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『ここは天の門だ!〜パート2〜』

2012.5.13(SUN)
新城教会主任牧師 滝元順
創世記 二十八章十節〜十五節

『ヤコブはベエル・シェバを立って、ハランへと旅立った。ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」』


 ハレルヤ!おはようございます。今日はこうして、みなさんの前で御言葉を語ることができます特権を、心から感謝します。
 今日は、母の日です。お母様方、ありがとうございます。人類はアダムとエバ以外、母親なしに生まれた人は誰一人いません。今日、ここにおられる方々には皆、母がいて、この地に生を受けたわけです。

 ところでみなさんにクイズです。アダムとエバは、ひとつ私たちにはあるものを持っていません。それは何でしようか?私たちは彼らよりも一品、多く持っているのです。
 それはなにかというと、「へそ」です。分かりますか?アダムとエバは母親から生まれなかったので、へそはなかったはずです。みなさんあまりウケませんね。へそがある人は皆、母親がいた証拠です。アダムとエバは神さまが直接創られましたから、母の胎を通らないで生まれましたから、へそはないはずです。

 今日は、こうして母の日を共に祝うことができ心から感謝します。母の日とは、アン・ジャービスという女性が、アメリカの戦国時代、南北戦争の時に敵味方を問わず、一生懸命助ける為に働いたそうです。
 彼女が死んだ後、娘のアンナが、お母さんが教会で日曜学校の教師をしていたので、五月十二日に母を記念して、教会で記念会を持ちました。その時、みんなに白いカーネーションを手渡したそうです。そこから母の日が始まったそうです。
 しかし、日本の母の日の始まりはちょっと違って、日本は一九三一年、昭和天皇の奥さん、皇后の誕生日を記念して母の日を始めたとありました。日本の母の日はちょっとおかしいですが、主を礼拝している母親から生まれ出る子どもたちは幸せです。
 この教会には多くのお母さん方がおられますけれど、人生は、ちょっとしたきっかけで大きく変わります。

 先週は、私の父が礼拝メッセージを語りまして、日本昔話をしておりましたけれど、ああいう話はほっとしていいですよね。家内に「あんたもああいう、ほっとする話を少しはした方がいいよ」とアドバイスされたのですが、あんまり私は人生経験が長くないものですから、昔話が余りないんですよね。とは言っても、六十一年も生きているのですが。
 新城教会が現在あるのも、一般的に言ったら偶然に偶然が重なったことにより始まりました。しかしそれは神の計画です。
私の父は最初どこで伝道を始めたかというと、北設楽郡津具村で始めました。それはド田舎です。父の実家は周りに家がたったの四軒しかありません。
 父は東京でクリスチャンになって、「世界に福音を伝えたい!」という使命感で津具村に入りました。「世界に福音を伝える」という大きなビジョンの割には、家が四軒しかない所に入ったというのはこれいかに、という感じですが。村に入って初めて、「ここでは将来性がない・・・」と思ったみたいです。
 それで毎週日曜日、ある場所で日曜学校をやったそうです。母の日も日曜学校の先生、アン・ジャービスを記念することから始まっていますが、私の父も日曜学校から伝道を始めたようです。
 どこでやっていたかというと、津具村から二十キロくらい山道を下った所に「清崎」という村があります。そこまでわざわざ自転車で行って、毎週集会を行っていたそうです。それもノーパンタイヤの自転車で行ったとよく話していました。ゴムだけでできたパンクしないタイヤの自転車で山を降りて、終わったら山猿のように山を駆け上っていく事を毎週やっていたようです。毎日曜日、片道二十キロ、往復四十キロです。よくやっていたもんだと思います。
 ある日、お腹の大きなおばさんが歩いているのを見かけたというのです。その時、父は聖霊様の声を聞いたというのです。「あの人に福音を伝えてあげなさい。」という声を聞いたそうです。
 次の週、清崎に行きましたら、ある人が言ったそうです。「この村で一人の奥さんがイエス様の話を聞きたいと言っていますよ」と情報をくれたそうです。
 「それは、お腹の大きなおばちゃんじゃないですか?」と言うと、「その通りですよ」と言ったそうです。
 なんと、主が語ってくださった通りに、その人と出会って、福音を伝え、彼女はすぐにクリスチャンになったというのです。
 やがてその方は清崎を去って、私たちの教会が現在あるこの場所に来て、製材所を始めました。私の両親は当時、八橋という村に住んでいましたが、やがてそのおばさんの紹介で、新城に来て教会を始めることになったのです。

 私はそのように理解していたのですが、実はこの話には裏話がありました。私はつい最近、その事を初めて聞いて感動しました。神様は、本当に、ちょっとしたことをきっかけにみこころを現されるのだと思いました。
 お腹の大きなおばさんは、十二人の子どもを産んだ見城さんという婦人でした。彼女は清崎で救われたのですが、そこにもう一人の女性が住んでいました。その人はなぜ清崎に住んでいたかというと、嫁姑の問題でうまくやっていくことが出来ず、清崎という地に、夫婦もろとも避難していたのです。
 そうしたら、見城さんがクリスチャンになって、その夫人に福音を伝えたそうです。それが誰かというと、岡本信弘先生のお母さん「岡本キヨさん」でした。
 そして、キヨさんもやがてクリスチャンになりました。

 見城さんがなぜ、この地、新城に来たのかというと、実はキヨさんの出身が新城だったのです。見城さん一家が製材所をやりたいと言っているのを聞いて、「うちの親戚に土地を多く持っている人がいる。その土地を世話してあげます」ということで、岡本キヨさんの紹介で見城さん一家はこの地に来たのです。それがなんと、今この教会がある土地だったのです。岡本キヨさんの計らいで、見城さんが製材所を始め、また、その流れで新城教会がこの地に建ったのです。

 そういう事で私の両親は新城に来て、教会を始めました。人生はわからないものです。あの時、岡本家に嫁・姑問題がなかったら、今頃、私は津具の山猿の一匹かもしれません。今ごろ私は何をしていたのだろうかと思います。「すべてが相働いて益となる」というのが聖書の約束です。あの時、問題がなかったら、今日の新城教会はありません。ということは、みなさんもここにおられない訳です。
 教会には様々な出来事があって来ることが多いのですが、悪く見えることさえも使って、神は素晴らしいことをしてくださるのです。

 「ここは天の門だ!」というタイトルで、先々週、お話をさせていただきましたが、今朝は「パート2」をお話しさせていただきます。先々週語ったメッセージはインターネット等で見ていただくこともできますし、印刷したものもありますので、それらを参考にしていただきたいと思います。
 ヤコブという人はどうして、このようなすばらしい神との出会いがあったのかというと、それは兄さんのエサウとの財産問題というか、跡継ぎ問題でした。それで大もめになり、兄から命まで狙われるようになったのです。
 彼は自分の家にいることができなくなって、お母さんのリベカの兄ラバンの家に逃げなければならない状況になったわけです。
 今も読んだ中にありましたが、それまではヤコブはベエル・シェバという場所に住んでいました。ヤコブは、お父さんがイサク、おじいちゃんはアブラハムでした。アブラハムは族長でしたから、相当なお金持ちでした。
 今までは豪華な羽布団で寝ていたのかもしれませんし、柔らかい枕を使っていたのかもしれません。しかしそこから追い出され、荒野を一人旅して、ラバンの元に行かなければならなかったのです。
 二十八章十節に『ヤコブはベエル・シェバを立って、ハランへと旅立った』とあります。まさに波瀾(ハラン)万丈の人生への幕開けでした。ある所まで旅をして、荒野で野宿するしかなくなって、枕なんぞありませんから、『近くの石ころを枕にして寝た』というのです。
 しかしそんなただ中で、不思議な神々しい夢を見たのです。十二節から何と書いてあるでしょうか。創世記二十八章十二節〜十五節、

『そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。』

 夢の中で神がヤコブに語られたのです。聖書を読みますと、聖書が成立する以前、神が人に語りかける方法の一つが「夢」でした。その後、神は預言者によって語るようになり、やがてイエス様を通して語り、現在は聖霊により、聖書の御言葉によって語ると言うように続くわけです。
 しかし夢とは、ある意味で不思議な現象です。昨晩、夢を見ましたか?私も夢を見ましたが、なんかわけのわからん夢でした。夢のほとんどは、わけのわからんものばかりですが、中には、神が語られるような夢もあるわけです。
 聖書を見ますと、ヤコブもヨセフもギデオンもソロモンもダニエルもみんな、夢との関わりがあります。マタイの福音書一章、二章では、イエス様の誕生ストーリーを夢との関連でマタイは取り上げています。夢は実に不思議な現象だと思います。
 みなさんの中で、「夢の中に死んだじいちゃん、ばあちゃんが出て来た」という経験をした人がいるかもしれません。夢とは、自分の体の活動は睡眠状態で止まっていても、なんと、自分は夢の中で活動しているのです。夢の世界では、過去も現在も未来も、死者さえも一緒になって活動しているのです。夢には不思議な世界があるわけです。
 ということは、夢は、なんらかの霊的領域と関係があるわけです。だから、現代においても、時には神は夢を通して私たちに語ることもあり得ると思います。もちろん、現代においては聖書の御言葉がありますから、そういうことは希かもしれません。しかし現代でも、預言の賜物もあるし、癒やしも、不思議も、解放もあるのですから、やはり夢によって神が語るという領域もあるはずです。

 でも一方聖書は、「偽預言者の夢には気をつけろ」とか、「彼らの夢に聞き従うな」とありますから、注意が必要です。
 みなさんも時々、「この夢はちょっと忘れがたい」とか、「あまりにもリアルな夢だ」という夢を見るかもしれません。その時には、夢を一度神様にお返しして、「もしも神様がなにか情報を伝えたいのなら、何を、どのように祈ったらいいですか?教えて下さい。」と祈ったほうがいいと思います。また、もしも、サタンから来た夢ならば、立ち向かって背後の暗闇の力を破る祈りが必要です。

 何年か前、この教会に属する一人の方が私の所に来てこう話しました。「柏崎という街はありますか?」と聞くのです。「ありますよ」と答えると、「そこには原発がありますか?」と言うのです。「なぜですか?」と聞くと、はっきりとした夢を見たというのです。
 「夢の中で原子力発電所が壊れて、街もぐちゃぐちゃになっていた」と言うのです。そして、夢の中で「柏崎」という文字が見えたそうです。その人は地理と柏崎については全く知らない方でした。しかし、柏崎には原子力発電所があるのです。
 私は、「これは、柏崎の守りを祈らなければいけない」と思い、「何で原発が壊れたと思いましたか?」と聞くと、「わからないけれど、北朝鮮からミサイルが飛んで来たのかなぁ・・・」とか言っていました。でもちゃんと祈った方がいいと思いました。
 それで私たちは新城だけで祈るのではなく、新潟県の教会の牧師にも連絡して、「祈ってください」とお願いすると、「では、柏崎の原発まで行って祈って来ます!」と言われました。それで柏崎の原発と新城を繋いで電話で祈りました。「原発が壊れたりすることがありませんように!」と、真剣に祈りました。

 するとその後、何が起こったと思いますか?なんと、新潟で大地震が起こって、柏崎の原発が結構な被害を受けたのです。でも、原子炉は守られ、大事には至りませんでした。
 もしかしたら、あの時私たちがある人が見た夢をとりなし情報として受け取らなかったら、危なかったのかもしれません。新潟の教会も一緒に祈ったから、守られたと思います。
 ぜひとも、みなさんも主からの夢はとりなして祈って下さい。また、ちょっと気になる、忘れられない夢がありましたら教会にご一報ください。まずは神の前に祈ってみることが大切だと思います。

 この話は夢とは関係ないのですが、五月二十一日に日食があります。「金環日食」というやつです。日本で広範囲に見えるのは、932年ぶりだそうです。また、金環日食にならない地域でも、太陽が細い三日月のような形になる「部分日食」が期待できるそうです。
 先日、友人の牧師から「順先生。これは個人的なメールです」とメールが来ました。その方は五月二十一日の日食ために、教会あげて真剣に祈っているというのです。なぜなら、金環日食がはっきりと見える範囲は、三連動地震が起きると想定されている範囲と、全く同じだというのです。
 科学的には証明されてはいないけれど、トルコの大地震、四川の大地震の前後に日食があったというのです。
 昨日もNHKでやっていましたが、地球上の生物は、月がなかったら生きることはできないそうです。月の距離がちょっとでも今より遠くなったら、地球の地軸が揺れ始め、北極と南極がひっくり返ったり横になったりして、地球は大洪水になるそうです。地球は月との微妙な引力バランスを保っているそうです。けれども、日食で太陽、月、そして地球の引力のバランスが変化すれば、大地震もありえるのかもしれません。
 その先生が日食の図を送ってくれました。

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 青い帯の地域が金環日食が見える地域らしいです。私たちの地域ではよく見えますから、楽しんでいただきたいのですが、金環日食が見える範囲は三連動地震の地域と重なるそうです。

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だから祈らなきゃいけないと思います。地震が起きないように、守りを祈りましょう。

 私は、「教会で皆で祈ります!」とメールを返信しました。先日の遠足の時には、太平洋の岸辺に立って、「守ってください!」とみんなで真剣に祈りました。
 祈っている写真を添付して送ったら、喜んでメールが来ました。「ありがとうございます!私はこのメールを十人の牧師に送ったのですが、返信してくれたのは順先生だけでした!」と言われました。
 私たちはすべての機会を捉えて、とりなし、祈っていくことが重要ではないかと思います。

 ヤコブは、人生において「最悪」という状況下で、なんと神との出会いを体験したのです。そこで神から語られたことは、『あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される』という、預言をもらったのです。
 十五節では、『見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。』という、素晴らしい約束をいただいたわけです。
 彼は大感動して、「ここは神の家、ベテルだ。天の門だ!」と叫び、自分が枕にしていた石を記念の塚としたのです。

 しかし、人間というのは悲しいもので、そんなに素晴らしい体験をしてもやがて忘れてしまうものです。「ここが神の家だ。ここが天の門だ」と言われたわけですから、そこに住めば良かったのですが、彼は旅立っていきました。ベテルから離れてしまったわけです。
 ベテルから離れた時、またもや彼の人生に問題が起こりました。しかし問題を通して、神はもう一度ヤコブをベテルに戻されました。

 時々、私たちは、神の家、ベテルから離れてしまうことがあります。そうすると人生には問題が起きます。今日読んだヤコブの夢のように、もしも私たちの頭の上に天からのはしごが伸ばされ、そこを天使たちが上り下りし、傍らに主が立っておられる構図がすべての領域に実現していたらどうでしょうか?素晴らしいですよね。問題は起こりようがありません。

 しかしこのような構図から離れてしまう時、いろんな問題が起こるのではないかと思われます。前回もお話ししましたが、日本は、このヤコブの夢と逆の事が起こっているような気がします。
 ヤコブには天からはしごが伸ばされて、そこを天使たちが上り下りし、隣に主が立っておられたのですが、日本は天から悪魔・悪霊どものはしごが伸ばされていて、傍らにサタンが立っている状況があるのではないかと私は思います。

 もしも人生が、ヤコブの夢と反対の状況になっていたら悲惨ですよね。「天」といっても、神が支配している天と、悪魔が支配している天もあります。天とは霊的領域を意味します。悪魔が支配している天からはしごが降りて来て、常に悪霊どもが上り下りして、横にサタンが立っているような構図を想像したら恐ろしいです。
 でも、案外、日本人にはこのような構図があるのかもしれません。主を信じていない時代には、皆、そのような構図があると思います。それが街にも、村にも、国にも、家系にもあったら、大変なことばかりが起こるのです。
 
 ヤコブはベテルから離れて、ハランという地にラバンと共に住みました。カナン人のただ中に住みました。カナン人たちは偶像礼拝者でした。そんな文化の中で、彼もいつしか無感覚にされてしまいました。ヤコブはその地の文化に染まってしまっていたと前回お話させていただきました。
 すると子どもたちに問題が起こりました。ヤコブ自身も、再び命を狙われるようなことになりました。

 しかし、そんなどん底で、神がヤコブに声をかけて下さったのです。神様は真実なお方です。「おまえはわたしから離れたから、おまえなんか知らない!」とは言われないのです。神様は最初に語ったことを必ず、最後まで成し遂げてくださるお方です。創世記二十八章十五節、

『見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」』

と以前に語られたとおりでした。
 私たちの人生も、「あの時はベテルにいたけれど、ちょっとずれてしまったかもしれない・・・」という時もあるかもしれません。しかし絶対に、「神様から見捨てられてしまった」と思わないことです。
 時々、「私は神から見捨てられてしまった・・・」と言われる方がおられますが、これは間違った考えです。神様は私たちを「決して捨てない、見離さない」と約束されています。

 ヤコブは異教の地に長く住み、彼の家には偶像がいっぱい入っていました。また、カナンの地の悪習慣もいっぱい入っていました。「おまえはなんだ。せっかく天地宇宙を造った神であるわたしがおまえに現れてやったのに、この様はなんだ!」とは言われませんでした。
 彼に主が現れたことが、三十五章に記されています。創世記三十五章一節〜七節、

『神はヤコブに仰せられた。「立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。」それでヤコブは自分の家族と、自分といっしょにいるすべての者とに言った。「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、着物を着替えなさい。そうして私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」彼らは手にしていたすべての異国の神々と、耳につけていた耳輪とをヤコブに渡した。それでヤコブはそれらをシェケムの近くにある樫の木の下に隠した。彼らが旅立つと、神からの恐怖が回りの町々に下ったので、彼らはヤコブの子らのあとを追わなかった。ヤコブは、自分とともにいたすべての人々といっしょに、カナンの地にあるルズ、すなわち、ベテルに来た。ヤコブはそこに祭壇を築き、その場所をエル・ベテルと呼んだ。それはヤコブが兄からのがれていたとき、神がそこで彼に現れたからである。』

 彼はベテルから離れた為に、大きな問題を抱え込みました。初めはヤコブの頭上には天からのはしごがかかっており、天使たちが上り下りしていたのでしょう。しかしハランに行って、偶像礼拝とかその地の悪習慣が入って来たことにより、はしごが徐々に壊れてしまったのか、またはその中に違ったはしごが伸びて来て、悪霊どもが上り下りしている状況が起きていたのだと思います。
 しかし主は、「もう一度ベテルに戻りなさい」と語られました。そして、その条件として、「異国の神々を捨てろ、偶像を捨てろ」ということでした。

 日本人は多くの偶像を持っています。偶像を、神かのように思って礼拝しているのですが、実はその背後にいる霊は神のふりをした悪霊どもです。
 日本人は祖先崇拝を一生懸命しています。「先祖様!」と呼んでいますが、先祖はそこにいないのです。人は死んだら神によって管理されますから、地上には霊魂を残さないのです。
 では、墓参りや、先祖を拝んだ時、何かを感じるのは何者なのか?それは先祖ではなく、「先祖のふりをした悪霊」です。
 みなさんもクリスチャンになる前、嫌な霊体験があったかもしれません。それは、頭上に悪魔の世界からはしごが降りていて、悪霊どもが上り下りしているということを、暗に教えているのだと思います。
 そこから解放されるためには、「偶像を全て捨て、神に立ち返れ」ということでした。ヤコブは偶像を全て捨てました。子どもたちは耳飾りをしていました。今でもイヤリングや体に付ける装飾品とか、いろいろありますけれど、昔、それらは魔除けでした。それらを全て外してヤコブに渡しました。
 ヤコブはそれらを捨てたというよりも、ちょっと消極的でした。樫の木の下に隠したのです。でも、消極的ではありましたが、偶像から離れた結果、ヤコブはカナン人から命を狙われていたのですが、守られたのです。偶像を捨てて街からベテルに旅立った時、創世記三十五章五節、

『彼らが旅立つと、神からの恐怖が回りの町々に下ったので、彼らはヤコブの子らのあとを追わなかった。』

 「偶像を捨てる」ことはたいへん重要です。ここを読むと、偶像があったら、天から悪いはしごが下りて来ることがよく分かります。それをよく覚えておいた方がいいのです。偶像を捨て、真の神様に戻る時、ヤコブの見た夢通りのことが、私たちの人生にも起こるのです。

 前回の復習みたいですけれど、天からの悪いはしごが、具体的には何かをお話ししました。聖書を見ますと、エペソ人への手紙六章十二節、

『私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』

 歴史を見ると、偶像礼拝よりも先に始まった人類と悪霊の交わりは、「占星術」であったと前回話しました。星占いです。これは人類最古の悪霊との交わりの方法です。占星術、星占いに心を寄せてはいけません。
 前にもお話したように、星占いは、偽りをベースにしています。占星術の最も大きな偽りは、今では完全に否定されている「天動説」に基づいています。地球が真ん中で、他の星々が地球の周りを回っているという説です。
 ホロスコープというのがありますが、「私の星座は」という話がよく出るかもしれません。「私は自分の星座を知っている」という方は、多分、九十パーセント以上だと思います。しかし星座を信じたり、気にしてはいけません。朝、礼拝来る前にテレビをつけると、「今日の星座、かに座の人・・・」なんて言われると、「獅子座の人!」とか言われると、ぱっと見て「今日は教会に行ったらいい事があるかも・・・」とか考える人がいるかもしれませんが、それは間違いです。
 占星術はたいへん危険です。なぜならば、星々の世界は、霊的世界と関連があるからです。宇宙には霊的世界がその背後にあるのです。そこに偽りの父に教えられた「偽りの情報」によって関わると、どういうことが起こるのでしょうか?偽りの父が直接、私たちに関わってくるのです。それが「占星術」です。
 教会に来て「あっ、こういうことが危険なのか・・・」とわかると、人生は守られます。星占いに心を向けてはいけません。
 
 私はいろんな教会に行って奉仕しますが、時々、質問されることがあります。「順先生って、何年生まれですか?」と聞かれます。私はそのことを聞かれるといつも「私は主の年に生まれました」と答えます。みなさんはどうでしょうか。「何年に生まれましたか?」と聞かれたら、「私は申年です」とか「辰年です」とか、答えるかもしれません。
 実は、「十二支」は、西洋に行くと、「黄道十二宮」という星占いになります。東洋では星座の代わりに動物が割当てられています。それが十二支です。十二支は占星術から来ています。

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 日本人は干支を強く意識しますけれど、これは星占いです。干支も、気をつけたほうがいいのです。それは天からの悪いはしごが下りて来る、一つの原因となります。
 私たちのすべてが神の手の中にあることがわかったらどうでしょうか。占いに惑わされることはないのです。常に主の家に住むことが大切です。

 前回もお話ししましたけれど、もう一つは神の領分と人との領分を、人生の中でしっかりと区別することです。
 「人の物は俺の物、俺の物は俺の物。神の物も俺の物」ではなく、人生の「十分の一は神のもの」というのが旧約聖書から新約聖書まで貫かれている真理です。
 人生の十分の一は神のものであり、それは人生のすべての領域を含みます。もちろん厳密に十分の一を分けることはできないのかもしれません。しかし人生の中には「神の領分」があるということをはっきりと意識することがとても重要です。
 経済的にも十分の一は神に献げ、「神の働きのために用いる」という決断が、神の領域を人生に設定する為に重要な項目の一つです。その事に関しても前回学ばせていただきました。

 ヤコブは人生の危機に神と出会い、最も大きな祝福をいただきました。さきほどもお読みしましたが、創世記二十八章十四節、

『あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。』

 アブラハムの祝福がイサク、ヤコブと引き継がれ、やがてそれは主の民、イエス・キリストを信じる者たちへの祝福となるのです。
 私たちもアブラハムに与えられた祝福を受け継ぐことができるのです。みなさんの人生は必ず祝福されるという約束です。

 しかしこの祝福は、ただ自分が裕福になるという、自分を中心に置いてはいけません。聖書のすばらしさは、旧約聖書から新約聖書に至る時に結論が出るということです。旧約聖書はまだ前段階、準備段階です。しかし新約聖書に至って結論が出るのです。
 ヤコブに語られた言葉、「あなたを祝福します。あなたは西も東も北も南に広がって、地上のすべての民族はあなたによって祝福される」と。それはただ領土が広がるとか、土地が与えられるとか、自分の家庭や未来が良くなる事だけに結論をおいてはならないのです。
 実は、この祝福の概念は、新約聖書に至っては、「宣教」につながります。福音を世界に宣べ伝えるという、宣教の働きです。使徒の働き一章八節、

『しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」』

とありますが、このアブラハムの祝福、イサクの祝福、ヤコブの祝福はただ単なる人生の祝福ではなく、「世界宣教」につながるのが聖書の視点です。
 私たちがベテルに住む秘訣は、今の時代においては、「西、東、南、北へ広がる」とは、『エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります』という「宣教」を意味します。
 私たちは今イエス・キリストを信じていますが、この祝福をただ自分のものだけにしてはいけないのです。

 ヤコブが見た夢の箇所を、実は、イエス様ご自身が引用されています。どこで引用されているかというと、「ヨハネの福音書一章」です。この箇所を家に帰ってから読んでいただければと思います。ヨハネの福音書一章を読むとイエス様が創世記二十八章の出来事を、引用されているのがわかります。そして、「天を繋ぐはしご、それはわたしです」と語られているのです。
 それがどのような関連の中で語られたのかというと、イエス様はご自分の弟子を十二人選ばれたのですが、最初、主の道を用意するためにバプテスマのヨハネが遣わされました。彼は二人の人に「イエス様は神の子羊ですよ」と告げたことによって、二人はイエス様の弟子となりました。ヨハネの福音書一章四十節〜四十二節、

『ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った」と言った。彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」』

 その一人が「アンデレ」でした。アンデレは、自分の兄弟、「シモン」に福音を語りました。やがてシモンは、「ペテロ」と名前を変えられ、十二弟子の中でも重要な人物となったわけです。
 私たちがベテルに住む秘訣は、自分に与えられた救いを自分だけに留めるのではなく、「誰かに伝えましょう!」ということです。
 アンデレが「自分の兄弟」に伝えたように、私たちも兄弟や姉妹、家族に福音を伝えることが重要であることがわかります。その後も多くの人たちによって福音宣教が為され、今まで福音は伝達されてきたわけです。
 ヨハネの福音書一章四十三節〜四十七節、

『その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、ピリポを見つけて「わたしに従って来なさい」と言われた。ピリポは、ベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であった。彼はナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」ピリポは言った。「来て、そして、見なさい。」イエスはナタナエルが自分のほうに来るのを見て、彼について言われた。「これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」』

 「ピリポ」という人物はイエス様から直接導かれ、「同じ出身地の人」に福音を伝えました。それが誰かといったら、「ナタナエル」という人物でした。ビリポはナタナエルに、「あなたもイエス様に会ってみませんか?」と伝えました。
 しかし、ナタナエルがなんと答えたかと言ったら、「ナザレから何の良いものが出るだろう」と言ったのです。
 聖書を見ますと、イエス様はどこで生まれ、どこで育つかのか、ナザレ人として出ることが預言されていました。しかしイスラエルの長い歴史の中で、ナザレについて一つの伝説が出来ていました。それは「あの村から重要な人物は出るわけがない」という噂です。彼はそちらを信じていたのです。
 しかし、ピリポがナタナエルに伝えたことによって、ナタナエルは救われたのです。このナタナエルはイエス様から素晴らしい評価をもらいました。『これこそ、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。』

 私たちもイエス様からこんな風に評価をされたいですね。『彼のうちには偽りがない。』
 ナタナエルを真のイスラエル人、ユダヤ人として見ておられたのは、「偽りのない人生」でした。それはイエス・キリストと共に歩む人生を意味します。
 ナタナエルとイエス様の会話が続いて出ています。ヨハネの福音書一章四十八節〜五十一節、

『ナタナエルはイエスに言った。「どうして私をご存じなのですか。」イエスは言われた。「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」ナタナエルは答えた。「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」イエスは答えて言われた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったので、あなたは信じるのですか。あなたは、それよりもさらに大きなことを見ることになります。」そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」』

 なんとイエス様は、ナタナエルに創世記二十八章を引用され、イエス様こそ、天と地を結んでくださる唯一のお方であることを証明されたのです。
 それも、弟子たちが次から次へと福音を宣べ伝えるという文脈の中で、イエス様は創世記の二十八章を引用されたのです。私たちも誰かに福音を伝える者にならなければならないのです。
 イエス様はまた、このような言葉を語っておられます。ヨハネの福音書十四章六節、

『イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』

 「イエス様を通してでなければ、決して父の元に行くことはできない」と語られていますが、ヤコブが遠い昔に見た「はしご」は、「イエス・キリストご自身」であったことがわかります。
 そして、西に東に北に南に広がって行くとは、ただ領土が拡大する、土地が与えられる、ビジネスが良くなる、という意味ではなく、それをも含みますが、究極的には福音宣教であり、最終的には「世界宣教」です。
 「世界の国々が祝福されるとは、イエス・キリストにより祝福される」という意味なのです。

 実は今年、全日本リバイバルミッションは、「アジア環太平洋ミッション」を計画しています。今日、みなさんのお手元に「リバイバルミッションニュース」が届けられています。また後で、ぜひよくお読みになっていただきたいと思います。今日の午後は、アジア環太平洋ミッションのことを日本中の教会にお知らせするためのミッションニュース発送作業があります。これはとりなしの祈りを兼ねた作業ですので、是非とも大勢の方にご協力をお願いしたいと思います。
 今年、主は、「アジアに向かいなさい」と語られています。二〇〇七年に「ハワイリバイバルミッション」を開催させていただきました。その次に「韓国リバイバルミッション」を開催させていただきました。そんな中で主が「日本のリバイバルのためには、アジア諸国の祝福を祈り、その為に働かなければならない」と語ってくださいました。なぜなら日本はかつて、大きな罪をアジア諸国に対して犯したからです。
 以前にもお話ししましたが、日本は「大東亜共栄圏」といってアジア諸国を侵略し、大きな罪をアジア諸国に犯しました。一九四二年の日本の領土は、ここまで広かったのです。

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 なぜなら日本が侵略して他国の領土を奪ったからです。それは日本の神々の力によって支配するというものでした。
 今年、すでに台湾とベトナムでリバイバルミッション開催が決定しました。是非とも祈っていただきたいと思います。日本は台湾を長く支配をしました。またベトナムにも支配を及ぼしました。ベトナムの歴史は本当に悲惨です。長い間フランスに支配され、同時に日本にも支配されました。その後はベトナム戦争で甚大な被害を受けています。日本が犯した罪を主の前に悔い改め、また、人々の前にも悔い改め、世界宣教に出て行かなければなりません。

 私は数年前、南太平洋に浮かぶ「パラオ」という小さな国に行ったことがあります。

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 ここに行ってびっくりしました。「太平洋戦争は先週終わったんじゃないか・・・」と思わせるほどの場所でした。

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 パラオはたいへん美しい島で、マリンスポーツが有名ですが、かつてここには太平洋諸国の神社の総社がありました。

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 しかしこの神社は、戦争が終わっても完全には取り払われていません。今でもパラオの人たちによって、日本の祭りと同じようなことが行われています。

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 これはパラオの国旗です。どこかの国の旗と似ていませんか?日本は日の丸ですけれど、ここは「月丸」です。なんで月丸にしたかと言うと、日本はアマテラスを表す日の丸ですが、パラオの人たちは、「太陽によって照らされて光る、月のような国になりたい」と、このような国旗をデザインしたのです。「自分たちは日本の恩恵で光る国になりたい」と月丸にしたのです。この月丸、ちょっと右の方にずれていますが、なぜかというと、日本の国旗は真ん中に日の丸がありますが、「日本と同じ場所では申し訳ない」と言って、ちょっと控えて右方にずらしたというのです。アジアには未だにこんな国があるのです。
 ここに行くと戦争がつい最近終わったんじゃないかという感じです。見てください。これは日本の戦車です。私が実際に撮った写真です。

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 これは撃墜されたアメリカの戦闘機の一部です。

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 アメリカの戦車です。まだ使えそうです。

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 こんな光景がパラオ諸島の一つ、コロール島に行くとごろごろしています。

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 日本がベテルを、天の門を勝ち取るためには、世界に向いて行かなければならないと思います。今年は、九月十九日〜二十七日まで「台湾」の台北でリバイバルミッションが行われます。十一月十六日〜二十二日はベトナムのホーチミンという街であります。是非ともみなさん、祈っていただきたいと思います。また来れる方は来てください。

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 私は台湾もベトナムも行ったことがないので、平岡先生が「順先生、先にとりなしの祈りに行って来た方がいいよ」言われました。「でも自費で行って来てね」と言われましたが、一度とりなしに行って来たいと考えています。日本と共に神の国を広げるために、二つの国が応答してくれました。

 天の門、ベテルは、どのように勝ち取られるのか、それは、世界宣教の働きの中で勝ち取られ、拡大して行くのです。
 日本が悪霊どもが上り下りし、隣にサタンが立っているような国ではなく、ヤコブが見た夢のごとく変えられるように祈り、働きましょう。私たちの人生も、家族も、地域も、国も、そのように変えられなければなりません。
 その働きは、私たちクリスチャンの手に委ねられています。神のために精一杯働いていきたいと願っています。
 最後に一言お祈りして、今日のメッセージに代えさせていただきます。

 ハレルヤ、天の父なる神様。御名をあがめて心から感謝を致します。ヤコブが見た夢が、私たちの中に、イエス・キリストによって実現することを信じ、心から感謝します。そして私たちが委ねられた使命を果たすことができますよう祈ります。
 今日、ここにおられますお一人一人、家族、親族、街、国を、ベテルと変えてください。天の門と変えてください。
 あなたが私たちに語られた「全世界に出て行って福音を伝えなさい」という命令を実行していくことができますように。全世界のためにあなたは十字架にかかり、三日目によみがえり、今も生きておられることを感謝します。
 今からの聖餐式を祝福してください。聖餐式を通して、天の門が開かれますように。私たちがベテルそのものとなりますように。
 イエス・キリストの御名によって、祈りを御前にお捧げいたします。アーメン。