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『神様の偉大な計画

2013.8.4 (日)
パサディナチャーチ 主任牧師 カーウィン・マニング 師
ヨハネの福音書3章16節

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』


 今朝はみなさんに、神様が持っておられる世界規模の通話プランについてお話ししたいと思います。ヨハネの福音書三章一六節に、


『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』


とあります。

 神様が一人ひとりに提供しておられる愛についてお話ししたいと思います。神様は一人ひとりを愛しておられるがゆえに、そのいのちをすべての方に提供しておられるのです。

 私たちは技術の進んだ時代に生きています。多くの方はスマートフォンを持っているでしょう。現在私たちは歴史上なかったようなコミュニケーションの手段を持っています。そのような技術は、私たちがついていくことができないほど急速に進歩しています。最新のコンピューターを買ったと思ったらもう次のものが出ています。そして、「あぁ!あのモデルが出るまで待っていたら良かったのに!」と思うのです。スマートフォンを買っても、次のモデルがすぐ出ます。

 私がiPhone4を持っていた時に、私はiPhone5が欲しかったのです。それは父の日の前でしたが、家の中のいろいろな所に、私が何を欲しいかが分かるようにヒントを置いておきました。雑誌の中でiPhoneの写真がある広告を広げておいたり、「もうすぐ父の日だね」とさりげなく家族に言ったりしました。すると娘のモーガンが「パパ、iPhone5を買うんじゃなくて、最後のモデルが出るまで待ったらどう?」と言いました。けれども私はどんどん新しい物が欲しくなってしまいます。私は娘に「『最後のモデル』なんて出ることはないと思うよ」と言いました。物事は本当にすごいスピードで進んでいます。

 みなさんの中で少し年配の方は、文字通りの「電話」というものがあったことを知っているでしょう。電話には必ずコードがついていたのです。そして壁にくっついていたんですよ。それには、ボタンもなければ、タッチパネルもなければ、音声認識の機能もなかったのです。無線というものもなくて、全ての電話はケーブルでつながっていました。そして一つ一つ番号をダイヤルしなければならなかったのです。ですから電話をかけるだけでも本当に長い時間がかかりました。そういう昔の「電話」を覚えている方はおられますか?みなさんの年齢が分かりますね。もし相手が電話に出なければメッセージを残すこともできませんでした。もう一度かけなければならなかったのです。もし助けが必要な時はゼロ番を回して、交換手に出てもらわなければなりませんでした。


 今や、私たちはそのような機能をすべて、この小さな電話の中に持っています。どんな呼び出し音でも望むままに手に入れることができます。何千、何万というアプリがあります。この電話の中には一冊だけではなくて、十五冊もの聖書が入っています。またそれにはケーブルも繫がっていません。また交換手はGoogleとWikipediaに取って代られました。あらゆる情報に私たちはアクセスすることができるのです。

 それと同時に、携帯電話には契約のプランがあります。あるプランを選ぶと、その電話でどういうことができるか決まります。電話のプランは、契約書があって、何らかの料金を支払わなければならないようにできています。

 一つのプランについて当てはまることでも、他の会社のプランに当てはまりません。無理に別のプランに従って使おうとするとペナルティが発生したりします。私たちは普段はそれを意識しません。でもアメリカから日本に来る時には、私たちはどのように電話を使うか気を付けなければなりません。もし使い方を誤ると、国に帰った時にものすごい額の請求書が来るのです。そういう風に電話のプランというのはできているのです。


 けれども、神様は皆さんにプランを持っておられます。神様のプランというのは世界共通のプランで、どこでも通用します。そして神様はここにおられるすべての方々がそのプランにアクセスすることができるように、その料金をすでに支払ってくださいました。すべては神様の側で用意してくださっています。イエス様がすべての細かい部分にわたって、みなさんの益になるようにと備えてくださっているのです。そしてこの神様の栄光と喜びに満ちた人生を歩むことができるために、みなさんは嘘に縛られる必要はありません。そしてまた恐れによって縛られる必要もありません。そしてまた先祖によって縛られる必要もありません。神様は私たちが神様の御心にかなった、聖い生活を送ることができるように備えてくださっています。


 神様の世界規模の通話プランについてお話ししたいと思います。私はスマートフォンについて話しているのではありません。またソフトバンクの契約について話しているのでもありません。神様のプランは、神様はあなた方を愛しておられ、そしてあなた方を祝福し繁栄させてくださる、というプランなのです。あなた方に害を与えるものではない。神様はあなた方に将来と希望を与えようとしておられます。


 第一に、神様のプランは無制限です。神様が私たちに与えてくださるすべてのものには限界がありません。神様が与えてくださる祝福が無くなってしまうということはありません。この神様がヨハネの福音書三章一六節で与えてくださっているいのちの約束は、無制限の自由ということです。

 聖書には、「もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。」(ヨハネの福音書八章三六節)とあります。イエス様を受け入れる時に、もう罪によって縛られる必要はありません。しばしば人生の中で、私たちの先祖のゆえに罪によって縛られているということがあります。家族の中でずっと続いて来た習慣やしきたりによって縛られてしまいます。私たちは人生の中でどうしてこんなことが起こるんだろうと思うことがありますが、それは解かれるべき束縛があるのです。

 私が非常に幼い頃、私にとって有害な種類の写真を見た事があります。若い時にそういう物を見るのは本当に良くないことです。そういう物を親族の中から受け継いでしまったので、それが私の束縛となりました。神様に祈りました。「どうしてこのような事が起こるのでしょうか。どうして私はこれから解放されないのでしょうか。どうして私はこういった物を欲するようになってしまったのでしょうか」と。けれども、私の人生をキリストにお捧げした時に、私は、私の過去から来ている、また私の家族から来ている束縛から解かれました。

 恐れに縛られている方々もいるかもしれません。時には、夜中に起き上がって、「これからどうなるんだろう」という「恐れ」に取りつかれる人がいるかもしれません。神様のプランとは、みなさんからそのような恐れを取り除くためにあるのです。なぜなら神様はすべての人に自由を与えられるからです。


 神様のプランの二つ目の特徴は、みなさんが力を受けるということです。神様は私たちが神様のために生きる力を与えてくださいます。私たちの人生の様々な務めを神様のためにできるようになります。私たちを過去から解放してくれるだけではなくて、もうそこに戻らなくても良いようにしてくれます。そしてまた敵である悪魔に対する力を与えてくださいます。私たちを抑圧しようとする敵の勢力から解放してくださいます。

 エペソ人への手紙一章には、神様はキリストを死者からよみがえらせた同じ力を、信じる者のうちに働かせてくださると書いてあります。そしてこの力は本当に偉大なもので、主権や、力や、悪魔悪霊、またすべての名に勝っているというのです。キリストを受け入れる時、それらにうち勝つ力が与えられました。そして私たちを天において主であるキリストと共に座らせてくださるとあります。それは王である方が座っておられる所で、それはすべてのものを支配するという意味です。あなた方がキリストを受け入れる時に、すべての敵はあなた方の足下に置かれるのです。

 ある説教者が「悪魔に何か言いたいことがあるのならば靴底に書きなさい」と言っているのを聞いたことがあります。なぜなら悪魔は私たちの足の下に置かれているからです。「悪魔は私の足の下に置かれている」と言ってください。それは神様の力によるのです。


 神様のプランに伴うもう一つの特権は、私たちにいのちがもたらされるということです。誰でも彼を信じる者は滅びることがないと書かれています。この「滅びる」とは「投げ捨てられる」という意味があります。例えば食べた物を吐く時に、内側にある物が出て行ってしまいます。キリストを信じない人たちはそのようになってしまうというのです。けれども、主を信じるならばそのようなことは決してありません。その代わりに、永遠のいのちが与えられるのです。今も、そして永遠まで続くいのちです。

 永遠のいのちとは、私たちが死んで天国に行く時に初めて始まるものではありません。それは、私たちがイエス様の主権を受け入れた時から始まるのです。マタイの福音書一九章で、主に従うことの益ということについて尋ねられたとき、イエス様は「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。」と言われました(マタイ一九章二九節)。

 ヨハネの福音書一〇章では、「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。」とあります(ヨハネ一〇章一〇節前半)。サタンはみなさんから盗み、みなさんを殺し、滅ぼそうとしているのです。みなさんがかつて存在したということすら忘れられてしまうほどに、みなさんをこの地上から抹殺したいと思っているのです。

 けれども、イエス様は「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。」と言われました(一〇節後半)。神様が私たちに提供してくださっているのは、満ち溢れたいのちなのです。ですから、神様のプランとは自由のプランです。


 この国をいろいろ旅していると、いろいろな神社や寺があるのに気が付きました。それらの歴史について順先生が教えてくださったので少しは知っています。けれども、ヤハウェなる神様に勝る神々はありません。このお方に私たちが「はい」と言う時に、神様は私たちを解放してくださるのです。神様は私たちを罪の力から解放してくださいます。死の力からもです。もう死を恐れる必要はありません。

 パウロは「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」と言いました(Ⅰコリント人への手紙一五章五五節)。死が満ちあふれているような中においても私たちには喜びがあります。なぜならこの喜びは主から来るからです。私たちがたとえ死ぬようなことがあったとしても、私たちは生きるのです。この地上の肉体から去ることは主と共にいることです。ですから私たちは勝利します。このプランを受け入れる必要があります。他のプラン、他の宗教や哲学といったものに目を向ける必要はありません。神様のプランが最高のものです。イエス様だけが唯一の道です。


 みなさんと一緒にお祈りしたいと思います。どうぞ頭を垂れてください。まだ今までの人生の中で神様のプランを受け入れたことがないけれども、今日、この神様のプランを受け入れたいという方がおられたら、どうぞ静かに手を上げていただけますか。その方々のために特別お祈りしたいと思います。神様があなたの心に来てくださるように。どうぞ、すべての方は頭を垂れてください。どうぞこの神様のプランを受け入れたいと願う方は手をあげてください。

 父なる神様。イエス様の御名によって、あなたのすばらしさ、恵みに感謝します。私たちに与えてくださっている救いのご計画を感謝します。それを無償で与えてくださっていることを感謝します。もし私たちがその費用を払おうとしても私たちには払うことができませんでした。父なる神様、あなたはその事を初めからご存知でした。ですからあなたはその御子であるイエス様によってその代価が支払われるようにと定めてくださいました。私たちは、私たちの人生にあなたが持っておられるご計画を今日受け入れます。

 今、手をあげておられるすべての方々のために、また今、手をあげることができないけれども、心の中であなたを見上げている方のために祈ります。あなたの約束は決して私たちを拒絶することがなく、私たちを御国に迎え入れてくださることを感謝します。ですからあなたに感謝と贊美をささげます。

 私たちの人生にあるすべての鎖を解き放ってくださったことを感謝します。私たちに自由を与えてくださったことを、また私たちの人生にあるすべてのくびきを打ち砕いてくださったことを感謝します。そして、あなたのために生きる力を与えてくださっていることを感謝します。そして、死と地獄と墓を征服してくださることを感謝します。そして永遠のいのちを与えてくださることを感謝します。今日、そのいのちを受け取ります。イエス様の力強い御名によって祈ります。アーメン。