「宣教70周年-2020
明日に向かって「将来と希望」パート18
~クリスマス2020〜 主イエスが来られた」

2020年12月20日(日)
新城教会主任牧師 滝元順
エレミヤ書29章10〜12節

『まことに、主はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。‐‐主の御告げ‐‐それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。』

ルカの福音書2章8〜11節

『さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。』

 ハレルヤ!おはようございます。そして、メリークリスマス!今日はクリスマス特別礼拝を持つことができ、心から感謝しています。
 イエスさまのお生まれが最初に告げ知らされたのは、羊飼いたちでした。当時、羊飼いたちは、最も先行きが不安な、何の保証もない人たちでした。今でもイスラエルに行きますと、ベドウィンがいます。彼らは国籍も定かでなく、先行きが不透明な人たちです。そんな最も社会で弱い人たちのために、最初に救いの知らせが届いたのです。

 今、頌君たちの演奏を聴くことができました。今ミュージシャン達は、ある意味で立場が不安定な人たちではないかと思われます。GO TO TRAVELなどで旅行業界とか、飲食業は国の援助が多くあるのですが、彼らにはあまりありません。
 私の長男に娘が二人いるのですが、小学四年生の子が、よく私のところにライン・ビデオで話しかけて来ます。昨日も話しかけてきたので、「お前たちは、ちゃんとご飯食べているか。」と聞きました。すると小学四年生の娘が、「助成金などで、なんとか食いつないでおります。」と答えました。大変だなと思ったのですが、社会で立場の弱い存在に対して、神さまは配慮してくださるお方です。
 「空の鳥を見なさい」とあります。「神が養っていてくださる。あなた方だって養ってくださらないはずがない。」とイエスさまは語られました。私たちの神さまは、気まぐれで事を行う方ではありません。ちゃんと暦に従って働いてくださるお方です。

 最近私は星々について教えられ、語っています。モーセの律法は天体の動きと繋がって表現されていると言われます。ユダヤ人たちの祭りは、暦に従って行われます。それは天の動きに沿って行われるものです。
 神さまは、時間を支配しておられます。この一年、エレミヤ書二十九章を中心に学んできました。そこに、『バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たします』と預言されていました。
 七十年が満ちるころ、預言が成就すると約束されていました。八十年目になってとかではないのです。七十年が「満ちるころ」、神は行動を起こされたわけです。七十年目に差し掛かったころではなく、「満ちるころ」でした。

 新城教会において二〇二〇年は、宣教七十年という節目の年でした。そして十二月は、七十年が満ちる月でもあります。
 それで先々週から一週間にわたって、「七十年が満ちる頃祈祷会」という祈祷会がなされました。大変恵まれました。一週間にわたって、毎朝六時から七時まで、早天祈祷会が行われました。夜は「七十年が満ちる夜、被造物と一緒に賛美し祈る」プログラムが持たれました。いろいろな場所に行って賛美したり、祈ることができました。私もその一部に参加させていただき、たいへん恵まれました。

 イエスさまがこの地上に来てくださったのは、何の目的であったのか?
聖書は究極的な目的について、「そこで子たちは皆、血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これはその死によって、悪魔という死の力を持つものを滅ぼし、一生涯、死の恐怖に繋がれて奴隷となった人々を解放してくださるためでした。」と告げています。

 イエスさまは肉体を持っている私たちのために、同じように肉体をまとって下さったのです。それは肉体を持っている者たちは、死に支配されるからです。私たちはやがて、この地上から出て行かなければならない運命です。
 先週一つ悲しいことがありました。私たちと共に礼拝を守っていた、N.S.兄弟が、天に登って行かれました。五十歳でした。彼が五十年生きたのは、奇跡的だと言われます。一歳の時に、悪性の脳腫瘍を患って、生きることができないと言われたそうです。しかしその時、家族は京都の教会に行くようになり、教会がN.S.さんのために、真剣に祈ってくれたそうです。その結果、病は癒されて、五十年生きることができました。彼が病気になったことによって、家族全員がクリスチャンになり、妹のMさんは、M.K.くんと結婚して家族ができています。もしも彼が一歳の時に亡くなっていたら、K家に新しい命は現れることはなかったはずです。あの時に癒やされたのは、まさに、この時のためでもあったのです。彼は五十年の人生を閉じて、天に帰って行かれました。

 しかし人生は、この地上で終わりではないのです。永遠に続くものです。やがて人は地上に肉体を持ってよみがえり、永遠に過ごすことができるのです。死によって滅びる肉体を回復し、永遠のいのちを与えるため、イエスさまは地上に生まれてくださったのです。

 前回もお話ししましたけれど、イエスさまの誕生を、宇宙規模で考えると、なにゆえ神は、そこまで人類にされたのか、理解できません。
 復習になりますが、私たちが住んでいる地球は、銀河宇宙の中の、太陽系の惑星の一つ「地球」です。

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この地球に、創造主が人となって来られたわけです。天地宇宙を造られた神が、わざわざ人となって、地球に来てくださったのは、私たちにとっては、たいへんありがたい話ではありますが、なんとも、すごいことだと思いませんか。

 銀河宇宙のような宇宙が、大宇宙空間には「二兆個」は存在するというのです。

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銀河宇宙内だけでも、太陽のような光を発する恒星が「一千億個」ぐらい存在するそうです。惑星も入れたら二千億個以上、銀河宇宙に星々が存在するというのです。そんな星雲が、二兆以上あるというのですから気が遠くなります。今後も、さらに数は増えるだろうと言われます。何故に神さまは、これだけ多くの星々を造られたのか、不思議に思います。兆を越えて、京(けい)以上の単位で星々は存在することでしょう。それはただ単なる、地球から見て「きれいだな」という、イルミネーションではないはずです。背後に大きな神秘と目的があるはずです。
 この膨大な量の星の中で、それも、なんとも小さな惑星である地球に住む人類のために、神が人となって来られたということは、途方もない目的と意味を含んでいるはずです。何の意味もなかったら、絶対にあり得ないです。

 なぜなら、人は全被造物の管理人だからです。人が被造物の管理人として、神の計画通りに働くならば、広大な宇宙は、秩序正しく神の目的通りに運行します。しかし管理人である人が道を外すと、被造世界は神の目的から外れて混乱するのです。そして人類は、目的から外れ、宇宙は死の世界に化したのです。しかしもう一度、人類の使命を回復させるために、神が人となられて、管理人が住む地球にお生まれになったのです。

 神が人となられた時、様々なことが明らかにされました。その一つが、星々の領域の神秘でした。
 旧約聖書に、こんなことばが記されています。申命記四章十九節、

『また、天に目を上げて、日、月、星の天の万象を見るとき、魅せられてそれらを拝み、それらに仕えないようにしなさい。それらのものは、あなたの神、主が全天下の国々の民に分け与えられたものである。』

 人類が古くから最も興味を持った領域、それが星々の世界に関する事でした。一般人には何の得にもならないと思うのですが、日本は小さな惑星に、「はやぶさ」という探査機を送って、星屑の塵を拾って、先日も喜んでいました。
 皆さん、どうですか。あの星屑の塵、欲しいですか。私は要りません。しかしなぜ興味を持つのでしょうか。それは人が大宇宙の管理人だからです。神から管理権が与えられている、唯一の存在だからです。
 特に、星々の世界は、管理しなければならない重要な領域なのです。

 神が申命記で語られたのは、「星々に仕えてはならない」と言う事でした。「仕える」とは、人格的な存在でなければ、仕えることはできません。無機質な石や金属に仕えるのは不可解です。何らかの人格を持った存在ならば、仕える事が出来ます。仕えるとは、「奴隷になる」という意味です。聖書は「天体の奴隷になってはいけない!」と警告しています。

 そして、最後に不思議なことばが述べられています。天の星々は、「あらゆる民に分け与えられたもの。」と言うのです。
 ということは、私たちも天下のあらゆる民の一人に含まれますから、広大な宇宙に散りばめられている星々のいくつかは、私たちの資産であることになります。

 現代人が最も頭の良い存在だという考えは、進化論的であり、おごりたかぶりにしか過ぎません。神が創造された人類の原点に近ければ近いほど、人は劣化していないというか、霊的感覚も、被造物に対する感覚もシャープであったはずです。そんな彼らが、一つのことを発見したのです。
 それは、星々と地上で起こるさまざまな事象が「関連している」という事実です。地上で起きる天変地異とか、ひいては人生さえも、星々と関連しているということです。古代の人たちは星を見ながら、その情報を汲み取ったわけです。
 前回も紹介しましたが、戦後のドイツの神学者の、エーリッヒ・ザウアーという神学者が「世界の救いの聡明」という本を書いて有名になりました。その一節に、

 “天使たちと星たちの間には、ただ形容詞的な比較ばかりではなく、その詳細のことは我々にまだ知らされてはいないが、ある事実的、実際的な関連があることを聖書は証明している。”

 聖書をよく読むと、星々という表現は、ただ単なる詩的な、または比喩的表現ではないと言うのです。天使たち、天の軍勢と「現実的に」関連しているというわけです。ちょっと漫画チックに表現すると、こんな感じじゃないでしょうか。

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 私たちは星々を見るならば、ただ光る物体が空間にぶら下がっているように思うかもしれないけれど、そうではなく、そこには天使たちが蠢いているというわけです。

 天使たちは、どのような役割かというと、「天の星々と軍勢は、人々に仕えるナビゲーションシステム」のようであると考えられます。み使いたちとは、我々が仕える存在ではなく、彼らが我々に仕えるのです。
 ヘブル人への手紙一章十四節、

『御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。』

 人類が天の星々、すなわち天の軍勢を従えて、被造物全体を管理するなら、神のみこころは、全宇宙に現れされるのです。
 それを示すかのように、イエスさまの誕生と星々には、大きな関連がありました。
 クリスマスはイエスさまの誕生日ではありません。イエスさまの誕生を「記念する日」です。今週、是非ともクリスマスコンサートに出ていただきたいと思います。イエスさまの誕生を記念するコンサートです。配信で行います。今年は無料です。すでに配信の素材を見ました。すばらしいです。全曲クリスマスソングです。すごいシンガーたちが歌ってくれます。是非とも、お友達にも紹介していただきたいと思います。イエスさまのお生まれは今、世界中で祝われています。

 イエスさまがお生まれになったとき、天にサインが現れました。
 東から博士たちがやって来て、ヘロデ王に尋ねました。「ユダヤで王が生まれたみたいですが、どこにおられますか?」
 当時の王はヘロデでしたが、新しい王の誕生を尋ねたわけです。ヘロデは動揺しました。それはどっきりですよね。「自分以外の王が生まれたのか!」です。同時に、その地域の住民もその事を聞いて、平安を失い、ひどく動揺しました。
 どうして動揺したのか、それは「東のほうで星が上るのを見た」という一言でした。今日の人たちが聞いても、誰も動揺しません。
 当時の人たちはなぜ動揺したのでしょうか。当時の人たちには共通の世界観がありました。それは、「王の誕生時には、特別な星が上る」というものでした。人々は、人生は星々とつながっていると理解していたのです。
 すべての人がそのように信じていたのです。調べてみますと、中世くらいまでは、星々が人生に深い関わりがあると、どの宗教の人たちも、堅く信じていたそうです。特に、イエスさまの時代は占星術最盛期でした。だから動揺したわけです。
 しかし地動説が確認されてからは、その考えは否定され、片隅に追いやられました(古代の占星術と現代の占星術とは別物です)。
 実際、イエスさまが誕生した際、特別な星が現れました。

 明日は十二月二十一日「冬至」です。冬至とは、昼間が一年の中で最も短く、夜が長い日です。明日から、昼間がだんだんと長くなります。そのような意味で、特別な日ですけれど、今年は、さらに特別な日です。
 なぜかと言うと、夕方、南西の空に土星と木星が重なって見えるからです。すでに天体ショーが始まっています。もしかすると、これはイエスさまが生まれた時の光景、もしくは、ベツレヘムに現れた星かもしれないとも言われます。
 ヨハネス・ケプラーという天文学者で望遠鏡を発明した人物が、ベツレヘムの星を研究して、木星と土星の三連会合が起こったのではないかと述べています。

 ディスカバーチャンネルの「聖書三賢者の謎」という番組で、マイケル・R・モルナーという博士が、古代の星座がどんな動きをしていたのかを、シュミレーションソフトを使って再現していました。そうしたら、紀元前六年の四月十七日の東の空に、牡羊座の中に木星が明けの明星のように現れました。これはイエスさまの誕生日ではないかと述べていました。再びシミュレーションソフトを使って紀元前六年の十二月の星空を探ると、木星が牡羊座から先に離れて、また戻るという不思議な動きをしたのです。それは紀元前六年十二月十九日でした。それが、ベツレヘムの星ではないかと推測していました。明日は八百年ぶりの天体ショーだそうです。

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 土星って、本当に小さくしか見えないです。下に見えるのが木星です。明日はこれが接近します。それで光が強くなるらしいです。別に星がぶつかるわけではなく、地球から見ると重なったように見えるだけです。そんな天体ショーが二十一日の夜です。それも、冬至の日に重なって起こるというわけです。

 天にサインが現れるとは、聖書が述べているところです。もしかすると二〇二〇年十二月の夜空、何らかの天からのサインかもしれません。もちろん、それは推測ですが、ベツレヘムの星に関しても諸説あります。しかしクリスマスに、天にサインが現れたことは確かです。
 星々の背後に、天使や天の軍勢が蠢いています。それは人に仕えるための存在です。しかし人がそれらに仕えたら、逆に、悪魔に乗っ取られて星々の世界から悪しき影響を受けるのです。

 人生には、二種類のナビゲーションシステムがあります。どちらのシステムを選ぶかにより、人生は変わります。
 イスラエルがなぜ、バビロンに捕囚されたのか、それは荒野で土星を神として拝んでいたからでした。ゆえに、神の怒りに触れてバビロンにまで移されることが決定したのです。
 土星とは、十五億キロも離れた星です。今、見えている土星は豆粒にしか見えません。これを拝んだだけで、バビロンまですっ飛ばされるとは、信じられません。
 それは人類に神が与えたナビゲーションシステムが関わっているからです。私たちが天の軍勢を支配下におき、神のために働くならば、将来と希望に向かいます。その逆なら、イスラエルがそうであったように、捕囚の道です。
 しかしそのような人類の敗北を勝ち取るために、主イエスがこの地に生まれてくださったのです。

 先々週、私は「七十年が満ちる頃、祈祷会」に期待していました。なぜなら、その中で家内にも、勝利が現されるとように祈っていたからです。
 去年、家内は、「後、三ヶ月、四ヶ月の命です。」と宣告されました。昨年の今頃は、どう治療していいのかわからない時期でした。私は病身の家内を車に乗せて、夕刻でしたが一五一号線を東から西に向かって走っていました。すると家内が、「あっ!十字架が見える!」と叫びました。「十字架?どこに見えるの?」と聞きました。私には全く見えませんでした。後で分かったのですが、家内が見たのは「宵の明星」でした。ちょうど西の空に、宵の明星と呼ばれる金星が出ていました。それが十字架に見えたというのです。私にとっては、にじんだ星にしか見えませんでした。
 それで孫たちを連れて来て見せたら、孫たちも「十字架に見える」と言うのです。神さまが、星空にサインを与えてくださったような気がしました。
 しかし家内の病状は思わしくなく、たぶん二月か、三月には葬式になるだろうと覚悟していました。しかし不思議なことが起きました。神が彼女に直接、触れてくださいました。
 家内が主からいただいたみことばが、『神に従い、悪魔に立ち向かえ!そうしたら悪魔は逃げ去る。』ということばです。そして真剣に祈るようになりました。また、教会あげて祈ってくださいました。

 先週は、家内と娘と一緒に、先日撮ったCTの結果を聞きに病院に行きました。また、血液検査もありました。最近、腫瘍マーカーが少しずつ上がっていたので「一年も薬を飲んでいるから、もう薬が効かなくなったのでしょう。次の治療を考えないとね・・。」と言われて、本当に心が暗かったです。「CTを撮ったら、はっきり分かりますから。」と言われました。
 しかし今回、医者がCTの結果を見て、「滝元さん!すばらしいことが起こっていますよ!」と言うのです。癌細胞は壊れても、それを支えているものはなくならないと言われていましたが、それが縮んでいたようです。「滝元さんには次から次へと信じられないことばかりが起きて、何かあるのかなぁと、感じるようになりました。」と言われました。
 去年、天にしるしを見せてくださった頃から、主が新しいことを始めてくださっている気がしてならないです。
 そして明日もまた、天にしるしが現れます。ちょっと期待しています。私たちが被造物の管理人として、悪魔に取られたナビを取り戻して、すべての被造物が主を賛美するように命じるなら、全宇宙が変化するはずです。

 東の博士たちは星々を礼拝する占星術者でした。彼らは星ナビを操作して、イエスさまと家族にまで会いました。
 マタイの福音書二章九節、

『星が彼らの先に立って進み、ついに幼子のいる所まで来て、その上にとどまった。』

 ピンポイントです。千数百キロ離れた所で星を見つけて、星ナビを使って、イエスさまが住んでいる家にまで到達したのです。博士たちは、『この上なく喜んだ。』と記されています。そりゃぁそうでしょう。家まで特定したわけですから。今日の技術をもっても難しいことを、やってのけたわけです。
 しかしナビが悪魔に取られていた為に、その後、二歳以下の子どもたちが皆殺しにされました。イエスさまに刺客が送られたということです。ナビが奪われていた証拠です。

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 イエスさまがこの地上に来てくださった目的の一つは、悪魔に奪われた天の星々システムを奪い返すためでもありました。
 前回も紹介しましたが、ある神学者がこう記していました。

“人間はその他の被造物から切り離された存在ではなく、本来宇宙全体と繋がっているのである。神の働きに参画する時、人間は決して他の被造物を無視することはできず、罪によって破壊された全宇宙をその愛によってつなぎ合わせ、被造物が恵みによって再び美しく輝くように主と共に働くのである。”

 ローマ書八章を見ますと、すべての被造物を越えて、神は人類に愛を表してくださっていると告げています。『どんな被造物も私たちを主キリストイエスにある神の愛から引き離すことは出来ない。』と記しています。神は人類に、すごい愛を表してくださっています。
 私たちが「神に愛されている」と喜んで、その愛を独り占めしたら、それは罪です。人は管理人ですから、神さまの大きな愛を受けて、その愛をすべての被造物に表す必要があります。
 コロサイ人への手紙の一章十九〜二十節に、

『なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。』

 神はイエスさまを通して、すべての被造物との和解を宣言してくださいました。神は人類に全幅の愛を傾けて下さいました。人類が神からの愛を受け取って、被造物に向かうならば、宇宙全体が回復していくことでしょう。だから悪魔も真剣になって、人類に星々を礼拝させ、回復を阻止したいわけです。
 しかしイエスさまが現れた時に、星々の間に巣を作っていた暗闇の力が見破られ、星々の間から天の軍勢が解き放たれて、救い主が生まれたことを告げたのです。
 明日は、イエスさまがベツレヘムにおられた頃の空模様、星模様が、再現される夜かもしれません。七十年が満ちたこの時に、私たちはさらに深く神の愛を感じるとともに、星々に仕え続けている人類の罪を悔い改めて、被造物全体の管理人として、星々に向かって「主を賛美しろ!」と宣言しましょう。その時、大きな扉が開かれる事を期待します。

 二〇二〇年、様々なことがありました。ゆえに特別なクリスマスではないかと考えています。皆さんの上に大きな祝福がありますように。
 最後に一言お祈りさせていただいて、メッセージを終わりにします。

 ハレルヤ、天の父なる神さま。み名をあがめます。今年は天に、特別なサインが表れているクリスマスのような気がします。この教会において七十年が満ちる年でもあり、月でもあります。主よ、新しい扉を開いてください。神のみ心である被造物全体が主を賛美する時が早く来ますように。主よ、私たちの所に一刻も早く帰って来てください。

 今、目の前にあるパンとぶどうのジュースを祝福します。神の愛によって祝福します。みことばと聖霊によって、いのちのパンとなりますように。新しい契約の血となりますように。イエスさま、あなたのお帰りを待ち望みます。一刻も早くこの地に帰って来てください。
 この時にこそ、新しい扉を開いてください。尊いイエス・キリストのみ名によって祝福して祈ります。アーメン。