数百年前アブラハムが神さまに召し出される以前に住んでいた、カルデヤ人のウルの土地にあった偶像の神々が「大河の向こう」の神々です。その後、カナンの地に来て増え拡がったイスラエルは、ヨセフの物語を通して、主によってエジプトに下り、そこで四百年間過ごしました。そのエジプト人が拝んでいた神々が「エジプトで仕えた神々」です。そして、ヨシュアに率いられてカナンの地に帰って来て、占領した地にいるのが「アモリ人の神々」です。
ということは、これまでのイスラエルの歴史、アブラハムから始まりヨシュアの時代までの、数百年の歩みの中で、さまざまな土地に行き、そこにいた神々との関係をイスラエルの民は持ったわけですが、「その神々の中で、あなたがたが好きなもの、どれでも今、選びなさい。」と言ったわけですね。
 イスラエルの歴史を通じて、神さまご自身がイスラエルに「どの神を選ぶんだ?」という選択を迫られたということなのです。
その時、イスラエルの民は、「私たちが主を捨てて他の神に仕えるなど、ありえません。私たちもまた、主に仕えます。このお方が私たちの神だからです。」と、ヨシュアの問いに答え、信仰の告白をしました。

 しかし、ヨシュアはここで彼らの信仰告白に水を差すような変なことを言ったのです。二十四章十九節を見ると、

『ヨシュアは民に言った。「あなたがたは主に仕えることはできない。』

 本当に驚くようなことを言ったわけですが、これは恐らくヨシュアが「聖絶せよ」と送り出したイスラエルの民が(先住民を)聖絶し切ることができず、神さまの命令を完璧に実行できなかった。そのことに対して思うところがあったのではないかと思うのです。

 その通りに、ヨシュアの死後、イスラエルが滅ばさなかったこれらの民が立ち上がり、イスラエルを攻め、苦しめる歴史が士師記から第一・第二サムエル記に渡って描かれて、ダビデの時代になって、やっと平定されます。
 その国のひとつはペリシテといいます。これは現代の呼び方ではパレスチナです。現在も見られるイスラエルとパレスチナの紛争は、何とヨシュアの時代、今から三千年前まで遡り、イスラエルが神さまの命令に従わずにペリシテを残してしまったことが、その後の長き歴史にわたって引き起こされた問題の根っことなってしまっているのです。
 本当に聖書に記されている歴史の記述は、時として現代に生きる私たちにとってゾッとするようなことを語り伝えているのです。神さまは時代を越えて生きておられ、聖書も神さまのことばとして、時代を越えて私たちに語りかけているということを見ることができるわけです。
 そしてヨシュアが民にこのように「あなたがたは主に仕えることはできない。」と言ったのは、イスラエルの民が主を信じます!と言っていたけど、それが自分の力で肉的な思い・考えで宣言していたことを見抜いていたのかもしれません。自分の肉に頼っている信仰というのはなかなかうまくいかないです。神さまに頼っていかないと失敗が多くなるわけです。

 イエスさまが十字架にかかられる前夜、弟子たちに、「あなたがたは私を捨てます。」と言われた時に、ペテロは勢い込んで、「たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」と応えました。しかしイエスさまは彼に、「今夜、鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言います。」と預言され、その通りになりました。
 この出来事はそのことと重なるような気がします。「あなたがたは主に仕えることはできないだろう。」とヨシュアはあえて言ったのです。

 また、ヨシュアにも責められるところがあるのではないかと思います。
ヨシュアの師であったモーセは、八十歳でイスラエルの指導者として召され、そこから四十年間、百二十歳になるまで、民を約束の地の手前にいたるまで導いたわけです。彼は百二十歳で死ぬのですが、それまで気力は衰えなかった、最後までイスラエルの指導者として民を導いたと書かれています。

 一方、ヨシュアは、三十代半ばで神さまに召され、そして四十年、モーセの従者として生き、それから三十年ほどの期間、イスラエルの民のカナン征服のために、リーダーとして立てられていたわけです。
彼は、八十歳代で神さまから、「あなたは年を取ったが、まだ攻め取るべき土地がたくさん残っている」と鼓舞されたのにも関わらず、そこから先は民の先頭に立って戦っていくことをしなかったわけです。そして、各部族に戦いを託しました。結果としてイスラエルのつまずきとなる民が残されてしまうことになったわけです。

 このみことばを読んで、僕としても教訓として受け止めるものがあると思わされましたし、宣教七十周年を迎える新城教会にとっても、今一度、心に受け止めるみことばとして、神さまが語ってくださっているではないかと思わされました。

 これでメッセージを終わりたいと思いますが、日本のリバイバルを求めて来た宣教七十年間を振り返ると、本当に神さまが生きておられることを覚え感謝することができます。
 滝元明先生・清子先生の救いから始まり、設楽町での伝道から新城へ出て教会堂が建てられ、リバイバルクルセード、甲子園ミッション、霊的戦い、リバイバルミッションの数々の活動、とりなしの祈り、賛美の戦い、プレイズ、神学校、被造物管理の理解、様々な戦いを経て、戦いの場所は大きく拡げられ、勝ち取らせていただいたものも多くあると思います。

 しかし、このヨシュアに言われたように、『あなたは年を重ね、老人になった。しかし、占領すべき地は非常にたくさん残っている。』と、神さまは私たちに言われているのではないか、そんなふうに思います。
歩み始めた頃とよりも、今鈍っていないか。純粋さ、聖さ、主を求める態度、戦う態度、長年の信仰生活の中で弱っていないか、もう一度一人一人確認させていただく機会となればと思います。

 九月は五人の方がバプテスマを受けられ、一組の結婚式もありました。恵みが豊かに注がれました。コロナ禍と呼ばれるような中でも、神さまが私たちに祝福を注ぎ、そして実を結んでいてくださることを心から感謝すると共に、これからさらに大きな実が結ばれて神の国がこの地にもたらされるように、戦って祈っていきたいと思わされます。
 私のメッセージはこれで終わりにさせていただきたいと思います。

 最後に一言、お祈りをさせていただきます。

 ハレルヤ、天のお父さま、今日このように素晴らしい礼拝の時をあなたの前に持たせていただき、私自身に神さまが教えてくださり、また自らを省みる機会を与えてくださったことを心から感謝をします。
 これまであなたが素晴らしいことをこの教会の中に現し、またこの日本に、世界に、現してくださいましたことを心から感謝します。しかし「占領すべき地はまだたくさん残っています」と、あなたは私たちを鼓舞しておられます。主よ、どうかそのことを覚えて、主の戦いを戦う者となることができるように。お一人お一人の信仰の歩みを通して、また教会の働き、リバイバルミッション、プレイズ出版、また、それぞれあなたが開いてくださった領域における働きにおいても、これからさらに主の戦いが前進し続けていくために、私たちが聖霊によって導かれ、聖められた者として、へりくだって主に仕えていくことができますように。
 この地にあなたが帰って来られるその日まで、私たちが戦いの手を緩めることがないように、主よ、どうか助けてください。心からお願い申し上げます。
今日、この時を与えてくださった主に心から感謝し、主イエス・キリストのみ名により、この祈りをみ前におささげいたします。アーメン。