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『時を悟れ』

2012.9.2(SUN)
新城教会主任牧師 滝元順
第一歴代誌十二章三十二節

『イッサカル族から、時を悟り、イスラエルが何をなすべきかを知っている彼らのかしら二百人。彼らの同胞はみな、彼らの命令に従った。』



 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。今日も共に礼拝を守ることができますことを、心から感謝しています。
 早いもので、九月になりました。あっという間に一年が過ぎてしまいそうな感じです。ところで、みなさんは九月に何を期待していますか?何も期待していないみたいですね・・・。ある人は「iPhone5」が発売されるということで期待しているかもしれません。「それはおまえだろ」と言われるかもしれませんが、いろんな期待があるかもしれません。
 明日から学生たちは、新学期が始まります。複雑な思いもあるかもしれません。

 先ほど子どもたちと話をしておりまして、「今日もおもしろい写真はある?」と聞かれまして、一枚の写真を見せましたら、「これいい!面白い」と言うので、一応見せましょう。

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 ちょっとかわいいですね。こんなUSBを使ったら楽しいのではないかと思います。

 九月はかつて関東大震災がありまして、それを覚え、さらには3.11を意識して防災訓練が行われていますが、近頃も、南海トラフの三連動地震の被害想定が発表されました。

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 なんと、想定死者数が三十都市都府県で、「三十二万三千人」だというのです。恐いですね。
 愛知県では、二万人くらい亡くなる想定らしいです。静岡県から来られている方がおられますが、静岡県は十万人以上が亡くなるという想定です。

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 すごい高さの津波が来るそうです。四国の方では、三十四メートルという想定がありました。新城市の隣町、豊橋市にはどのくらいの高さの津波が来るか知っていますか?なんと二十メートルだそうです。
 死にたくなかったら、どこか安全な場所に移住することです。しかし日本はどこも安全な場所はありそうもないです。本来は住んではいけない場所なのかもしれません。外国人から、「なぜ、住むんですか?」と言われますが、私たちの先祖がこの島に住み着いてしまった為、どうにもなりません。九月は期待というよりも、不安の方が大きいような気がします。

 歴史を見るとき、地震は偶然の産物ではなく、繰り返し確実に起こるものです。そのような予想の中、南海トラフの被害想定がなされています。本当に注意しなければいけないと思います。近頃、防災意識が高まっていますが、みなさんもいつ地震が来ても対応できるように、準備して下さい。何があっても逃げ切れるように、避難路を確認し、ちょっとした食糧だとか水を備蓄して、常に心がけておくことは大切です。
 やはり、日頃の心がけがないと大きな被害に繋がるわけです。「地震が起こったら即逃げろ!」というのが、鉄則だそうです。財布は…、水は…、誰々は大丈夫か…などはどうでもいいというのです。まずは安全な場所に逃げろ、です。そうしたら助かります。三十二万人死ぬという予測は、最悪のケースらしいです。もしも、これだけの人たちが亡くなったら、日本は機能しなくなると思います。

 私たちはこんな日本に住んでいますけれど、クリスチャンには武器があります。それは「祈り」という武器です。この時にこそ、真剣に祈ろうじゃありませんか。
 先ほど読んだ御言葉は、

『イッサカル族から、時を悟り、イスラエルが何をなすべきかを知っている彼らのかしら二百人。彼らの同胞はみな、彼らの命令に従った。』

 今朝はこの箇所から「時を悟れ」というタイトルで学びます。このテキストはイスラエルが初代の王サウルから、ダビデへと変わる混乱期に起こった事柄の記録です。イスラエルは十二の部族で構成される部族社会でした。この混乱期に、各部族は動揺しました。ダビデに付くべきか、旧体制のサウルに付いていくべきかと、混乱がありました。
 しかし、イッサカル族の中の勇士たち二百人が「時を悟った」というのです。そして、「ダビデを助けるべきだ!」と、ダビデ側に付いたのです。それが神様の御心であったのです。

 人生にも、どのように決断したらいいのか、迷うことがよく起こります。どちらを選択したらいいのか、どちらに付いたらいいのか、何を選び取ったらいいのかと。
 そんな中で問われるのが「神の御心」ですが、それと共に大切なのが「時を悟る」ことです。
 伝道者の書三章を見ますと、『何事にも定まった時期があり、時がある』と記されています。一節〜二節を引き出して読んでみたいと思います。

『天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。』

 毎日の生活の中、いろいろな瞬間に出会うのですが、教会では、今日も週報を見たら「赤ちゃんが産まれました」というお知らせもあるし、時には悲しい「○○さんが亡くなりました。」というようなお知らせもあります。
 しかし私たちクリスチャンの理解は、すべての事柄に「神の時」が関わっているという事です。何事にも定まった時期があって、すべての営みには時があるというのです。
 そして「時を悟って生きるならば、決して人生は不安定にはなりません」ということを教えています。
 そんな中で問われるのが、どのようにして時を悟ったらいいのかということです。

 イエス様の所に人々が来て、一つの質問をしました。マタイ十六章一節〜三節、

『パリサイ人やサドカイ人たちがみそばに寄って来て、イエスをためそうとして、天からのしるしを見せてくださいと頼んだ。しかし、イエスは彼らに答えて言われた。「あなたがたは、夕方には、『夕焼けだから晴れる』と言うし、朝には、『朝焼けでどんよりしているから、きょうは荒れ模様だ』と言う。そんなによく、空模様の見分け方を知っていながら、なぜ時のしるしを見分けることができないのですか。』

 実はパリサイ人とサドカイ人はいつもお互いに喧嘩をしていました。しかしこの時は一致していました。それは、「イエスという男が救い主、メシアであるか否か」については同じ疑問を持っていました。それで一緒にイエス様の所に来たのです。
 イエス様はこの地上に来て、様々な癒やしと奇跡、解放を行いました。それで皆、びっくりして、「これはもしかしたら、旧約聖書に預言されていたメシアかもしれない・・・。救い主かもしれない・・・」と思いました。それで彼らは「あなたがメシアであるという、しるしを見せてください」と頼みました。
 その時のイエス様の答えは、「あなた方は『朝焼けでどんよりしているから、きょうは荒れ模様だ』とか空模様を見て一日を判断するじゃないですか。空模様が見分けられるくらいなら、なぜわたしのことを見分けることができないのですか」と言われました。
 イエス様が行なわれていた奇跡は、まさしく、旧約聖書に預言されていたメシアの姿そのものであったわけです。
 それは状況から、見分けることができる、あるいは見分けなければならないというのです。

 先ほど、日本にさらに大きな地震が起きる可能性があるという情報も、ある意味で見分けです。これらの情報を、どのように活用するか否かにかかるかけです。「そんな地震は来ないでしょう」と無視する人と、「来たらどうしようか」と考え、対策を立てる人では、今後が変わります。情報を受け取るか、受け取らないかで、大きく変わります。様々な状況の中、私たちは見分けて、生活しなければなりません。

 特に「空模様を見分ける」とは、天の気象情報を注意深く見分けなければならないのです。
 教会とはどういう場所か、それは「天気予報をお知らせする場所」です。どういう天気予報かと言うと、一般の空模様ではなく、霊的世界の天気予報です。
 その予報には二つあります。神様の天の天気予報。そしてもう一つは、暗闇の天の天気予報です。どちらもしっかりと見分けて、対応する場所が教会です。
 私たちは今日、教会に来ていますが、目的は、あくまでも神を礼拝することが中心です。しかし、同時に教会において、霊的天気予報を得て、一週間の生活に反映させていくわけです。
 私たちが見える世界よりも、見えない世界の天気予報に関心を持ち、見分けができるようになったら、人生は守られます。

 イッサカル族に、イスラエルが何をすべきかを悟った二百人がいたとありました。当時、イスラエルの王はサウルでした。しかし彼が神の御心から離れてしまった為に、神はサウルを退け、ダビデに油を注ぎ王としたわけです。けれども、ダビデが実際に王位に就くまでには、様々な戦いがありました。
 彼は旧体制のサウル王から追われ、命を狙われた時期もありました。そんなただ中に置かれたイスラエルの人たちは、どちらに付くべきか混乱しましたが、ダビデを助けるようにと、だんだん風向きが変わって行きました。第一歴代誌十二章二十二節〜二十三節、

『日に日に、人々がダビデを助けるため彼のもとに来て、ついに神の陣営のような大陣営となった。主のことばのとおり、サウルの支配をダビデに回そうと、ヘブロンにいるダビデのもとに来た、武装した者のかしらの数は次のとおりである。』

 家に帰ってから、第一歴代誌十二章全体を読んでいただきますと、イスラエルの人たちがダビデを助ける為に、どのくらい集められたかがわかります。
 各部族から何人ぐらい助けに来たのか、「イッサカル族は二百人」と記されています。その前・後を読んでみます、第一歴代誌十二章三十節〜三十四節、

『エフライム族から二万八百人。勇士で、その一族に名のある人々であった。マナセの半部族から、ダビデを王にしようとしてやって来た名の示された者一万八千人。イッサカル族から、時を悟り、イスラエルが何をなすべきかを知っている彼らのかしら二百人。彼らの同胞はみな、彼らの命令に従った。ゼブルンから、従軍する者で、完全に武装し、戦いの備えをした者五万人。彼らは心を一つにして集まった。ナフタリから、つかさ一千人。彼らのもとに、大盾と槍を持つ者三万七千人。』

 各部族からダビデを助けるために集まり、さながら神の大陣営のようになったというのです。
 イッサカル族が送ったのは二百人でした。しかし前・後を見てみますと、二万八百人とか、一万八千人とか、五万人とか、三万人とか、すごい数です。けれども、イッサカル族はたったの二百人です。
 しかし、少数ではあったのですが、イッサカルの人たちには特別な使命がありました。それは何かというと、「時を悟っていた」のです。少数ではあったけれども、時を悟っていた人たちが陣営に入ったことにより、イスラエルの歴史は正しい方向へと進んでいったのです。

 ある意味、それはどの領域でも同じです。今、日本の人口は一億三千万人くらいでしょうか。でも、クリスチャンは一パーセント以下と言われます。特に、プロテスタントのクリスチャンは、〇・四パーセントくらいです。日曜日に礼拝に集まっている人口となれば、二十数万人と言われますから、人口比にしたらたったの、〇・二パーセントくらいです。本当に少ないです。
 しかし、少ないかもしれないけれど、クリスチャンが時を悟るならば、国の方向性も変わることを教えています。
 日本の社会において、クリスチャンは、ある意味でマイノリティと言われるような少数かもしれません。しかし、キリスト教は、世界で最もメジャーです。
 日本ではクリスチャンは少ないかもしれないけど、少なくてもいいのです。イッサカル族が遣わした特別な精鋭、神の時を悟った人たちが、陣営に入ったことによって方向性は変わるのです。私たちも、その役割を、日本において果たさせていただきたいと願っています。
 新城教会には、五百名以上来られています。その一人一人が神の時を悟り、何をしたら良いのかを知るとき、必ず、国は変えられるのです。

 しかし、時を悟る者になる為には、それなりの武装を整え、準備しなければなりません。ローマ人への手紙十三章十一節〜十四節、

『あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行いなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。』

 『あなたがたは、今がどのような時か知っている』と、ローマに住むクリスチャンたちにパウロは呼びかけています。クリスチャンは基本的に、時を悟る者です。
 「あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ている」というのです。眠っている時は、何も分かりません。眠りこけていたら、時をつかむことはできません。

 私は、今でも本当に申し訳なかったと思い出すのですが、甲子園ミッションの準備の期間、九十二年のことです。毎日、たいへん忙しかったです。日本中を駆け巡り、さらにはアメリカでも決起大会がありました。
 今よりも二十歳若かったので、もっと元気だったのですが、私はある時、西宮の下條先生の教会で礼拝メッセージを頼まれました。その前まで、私はアメリカで奉仕があって帰ってすぐに北海道に行って、翌日が西宮での奉仕でした。
 早朝、西宮へ移動することになっていました。目覚ましベルを二つくらいかけて寝たのですが、家内もその時は一緒に行動していたので、家内も目が覚めませんでした。
 はっと目覚めたら、朝の七時過ぎでした。教会の礼拝は十時四十五分からだったと記憶しています。しかし私たちが起きた時刻は、すでに七時過ぎでした。本当に焦りました。どう考えても、新城から西宮へは四時間くらいかかりますから、これは駄目だと思いました。でも何しろ、新幹線の豊橋駅まですっ飛んで行きました。家内が運転して私を連れて行きましたが、ここから豊橋駅まで何分で走ったと思いますか?なんと、二十五分で行きました。信弘先生でも三十分くらいはかかると思いますよ。しかし家内はなんと、二十五分で豊橋駅まで送ってくれました。
 しかし、車が駅に着いた途端、新幹線が出てしまったのです。しかたなく、下條先生に電話して、「すいません、寝坊してしまいました。許してください。」と本当のことを告げました。先生は素晴らしい方で、「わかりました。順先生は忙しいですから」と言って、「賛美で引き延ばしておきます」と言って下さいました。私は十一時ごろ教会に滑り込み、セーフでした。本当にあせったことを、二十年間忘れることが出来ません。眠りこけていると、大変なことになりかねません。
 一般でも、寝坊しない事は重要です。学生のみなさんが、明日はテストだという時に寝坊したら、大変なことになりますよね。

 霊的世界も同じです。『あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行いなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。』と語られています。
 なぜならば、『今は救いが私たちにもっと近づいているからです。』とあります。なぜ、眠りから覚めなければいけないか、それは「救いが近づいている」からだというのです。
 ローマ人への手紙が書かれたのは、今から二千年も前のことです。二千年前、パウロは、救いがもっと近づいていると語りました。それから二千年が経ちました。どうでしょうか?二千年も経ったのですから、もっと、もっと、もっと、救いが近づいているに違いないのです。

 さて、「救いが近づいている」とは、何を意味するのでしょうか。一つは、イエス様が帰って来られるという「再臨」の時期が近づいていることを意味します。みなさん、再臨を信じますか?
 イエス様がもう一度、この地上に帰って来られます。「再び臨む」と書いて「再臨」と言いますが、イエス様が人類の歴史に終止符を打つ、そんな日が近づいているのです。二千年前のクリスチャンたちは、主の再臨が間近に迫っているという、緊迫感を持って信仰生活を送っていたことを、ここからも読み取ることができます。
 私たちはどのくらい、主が戻って来られることを意識して、生活しているでしょうか?

 私の小さな頃、父・母も今日はここにおりますけれど、父と母は、私たちが信仰から離れないように、何をよく話したかといいますと、再臨について話しました。そのおかげか、私は信仰を保っているといっても過言ではありません。
 「いいか。今日、学校に行ってもイエス様の事を忘れちゃいけないよ。イエス様を信じなさい。悪いことをしちゃ、だめだぞ。喧嘩なんかするんじゃないぞ。喧嘩なんかしている最中にイエス様が帰って来たら、どういうことになるのか。地上に置いて行かれるぞ!」というような事をよく、話しました。それがどこまで神学的に正しいのかどうかわかりませんが、なにしろ心に強い印象として残りました。
 「家に帰った時、お父さんとお母さんは再臨で天に引き上げられ、子どもたちだけが残されたらどうするんだ」なんて脅かされました。結構、毎日どきどきしていました。家に帰って「ただいま!」と言った時、家が「し~ん」としていると、どきっとしたものです。

 私はそんな時のために、二つのチェック・ポイントを設けておきました。私たちの住んでいた家の隣が、十二人兄弟の見城さんという家でした。そこは両親を含み十四人全員がクリスチャンでした。だから、家に誰もいなかった時は、すぐに隣の家に行って、誰かがいたら、再臨はまだか、もしくは大患難時代を一緒に過ごす仲間がいると考えました。大患難時代は、再臨の先か後かという議論もありますが。
 見城家に誰も居ないなんてありえないけれど、万が一誰も居なかった場合、その隣の岡本家に行くことにしていました。岡本家は当時、おじいちゃん以外、皆、クリスチャンでした。だから、おじいちゃん以外の誰かがいたら「俺は助かった!」もしくは、「仲間がいる」という感じでした。

 ある日、学校から帰って来て「ただいま!」と言ったら、家の中がシーンとしていました。これは真実の話です。嘘じゃありません。どきっとしました。なんとなく嫌な感じがしました。
 いつもより静けさが深い感じがしました。それですぐに隣の家に行きました。「ねぇ、誰かいる?」と叫んだら、その日、十二人兄弟の家に誰もいませんでした。血の気が頭から引いていきました。「もしかして、俺は置いてかれてしまったかも!」
 それで、第二のチェックポイント行って「誰かいる?」と呼んだら、なんと、その日に限っておじいさんが「なんだ、何か用か?」と言って出て来ました。「わぁー!ついに俺は残されてしまった!」と。
 でもその後、信仰深いお隣のおばちゃんが出て来て「あぁ、助かった~」と安心しました。焦った俺が馬鹿だったな、と思いました。
 やっぱり日頃、いつイエス様が帰って来ても、対応できるような信仰生活を送らないといけませんね。

 『夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。』と、書かれています。
 今私たちに、救いがもっと、もっと、もっと、近づいています。この時代にあって、いつイエス様が帰って来ても、「待っていましたイエス様!」と再臨に対応できる者となりたいです。

 イエス様はなぜ、再び帰って来られる必要があるのでしょうか?それは世界の状況を見たらわかります。現在、世界はどうでしょうか。世界情勢はどんな政治家、どんな経済的に豊かな人たち、軍事力、科学のすべてを総動員しても、全くコントロールできません。どんどん悪くなっています。
 年を追えば追うほど悪くなっています。世界の人々に「世界平和って必要だと思いますか?」と聞いたら、誰でも「必要だと思います」と答えます。「戦争はあってはいけません」と絶対に答えると思います。
 しかし、どうにもならないのです。人類は滝壺に吸い込まれて行く小舟のようです。世界は人の手では歯止めが利かないのです。世界の歴史は行く所まで行き着くのです。そうなると、人間ではどうにも、回復できない日が来ます。いや、すでに来ているのかもしれません。
 そうしたら、神様が「ストップ!もうここまで。人類の歴史はおしまい!」と、神がすべての歴史に終止符を打たれる日が来るわけです。それが、主が再び帰って来られる日と共に訪れるのです。

 「その日が近づいていますよ。だから皆さん、気をつけてください」とパウロは二千年前、教会に対してメッセージを送りました。私たちは現在、更に近づいた時代に生きているということを、意識しなければなりません。

 「イエス様が帰って来られる日が近づきました。だから身を慎んでください。光の武具を着けてください。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をして下さい。主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。」と告げています。
 主が帰って来られる日に対応するためには、「聖い生活」が必要です。常にイエス様の十字架の血潮を仰ぎ、罪に打ち勝ち、悪魔に立ち向かう必要があります。
 『主イエス・キリストを着なさい』とあります。常に主イエス・キリストと共に生活をする事が重要です。

 今年も、残り少ないですが、救いが私たちにもっともっと近づいていることを意識して、『主イエス・キリストを着て』過ごしましょう。時を悟っている人とは、主イエス・キリストの再臨を意識し、主イエス様を着て生活する人たちです。
 賢い娘と愚かな娘のストーリーがありますが、賢い娘は、ランプにいつも油を持っていました。「花婿が来たぞ!」と聞いたらすぐにランプに火を点して迎えることができる娘でした。それが賢い娘でした。
 私たちが常に聖霊の油をランプに満たし、神の時に対応できる者にならなければならないと、ここで教えられるわけです。

 もう一つ、『今は救いが私たちにもっと近づいている』ということは、何を意味するのかといったら、「リバイバル」を意味します。
 特にイエス様が帰って来られる間際、終わりの時代は、どうしようもなく悪い時代になるのですが、そんな時、主はご自分の主権を持って民を救おうとされるのです。すでに世界中で「神の訪れ」が、局地的に起こっています。それがリバイバルです。
 日本のリバイバルを私たちは真剣に祈っていますけれど、これは「救いが近づいている」という御言葉の中に含まれている事柄です。この九月から、主が大いなるリバイバルを、日本に与えてくださると、時を掴み、期待しなければなりません。
 ヨエル書二章に次のような言葉があります。ヨエル書二章二十八節〜二十九節、

『その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。』

 『その日』とは、二千年前のペンテコステの日であり、さらには、末の日のリバイバルと聖霊の訪れです。それはイエス様が帰って来られる寸前に起こることです。その時、子どもからお年寄りまで聖霊を注ぎます、と預言されています。そして最後の収穫のために用いるというのです。その為に、光の武具を着けた勇士たちが、今、日本に必要とされています。
 この秋から、収穫の時が始まると私は信じています。救いはもっともっと近づきました。日本のリバイバルという意味において、主が訪れてくださるのです。聖霊の油注ぎを絶やしてはいけないのです。
 新城教会には一九九二年二月、聖霊様の激しい訪れがありました。この油を絶対に絶やしてはいけません。そして、このリバイバルの火を、もっと、もっと大きくしなければなりません。

 先週、アルゼンチンから一人の先生が、私をわざわざ訪ねて下さいました。私と話がしたいと言って、来て下さいました。その先生としばらくお話しすることができました。初めて会った先生でしたが、その先生と話をしていて、たいへん恵まれました。謙遜な先生でした。
 アルゼンチンにも大きなリバイバルが起こりました。私も一九九二年、霊的戦いが始まった年、アルゼンチンのリバイバルを見学に行きました。神の訪れが国を覆っていました。聖霊様が激しく働いておられました。
 ある日、突然、ある国に、ある街に、聖霊を注いで、主の訪れが始まるのです。韓国でも、そのようなことが起こりました。

 私はその先生に聞きました。「今、アルゼンチンのリバイバルはどうですか?」と聞いたら、彼がこう答えました。「どこの国でも、クリスチャンたちが聖霊様をお招きさえすれば、必ず訪れてくださいます」と。すばらしい希望の言葉ですね。
 その国の人たちが、主をお招きするならば、必ず、主は来てくださると言うのです。その国に住む人たちが神の時、リバイバルを求めて、主をお招きするか否かにかかっているというのです。聖霊様は招かざる客ではないのです。招かれたら、来てくださるお方なのです。

 リバイバルが欲しかったら、聖霊様をお招きしなければならないのです。「主よ、来てください!」と、「日本に来てください。日本にお招きします!」と。
 もちろん、主は、全世界におられるのですが、聖霊の注ぎは、その国の人たちが強い意志を持って、主をお招きすることが重要だというのです。

 しかし続いて語られた言葉が大変印象的でした。「どこでも、主をお招きしたら、主は来てくださいます。しかし、来てくださった聖霊様が、その国を治めるか否かは、次の段階にかかっている」というのです。
 「アルゼンチンは聖霊様の訪れは体験したけれど、主が国を統治する段階には至っていない」と言われました。
 どういう意味かと聞いたら、「教会は聖霊の訪れを体験したけれど、社会は罪と汚れのままだ、社会全体が変化していない」と言いました。
 「一番重要なのは、聖霊様が来てくださると共に、主がその国を治めてくださるように祈ることだ」と言われました。その言葉に深く感動しました。
 私たちも、祈りを一歩進めて、主が治めてくださるように、新城教会を主が統治してくださるように、また、街を主が治めてくださるように、主の支配がこの国に根付くように祈らなければいけない、と教えられました。
 私たちが主をお招きするだけでなく、主のご支配が、この日本に拡がって行くように、そのために祈りなさいと語られているのではないかと感じました。

 『終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。』

 時々、年をとったりすると、「私は何の役にも立ちません」なんて言われる方がおられます。しかし、絶対にそうではありません。また、子どもたちに、「子どもたちになんの意味があるんですか?早く大きくなってください」と思うことがありますが、そうではないのです。
 リバイバルの預言は、赤ちゃんから、天に明日帰るかもしれない、お年寄りまで全員参加型なのです。全員に、「聖霊を注ぎます」と約束されています。

 教会に属する、子どもたちから、おじいちゃん、おばあちゃんまで、全員が主をお招きして、主の支配を願うならば、主はこの地を治めてくださるに違いありません。
 エペソ人への手紙五章十四節〜十九節、

『明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。』

 ここにも共通した御言葉が語られています。『眠っている人よ。目をさませ。』と呼びかけられています。私たちが信仰的に、霊的に眠っていたら、時を掴むことができないのです。しかし、私たちが霊的に目覚めたならば、時を掴むことができるのです。
 それで、自分自身が、「賢い人のように歩んでいるのかどうか」、よくよく吟味して、注意しなさいというのです。
 そして十六節、『機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。』とあります。ここに「機会を十分に生かして用いろ」と訳されている箇所は、ある意味で意訳です。この箇所を直訳すると、「時を買い戻せ」となります。

 「時を買い戻せ」とは、「お店に行って、店ごと買ってしまえ」というようなイメージだというのです。近くのスーパーに行って「すいません!この店ごと、買わせてください」と言ったら、店のオーナーはびっくりすると思います。
 でも、お店を丸ごと買ったら、中身は全て自分の物となります。中身に何があっても、全て自分の物ですから、その中で、良い物は残して悪い物は捨てることができます。

 みなさん、それは何を意味するのかというと、クリスチャンにはすごい使命と権威があるのです。それは、「時を買い戻す」という事です。
 今の日本、日本はまさに悪い時代です。悪魔がほとんどの領域を支配しているような国です。クリスチャンが機会を用いろとは、悪魔に奪われた時を全て買い戻してしまえと言うのです。
 イエス様の十字架の血潮によって、聖霊の力によって、悪魔に渡った時を全て贖う、買い戻してしまえと言うのです。そして、神に有益な物だけを残し、悪魔の持ち込んだ物は全て破壊し、神の国として再創造してくださる主の支配に委ねろということです。
 リバイバルとは、ただ神の訪れだけでなく、神の支配だと語りましたが、神が政治も経済も何もかも、支配されることを意味します。そのためには、私たちが時を悟り、「時を買い戻す」働きをしなければならないのです。
 そのためには、愚かにならないで、主の御心がなんであるかをよく悟りなさい、酔っ払った放蕩の生活をするのではなく、聖霊に満たされた生活をしてくださいと、パウロは語っているわけです。
 この秋、主が教会に、その事を語っておられるような気がしてなりません。

 この九月は「台湾リバイバルミッション」があります。二十一日〜二十三日まであるのですが、是非とも祈っていただきたいと思います。来週は、リバイバルミッションニュースの発送があります。いつも協力していただいて心から感謝しています。新城教会はリバイバルミッションの一番のサポーターです。是非とも、時を買い戻すために、この働きを支え、祈っていただきたいと思います。
 九月号のリバイバルミッションニュースの巻頭言、最初のメッセージは私が書くことになっています。
 先週、私は「まだまだ入稿までに時間がある」と思っていたら、担当者の方から「順先生、もう入稿の日時が過ぎていますよ。どうなりましたか?」という促しのメールが来ました。その時、「しまった!」と思いました。私はちょっと入稿期日を勘違いしていました。「ちょっと待って下さい」と言って、原稿を書こうとしたのですが、何を書いていいのか全然わかりませんでした。困ったな、と思いながら祈りました。「主よ。何を書いたらいいですか?」と祈りながら、コンピューターの前に座りました。
 そして一行、「いつも、ミッションの為に、お祈りいただきありがとうございます。」と書いて、次に何を書いていいのかわかりませんでした。
 そういう時には、さらに祈らなければなりません。「主よ、何を書いたらいいですか?」と。
 そうしたら、一つの御言葉を与えられました。それが今日、冒頭でみなさんと一緒にお読みした御言葉でした。それで今朝のメッセージの主題を「時を悟れ」とさせていただきました。
 今度発行されるニュースの巻頭文を、一足早く読ませていただきたいと思います。

時を悟れ

『イッサカル族から、時を悟り、イスラエルが何をなすべきかを知っている彼らのかしら二百人。彼らの同胞はみな、彼らの命令に従った。歴代誌第一 十二章三十二節』

 いよいよ、台湾リバイバルミッションが近づいて来ました。「全日本リバイバルミッション」はもちろん、今回の会場となる中山教会も、台湾と日本が一つとなって持たれる、この歴史的な集まりのために、張り切って準備しています。是非、とりなしの祈りをよろしくお願いいたします。

 さて近頃、日本を中心軸として、アジアとその周辺諸国が急速に慌ただしくなっています。特に、ロンドンオリンピックの前後から日本と周辺諸国が揺れています。
 そもそもオリンピックは国の団結を強め、ナショナリズムの高揚につながりやすい性格がありますが、そんなただ中、七月にロシアのメドベージェフ大統領が国後島を訪問し、北方領土問題の解決に暗い影を落としました。
 続いて、オリンピックが閉幕する直前の八月一〇日、突然、韓国の李明博大統領が、歴代韓国大統領で初めて竹島に上陸したことにより、良好だった日韓関係は急速に冷え込んで行きました。
 さらには八月十五日の終戦記念日、香港の活動家たちが尖閣諸島の魚釣り島に上陸して逮捕される事件が起き、中国国内で反日デモが起きるなど、日本と中国との関係にも大きな影響を与えました。活動家たちが上陸した際、掲げていたのは中国と台湾の国旗でした。
 尖閣諸島に関しては、台湾も領有権を主張しており、アジアの諸国の中で最も友好的な日本と台湾の関係にもひびが入りそうです。

 一方、日本国内においては、東日本大震災の影響と現政権に対する不満からか、日本は右傾化しているとの指摘があります。もしも次の総選挙で現政権が敗れ、右よりのグループが勝利した場合、日本は元の道に戻るのではないかと、アジアの諸国は危惧しています。
 日本はかつて関東大震災を契機に、右傾化を強め、戦争へと突き進んで行ったと言われます。

 世の終わりについて弟子たちがイエス様に質問した時、『民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからです。これらのことは、産みの苦しみの初めです。』と答えられましたが、今の状況は、何かこの御言葉を彷彿させます。

 リバイバルミッションの働きにおいて、近年主は、日本のリバイバルの為にはアジアに対する視点を持つように導かれ、まずは韓国との霊的一致を強めるように促してくださいました。そして、アジア全体の霊的回復を祈り、働くように励まして下さっています。
 そんな中、「台湾リバイバルミッション」は、次のステップに移るための重要、かつ、欠かすことの出来ない働きであると信じています。

 歴史を見るとき、台湾は日本によって国の土台が据えられた、と言っても過言ではありません。それまでの台湾は、いくつもの原住民部族が各地を支配する部族社会であり、国としての機能は確立していませんでした。しかし一八九五年、日清戦争によって、かねてから清朝の支配下にあった台湾は、日本の統治領となりました。

 明治政府は後藤新平を台湾に民政長官として派遣し、皇民化政策を押し進めました。後藤は、台湾財政確立のために、後輩である新渡戸稲造を招集しました。新渡戸は、台湾の自然環境を調査し、インフラを整えました。台湾はその後、日本として統治され、太平洋戦争において台湾の人々は日本人として徴兵され、日本人として戦ったのです。台湾が親日であるのは、その為であると言われます。

 太平洋戦争における日本の敗北により、台湾は解放されたのですが、蒋介石率いる中国国民党が毛沢東率いる中国共産党に追われ、台湾に逃げ込んだことにより、大きな転換期を迎えました。毛沢東は、台湾を攻撃するために万全の体制を整えました。

 台湾が絶体絶命の危機に陥った夜、蒋介石夫妻は徹夜で主に助けを祈ったと言われます。翌朝、誰もが考えなかった事件が勃発したのです。それは金日成率いる北朝鮮軍が韓国に攻撃を仕掛け、毛沢東も朝鮮動乱に参戦したことにより、台湾は危機を免れたのです。もしも朝鮮動乱が起こらなかったら、現在の台湾は存在していないかもしれません。主は台湾を守られたのです。

 日本の未来を想うとき、日本は霊的には、あたかも絶体絶命の危機に追い込まれた、かつての台湾のようかもしれません。しかし祈りによって国を危機から救っていただいた台湾のクリスチャンと、霊的危機に直面している日本のクリスチャンが心を一つにして祈るとき、主は日本を守り、リバイバルを起こし、末の日のリバイバルの為に用いて下さると信じます。

 今こそ、クリスチャンは時を悟り、一致して、アジア全体を祈るときなのです。


 このように書かせていただきました。「時を悟る」為には、私たちのまわりを見るだけでなく、アジア諸国全体を見て悟らなければなりません。
 ある意味、日本が現在置かれている立場は、危機的状況かもしれません。特に領土問題はいつの時代でも、とても複雑です。
 竹島問題が、大きくクローズアップされていますが、「竹島問題とかけてなんと解く?」というのが出ていました。それは日本と韓国の関係ですが、「うちの父ちゃんと母ちゃんの関係と解く」と。その心は、「父ちゃんに領有権はあるけれど、実行支配権は母ちゃんにある」とありました。そんなのは冗談なのでいいのですが、ああいう問題は、昔ならば戦争になります。尖閣諸島問題もそうです。
 歴史は繰り返しますから、気をつけなければなりません。これがオリンピックを中心軸に起こっています。
 一九四〇年、太平洋戦争が起こった年ですが、東京でオリンピックが開催されることが決まっていました。アジアで最初のオリンピックということで、湧き上がっていたのですが、太平洋戦争で中止となりました。
 オリンピックはある意味、スポーツという武器を使った戦争です。どの国においてもナショナリズムが高揚します。
 それを知っているかのように、ロシアが動いたり、韓国が動いたり、中国が動いたり、また、台湾が動いたりしています。誰が日本の敵なのでしょうか。それは、国々の背後にいる存在が画策して、お互いに争わせ、滅ぼそうとしているのです。
 私たちがこういう時に、悪魔の策略に乗せられてはいけないのです。「なんだあの国は、なんだこの国は」ではないのです。私たちは天の空模様を見分けなければいけないのです。決して、日本人は日本人として、韓国人は韓国人として反応してはいけないのです。

 今、日本が右傾化していると言われます。次の選挙はちょっと真剣に祈らないといけないです。右傾化したグループが当選して、国会議員の定数が半分になり、彼らで国会が占められたら、国はどうなるのでしょうか?大変なことになります。そうしたら、昔と同じ方向に向かう可能性があります。歴史は繰り返すとありますから、今の時代は大丈夫だとは絶対に言えないのです。
 このような状況が、特に、日本を中心軸として起こっている現実を見て、我々は神の国に国籍を持つ者として反応し、天の空模様を見分けなければならないのです。

 自分の身の回りよりも、アジア諸国のために、私たちが真剣に祈らないと、結局自分達の足下さえもすくわれてしまう結果になるのではないでしょうか。
 神の時を悟らせていただき、主が与えてくださる情報を事前につかみ、とりなし、祈ることにより、危機から救われます。それが聖書の真理です。
 この時にこそ、心を一つにし、日本のリバイバル、世界のリバイバルのために働いていこうじゃありませんか。

 今日は午後から台湾リバイバルミッションの決起大会がありますから、是非ともお越しください。一緒に祈ってください!私は東京集会で行けませんが、今日はなんと、開先生が中国語で賛美を導いてくれるそうです。中国語がわかる人がほとんどいないから、何語でやっているのかわからないかもしれませんが、その努力をかってあげてください。六曲覚えたそうです。台湾ミッションを成功させようじゃありませんか。それが霊的に自分たちの足下を固めることになるのです。それが、天の空模様を知っている者たちの行動であると信じます。是非、そのために午後から参加し、祈っていただきたいと思います。
 常に私たちは、救いが近づいていることを意識し、今週も歩んでいきたいと願っています。最後に一言お祈りして終わりにします。


 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて心から感謝します。時を悟れと主が語ってくださっていることを、ありがとうございます。主よ、私たちが天の空模様を見分けることが出来ますように。天の空模様を教えてください。
 今週、キリストの体の各器官に、天の空模様を教えてください。その予報に従って生きることができますように。
 今、私たちは、神の時を悟るための油注ぎを必要としています。聖餐式を通して、聖霊の油を注いでください。賢い娘のように、ランプを油で満たすことができますように。今日、私たちのすべての汚れを聖め、あなたを着ることができますように。そのような聖餐式としてください。イエス・キリストの御名によって、祈りを御前にお捧げいたします。アーメン。