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『街を勝ち取ろう!

2013.7.7 (日)
新城教会 主任牧師 滝元順
マルコの福音書 16章15節〜20節

『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。』


 ハレルヤ!おはようございます。今日は新城教会でメッセージが取り次げますことを感謝します。
 みなさんにお祈りしていただき、ご心配していただき、大変忙しいスケジュールの中にありましたけれど、今日は元気にここに立つことができますことを、心から感謝します。しかし私が礼拝でメッセージを語らなくても、この教会にはすばらしいメッセンジャーたちがいまして、先週は四元雅也先生が大変すばらしいメッセージを語りました。
 今日は「リバイバル感謝報告会」があるのですが、毎年、一年を振り返って、主が何をしてくださったのかを思いだし、感動に包まれるわけです。
 今回の感謝報告書にも書きましたが、すでにこの報告書は三十年くらい前から毎年、お渡ししています。始めは「聖務報告書」という名称で、業務報告のようでした。
 しかし一九九二年に教会は大きな転機を迎えました。聖霊様が訪れてくださり、特に七月から大きな変化がありました。その後主は、「ただの業務的報告ではなく、わたしが行ったことをまとめなさい」と語りかけて下さり、「リバイバル感謝報告書」と名称を変えさせていただきました。
 教会の働きには、様々な働きがありますけれど、それらすべてはイエス様が再び地上に帰って来られるための「道ぞなえ」の働きです。この夏も様々な働きがありますけれど、それはただのイベントではありません。主が帰られる道を用意する、大変重要な働きです。
 今日は午後から、夏に行われるゴスペル・クワイヤーのコンサートとサマーフェスティバルのチラシ配布があります。それも主が再び帰って来て、地を治めてくださる日に向かう準備です。私たちは任された地域を、街を、サタンの手から取り戻し、主にお返ししなければいけないのです。一人ひとり、その使命に燃えて働いていきたいと願っています。

 来週は、私の尊敬しています、また、素晴らしい友人である竹内正臣先生がアメリカ、ワシントン州タコマから来てメッセージを取り次いでくださいます。竹内先生は本当に聖霊に燃えた先生です。今年の二月もペルーに一緒に行き、奉仕をさせていただきました。来週は竹内先生と、先生の教会の兄弟姉妹も来てくださいます。午後は聖会もあります。

 先ほどお読みいたしました聖書の箇所は、イエス様が天にお帰りになる直前に、弟子たちに与えられた命令です。開口一番出て来た言葉が十六章十五節です。

『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』

 イエス様がこの言葉を語られた時、あまり多くの弟子たちはいませんでした。十二人の弟子たちを中心に、周りにいくらかの少人数だったと思われます。しかしイエス様の視点は、イスラエルだけではありませんでした。
 ご存知のように、旧約聖書の世界はユダヤ人の歴史です。ユダヤ人はたいへん民族意識の強い人たちです。そんな中から現れたイエス様が、民族意識の強い世界のただ中から、「全世界に出て行き、福音を伝えろ」と語られたこの言葉は、私たちには想像のできない、革命的な言葉です。
 教会はどこに存在していても、視点は「全世界」に向いていなければならないのです。いくら愛知県の田舎に位置していても、視点は全世界に向いていなければなりません。
 なぜならば、全世界に福音が宣べ伝えられ、その後、イエス様が帰って来られるからです。常に地域・街と共に、「全世界」という最終的ゴールを定めなければならないのです。

 全日本リバイバルミッションは、「アジア・環太平洋ミッション」という働きを遂行しています。その一環として、今年の八月は和歌山でリバイバルミッションが開かれます。是非、その為に祈っていただきたいと思います。来週の月曜日には、和歌山県那智勝浦町でトラクト配布が行われます。時間があったら行かれたら良いと思います。結構、マグロがうまいらしいです。今回はマグロ目当てで行くわけじゃありません。田舎町です。
 一昨年は水害の被害にあって大変でした。つい先日の大雨でも、かなりひどかったみたいです。その町に福音を伝え、和歌山リバイバルミッションの案内や、とりなしの祈りをする計画です。来週の月曜日は休日ですので、良かったら出かけていただきたいと思います。

 また、今週は四元雅也先生がタイのチェンマイに行きます。何のために行くのかというと、もちろん、とりなしの祈りの為ですが、来年二月にチェンマイでリバイバルミッションが開かれます。チェンマイは結構大きな街ですが、チェンマイだけでなく、タイには山岳地帯があって、少数民族が大勢住んでいますが、是非とも、山岳地帯で集会をやってくれというのです。
 タイの山岳地帯は結構、たいへんらしいです。リバイバルミッションからは誰もまだ行ったことがありません。最初に誰に視察してもらおうかと言うことで、「雅也先生がいい」ということになりました。レンタカーを借りて、そこまで行かなければならないみたいです。レンタカーで走りたくないなと思うのですが、是非とも祈ってあげてください。彼も少し心配しているのではないかと思います。
 もちろん現地の方々が共に行ってくれますし、現在、泉ちゃんが現地でタイ語を一生懸命勉強し、来年のミッションに備えています。彼女は韓国リバイバルミッションの時も先に韓国に行き、韓国語をマスターしました。今回も「まず、タイ語を勉強して来い!」と信弘先生が娘を送り込んだみたいです。
 先日、私は彼女に電話をしました。「泉。もうタイ語はぺらぺらになったか?」と聞いたら、「順先生、今回はきついっすよ」と彼女は言っていました。今回はどうもきつそうです。あの象形文字みたいな文字はどっちから読むのか、縦からか横からか私には分かりません。でも彼女はがんばっています。
 タイのチェンマイもミッションの計画の中に入っていますから、環太平洋は、アジア全体を含んでいますから、祈っていただきたいと思います。今週は、雅也先生の為に祈って下さい。タイの山の中に入って行くと、マラリアとか風土病もあるみたいです。少し、脅かしていますけれど、みなさんを来年お連れすることができる、一番いい場所を選定したいと願っています。片道六時間とか、道がないとかいろんな噂があります。
 『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい』とイエス様は語られましたけれど、広い視野を持って主のために働いていきたいと願っています。

 イエス様は七十人の弟子たちに、すばらしい権威を授けました。前回ここに立った時、「七十人の弟子たちは、私たちのことだ」とお話ししました。ルカ十章十九節の御言葉を読んでみましょう。もうすでに覚えておられるかと思います。うちの三歳半の孫も、今朝聞いたら、ちゃんと覚えていました。忘れたのかと思ったら、ちゃんと覚えていました。みなさんで宣言として読んでみましょう。ルカの福音書十章十九節。

『確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。』

 この御言葉は本当に力強い言葉です。これを聖書の中にしまっておいてはいけません。私たちに語られた言葉として、受け取らなければなりません。この御言葉一つあれば、全世界、どんな所でも働くことができるはずです。
 「私たちに害を加える者は何一つない!」というのですから、福音をたずさえて、どこでも働く事ができるはずです。

 みなさんに祈っていただきまして、先々週はどこに行ったのかな?という感じで、あまりにも忙しすぎてちょっと混乱していますが…、韓国に行きました。韓国で水木金と奉仕をさせていただき、土曜日の朝まで韓国にいたのですが、東京まで移動し、午後からは埼玉の教会で奉仕させていただきました。
 水曜日は、韓国に着いて、すぐに集会がありました。

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 これはチュンチョンの長老教会です。その街の教会がいくつも集まって、前にもお話ししましたように、韓半島は南北に分断していますから、聖霊によって一つにされ回復するよう、祈る集会がありました。三日連続の集会でした。
 私は最後日にしか行けなかったのですが、最後の聖会で日本人がメッセージしていいのかなと思いましたが、語る機会が与えられ感謝でした。心から感謝して、日本人にしか語ることのできないメッセージを語らせていただきました。

 日本はかつて帝国主義によって世界に出て行き、多くの国に迷惑をかけました。特にお隣の韓国と台湾を日本に併合してしまったのです。ここは愛知県ですが、お隣は静岡県です。同じように、隣の朝鮮半島も、台湾も、当時は日本だったのです。春川に行きますと、その痕跡が残っています。以前にも見せましたが、今回も写真を撮って来ました。この橋は、日本が作った橋です。

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 春川の大きな川を渡る橋です。この橋は今でも韓国の方々が使っているのですが、日本が作った事を自己主張しています。よく見てください。この橋の欄干。

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 円円円と、延々と日本のお金「円」という文字が逆さまになったりして連なっています。よくも作ったなと思います。
 近頃の政治家たちは「日本はアジアに悪いことをしたわけじゃない。アジアを解放してやったんだ」なんて言っていますが、クリスチャンはしっかりと悔い改めの心を持たなければ、アジアの人々に受け入れてもらい、福音を伝えることは出来ません。それは日本の教会に与えられた使命だと思います。

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 韓国の聖会には何百人も集まりました。私は着いてすぐにメッセージでしたので、ちょっと緊張しましたが、いい集会でした。私は三日間、韓国でいろいろな教会で集会をさせていただきました。私がメッセンジャーなので、写真を撮ることができませんでした。これは唯一、講壇から撮った写真です。どこに行っても祝福されました。
 韓国リバイバルミッションをやって、良かったなとつくづく思います。韓国リバイバルミッションをやらなかったら、私たちは韓国で働くことはできないし、日本の罪も悔い改めることはできなかったからです。

 先週の土曜日と日曜日は、以前、ここにも来てくださいました天野先生の教会で、奉仕させていただきました。先週の礼拝のチラシがあります。こんなチラシでした。

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 すごいですね。鎖が切れるような、「解放〜Deliverance〜」と書かれています。この教会は、厳しい日本の宣教の現実の中でも、本当に恵まれた教会です。先生ご夫妻は聖霊の火で燃えています。新城教会に、また来ていただきたいなと願っているのですが、皆、熱心に主を賛美し祈っておられました。

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 また昨日は、滋賀県の近江八幡のブラジル人教会で奉仕しました。近頃、通訳付きの集会が多いので、慣れないと難しいところがあります。

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 日本語と韓国語は最後に結論ですが、ポルトガル語やスペイン語になると先に結論ですから、「私は、」と語って「、」と付けると「なに?全部言えよ」となります。途中で切ると通じません。主がすべて祝福してくださったことを心から感謝します。

 七月のこの週は、私たちにとって、忘れることのできない週です。一九九二年七月九日のことでした。早天祈祷会で祈っている時、どう説明したらいいのか分かりませんが、祈っていた三十人くらいの人々の上に聖霊が激しく注がれ、街を勝ち取るために、街を覆っている暗闇の力に立ち向うように、主からの命令が与えられました。その事に関しましては、「主が立ち上がられた日」という本を書きましたので、是非とも読んでいただきたいと思います。人の手によらずに、主によって、押し出されて行きました。

 今、私は霊的戦いを強調しておりますが、二十年以上前から教会に来られている方々は分かると思いますが、全然、そんなメッセージはしていませんでした。悪魔・悪霊どもがいるのかいないのか、はっきりしていないような者でした。
 私が小学生の時代に、私の父親が恐怖の霊体験をしました。山梨県のある街の教会で集会をやって、その夜、教会の二階部屋に一人で泊まったそうです。すると、夜中に何かうなされて「嫌な夢を見たな・・・」と思って、ぱっと目を覚ましたら、目の前に二メートル以上もある悪霊が立っていたというのです。悪霊は親父を指さして「滝元、ここからすぐ帰れ!」と言われたそうです。親父にとってはかなりの恐怖体験だったようです。反射的に「悪霊よ出て行け!」と怒鳴ったら、ぱっと消えたそうです。しかしその後も、ベットの周りをぐるぐる回っていたという体験だったらしいです。
 そこから帰って来て、土曜日の子どもたちの集会でその体験を話しました。もうみんな一人じゃ眠れなくなりました。それからクリスチャンホームの子ども達は、みんな集まって一緒に寝ました。悪霊に対する理解はその程度でした。

 しかし一九九二年七月、突然、霊的戦いについて、主が私たちに気づかせてくださったのです。聖書の中には、嫌というほど霊的戦いのことが書かれているのですが、それが分からなかったのです。聖書の御言葉の理解は、聖霊様の助けがないと理解できないところがあります。ただ読んでいても、心に来ないのです。頭には残っても、心には来ないです。
 でもあの時は聖霊によって御言葉が開かれたというか、霊的現実が分かりました。福音がこの地で長年にわたって伝えられているけれど、人々が福音に関心を持たない理由がわかりました。

 私の小さい頃、父母がここで伝道を始めました。それは結構大変でした。クリスチャンになると、地域住民から迫害されました。「キリスト教出て行け!教会出て行け!」という反対運動が展開したような時期もありました。
 ですから私たちは、地域の人たちが大嫌いになりました。「なんで永遠のいのちを伝えてやっているのに、心を向けないんだ!そんなに地獄に行きたかったら、勝手に地獄に行け!」というような気持ちになりました。「彼らは異邦人、我々は選びの民」とか言って、クリスチャン対ノンクリスチャンの対立がありました。いつも喧嘩をしていました。
 野球の試合をする時も、相撲をやる時も、必ずクリスチャン対ノンクリスチャンという構図でやっていました。岡本正広さんがいますけれど、一緒に戦ったもんです。ノンクリスチャンチームをやっつけると、本当に嬉しかったです。しかし本当に無駄な戦いばかりをしていました。

 この地域の人たちは、いくら伝道しても救われない人たちだと、私は堅く信じていました。しかしそうではないことに、一九九二年七月に気づかされました。それは人々の上に覆いが掛かっていて、福音の光が届かないということでした。
 その覆いは何かというと、悪魔・悪霊どもだというのです。「まずは覆いを取りのけなさい。そのためには、あなた方に与えられた霊的権威を使いなさい」ということでした。それが霊で分かったのです。それから地域に出て行き、地域を覆っている暗闇の力を打ち破る祈りが始まりました。街を霊的に勝ち取るとりなしの祈りが始まったわけです。

 イエス様が弟子たちに『全世界に出て行きすべての造られた者に福音を伝えなさい』と語られましたが、福音を伝えるプロセスの中で最初に語られたのが、十七節です。

『信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、』

と語られました。最初に「悪霊を追い出せ!」と語られています。
 はじめ私は、悪魔や悪霊に対抗するのは危ないことだと思っていました。案外、多くのクリスチャンが、そのように考えています。悪魔や悪霊なんかに手を出しちゃいかんと。
 私が霊的戦いについて話すと「寝っている赤ん坊を起こさないでください。面倒なことになります。霊的戦いは寝ている赤ん坊を無理矢理、起こすようなものだ。さらには、寝ているライオンのしっぽを踏むようなものだ」と言われる事があります。しかしそれは偽りであり、悪魔のだまし事です。
 みなさん絶対に、騙されてはいけません。先ほども、ルカ十章十九節を読みました。私たちには権威が与えられているのです。

『確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。』

 クリスチャンは地域に出て行って、覆いを取りのける者たちです。悪霊どもに立ち向かうのは、クリスチャンならば誰にでもできるのです。特に、教会にその視点が開かれ、キリストのからだに属するすべての人々が暗闇に立ち向かっていく時、街は勝ち取られます。
 以前はその事は全く分かっていませんでした。そのため、長いこと教会をやっていましたが、本当にいろんな問題がありました。一度クリスチャンになっても、信仰から落ちていく人たちが多くいました。悲しいことでした。

 日本で、なぜ教会が成長しないのか。その原因は、誰かがクリスチャンになっても、しばらくすると止めてしまうからです。どのくらいの期間、クリスチャンでいるのかを調査したところ、クリスチャン寿命は「三年弱」だそうです。三年くらいすると「あれ?あの人どこ行ったの?」と消えてしまうのです。
 だからいくら人々が救われても、一方から漏れるのです。悲しい現実が日本の教会にはあるのです。実は新城教会も、まさしく同じ事が起こっていました。

 今日は後からリバイバル感謝報告会で、現在、どのくらい新城教会にメンバーがおられるのかを、感謝と共に報告させていただきますが、現在、登録されている人数は「六百七十七名」です。去年は六百五十九名でしたが、亡くなったり、諸事情を足し引きすると、現在、六百七十七名です。
 私は「霊的戦い専門課程」をやっていて、新城教会に霊的戦いが始まる前と、後の統計を調べてみました。
 一九八〇年から昨年までに、クリスチャンになった人たちで、教会に残っている人たちがどのくらいかを調べてみました。この統計は、霊的戦い開始以前に救われた人たちで、現在まで残っている人たちの人数です。どのくらいおられると思います?
 調べてみたら、ちょっと悲しい現実がありました。一九八〇年の教会員数は、二百二十一名でした。しかし昨年まで残っておられた人数は、五十二名でした。全体の二十四パーセントしか、残っていないのです。後の方々はどこへ行ってしまったのでしょうか・・・。

 本当に悲しい現実ではないでしょうか。五十二名しか残っていません。何が言えるのかと言ったら、四分の三の人たちがいろんな問題などで、教会を去ったり、消えてしまったのです。
 しかし去年の教会員数は六百五十九名でした。ということは、霊的戦いが始まってから、六百名近くが加えられたことになります。人々が喜んで継続して教会に来られている現実を、統計的にも確認できます。
 日本の教会はどこでも環境は同じです。ご多分に漏れず、新城教会も以前は悲惨な状況でした。
 しかし、九十二年に霊的戦いが始まって以来、「敵は人ではない、悪魔に立ち向かっていかなければならない」と気づかされたのです。その結果、多くの人が救われただけではなく、救われた人たちが三年で息切れして倒れるのではなく、元気に教会に来られているのだと思われます。
 主に心から感謝すると共に、「クリスチャン生活は、霊的戦いそのもの」であるということです。悪魔にひるむのではなく、立ち向かわなければ教会の明日はないという現実を突きつけられたような思いです。

 イエス様がある時、ゲラサという街に行かれました。しかしその街に向かう途中、大きな戦いがありました。湖を渡っているただ中で大風が吹いて来て、舟が沈没しそうになったからです。しかしイエス様はそんな大風の中でも、眠っておられました。あの風は、ゲラサにイエス様一行を来させまいとして吹いた、怪しい風のように感じます。背後に悪魔・悪霊どもが関わっていたことを感じさせます。
 これが自然の風だとしても、霊的力が関わっていた風だとしても、風と波が強くてイエス様一行が引き返してしまったら、ゲラサでの華々しい勝利にはつながりませんでした。もしも舟が沈没して全員が死んだとしたら、新約聖書は成立しなかったことでしょう。
 どちらにしても、ゲラサに行く途中で湖の上で吹いた風は怪しいです。

 悪魔・悪霊どもは自然界にも、限定的に手を出す権威を持っているみたいです。ヨブ記を見ますと、サタンが神様からヨブを苦しめる許可をもらった後に、何が起こったかが記されています。ヨブ記一章十九節。

『そこへ荒野のほうから大風が吹いて来て、家の四隅を打ち、それがお若い方々の上に倒れたので、みなさまは死なれました。私ひとりだけがのがれて、あなたにお知らせするのです。』

 サタンが出て行った時、自然界が荒れ、大風が吹いて、ヨブの子どもたちや使用人たちが死んでしまったという、悲しい現実につながりました。また、マルコの福音書四章三十九節〜四十一節、

『イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」』

 「黙れ、静まれ!」と主が命じられた時、風がぴたっとやんだのです。この背景になんらかの力が関わっていた可能性があります。そもそも風とは、高気圧から低気圧に向かって流れる、空気の流れです。もちろんイエス様は自然界に対しても権威を持っておられますけれど、「黙れ、静まれ!」とは、人格を持つ者に対して発せられる言葉です。その背後に、イエス様と弟子たちをゲラサの地に行かせないように働いていた、暗闇の力を垣間見ることができます。
 マルコの福音書五章一節から見ると、

『こうして彼らは湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。イエスが舟から上がられると、すぐに、汚れた霊につかれた人が墓場から出て来て、イエスを迎えた。この人は墓場に住みついており、もはやだれも、鎖をもってしても、彼をつないでおくことができなかった。』

 イエス様が風を制した後、ゲラサに乗り込んだ時には、すでに勝負がついていたように見えます。悪霊に支配されていた人が、墓場から出て来て「イエス様を迎えた」とあるからです。普通なら、イエス様が来たら、悪霊は追い出されてしまいますから、逃げて当然だと思います。しかしひれ伏してイエス様を迎えたのです。
 その時にイエス様が「おまえの名は何か?」と聞くと、悪霊どもが自分の名を明かしました。マルコの福音書五章九節〜十節、

『それで、「おまえの名は何か」とお尋ねになると、「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないでくださいと懇願した。』

 レギオンとは、当時、地中海沿岸諸国に展開していたローマ軍の一個大隊を表す単位で、六千くらいの兵が組織的に加わっていました。目に見えない世界でも、レギオンと呼ばれる悪霊どもの組織が、街をがっちりと掴んで離さなかったのではないでしょうか。
 しかし、イエス様はその街に行く前に、「黙れ、静まれ」と命じられ、風と波が止まった時、レギオンに対して大きな打撃が加えられたのではないかと、私は考えています。

 街を勝ち取るためには、主から与えられた権威を行使しなければなりません。みなさんもいろいろな領域に身を置いておられると思います。新城市だけでなく、様々な街から、教会に来てくださっていますけれど、その地域に働き、家族に働き、様々な領域に悪い風を吹かしている悪霊どもに対し「黙れ!静まれ!」と宣言し、街を勝ち取る重要性をここから教えられます。

 以前にも話したことがありますが、何年か前に、私はフェルナンド先生と一緒にプエルトリコというカリブ海に浮かぶ、小さな島に奉仕に行ったことがあります。現地の教会から頼まれて行きました。そこはアメリカの準州になっているのですが、言葉はスペイン語の小さな島です。
 その島はオカルトだとか、様々な宗教が入り交じっている霊的には重い場所です。結構教会は盛んですが、教会は大きくても、ある意味、力がないのです。多くの人が言っていましたが、クリスチャンは多くても社会は全然変わっていないというのです。それはやはり問題だと思います。クリスチャンが多くなったら、社会は変わらなければいけないです。クリスチャンが多くても、社会が変わらないのは問題です。

 日本もリバイバルが起こったら、社会が変わらなければいけないと思います。犯罪率が低くなり、離婚も少なくなり、様々な問題が無くなり、病気の人も少なくなるなら、街が、国が霊的に勝ち取られつつある証拠です。しかし教会が霊的戦いに関して手をこまねいていると、教会に人は多く来たとしても、社会に対して、国に対しては全くインパクトがないのです。
 プエルトリコの教会には、人は大勢来るけれど、いっこうに街は変わらないと言うのです。街には麻薬患者が満ち、売春がいっぱいあって、オカルトや魔術がはびこって、社会は荒れているのです。
 是非とも、霊的戦いのメッセージをしてくださいと言われ、奉仕させていただきました。私は暗闇の力に立ち向かい、街を勝ち取りましょう!と元気よく話させていただきました。

 ある日の午前中に聖会があって、「街を勝ち取る」というメッセージをさせていただきました。集会が終わりましたら、一人の色の黒い牧師が私の所に来て「今日のメッセージに関して、あなたとちょっと話がしたい」と言うのです。「なんでしょうか」と言ったら、彼は椅子に座った途端、シャツを脱ぎ始め上半身裸になりました。すると胸から腹にかけて、大きな傷跡がありました。それは大きな手術の痕でした。大きな傷を私たちに見せつけながら、彼は話し始めました。

 「私はこの近くの村で伝道している牧師です。しかしその村での伝道をやめようと思っています」というのです。どうしてかと聞くと、彼は小さな村で伝道するように導かれ、村に入って行ったそうです。
 ある日、村のために伝道集会を開催したそうです。村の広場を借りて、向こうではよくテントを張って伝道会をするのですが、テントを張って伝道会をしたみたいです。テントの中に楽器から全てを揃え、さぁ始めるぞという時だったそうです。今まで晴れていて、雲一つない空だったのが、突然曇って、強い風が吹いて来て、テントからすべてがすっ飛んでしまったというのです。それで集会ができなくなってしまったというのです。たいへんがっかりしたそうです。風が吹いたらこういう結果もあり得ると思って、気を取り直して、もう一度やろうとしたそうです。
 しかしある日、怖い声を聞いたというのです。「この村から出て行け!」という悪魔の声を聞いたというのです。彼はもう一人の牧師と共に集会を準備していましたが、「この村から出て行かなかったら、まず最初におまえの友だちの牧師を倒す」と悪魔が言ったそうです。そう言われた後、友だちは倒れて車いす生活になってしまったというのです。
 悪魔は、「おまえがこの村から出て行かなかったら、次はおまえの命も取ってやる」と言ったそうです。そうしたら彼は、大きな病気になって、いろんな所を手術して、こんなに大きな傷が出来たと言いました。

 その牧師はがんばって、もう一回テントを張って集会を計画したそうです。天気予報も見て、絶対に大丈夫だと思って集会を始めようとしたら、突然、上空が曇って、それも今度はテントの上だけが曇って、すごい雨がテントに落ちてテントが壊れ、またしても集会が出来なかったというのです。彼は本当に怖くなり、その村での伝道をやめたいと思っていたそうです。

 そんな時、私たちがプエルトリコの教会で奉仕をする事になったのです。日本から来た者たちが、霊的戦いの話をするということがテレビで流れたらしく、その牧師は集会に来たそうです。彼は私たちに傷跡を見せながらこう言うのです。
 「あなたの話によると、街を支配する悪霊どもに対抗できると話しましたよね」『はい。話しました。』「私の教会がある村には、超強力な悪霊がいるのですが、午後から来て、戦ってくれませんか?」と言うのです。

 私はそのことを聞いた時「今日の午後はちょっと予定が・・」と言おうかと思いましたが、こういう時にこそ戦わなくてはいけないと思いました。だから、その牧師に言いました。「行きますとも!私たちは恐れませんよ!」と言って、その村に午後からフェルナンド先生夫妻と、私の家内も一緒に、またプエルトリコの教会の先生方と一緒に行きました。

 その村に入って行ったら、何か空気が重く感じる村でした。人口は少ないのですが、村の真ん中に小高い丘があって、そこは結構、プエルトリコでは有名なところでした。その山は名前だけはいいのです。「カルバリの丘」です。山の上には大きな十字架が立っていました。しかしプロテスタント教会の十字架じゃなく、イエス様が槍で刺され、肉が飛び出し、血を流して死にかかってぶら下がっている気持ちの悪い十字架でした。そこは魔法使いたちがやって来て、魔術をやる有名な場所だというのです。
 「つい最近も、あの十字架で首を吊った人がいた。」と言いました。祭の日になると、全プエルトリコから拝みに来るというのです。カトリックは偶像礼拝と一緒にありますから、そこは偶像だらけの山でした。
 私はその牧師にいいました。「あの山の頂上に登って、悪魔に立ち向かって祈る必要があるんじゃないですか?」すると彼は、「駄目です。あそこには絶対に行ってはいけません。危ないですから!」と言うのです。
 私は「そんなことはありませんよ!私たちクリスチャンには権威がありますから、あの山に登りましょうよ!」と言いました。すると「駄目です。駄目です。行く事は出来ません」と言って、途端に、落ち着きを失い「私は午後から用事がある・・・」とか言い出しました。

 でも私たちは、無理にその牧師を連れて山の麓まで行きました。そして頂上に登って祈ることにしました。その牧師は最後まで「登っちゃ行けない。この山には!」と言っていました。けれども、私たちは大胆に車から降り、山に登って行こうとしました。良い天気で爽やかな気候でした。
 しかし車を降りて進んで行こうとした瞬間、どこからともなく風が吹いて来ました。そして私たちの足下で、小さい竜巻がいくつも起こって来ました。木の葉がくるくると廻り始め、あれあれあれ?という間に風が強くなり、突然、ものすごい雨が降って来たのです。
 そうしたらその牧師が叫びました。「だから言ったじゃないか!登っちゃいけないって!」そして、どこかに消えてしまいました。私たちも突然のことでちょっと躊躇しましたが、「負けてなるものか!」と、「チーム新城」は全員、登って行きました。
 途中、風と雨がすごくて、ずぶ濡れになりました。私は偶像だらけの一番高い所によじ登り、主に「何を祈ったらいいんですか?」と聞いた瞬間、ふっと頭の中に、「『黙れ静まれ!』と宣言しなさい!」という思いが入って来ました。
 すぐに「黙れ!静まれ!」と宣言しようと思ったのですが、雨と風が止まらなかったらシャレにならないなとも思い、ちょっと迷いました。しかし思い切って、「イエスの名によって、悪霊どもよ!黙れ!静まれ!」と宣言しました。

 その瞬間、何が起こったと思いますか?何も起こらなかったら、こんな話はしないのですが、ぴたっと風と雨が止まり、上空の黒い雲が裂け、光が私たちの所に射し込んだのです。
 私たちは「ハレルヤ!!」と狂ったように叫びました。私たちが恐れず、大胆に街を支配している暗闇の力に「黙れ、静まれ!」と宣言する時、見えない世界で起こることを実体験したようでした。たいへん感動しました。
 そうしたら「だから言ったじゃない!」と言って逃げた牧師が、どこからともなく現れて、「すごい、すごい、すごい!日本人サムライ!」とか訳のわからんことを言って拍手しながら出現しました。
 私たちは、恐れないで立ち向かう者でなければならないのです。その牧師は恐れによって権威を使うことが出来ず、その村で敗北していたのです。
 また、いつかあの村に行ってみたいなと思います。きっと、その牧師も元気に戦っておられるのではないかと思います。

 私たちが遣わされている現場は、暗闇の世界です。しかし私たちには、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威があるのです。「だからあなた方に害を加えるものは何一つない!」と宣言されています。与えられた権威を街に行使し、街に吹く悪の風に向かい「黙れ!静まれ!」と宣言しなければなりません。
 午後から街にチラシ配布に行きますけれども、ただチラシをポストに入れるだけではなく、そこに吹いている悪しき風に「黙れ静まれ!」と宣言しながら、街を歩こうではありませんか。
 また、遣わされている会社や学校や家庭など、様々な地域に吹いている悪い風に対し「黙れ、静まれ!」と主から与えられている権威を宣言しましょう。その時、主が勝利を与えてくださると信じます。

 新城市において一九九二年七月九日、朝六時に霊的戦いが始まったのですが、それは偶然、七月九日に始まったのだろうと、気にもしていませんでした。しかし何年か後に、なぜ、七月九日に主が新城で霊的戦いを始められたのかが分かり、鳥肌が立つ思いでした。
 新城市は、一つの歴史的事実をアイデンティティとしています。それは一五七五年にこの地域で起こった、「設楽原の戦い」という、悲惨な出来事をアイデンティティに、街の住民たちが住んでいるからです。

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 設楽原の戦いは、数時間で「一万六千人」の人たちが死んだのです。私の父がここに教会を建てる為に、この場所に土地を買いました。しかし、たいへん安かったそうです。坪、五百円だったそうです。いくら何でもその値段では可哀相なので、坪千円で買ってあげたそうです。みんなこの土地を嫌っていました。
 ここは新城市富沢字市神という地番ですが「市神」とは、ここに古くは市場があって、市の神を祀っていた場所であることを意味します。いまでは市場なんて、どこにも見当たりません。なぜなら、ここに多くの血が流されたので、街の中心が今の新城市の中心に移ったからです。ここは血が大量に流された悲惨な歴史がある場所です。
 一万六千人と一口で言いますが、数時間で一万六千人が死ぬような戦いは、後にも先にも初めてでした。こんな大きな事件が後に起こるのは、三百年後、ヨーロッパで起きるまでなかったそうです。それ程、大きな戦いだったのです。

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 鉄砲が使われて、多くの兵士たちが死んだということです。以来、この地域の人たちは死の霊を恐れ、真剣に慰霊活動をするようになりました。今日もこの辺の中学校や小学校が総出で、設楽原決戦場祭を行っています。それは慰霊という目的でやっていますから、クリスチャンは参加しません。みんな恐れているのです。設楽が原近所の工場も、夜勤があって、働いている人たちが夜帰ろうとする時、幽霊を見たとか、武者行列を見たとか言う人が後を絶たないそうです。それで工場はお祓いをしているわけです。
 何が働いているのかといったら、それは死んだ武将たちの霊ではないのです。それは地域に大きな死をもたらした、悪霊ども、レギオンです。この力に立ち向かわなければならないと主が教えてくださいました。

 設楽原の戦いは、記録によると、一五七五年七月九日朝六時から開始されました。なんと私たちに霊的戦いが始まったのが、一九九二年七月九日、朝六時だったのです。後からその事に気づかされ、びっくりしました。この地域に入った、レギオンに立ち向かうように、主自ら、私たちを押し出してくださったのだと、後から気づかされました。
 そして今は、「この街を勝ち取るために、わたしはこの教会を建てたのですよ」と語ってくださっているように感じています。以来、敵の力に立ち向かって祈る教会に変えられました。

 この所で使われたのは、こんな鉄砲です。

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 しかしみなさん、この鉄砲はどこから入って来たのかご存知でしょうか。私は先月、スペインで奉仕をしました。私はスペインの教会でこう話しました。「私たちの街で一万六千人が死にました。それは誰のせいでしょうか。スペイン人・ポルトガル人のせいです。」と話をしました。みんなへんな顔をして聞いていました。
 昔はスペインとポルトガルは一緒でした。そんなポルトガルから、一五四三年、鉄砲が日本に入って来ました。日本人は昔からコピーがうまいのです。鉄砲をすぐにコピーしました。でも、火薬はうまく作れませんでした。その時ポルトガルはなんと言ったかというと、「キリシタンになるか?そうしたら引き替えに火薬の作り方を教えてやるぞ」と言いました。それで多くの大名たちがキリシタンになりました。設楽が原で使用された鉄砲の元は、イベリア半島から持ち込まれたものなのです。
 『全世界に出て行き、すべての造られた者たちに福音を宣べ伝えなさい』とイエス様は語られましたが、私たちがスペインに遣わされたのも、この街の回復のために大変意味があることに気づかされました。
 スペインの教会の方々と一緒に、新城の為に祈りました。世界の歴史は、お互いに補完して成り立っています。「この世は悪いものの支配下にある」とあるように、世界の歴史の背後に暗闇の力が関わっています。世界を支配している悪しき力に対して、教会は総力を挙げて立ち向かわなければならないのです。
 私たちは聖い歩みをし、主の勇士として、主が帰って来られるその日まで戦い続けるのです。

 明日の県民の森の祈祷会は、七月九日の霊的戦いを記念して祈りたいと思います。今週は是非とも、みなさんに与えられた権威を行使する週であっていただきたいです。
 様々な地域に出て行って、悪霊どもに対して「黙れ、静まれ!」と命じる、七十人の弟子のようでありたいです。この権威を使い、街を取り戻すために働いていきたいと願っています。

 最後に一言お祈りして、この週の戦いのために武装していきたいと思います。


 ハレルヤ。父なる神様。御名をあがめて心から感謝いたします。あなたがこの教会に霊的戦いを始めてくださり、二十二年目になります。今まで守ってくださったことを心から感謝します。戦いの中でも、私たちを支えてくださり、守ってくださったことを感謝します。これからも、あなたが帰られる道を備えるために、戦っていきたいと願っています。どうか私たち一人ひとりを強めてください。
 あなたが私たちのために流してくださった、尊い十字架の血潮によってきよめてください。
 一人ひとりに、すでに権威が授けられていることを、心から感謝いたします。イエス様と一つとなって、この街を勝ち取るために出て行くことができますように。今週は大きな勝利を見る週となりますように。
 一九九二年に大きな扉を開いてくださいましたけれど、二〇一三年、もう一度扉を開いてください。今年は重要な年であると信じます。イエス・キリストの御名によって、感謝して、聖餐をいただきます。アーメン。