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『いつも喜んでいなさい』

2012.5.6(SUN)
新城教会牧師 滝元明
テサロニケ人への手紙第1 5章16節〜23節

『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。御霊を消してはなりません。預言をないがしろにしてはいけません。しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。悪はどんな悪でも避けなさい。平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。』


 ハレルヤ!一言お祈りします。
 愛する天のお父様、今日もこうしてあなたがここにいらっしゃり、礼拝を守ることができ心から感謝します。またあなたに向かって、心から賛美をささげることができました。すべての栄光をあなたにお返しします。これから小さな者が御言葉を取り次ぎますけれど、この時間を祝福してくださり、今日の御言葉が一人一人にとって、喜びとなりますように導いてください。尊いイエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。

 おはようございます。今日はひさしぶりに、お話しさせていただけることを心から感謝します。先週、私は栃木県の黒磯で二日間奉仕をしました。またその前の週は、秋田の大館という所で奉仕をしたのですが、感謝なことに、みなさんにお祈りしていただいて、健康で奉仕ができましたことを感謝します。
 私は、九月になると八十三歳になります。秋田に行くには、新城を出て、新幹線に乗って東京に行き、東京から新青森まで行って、青森からまた乗り換えて、奥羽線で大館まで行きます。だいたい家を出てから八時間半くらいかかりますが、この歳でも一人旅が出来ることを感謝します。着いたその晩に集会をして、またその翌日も集会をして、また、その次の日曜日は一日に三回集会をして帰って来ることができました。みなさんのお祈りで支えられていることを、感謝したいと思います。

 もう一つ感謝したいことがあります。数週間前ですけれど、順牧師が私の家内のことを話しましたが、家内がだいぶ元気になりました。みなさんのお祈りに支えられていますことを感謝します。
 その後から、いろいろな方に質問されました。それは私の家に天の使いが来たということで、「それはどういうことですか?」と聞かれましたから、そのことについて少し話したいと思います。
 二年前くらいから、私の家内が病気になりました。病名は、「筋肉無力症」という病気ですけれども、医者にかかり薬を飲み始めたら、すごく痩せてしまいました。私自身もそうですが、子供たちも、「時が来たら召されるのだから、嘆くことはない」と言っていました。私の長男も「いつ召されるかわからないから、召される時には国外じゃなくて、日本にいられるように祈っていた」なんて話していました。

 私もある日のこと、家内が天国に行くかもしれないと思って、イエス様の前に真剣にお祈りをしました。何とお祈りをしたかというと、「主よ。聖書の中には『神はアブラハムを友と呼んだ』とありますが、あなたはアブラハムを友と呼んだけれど、私もイエス様の友達です。そして聖書の中には、『わたしのしようとする事をどうしてもアブラハムに隠すことはできない』とあります。私も友達ですから、隠さないで下さい。もしも家内が天に召されるのならば、そのように教えてください。もしもそうではないのなら、そうでないと教えてください」と真剣にお祈りしました。すると、主は私に「まだ召されない」と言われました。
 そして詩篇の九十一篇から、『わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。』という御言葉をいただきました。ですから、私も信仰を持ちました。

 そうしましたら、いつだったか日にちは覚えていませんが、私は夢を見ました。それは生まれて初めて見た夢です。夢の中で夜寝ていましたら、一人の男が部屋に入って来ました。私はびっくりして、夢の中で怒鳴っていました。「おまえは誰だ!黙って入って来て。鍵を閉めていたのに、どうやって入って来た?!」と聞くと、その男は「私は天の使いだ」と答えました。そして、「これからあなたの奥さんは良くなって行く。」と私に告げ、ぱっと消えました。
 夢の中で天使が現れたのは初めての経験でしたが、どんな格好かというと、ちょうどアジア人をイエス様の姿として描いたような姿でした。しばらくの間、私の前に居てからぱっと消えました。
 不思議なことに、それから家内は元気になって来ました。先週の二十四時間PPHも随分長く、私と一緒に賛美をしていましたし、それからは寝込むこともないし、朝も早く起きるし、一緒に賛美して、聖書を読んで、お祈りして、そういう生活を現在続けています。それは、みなさんの祈りもあって、今日まで支えられたことを心から感謝します。

 二ヶ月前に、新城病院に行きましたら、「体重が二キロ太りましたよ」と言われました。今は三十八キロくらいの体重ですけれど、また続けてみなさん、覚えて祈ってください。いつ召されるかどうかということは、私も家内も誰にもわかりませんが、「死ぬまでは生きる」と確信しておりますから、ひとつみなさんも覚えて祈っていただければ嬉しいです。

 今日は、今読みました御言葉で『いつも喜んでいなさい。』この言葉をみなさんと一緒に学んでいきたいと願っています。『いつも喜んでいなさい。』一緒に言ってみましょうか。『いつも喜んでいなさい。』短いですね。それから、『絶えず祈りなさい。』
 神様が私たちに与えられた御言葉ですけれど、クリスチャン生活の中で、やはりいつも喜んで生活をすることは非常に大切ですよね。
 先週は二十四時間PPH、「リバイバル・フェスティバル」がありました。その聖会に出た方は聞いたわけですが、有賀先生が少しほど前に被災地、東北に行って奉仕をされました。気仙沼に行ったそうです。その時の証をしました。
 ある大工さんの家が津波に流されてしまったそうです。そして、仕事もなくなってしまった時、ビリーグラハム伝道団がアメリカから大工さんたちを送って、被災地で家を建てていたそうです。それで、その人に声がかかったそうです。
 「あんたもそこに行って働きなさい。」彼は何も仕事がないので、大工さんなので、家を建てる手伝いに行ったそうです。それでアメリカから来た大工さんたちと一緒に仕事をしてびっくりしたというのです。何をびっくりしたかというと、その人たちはいつも喜んでいる、いつも感謝している、そして、神様にお祈りしていたのです。
 その大工さんは今まで、クリスチャンじゃない人たちと働いたそうですが、仕事中はいろいろ汚い話をするし、奥さんの悪口を言ったりと、非常に荒れていたというのです。しかし、「この人たちはなんでこんなに喜んでいるだろうか?」とすごく感動したというのです。それで、その人は教会に来るようになったと言われました。教会に来るようになって、イエス・キリストを信じて、バプテスマを受けて救われたという証でした。
 私たちもクリスチャン生活の中で「いつも喜んでいなさい」とありますけれど、仕事中も、日常生活の中も、喜んで生活することが非常に大切です。私たちも喜んで生活しましょう。
 もう一箇所、聖書を読みたいと思います。ピリピ人への手紙四章四節〜五節、

『いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。』

 イエス様が帰って来られる時が近いです。だから、「いつも喜んでいなさい。」みなさん、喜んで生活をしましょう。
 今日、みなさんにも喜びがきっとあると思いますが、この教会で礼拝ができることは、私にとって大変嬉しいことです。
 先週の礼拝、私は出ることができなくて残念でしたが、ある方から聞きましたら、「今日の礼拝は良かった!順牧師のメッセージはすごかった!感動した。涙が出ちゃった!」と聞きました。
 私もそこにいなくて残念だったな、と思いましたが、その時の話は、ちょうど一九九三年、甲子園ミッションがあった時に、大勢の人たちがこの教会から出て行ってしまいました。教会はどうなるのかと思った時、二人の実業家の兄弟たちが、喜んで収入の五十パーセントを献げて助けてくれたことを感謝していました。もちろんそれだけが全てじゃありませんが、この教会が今あることも、愛する兄弟姉妹たちが愛を持って献げてくれたおかげだと、心から私も感謝しました。

 みなさん、教会があるということ、教会で礼拝ができるということは、素晴らしいことですね。私が東京から伝道に入った時、最初、どこに入ったかというと、私の生まれ故郷に行きました。どういう所か写真をお見せしたいと思います。

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 大きな家と小さな家がありますが、小さいほうがシイタケの乾燥場でした。ここから伝道が始まりました。ここに住みながら、津具鉱山で働きながら、伝道をしました。シイタケの乾燥場の下では山羊を飼っていました。そんな所で新婚時代を過ごしましたが、ここから伝道が始まりました。ですから、これが第一の教会です。
 次の教会はどんな教会かというと、新城に出て来ました。

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 元ダンスホールを買って、そこで集会をした。教会の前で撮った写真ですが、懐かしい写真です。誰がいるのかわかりますか。向こう側から二番目にいるのは、岡本正広君、その隣にいるのが信弘先生。それから私がだっこしているのは上條実です。それから前の横が望です。それから私の後ろにいるのは順です。
 最初、こんな人たちが集まって礼拝を持ちました。だいたい二十人も入ればいっぱいになるような教会でした。この時に救われた方たちです。一番左側にいるのは岡本キヨさんですね。この中からも、すでに三人くらい天国に帰っています。しかしこういう人たちが新城教会の初代教会の人たちです。
 それから次を見てみてください。

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 百人少し入る教会です。こういう教会を作りました。これが新城教会の献堂式です。

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 こういった人たちが集まって、献堂式に出ました。みなさんの中で、この献堂式に出た方、いらっしゃるでしょうか?いるとしたら、その頃は子供だったと思います。本当に一同、感動して、涙流しながらこの会堂に入ったことを今でも忘れることができません。

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 それから、教会に地下を作りました。なぜ地下を作ったかというと、前に買ったダンスホールは、四軒長屋でした。だから、大きな声で賛美をしたりすると、隣の人が怒鳴り込んで来ました。「やかましい」と怒られました。だから祈って、「イエス様、今度はいくら賛美をしても、怒られない所に行けますように。」
 だからこの教会を建てた時には、地下室を造って、地下で賛美したり祈ったりしました。それで、でかい声で祈っても近所迷惑になりませんでした。この場所の土地を二百四十九坪買いました。
 それから七年くらい経ってから、教会を増築しました。三百五十人くらいの教会です。こういう教会です。

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 そして、同じ場所に一九八〇年、現在の新しい会堂が建ちました。私も今朝、朝早く来て教会の角に座って、「感謝だなぁ。」と感動しました。
 一九八〇年にこの会堂を建てたということは、この会堂は三十二年も経っています。しかしこの教会は三十二年前と変わらないくらい綺麗です。
 その時、建築委員の人たちががんばってくださり、また、兄弟・姉妹ががんばってくださったことを思うと感謝だなぁと思います。

 なぜ教会が建ったかというと、私がちょうど新城に来た時、新城のある人に出会ったら、こう言うのです。「新城の人はけちです。」それは、私が言ったわけじゃありません。「新城の人はけちなんで、献金するなんて言ったら、人は来なくなりますから、献金はしない方がいいですよ」と言われました。私は、「あぁ、そうか」と思いました。
 その頃、私は麻工場に勤めていたので、生活に困っていませんでした。それで「わかりました」と言うことで、田中先生たちが教会に来始めたころは、ほとんど献金をしませんでした。
 しかし、一九五五年くらいだったと思いますが、岡崎で伝道していたジョセフ・シメオンソンという、スウェーデンの宣教師が来ました。そして、私の教会でメッセージをしてくださいました。
 そして、礼拝が終わって「はい。これで終わります。みなさん解散です。」と言うと、ジョセフ・シメオンソン先生が私にこう言うのです。
 「先生、どうして礼拝献金をしないんですか?」私は、「あぁ、あのね、新城の人たちはけちな人が多いから、献金すると教会に誰も来なくなるから、献金は取らないことにしています。」と言うと、ジョセフ・シメオンソン先生が、「先生、そんな聖書の教えがどこにありますか?」と言うのです。

 「いや、聖書はともかくとして、この辺の人たちはけちだから金を取らないことにしています」と言うと、「先生、献金を取るって言うけれど、誰が取るんですか?先生のために献げるんですか?神様に献げるんじゃないんですか?先生、それは間違った考えですよ。聖書は『十分の一献金をしなさい。そうすれば溢れる恵みを与える』と書いてあるでしょう。先生はみんなの祝福を奪い取っているんですよ。だからそれは間違っていますから、先生、悔い改めなさい。」と言われました。それは私の心に強く響きました。
 それから私は悔い改めました。その次の週から、「みなさん、献金をしましょう。イエス様に献げましょう!」と言いました。
 すると、それからみんなの心が燃えて来て、「そうだ!教会堂を建てよう!」という話になり、日本電建に掛け金をしました。一ヶ月にいくらしたかというと、今と金の価値が違いますが、一万八百円しました。予約献金したら、一万一千円ありました。その時分、私はこの教会から給料を貰っていませんでした。
 一生懸命になって、五年間献金して、この場所に教会を建てました。私の家を売って二百九十四坪の土地を買いました。いくらで買ったかというと、坪千円でした。今から考えると安いでしょ。近くの人が来て、「土地を買ってください」と言ったのでいくらかと聞くと、桑畑だから八百円で良いというのです。八百円は安すぎるから千円にしようということで、二百九十四坪を買いました。
 そして、みんなで地下を掘りました。リアカーを一生懸命引いて働いて、子供たちも働いて、その時の感動を今でも、忘れることができません。私は献堂式の前日、泣けて話ができないと思ったので、前の日に全部の涙を出してしまおうと思って、教会の地下に行って、おいおい泣きながらイエス様に感謝して、出るだけの涙を流しました。
 それから、献堂式がありましたが、その時に働いたクリスチャンはみんな泣きながら、献堂式に出席したことを今でも忘れることはできません。
 みなさん、教会を愛することは大切なことです。教会の頭はイエス様です。私たちは体の一部分です。感謝しなければいけません。

 聖書の中にダビデという王様がいます。ダビデ王様はなぜ祝福されたかというと、彼はベツレヘムの出身で羊飼いをしていました。その中から特別ダビデだけ選ばれて油注ぎをされたというのです。彼がなぜ祝されたかというと、彼の人生を見ると、『主が共にいて祝福された。いつでも共にいた』と書いてあります。
 彼は力を込めて賛美しました。『狂うくらい賛美をした』と書いてあります。それでダビデは祝福されました。
 しかし、決定的にダビデが祝福されたのはいつかというと、聖書の中にこのようなことが書いてあります。歴代誌第一 十七章一節〜八節、

『ダビデが自分の家に住んでいたとき、ダビデは預言者ナタンに言った。「ご覧のように、この私が杉材の家に住んでいるのに、主の契約の箱は天幕の下にあります。」すると、ナタンはダビデに言った。「あなたの心にあることをみな行いなさい。神があなたとともにおられるのですから。」その夜のことである。次のような神のことばがナタンにあった。「行って、わたしのしもべダビデに言え。主はこう仰せられる。あなたはわたしのために住む家を建ててはならない。わたしは、イスラエルを導き上った日以来、今日まで、家に住んだことはなく、天幕から天幕に、幕屋から幕屋にいた。わたしが全イスラエルと歩んできたどんな所ででも、わたしの民を牧せよとわたしが命じたイスラエルのさばきつかさのひとりにでも、『なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか』と、一度でも、言ったことがあろうか。今、わたしのしもべダビデにこう言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場からとり、わたしの民イスラエルの君主とした。そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにおり、あなたの前で、あなたのすべての敵を断ち滅ぼした。わたしは地上の大いなる者の名に等しい名をあなたに与える。』

 聖書を見ると、『アブラハムの子である、ダビデの子』と書いてあります。そして、イエス様もダビデの家系から生まれたわけです。神が特別な祝福を与えた一つの理由は、ダビデは杉材の良い家に王となって住みました。
 しかし考えました。「神の家はずっと荒野から天幕から天幕だ。自分だけこんな良い家に住んで、神の家が天幕というのは申し訳ない。」それで預言者ナタンを呼んで、「神の家を建てよう」と言いました。するとナタンは「あなたの心にあることを行いなさい。」と言いました。しかし神様はそれを禁じました。
 『あなたは多くの血を流したからあなたは建ててはならない。その子ソロモンが建てる』と言われました。
 しかし、神様は神のために素晴らしい会堂、神の家を建てるという思いをすごく喜ばれ、「あなたを、羊の群れを追う牧場からとり、君主としたけれど、これからわたしはあなたに大いなる者の名に等しい名をあげよう」と祝福されたのです。
 みなさん、彼は、「神の宮を建てる」ということにおいて、素晴らしい祝福をいただいたのです。

 新城教会も三百五十人くらいの教会を建てました。その時に、ある建築会社に建ててもらいました。「あんまり金がないので安く作ってくれ」と言うと、安く作ってくれました。
 それで随分時間がかかって、やがて三百五十人くらい入る会堂が建ちました。
 私も感謝してそこで集会を持ちましたが、よく「この会堂は安く建てたんですよ!」と話をしていました。ある時、「安く建てたんですよ!」と言ったらある人から責められました。神の家を安く建てたということで責められたのです。安い材料を使ったので白アリも入りました。それで私は考えて、「これではいかん。一番素晴らしいものを神に献げよう。」と心の中で決めました。
 「素晴らしい教会堂を建てよう!最高の会堂、五百人は入る会堂を作ろう。」それから、兄弟姉妹に話しました。今日もここにいる人たちの中で、何人かを建築委員に選びました。
 私はその時に言ったことは、「最も素晴らしい教会を建てて下さい。」と、お願いしました。彼らはそれを受け止めてくれました。私の考えは突拍子もないところがありますが、彼らは韓国に行ってすぐれた会堂を調べたり、いろんな教会に行って調べたりして、この会堂を設計しました。
 この会堂が出来たとき、それは新城で一番良い建物でした。最初に披露のために建築家だとか、市長さんだとか、国会議員なんかを招きました。国会議員も三人来ました。彼らも「東三河にこんな素晴らしい会堂が建ったことは、本当に誇りです」と祝辞を述べてくださいました。あんまり大勢人が来たので、その時は、警察も来て交通整理をしました。

 そして、もう一回はクリスチャンたちの為の献堂式でした。それも全国から集まって祝福してくださいました。
 私たちが教会堂を建てた時、神様が作ってくださったのです。そして皆が喜んで奉仕してくださったのです。会堂が建てられた後に来られた方々も多くいらっしゃいますが、これからも教会を愛してください。新城教会は会堂もいいです。
 韓国に行くと、なかなかおもしろいです。韓国の人たちは自慢話が多いのです。「うちの牧師は、韓国で一番素晴らしい牧師です」と自慢します。また、「うちの教会が一番素晴らしい。」と自慢します。それぞれでいいのです。教会を愛することは素晴らしい祝福になります。そして、心からイエス様を愛していきましょう。

 「いつも喜んでいなさい。」何が嬉しいかといったら、罪が赦されたということほど大きな喜びはありません。
 この前、下條真紀子先生が来られて、リバイバル神学校で話をしてくださいました。先生がこうおっしゃいました。先生は小さい時から教会に行ったそうです。偶像も拝まないし、教会にずっと行って、ある時のこと、名古屋の一麦教会に行ったそうです。すると、その教会は、ハレルヤだとか叫び、やかましい歌を歌っていて嫌な教会だと批判していたそうです。しかしなんだか惹かれるから、行っていたというのです。
 しかし二十五歳の時、神様に触れられたというのです。何に触れられたかと言うと、「私ほどの罪人はいるだろうか」とわかり、おいおい泣きながら、自分の罪を告白して悔い改めたというのです。そして「その時から私の人生は変わりました。」と言われました。
 イエス様にお会いして罪が赦される経験をすると喜びが継続します。「教会に愛がない。」「あの人は冷たい。」そんなことはどうでもいいのです。私が神の前に罪人だということが分かった時、「十字架の血によって罪赦された!」と知るのです。
 私も十九歳の時に、「私は罪人です」と神の前に悔い改めて、罪を清算した時に喜びが来ました。

 三月、私は長野県のある教会に招かれて行きました。その教会は開拓伝道に出た教会ですけれども、二日間集会しました。そんなに大きな集会ではありませんでしたが、いい集会でした。
 日曜日の礼拝に、そこには娘さんと、男の子が三人いるということでした。長男は献身し、次の人も献身していますが、もう一人の息子さんが教会に来ました。すると先生がこう言うのです。「先生、彼のために祈ってください。彼は放蕩息子です。彼はイエス様から離れています。」
 牧師の息子でも時々離れる時もあるのです。なぜかというと、お兄さんたちの出来が良くて、反発して、喧嘩はするし酒は飲むし、悪い生活をしていたというのです。「彼は放蕩息子です。先生、なんとかして救いに導いてください」と言われました。
 その時、私はこう話しました。「あのね、魚釣りに行って、大きな魚を釣る時は、すぐに上げると糸が切れちゃうから、大きな魚を釣る時は糸を緩めたり引いたりしながら、弱らしてから上げるんだよ。あなたは大きな器だから、なかなか上がらないんだよ」と言うと、彼がぽろぽろと涙を流しました。
 彼は、「おまえ。悔い改めよ!」と言われるかと思ったら、そうじゃなかったから涙を流したのです。
 礼拝が終わってから、食事を始めると、「先生、ちょっと食事中だけど祈ってくれませんか?」と言いました。「何を祈るんですか?」と聞くと、「うちの放蕩息子が先生に祈ってもらいたいと言うのです。祈ってください。」と言われました。それで祈ってあげました。
 彼は涙をぽろぽろと流しながら、「今まで私は間違ってました。」と、本当に泣きながら悔い改めました。そうしたらその隣にいるご婦人も泣いて「どんなにこの日を待っていたことでしょう。」と言われました。そのご婦人は彼のお母さんでした。

 一人が悔い改めたら、天に大きな喜びがあるのです。クリスチャンが「いつも喜んでいなさい」ということは、誰かが救われる喜びほど大きなことはないです。儲かった、おいしい物を食べた、これも素晴らしいですが、「誰かが救われた」これはいつまでも続くのです。

 また三月の初めに、仙台で「希望の祭典」という集会がありました。フランクリン・グラハム先生が来られてメッセージをしました。私も三日間行きました。
 その集会に行った時に私は感謝しました。実行委員長が挨拶をしたり、副委員長がお祈りしたりしました。そうしたら副委員長の先生が来られて、「滝元先生!僕は先生の伝道で救われたんですよ」と言われました。いつだったか私も思い出しました。
 五十何年前です。仙台でクルセードを田中先生と二回やりました。その時に、「あの時、僕は救われて今、牧師になっています」と言われました。嬉しいじゃないですか。
 その時のことを忘れることはできません。あるクリスチャンが頭の毛を伸ばした青年を連れて来ました。彼はちょっと荒れていたと思います。「先生、この青年は今日、初めて来ましたから祈ってください」と言われました。
 私は彼の上に手を置いて、「愛するイエス様、こんな素晴らしい青年を今日送ってくださったことを感謝します。この青年を祝福してください」と祈ったら、自分は堕落していると思っていたけど、「こんな素晴らしい青年を送ってくださり感謝します」と言われた言葉に感動したというのです。彼は五日間の集会に毎日来ました。最後に来た時には髪を刈って来ました。その方が今、牧師になっています。その集会では二人救われ、二人が牧師となったのです。
 聖書の中に『ひとりの人が悔い改めたら天において大きな喜びがある』と書いてあります。私たちも「あの人のこと考えたら感謝です。あの人を導いて救われました。」という、喜びを持たなければなりません。

 私の人生でも、イエス様を信じる前でも「あの時は嬉しかったな」という思い出があります。私は小学生の時、家から学校まで一里、四キロくらいありました。
 私の時分には、終業式の日には、特別勉強のできた子に表彰がありました。「優等生、○○君!」と、だいたい五人くらいもらいました。私はあんまり頭が良くなかったので、うらやましいなぁと思ったら、小学校三年生の時に、「優等生、滝元明君!」と言われました。いやぁ、その時は感動しました。賞状を貰って、鉛筆を貰ったのですが、喜んで、四キロを三年生の時に、家まで走って帰りました。「おとっつぁん、おかっつぁん、賞状もらったぞ!」すると親父たちも、にやにやしていました。
 それは素晴らしい感動ですが、消えてしまうものです。

 しかし、聖書の中には、イエス様を信じるということはどういう感動かというと、いつまでも尽きない感動です。これは有名な話ですが、スカルの街にイエス様が行った時、旅の疲れで井戸の側に座っていると、一人の女性が水を汲みに来ました。サマリヤ人だったと書いてあります。
 彼女が水を汲もうとした時、イエス様が声をかけられた。「水を飲ましてください。」すると、彼女はびっくりしました。「えっ?あんたユダヤ人でしょ。サマリヤの女である私にどうして、水を飲ましてくださいと言うんですか?」

 その時分はサマリヤ人というのは、アッシリアとの混血だったので馬鹿にされていました。交わりもしない、言葉もかけない。しかし、ユダヤ人の服装をしているイエス様が「水を飲ましてください。」と言った時、イエス様がおっしゃったことは、ヨハネの福音書四章十三節〜十四節、

『イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」』

 みなさん、すごい言葉じゃないですか。本当にイエス様がくださる水を飲んだら渇くこともないし、そして、『わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。』と言うのです。
 私もイエス様を信じてから六十三年くらいになりますが、今日まで続いている泉があるのです。みなさんもそうでしょう。信じたら、今日までずっとイエス様が共にいらっしゃるのです。水は聖霊様です。イエス様を信じたら、本当に素晴らしい水をいただくことができるのです。
 聖書を見ると、私たちクリスチャンがイエス様を信じたら、使徒の働き十六章三十一節に、

『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』

と書いてありますが、これは使徒パウロがシラスと一緒に牢屋に入れられた時に、地震が起きて、牢屋の扉が全部空いてしまいました。囚人が逃げたと勘違いした獄屋の主人は自殺しようとしました。すると「待ちなさい。私は生きている。自害しちゃいけない。」その時に、彼は震えながら、「先生、救われるために何をしたらいいですか?」聞きました。すると『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』と答えました。その後で、使徒の働き十六章三十四節を見ると、

『全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。』

とあります。みなさん、全家族救われて神の前に出たことを喜んだとあります。みなさん、家族が救われることは素晴らしいことですね。

 この間、秋田に行った時に、礼拝でメッセージをしました。昼からまた聖会があって、疲れたなと思ったら、その先生がこう言うのです。「先生。今日の礼拝、感謝でした。なぜ感謝かというと、奥さんは長く教会に来ていますが、ご主人は一度も教会に来たことがないのですが、そのご主人が今日初めて教会に来たんです」と言われました。
 まだ若い五十何歳の方でしたが、その方が初めて来たということでした。その家は、呪われているような家で、そのご主人は金縛りに会ったり、その家にいると恐ろしさがあったり、「悪霊がいると思うから、先生、是非とも行って、悪霊から解放されるように祈ってください」と言うのです。そう言われたら、「疲れたで嫌だよ〜」なんて言えないので、「行きます」と一緒に行きました。
 そのお父さんとお母さんは亡くなったのですが、近くに鉱山があって、鉱山で働いていたそうです。私も鉱山で働いていたので鉱山の話をしながら、初めて教会に来たご主人に話をしました。「聖書には、『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます』と書いてありますから、奥さんが信じたら、既に救われるように神様の計画が入っているから、あなたもイエス様に救われる人ですよ。遅くちゃいかん。今日、僕が来たということは、イエス様を信じなさい。イエス様を信じたら救われます。」と話をしました。
 「どうですか?今日信じませんか?」と言うと、「はい。お願いします」とその日にイエス様を信じました。感謝なことですね。
 先生は「頑なな人が初めて教会に来て、初めて来たその日に救われた。こんな奇跡はないです。」喜んでいました。
 みなさん、家族が救われてない人がいたら、必ず救われると信じて信仰を持っていくことは非常に大切です。信仰を持ちましょう。

 みなさん、私たちの人生の中には毎日喜びがあります。まず神を第一にしてください。朝起きたらまず何をしますか?私と家内はまず賛美をします。ざわめきの歌を五つくらい歌います。それから最低三章くらい聖書を読みます。みなさん、聖書、御言葉というのは素晴らしい力があります。こういうことが書いてあります。詩篇一一九篇七十一節〜七十二節、

『苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。』

 神の御言葉が打ち開ければ光を放つと書いてありますから、聖書をよく読んでください。読むと、人生を変えるのです。『あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。』ということは、どんなにたくさんの金をもらったよりも、御言葉をいただいたということは嬉しいことです。
 今朝、私も聖書を読みました。今日はヘブル書を読みました。ヘブル人への手紙十章、十一章、十二章、家内と一緒に読みました。読む前に祈りました。「イエス様。これから御言葉を読みます。御言葉を与えてください。」読んでいる時に良い御言葉をもらいました。ヘブル人への手紙十一章十一節、

『信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。』

 この言葉を読みました。私の家内は今八十九歳ですから、時々、「もう歳だで駄目だ。いくら祈ったって、そんな元気にならん」と思うかもしれませんけれど、これは私に与えられた御言葉です。『骨が若くされるように生き返る』という御言葉をいただいていますから、天の使いが来て「元気になる」と言ったから、「イエス様、家内は歳を取っていますけれども、歳を取ったら弱くなるという法則は神様が決めておるわけじゃないと思いますから、元気にしてください。」とよく祈っています。
 サラという人は九十歳で赤ちゃんを産みました。胎が死んだような体で、アブラハムに「あなたの末によって地の諸民族が祝される。」と神は言われました。
 約束通りに九十歳のおばあちゃんが、赤ちゃんを産みました。サラは何を考えたかというと、『彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。』

 みなさん、聖書の神様は真実な方。嘘を言わない方。私も信じました。天の使いが良くなると言ったけど、約束してくださった方は、真実なお方、神です。

 そして、もう一つ、読んだ時に感動した御言葉がありました。ヘブル人への手紙十章二十二節、

『そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。』

 この中に、私たちはイエス様の血潮によって救われていますけれども、この中には、『私たちは、心に血の注ぎを受けて』とあります。みなさん、あなたの心にイエス様が流された血が注がれている。そのことによって、『邪悪な良心をきよめられ』とあります。邪悪な良心です。時々、クリスチャンになっても邪悪な良心を持っている人があるかもしれません。汚いアダルトビデオを見たり、汚れた物に目を向けたり、憎しみで満ちていたり、妬みがあったりします。それはいけません。
 しかし、心の中まで血によって聖められ、『邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。』とあります。
 今日心に血が注がれているということを考える時、感謝ですね。罪が血潮によってきよめられた、心にもイエス様の血潮が注がれています。感謝します。
 みなさん、御言葉を信じましょう。聖書の中に、『わたしは世の終わりまでいつもあなたと共にいます。』世の終わりまで。いつも。『わたしは決してあなたと離れない』ということは、「決してあなたから離れない。離すことはない。見捨てることはない。世の終わりまでいつも一緒にいてあげる。」

 神様の御言葉ですから、主が共にいたらいつも喜ぶことができますから、今日、喜びがなかったら、また、罪があったら赦されない罪はありませんから、悔い改め、今週も一週間、『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。』

 みなさん、いつも感謝しましょう。御霊を消してはいけません。私たちが汚い言葉を出したり、喧嘩したり、人の悪口を言ったりしている時には、御霊を消してしまいますから、心からイエス様を愛して、今週一週間も神様の前に清らかな道を歩んでいきましょう。
 今日は心に血が注がれたように、聖餐式によって聖められて、今週も、肉体も、魂も、霊も健康であるように祈ってまいりましょう。では、みなさん、一緒にお祈りして聖餐にあずかりましょう。
 喜びのない方はイエス様が『わたしの与える水を飲んだら渇くことがない。いのちの水が泉となって湧き出る』と書いてありますから、喜びの水を与えてくださいとお祈りしましょう。一言お祈りします。


 愛する天のお父様。感謝します。『いつも喜んでいなさい』とあなたがおっしゃいました。イエス様、本当に感謝します。『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい』と言われました。『御霊を消してはならない』とおっしゃいました。一週間の間にあなたの御霊を悲しませたり、また消すようなことがあったらお赦しください。
 そして本当に今もう一度喜びの油を注いでくださるように。これから聖餐に与ります。イエス様の血潮が心に血の注ぎを受けたとありますから、心に血の注ぎを受けられて邪悪な生活から解放されて、きよき道を歩むことができるようにお祈りいたします。
 主イエス様の御名によって、この聖餐を祝福してくださるようにお祈りします。アーメン。