HOME > 2010年バックナンバー > 11月 > メッセージ2010年11月28日

「良い地に種をまこう」

2010.11.28(SUN)
新城教会牧師 滝元 順

マルコの福音書 4章1節〜9節
イエスはまた湖のほとりで教え始められた。おびただしい数の群衆がみもとに集まった。それでイエスは湖の上の舟に乗り、そこに腰をおろされ、群衆はみな岸べの陸地にいた。イエスはたとえによって多くのことを教えられた。その教えの中でこう言われた。「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、種が道ばたに落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。また、別の種がいばらの中に落ちた。ところが、いばらが伸びて、それをふさいでしまったので、実を結ばなかった。また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」

 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。今日もこうしてみなさんの前で語らせていただけることを、心から感謝しています。
 今週は12月になります。本当に早いものだと思うのですが、来週はロン・ブラウンさんを迎えてのクリスマスコンサートが早速あります。祈って準備していきたいと願っています。
 クリスマスは、み言葉の種を蒔く、一番良いチャンスです。この時を生かして、み言葉の種を蒔かせていただきたいと願います。

 先週はお祈りしていただきましたが、二日間、韓国で奉仕がありました。行き帰りも含めて四日間韓国に滞在しました。
 11月23日に韓国に向かったのですが、仁川国際空港に着き、大邱(テグ)行きに乗り換えることになっていたのですが、仁川に着いたら、ある方からメールをいただきました。「北朝鮮から韓国にミサイルが飛んだそうですが、大丈夫ですか?」という内容でした。私は冗談かと思って、まさかそんなはずないだろうと思っていましたら、空港の雰囲気がおかしいのです。いつもと違った感じがあり、入国審査に行きましたら、韓国に入国するのはいつもはパスポートを出して、ちょっと書類に記入すれば、何も係官と話しをしなくても入国できます。
 しかしその時は、「誰に会うの?電話番号は?」などと言われ、なんでこんなこと突然聞くんだろうと思いました。また、係官が緊張しているようなので、おかしいと思っていると、私たちの飛行機が到着した頃、北朝鮮が韓国に攻撃を仕掛けているような時でした。
 仁川の空港から延坪島というのは、直線距離でたった60キロしか離れていません。よくぞ飛行機は降りたものだと思ったのですが、その頃は状況がはっきり把握されていなかったので着陸できたと思います。そんなわけで、韓国国内はかなり緊張していました。「戦争が始まる」という感じで、みんなテレビに釘付けになっていました。
 悪い意味で、歴史的瞬間に遭遇した為に、国の守りのために祈ることができて感謝でした。仁川から韓国に入国したのも御心だったと思います。今回、私は大邱(テグ)という街で奉仕がありました。テグは250万人ぐらいの大都市ですが、釜山からの方が近いので、釜山空港から行こうと思っていたのですが、スケジュールの都合で仁川回りとなりました。やはり全て神が支配しておられ、より近くで祈ることがみこころであったと思います。

 テグは、韓国第四の都市なのですが、「街のためにとりなし祈る」というグループの方々が私を招いてくださり、水曜日に3回集会がありました。それは、「街を主のために勝ち取る」という、熱い思いを持った方々の集りでした。
 少し写真をお見せしたいと思います。
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 これが会場となった教会です。韓国に行きますと、教会が本当に多いです。テグに教会がいくつあるかと聞いたところ、1500ぐらいと言いました。街は教会だらけです。
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 集会の模様です。毎月、このような聖会を持っているそうです。今回は私が奉仕させていただきました。街を勝ち取るために、というテーマで日本で導かれている事柄を語らせていただきました。
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 木曜日はとりなし手の方々とテグにある高い山に登って、街のために祈る機会もありました。すごく寒かったです。1000メートルくらいの山です。山の上から、街を見下ろし祝福を祈ることができました。
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 韓国にも日本と同じような小さな教会もあります。この教会は20人くらいの教会でした。是非とも来てくださいということで、行きましたが、この教会の集会はたいへん恵まれました。今年最後の韓国での奉仕でしたが、神様から一つ大きなテーマをこの教会において教えられました。特に、来年のリバイバルミッションの鍵となるテーマを示して下さいました。全てが神の計画の中にあって、どんな場所でも全力で奉仕しなければならないことを教えられました。
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 木曜日の夜は、ヤンサンという街で集会がありました。ここは、毎週木曜日に韓国のな有名な先生が来て、特に「いやし」というテーマで集会が持たれています。10月にも一度行かせていただいて、今回は第2回目でした。
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 これが会場の教会です。
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 皆がいやしを求めて真剣に祈っていました。みなさんの祈りによって、奉仕も恵まれたことを感謝します。

 先週は「受けるよりも与えるほうが幸いです」という主題で、お話をさせていただきました。特に隣の国のために真剣に祈らなくてはいけない、と話しましたが、まさに今がそのときではないかと思います。北朝鮮のためにもとりなして祈らなければならないと思います。
 北朝鮮のこの頃の行動を見ますと、非常に攻撃的な態度で韓国に関わっています。今年、すでに韓国の哨戒艦が北朝鮮の魚雷で撃沈され、40数人が亡くなっています。今回は、直接、韓国領に大砲やロケット弾を打ち込んで、民間人も犠牲となったのです。この路線上で行くならば、普通は戦争になると思います。韓国も、今回の事件で世論ががらっと変わり、「もう我慢できん。戦争しよう!」という世論が高まっています。もしも、朝鮮半島で戦争が起こったら、日本はその影響をもろに受けますから、大変なことになると思います。
 今の時代は自分の国だけというわけにはいきません。お隣の国のためにも、真剣に祈らなければいけないことを教えられます。昨年、韓国においてリバイバルミッションが行われたのも、これからのためかもしれないと感じています。ちょっと恐い感じがします。後でそのテーマにも触れさせていただきたいと思います。

 さて今日は「良い地に種をまこう!」というタイトルでお話しさせていただきます。
 私の家内の実家は種屋です。店には多くの種類の花や野菜の種を売っています。種とは、硬いシェルに包まれた小さな黒っぽい物体ですが、野菜の種を買う人は、「畑に蒔いたら野菜を収穫できる」という期待するからです。そのことを知っているから、そんな小さな物体にお金を使うのです。また、商売も成り立つわけです。種は環境さえ整えれば、必ず芽を出し、やがて収穫に至ります。

 イエス様は種まきの話をされたわけですが、先ほど読んだ同じ4章の14節から20節に記されています。イエス様は多くの例えを話をされました。例え話には、必ず、教えたい内容が隠されています。
マルコの福音書 4章14節〜20節、

種蒔く人は、みことばを蒔くのです。みことばが道ばたに蒔かれるとは、こういう人たちのことです‐‐みことばを聞くと、すぐサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを持ち去ってしまうのです。同じように、岩地に蒔かれるとは、こういう人たちのことです‐‐みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、根を張らないで、ただしばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。もう一つの、いばらの中に種を蒔かれるとは、こういう人たちのことです‐‐みことばを聞いてはいるが、世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望が入り込んで、みことばをふさぐので、実を結びません。良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。」

 種は、蒔いたら必ず収穫が伴います。この例えにある「種」とは何かというと、イエス様は「み言葉」であると語られました。
 私たちは毎週教会に集い、み言葉を学んでいます。また家でも、聖書に記された神のみ言葉を学び、親しんでいるかと思います。み言葉は、「種」ですから、蒔いたら必ず収穫に結びつくのです。

 神は天地宇宙を、ご自身の言葉によって造られました。「光よ、あれ」と言ったら、光が出来、「植物よ、生まれよ」と言ったら、植物が生えて、「空の鳥よ出よ」と言ったら、空の鳥が生まれました。全て言葉によって無から有が生じました。
 み言葉が投げかけられた時、その結果が現れたのです。なぜなら、神の言葉は生きていて、実を結ぶからです。
 神の言葉が記録されているのが聖書です。私たちは、聖書を手に持っているのです。神の言葉を宣言するならば、なんらかの収穫物があるはずです。

 しかし、イエス様が語られたこの例え話は、種を蒔いたら実を結ぶのが当然だけど、成長のプロセス上で、実を結ばない場合もあると話されました。しかし「良い地に種が蒔かれさえすれば、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ」とも言われました。
 種が良い地に蒔かれないなら、残念ながら収穫に結びつかないのです。ということは「良い地」を手に入れなければならないのです。

 クリスマスはイエス様が地上に来られた日です。イエス様はどういうお方であったかと言うと、み言葉が人の姿をとって現れてくださった方でした。
 なんと、今まで天で言葉を語り、天地宇宙創造の主管者が人となって現れたのです。それがイエスさまです。

 次週の日曜日は、ロンさん達が来て、コンサートを持ってくださいます。今日は、新城や周辺の街々に、新城教会ニュースが新聞折り込みで配布されています。是非、お祈りをしていただきたいと思います。
 私はいつも、新城教会ニュースに巻頭メッセージを書いているのですが、教会ニュースの中で「シオンちゃん」が大好きです。今回のシオンちゃん、おもしろいですね。「ロンさん証拠」という題がついていて、「じゃぁ、論より証拠で、ロンさんを紹介します」と結んでいます。うまいこと引っ掛けてあります。論より証拠、本当に素晴らしいコンサートが開かれます。是非とも、多くの方をお誘い下さい。
 残念ながら私は日程を間違えまして、来週は東京のある教会で奉仕が入っていて出席できません。初めの計画では、コンサートはその次の週でしたが、変更されました。私のスケジュール帳には古いスケジュールが入っていたのです。「順先生、変更はちゃんと伝えましたよ」と言われ、悪いのは私です。東京でも精一杯奉仕したいと願っています。

 クリスマスはみ言葉の種を蒔く絶好の機会です。イエス様が地上に来られた時、何をされたのか、先週も触れましたが、イエス様が行われた働きのほとんどが人々をいやし、救うという働きでした。まず人々の病や問題を解決し、それから救い出すという働きをされました。
 マタイ、マルコ、ルカという三つの福音書は「共観福音書」と呼ばれ、同じ視点でイエス様の生涯を描いているのですが、その中でイエス様がいやしの奇跡を行ったという記事が、並行記事を合わせると「50」あるというのです。また断片的なものや、弟子達が関わった奇跡なんかを含めると、105箇所にも渡るというのです。イエス様の働きのほとんどが、いやしの働きであったわけです。それも、イエス様は力強い神の言葉を語り、言葉だけで人々をいやされたのです。
 先週、午後からクリスマスに関するとりなしの祈りのセミナーを持たせていただいたのですが、イエス様が生まれた当時、イスラエルの周辺地域はヘレニズムという時代の影響を強く受けていました。そこではギリシャ神話の神々が礼拝されていました。そして、当時、地域の人々が一番関心があったのは、「いやし」でした。病がいやされることに一番大きな関心がありました。その頃、ギリシャ神話の「アスクレピオス」という治癒神が、人々の信仰の中心となっていました。
 ヨハネの福音書を見ると、イエス様がベテスダの池に行かれた記事が出て来ます。そこは、どういう場所かと言いますと、今年イスラエルに2回ほど行きましたが、ガイドさんが説明をしていました。元々、アスクレピオスというギリシャ神話の治癒神が祭られていた神殿だったそうです。そこには5つの回廊があり、アスクレピオスにいやしてもらおうと、病人がいっぱい伏せって居たのです。
 そこで一人の男が力なく床に伏している姿をイエス様は見られました。その人は実に38年間も、いやしを待ち望んでいました。アスクレピオスというギリシャ神話の神が自分の病をなおしてくれると期待して、38年間も池の畔で粘っていたのです。しかし全然いやされなかったのです。偶像の神々にいやしを求めても、いやしは来ません。
 イエス様がそこに行かれ、その人に「いやされたいですか?」と聞きました。彼が「もちろんですよ」と答えると、「床を取って歩きなさい!」と命じられ、一発で病をいやしたのです。
 イエス様のいやしは、なんの呪術的な手法もなく、ただ権威ある言葉だけでした。それだけで百発百中いやされたのです。すごいじゃないですか。

 今、私たちも神の言葉が記録されている聖書を持っているわけですから、み言葉は「実を結ぶ」という原則からいけば、瞬間的にいやしが起こったり、神の業を体験できるはずです。
 でも残念ながら、現代はそういうことが起こるのはまれです。なかなか起きません。そういう働きは、聖書が成立すると共に終わってしまったんですよ。今は閉店中です。」と語る牧師も多くいます。しかし、そんなはずはありません。何かの原因があって実を結ばないのです。
 神の言葉は生きていて実を結ぶはずですから、実を結ばない原因が何かを把握したら収穫があるはずです。

 イエス様は種が育たない原因についても教えて下さいました。そして、良い地を用意するならば、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶと語られたのです。

 そんな中、神の言葉が心に投げ込まれても、収穫に結びつかない第一原因がなんであるかというと、「み言葉を聞くと、すぐサタンが来て、彼らに蒔かれたみ言葉を持ち去ってしまうのです」と告げられました。
 神の言葉が私たちに投げ込まれても、サタンが「すぐに」来るというのです。私たちが考える以上に、サタンはすばしっこいみたいです。すぐに来て、み言葉の種を奪い取ってしまうというのです。いやしのみ言葉が投げ込まれても、サタンがすぐに来て奪い取って行くような状況があるというのです。
 ということは、第一に意識しなければならないのは、み言葉を奪おうとするサタンの力が存在することに気づかないといけません。せっかく天地宇宙を造った神様のパワフルな言葉が私たちの所に来ても、種がサタンによって持ち去られてしまうのです。

 また16節からは、他の理由も記されています。ここには、「困難、迫害」によってつまづくとあります。み言葉の種が発育しない理由に、困難と迫害があります。さらには、「世の心遣い、富の惑わし、いろいろな欲望」と続けて原因があげられています。
 マルコの福音書 4章15節〜17節、

みことばが道ばたに蒔かれるとは、こういう人たちのことです‐‐みことばを聞くと、すぐサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを持ち去ってしまうのです。同じように、岩地に蒔かれるとは、こういう人たちのことです‐‐みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、根を張らないで、ただしばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。

 困難と迫害は岩地であり、サタンとの繋がりがあります。時に、困難や迫害が信仰生活の中に起こってきます。
 イエスさまを信じて、これから頑張ってやっていこうと決心したりすると、後ろ髪を引っ張る力があるわけです。引っ張られ、引きずり降ろされるわけです。
 困難や迫害が来たとしても、それに立ち向かわなければなりません。現在、困難や迫害を覚えている人がおられたら、サタンが後ろから引っ張っているのです。何のためにサタンは攻撃しているのかというと、み言葉が収穫に至らないように敵対しているのです。それを理解をしないと、なかなか根を張ることが出来ません。

 今回、私はテグという街で、とりなし手たちの集会を導かせていただいたのですが、たいへん微妙な時期で、本当にどのように話をしたらいいのかと悩みました。
 なぜならば、前日にあんな事件が起こり、もう一つは、テグは250万人くらいの大きな街なのですが、教会が1500あります。しかし、それに対抗するかのように、寺は3000もあるのです。仏教がたいへん強い街で、テグを仏教都市にしたいと、仏教界が特に力を入れているからです。
 韓国は大統領制ですから、大統領が宗教的にどういう立場かによって、国全体が変わります。特にテグは、ノ・テウという大統領が出たところで、彼は仏教会を優遇したのです。テグの仏教界は国から予算を引き出して、「仏教のユートピアを作る」という計画を立てています。それに教会が対抗して、大きな戦いがあります。今の大統領、イ・ミョンバクはクリスチャンですから、政策がキリスト教寄りだと批判されています。テグは政治的にたいへん微妙な場所であり、特に仏教界はとりなし手たちを嫌い、迫害しています。
 近頃、現実的にも、いろんな迫害事件があって、とりなし手たちは恐れていました。そんなただ中でしたから、本当に緊張感のある集会でした。しかも私は日本人ですから、どういう立場で話したらよいのか、なかなか難しかったです。祈りつつ話をさせていただきました。リバイバルが進むと、一方では困難や迫害も起こってきます。引き戻そうとする力が働くのです。しかし、決して恐れてはいけません。み言葉が蒔かれると、芽を出し収穫に至ることを、サタンはよく知っているからです。私たちはサタンに対抗しなければなりません。

 もう一つは、「世の心遣いや、富の惑わし、いろいろな欲望」が、み言葉の成長を塞ぐのです。それはちょうど、いばらの中に蒔かれた種のようです。
 それらもみ言葉の成長を妨げる力となるのです。「世の心遣い、富の惑わし、いろいろな欲望」というのは、「自己との戦い」です。
 人は肉体を持っていますから、常に自分自身との戦いがあります。パウロはそれを体験して述べています。自分は正しい事をしたいと願っているけれど、自分の中に罪の性質があってそれが出来ない、葛藤があると語っています。私たちも同様です。
 教会に来て、聖書のみ言葉を知り、正しく生きていきたいと願っているけれど、悲しいかな、世の心遣いや、富の惑わし、いろいろな欲望によって、後ろに引き戻されます。
 「教会は大変だな。やっちゃいけないことが多すぎて。本当に辛い」と、昔、私は思っていました。いつも話していますが、牧師の息子として生まれ、今日も両親がいますけど、十戒を教えられて育ちました。これをやってはいけない、あれをやってはいけない・・・と、戒めがあるわけです。「禁止事項が多すぎる!」と思っていました。
 やはり世の中に引かれるし、いろんな欲望もあるし、信仰は我慢比べだと考えていました。しかし、そうではないのです。
 それらと戦う事に、どのような意味があるのかと言うと、神のみ言葉が実現するか否かにかかっているのです。天地宇宙を造った神のみ言葉が、地上に実現するか否かにかかっているのです。それが自分との戦いのただ中にあるのです。
 みなさんも日々、自分との戦いを戦っていると思います。その戦いは、みなさんの心の中に蒔かれたみ言葉が実を結ぶか、否かに掛かっているのです。
 ですから、自分との戦いにも、勝利しなければならないのです。自分との戦いに勝利するには、常に、神のみ言葉の側に立って、決断するしかありません。はっきりと、心を決めて決断する以外にありません。イエス・キリストを信じた時も、「私はイエス・キリストを信じます!」と決断した時、新しい一歩が始まりました。それと同様です。

 日本においては、クリスチャンとして決断するのが、なかなか難しいです。周りのことも気になるし、家のこともあるし、様々な弊害が出てくるような気がして、なかなか決断出来なかったのかもしれません。しかしある時、決断したのです。その瞬間に、新しい扉が開かれたわけです。
 世の心遣いとか、富の惑わし、いろいろな欲望は、死ぬまで付きまとうかもしれません。しかし私たちは常に神の側に立ち、正しい決断をしなければなりません。
けれども、後ろ髪を引っ張る力が打ち破られて決断するのと、引っ張られながら決断するのでは大違いです。

 1992年、主が霊的戦いを始めてくださいました。それ以前も、以後も、世の心遣い、富の惑わし、いろんな欲望は変わっていません。けれども、皆が喜んで教会に集えるようになったのは、後ろから引っ張る力が打ち砕かれつつある証拠だと信じます。サタンの力を打ち砕くと共に、正しい決断をすることが重要なのです。

 特に、クリスマスの時期から年末は、誘惑がとても多い時期です。しかし、神のみ言葉が実現するためには、常に神の側に立ち、正しい決断をしましょう。そのことを自分自身にはっきりと、言い聞かせておかなければなりません。せっかくイエス・キリストを信じ、永遠の命をいただいたのにも関わらず、自分との戦いに負けて、永遠の命を放棄することがないように注意しましょう。

 実は、私は新しい本を出版しました。何年か前に、「クリスチャンって最高だ!」という本を出版しました。すでにみなさんに読んでいただいたかと思いますが、今回、「クリスチャンって最高だ!+」という本を出しました。今までは「クリスチャンって最高だ!」という本だったのですが、それに「プラス」です。これは更に、すばらしい本です。
 今までもクリスチャンは最高だったのに、さらにすばらしさがアップしたからです。実は何がプラスされたかというと、新たなるパートを追加したのです。ここにはクリスチャン生活を最高にする秘訣が書かれていますので、是非ともお読み下さい。
 実は今日が発売日なんですね。新城教会限定販売ということで、私は著者ですから、さらにここは新城教会ということで、今日に限り、出血大サービスします。1000円のところを、本日に限り500円にいたしますので、是非お買い求め下さい。そして、コンサートのチケットも合わせて買っていただきたいと思います。これはチケットの横で売っていますので、チケットも買いながら、500円本をお買い求めください。「クリスチャンって最高だ!+」は、皆さんにとってプラスになります。
 重要な項目を入れました。それは何かと言うと、日本人が一番熱心にやっている祖先崇拝のことを扱いました。
 祖先崇拝は、気持ち的には分からないわけではありません。だれでも祖先の霊が近くにいたら何とかしたいと思いますし、愛していた人が先に亡くなったら、なんとかしたいと思うのは当然です。けれどもそこに、巧みな悪魔の罠があります。先祖だと信じて拝んでいる相手は、先祖ではなく、先祖のフリをした敵なのです。これを読んでいただければ、誰でも理解できると思います。私は「クリスチャンって最高だ!」を寺の坊さんにも差し上げました。神主さんにもあげましたよ。いろんな宗教の人にも差し上げています。人々はうまいこと、サタンのだましに引っかかっているのです。
 日本において最も大きなテーマですが、最初に本を書いた時には、私はそのメカニズムについてよく理解していませんでしたので、うまく書けませんでした。しかし韓国リバイバルミッションが終わって、「こういう事だったんだ!」とよく理解して、その項目をプラスしました。
 この本はすでに韓国語で出版されています。「クリスチャンって最高だ!+」を韓国バージョンに書き換えて、昨年出版しました。韓国は教会も多く、あっという間に完売しました。日本のようにディスカウントしなくても、売れてしまいます。しかし今日は500円にします。1000円で2冊です。自分で読んで良かったら、もう1冊を誰かにあげて下さい。私は新しく来られた方とお話をした後に、必ず、「クリスチャンって最高だ!」を贈呈しています。伝道用に使っていますが、これからは「プラス」を差し上げたいと思います。

 クリスチャン生活の中で、究極的戦いは自己との戦いです。世の心遣い、富の惑わし、いろんな欲望が種の成長を阻むのです。

 み言葉の種を、良い地に蒔きさえすれば、何が起こるかが、ここに記されています。
マルコの福音書 4章26節〜29節、

また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」

 良い地にさえ種が蒔かれたら、種は自動運転で芽を出し、穂になり、穂の中に実が入り収穫に至るのです。いつ成長したのかわからないほどだというのです。種は自然に成長するものだと言うのです。
 クリスチャンになると、聖書を学ばないといけないし、これからどのように成長して行ったらよいのか、いろいろ悩むと思います。教会も、誰かがクリスチャンになったら、その人がどうしたら成長するのか、実を結ぶクリスチャンになれるのかに関心があります。種蒔きは福音宣教という意味にも関わりますから、牧師は人々に福音を語り、どうやって収穫するのかに関心があります。
 けれども、ここで語られているのは、良い地にさえ種を蒔いたら、夜は寝て、朝起き、そうこうしているうちに、気がつくと実を結んでいるというのです。
 真のクリスチャン生活は努力ではありません。気がついた時には実を結んでいるものなのです。
 ここにはクリスチャンになって間もない方もおられますし、教会が始まって60近く経ちますから、「60年物」というベテラン・クリスチャンもおられます。しかし将来のことを、あまり心配しないでください。良い地にさえ種が蒔かれたら、種は自動的に成長していくからです。

 新城教会が将来に向けて何をしたらいいのか?時代も変わるし、社会はいろいろと変化するかもしれません。しかし、良い土地さえ準備したら、神の国は自動運転です。夜は寝て、朝起きたら、そうこうしているうちに種は実を結ぶはずです。良い地さえ用意するなら、自動的に人は育っていくはずです。
私たちはそのような教会を目指したいと思います。しかし日本の教会はなかなかそうならず、誰かが教会に来たら、どれだけお世話するかで、実を結ぶか結ばないかが決定されるようなところがあります。
 しかし良い地さえ用意すれば、み言葉の種を蒔いたら、夜寝て、朝起き、「あれ?三十倍になった!六十倍になった!百倍になった!」と実を結ぶのです。そうなりたいものです。
 新城市と周辺地域に、クリスマス、多くの種を蒔きますけれど、「あれ?朝になったら三十倍に増えていた!六十倍、百倍になった!」と人々が救われるようになったら、そんな素晴らしいことはありません。
そのためには、何が必要なのでしょうか?

 実はこの夜は寝て、朝起きて、そうこうしている内に実を結びます、と良い地に種が蒔かれることについて、具体的に教えられているのが、マルコの五章だと思います。
 イエス様は種蒔きの例えを語り、夕方、弟子達をガリラヤ湖対岸に位置するゲラサに連れて行かれました。この事に関しましては、一度メッセージをさせていただいたので、それを思い出していただいたり、そのときのメッセージを参照していただくとよく分かると思うのですが、イエス様がゲラサに行った時、何が起こったかと言うと、悪霊に支配されてどうにもならない男に出会いました。イエス様とその男が対峙した時、男が何と叫んだのか記されています。
 マルコの福音書 5章7節〜10節、

 「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか。神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。」それは、イエスが、「汚れた霊よ。この人から出て行け」と言われたからである。それで、「おまえの名は何か」とお尋ねになると、「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないでくださいと懇願した。

 実は、イエス様は男の背後に隠れていた悪霊を追い出したのですが、「おまえの名前はなんだ」と聞いたら、「滝元順です」とか、個人名を言いませんでした。「私の名はレギオン」と告げたのです。
 実はこの「レギオン」とは、当時、ゲラサとデカポリス地方に展開していた、ローマの一個大隊の名称だったのです。レギオンとは、五千から六千の兵隊を要していて、隊長、副隊長、そして、がっちりと組まれたローマ軍の組織がゲラサに君臨していたのです。現実にもレギオンと呼ばれる軍隊が街に駐留していたわけです。
 男が悪霊から解放された時、悪霊どもが自分の名を明かしました。それが、街に駐屯しているローマ軍と同じ名称を持つ、「レギオン」だったのです。
 イエス様はレギオンを打ち破られたのです。一人の男の背後の悪霊と戦ったように見えますが、それはレギオンと呼ばれる軍団との戦いでした。結果、何が起こったのか?
 このゲラサの町にとって、一番困り者を解放したのですから、町長さんから、町会議員からみんな出て来て、「イエス様、ありがとうございます!」とお礼を言っても良さそうです。
 けれども、なんとイエス様に対して街の人々は、「町に入らないで下さい。帰ってください」と言ったのです。

 その時、レギオンから解放された男は、イエス様に「お供させてて下さい。」と言いました。人々がイエス様を受け入れなかったのですから、当然だと思います。その時に、イエス様はなんと言われたのでしょうか。
 マルコの福音書 5章18節〜20節、

それでイエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人が、お供をしたいとイエスに願った。しかし、お許しにならないで、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」そこで、彼は立ち去り、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、デカポリスの地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。

 なんと男がレギオンから解放された結果、イエス様はその町に入ることが出来ず、ガリラヤに帰ってしまいました。
 でも、解放された男が家に帰った時に、皆が男に起こった現実を見たのです。「彼はいやされている、解放されている!」と。
 そして、イエス様のことがデカポリス地方一帯に広がったのです。ゲラサは、デカポリスと呼ばれる、十の町連合の一つの町だったのですが、周囲の街々にも、人手によらず福音が拡大し、多くの実を結んだのです。
 夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、イエス様はデカポリス地方に入って行かれませんでしたが、福音が自然に広がったのです。

 実は、「良い地を用意する」とは、何を意味するかと言うと、レギオンが打ち破られることを意味します。ゲラサを含む、デカポリス全体を支配する暗闇の力が打ち破られることが、良い地を用意することに他ならなかったのです。
 これは、地域の霊的戦いが大変重要ですよ、ということを教えている箇所であると私は理解しています。

 実は、今回、韓国に行きまして、大きな事件に遭遇しました。みなさんも報道等で知っておられますが、ちょっと写真をお見せしたいと思います。
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 これが北朝鮮による、延坪島攻撃の様子です。この写真は、インターネットから拾ったものですが、島に照準を合わせて北朝鮮がロケット弾などを使って、突然、攻撃を仕掛けたのです。
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 島は一瞬にして瓦礫の山となってしまいました。もしも北朝鮮が今後も、このようなことを続けるならば、韓国も応戦しますから、近い将来、大きな戦争になると思います。本当に危険な状況です。日本にとっても、大きな脅威であることは間違いありません。
 戦争は、もちろん民族と民族のぶつかり合いとか、国と国の利益の問題とかが関わるんですが、先週、みなさんと共にヨブ記を学ばせていただいたのですが、ヨブ記の1章17節、

この者がまだ話している間に、また他のひとりが来て言った。「カルデヤ人が三組になって、らくだを襲い、これを奪い、若い者たちを剣の刃で打ち殺しました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。」

 カルデヤ人が三組になって襲ったというのは何を意味しているのかと言うと、カルデヤ人が組織的に、ヨブの使用人に攻撃を仕掛けたことを意味します。これは民族紛争とか、戦争に属することです。
 しかし1章前半を見ると、背後にサタンが関わっていました。戦争の背後に、悪魔的な力が働いていることを意味します。戦争には国を覆っている暗闇の力が働いているのです。
 私たちが、霊的戦いを意識して、国のためにとりなしをするか否かで、未来が変わるだろうと、今回痛切に感じました。
 延坪島は仁川のすぐ近くです。空港から本当に近い位置にあります。ソウルは北朝鮮とたいへん近い距離にあります。守りを祈らなければいけないと思います。

 ゲラサが、なぜレギオンの力に抑え込まれたのか?男が住んでいたのは墓場でした。墓場に住んでいたということは、墓場とレギオンが、なんらかの関連があると注解されていますけれど、当時のヘレニズムの文化の中で生きていた人たちが何をしていたかと言うと、「祖先崇拝」でした。
 当時のギリシャの社会は、「父方の家系を中心軸とする氏族社会」であり、祖先崇拝によってまとまりを保っていた社会であったと言われます。ゆえに祖先崇拝を通して、どうにもならない男が出現したと言えるわけです。ゲラサには悪魔が訴える理由が十分にあったのです。

 韓国に行きますと、同じ民族の中で、北と南で戦争をしています。今は休戦中で、いつ戦争が始まるかわかりません。
 特に今週は祈らなければならないと思います。今週は、米韓合同の軍事演習が黄海上で行われます。北朝鮮はそれに反対して「もう一度撃つぞ!」と言って脅かしています。今度北朝鮮が撃ったら、アメリカも一緒に戦うでしょう。そうしたら、朝鮮半島に大きな戦争が起こるでしょう。そうしたら日本もどうなるかわかりません。今こそ、私たちは祈らなければなりません。その背後に、暗闇の力が関わっています。

 それを指揮しているのが現実には誰かというと、「キム・ジョンイル」というたった一人の人物です。今度は息子が後を継いでいます。息子が「俺がこれから軍を指揮するんだ」ということで、それを誇示するために事件を起こしたとも言われています。本当に迷惑な話です。
 北朝鮮は、貧しくて、食べるにも窮しているような国だと言われます。しかしキム・ジョンイルという一人の男が指示を出すと、世界が揺れ動きます。あれは悪魔的な力以外の何物でもありません。なんであんなパワーがあるのでしょうか。キム・ジョンイル親子が延坪島攻撃の2日前に、延坪島のすぐ近くに来たのがすでに分かっています。だから、確実に彼らが作戦を立て、韓国に攻撃を仕掛けたのです。計画的な攻撃であると新聞に出ていました。朝鮮半島だけでなく、今後の日本の情勢にも大きく関わりますから、真剣に祈らなければいけません。ただ「神様助けてください」という祈りだけでなく、原因を見つけて悔い改めと共に、戦い祈らなければいけないことを教えられます。

 イエス様が宣教を始める前に、イエス様のところにサタンが現れ、またたく間に世界を見せて語った記事が出ています。
ルカの福音書 4章5節〜7節、

また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」

 「もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたに差しあげますよ」と、サタンがイエス様に告げたのです。この「拝む」というのがどのような行為かというと、欄外に「ひれ伏すなら」と説明されています。
 マタイの福音書だと、「私の前にひれ伏せ。そうしたら国をやる」と記されています。ひれ伏すという行為、アクションと引き替えに国をやる、と言うのです。「私に国々の一切が任されているから、これと思う人物に国を引き渡すことができる」と言うのです。
 サタンにひれ伏す者たちの中から、サタンはある人を選び、「おまえ、ちょっとこっち来い!この国をやるよ!」と、国々を支配する悪魔的権威を手渡すと言うのです。そんなことがあると言うのです。
 「ひれ伏す」という行為は、本当に恐ろしい行為です。ひれ伏すという礼拝行為を行っている国々がいくつかあります。
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これは、イスラムの国々です。ひれ伏して、アラーを拝んでいます。
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チベット密教も、ひれ伏してブッダを拝んでいます。
 チベット密教と、イスラムの国々を見ると、国が一人の人物の手に渡っています。イスラムの国々は、必ず、一人の宗教指導者の手に渡っています。イラクにおいてはフセインという暴君に、国の全てが渡っていました。今でもイスラムの国々は、首相や大統領が国々にいたとしても、あるイスラム宗教指導者がいて、その人物の考え一つで国の体制が全て変わるのです。だから恐いです。
 チベット密教は、ダライ・ラマと言う、一人の男に全てがかかっています。五体投地と言って、ひれ伏して礼拝します。

 実は、このアジアには、もう一つひれ伏すスタイルの礼拝があり、それが韓国と北朝鮮にあります。
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 墓の前でひれ伏して先祖を拝みます。
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 このような形態で祖先崇拝がなされると、サタンは一人の人物を選び、「よし、おまえに半島をやる!」と、権威を手渡しているような気がするのです。その根源にあるのが、祖先崇拝です。そこから大きな問題が発生しているような気がします。
 このような時期にあって、先祖崇拝から離れ、迫害や困難があったとしても、しっかりと神の前に立つことは、最終的に、国を救うことになるのです。
 また、韓国のためにも北朝鮮のためにも、祖先崇拝の背後で働く敵の力が打ち砕かれるように祈る時、神の国が人の手によらず進んで行くと信じます。
 蒔かれた種が三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶためにも、町のため、国のために祈っていかなければならないことを教えられます。先週も語らせていただきましたが、隣国のためにも、世界のためにもとりなし祈る中で、知らないうちに土地が改良され、蒔かれた種は三十倍、六十倍、百倍となって実を結ぶと信じます。
 クリスマス、とりなしの祈りが重要な時期です。町のためにも、日本のためにも守りをしっかりと祈っていきたいと願っています。
 最後に一言お祈りさせていただいて、今日のメッセージを終わらせていただきます。

 ハレルヤ、天の父なる神様。御名をあがめて心から感謝いたします。私たち、一人一人に使命を与えてくださっていることを感謝をいたします。
 今日は私たちの心に蒔かれた種が芽を出し、実を結ぶ環境を与えてください。私たちの全ての覆いを取り去り、種が人手によらず実を結ぶ業を見せてください。
 苦しんでいる人たち、悲しんでいる人たちが多くおられますが、その方々の救いといやしのために、私たちを用い、とりなし、働く者とさせて下さい。
 イエス様の御名を通して、祈りを御前にお捧げいたします。アーメン。