HOME > 2010年バックナンバー > 10月 > メッセージ2010年10月31日

「主は激しい流れのように来られる。」

2010.10.31(SUN)
新城教会副牧師 滝元 開

イザヤ書 59章19節
そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。

 今年3度目の賛美礼拝を行うことができ、皆さんと賛美し礼拝できる恵みを心から感謝します。また、今年は3人の副牧師もメッセージのローテーションの中に組み込まれ、まさかこんなに早いスパンで来るとは思ってもいなかった我々副牧師ですけれども、主の恵みの中で支えられて、今回もこのように御言葉が取り次ぐ機会が与えられたことを心から感謝します。

 今日与えられている御言葉をまずお読みします。
イザヤ書 59章19節、

そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。

 この御言葉を神様が今日ご用意くださったことを感謝します。この御言葉は、1992年の霊的戦いが始まった時に与えられた一つの御言葉で、よく賛美もしました。「主は激しい流れのように来られる♪」と。皆でリバイバルを待ち望み、激しく歌ったそんな思い出のある賛美であり、御言葉ですが、もう一度、今、神様が、私たちに語ってくださると信じています。

 皆さんのお祈りに支えられて、イスラエル・リバイバル・ツアーも無事に終えることが出来たことを心から感謝します。イスラエルまで行かせていただいた上、多くの方々がお祈りくださって支えてくださり本当に感謝しています。

 今年の1月1日に与えられた御言葉がこの御言葉でした。
詩篇26篇12節、

私の足は平らな所に立っています。私は、数々の集まりの中で、主をほめたたえましょう。

 この御言葉が1月1日の朝に与えられて、「今年、数々の場所で神様を賛美する機会を神様が備えてくださるのかな」という思いで今年が始まったのですが、今年は、いろいろな場所で賛美することがゆるされ、ここまで導かれていること、そして考えてもみなかったイスラエルにまで行かせていただいて、賛美させていただいて、心から感謝します。

 また、2010年の御言葉として与えられたのは、この御言葉です。
伝道者の書11章1節、

あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。

 これが、今年の御言葉として私に与えられたものです。与えられたパンを投げると、後の日になって必ずそれを見いだすことができるのだと、そんなことを信じて歌い続けて、それを水の上に投げ続ける時に、神様の大きな祝福が注がれることを信じています。

 今回、ガリラヤ湖上で賛美をしました。イエス様時代のボートと同じ船が作られており、イスラエル旅行に行かれた方はご存知だと思うんですけれども、その船を借りて沖に出て行きます。そこで、「あちらをご覧下さい。ゴラン高原です。」なんてことを言いながらいろいろ見ます。普通はガイドさんの説明やチャプレンから御言葉が語られたりするのですが、今回はそこに止めてしばらく賛美をするリクエストを出しておきました。そして、沖合まで出て、ガイドの方に「何分くらい賛美していいですか?」と聞いたら、「たっぷりしてください」とおっしゃってくださり、30分くらいでしたが、たっぷり賛美をすることになりました。本当に恵まれた賛美で、楽しい賛美でした。
 その船には船の操作をする方以外、私たちのチームだけでしたので、力いっぱい賛美して、イエス様の作られた大自然の上で、イエス様は湖の上を歩かれましたが、私たちはその船の上で、心から主を賛美する機会が与えられて感謝でした。
 賛美していく中で、聖霊様が働いてくださり、皆がその船の中で走り回って歌ったんですね。先ほども歌った「歌え、歌え、踊れ、踊れ♪」という歌を、今回行った11名ほとんどの方が船の上を走り回って歌っていました。
 その時、私はギターを弾きながらふと船の外を見ると、ボートの周りから波紋が出ていました。風が無く、波一つないガリラヤ湖だったのですが、そこに小さな波紋が出ている姿をみて、「イエス様ご自身の祝福というのは、こうして世界に広がっていくんだな」と感じました。
 今回、船に乗ったのがゲネサレという場所で、そしてカペナウムという所まで行きました。その間の距離はたった2キロです。そこを私たちは沖合まで出て行ったので、全部で1時間くらいだったのですが、ガイドさんが「イエス様が宣教の拠点とされたのは、この2キロの間です。」と言われました。とてものどかな田舎なのですが、たったこの2キロの範囲の中でイエス様が事を成して、もちろん「いろいろな町々村々に私は福音を伝えなければならない」と言って行かれましたけれども、そこが宣教の拠点だったわけです。
そして、イエス様がそこから選ばれたのは、その当時、そこで漁師をしていたペテロやヤコブやヨハネでした。「あなたを人間を獲る漁師にしよう」と、ど田舎のおじさんたちを12弟子に選ばれて福音宣教が始まりました。最初に始まったイエス様の宣教というのは、すごく小さなものであったのにも関わらず、今、この全世界にその祝福が溢れています。小さな福音の波紋が、今や全世界に及んでいるのです。
今、私たちは終わりの時代を迎えています。まもなくイエス様が来られようとしていますけれども、イエス様がこの最後の時代に起こそうとしておられるリバイバルは、必ず全世界を包むような大きな波紋となって行くんだということを、もう一度今回のイスラエル旅行を通して教えていただいたような気がしました。
 「主は激しい流れのように来られる」という、そんな激しいタイトルですけれども、今回イスラエルを巡って、なんだかリバイバルの目次を一つずつ見たような、そんな旅であったような気がします。

 そもそも今回イスラエルにザワメキで行かせていただくようになったのは、平岡先生が今年の冬に行かれて、とても感動して帰って来られました。「開、イスラエルはいいぞ」と一言言われたのですが、それを聞いただけで、鳥肌が立つような感動が伝わりました。
 そして、「開、おまえも行って来い」と言ってくださり、ザワメキで行かせてもらうことになり、実現に至りました。

 その後、信先生がカラー刷りのチラシを作ってくださいました。まず一枚目を5月くらいに作って、「みなさん来てください!一緒に行きましょう!」と言いましたが、誰も来ませんでした。そして、こりゃ駄目だ、ということで、数ヶ月後に2枚目のカラー刷りを出してくださったんですね。しかし、打てど響かずと言いますか、誰も来ません。本当に困りました。8月31日が締め切りだったので、本当に祈りました。実は、この夏はそのために夜中に起きると、「お〜、主よ、イスラエルに、主よ、あなたが選んでおられる方々を集めてください」と祈っていました。

 8月の中旬に一人の方がファックスを下さって、「私、イスラエル行きます」と連絡を下さったのが、第一号でした。そして、「私、行くよ」と言ってくださっていた人たちを全員集めて、結局、8月31日に集まったのが、7名でした。
 今回は無理かな、という状況の中、平岡先生からお電話をいただきました。「今はイスラエル危ないからな。だからみんな行かないんだよ。また来年の冬にしたらどうだ?」とおっしゃってくださいました。なんと愛の深い方なのか、と思いつつも、「でもまたこれで新たなチラシを作っていただいて募集をかけるという、産み苦しみはもう充分な」と少しだけ思いました。そして、一生懸命祈りました。そして、旅行社のほうに掛け合って、「後何日ご猶予いただけますか?」と聞くと、「3日間。9月3日まで待ちましょう」と言ってくださいました。人数が増える減るならいいのですが、ツアーが有るか無いかなので、旅行社も飛行機の座席やホテルなどを押さえてあり、そんな追い迫るものがある中で、3日間一生懸命お祈りしました。苦しい祈りでした。嵐の中で前が見えないような「お〜主よ、見えません」と、そのような祈りでした。
 そして、いよいよ9月3日が来ました。すると、奇跡が一つ二つと起こり出して、絶対ありえないような人が「私行きます」、「私行きます」と言ってくださいました。最終的に催行されるためには10名が必要だったのですが、行ける方が二人加えられて、あと一人という所まで来ました。
 そして、あちこちに電話をしたりしていたのですが、不思議なことに、ある一人の遠くの牧師先生に電話をしたら、「私は絶対あきらめませんよ!」と、自分のことのようにおっしゃってくださいました。また、この教会の一人の兄弟に「どう行かない?」と言うと、その方は絶対に行けないということだったのですが、「開先生、僕、絶対あきらめませんから!」と言うのです。行かないにも関わらず「あきらめません」と言うのだから、これは神様の声だと思い、主を待ち望みました。

 そして、その日の夕方の4時40分にその旅行社から連絡がありました。「ご決断を!6時までに」ということで、あと80分しかないところまできました。
 ソワソワしながら、どうしようかと思っていたのですが、心を揺らしていても何も起こらないので、よしっ!と思って家に帰りました。そして、庭で草むしりをしていたら、5時45分に私の携帯電話がなりました。見ると、長野県の牧師先生でした。「私、行きます!」という電話で、「ハレルヤ!」、5時45分に10名与えられました。そして、その旅行社に「決定しました」とメールをしたのが、5時55分。6時5分前ということで、とても劇的なスタートを切ったのです。でも、そんな中からも神様のご計画があることを思いました。

 私は旧約聖書を2箇所と新約聖書を1箇所、合計3箇所を毎日通読するようにしているんですけれども、その次の日の朝に与えられた御言葉はこれでした。
第二サムエル記 22章20節、

主は、私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから。

そして、もう一箇所、詩篇を読みました。また同じ言葉が与えられました。
詩篇 18章19節、

主は私を広い所に連れ出し、私を助け出された。主が私を喜びとされたから。

 深い穴の中に押し込められるような祈りだったんですけれども、神様は手を取ってぐっと引き出して、広い所に連れ出してくださったような、そんなひと時でした。
 私たちの人生の中でも、「これはもう駄目だな」という時がありますが、イエス様は時として私たちの信仰を見てくださって、試してくださる時があるようです。その中で広い所に連れ出すことをしてくださるんだなということを思いつつ、そしてイスラエルへの道が主によって備えられました。

 イスラエルに行く2日前に、この教会の中学生高校生のメンバーと「歌って踊ってビクトリー」という集会をしました。朝の10時から夕方5時まで、彼らが喜び踊って賛美をするのです。私もそれについていかないといけないので、ずっと私も一生懸命歌って踊りました。私は立っているだけで精一杯になりながら、時には転んだりしながら、「年寄りは困るな〜」と言われながらやりましたが、一生懸命楽しみながら行われました。
 今回は、9名のソングリーダーが立ち、彼らが最初に選曲をするんですけれども、1人が30分の選曲をしました。毎回選曲する中で、どういうわけか同じ曲が重なってくることがあります。
 それで今回、不思議なことが一つ起こりました。最近全然歌ってなかったのにも関わらず、彼らが選曲した中であがってきた曲が、「主は激しい流れのように」でした。9人中5人がその曲を選んだので、歌っていく中で、「また?」、「また?」という感じで、歌い続けました。
 神様が「リバイバル」という大きな流れをこの教会にも、この日本にも、そして全世界にも起こそうとしておられると。そんな中で、今、私たちは主の御声にもう一度聞かないといけないなと、もう一度はっとさせられました。
 私たちはリバイバルが起こされたらいいな、と心から願っていますが、もし本当にリバイバルが起こされて、この国のどん底から変わるようなリバイバルが起こされたら、必然的にこの教会は人で満ちると思うんですね。そうすると、本当に主の働きというのは激しくなっていくことだと思います。
 リバイバルを求めつつも、今は今で平和があり、教会には自分の指定席があると思うんです。過去リバイバルが起きたお話を聞くと、朝、自分の席に行くと他の人が座っていたという、そういったことが、これからリバイバルで起こされてくるんだと。そんな中で、もう一度、「主は激しい流れのように」来てくださって、その中で主の息が吹きまくる業がこの日本にも起こされるんだということをもう一度信じないといけないな、思いつつイスラエルに旅立って行きました。

 イスラエルでの歩みは神様の恵みの中でとても祝福されましたが、それは、これから起こされるリバイバルの目次の一つ一つを見させていただくような毎日で、イエス様はこんなにも日本のことを愛してくださって、日本に対して、また私たちが求めていたリバイバルというのが、こんなにも熱い形で、主は私たちの思い以上に進んで事を成そうとしておられるんだなということを強く感じました。

 ちょっとだけ写真をご紹介させていただきたいと思います。
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これは最初にエラの谷という所に行きました。ダビデとゴリアテが戦った場所です。真ん中に2人日本人じゃない方がおられますけれども、彼らはこの畑の持ち主で、トマト畑なんですが、その中で歌っていたらトマトがあったので、畑に向かって「ごめんなさい」とか言いながらもぎって食べたんですが、イスラエルの文化の中では、畑で一つもぎって食べるくらいならば罪にならないんそうです。籠を持って行って穫ると犯罪になるそうですが、一つ食べるくらいならいいんですよ、とガイドさんがおっしゃってくださったんですが、そんなことをしていたら、この二人のおじさんが来ました。「こらっ!」っと言われるのかと思ったら、「ヘイ、ピクチャー」と言って、一緒に写真を撮ってくださって、しかも終わった後は、大きなメロンを二つプレゼントしてくれ、そんなところから始まりました。
あの丘の向こうからゴリアテが来て、こちら側から少年ダビデが行ったと考えると、心が少年ダビデのように、本当に心が踊りました。心が踊る思いで賛美の旅が始まりました。
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そして、エルサレムに登って、これは嘆きの壁の前で賛美しました。今回本当に神様が導いてくださって、いろんな所で賛美させていただきました。
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これは、エルサレムのダビデの街の中です。
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これは、1日目の終わり、国連のプロムナードというところからエルサレムの城壁がずっと見える所です。ちょうど夕方で、夕陽が差し込む時間をガイドさんがちゃんと計算してくださっていて、いわゆる「夕陽に輝く黄金のエルサレム」を見て、みんなで賛美をしました。今回行ったメンバ11名が映っています。
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そして、ここは園の墓です。園の墓で礼拝しました。
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ベテスダの池でも賛美しました。
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ここは、聖墳墓教会ですけれども、ここは本当に人がたくさんいます。今の季節はちょうど旅行のハイシーズンで、人がいっぱいだったんですが、まず外で賛美をし、そして、中に入って、イエス様の十字架がここに立てられたという所に、様々の宗派のキリスト教系の人たちが偶像礼拝のようにそこを触るんですね。触るといいことがあるということで、そこを触って何かしているので、人がぎっしりいたその中で「勝利の宣言」を力一杯賛美でき、またこの地下でも賛美して、本当に大きな恵みの時でした。
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これは、オリーブ山から見たところです。だんだんエルサレムが近くなります。
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これは、カヤパの官邸。鶏鳴教会です。ペテロが3度イエス様を裏切ってしまった場所です。
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これは、その下にいたアラブ人の子たちなのですが、この話は少し後でします。
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これは、ベツレヘムの野です。イエス様がお生まれになったのを、天の軍勢が現れて、羊飼いたちに語りつげた所です。ここはアラブ人地区なのですごく汚いんですね。
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これは、エリコの山の上なんですが、イエス様が40日の断食をされた後に、サタンから誘惑を受けた場所です。ここでも賛美しました。
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これはユダの荒野に出て行って、満天の星空を見上げて賛美しよう、ということで、満天の星空が出た中で賛美をしました。私たちのメンバーと、ガイドさんと、ガイドさんのご主人と、あと4名の外国人の方たちが加わりました。
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私たちがユダの荒野の真っ暗な中で歌っていたら、突然この4人の若者たちが現れました。スイス人とイタリア人とロシア人とアメリカ人だそうです。彼らはみんなユダヤ人だそうですけど、クリスチャンなんですね。
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これは死海での礼拝でした。日曜日の朝はしっかり礼拝してから行こうということで、大半の方はまず死海で浮いて、そして着替えてここで礼拝しました。
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これが、先ほど言いましたジーザスボートと言われるそのボートです。ガリラヤ湖の上で賛美しました。
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ガリラヤ湖のほとりで、また賛美しましたけれども、イエス様が甦られた後に、ペテロに現れて、「あなたはわたしを愛するか」と三度おっしゃって、そしてもう一度ペテロ召命を受けたという、ペテロの召命教会です。
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ここは、ナザレの「突き落としの山」というところで、断崖絶壁です。すごく危ない所に私はあえて立って賛美しました。この向こう側にハルマゲドンを臨みながら歌いました。
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これは、行ったメンバーと共に、向こう側に広がるのはハルマゲドンです。
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これはナインの教会です。やもめの一人息子が死んでしまって悲しんでいる時に、イエス様がそこに行かれて「泣かなくていいよ」とおっしゃられて、その青年を生き返らせたというその教会です。優しい空気が流れていました。
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ハルマゲドンの大地に立ちました。ハルマゲドンというのは、最終的に戦争が起こると言われている場所です。そこで何を歌っていいのか、わからなかったのですが、歌う中で神様が導いてくださって、とても良い時でした。
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ここは、パンの神殿と言って、ピリポ・カイザリアにありますが、以前順先生も紹介されていましたけれども、「パニック」という言葉の語源になるパンの神殿。そこで悪しき力が砕かれるように賛美しました。
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これは、カルメル山です。エリヤとバアルが戦い、天から火が降った場所です。遠くに見えるのが、バアルの石像です。
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これが最後に歌った場所ですけれども、地中海があり、ローマの水道橋の横です。

 実は今回行くに当たって、私たちのツアーの中のテーマでありました。
第一テサロニケ人への手紙 5章16〜17節、

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。

 これをテーマにしようということで、しようというか神様がそのように導いてくださっていたので、それをテーマにして行きました。なので、どんな事があっても神様は最善を成してくださるからということを信じて行きました。

 私は、今回、ギターを固いハードケースに入れて持っていきました。機中は気圧が高いので、ギターの弦のテンションが上がるため、ギターの弦緩めました。ギターのネックに負担をかけないようにするためです。そして、向こうに到着し、バスに乗り込んですぐに、弦をチューニングしようと思って、ギターのケースを開けました。すると、なんとネックがボキッと折れていました。商売道具が奪われたような状況でした。
 すると、一緒に行った牧師先生が「いや〜、これは戦いですね、大変ですね」とかおっしゃったのですが、でも、どういうわけか、「すべてのことに感謝」のゆえか、全然動じませんでした。「こんなこともあるよ」と言って、ガムテープで巻いて弦を張り直しました。そして、弦を張っていると、またパチンっと切れたりして、すると、「いや〜、これは攻撃ですね!」とか言ってたんですが、「いや、寿命じゃないの?」なんていいながら、再び弦を張り、そして弾き始めましたが、テープで巻いたので、下の方しか使えず難しい弾き方になってしまうんですけれども、最初はそう弾いていました。
 そして、最後には上の所に割り箸を輪ゴムで止めて、ちゃんと使えるようになった映像がこれです。
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 戦ったギターの写真です。実は20年前に一度折れていたので、こういったことが起こり得たのですが、そんな中で始まったイスラエル旅行でしたけれども、神様は本当に祝福してくださいました。

 エルサレムの朝に与えられた御言葉を一つご紹介します。
詩篇 78篇14〜16節、

神は、昼は雲をもって、彼らを導き、夜は、夜通し炎の光で彼らを導いた。荒野では岩を割り、深い水からのように豊かに飲ませられた。また、岩から数々の流れを出し、水を川のように流された。

リバイバルの一つの姿は、渇いた大地、荒野に主の祝福の川が流れ出すようなものであると思います。ですから、どうにもならない岩のような硬いところから、主はその岩を開いて、そこから生ける水を流すというのがリバイバルであるわけです。今回、心に留められたのは、この16節の「また、岩から数々の流れを出し、水を川のように流された」というこの御言葉が心に留まりました。「岩から数々の流れを出す。」一つではなくて数々の流れを出すんだよ、と神様がおっしゃってくださっておられることを感じました。

 そして、2日目はエルサレムをぐるっと回って、最後には、先ほど、何度か見ていただきました黄金のエルサレムの城壁のもっと近い所で歌う場所が与えられました。予期しなかった場所だったんですが、すぐ近くで、すごくきれいなロケーションで、しかも人がいないという場所でした。どんどんエルサレムの城壁に近づいて、エルサレムに向かって「この街が祝福されるように」とみんなで歌って祈っていましたので、もっと近くでエルサレムを見上げて賛美するんだと思いギターを手にしました。
 そして、ふと後ろ側を見ると、そこはアラブ人地区でした。ユダヤ人地区はすごくきれいなんですが、アラブ人地区というのは、すごく汚くて、ゴミがいっぱいで、そこにいる人たちの服装まで違うんですね。でも、ふと見たら、先ほど見ていただいた写真の子供たちが上半身裸で遊んでいたんですね。上は小学校6年生ぐらいの子たちから、下は、3歳、4歳の子たちがわいわいと遊んでいました。
 そして、ギターでリズムを取り出すと、彼らが「イェーイ!」っと言って踊り出すんですね。それから何曲かを一緒に歌いました。彼らは本当に陽気な子たちですが、もちろんアラブ人の子供たちなので、イスラム教徒の子供たちなんですね。でも、彼らが一生懸命賛美してくれました。一曲歌うと「もっと歌ってー」と言うので、また歌うのです。歌い終わると、また、「もっと歌ってー」と言うので、何曲か歌う中で、「オーイェイ喜び叫べ主に♪」という歌を歌いました。「オーイェ!」と言うと、彼らも『オーイェ!』と言うものですから、「イエス様を!」と日本語で言うと、『イエス様を!』と彼らが意味わからないままに言うんですね。「イエス様は!」、『イエス様は!』、「最高です!」、『最高です!』、「イエス様を!」、『イエス様を!』、「信じますっ!」、『信じますっ!』と彼らが言うのです。
 やがて天国に行ったら、「あの時の一言で僕来たじゃんね」という子がいるかもしれないなと思っていますけれども、そんな中で、神様がひとつのリバイバルの姿を見せてくださったような気がしました。私たちの目は中心地に向き、黄金のエルサレムばかりに目を留めていましたけれども、イエス様はそうではありませんでした。人が目を止めない薄汚い路地の子供たちに、「そこにわたしは目を留めているんだよ」と教えてくださったような、そんなひと時でした。
 その時の動画があるので、ちょっとご覧いただけますか?


 これが、アラブ人の子たちの賛美の姿でした。神様が現してくださった本当に不思議な光景でした。アラブ人というのは、パレスチナ人といわれていますが、パレスチナ人というのは、聖書に出て来るペリシテ人のことだと言うのです。聖書で「ペリシテ人」と言えば、ある意味、敵の象徴のような存在に描かれていますけれども、イエス様はそのような人たちに「私はこの終わりの時代に手を伸ばすよ」とおっしゃっていたような、そんなひと時でした。

 そして、もう一つのリバイバルの目次にあったのは、先ほどの写真に出てきた4カ国の若者のたちの出会いでした。若者たちがどこからともなく来て、一緒に賛美したんですけれども、彼らと出会ったのも本当に不思議なことでした。イスラエルの若いクリスチャンの子たちと共に賛美をして、交わりを持てた中にも神様のリバイバルのご計画の一つがあるように思いました。主はリバイバルの中で、世界中の若いクリスチャンたちを用いようとされていると信じています。

 そして、最後に。最終日にカイザリアという所に行って歌いました。カイザリアの水道橋の前に立って、「今回のイスラエルツアーで、大きな恵みをいただいたけども、このイスラエルの大地を踏みしめて歌うのは最後です。これが最後になるので、心からイエス様を賛美して歌いましょう」と言う風に言いました。
 前はビーチになっているんですけれども、人がいませんでした。ですから、私たち11名だけの賛美だったんですが、そんな中で神様は最後の最後に再び不思議なことをしてくださいました。私たちが歌っていたら、いろんな子たちが来て、一緒に歌って、踊ってくれて、そして最後は日本からのツアーの方も一緒に入って、11名で始まったツアーが大きくなった姿を見させていただいて、これもリバイバルの姿だったな、と思います。
 その映像もご覧ください。カイザリアでの映像です。


 いつの間にか賛美の輪が大きくなっていきました。誰が何を言うわけでもないんですが、輪になって踊り出すんですね。実は、この女の子たちは黒っぽいスカートを履いていると思うんですけれども、みんなエルサレムのユダヤ教徒の子供たちで、その中でも一番厳格な家庭の子供たちだというのです。お父さんはラビと呼ばれる、普段から黒装束に髭を蓄え、ビンを伸ばし、お母さんは白黒の服だけを着ている、その子供たちが、何気なく来て、こうして踊りの輪の中に入っていくという、とても不思議な光景でした。
 さらに、歌っていたら、よくザワメキの集会に来る、私たちのツアーでないメンバーが突然踊りの輪の中に入ってきて、踊っているんですね。ちょっとびっくりしました。神様がしてくださった御業を心から感謝します。

 最後にもう一枚だけ写真があるんですけれども、最初11名で始まったツアーが最後はこのようなメンバーになって終わりました。
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 神様のなさることが、こんなにも大きなことなんだということを見させていただいた時でした。主に拍手の賛美をお捧げします。

 イエス様御自身の目は私たちと異なった所をみていて、異邦人の、ペリシテ人の、「敵」と呼ばれるようなところを見ていたり、若い世代のクリスチャンを見ていたり、また、ユダヤ教徒の中でも一番厳格な、ある意味イエス様の福音から最も遠い、そういう人の家庭の子供たちに向けられていました。この終わりの時代における神様御自身のみ思いどのようなものかということを見させていただいたようなそんなツアーでした。

 最後にもう一度最初の箇所をお読みして終わりにします。
イザヤ書 59章19節、

そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。

文字通り、主の息によってなされたような神様のみ業のツアーを私たちは見させていただきましたけれども、みなさんの祈りのゆえに、こうしたみ業を神様は見させてくださいました。必ずこの日本にも、大いなるリバイバルの業が起こされることを信じて、歌い続けて、祈り続けて行きたいと思います。
 一言、お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ、愛する天の御父様。あなたの素晴らしいみ名をあがめて心から感謝します。
 あなたは今も生きておられ、私たちと共にいてくださる素晴らしい神様であることを心から感謝します。またこの終わりの時代、あなたはリバイバルという大きなご計画を持って、一歩一歩導いてくださっていることを心から感謝します。
 どうぞ、私たちが、あなたのリバイバルのご計画にもれることなく、歩み続けることができるように助けてください。あなたの見ておられるその視点で、この日本を見、またこの街を見て、あなた御自身のみ思いの業がなされていくことを見ることができるように助けてください。
 そして、また私たちの思いもよらない程の数々のリバイバルの流れを見させてくださるお方であることを信じて、心から感謝します。どうぞ、これからの一つ一つの歩みの中に、そのような祝福を注いでくださいますように。全ての栄光を主にお返しします。
 尊いイエス・キリストの御名によって、この祈りを父なる神様の御前にお捧げいたします。アーメン。

 もう一度主に拍手の賛美を持って終わりにします。ハレルヤ!