HOME > 2011年バックナンバー > 7月 > メッセージ2011年8月7日

『リバイバルの炎は消えません!』

2011.8.7(SUN)
新城教会主任牧師 滝元 順
使徒の働き1章3節〜11節

『イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

 ハレルヤ!おはようございます。今の「デュナミス」の賛美、素晴らしかったですね。デュナミスは、ダイナマイトの語源になった「力」という意味です。それは聖霊の力を表します。今日、来てくださった方々は、サンパウロのモンテ・シオン教会から来てくださいました。私も今まで、二回ほどお邪魔しましたが、彼らは覚えているかどうか分かりませんが。
 日本とブラジルは大変強い繋がりがあります。なぜかというと、ブラジルはどこにあるかというと、日本を掘って行くと、ブラジルのサンパウロの辺に出ます。嘘と思ったらやってみてください。日本とブラジルは、正反対の位置にあり、今、日本は夏ですが、ブラジルに行きますと、信じられませんけれど、真冬です。地球というのはおもしろいです。
 百年くらい前から、広いブラジルに大勢の日本人が移民をしました。向こうには日系人社会があります。特にモンテ・シオン教会は日系人の方々が中心となって出来た教会です。日本が貧しかった頃、自分の国にあまり望みを持てませんでした。それで多くの人たちが世界に出て行ったのですが、それを温かく迎えてくれたのが南米の国々でした。今はそれが、逆になった感じです。南米から日本においでになる方が多いですが、神様は、国、言葉を越えて、みんなが一つになることを望んでおられます。
 私たちの教会にもインターナショナルの働きがありまして、午後からブラジルやペルーの方々が礼拝を持っています。今日は、デュナミスの方々が賛美をしてくれますし、メッセージも語ってくださいます。興味のある方はお越しになっていただきたいと思います。

 今、世界のリバイバルの中で、成長が著しいのは、実はブラジルです。ブラジルで大きなリバイバルが起こっています。いまやどこの国よりも、クリスチャンになる割合が高いと言われます。地球の裏側でリバイバルが起こっています。神様の手が、地球の裏側、ブラジルに置かれています。
 でも、地球は丸いのです。ブラジルに行くとサッカーが好きです。日本人もサッカーが好きです。みなさん、サッカーボールをどのように持ちますか?丸いボールを持つ時、一方を持ったら、必ず、反対側を持ってボールを固定します。神様がブラジルに手を置いているのならば、もう一方はどこを掴まなければならないのか?これは日本を掴まなければならないはずです。ですから、日本とブラジルが一つになる時、これまた大きな勝利が現されると信じています。先日は韓国で同じようなことを言っていましたが、韓国とはまた違った意味があるのです。本当にブラジルは重要な場所です。

 私は「神の栄光を取り戻せ!」という本を書いたのですが、私は数年前に「ブラジルに行きなさい」と言われて、ブラジルにとりなしの祈りと集会に行きました。そこで日本について、いろいろ教えられました。歴史というのは日本国内から見ていても、なかなか見えないところがあります。他の国から日本を見ないと、本当の歴史の姿は見えません。今年は韓国でリバイバルミッションを行ない、韓国から日本を見たら、全然違う側面があることがわかりました。
 さて、ブラジルから日本を見ると、何が分かるのでしょうか?ブラジルと日本じゃ全然関係ない、と思うかもしれませんが、実は大有りなのです。実はブラジルが発見されたのがいつのことかというと、一五〇〇年です。十五世紀、十六世紀の境目に発見されました。しかしそこは元々「インディオ」の土地でした。インディオは、縄文人と同系統の人々でした。そのような人たちが長く住んでいました。しかし、そこにスペインとポルトガルが入って来たわけです。それと共に、カトリックが入って来ました。その結果、ブラジルはポルトガルの植民地となりました。

 ブラジルにカトリック宣教が始まったがいつかご存知ですか?では、日本はいつでしょうか?昔覚えましたね。「1549(以後よく)伝わるキリスト教」それは全くの嘘です。以後よく、キリスト教は伝わっていませんから。日本には1549年に入ってきたのですが、ブラジルも同じ「1549年」から、カトリック宣教が始まりました。日本に来たのはザビエルが来ました。彼はイエズス会士でした。
 実はブラジルもイエズス会が来ました。日本もイエズス会士たちによつて、ポルトガルの後押しと共に宣教がなされたのです。

 その結果ブラジルはどうなったかというと、ポルトガルに征服されてしまいました。日本はどうなったかというと、愛知県の武将たちが必死になって、ポルトガルとイエズス会士たちを追い出しました。それで日本は植民地化されませんでした。
 ポルトガルとイエズス会はブラジルと日本に対して、同じプランニングシートを使ったのです。同じ計画書によって、地球の表裏、ブラジルと日本に手を出したわけです。ブラジルは植民地化され、ポルトガル語になってしまいました。日本は征服されませんでしたから、日本語のままです。もしも、日本があの時、ポルトガルに征服されていたら、今頃、私たちは「オブリガード」とか言って、名前もブラジル人と同じ名前です。紙一重でした。
 歴史は日本国内から見てもわかりませんが、ブラジルに行くと「日本とこんなに繋がりがあったのか!それならば、神様の計画書も、ブラジルと日本に共通のものがあるはずだ!」と気づかされます。
 私はそのことを「神の栄光を取り戻せ!」という本に書きました。興味のある方は読んでいただきたいと思います。

 神様の働きは、回復の働きです。一度失われたものを、もう一度取り戻す働きです。イエス様の十字架と復活は、人類が悪魔の手に渡ってしまったものを、取り戻す働きでした。イエス様が甦った後、教会は誕生しました。そして教会に回復の働きがバトンタッチされたのです。回復のための聖霊の火は、決して消えないのです。

 今日、読んだ箇所は、イエス様が天にお帰りになる直前に語られた言葉です。「あなたがたは力を受けるまで、都に留まって祈っていなさい」と言われ、彼らはエルサレムで祈っていたわけです。そこに聖霊が注がれたのです。やがて弟子たちは、聖霊のデュナミスを受けて、世界に出て行きました。
 歴史を見ますと、聖霊の火は、時には消えそうに見えるのですが、決して消えていないことがわかります。この二千年間、世界中にリバイバルの火が灯し続けられています。ブラジルにも火がついています。やがて日本にもリバイバルが来ると信じています。
 ブラジルの人たちが日本に来て、日本のために祈ってくれたり、働きをして下さることには大きな意味があります。また、ブラジル人の方々が新城教会におられるのは、大きな理由があるのです。私たちはその計画に気づかなければなりません。

 「歴史」を英語で「ヒストリー」といいます。それは「ヒズ」「ストーリー」という二つの言葉から出来ているという人がいます。語源を調べてみるとちょっと違うようですが、ヒストリーとはヒズ・ストーリーと読むことができます。ヒズとは「神様の」、ストーリーとは「物語」。神様が書いた物語、それが歴史だというのです。
 今、私たちは紀元二〇一一年に生きていますけれど、これはイエス様がお生まれになって二〇一一年経ったということです。未だにイエス・キリストの教えと、初代教会に注がれた聖霊の炎は消えていません。日本にも、新城教会にも聖霊の炎が燃えています。今日、ここにおられる一人一人は神が書いた歴史書の一ページを満たすためにここにいるのです。それを忘れてはいけないと思います。

 私はなんでこの時代に生まれたのか、なんで日本に生まれたのか、なんでブラジルに生まれたのか、いろいろ疑問はあるのかもしれません。しかし、それは神が計画を持って、私たちを今の時代に、この場に置いてくださったのです。
 使徒の働きを見ますと、そのことが書かれています。使徒の働き十七章二十六節〜二十七節、

『神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。』

 これはパウロがギリシャのアテネで語った言葉ですが、世界にはいろんな国々がありますが、それらすべて、神の計画の中にあり、その時代にしか出来ない事があるのです。今、私たちはこの時代に置かれていますが、神の計画の中で二十一世紀に住んでいるのです。それぞれの国に、それぞれの民族に、神の大きな計画があります。
 悪魔も神様の計画があるのを知っていますから、国々を壊すとことに真剣です。国と国が対立して戦うように仕向けてきた歴史が、もう一方のヒストリーです。ヒストリーとは神様の計画と、それに対抗する暗闇の歴史を同時に現しています。その二つが同時進行しているようです。私たちは神の国に属し、暗闇の力を打ち破っていかなければなりません。

 今日は八月七日ですが、この地域にとっては、大変悲しい事件が起こった日でもあります。みなさんご存知でしょうか?一九四五年八月七日のことを知っている方は、この中にどのくらいおられますか?
 今日は、豊川に大空襲があった日です。今から六十数何年前、隣町が火の海になりました。それは戦争が終わるちょっと前でした。ちょうどこの時間、アメリカからB-29という爆撃機が飛んできて、多くの爆弾を落としました。
 ところで「B-29」って知っていますか?子供たちに聞いたら「そんな濃い鉛筆は知りません」と答えましたけれど、それは鉛筆ではないのです。爆撃機です。B-29は本当に恐ろしい殺人兵器でした。その爆撃機によって日本に原爆も落とされたし、大変な目にあいました。
 そのために、日本は大きく傷つきましたけれど、日本は間違った道から戻りました。国家神道とか全体主義は間違っている、変わらなくてはならないと、戦後六十数年経って変えられていったのです。いろんな事件を通して、国は変えられるという歴史を学ぶことができます。
 今回、日本が大きな災害に見舞われ、三万人近くの方々が亡くなったかもしれません。未だに終息できない福島第一原子力発電所の問題。これからどうなってしまうのだろうか。しかし戦後六十数年経って、日本人が再度おごり高ぶって、道を誤りそうになっている時、地震は自然の摂理でどうにも防ぎようのないことかもしれないけれど、神はそれさえも益にして日本に元々持っておられる計画を実現しようとされているのではないかと思います。

 来週はJJJがあります。今回初めて、浜松の浜名湖ガーデンパークで開催されます。これは震災の復興のチャリティーもかねて、宣教もかねて、ロンブラウンさんたちが来てコンサートをやってくれます。是非ともこの機会を生かしていただきたいと思います。浜名湖ガーデンパーク、みなさん行ったことありますか?こんな場所だそうです。

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 結構広いところです。是非、八月十五日は大勢の方々を導いていただきたいと思います。今、一生懸命祈って、準備しています。特に青年の方々が働いています。是非ともみなさんで協力し、新しい人たちを連れて来てください。
 先週も話しましたが、復興とは、壊れた街を建て直すことではありません。内側が壊れていますから、内側が建て直されない限り、本当の復興とは言えないのです。日本の内側が崩れていますから、これを建て直すためには、福音以外ありません。イエス・キリスト以外にありません。イエス様が私たちの心の傷を癒してくださる方です。ですから私たちはこの機会を使って、人々の内側が立て直されるためにJJJを盛り上げていきたいと願っています。またその収益は被災地に送られますから、是非とも、多くの方々をお連れいただきたいと思います。

 イスラエルの歴史を見ても、神に従った時代は祝福があり、神から離れた時代はいいことがありませんでした。どこの国でも同じです。本当の神に仕えていく時には良い事があり、偶像の神々に仕えると、いいことは何もありません。人生の歴史も同じです。
 実は、新城教会は今年で宣教が始まって六十一年になります。先週、私は誕生日でした。六十歳になりました。「六十歳か〜」と少し感動しているんですが、六十歳というのは日本では一般的に「還暦」と言います。でも、あれはクリスチャンは言わない方がいいのです。還暦はどういう意味かというと、輪廻です。死んでも、もう一回地上に生まれ変わるという輪廻思想です。だから赤いちゃんちゃんこなんか着て、赤ん坊のマネをするのです。日本人は六十年経ったら、全て水に流されると考えるわけです。ですから、戦後六十年が強調されました。「太平洋戦争の時には二千五百万人も死んだけれど、それらも六十年経ったからすべて輪廻したはずだ。俺たちがやったことはチャラだ」というような考え方があります。それは間違いです。だからそのような思想に基づいた「六十になったから還暦だ」なんて言わないほうがいいのです。六十は六十でいいのです。韓国に行けば私は六十一歳です。韓国では生まれたら一歳です。私はこの考え方がいいと思います。ゼロから始まるというのは、良い概念ではありません。一から始まったほうが聖書的です。聖書の神様は在ってある方ですから。

 新城教会がこうして二十一世紀に、この場所にあるのは偶然のように思いますけれど、決して偶然ではないのです。これは神の深淵な計画の中、その一ページを満たしているのです。そして私たちは、聖霊の火を次世代に送る使命があるのです。
 小学校と中学校の時、大玉送りという運動会の競技がありました。大きな玉が送られて来て、自分の所から次の人たちに流すのです。みんなで一つになってやっていかないと途中で玉が落ちて負けてしまいます。
 今日読んだ聖書の箇所のように、エルサレムから始まって大きな聖霊の炎が世界を行き来しているのです。そんな流れの中、主が教会を建てられたのです。それもグローバルな聖霊の働きの中で、今私たちはこの場に立っているのです。厳粛な思いで、宣教を続けなければならないことを教えられます。

 新城教会の歴史を知らない方々も多くおられるかと思いますが、この教会を始めたのは私ではありません。私の両親が始めました。六十一年前に、この地に入って来て、伝道を始めたことから教会が始まりました。
 本当にいろんな事があったけれど、今まで主が助けてくださったのは、エベン・エゼルです。感謝せざるを得ません。
 田舎にあっても、日本の困難な宣教の中、ある程度、神の祝福があるのはなぜかというと、決して私たちの努力ではないのです。聖霊様がこの田舎の教会に目を留めてくださり、火を注いでくださったからです。

 実は、私の父は津具村という田舎の出身です。津具村がどういう場所かみなさんご存知でしょうか?ここから一時間くらい山間部に入って行った、山の中です。私は津具村の写真を撮って来ましたので、見せたいと思います。津具村は愛知県なんですが、長野県との境です。

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 これは冬の写真で、住んでいる人よりも猪とか猿の方がずっと多い場所です。夏だと少し涼しくていい所です。

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こんな所に私の父は生まれました。父の生まれた場所は家がたった四軒しかありませんでした。前を見ても、後ろを見ても、横を見ても、全部山なのです。家がたったの四軒。ちょっぴり天が開いているだけで、日照時間も短く一日が短いのです。
 日本が戦争に負けて、失望している時に、父はこの田舎から東京に勉強に出て行ったのです。そして、東京でクリスチャンになりました。クリスチャンになって、聖霊の火がついたのです。そこで、「私の故郷には教会が一つもない!行って伝道しなくっちゃ!」と、田舎に帰って来たのです。それで新城教会が出来ました。あの時父が「東京はいいな!東京で一生暮らすんだ!」と言っていたら、私は今頃シティーボーイです。私の母は東京の女ですが、東京を捨ててど田舎に入って来ました。津具村から出た男が、津具村に戻ったのです。
 家が四軒しかない所で教会を始めても、将来性はありません。それで最終的に新城に降りて来たのです。けれども、こういう場所で伝道しても、なかなか難しいです。いくら一生懸命やっても、うまくいかなかったのです。教会員が増えないから、両親は子供を八人も産みました。私はその長男でした。私は学校に上がるまで、どの家だって八人ぐらいは子供がいると思っていました。隣に豚小屋があって一回に何匹も子を産むのを見て、人間もそんなもんかと思っていたら、学校に行ったら一人っ子、二人っ子というような、私にとっては天然記念物のような人がたくさんいて、びっくりしました。食べるのもままなりませんでした。

 でも、こんな田舎に住んでいた男、滝元明が、突然、日本中を回るような伝道者になったのです。今日に至るまで、六十年近く巡回伝道して、それでなんとか生活が支えられたようなところもあります。
 でも、なんでそうなったかというと、実は今から六十年くらい前、この地域にスウェーデンから大勢の宣教師たちが来ていました。東三河にある教会のほとんどは、スウェーデン人の宣教師たちによって開拓された教会です。今は日本人が受け継いでいるのですが、当時はスウェーデン人宣教師たちが多くいました。
 昔、この辺は外人なんて一人もいない所でした。その頃、スウェーデン人は珍しかったです。鼻が高くて白い人が来たら、村中の子供たちは総出で、見物に行きました。そんなところから始まったのですが、その方々は日本になぜ、宣教に来たかというと、実はこの方々は始め、中国に宣教に行ったのですが、太平洋戦争が終わった後、一九四九年に共産革命が中国に起こるわけです。それで宣教師たちは全員国外追放されたのです。それで彼らは、行く所がなくなって、しょうがなく日本に来たのです。その方たちの使命は中国宣教でしたから、日本語なんて全然出来なかったのです。日本語ができなくて宣教に来てもうまくいきません。
 そうしたら、ちょうど都合の良いことに、私の父がいたのです。彼はただ、日本語が出来るというメリットがあったのです。見たところ、ちょっと情熱があって、日本語で伝道メッセージが出来る。それで宣教師たちは渡しに舟という感じで、「あんた私の教会に来て、伝道メッセージを語ってくれ」と頼まれたわけです。それが仲間の宣教師たちに伝わり、全国巡回伝道者となって、今や、全日本リバイバルミッションにまで発展したのです。
 もしもあの時、中国で共産革命が起こらなかったら、今頃、私たちは何をしているのでしょうか。多分、教会もありません。みなさんもここにはいないと思います。教会があったとしても、小さな教会があったかもしれません。でも、スウェーデンの先生方がおられて、この教会も助けられたのです。本当に不思議です。

 しかし、そこにも裏があるのです。実は、聖霊の働きというのは、ペンテコステの日にエルサレムで注がれたのですが、その後、世界中に飛び火しました。ある時は火が弱まるように見え、消えたように見えました。またある時は火が大きく燃え上がった時代もありました。
 時々、バーベキューの時に、炭火が弱くなります。そんな時にどうするかというと、うちわで風を送るのです。そうすると、火が再び燃え上がるのです。神様も同じです。聖霊の火を世界に投じておられるのですが、だんだん弱くなる時、風を送ることがあるのです。

 特に、近代、聖霊の働きが大きく広がった出来事が何かというと、二十世紀の初頭、一九〇六年にアメリカのロサンジェルスのアズサ・ストリートという所で、聖霊が下ったことに端を発します。それは黒人の方々の教会に聖霊がくだって、三年間、毎日リバイバル聖会が開かれたそうです。一九〇六年の頃ですから、交通機関も発達していなかったけれど、そこにアメリカ中の人たちが来て、聖霊の火をもらい、アメリカ全体に、いや、世界にこのリバイバルの火が拡大しました。
 また、ヨーロッパの方からもその噂を聞きつけて、海を越え、山を越えて集まったそうです。一人のノルウェーのメソジスト教会の、TBバラットという牧師が、アズサストリートまで来たそうです。そして、彼も聖霊を受けたのです。一人が聖霊の油注ぎをもらうとその影響はすごいです。
 彼が聖霊の火をもらって、ノルウェーのオスロでペンテコステ集会を始めたそうです。そうしたら今度は、スカンジナビア半島からヨーロッパにその火が広がって行ったのです。やがてその火は、スウェーデンの小さな村にまで飛び火したのです。

 スウェーデンは国教会といって、冷えきった教会だったのですが、人の手によらずに村に聖霊さまが手を置かれるようになったのです。今まで、クリスチャンといっても名ばかりのクリスチャンで、罪を平気で犯してるような人たちが多かったそうですが、ある村に聖霊さまが訪れて、仕事している最中に自分の罪が示されるようになったというのです。「私は罪人だ。私は罪人だ」と。
 教会に来て、罪がわかったでしょうか?今まで、偶像礼拝が罪だとか、その他いろいろ罪が分からなかったのが、罪が何か分かったのは、聖霊様の働きなのです。聖霊が来る時、罪について、義について、裁きについて教えられるのです。聖霊様が来ると罪が示されるのです。「教会に来て、罪を意識するようになった」というのはいいことです。
 スウェーデンのある村においては、誰かが指摘したわけでもないのに、みんな罪が示されて、仕事が出来なくなって、村にある小さな教会に集まって、昼間から泣いて罪を悔い改めるような業が起こったそうです。
 そこで多くの若者たちがイエス様を信じて、やがて宣教師となって中国に宣教に遣わされて行ったのです。しかしその後、中国に共産革命が起きて、日本に来たのです。
 これは偶然のように思いますが、偶然ではなく、そこには神の深い摂理があったのです。

 私が高校生の頃、この教会に一つのちょっとしたリバイバルがありました。それは教会に聖霊が注がれて、みんなが罪を悔い改めて聖霊のバプテスマを受けたからです。
 それはどうして起こったかというと、実は隣町の豊川にリンデンという、少しごつい体つきをしたスウェーデン宣教師がいました。その人はポパイのような人で、腕に入れ墨をしていて、怖そうな人でした。この人がなぜ、宣教師になったのかなと思ったら、その人は昔、悪だったそうです。でも、今話した、スウェーデンのリバイバルで、悔い改めの霊が注がれて、彼は悔い改めて、聖霊によって変えられ宣教師になった人でした。彼も、中国から来て豊川で宣教していたのです。日本語が出来ないものだから、うちの父が行って助けていました。
 その先生は聖霊様のことをよく知っていました。人が変えられるためには、聖霊の力以外にありえない、とわかっていました。彼はアズサストリートのリバイバルがヨーロッパに、そして、スウェーデンにまで来たことも聞いていたと思うのです。
 その宣教師は、豊川でもリバイバル聖会をしなければいけない、ということで南米から聖霊の器を招待し、集会を持ちました。それで私たちもそこに行きました。みんな行って、聖霊を求めました。あまり、わけはわからなかったけれど、みんなで聖霊を求めた時期がありました。その時、この教会に大きな霊的破れがありました。

 しかし、多くの人たちが聖霊のバプテスマを受けたのに、私はだめでした。私は寂しかったです。なんの変化もありませんでした。でも、聖霊の働きは本当に不思議です。人の手によらずに動くのです。
 ある土曜日、私は高校から帰って来ました。この場所に、昔古い教会があったのですが、なんか騒がしいのです。泣き声や笑い声、叫び声が聞こえるのです。それは子供たちの声でした。何かと思って中を覗いたら、小学生の子供たちが教会に集まっていて、大人はいないのに、子供たちの上に聖霊が注がれていました。子供たちが異言で祈ったり、賛美したり、様々な事が起こっていました。私はそれを目撃しました。
 その時に聖霊様に触れられたのが誰かというと、今、ここで牧師をしている、上條実君とか、また賛美をしていた滝元開とか、彼は当時は鼻水垂らしていましたけれど。岡本信弘先生もいました。彼は笑いこけていました。「なんだおまえ?どうした?」と聞くと、「笑いが止まらん!」と彼は言っていました。
 皆、新城教会の子供たちに聖霊が注がれました。私はそれを目撃しました。しかし、私はさっぱりでした。

 一九九二年にも聖霊様が再度来てくださいました。あの時にも、子供たちに聖霊様が注がれました。それは突然起こったことではありません。エルサレムから始まった聖霊の流れが、巡り巡って、アメリカ、スウェーデン、中国、そして、日本にまで飛んで来たのです。すごいです。

 子供に聖霊が注がれると、一生が変わります。今日も、ここに子供たちが眠たそうな顔をしていますけど、子供たちが聖霊を受けることは重要です。
 私たちの教会に「ホサナクラブ」という子どもたちの集会がありますけれど、これは私の小さな時から受け継がれている集会です。その中に聖霊様の働きが継続されているのです。
 子供の時代に聖霊の油が注がれて成長していくと、危険からも守られます。子供たちを聖霊の力に触れていただけるように、親は努力しなければなりません。何を優先したらいいのか?子供たちが聖霊を受けることを、第一に求めなければいけないのです。

 昨日もこの教会に長いこと来られている夫人とお話をしたんですが、その方の子供は今は中学生になっています。女の子ですが、四歳の時に聖霊様に触れていただいたそうです。そして、霊の目が開かれたのです。
 聖霊様に触れていただくと、霊的な目が開かれるのです。霊的な目が開かれると、見える世界と、見えない世界を行き来しながら働いている敵の力をも、見抜くようになるのです。目が開かれていないと、見えない世界で何が起こっているのか全く気づきません。子供の時代に霊の目が開かれていたらどうでしょうか?見えない世界で起こっている事件を捉えますから、見える世界の問題も解決するのです。
 その子が四歳の時、夜中に「ママ、怖い怖い」と泣いたそうです。「どうしたの?」と聞くと、「入口から悪魔が入って来たよ。」と言ったそうです。それで、お母さんが祈ってあげたそうです。しかし翌日何があったかと言うと、女の子に高い熱が出たそうです。病院に連れて行ったら、診断の結果、川崎病と診断されたそうです。これはある意味、子供たちにとっては大きな病気です。後遺症が残ると心臓が悪くなるのです。
 昨日も聞いたのですが、川崎病を患ったことのある子供たちは、生命保険に入れないらしいのです。そのぐらいの病です。その子は川崎病と診断されて、高い熱が続き、血液製剤を入れないと治らないと言われたそうです。
 でも、聖霊様の働きは不思議です。子供たちにも働くけど、教会全体に働いています。私もその子のために祈っていましたが、土曜日のことでした。土曜日は牧師にとって少し忙しい時です。メッセージを準備しなければなりませんから。毎週、メッセージでヒットを飛ばすのはたいへん難しいです。みなさん、来てくださるのですから、ホームランとは言わなくても、ヒットくらいは打たないといけません。一般の歌手を見てください。ヒットなんて一生に一度か二度じゃないですか。我々、牧師は毎週ヒットを飛ばさなければいけないのです。毎週、名曲を作曲しろと言われているようなものです。ですから、土曜日はちょっと忙しいのです。
 でもその時は、「すぐその子の所に行きなさい!」と主が言われました。その子は安城の病院に入院していました。
 夜になったけれど、私は病院に行って、病室に入って行くとその子が高い熱で苦しんでいました。でも、私と家内で、彼女を苦しめている悪霊が打ち砕かれるように祈りました。その瞬間、その子は幻を見たそうです。それは何日か前に入って来た悪魔が目の前に出てきて、ガラスが割れるように、パリンと割れたそうです。
 すると、その直後に熱がすとんと下がり、まもなく退院となりました。今は中学生になりましたが、なんの後遺症もなく元気だそうです。その話を昨日聞きました。「霊の目が開かれていて良かったな〜」と感謝しました。彼女に霊的な目が開かれていたから守られました。開かれていなかったから、今頃後遺症で苦しんでいたのかもしれません。

 子供の頃、聖霊の油注ぎをもらうのはすごく重要です。この教会にもそのことが起こったのです。でも、それは急に起こったことではありません。世界を回ってきた聖霊様の働きです。今働いておられる聖霊様は、気まぐれで働いておられるのではありません。
 イエス様は天に帰られましたが、やがてこの地に帰って来られます。再臨があります。その日までが人類の歴史であり、神の計画をこの地に遂行するために、聖霊は注がれました。
 これから再臨に向かって、主が新城とこの地域に持っておられる計画とはどんなものでしょうか。そのためには、聖霊の火を決して絶やしてはいけません。この火をさらに燃やさなければなりません。しかし聖霊の火は、簡単に消えるような火とは違います。その火は決して消えないのです。
 一九九二年、激しく新城教会に聖霊様が注がれました。その時、やっと私は聖霊様に触れていただきました。本丸が落ちるまでには時間がかかりました。私は一九九二年、聖霊様によって大きく変えられました。

 今は天に帰られた田中たづ子さんが、私によく言いました。「新城教会にいろいろな奇跡が起こったけれど、一番大きな奇跡は、やっぱり順ちゃんが変わったことだね」と言われました。それは、嬉しいような悲しいような言葉でした。彼女は私をよく見ていました。「新城教会も順の時代に潰れる」と思っていたようです。けれども、そうではなかったようです。私も聖霊様に触れられ、熱い人間に変わりました。誰にでも、主は大きな計画を持っておられます。新しいことを始めようと願っておられるのです。
 今、話しましたように、聖霊の世界規模の働きがあるのです。そして、それは一つのルートだけではないのです。神様はいろんなルートを持っておられ、私たちには全て偶然のように見えるのですが、最終的にそれらが一つとなるのです。

 私の親父は津具村出身ですが、私も津具で生まれました。なんで津具から生まれた男たちが教会を始めたのかと思うかもしれません。先ほども写真を見せたような山深い所です。しかし津具村は、日本のキリスト教の歴史を見ますと、たいへん重要な場所なのです。
 日本は長い間鎖国をしておりました。それで宣教が困難だったのですが、一八七三年、キリシタン禁止令を示す「高札」が取り下げられました。それと共に、その前後に、多くのプロテスタント宣教師が日本に入って来ました。
 日本のキリスト教史を見ますと、有名な人物がいまして、それは一八七二年の三月に入国したアメリカ人宣教師で「ジェームス・バラ」です。この宣教師が横浜に来ました。そこで学生たちがクリスチャンになり、バラは彼らと一緒に祈祷会を始めました。その時、その祈祷会に聖霊が注がれたのです。そして、ジェームス・バラを通して、日本で初めてのプロテスタント教会、「日本基督公会」が設立されたのです。その時のメンバーはたったの十一名だったそうです。キリスト教史を学んだことのある方は知っていると思いますが、そこから「横浜バンド」が出来ました。
 ジェームス・バラの宣教で、二人の人たちがクリスチャンになりました。それがどこの人かというと、実は、津具村の人なのです。
 私の親父の出身地、津具村で生まれた山崎民平さんと佐藤峰三郎さんという人が東京でイエス様と出会うのです。このジェームス・バラ宣教師によって導かれたのです。
 そのときこの二人は何を考えたかと言うと、「私たちの村、津具村には教会がない!なんとか福音を伝えなければ!」と言って、津具村に帰って行ったのです。そして有名なジェームス・バラ宣教師も津具村に来てもらったというのです。その時、津具村で一人の人物が救われました。その人の名前は「村井与三吉」です。この人は学校の先生だったみたいですが、クリスチャンになり、その生活がたいへん素晴らしかったみたいです。やがて彼は牧師となって、津具村で三十年以上にわたって伝道しました。
 現在、津具村に行きますと、村井与三吉を記念した記念碑が立っています。私は先週行って写真を撮って来ました。

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 なんでこんな記念碑が建ったのかというと、それほど彼の人生がすばらしかったからです。また誰が建て、碑の文字を書いたかというと、世界的に有名なクリスチャン、賀川豊彦でした。聞いたことがあるかもしれませんが、賀川豊彦が文字を書きました。また、村人たちがお金を出して、村井与三吉の碑を建てました。
 人々は彼を見て「素晴らしい人だ!私もあの人のようになりたい!」と考えたのです。
 当時、賀川豊彦は、肺病で死にかけていたそうです。どこで療養していたかというと蒲郡です。あの辺は温泉があるものだから、療養していたようです。そこで噂を聞いたそうです。「村井先生に会ったらいいよ」と。彼は実際に村井先生に触れて、「素晴らしい!私もこんな人生になりたい!」聖霊の火が燃えたのです。
 そして、彼は、「どうせ死ぬのならば、イエス様のために命を懸けて死にたい」と思い、キリスト教精神で社会に奉仕し、彼は世界的に有名な人物になりました。

 その頃は、津具村に大きなリバイバルがあったそうです。日本で始めて「リバイバル」という言葉が使われたのが津具村でした。
 クリスチャンになると自分の家の墓にも入れてくれなかったそうです。それでも人々は信仰を保ったそうです。だから、クリスチャンになった家は、村の墓にも入ることが出来ず、墓石を倒して庭の敷石にしたという記録も残っているそうです。
 愛知県の片田舎、私の父が生まれた村に、かつてリバイバルが起こって、村人が大勢クリスチャンになったそうです。

 でも、残念なことに、一九二四年に、村井与三吉さんは亡くなり、津具教会は後継者もなく、閉鎖されてしまったのです。そこで聖霊の火は消えたかと思われるのですが、なんと一九二九年、一人の男がまた津具で生まれたのです。
 その男が誰かというと、「滝元明」です。不思議じゃないですか。一方では火が消えようとも、継続して神は聖霊の火を燃やし続けられたのです。
 実はその流れの中で、この近くの海老村にもリバイバルが起きました。海老村ではマクレイという宣教師のラインでしたが、リバイバルが起こったのです。その時には、新城にも教会が出来たのです。新城西小学校の校長は当時、クリスチャンだったそうです。辻田さんと言う人で、彼は教育勅語の朗読を拒否したそうです。それは普通ではありえないことです。そのくらいしっかりとした、、クリスチャンだったのです。でも、教会も宗教団体法成立と共に壊されてしまったのです。

 新城の教会も、火が全て消えたかのように見えました。しかし火は残っていたのです。また、この場所で聖霊の火が燃え始めたのです。津具村と海老村のリバイバルの火も消えてはいなかったのです。それで今、私たちはいるのです。
 私たちは、偶然にここにいるのではないのです。偶然に今、座っているのではないのです。神様のグローバルな計画の中、今、ここにいるのです。ですから、この火を燃え続けさせなければなりません。レビ記六章十二節〜十三節にこんな言葉があります。

『祭壇の火はそのまま燃え続けさせ、それを消してはならない。かえって、祭司は朝ごとに、その上にたきぎをくべ、その上に全焼のいけにえを整え、和解のいけにえの脂肪をその上で焼いて煙にしなさい。火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。消してはならない。』

 この火を消してはいけません。そして、私たちは神の国の働きのために、真剣に働いていかなければなりません。神様は各世代を通して、各時代を通して、役割を与え、もっと炎を強くするように願っておられます。
 今、主が語られていることは、「ここに注がれている聖霊の火を決して消してはいけません。リバイバルの火は消えることはありませんから」と励ましてくださっています。
 やがてこの路線の中で、主は大きなリバイバルを、日本に起こしてくださるのです。その役割が誰にあるのかというと、私であり、あなたです。今日、ここに集まっておられる三百人以上の方々が、その使命があるのです。
 新城教会に偶然来たように思うかもしれませんが、そうではないのです。今、話したように、歴史の中、神の大きなうねりの中、火をさらに強くするために、あなたは選ばれたのです。
 最後に、この御言葉を読んで、終わりにしたいと思います。第二テモテ一章六節、

『それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。』

 みなさんに既に聖霊の火はあるのです。それを燃え立たせてくださいと。今、主は新城教会に語っておられると信じます。聖霊の火がすでに下っていますよ、でも、それを再び、燃え立たせてくださいと。決して火を小さくしてはいけません。それを再び燃え立たせてください。火を大きくしたら、地域を、国を、変えることができます。
 今、どうしてもそれが必要な時です。その使命をいただいて、今日、この場所に、歴史的に立っているのです。そのことを思う時に、厳粛な思いにさせられます。

 この夏は日本を勝ち取るための「夏の陣」といってもいいのではないかと思います。JJJもありますし、津具村での伝道集会もあります。再び、日本がリバイバルの火で燃えるように、明治時代に入った火は小さくなったかもしれないけれど、決して消えていません。それを大きくして、ブラジルのように燃やしましょう。主の前に心を決めて出て行きたいと思います。最後に一言お祈りして、聖餐式の時を持ちましょう。


 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて心から感謝します。今日はこのように主の前に出ることができ、心から感謝致します。あなたが聖霊の火をエルサレムから運んでくださり、新城にも火がくだり、今燃えていることを心から感謝します。もう一度、私たちに与えられた神の賜物を燃え立たすことができますよう、お願い致します。もし罪があったら全て十字架の血潮によって聖めてください。日本が本当に復興しますように。心が復興しますように。日本にリバイバルが起きますように。主よ、ここに来てください。この夏、日本にリバイバルが起こりますように。そのために献身して働きますから、用いてください。周りには救われていない人たちが多くいます。どうかその人たちに声をかけることが出来ますように。主よ、あなたの与えてくださったこの永遠の命を、人々に紹介することができますように。
 今日のこの時を心から感謝します。今からの聖餐式を祝してください。イエス・キリストの御名によって、祈りを御前にお捧げいたします。アーメン。