「あなたのその力で行きなさい」

2020年12月27日(日)
新城教会牧師 上條実
士師記6章11〜16節

『さて主の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下にすわった。このとき、ヨアシュの子ギデオンはミデヤン人からのがれて、酒ぶねの中で小麦を打っていた。主の使いが彼に現れて言った。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」ギデオンはその御使いに言った。「ああ、主よ。もし主が私たちといっしょにおられるなら、なぜこれらのことがみな、私たちに起こったのでしょうか。私たちの先祖たちが、『主は私たちをエジプトから上らせたではないか』と言って、私たちに話したあの驚くべきみわざはみな、どこにありますか。今、主は私たちを捨てて、ミデヤン人の手に渡されました。」すると、主は彼に向かって仰せられた。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」ギデオンは言った。「ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存じのように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。」主はギデオンに仰せられた。「わたしはあなたといっしょにいる。だからあなたはひとりを打ち殺すようにミデヤン人を打ち殺そう。」』

ハレルヤ!今日皆さんの前に立ってみことばを語ることができることを心から感謝します。私の手術の為にお祈り下さり心から感謝します。また私の家族のためにもお祈り下さり感謝します。本日の週報に掲載されておりますが、大阪の病院で入院されておりましたS姉が二十四日天に召されました。その前週には療養しておりました息子さんのN兄が召されました。是非ご家族の為にお祈り下さい。明日の十一時から彼女の母教会である、京都福音教会という教会で召天式があります。是非覚えて祈っていただければ幸いです。

まだ今日私もここに立たせていただけることを心から感謝します。手術して二か月半であり、まだ完ぺきではありませんが、第一、第二礼拝。またお昼からとご奉仕ができるまでに回復して来たことを心から感謝します。去年の十月一日に以前お話ししましたように突然、脳梗塞にて力が入らなくなり、ろれつも回らなくなり、救急車を呼んでもらい豊川市民病院に搬送されました。病院に到着するころには、以前もお証しさせていただきましたが、賛美の中で癒やされ、念のために四日間入院し、何の後遺症もなく退院することができました。その時様々な検査をしましたが、退院時に担当して下さった主治医の先生が「上條さん。脳梗塞のほうは、血圧を上げないように気を付けて下さい。」と言われたのですが、その時「他の病気が見つかりまして。」と言われました。それは

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図の上のほうに上行大動脈という所があります。心臓のすぐ上の所ですが、その上行大動脈が肥大しているので退院時に心臓血管外来のほうに行ってくださいと言われました。なんの自覚症状もありませんでしたので本当に驚きました。心臓血管外来に受診したところ、普通成人男性は三〇ミリあるそうですが、私は五六ミリになっているそうです。医者が「なんか症状はありますか?」と聞かれたものですから、私は何も症状がないものですから、逆に「先生、これはどういうような症状が現れるんですか?」と聞きましたら、「いや、症状はありません。症状が出た時には亡くなっている時ですね。」と言われました。
「六〇ミリぐらいになったら手術ですよ。」と言われ、ひとまず経過観察となりました。その後八月にもう一度、MRIなど検査しました。すると五六ミリから五九ミリに大きくなっていました。結果を見て主治医が「これは早く手術した方がいいですよ」と言われました。私は「どんな手術なんですか?」と聞くと、「あぁ、簡単な手術です。」と言われました。「二週間ぐらいで退院できますから」というようなことを言われました。
しかし一人では決められないので、「家族で相談してきます。」ということで、話を持ち帰り、家族と相談しました。すると次男が、「親父、最近俺が親しくしてもらっていた方が、突然血管が破裂して亡くなったぞ。破裂したり乖離したら本当に大変なんで、早く手術したほうがいいぞ。」と言うんですね。また家内のこともあって、家内の実家の方にも電話しましたら、「これからも家内のことを面倒見てもらうためには、早く手術して直した方がいいよ。」と言われました。でも私ね、今回手術の事で、すごく考えたんですね。それはこの新城教会が七十周年を迎えるということで、七十年が満ちる頃、将来と希望が与えられるという約束もありましたし、また順牧師の奥さんの証しを聞いていて、私も本当に励まされ、自分も神の奇跡があるから、神さまに頼った方が良いのではないか?
私が今手術を受けていいのだろうか?とすごく葛藤がありました。そういう思いがありまして、医者のところに行った時に、「先生。三ヶ月だけ経過観察してくださいませんか?」と頼みました。
その三ヶ月と言ったのは、私その間に必死に祈り込んで主に触れていただいて癒していただけたらという思いで言ったのですが、いとも簡単に否定されました。「それは早くしたほうがいいですよ。」と。「風船でも膨らましたらそれは元に戻らないと同じように、もう絶対元に戻らないので、手術した方が良い。血管が破裂したり、乖離したりしたら周りに迷惑をかけるし、命が亡くなったら大変ですよ。」と言われて、「すぐに手術しましょう。」と、医師に勧められ、私も信仰が弱い者ですから、「では手術お願いします。」ということで、お願いしました。しかし家内のこともありましたので、家族と相談して、家内が通院している病院で手術を受けました。

十月十三日に手術を受けました。どんな手術になるかという事を主治医から説明を受けました。「簡単ですよ」言われていましたが、説明を聞けば聞くほど暗くなりました。十月十三日、火曜日だったんですが、午後からの手術でした。「六〜七時間の手術です」と言われたのですが、午前中からとても緊張していました。そしたら私の家族や兄弟たちが集まって来てくれて、祈ってくれました。私のすぐ上の望という兄が、手術前に来てくれました。すると看護師さんがこう言うんですね。「上條さん、お父さんが来られましたよ。」と言いました。「うん?親父は死んだけど・・・・?」と思っていたら、兄は「あの看護師俺の頭を見てお前の「お父さん」と言った!(笑)」そんなことで私の緊張が解け、心が癒されて、手術台に向かいました。
手術は八時間かかりました。あまり詳しく話せませんけども、どういう手術をしたかということだけ皆さんにお知らせします。

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これは皆さん分かるように、胸骨です。胸骨の上から下まで切りました。そして胸を開けて手術をしました。普通、心臓には血が通っているので、それを切ったら出血してしまいますので、人工心肺の装置を使い、いったん心臓の動きを止めてですね、そして手術をしました。
そして脳に行く血管を守ったり、臓器保護のためにということで私の体を二十度程に下げて手術したそうです。そして膨らんでしまった血管を切り取り、そこに人工血管を縫い、再度心臓を動かしたという事です。術後、集中治療室に入れられました。その集中治療室で一週間以上いました。あまり見たくないかもしれませんが、私の傷跡をお見せしたいと思います。

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お見苦しい写真をお見せしましたが、皆さんのお祈りに支えられて、八時間で手術に耐えて、今このように立てて皆さんの前に立ってみことばを語ることができるように回復しましたことを心から本当に感謝します。
 
集中治療室に入って毎日が苦しい日々でした。せん妄があったみたいですが、私あんまり覚えてないのです。せん妄とはご存じの方が多いと思いますが、

[せん妄]
せん妄とは、場所や時間を認識する“見当識”や覚醒レベルに異常が生じ、幻覚・妄想などにとらわれて興奮、錯乱、活動性の低下といった情緒や気分の異常が突然引き起こされる精神機能の障害です。夕方や夜間にかけて発生することが多く、大半は数日以内で改善していきますが、昏睡状態に陥ったり、死に至ったりするケースもあります。また、錯乱状態に陥ることによる転倒や、治療に必要な点滴の自己抜去などさまざまなトラブルを引き起こすことも特徴です。せん妄の原因はさまざまであり、多くは高齢者が発症します。一方で、手術や入院など通常とは異なる状況に置かれると若い方が発症するケースもあります。

手術後せん妄が出ました。私は集中治療室にお見舞いに来てくださった方々は失礼ながらほとんど覚えていません。不思議ですがリバイバルミッションで今、コロナウイルスの為にリモートで様々な映像を配信しています。そのためか、私はせん妄で、私の手術のドキュメンタリーの映像を録画していると思っていました。田中進先生とその教会員、また妹の岩井道子とか、本当に彼らの声が聞こえるんです。そして「こういう映像撮ったらいい。ああしたらいい。」とみんなで話しているんです。私は、彼らが私の所に顔を出すだろうと思っていましたが、全く顔を出さないので、「なんで顔を見せないのかなぁ。」と思っていました。他にも、夜寝ようとすると、ある親子が現れました。子どもは男の子でしたが、男の子とお母さんが出てきて、子どもがベッドで苦しんでいるんです。なぜか知らないですけど、その時、「あぁ沖縄の親子だ。」って思ったんですね。そして沖縄が祝福されるように、また沖縄は第二次世界大戦の時大変な苦しいところを通り、傷を受けたので、「沖縄のためにとりなししなければいけない。」と思って、必死に沖縄の為に祈っていました。「主よ、沖縄を祝福してください。沖縄の傷を癒やしてください。」そのような祈りをするとその映像がすーっと消えていくんですね。でも少しまた寝て起きると、またその映像が見えて祈る。何ども沖縄のために祈らされました。
数日して少しずつせん妄からも解放され、やっと集中治療室から一般病棟に変わることができ、十日目にやっとシャワーを浴びていいと言われました。その時嬉しかったですね。人生で十日間もお風呂に入らなかったことなんてなかったものですから、もう嬉しくて、すぐにシャワーを浴びました。でも自分の体ではありませんでした。頭洗うだけで、疲れ果てて少し休み、また体洗うだけで、一回一回休まなければできないほど、本当に疲れ果て、結局三十分以上かかりました。自分の体力がなくなった事を痛感しながらシャワーを浴びました。十六日間入院していましたが、やっと退院することができ、今は少しずつ体力がついてきています。しかしまだ咳やくしゃみをすると痛みを感じます。二ヶ月半経ちました。ここまで守られて感謝します。お祈り頂き、またある方はお見舞いに来て頂き本当に心から感謝したします。

手術も終わり、少し落ち着いてくると様々なことを考えました。「手術してよかったのだろうか?」「自分は牧師として癒しを信じて語ってきたし、祈ってきた。しかし癒されずに手術した。このまま牧師を続けてもよいだろうか」「主の栄光から反している」など様々なことを考え、霊的に苦しい時間を持ちました。
これは牧師を辞めなければいけないだろうと、そんなことまで考えたことがありました。
そんなある日祈っている時に、ふと主から二か所、聖書のみことばを教えていただきました。
一つは、それは先ほど読んでいただきましたギデオンの記事です。もう皆さんギデオンをご存じだと思いますが、士師記に書かれている人物です。このギデオンは、ミデヤン人の十三万五千人の兵と戦い、圧倒的な勝利を獲た人物です。イスラエルの民を救った人物です。主が選ばれたイスラエルの素晴らしい勇士を主が選んだと言うと、そうではなくて彼は、士師記六章十一節

『さて【主】の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下にすわった。このとき、ヨアシュの子ギデオンはミデヤン人からのがれて、酒ぶねの中で小麦を打っていた。』

とあります。選ばれたギデオンはミデヤン人からのがれて、酒ぶねの中で小麦を打っていたとあります。彼はミデヤン人から逃れ、隠れて酒ぶねの中で、自分が食べるために、小麦を打っていた人です。イスラエルの代表というよりも、ミデヤン人から隠れて自分の事しか考えていなかった人です。主はそのようなギデオンを選びました。士師記六章十三節

『ギデオンはその御使いに言った。「ああ、主よ。もし【主】が私たちといっしょにおられるなら、なぜこれらのことがみな、私たちに起こったのでしょうか。私たちの先祖たちが、『【主】は私たちをエジプトから上らせたではないか』と言って、私たちに話したあの驚くべきみわざはみな、どこにありますか。今、【主】は私たちを捨てて、ミデヤン人の手に渡されました。』

ギデオンは主の使いに出エジプトの時は確かにイスラエル守って下さった。しかし今はどうだ、主は私たちイスラエルの民を捨ててミデヤン人に渡してしまい、なにも助けてくれないと主につぶやきました。ギデオンは今は主は生きていない。出エジプトの時はイスラエルを助けたが、今は力のない神だと言ったのです。しかしここで主の使いではなく主が直接語ったと聖書で見て取れます。士師記六章十四節

『すると、【主】は彼に向かって仰せられた。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」』

主は隠れて自分の小麦を打っていたギデオンに「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」
と言いました。あなたのその力で行きなさいと主が言われたのです。しかしなおもギデオンは士師記六章十五節

『ギデオンは言った。「ああ、主よ。私にどのようにしてイスラエルを救うことができましょう。ご存じのように、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。」』

自分は弱く、私の分団はマナセのうちで最も弱く、私は父の家で一番若いのです。と自分は何もできないと主に訴えています。士師記六章十六節

『【主】はギデオンに仰せられた。「わたしはあなたといっしょにいる。だからあなたはひとりを打ち殺すようにミデヤン人を打ち殺そう。」』

あの出エジプトをしたときにともにいた主が、ギデオンと一緒にいる。だからあなたはひとりを打ち殺すようにミデヤン人を打ち殺そう。と語って下さっています。ギデオンは自分のその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。と言われて大軍十三万五千人の兵と戦いました。
隠れていた勇士でもないギデオンを主は選ばれ、イスラエルのトップに主が任命されました。ギデオンはどんな戦いをしたかと言うと、当時イスラエルの民は、三万二千の兵がいたとあります。しかし士師記七章三節

『今、民に聞こえるように告げ、『恐れ、おののく者はみな帰りなさい。ギルアデ山から離れなさい』と言え。」すると、民のうちから二万二千人が帰って行き、一万人が残った。』

とあります。そしてまた士師記七章四節~七節

『すると、【主】はギデオンに仰せられた。「民はまだ多すぎる。彼らを連れて水のところに下って行け。わたしはそこで、あなたのために彼らをためそう。わたしがあなたに、『この者はあなたといっしょに行かなければならない』と言うなら、その者は、あなたといっしょに行かなければならない。またわたしがあなたに、『この者はあなたといっしょに行ってはならない』と言う者はだれも、行ってはならない。」そこでギデオンは民を連れて、水のところに下って行った。すると、【主】はギデオンに仰せられた。「犬がなめるように、舌で水をなめる者は残らず別にしておき、また、ひざをついて飲む者も残らずそうせよ。」そのとき、口に手を当てて水をなめた者の数は三百人であった。残りの民はみな、ひざをついて水を飲んだ。そこで【主】はギデオンに仰せられた。「手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す。残りの民はみな、それぞれ自分の家に帰らせよ。」』

兵たちに水を飲ませ、犬がなめるように、舌で水をなめる者は帰らせ、手で水をすくって飲む者三百人で戦えと主は語りました。十三万五千人のミデヤン人に対し、たった三百人で戦って、士師記七章二十二節~二十五節

『三百人が角笛を吹き鳴らしている間に、【主】は、陣営の全面にわたって、同士打ちが起こるようにされた。それで陣営はツェレラのほうのベテ・ハシタや、タバテの近くのアベル・メホラの端まで逃げた。イスラエル人はナフタリと、アシェルと、全マナセから呼び集められ、彼らはミデヤン人を追撃した。ついで、ギデオンはエフライムの山地全域に使者を送って言った。「降りて来て、ミデヤン人を攻めなさい。ベテ・バラまでの流れと、ヨルダン川を攻め取りなさい。」そこでエフライム人はみな呼び集められ、彼らはベテ・バラまでの流れと、ヨルダン川を攻め取った。また彼らはミデヤン人のふたりの首長オレブとゼエブを捕らえ、オレブをオレブの岩で、ゼエブをゼエブの酒ぶねで殺し、こうしてミデヤン人を追撃した。彼らはヨルダン川の向こう側にいたギデオンのところに、オレブとゼエブの首を持って行った。』

勝利を取りました。士師記六章十四節

『すると、【主】は彼に向かって仰せられた。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」』

隠れていたギデオンが「あなたのその力で行け」と言われて出て行ったとき勝利を勝ち取りました。酒ぶねで自分の小麦を打っていた、隠れていたようなギデオンを用いる神です。主は私にあなたが戦うのではない。主が戦われる。「自分は自分でいいんだ。たとえ祈っても癒されなかった者。私のようなものでも、こんな自分でも、主がともにいてくださったら用いてくださる。」と教えられました。

もう一つ、私に語ってくださったみことばがありました。第一サムエル十七章四節~七節

『ときに、ペリシテ人の陣営から、ひとりの代表戦士が出て来た。その名はゴリヤテ、ガテの生まれで、その背の高さは六キュビト半。頭には青銅のかぶとをかぶり、身にはうろことじのよろいを着けていた。よろいの重さは青銅で五千シェケル。足には青銅のすね当て、背中には青銅の投げ槍。槍の柄は機織りの巻き棒のようであり、槍の穂先は、鉄で六百シェケル。盾持ちが彼の先を歩いていた。』

ゴリヤテという六キュビト半身長があったと書いてあります。今のセンチメートルに直すと二メートル九十センチの大男です。そのゴリヤテが出てきて、Ⅰサムエル記十七章八節~九節

「ゴリヤテは立って、イスラエル人の陣に向かって叫んで言った。「おまえらは、なぜ、並んで出て来たのか。おれはペリシテ人だし、おまえらはサウルの奴隷ではないのか。ひとりを選んで、おれのところによこせ。おれと勝負して勝ち、おれを打ち殺すなら、おれたちはおまえらの奴隷となる。もし、おれが勝って、そいつを殺せば、おまえらがおれたちの奴隷となり、おれたちに仕えるのだ。」』

一対一で戦おうと、ゴリヤテは行ってきます。しかしイスラエルの兵は誰も「自分が戦う」という人がいませんでした。ダビデはベツレヘムのエッサイの息子で、長男エリアブ、次男アビナダブ、三男シャマが戦いに出ており、ダビデは八人兄弟の末息子で羊の番をしていました。父エッサイが兄さんたちの安否を調べなさい。そしてしるしを持って来なさいとダビデを遣わせました。ダビデは戦場に行き、イスラエルの人たちが主を忘れて怯えてしまっているのを見ました。Ⅰサムエル十七章三十四節~三十七節ダビデはサウル王と直に話しをし、

『ダビデはサウルに言った。「しもべは、父のために羊の群れを飼っています。獅子や、熊が来て、群れの羊を取って行くと、私はそのあとを追って出て、それを殺し、その口から羊を救い出します。それが私に襲いかかるときは、そのひげをつかんで打ち殺しています。このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから。」
ついで、ダビデは言った。「獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった【主】は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。」サウルはダビデに言った。「行きなさい。【主】があなたとともにおられるように。」

ダビデはイスラエルの代表戦士としてゴリヤテと戦う事となりました。普通ではありえません。ダビデは兵士でもなく、当時は数にも入らない羊飼いでした。Ⅰサムエル十七章三十八節~四十節

『サウルはダビデに自分のよろいかぶとを着させた。頭には青銅のかぶとをかぶらせ、身にはよろいを着けさせた。ダビデは、そのよろいの上に、サウルの剣を帯び、思い切って歩いてみた。慣れていなかったからである。それから、ダビデはサウルに言った。「こんなものを着けては、歩くこともできません。慣れていないからです。」ダビデはそれを脱ぎ、自分の杖を手に取り、川から五つのなめらかな石を選んできて、それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にして、あのペリシテ人に近づいた。』

サウル王が使っているよろいかぶとを着、頭には青銅のかぶとをかぶり、身にはよろいを着た。ダビデは、そのよろいの上に、サウルの剣を帯びて思い切って歩いてみた。しかし
慣れていないため歩くことさえできなかった。そのためいつも仕事で使う自分の杖を手に取り、川から五つのなめらかな石を選んできて、それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にしてゴリヤテの前に出て行きました。普段のままで出て行きました。そして
Ⅰサムエル十七章四十八節~五十節

『そのペリシテ人は、立ち上がり、ダビデを迎え撃とうと近づいて来た。ダビデもすばやく戦場を走って行き、ペリシテ人に立ち向かった。ダビデは袋の中に手を差し入れ、石を一つ取り、石投げでそれを放ち、ペリシテ人の額を打った。石は額に食い込み、彼はうつぶせに倒れた。こうしてダビデは、石投げと一つの石で、このペリシテ人に勝った。ダビデの手には、一振りの剣もなかったが、このペリシテ人を打ち殺してしまった。』

一つの石でゴリヤテを仕留めて、勝利を得ました。数にも入らない羊飼いの少年ダビデが一国を救ったのです。特別な道具、服装ではなく、普段のままで戦いました。ギデオンも隠れていて自分の小麦を打っていた人、ギデオンを主はつかわせ勝利を獲ました。またダビデも普段の格好でイスラエルを救いました。

今年で新城教会は七十年を迎えました。エレミヤ二十九章十節~十一節

『まことに、【主】はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』

七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たすという主からの約束です。そして平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだと語ってくださっています。七十年の満ちるころ、わたしの幸いな約束を果すと語って下さった主は誰を用いるのでしょうか?勇士ではありません。普段隠れているもの。数に入らないものが主の声に出て行き戦う時、国を救うことができます。

 私はその二つのみことばを教えられて、こんな私でも良かったら私を使ってくださいと再献身させていただきました。

「あなたのその力で行きなさい。」と言っています。主の声が聞こえませんか?主の声に従い、やれることを行う。それが七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして下さるという約束が成就する時です。平安を与える計画であり、私たちに将来と希望を与えて下さるのです。今日「あなたのその力で行きなさい。」そしてどこどこに行って戦いなさい。勝利を宣言しなさいという主の声を聞いて、やれることを主の為にさせて頂きましょう。
最後に続けて私のために祈ってください。体力がまだ完璧ではありません。医師からは「六ヶ月ぐらいで戻りますよ。」と言われていますけど、今日で二ヶ月半です。今日私は、「あなたのその力で行きなさい。」と語られて、皆さんに語りました。私も皆さんの為にお祈りさせていただきます。
「その力で行きなさい。」皆さんも出かけて行きましょう!これでみことばは終わりにさせて頂きます。ハレルヤ!