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『ハッピー・クリスマス!
~幸せな人生~』

2013.12.22 (日)
新城教会 主任牧師 滝元順
ルカの福音書 1章67節〜75節

『さて父ザカリヤは、聖霊に満たされて、預言して言った。「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに。この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。』

 ハレルヤ!クリスマスおめでとうございます。すばらしいピアノ演奏を聴かせていただきました。「クリスマスだなぁ」という気分になりましたね。映像も素晴らしかったですね。準備するのに、どのくらい時間がかかったのか分かりません。イエス様の誕生は、世界中で祝われています。
 今も読みましたように、当時の人たちは、救い主の誕生を待ち望んでいたわけです。その結果、イエス様が生まれてくださったのです。
 現代に生きる私たちは、何を待ち望めばいいのでしょうか。それは「やがて再び来られるイエス様。マラナタ!主よ来てください」と待ち望むべきです。イエス様の再臨を待ち望む。それが現代における、クリスマスの重要なテーマだと感じています。
 毎年、「イエス様が二千年前に生まれてくださった」という過去に目を向けていますが、「再び帰って来られるイエス様を、マラナタ!」という叫びと共に、お迎えしたいものです。

 さて今日は、みなさんと共に、クリスマスの意味も含めながら、主が生まれてくださった理由についてもう一度、確認をしたいと思います。

 連日のようにクリスマス集会が続けられているのですが、昨晩は、中高生のクリスマス会、「レッツプレイズ・クリスマス」が行われました。私は、国内だけでなく、海外や様々な場所でメッセージを語る機会があるのですが、そんな中、年間二回、どうにも大変な現場があります。それはどこかと言えば、海外ではないのです。それは国内、それも、この教会内なのです。それが、レッツプレイズです。この集まりが私にとって一番の強敵です。
 中高生を相手に、六十二歳のおじちゃんがお話をするって、なかなか大変なものです。彼らは私に気をつかってくれません。自分の思ったまま、感じたままを表現します。途中でトイレに行きたければ、トイレに行きます。彼らは、話し手が何を考えているのか、全然考えません。喉が渇けば、水を飲みに行きます。おしっこしに一人が行くと、三河のなんとかというやつで、どーっと集団で出て行きます。本当に話しにくく、やりにくいのです。だから私にとって一番真剣に祈って臨む集会は、もちろん礼拝のためにも祈りますけれど、レッツプレイズです。
 でも昨夜は、ちょっと勝利感がありました。すばらしかったです。昨日の様子を少しお見せします。

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 集会のすべてを中高生が企画しました。

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 食事を作って、配るのから何から何まで、大したもんだなと思いました。

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 百数十人でしょうか。初めて来た子どもたちもたくさんいて、真剣に聖書の言葉に耳を傾けてくれました。本当に感謝でした。ですから昨日はちょっと勝利感があったのですが、今日もみなさんに御言葉が届くといいな、と思っています。
 今日は、「ハッピー・クリスマス!~幸せな人生~」という、タイトルをつけさせていただきました。
 先ほど、読ませていただきました聖書の箇所は、イエス様がお生まれになる少し前、バプテスマのヨハネが生まれたのですが、バプテスマのヨハネの父、ザカリヤが、聖霊によって語った預言でした。これは新約聖書に含まれていますけれど、旧約時代最後の預言といっても、よろしいのではないでしょうか。イエス様がお生まれになる直前に語られた言葉ですから。
 それは、「救い主がこの地上にお生まれになって、何をしてくださるのか」について預言されました。特にルカの福音書一章七十四節〜七十五節を見ますと、

『われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。』

と語られました。この言葉はイエス様が私たちに成し遂げてくださり、与えてくださる、すべてを包括していると思います。
 イエス様がこの地に生まれてくださった理由は、『われらを敵の手から救い出し』とあります。第一に、「敵の手からの解放」です。
 続いて、『われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される』というのです。日本人ならば、きよく、正しく、「美しく」と入れたいところですが、きよく、正しく、美しく、恐れなく、主に仕える。それが人生のすべての日に、当てはまると言うのです。

 これこそ「幸せな人生」ではなくて、なんでしょう。私たちの人生のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主にお仕えできたら、そんな幸いはありません。

 十二月、寒くなると、やはり、お年寄りにはやはりきついみたいです。冬場に天に帰って行かれる方が多いです。クリスマスの大変忙しい中、昨日の朝、K姉妹が天に召されました。先週は礼拝におられました。しかし彼女は、この間、誕生日者紹介の時、預言的なことを語っていました。
 「誕生日で前に出るのも、多分、これが最後でございます。私は天に帰る日が近いように思います」というようなことを語っておられましたが、昨日の朝の八時半過ぎでしょうか。電話がありました。娘さんからでした。「母が息をしてないのです」と。
 Kさんは体を弱くされていたので、ご主人が毎朝先に起きて、朝食を用意し、時間になると、ぱっとカーテンを開けてあげる、すると奥さんが出て来られて食事を食べられるという毎日だったそうです。いい光景ですね。いいご主人ですね。
 昨日も、ご主人が、全てを整え、いつもと同じようにカーテンを開けて、「さぁ、お食べ…」と呼びかけても、Kさんはなかなか出てこられなかったそうです。「おかしいな…」と思って見に行ったら、なんと息がなかったというのです。
 八十歳で天に帰られたのですが、私もその姿を見て、突然で、寂しさと、驚き、悲しみはありますが、「すばらしい最後だな…」と思いました。

 私たち、どうせ一度死ぬのならば、苦しみながら死ぬのではなく、いつも寝ていたベッドで、出来れば幼い頃から寝ていたベッドの上で、寝小便もしたベッドの上で天に帰ることができたら幸せです。そんなすばらしい人生、ないじゃないですか。
 ご主人ともお話をしたのですが、「私は、寂しさというよりも、感謝で一杯です。」と語っておられました。「本当に主が、すばらしいことをしてくださった」と感謝しておられました。クリスチャンは、すばらしいですね。

 毎週金曜日に、「シオンタイム」という、お年寄りの方々の集まりがあるのですが、すべてではないですが、シオンタイムに出ておられる方の多くは、案外、うまいこと着地されます。ぽっくり逝くのです。シオンタイムでの祈りの課題は、みんな真剣に祈っています。それは「ぽっくり行けますように…」「瞬間的に天に帰れますように…」と祈っています。その祈りが聞かれています。
 「目が覚めたら天国だった」なんて、すばらしいじゃないですか。

 イエス様がこの地上に来てくださった目的は、『われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される』と語られたのです。
 「死ぬことが怖い…。これからどうなるんだろうか…。先行きが不安だ…」というのではなく、「恐れなく」生きることができたら、どんなに幸いでしょうか。
 みなさんの人生、この先、どのくらい残っているのか分かりませんが、この御言葉が実現するように心から祈ります。
 
 人生は、この地上で終わりじゃないです。死後の世界があるのです。
 この間、「奇跡体験!アンビリーバボー!」という番組をやっていました。そこでアメリカの脳神経外科の世界的権威が、それまでは、「死後の世界なんて、絶対にない」と断言していた男だったらしいのですが、ある時、脳炎になって、全く脳が使い物にならない、脳死状態になったというのです。
 しかしその時、死後の世界を体験したという番組でした。そこで、いろんなことがレポートされていましたが、彼の体験が本になって、アメリカでは売れに売れて、二百万部売れたそうです。日本語版も出ていますが、あまり読まない方がいいと思います。なぜなら、その解釈がニューエイジと関わっているからです。彼は名ばかりのクリスチャンで、自分の信仰的受け皿が整っていない中で解釈がなされています。御言葉に基づくのではなく一般的知識を受け皿としてなされています。そのため、せっかくの体験も悪い結果になるわけです。

 しかし別に脳科学の権威がそんな体験をしなくたって、聖書はすでに、何千年も前から、「死後の世界はある。永遠のいのちはある」と断言しているわけで、それだけで十分です。
 それは私たちにとっては、当然のことです。人生は、死で終わりじゃないのです。永遠の世界があるのです。聖書の有名な言葉、ヨハネの福音書三章十六節〜十七節。

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。』

と語っています。イエス様が生まれてくださった目的は、裁きのためではなく、「世が救われるため」なのです。人は永遠のいのちを持つことができる。そのために、イエス様は、地上に来てくださったのです。

 多くの人は、「永遠のいのち?そんなの信じられん」と言います。しかし、近頃は、永遠のいのちを否定できない時代になってきました。現代科学は、かなり、聖書の概念に近づいているのです。
 去年、山中という教授が、iPS細胞というのを作り出しました。先日も、新聞にこんな記事が載っていました。

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 iPS細胞とは、「細胞の時計の針を巻き戻す」ことだというのです。普通は、細胞が情報に基づいて臓器になったら後戻りは出来ません。しかしiPSとは、それが巻き戻されて、最初の状態に戻ることだというのです。細胞が初期化され、もう一度、心臓や臓器になるのがiPS細胞だそうです。どんな臓器でも作れる細胞にまで時間が戻るというのです。しかし、なぜ戻るのか、全く分からないそうです。それは実に、タイムマシーンに乗ったようなものだとありました。時間が戻されるような細胞ができたのです。
 でも、完全には元に戻ることはできないとありました。しかし一度臓器ができてしまったものが、初期化されるとは、永遠の世界があることを証明しているではないでしょうか。
 元々、人類は、永遠に生きる存在として造られていたわけです。しかし、死ぬ存在になってしまったわけです。でも細胞に、ちょっと手を加えれば、初期化し、時間が巻き戻されるということは、永遠の世界があることを告げているのです。
 
 しかし人類が罪を犯してしまった結果、いのちの木への道は閉ざされているのです。ケルビムと燃える炎の剣がその道に入れないよう、塞いでいるのです。けれども人類は、ある程度はその領域に近づくことが出来るのかも知れません。細胞の初期化は完成したようで、完全には出来ていないのです。なぜなら、そこから後は神の領域だからです。しかし「聖書が永遠のいのちって語っているけれど、それはおとぎ話じゃない…」という事が一般にも分かる時代になりました。
 創造主なる、永遠の方がおられ、私たちは永遠の存在として造られたのですが、罪のゆえに、人類に死が入ってしまったのです。けれども神は、もう一度私たちに、永遠のいのちを与え、永遠のいのちの中によみがえることができるとは、なんと壮大な計画ではないでしょうか。
 『われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。』この預言は、永遠の世界にまで及び、貫いている言葉です。

 人は、肉体を持っていますが、その本質は、霊的存在です。ということは、霊的存在とコミュニケーションしないと生きていくことができない生物なのです。宗教心はその現れです。この地上じゃ、その全容は分からないけれど、やがて、永遠の世界に入ったら、全貌が明らかになると思います。人間は、自分以外の霊的存在なくして生きることはできません。人類は、創造主と、悪魔・悪霊どもとの狭間に創られて、自由意思でどちらかを選択するのです。真の神を選ぶのか、それとも、神のふりをした悪魔・悪霊どもを選ぶかで、人生の方向性は大きく変わるのです。

 昨日も、レッツプレイズで、子どもたちに話したのですが、私たちには、中立はなく、どちらかを選択しなければならないということです。良い意図を持った創造主を選ぶのか、悪意を持った、悪魔・悪霊どもを選ぶのかで、人生の方向性と内容は大きく変わります。
 みなさんも、昔、運動会で、二人三脚競技を、やったことがあるでしょう。二人の足をつないで、呼吸を合わせてよーいどん!で走ります。人生とは、霊的存在と二人三脚で走るようなものです。あなたの二人三脚の相手は誰でしょうか。こんな画像がありました。

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 人生の危機からも、二人三脚で脱出しなければなりません。この世から出て行く時も二人三脚です。でも、相手が誰かが大事です。もしも、相手が次のような存在と二人三脚だったら、どうでしょうか。

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 私はこういう映像を作るのは、得意ではないのですが、昨晩、がんばって作りました。多くの人たちが、こういう感じで二人三脚を組んでいると思われます。この状況で人生が進めば、どこに行きますか?滅びにいきます。このまま人生を歩んだら、大変なことになるのは明らかです。私たちは、イエス様と二人三脚を組まなければなりません。

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 イエス様の絵は、変なイメージができるので、あまり使いたくないですが、イエス様と一緒に歩くのが一番です。小さい頃、子ども賛美歌でよく教えられたのです。「主イエスと共に歩きましょう、いつまでも…」という歌を歌ったことがありますか。

♪主イエスと共に、歩きましょう、どこまでも
主イエスと共に歩きましょう、いつも♪

 イエス様と二人三脚を組んで歩んだら、滅びではなく、永遠のいのちです。でも、悪魔と組んだら悪い方向に行くのです。
 子どもたちも、この絵をよく見て覚えておいてくださいね。自分がタッグを組んでいる二人三脚を組んでいる相手が誰かを、よく知らなければなりません。

 昨日も中高生に「おばけを見たことがある人?」と聞いたら、結構、見たという人が多かったです。「金縛りにあったことがある人?」と聞いたら、それも多かったです。「暗い影を見たことがある、変な存在を感じたことがある人?」と聞いても結構いました。それは悪い存在と二人三脚を組んでいる証拠です。ひもをほどいて、イエス様とチームを組み替えないといけないといけません。
 人生には、「祝福の道」と、「呪いの道」があります。祝福の道とは何か、それはイエス様と共に歩く道です。呪いの道とは悪魔と結ばれた道です。
 そのことが聖書に書かれています。申命記十一章二十六節〜二十八節、

『見よ。私は、きょう、あなたがたの前に、祝福とのろいを置く。もし、私が、きょう、あなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令に聞き従うなら、祝福を、もし、あなたがたの神、主の命令に聞き従わず、私が、きょう、あなたがたに命じる道から離れ、あなたがたの知らなかったほかの神々に従って行くなら、のろいを与える。』

 これは何を意味するのでしょうか。「他の神々」とは、悪魔・悪霊どものことです。悪魔・悪霊どもと二人三脚を組めば、呪いの道へと向かいます。しかしイエス様と一緒に歩んだら、それは「祝福の道」です。
 今日、初めて教会に来られた方もおられますが、「キリスト教かぁ…」とは思わないでいただきたいのです。私たちはキリスト教信徒を増やしたくて、教会をやっているわけではないのです。世界中の人々が祝福の道を選び、幸せになってほしいから教会は存在します。一度しかない人生です。幸せな人生を送ってほしいのです。
 キリスト教は宗教ではなく、現実の道です。

 人間は、そもそも霊的な存在であり、真の神様とタッグを組むのか、悪魔・悪霊どもとタッグを組むのか、二つに一つしかないのです。二つに一つの選択です。ぜひ、イエス様と二人三脚で歩んで欲しいです。そうしたら、人生を終えてこの世から出て行く時でも、恐れはありません。永遠のいのちがあります。
 Kさんは、昨日の朝、イエス様と二人三脚でこの地上から脱出し、天国に行かれました。
 悪魔と二人三脚を組んだら、滅びです。悪魔・悪霊どもが完全支配している国に直行しなければならないわけです。そんな恐ろしいことはありません。すでにイエス様と共に歩む人生に変えられた者たちは、心から感謝しなければなりません。イエス様と二人三脚を組んでいることを、常に心に止めていただきたいと思います。

 『われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される』とあります。…それは人生のすべての日に適応され、神の救いの力が及んでいることを教えています。第一テサロニケ人への手紙五章二十三節、

『平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。』

 パウロはこのように語りました。やがて、イエス様は帰って来られます。今日もマラナタという賛美をしました。あの賛美をすると、本当に感動します。近頃、テレビのニュースや新聞を見ると、「これから人類はどこに向かうのだろうか…」と、心配になります。近頃また、地震の確率が上がったみたいです。関東地方とか、かなり上がったみたいです。しかし一番地震が起こると言われて来た、中部地方の確率は下がったみたいです。真剣にとりなして祈っているからかな、とも思いますが、油断は禁物です。本当に祈らないと、日本もどうなるか分かりません。三十年以内に東京には大きな地震があるそうです。そんな地震が起こったら、日本は潰れます。
 また世界の状況を見ても、これからどうなっていくのか…。

 先週もお話ししましたように、人類の平和とは、歴史を見たら「戦争と戦争の間の準備期間」です。しかし、神が与えてくださる平和は、「永遠の平和」です。神が百パーセント支配してくださる平和です。歴史における平和は、「やがて新しい戦争が起こります」という準備期間の平和でしかありません。私たちは、地上の価値観、概念で平和を求めてはいけません。
 この頃、日本は、戦争に向かっていると言われます。それはしょうがないのです。人類にとっては、戦争が終わったら、次の戦争のための準備期間が平和ですから、戦争を終えた国は、やがて次の戦争へと向かうのです。新しい戦争への準備がなされていくわけです。
 今朝もちょっとニュースを見たら、日本はだいぶ、新しい兵器を買い込んだみたいです。アメリカがうまいこと、新兵器を日本に売り込んでいるなと思って、ちょっとむかつきましたが、オスプレイも買うらしいですし、無人偵察機も買うそうです。アメリカ製の超高い新兵器を買わされ、中国と戦う準備をすれば、必ず、いつか新しい戦争が起こります。それは歴史が証明しています。

 しかし私たちの平和は、そうではありません。恒久的な、神が支配される平和の中に生きているのです。イエス様は、敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される平和です。これは、この地上の平和の概念ではなく、神の与える平和です。神の完全なる支配の中で、人生を守ってくださる事を意味します。

 昨晩、中高生の集会でメッセージを始めた頃は、ざわざわしていました。でも、一つの話をするようになったら、みんなシーンとして真剣に聞くようになりました。私は今年、六十二歳。来年は六十三歳です。中高生は十五歳とか、最高でも、十七、十八才です。彼らは、これから七十年くらい、ある子どもたちは八十年くらい人生が残っているわけです。私なんか、せいぜい残っていても高々三十年、四十年かな…。そんなに生きるな!と言われそうですが。もしも後、二十年と見積もると悲しくなります。はっきり言って。
 二十年前って、甲子園ミッションで全国を飛び回っていた時代でした。つい、昨日のようです。あれ?って感じです。あれ?で、六十二歳になりました。その頃、私にもちゃんと髪の毛があったのです。ビデオが証明しています。私だけでなく、信弘先生も薄くなりました。雅也先生も、徐々に私に近づいて来たみたいです。みんな外見は変わっていくのです。これからの二十年に、何が起こるのかという事です。
 
 しかし中高生には、七十年、八十年もあるのです。昨晩彼らに話しました。「人間を造る時、神様が書いた設計図が近頃、見つかった」という話です。以前にも話しましたが、私はその話を中高生にしました。
 そのことをご存知でしょうか。この教会も建てられて三十三年になるのです。しかしうまく出来たものです。それは最初の設計が良かったからです。最初の設計が良かったから、三十三年経っても、古さを感じさせずに、気持ち良く礼拝できています。私を含め、建築委員の人たちが真剣にやった結果です。
 設計図があって会堂が建ったわけです。万が一この会堂が地震で倒れたとしても、設計図さえあれば、同じものを復元できます。でも、心配しないでください。この建物は、地震が来てもたぶん大丈夫だそうです。なぜなら、屋根があまり重くないからです。この間、専門家に聞いたら、そう言っていました。いずれにしても、設計図があるのです。

 人間も偶然に存在しているわけではありません。オリジナルの設計図があって、存在しているのです。設計図があるということは、知的存在が書いた証です。神が書いた人の設計図は巻物です。それがこれです。

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 DNA配列です。DNAは、以前にも話しましたが、たった四つの物質だけだそうです。

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A,G,C,Tと呼ばれる四つの塩基の配列だそうです。これが三十二億個くらい、並んでいるそうです。その中に、人間の体を造るすべての情報、将来起こるであろう様々な災い、病、などの情報さえも含まれているそうです。
 中高生って、これから七十年、八十年も人生があるのですが、このDNA螺線の延長を未来への道と仮定するなら、この先に、様々な情報が含まれているわけです。

 近年、日本人は、二人に一人はガンになると言われます。今日、ここに三百人以上の方々が礼拝に参加されていますが、百五十人以上の方々は、ガンになる計算です。そして、三人に一人は、ガンによって死ぬというのです。人ごとのように考えていますが、本当にえらいこっちゃです。二人に一人はガンになる、三人に一人はガンで死ぬとは大変なことです。その情報が、なんと、設計図の中に、すでに含まれているというのですからたまりません。人ごとではありません。一人一人に、DNAは存在し、それらの情報があるわけです。

 昨晩も、若者たちに話しました。「君たちの七十年以上の長い人生の中に、悪い情報が満載だ」と話しました。そんな話をしたら、みんなだんだん緊張してきました。「この中の半分はガンになるんだ。三分の一はガンで苦しんで死ぬんだ」と話したら、みんな震えていました。しかし「話してるおまえも、そうかもしれんぞ」という顔をしているやつもいました。それはもう、本当に誰に起こるのかわかりません。
 人間って本当に悲しいですよね。目には見えませんが、一人一人の細胞の中に遺伝子の巻物が入っていて、将来のすべての情報が入っていのです。

 この間、遺伝子について専門に勉強している人から、講義を受けました。最先端の遺伝子研究の情報を聞いたら、遺伝子の中に、様々な情報が入っていて、将来、どんな行動を取るのかさえも、情報が含まれている可能性があるというのです。
 そして将来、よからぬ社会が出現する可能性もあるというのです。犯罪を犯した人のDNA情報を調べてみると、すでに、特徴のある遺伝子配列があるそうです。その遺伝子配列がある人は、犯罪を犯しやすいそうです。これから、そのような情報が共有化されると、犯罪を未然に防ぐという名目で、先にチェックされたり、逮捕されたりするような社会にもなりかねません。
 最近、特定秘密保護法なんかが作られて、いろんな事が隠され、一番重要なプライバシーって何かといったら、遺伝子情報です。現在、人一人の遺伝子情報は一日で三十二億個の配列を読み取ることができるそうです。百万円くらい出せば解析してくれるそうです。しかししばらくすると、専門に勉強している人から聞いたのですが、技術が飛躍的に進歩しており、五、六万円で情報を読めるようになるそうです。そうすると、自分の生涯全体の情報がすべて手に入るというのです。そうなると、希望を失うかもしれません。「あなたはやがてガンになります。こういう病気になりますよ。こんな問題が起きます。」とわかってしまうからです。
 今年、話題になったのは、アンジェリーナ・ジョリーという女優が、自分の遺伝子検査をしたら、乳がんになる確率が八十数パーセントと出たそうです。それで、まだガンでもないのに、乳房を取り去ってしまったのです。取ってから検査をしたら、確率は四パーセントに下がっていたそうです。八十数パーセントの確率が出たら、将来、ほとんど発病するというのです。そんなことが事前に分かったら、人生、楽しくないです。はっきり言って。

 しかし聖書を、現代科学と照らし合わせながら読むと、興奮する記述が多くあります。昨日の中高生の前でも話したのですが、エレミヤ書の三十一章二十七節から、こんな言葉があります。エレミヤ書三十一章二十七節〜三十一節、

『見よ。その日が来る。──主の御告げ──その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家に、人間の種と家畜の種を蒔く。かつてわたしが、引き抜き、引き倒し、こわし、滅ぼし、わざわいを与えようと、彼らを見張っていたように、今度は、彼らを建て直し、また植えるために見守ろう。──主の御告げ──その日には、彼らはもう、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』とは言わない。人はそれぞれ自分の咎のために死ぬ。だれでも、酸いぶどうを食べる者は歯が浮くのだ。見よ。その日が来る。──主の御告げ──その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。』

 紀元前七世紀頃、今から二千数百年前、今のような情報が全くない時代です。預言者エレミヤが「やがてその日が来ます」と語りました。「その日」とは何か、救い主が生まれる日です。イエス・キリストがこの地に生まれ、救いを成し遂げると預言したのです。
 当時、エレミヤの時代に、あることわざが流行っていました。それが、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』ということわざでした。普通じゃ考えられない内容です。
 「歯が痛いなぁ。親父が酸いぶどうを食べたのかな?」
 でも、なぜこのようなことわざが流行っていたのかというと、父の罪が子に報われ、父親が受けた災難が、子どもの世代にも反映される、家系に同じような問題が繰り返し起こるようなことが、紀元前七世紀くらいにも起こっていたわけです。それで、人々はこのことわざを使っていたのでしょう。『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』と。

 現代ではどうでしょうか。家系を見たら、麗しい家系ってほとんどないです。我が家も同じです。三代、四代前から見れば、様々な問題があります。「遺伝子」とは、「子に伝え遺す」と書きます。遺伝情報の中に悪い情報が受け継がれています。新しい世代になっても、先代と同じ問題が発現するのです。まさに、『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』ような人生ではないでしょうか。現代科学は、家系の呪いを科学的に証明しています。

 けれども、ここに希望があります。「その日が来ますよ!」と。
どういう日でしょうか。それは、イエス様が地上に来られ、救いを完成してくださる日、「我らを敵の手から解放し、我らの生涯のすべてに、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される」
 将来、何が起こるのだろう…、ガンになるかもしれない。心臓病になるかもしれない。事故が起こるかもしれない。恐れは一杯です。しかしそのような恐れから、人類を解放する為に、イエス様はお生まれになったのです。

 『その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家に、人間の種と家畜の種を蒔く。』
 今まで、人にはどんな種が撒かれていたのでしょうか。種の中にすでに、「引き抜き、引き倒し、壊し、滅ぼし、災い」というような情報が満載の種が蒔かれていたのです。しかし新しい種は、「建て直され、植えるため」の情報に置き換えられるのです。主を信じる者たちは、新しい種の情報により生かされると、宣言されているのです。

 エレミヤ書三十一章二十七節と、現代科学、特に、遺伝子の情報を重ねると、まさに、今の時代を見据えて、主が語られた預言ではないでしょうか。今まで、家系の中に受け継がれて来た、引き抜き、引き倒し、壊し、滅ぼし、災い満載の種が、新しい種に変化し、受け継がれるのです。その結果、二度と、父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮くということわざを使わなくなるのです。
 その日が来ます、その日が来ますよ。

 イエス様がこの地上に来てくださった日から、それはすでに始まっています。イエス・キリストの救いを受け入れる者たちには、新しい種が蒔かれるのです。
 救いとは、死んでからの世界だけではなく、私たちの人生の「すべての日」の中で、恐れなく、主の御前に仕えることを許して下さっているのです。

 昨晩、中高生に、「君たちの人生、これから長い。遺伝子の中に悪い情報があったとしても、今日、悪魔・悪霊どもとのタッグを解消し、イエス様と一緒に歩むようになったら、恐れなく人生を歩むことができる。そんな人生を送りたくない?」と聞いたら、学生たちは遺伝子についてよく勉強しているから、よく理解できるのです。
 今まで騒いでいた中高生たちは、しーんっと静まりかえり、びっくりするくらい真剣にメッセージを聞いて、最後は大声で真剣に祈っていました。
 「イエス様を信じます!これからイエス様と二人三脚を組みます!私の遺伝子の中にある悪い情報を、全て取り去ってください!」と祈っていました。
 しかし、エレミヤ書三十一章三十節には、

『人はそれぞれ自分の咎のために死ぬ。だれでも、酸いぶどうを食べる者は歯が浮くのだ。』

とも語られています。一人一人、注意しなければなりません。それは自己責任です。「あなたの生涯の中で、自由意志で、悪い方に行って悪魔と契約を結んだり、罪を犯すると、せっかく良い種を蒔いてくださっても、傷ついて、台無しになりますから、気を気をつけて下さい」と語られています。
 今、神は人類に、多くの情報を開示されています。それは、何を意味するのでしょうか。それは、イエス様が帰って来られる日が近いことを意味します。
 世の中には多くの混乱がありますが、混乱のただ中で、教会が勝利するために、このような情報を開示されているのだと思います。

 私たちの主は、すばらしいお方です。私たちを創造し、生かしてくださっている方です。クリスマスの日に、人として生まれてくださった主を、私たちは祝います。
 今日ここにおられる方々は、すでに、イエス様と歩む決断しておられると思いますが、もしも、「私はまだ、イエス様とタッグを組んでいない」という方がおられたら、今日、イエス様と二人三脚を組んで、お帰りになって下さい。
 それは宗教の問題ではないのです。現実の問題です。他の神々、偶像の神々を拝んでいると、悪霊が後ろにいますから、知らないうちに二人三脚が出来上がるのです。偶像礼拝って怖いです。

 私たちの将来は、恐れなく、主に仕えることを許されるのです。心から喜んで、主にお仕えしましょう。聖書の救いは完璧です。ゆえに「ハッピークリスマス!〜幸せな人生〜」と呼ぶことができるのです。

 「その日」とは、イエス様の十字架のあがないの日です。それを心から感謝し、聖餐式を行います。今日は、すべての方が、「イエス様、あなたと二人三脚を組みます!悪魔・悪霊どもとの二人三脚を全て打ち砕きます!」と宣言して、聖餐式にあずかりたいと思います。
 一言お祈りします。

 ハレルヤ。天の父なる神様。御名をあがめて、心から感謝します。私たちの人生のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、仕えることが許される約束を感謝いたします。敵の手からの解放を心から感謝をいたします。「イエス様と二人三脚を組んでいます」と宣言し、聖餐式を受け取ります。イエス様が流してくださった十字架の尊い血潮と、からだに受けてくださった傷のゆえに、私たちは癒やされ救われたことを、心から感謝します。今日、パンとぶどうのジュースを、御霊の食べ物、御霊の飲み物としてください。心から感謝して、イエス様の御名によって祈ります。アーメン。