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『私の助けはイエス・キリスト

2013.4.14 (日)
新城教会 副牧師 滝元開
詩篇121篇

『私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。
主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。
昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。』


 先週は白井立子姉妹が天に帰られ、私たちの教会にとっては大きな悲しみの週となりました。白井姉妹は今まで、この日本のリバイバルを願い熱心に求め、日々伝道に励んで来られましたが、先に天に帰られた多くの信仰の先輩たちのメンバーに白井姉妹も加えられました。地上に残される私たちにとっては悲しいことで、寂しい気持ちがします。しかし神様の時の中では一つ一つのことに意味があると信じています。ヘブル書の中にこのようなみ言葉があります。ヘブル人への手紙一二章一節、

『こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。』

今、天において白井姉妹は、多くの証人たちの新たなメンバーに加えられて、雲のように私たちを取り巻いて、今日もこの新城教会の礼拝を見つめて、天の父なる神様のみ前で日本のリバイバルのためにとりなして祈って下さっていることと思います。私たちは日々リバイバルという戦いを戦っていますけれども、様々な戦いがあり、忍耐が必要なこともありますが、リバイバルは必ず起こされるという信仰を持って、その天の聖徒らと共に、この戦いを戦い続けていきたいと願います。

 それでは今朝のみ言葉は詩篇の一二一篇です。「私の助けはイエス・キリスト」、今朝ご紹介させていただいた新しい賛美のタイトルを今日のみ言葉のタイトルにさせていただきました。私たちの助けはイエス様だということは誰もが分かっていることですが、より「イエス様」に目を留めて、私たちのこの信仰の戦いを歩み続けていきたいと思います。詩篇一二一篇一節、

『私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。』

 このみ言葉はとても有名なみ言葉です。みなさんもこれを見て「どこから私の助けは来るのかな」と思っておられると思います。
 実は今回、今年八月に行われる和歌山ミッションのために、開催地の和歌山県の平岡修治先生が、私にこう言いました。「おい開、和歌山ミッションのテーマソング作ってくれ」「そうですか。分かりました。ではテーマのみ言葉は何ですか?」と聞くと「ん?み言葉はないな」と言うのです。「ないんじゃあ困るので、何とかひとつを、」と言うと「そういうのは親父さんだ」と言うのです。平岡修治先生にとっても滝元明牧師は親父さんだそうで、「そういう事は親父さんに聞いてくれ」と言われました。それで、父の所に行きました。「今回、和歌山ミッションのテーマソングを作らなきゃいけないんだけど、そのテーマのみ言葉は親父さんが担当らしいので、親父さん、なんかみ言葉があったら下さい」と伝えました。
 その時に私の心の中では「和歌山」には山がたくさんあるので、山をテーマにしたみ言葉がいいなと、何となく思っていました。その事をさらっと父に伝えると、一時間も経たないうちに私の携帯が鳴りました。「滝元明」とありました。出ると、父は「おい開。詩篇一二一篇だ」と言いました。「あぁ、そう。分かった」と、そして、これがテーマのみ言葉なんだと受け止めて祈り始めました。

 テーマソングが与えられる時には毎回本当に不思議なんですが、神様が備えてくださるので、集会の開催が決まって、そしてみ言葉が与えられて、そうして今度はテーマソングとなると、あっという間に主が下さることが多いです。
 でも、今回は、すぐには下さらなかったです。長い時間与えられなくて「あれ?どうしちゃったかな?」と思いつつ、でも曲は作るものではなく、主が下さるものでなければ、ましてや自分が作って良いことは何もないと日頃から思っているので、困っていました。
そうこうしているうちに「そろそろ与えられないと時間的にもまずいな」と思い、私は普通なかなか言わないんですけれども、「実はまだ与えられてないんだけど、与えられるように祈ってくれるかな」と家族に言いました。そうしたら、祈ってもらってすぐ次の日に今日ご紹介した賛美が主から与えられて、「イエス様は素晴らしいな」と、本当に感謝しています。主が与えてくださるのでなければ何もできない者だということを、今回は私自身すごく教えていただきました。

 「私は山に向かって目を上げる。・・・私の助けは天地を造られた主から来る。」

 このみ言葉は、「都上りの歌」という詩です。当時のイスラエル人は、神様を礼拝するために、年に何度かエルサレムに上ってくるのです。イスラエルの全国いろんな所から集まって来るんですけれども、その途上にエルサレムにある山を仰いだことと思います。山と言っても大きな山ではありません。オリーブ山という小高い山というか、丘というような感じです。
 その当時、多くの山はどうであったかというと、「高き所」と呼ばれる場所でした。高き所というのは偶像礼拝の場所であったのです。ですから「私は山に向かって目を上げるけれども、でも、そこに目を留めるのではなくて天地宇宙を造られた神様に目を向ける。」ということは、偶像礼拝の拠点に目を向けるのではなくて、神様に目を向けるんだと、この詩篇の作者は言っているのです。リビングバイブルを見たら、はっきりと書かれていました。

『私は、山に住むという神々に、助けを仰ぐべきなのでしょうか。いいえ、真の助けは、山々を造られた神様から来るのです。この神様は、天もお造りになりました。』

 『私は、山に住むという神々に、助けを仰ぐべきなのでしょうか。』そうじゃない。真の神様に目を留めるべきだ、ということを、この詩篇の作者は言っています。私たちの助けはどこから来るのか。それは山からではなく、ましてや神でない神々から来るのではなくて、この地を造ってくださった、天地を造られた神様に目を向ける時に、それもイエス・キリストという名の中から助けが来るということを私たちは信じて進み続けて行きたいと思います。
 どのような時代の中でも主は守ってくださって、どのような激しい戦いの最中でも主の守りは変わらないことを、これからの終わりの時代だからこそ、さらに私たちはみ言葉を握りしめて、信仰の戦いを進めていかなければいけないのではないかと思います。

 先週は世界中に大きなニュースが巡り、今なお継続中ですけれども、北朝鮮がミサイルの発射ボタンを押すばかりになっているという、そのような状況の中で、私たちは何もできないですが、やはり祈るべきだと思います。

 また昨日、朝五時半、携帯が鳴り響きました。早朝に突然警報音が鳴り出してびっくりし、「ミサイルか!地震か!」と思ったら地震でした。淡路島で大きな地震があって、現時点で千二百戸の家が損壊したと書かれていましたけれども、今は、いつどこで何が起こってしまっても不思議ではない時代になってしまっています。でも、このような時代だからこそ、私たちは救い主であるイエス様ご自身に目を留めて歩んで行きたいなと思っています。

 みなさんにお祈りいただきまして、先週は山梨の甲府でザワメキの集会をさせていただきました。土日で三つの教会で集会を持たせていただいたんですけれども、そこに行くにあたって、一つの教会が「是非ザワメキに来て欲しい」とおっしゃってくださっていたんですが、「神様が行けと言われる時に行くことができれば」と思っていました。そんなある時、ニュースの中で、山梨の甲府の街が大変だ、というニュースが流れていました。暴力団の闘争があり、発砲事件まであることを聞きました。
 そして、今回甲府に行ったらびっくりしました。最近は何と、頻繁に発砲事件があるそうです。昨日インターネットで調べて見たら、最近だけでも十五件の発砲事件が発生しているらしく、伺った教会の先生も、昨日も市から携帯電話にメールがあって「発砲事件があるので外出を控えてください」と、そのような話があったことをおっしゃっていました。
 大変な状況の中にあるので「こういった時こそ賛美しよう」と思って、先週は行かせていただきました。今回は地元の牧師先生が三つの教会を紹介してくださって、甲府駅を挟んで三カ所の開催でした。近くで三カ所の開催というのは珍しいことなんですが、「これは神様の時の中での主が定めたことだったんだろうな」と思って私たちは行きました。
 一つ一つの集会が神様の臨在の中で、リバイバルに燃えた集会となりました。初日に行った教会は、どちらかというとお年寄りが多い教会だったんですが、その方たちがすごく活き活き燃えているのです。そして、「私たちの教会は変わりました!空気が変わったでしょ?」とおっしゃるのです。私も「じゅうたんが綺麗になりましたね」と言ったら「そうじゃなく「霊的に変わったでしょ?」とおっしゃっていたのですが、確かにアーメンでした。以前は小さな声で寂しく歌っていた教会が見違えるようでした。主が何かなさろうとしておられるのだろうと思いました。

 山梨での賛美集会は四回か五回目、何度も行っているんですけれども、今回どういうわけか一つのことを思い出しました。「山梨といえば、うちの父が話していた「塩山」という地域のある街だな」と。父がこの地に招かれて奉仕をしていた時、悪魔が現れて対決した事がある、そんな話をしていたことを思い出しました。
 何十年も前のこと、私の父が塩山という街の教会で伝道集会をして、集会が終わってから、その教会の母子室に泊まって寝ていました。すると、その晩すごく嫌な夢を見たそうです。気持ち悪くなって起きたというのです。そもそも父は、寝るとあっという間に寝て、三秒くらいしたらいびきをかいている人なんですが、その父が気持ち悪くて起きたというのです。起きてしまって夜中に「主よ、子どもたちを守ってください。教会を守ってください」と祈っていまいた。ところが、ぱっと目を開けたら、なんと足下に悪魔の上半身が見えて、そして、「滝元、塩山から帰れ!」と言ったそうです。
 私はそれを子ども心に聞いていて「塩山こわっ!山梨こわっ!」といつも思っていたんですが、今回この場所で歌っている時に、その事を思い出しましたので「ここであったんだな」と思いながら歌っていました。
 でも何か神様のご計画があるのだろかなと思って、その集会の中でこんな話をしました。甲府というと武田信玄が地元で、祭られている場所なのですが、私たちの町、新城は武田軍が織田・徳川の連合軍との戦に破れた場所で、新城にも信玄塚という場所があり、戦で死んだ人を祭っている場所があるほどですので、霊的にもいろんな繋がりがあるのではないかと。そんなことを話し、祈りながら歌って、そして集会を終えました。
そうしたら集会後一人の信徒の方が来られて「今日、来る時、車は混んでなかったですか?」とおっしゃいました。「普通に来ましたよ」と答えると、「今日は信玄公祭で、混んでいるはずなんですけど」とおっしゃっていました。ちょうど私たちが行ったその三日間が信玄公祭で、その地の悪しきものが拝まれる祭のただ中だったんです。けれども、主は、私たちを遣わしてくださり、そこで賛美することに神様の計画があったんだなと強く感じました。
 ですから、「私たちの街で勝利する時に甲府で勝利が来ますし、甲府の街の勝利は私たちの街の勝利につながりますので、一緒に戦いましょう」と、そんな話をして来ました。神様がこのように導いてくださったことを心から感謝します。
 父が、そのメッセージをする時に必ず話すみ言葉が、ヨハネ十五章五節です。

『わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。』

父が、塩山で祈り終わって朝起きた時、最初に心に響いて来たみ言葉が『わたしを離れては何もできません。』だったそうです。私たちはイエス様を離れては何もできない者なのでイエス様にとどまって行き続けたいと願っています。イエス様の中ににとどまる時にあるイエス様の勝利というのは、恐れるものは何一つない大きな勝利が与えられることを信じて前進していきたいと願っています。

 また、お祈りいただいた二月に行われたザワメキの東北大会も本当に祝福されたことを心から感謝いたします。その行く先々に神様がご臨在を現してくださった大きな恵みの時でした。今回は何度か被災地で賛美の働きをさせていただいていて仮設住宅もたくさん巡ることを主が許してくださって行かせていただきました。

今回行くにあたって「そうだ。賛美が響いた事のない場所で賛美を響かすことができたらな」と思いました。そして早速、仙台のクラッシュジャパンのS君に「もしできたら気仙沼の大島に行くことはできないかな」という話をしました。そうしたら「全然面識がないのでどうなるか分からない」と言っていて、彼らも一生懸命いろんな形でアプローチ取ってくれたんですけれども、なかなか糸口がありませんでした。
 そんなある日、彼らの近くに一人のまだクリスチャンじゃない大学生が出入りするようになり、彼と交わりをするようになった中で、その大学生が何と大島出身であることが分かって、彼の家族が紹介されて、彼らを通して大島の三つの仮設住宅を紹介していただくことができました。主のご計画の中で人が備えられて、場所が備えられて、そして、賛美の時が与えられて本当に感謝でした。イザヤ書四十二章十二節〜十三節が与えられたみ言葉でした。

『主に栄光を帰し、島々にその栄誉を告げ知らせよ。主は勇士のようにいで立ち、戦士のように激しく奮い立ち、ときの声をあげて叫び、敵に向かって威力を現す。』

 大島に行く前にこのみ言葉が与えられて、イエス様ご自身が島々に栄光を現してくださって『敵に向かって威力を現す』という働きをしてくださるように、そんな思いで出向きました。

 その時の写真があるので少しだけご紹介したいと思います。さっと紹介したいと思います。

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 今回は「勇気を出してコンサート」、サブタイトルは「お茶っこ飲みながら一緒に歌おう」でした。特にこのサブタイトルは、クラッシュのみなさんが作ってくれたのですが、ほのぼのしたものでした。「一緒に」歌わなきゃいけないので、ザワメキだけじゃみなさん初めてで分からないので、今回賛美歌「いつくしみ深き」を歌いました。あの曲は唱歌にもなっているので、みなさんメロディーを知っていて歌ってくださいます。
 でも「一緒に歌う」と言って、その一曲だけじゃ申し訳ないなと思っていろいろ調べました。そこで、賛美をする者として、歌ってもいいだろう、という歌をい調べたら、何と「ふるさと」と「春の小川」は作曲者が岡野貞一という方で、彼はすごく熱心なクリスチャンでしたので、仮設住宅のみなさんと一緒に歌うことにしました。
 おじいちゃんおばあちゃんはすごく喜んでくださり一緒に歌うことができました。
でも、順先生が、ふるさとの歌詞の中にも悪しき策略がないわけじゃないということをおっしゃっていました。「その状景を思い浮かべるだけで神社の鳥居が見えて来てはいけないんだ」ということをおっしゃっていましたが、確かに、私たちは、この国を思い浮かべるとき、状景の中に教会の十字架が見えるような国へと変えられるように祈らなければいけないと思います。
余談なのですが、ふるさとの歌詞の中には、「兔追いしかの川、小鮒釣りしかの川」という歌詞があります。そして、もう一つ「春の小川」なんですが、二番に「春の小川は、さらさら行くよ。えびやめだかや、こ鮒のむれに」というのが歌詞なんですね。その詩を書いた人は長野の人なんですが、どうやら鮒が好きみたいなんですね。小鮒釣りしかの川。私個人としては、釣りに行って鮒を狙って釣ったことは一度もありません。もしも釣れたらリリースでした。だいたい魚は食べられる魚を捕るべきだという気持ちがあったものですから、仮設住宅のコンサートの中で歌いながら「この人、鮒好きな人だな」と思って、仮設住宅の皆さんにもお話ししてみました。

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仮設住宅ではこういった感じで、すごくアットホームな雰囲気の中で歌っています。本当に小さな所で歌っているんですが、そんな話をおばあちゃんたちにしてみました。「私たち鮒なんか釣らないんですけどみなさんどうですか?」と言うと「鮒?そりゃ釣らないよ」と言われたので、じゃあ何を釣るのかと聞くと、「鯨追いしかの海だ」と言うのです。「鯨追ってるんだから鮒なんて捕らないね」と言っていたんです。今回のこの仮設住宅でのコンサート、すごく楽しくて、私たちは歌ったりトークを入れたりするのですが、こちらがトークをはじめると、おばあちゃんたちがその話の中に割り込んで来るのです。「それはね、こうだよ。あーだよ」と、みなさん黒人教会のようにコンサートの中で口々にしゃべって下さるので最終的にはみなさんで自己紹介をしました。
 「自己紹介をしてください」と言うと、みなさん同じように言った言葉がありました。「私は大島生まれ、大島育ちの○○です」と言うのです。次の人も「私は大島生まれ、大島育ち、○○です」と言われて、みなさん大島という小さな島の中で生まれ育たれ、みなさん八十、九十に近い方たちなんですが、みなさんがその島を愛しておられるのがわかりました。
 でも本当に神様はこの中に働いてくださって、賛美の中でおばあちゃんたちが涙するのです。その涙するのが「ふるさとが失われて悲しい」と涙するなら分かるんですが、涙される場所がそこではないのです。みなさん賛美の中で「主の愛が今」と歌っている中で泣いているのです。「すばらしいな。神様ここに来てくださったな」とすごく感謝しました。

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今回は私たち夫妻と、ドラムがR君と、ベースがF君だったんですけれども、R君は畳張りのあまりに小さな部屋でしたので、スネアといって小太鼓とハイハットという二つだけで演奏していました。でもそんな中で「ソロやって!」と言ったら「えー!!」と言いながらも彼はソロ演奏を楽しくやってくれました。おじいちゃんおばあちゃんたちもすごく楽しんで下さいました。そんな中で本当に神様が働いておられる姿を見ました。

 今回、私たちに大島の三ヵ所の仮設住宅を紹介してくださった方は、漁師さんでした。そのご家族と本当にすばらしい交わりの時を持たせていただきました。その交わりの後でその大島にある大島全体を展望できるという山に登りました。
この写真が山から見た景色で、大島全体と気仙沼からすべてが本当に綺麗に三百六十度見えるという場所でした。

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 この時はまだ晴れているんですが、だんだん雲が覆って来て、すごい風になって、その後は猛吹雪になって、とても強い風が激しく吹き付けて来ました。私たちが山に上がって行く中でそういう事が起こりましたので、いかにもその地の悪しき君が「ここで歌うな」と言っているかのような風でした。ですからそこでみ言葉の通りに、イエスの御名によって「黙れ。静まれ!」と宣言して帰って来ました。これがその時行ったメンバーの写真です。

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 本当にイエス様の勝利が現された時でした。

 大島に行くためにはフェリーで渡るのですが、今回たった二日間だったんですが、帰りのフェリーに乗って帰途に着く時の事でした。フェリーの甲板から大島を眺めていました。島の海岸線の家の並びに今回私たちを紹介してくださった漁師さんの家があったんですが、フェリーから見たら、何とその家の前で私たちが帰る時刻に合わせて奥様が旗を持って外で立っていて下さいました。

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「ありがとう〜!」と立っていて下さいました。そしてよく見ると奥さんの後ろに手を振っている方、見えますか?ご主人なんです。実は先週の日曜日に新城にその息子さんが来てたんですけれども、「うちのお父さん、絶対にそんなことする人じゃない」と言っていましたが、そのお父さんとも本当にすばらしい交わりをさせていただきました。そして船はどんどん走るもんですから、お母さんはこんな感じで走ってきて下さいました。このお母さんもまた娘さんたちもコンサートに参加して下さり、お母さんもその賛美の中で涙しておられました。たった一泊二日間の集会で三つの仮設住宅のコンサートで、神様はこの島に対して何か大きな計画を持っておられるんだなと思いました。たった二日間なんですけれども、まるで「田舎に泊まろう」のように、最後は涙涙、「さようなら〜!」と感動の別れをして帰ってまいりました。

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神様がこの島に対しても何か大きな計画を持っておられることを感じたひと時でした。私たちは、その島に働くサタンの力が完全に砕かれて、主の勝利が島に現されるようにと、私たちは賛美の響いた場所のない所に行こうという事でしたが、実はこの島は被災後、アメリカ軍が「トモダチ作戦」という名前で支援をした島なんですね。きっとそのアメリカ軍の中にはクリスチャンもおられたに違いありません。ですから、その時ささげられた祈りの結果もあったのかもしれません。ゆえに今回の大きな主の勝利の現れだったんじゃないかなと思いました。

 そして次はいわきです。いわきの仮設住宅は大きいのでドラムもフルセットでこれだけのセットになって大きな所でのコンサートでした。

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 ここにもたくさんの方々が来て下さって喜んで下さいましたが、実はこの人たちはみなさん福島第一原発のすぐ近くから避難されている人たちばかりです。賛美の後には、みなさんととっても楽しい交わりの時間を持ちました。でもその中で話される内容といったら聞くも涙、語るも涙という内容ばかりでした。私がお話した方は、三月十一日のその当日は、どこにいたかというと、原子力発電所の一号機の建屋の中にいたとおっしゃっていました。さらに、あるおじいちゃんは震災前日まで平和に酪農をされていて、当時、十四頭の乳牛を飼っていたそうです。乳牛は一日三回、乳を搾るそうなんですが、一回でも搾らないだけで乳がぱんぱんになっちゃうから、避難命令が出てそこを去る時には二・三日で帰って来ることができるだろうから「なんとかがんばってくれ」と自宅を後にしたそうです。そうしてやっと一時帰宅出来たのは二ヶ月後だったそうです。その時牛たちは、痩せ細って乳がぱんぱん張って、乳を搾る所は真っ黒になっていて見るも無惨だったそうです。本当にかわいそうで、最後には十四頭全部、殺処分だったというのです。そのことを思うと眠れなくなるとおっしゃっていました。
 でも彼らが賛美の中で確かに神様に触れられて「勇気を出して」という今回のタイトル通り「いや〜、勇気もらった」と言っておられました。来られるみなさんは、普通はお昼十二時近くになるとそわそわしてみなさん帰るんですが、今回みなさん帰ろうとしないのです。すごくその交わりの中で皆が喜んで癒やされていくのを見ました。
 そして最後、全員で記念撮影をしたのですが、その際、佐々木歩君がこう言いました。「今日のコンサート、楽しかった人は楽しかったと言ってください」と言ったのですが、みなさん笑顔いっぱいで大声で掛け声をかけて下さいました。私の横には、酪農のおじいちゃんがおられたのですが、そのおじいちゃんも私の横で「楽しかった!」と大声を出して言ってくれたのです。本当にイエス様がここにも届いて下さったなと思って心から感謝な時でした。
 今、日本が大変な中にあり続けるわけですけれども、そのような中にもイエス様は訪れて下さってすばらしい恵みをなして下さっているなと言うことを感じました。
 大島において「黙れ。静まれ」と宣言してイエス様ご自身の勝利が現されたんですが、そこのみ言葉をお読みしたいと思います。マルコの福音書四章三十五節〜四十一節、

『さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう」と言われた。そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」』

 「黙れ、静まれ」というイエス様のことばは、湖も言う事をきくほどの権威のあるものです。私たちに与えられているこの救いの名前、私の助けであるイエス・キリストという名前にはその権威があるわけですので、その権威を持って私たちも進んでいきたいなと思っています。

 もう一つ、三月の末に中高生のキャンプがありました。本当に祝福されてとても楽しかったです。その中でも一度「黙れ。静まれ!」という時がありました。キャンプでいろんな所に行ってみんなで楽しく遊んだんですが、今回は箱根の芦ノ湖という所に行きました。二日間だけですが、最終日に芦ノ湖の遊覧船に乗って、そして箱根の一番高い山にロープウェイで上に上がって上で賛美するというプログラムでした。一番上には箱根神社があり、高き所がある場所で賛美しようということで私たちは行きました。
 その時の写真も少しお見せしたいと思います。

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 このように遊覧船の一番上で、みんなで楽しく賛美をしました。
 今回、三十六名で行ったんですけれども、中高生のみんなが一生懸命賛美してくれました。ただ、この船に乗る前にチケットを買う時にこう言われました。「向こうのロープウェイに今から行かれるそうですが、今日は風が強くてロープウェイで上がれないかもしれませんよ。それでもよろしければ」と言われて乗りました。そして行く途中、すごい風が吹いて来ました。「このままじゃ山に登れないかもしれない」ということで、船の上でみんなで祈りました。そこでイエスの御名によって「黙れ。静まれ!」といったんですが、
その結果、ご覧のように山の上に上がることができました。そしてみんなで一時間近く、ただ何があるわけでもなく、主を賛美し続けて、本当に楽しい恵みの時でした。

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若者ならではの歌って踊ってビクトリーという賛美なんですけれども、歌って踊って、賛美をして、そして最後の記念撮影ですけれども、この顔の表情で分かるように、その地に主の大きな勝利の訪れを感じたキャンプとなりました。

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 私たちも時には、「黙れ。静まれ」と叫ばなければいけならない状況に置かれることもあるかもしれません。でもイエス様の守りと助けは、私たちに与えられた「イエス・キリスト」という名前の中にあるので、そのイエス・キリストの権威を信じ切って勝利を宣言し、賛美をささげ切った時に、神様は大きな勝利を与えて下さるので、その信仰に立って、このような時代の中だからこそ、もう一度、さらに主への賛美を捧げていく者でありたいと本当に心から願っています。
 先ほどお読みしたマルコの福音書のみ言葉の中に、三十六節、

『そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。』

と書かれています。イエス様が乗っておられた舟も、また他の舟もそこにはあったわけですけれども、きっとイエス様の舟が助かって他の舟は助からなかったということではなかったと思います。イエス様が「黙れ、静まれ」と言ったゆえに、他の舟も助かって向こう岸に渡ったことだと思います。私たちクリスチャンの人生の航路の中で、舟の中にはいつもイエス様が一緒にいてくださいます。だからイエス様が一緒にいてくださる舟の中は安全で安心なのです。
 しかし、私たちの周りには、イエス様が乗っていない舟でその人生の航路を進めておられる方がたくさんおられます。しかし、私たちに関わるすべての人たち、ある意味近くにおられる方々も、イエス様の御名によって私たちが勝利を宣言していく時に、その守りの手が伸ばされるのです。『主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます』と書かれていますし、これは聖書の他の訳を見ると「あなたに関わるすべての人たちが救われる」と書かれているので、私たちに関わるすべての人たちにまで、その救いと守りと助けが拡げられていくことを信じます。出エジプト記四十章三十六節〜三十八節をお読みしたいと思います。

『イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。』

 イスラエルの民が荒野を旅して行く時にも、絶えず主のご臨在を見ながら歩んだというのです。昼は主の雲が幕屋の上にあってそれを見ていた。そして夜は雲の中に火があるのをいつも見ていた。イエス様ご自身のご臨在をそこで見つつ、彼らはその荒野の旅を乗り切って行くことができたわけです。ですから、私たちもこのリバイバルという大きな戦いの中で、もう一度イエス様ご自身に目を向けて歩んでいきたいと心から願わされます。
 高き所に目を向けたり、また「問題」という大きな山に目を向けて「どうしたらいいのか」ではなくて、私たちが目を留めなければいけないのは、完全なる勝利者であり、復活の主であられ、私たちと共にいてくださる勝利のイエス様です。そこに目を向けていく時にイエス様の大きな勝利が現されますので、そのことを信じて歩んでいきたいと心から願っています。
 これからの時代、いつどこで何が起こってしまうか分からないような時代の中で、私たちは日々歩んでいますけれども、今週も「私の助けはイエス・キリスト。」イエス様ご自身の名前の中に助けがあることを信じて、前進していきたいと思っております。一言お祈りさせていただきます。

 ハレルヤ。愛する天のお父様。あなたの御名をあがめて心から感謝します。今日はこの賛美礼拝においてたくさんの賛美をイエス様、あなたにお捧げしました。あなたがこの賛美の中にご臨在下さっていることを信じて心から感謝いたします。時代はますます終わりに向かって加速度を上げていますけれども、主よ、このような中でも、私たちはあなたに向かって目を向けます。私の助けは、主よ、イエス様、あなたご自身であることを信じて心から感謝いたします。あなたご自身が私たちのすべての生活に守りを置いて下さい。またあなたご自身が私たちに関わるすべての人たちの中にも、私たちの家族、また親族、また友人知人の中にも、あなたの守りの手を広げて下さいますようにお願いいたします。私たちは天地を造られたイエス様、あなたに目を向けます。今日もあなたの御業をなして下さいますようにお願い致します。
 ここまでの日本のリバイバルの働きをあなたが助けて守り導き、またリバイバルの戦いの剣を日本に与えて下さって、その戦いをここまで導いて下さった主にもう一度心から感謝します。なおも主が勝利を現わし続けて下さいますようにお願いいたします。今日の時を心から感謝します。すべての栄光を主にお返しして尊きイエス・キリストの御名によってこの祈りを父なる神様の御前にお捧げいたします。アーメン。