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『「マラナタ」主よ。来て下さい!
パート2』

2014年1月12日 (日)
新城教会 主任牧師 滝元順
ダニエル書 二章四十五節

『あなたがご覧になったとおり、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのは、大いなる神が、これから後に起こることを王に知らされたのです。その夢は正夢で、その解き明かしも確かです。」』

 ハレルヤ!おはようございます。先週からちょっと風邪を引きまして、あまり風邪を引かないので、馬鹿は風邪を引かないというので、そうなんだろうなと思っていたのですが、風邪を引いたので、少しは望みがあるかなと思っています。二日間くらい熱が出ましたが、今は良くなって来ました。風邪を引いている方がおられるかもしれませんが、「風邪は誰かに移すと治る」ということで、今日は移したら治るかなと…。そんなことは迷信ですから信じないでくださいね。
 インフルエンザではなかったのですが、人間って体温が一度上がっただけでも動けなくなります。健康で動くことができる方が不思議なくらいです。今週も主に健康も支えていただき、歩んでいきたいと願っています。

 今のワンウェイ・ボーイズの賛美を聴き、本当に初々しい、純粋なものを感じましたね。あのままずっと、ワンウェイを歩んでくれたらいいなと思います。私たちも一つの道、イエス様を見上げて歩んでいきたいです。

 二月には「タイ・リバイバルミッション」が開催されます。ミッションの準備のために、私は来週、数日間チェンマイに行くことになっています。現地からチラシを送って来ました。こんなチラシです。なかなかすごいチラシですね。

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 何を意味するのかなという感じですが、テーマは「和解からリバイバルへ」となっています。そんなテーマでミッションが開かれるのですが、これは霊的には大きな意味があると思います。今日もタイ語で賛美されましたが、ほとんど賛美チームだけが歌っていて、私たちはただ聴いているようなところもありましたが、世界には多くの言葉があります。それでも同じように、どこの国でも祝福を受けるのは、イエス様がただ一人の神である証拠です。

 今日は、「マラナタ。主よ、来て下さい!」と先週もお話しさせていただきましたが、そのパート2として、今年、私に与えられているみ言葉から、学んでいきたい考えて言います。
 毎年、一年の指針となるみ言葉が語られるのですが、先週、今年のみ言葉をまとめてお届けしたのですが、よく読んで指針として、祈りとして、用いていただきたいと思います。
 前回も話しましたが、私は昨年、二〇一三年に語られたみ言葉を、自分なりにピックアップし、一つの祈りとして、毎日忘れないように祈ってみました。そうしたら、二〇一三年は私にとって、いつもとはちょっと違った年となりました。
 今年語られたメッセージも、お一人一人の感覚でまとめて、お祈りしたらいいと思います。
 私はこのようにまとめて祈っています。

主よ。今日も未来に備え、良い基礎を築きあげさせてください。
純粋に主に仕えさせてください。
今日も天が開きますように。
すでに開かれている天の破れが、さらに大きく広がりますように。
今年は成就と再建の年となる事を宣言します。
いのちの日の限り、恵みといつくしみとが追って来て、閉ざされていた扉が開かれる年となりますように。
今日も、下に根を張り、上に実を結ばせてください。
賛美の領域に、新しい変化を起こしてください。
私は暁を呼び覚まします。
今年は、経済的に祝福されることを宣言します!
世界経済を支配するマモンの力を打ち砕きます!
私に、神のものと人のものを、しっかりと区別させてください。
マラナタ。主よ、来てください!

 これは七人が語ったメッセージの中から引き出しまとめた祈りです。これを一年間、祈り続けてみたいと思っています。
 み言葉は種ですから、蒔いて、三十倍、六十倍、百倍の収穫を得なければなりません。そのためには日々、与えられたみ言葉を宣言することが大切だと思います。

 それと共に、時を知り、しっかりと目標を定めて生きる事が重要だと思います。私たちは今、どのような時代に生かされているのか、時を知らなければいけません。
 毎日、忙しさの中で、同じことを繰り返しながら生きているように見えますけれど、世界の歴史は常に動いています。
 イエス様は初めであり、終わりだと言われました。終わりの日を掴んでおられます。人類の歴史には最終的に、終わりの日が来ます。今、私たちは終わりの日に向かい、歩んでいるわけです。今の時代がどういう時代なのかを知ることは重要です。
 また、最終ゴールをしっかりと見つめ、未来に備えて良い基礎を築き上げることが大切だと思うのです。
 時を悟り、目標を目指して、日々を歩んでいくことは、み言葉を実現していただくために、大変重要なことです。

 そんな中、ダニエル書二章の記述は、「終わりの日」について、神がバビロニア帝国の大王であった、ネブカデネザルに示した重要な箇所です。ネブカデネザル王が見た夢、そしてダニエルによって解き明かされた意味は、終わりの日に向け、大変重要な情報となります。その一節を、読ませていただきます。ダニエル書二章四十五節、

『あなたがご覧になったとおり、一つの石が人手によらずに山から切り出され、その石が鉄と青銅と粘土と銀と金を打ち砕いたのは、大いなる神が、これから後に起こることを王に知らされたのです。その夢は正夢で、その解き明かしも確かです。』

 この夢は「正夢」だというのです。みなさんは、夢をよく見る方ですか?夢とは、つじつまが合わない、おかしな夢が多いものです。しかし時には、神が与えて下さる夢もあるのです。そればかりに頼ってはいけないのですが。
 聖書が成立されていない時代、神は人に、夢を通してご自分の御心をあらわされた期間もあったわけです。そして主は、今でもそういう方法を使われる事もあると思います。しかし、現代はそれは中心ではなく、聖書の情報に基づき、吟味しなくてはいけないわけです。

 世界で最も強力な国、バビロニア帝国の王のネブカデネザル王が、忘れることのできない夢を見たのです。
 時々、私たちも夢を見ます。夢っておもしろいですよね。朝は鮮明に覚えているのですが、だいたい昼くらいになると忘れます。あれ?朝はよく覚えていたのに、何だったのだろうと。ああいう夢はどうでもいいのですが、鮮明に覚えていて、頭から離れない夢は、もしかしたら、何らかの語りかけと共にあるかもしれません。そんなときは主の前に、一度出してみたらいいと思います。

 この夢は本当に強烈な夢だったみたいです。それで当時、バビロニア帝国には、様々な夢を解き明かす人たちがいたみたいです。ダニエル書二章二節~四節を読んでみますと、

『そこで王は、呪法師、呪文師、呪術者、カルデヤ人を呼び寄せて、王のためにその夢を解き明かすように命じた。彼らが来て王の前に立つと、王は彼らに言った。「私は夢を見たが、その夢を解きたくて私の心は騒いでいる。」カルデヤ人たちは王に告げて言った。──アラム語で──「王よ。永遠に生きられますように。どうぞその夢をしもべたちにお話しください。そうすれば、私たちはその解き明かしをいたしましょう。」』

 当時の科学の最先端とは、「呪法、呪文、呪術」が主流でした。今とは全く違った世界でした。そんな中でも、科学の最先端技術を持っていたのが「カルデヤ人」たちでした。
 イエス様はアラム語をしゃべっておられましたが、カルデヤ人もアラム語をしゃべる人たちでした。セム系の民族じゃないかと言われるのですが、彼らは「占星術」という技術を持っていました。
 占星術は、最もよく当たる呪術として、いにしえから今日まで用いられています。しかしあれは、裏を返せば、最も強い悪しき者とのつながりとの中で、情報を引き出す恐ろしい技術です。ですから、星占いに心を寄せては絶対にいけません。
 カルデヤ人たちが王様の所に来て、「あなたの夢を解き明かしますから、その夢を教えてください」と言うと、王は「おまえたちに俺が見た夢は教えない」と言ったのです。「おまえらが本当に俺の夢を解き明かすことができるとしたら、俺が見た夢さえも当ててみろ」と言ったのです。
 すると「そんな無茶な!」と、最先端技術を持っていたカルデヤ人も閉口して、どうにも歯が立たない状態でした。
 でも、王様がこう言ったのは、たいへん良かったと思います。なぜなら、この夢は、悪魔・悪霊どもからの夢ではなく、まさしく、まことの神からの情報であったからです。ゆえに悪魔・悪霊どもにつながっている者たちは、王の夢を解き明かすことも、夢自体を知ることなんて、決してできなかったわけです。夢も、神から来るものと、悪魔から来るものがあるから、気をつけなければなりません。

 王様は「俺が見た夢を当ててみろ。内容も説き明かせ」と言いました。そうしたら、その当時の科学者たちは困惑して、「そんなことができるのは神様以外にない」と言いました。そうしたら、王は怒って、「おまえら。これができなかったら、皆殺しだ!!」と言いました。
 ひどい話じゃないですか。知者たちは皆殺しという、命令が発せられたのです。

 実はバビロニア帝国は、世界最大の権威をもったネブカデネザル王自らを法律とする、「絶対専制君主国家」だったのです。王の言うことがすべて法律ですから、王の気分しだいで、すべてが変わる国でした。それでバビロンの知者の呼ばれるような人たちは、全員、殺されることになってしまいました。
 そんな中に、ダニエルが含まれていました。イスラエルが北と南に分裂しユダはバビロニア帝国に攻められて、ダニエルはバビロンに捕虜として連れて来られた人でした。
 しかし彼はバビロニア帝国で、一人の知者として選ばれ、訓練を受けていたのです。バビロニア帝国は悪魔に属する暗黒帝国だったのですが、そんなただ中に、まことの神を信ずるダニエルがいたのです。しかしダニエルにまで、殺戮の手が伸びたのです。

 その時、ダニエルは王の所に行って、「王様、ちょっと待ってください。私に少し時間をくれますか?」と頼みました。そして彼は、周りの主を信ずる友人たちに頼んで、断食し、神に、夢と、その解き明かしを与えて下さるように祈り求めたのです。
 その時、天の神はダニエルに、神がネブカデネザルに見せたのと同じ夢を、幻の中で見せ、その意味をも解き明かしてくださったのです。すごいですね!
 ここに一つの、私たちが生きるヒントが隠されています。私たちが神の御心を知るためには、祈りが必要だということです。そして一人の祈りも重要ですが、ダニエルが天の秘密を解き明かしてもらうために、周りの友人にとりなしの祈りを願いました。その時、ダニエルに天の秘密が示されたのです。
 私たちも、天の秘密、神の御心を知るためには、祈りが必要です。それも、一人だけの祈りではなく、周りの人たちと一緒に心合わせて祈ることが重要です。今年一年、未知の世界を歩んで行きますが、祈りを中心とするなら、神は天の秘密を示し、あらゆる危険から、災害から、守ってくださるはずです。
 それと、共に祈る仲間たちは大事です。教会に来たら、友達ができると思いますが、ただ単なる友達ではなく、祈り合う友ができると幸いです。一緒に祈っていくれた友のおかげで、ダニエルは殺されかかっていたのが、バビロニア帝国で王に次ぐほどの高い地位を勝ち取りました。

 天の秘密を主は祈りの中で、ダニエルに示されました。それを受け取った時、ダニエルは王の前に出て行き、その内容を告げました。ダニエル書二章三十一節~三十五節、

『王さま。あなたは一つの大きな像をご覧になりました。見よ。その像は巨大で、その輝きは常ならず、それがあなたの前に立っていました。その姿は恐ろしいものでした。その像は、頭は純金、胸と両腕とは銀、腹とももとは青銅、すねは鉄、足は一部が鉄、一部が粘土でした。』

 そのように話したら、王の顔色が変わりました。きっと王様は思ったでしょう。「なんで俺の夢が分かったんだ!どのようにして俺の見た夢を知ったんだ」と。王はびっくり仰天でした。ダニエルはさらに言葉を続けました。三十六節~四十節、

『これがその夢でした。私たちはその解き明かしを王さまの前に申し上げましょう。王の王である王さま。天の神はあなたに国と権威と力と光栄とを賜い、また人の子ら、野の獣、空の鳥がどこに住んでいても、これをことごとく治めるようにあなたの手に与えられました。あなたはあの金の頭です。あなたの後に、あなたより劣るもう一つの国が起こります。次に青銅の第三の国が起こって、全土を治めるようになります。第四の国は鉄のように強い国です。鉄はすべてのものを打ち砕いて粉々にするからです。その国は鉄が打ち砕くように、先の国々を粉々に打ち砕いてしまいます。』

 夢の内容についても解き明かしました。そして言葉は、さらに続きます。ダニエル書二章四十一節~四十四節、

『あなたがご覧になった足と足の指は、その一部が陶器師の粘土、一部が鉄でしたが、それは分裂した国のことです。その国には鉄の強さがあるでしょうが、あなたがご覧になったように、その鉄はどろどろの粘土と混じり合っているのです。その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。鉄とどろどろの粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは人間の種によって、互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他の民に渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。』

 ダニエルは、ネブカデネザルが見た夢を、すべて解き明かし、詳細に語ったのです。そして最後に「その夢は正夢で、解きかしも確かです」と告げたのです。
 日本人にとって「正夢」という言葉は、「あぁ、正夢じゃ。正夢じゃ…」とか言って、なんとなく、うさんくさいにおいがする言葉です。しかしヘブル語の原文の意味は、「事実と一致する夢」「将来、必ず実現する夢」という、意味だというのです。

 「将来必ず実現する夢」を、日本語では「正夢」と訳してしまって、ちょっと言葉が軽いと思います。
 ネブカデネザルという王は紀元前七世紀くらいの王です。その王様が、世の終わりに向けて、世界に何が起こるのかを、神様から教えられたのです。それは、この世の呪法師、呪文師、星占い師たちでは全く出来ませんでした。しかしながら、まことの神に仕えているダニエルが、仲間と共に祈り断食した時、すべて与えられたのです。
「これは正夢です。将来必ず起こる夢です」と言われたからには、見落とすことができない情報が、ここには含まれているはずです。

 この夢を絵にすると、こんな感じだったのでしょうか。インターネット上に、こういう画像が多く出ています。

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 こういう夢を見たわけです。なんと像の体は、頭は金、胴体と腕が銀、青銅の腰、すねは固い鉄でできていたのです。しかし足は鉄と粘土が混じって出来ていました。
 すると突然、一つの石が人の手によらずに切り出されて飛んで来て像に当たり、像は粉々に砕け散ってしまいました。そして、その小石が世界を覆うほどに大きくなったというのです。
 こんな夢を見たら、忘れることができないはずですよね。そして、「これは正夢だ」と言われたわけです。これは将来、必ず起こくる事なのです。

 ネブカデネザルは紀元前七世紀の王様でしたが、この夢の通りに、時代は動いていきました。これは私が今までにも、何回もお話ししていますから、分かると思いますが、金の頭はバビロニア帝国でした。
 その次に、同じ地域を治めたのはメド・ペルシャ帝国でした。それは、バビロニア帝国にはちょっと劣る国だと言われたように、銀の国でした。
 その後、世界を席巻したのは、これはアレキサンダー大王が率いるギリシャ帝国でした。彼らは、ヘレニズム文化を世界に広げました。
 そして、その後に出て来た国がローマ帝国でした。この国は、鉄のようにすべてを打ち砕く強い国でした。けれども、足首が、鉄と粘土が混在して出来ていました。それは、終わりの時代を指していました。
 ここから分かるのは、新約聖書が成立した時代に、鉄の脛までは実現していると言うことです。そして、終わりの時代の第一段階として、人手によらず切り出された石、イエス様がお生まれになったということです。

 ということは、今、私たちはどういう時代に生きているのかというと、それは、足首の時代に生きているということです。足首の時代とは、「鉄と粘土が混ざったような国々の時代」です。ダニエルの解き明かしによると、

『鉄とどろどろの粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは人間の種によって、互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。』

 ローマ帝国の時代までは、一つの帝国が全世界を支配するような時代でしたが、その後起こってきた国々は、互いに団結することなく、水と油のような国々が混在すると言われたのです。

 まさしくその後世界には、多くの国々が生まれました。一つの理念で統一されることはなく、水と油のように、互いに団結することは決してない国々が多く現れたわけです。
 現在、私たちは、鉄と粘土の混ざった時代に生きているということです。

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 しかしそこに、人手によらずに切り出された石が当たるのです。そしてその石は拡大し、全地を支配するのです。
 それは何を意味するのかといったら、イエス様が再びこの地に帰って来て、世界を治める再臨を意味します。その時、人間の歴史に終止符が打たれるのです。
 そして今、まさに、イエス様がこの地上に再び帰って来られる直前に私たちは生きています。私たちは歴史的な瞬間に生きているわけです。
 ということは、先週もお話しさせていただきましたが、「マラナタ、主よ来てください!」と、主のお帰りを心から歓迎する祈りと共に、最後のパートを生きることを要求されると思います。もしかしたら、私たちが生きている間に、主の再臨を体験するのかもしれません。
 しかし、それがいつなのかは、父なる神様しか知りません。日時を特定することは決してできません。しかし、聖書の情報から、今がどの時代なのかについては、知ることが出来るのです。

 国々は、決して団結しないのです。鉄と粘土が混じり合っているような状況が、目の前に広がって来たら、主のお帰りが近いことを意味します。
 バビロニア帝国から始まって、ペルシャ、ギリシャ、ローマ、終わりの時代へとつながる国々を見ると、最初は絶対専制君主国家でしたが、ペルシャの時代になったら、政治の形態が変わりました。立憲国家となり、一度、法律に王がサインしたなら、後から気分で変えることはできない様子を、聖書からも見ることができます。しかしさらに時代が進むと、立憲国家から、連合組織のような国々となると言っているわけです。

 この頃、日本のニュースの中で、大きな話題の一つは何でしょうか。それは「TPP」です。近頃は、DDTだか、PTAだか、なんだか訳の分からない頭文字がたくさんあります。TPPは、貿易の関税などを参加国どうしで撤廃し、自由化しようという試みです。今、環太平洋の国々が、TPPに参加するための話し合いの途上ですが、日本も加わっているのです。普通は自分の国の物が売れなくなりますから、他国の製品には、税金をかけるわけです。だから、よその国の物は高いわけです。しかし今度、TPPに参加すれば、関税の国境線はなくなるわけです。お互い、関税がかからなくなるわけです。
 近頃、食品などに、様々な問題が取りだたされています。しかし、TPPが本格的に始動しますと、どこの国で生産された製品かの表示も、義務がなくなるそうです。またこの頃は、遺伝子組み換えの食品なんかが多く出回っています。遺伝子を組み換えて種を作ると、虫に食われないというのです。そもそも、虫が食わない食物は危険です。虫は、それが安全だから食うわけで、我々人間も虫とあまり変わりません。虫が食っていたら、私たちも食べてもいいわけです。虫も食わないような食べ物を食べたらどうでしょう。危ないです。
 遺伝子組み換えで作った豆腐とか、現在は表示があるから分かるわけです。でも今度は、表示もしなくてもいいというのです。どこの国産って書いたら、「この国か。やめとこう」と言えば、TPPを作った意味がなくなるじゃないですか。今、日本もこの輪の中に入っています。

 周りを見たら、いろんな連合体があるのです。アジア太平洋地域の経済連合を見ると、APECもあるし、TPP、環太平洋パートナーシップ協定もあるし、ASEANにも入っています。日本は、まさしくアジア太平洋地域の経済連合国の一つです。各国は、主義主張は全く違い、宗教も違います。文化も歴史も違います。しかし、経済では連合するのです。

 これらは、何を意味するのでしょうか。まさしく、鉄と粘土が混ざった国々ができるという、聖書の預言どうりです。前回、お話ししたように、足の裏は経済だと話しました。主義主張を超えて、経済でつながった国々が出来上がっています。私たちはより強く、主が帰られる日の近いことを意識し、身を引き締めなければいけないのです。
 毎日の忙しさに追われて、今がどのような時代かを見落としてしまいがちです。それではいけないです。私たちはイエス様が帰って来られる日を、待ち望みつつ、祈りつつ、日を過ごさなければならないのです。
 先週も、第一コリント十五章を読ませていただきました。第一コリント十五章二十節~二十五節、

『しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。』

 イエス様はやがて帰って来られます、と聖書は告げていますが、今の時代、それが現実味を帯びてきました。だから私たちは「主よ来てください」という祈りが必要だと前回もお話しさせていただきました。
イエス様が帰られる日、どのようになるのでしょうか。突然、イエス様は天から帰られ、先に天国に行った人たちは、新しいからだによみがえるのです。続いて、地上いる私たちクリスチャンは、一瞬にして栄光のからだによみがえり、空中で主と出会うのです。これを「空中再臨」と呼びます。イエス様が地上に帰られる前、主は空中まで来られ、聖徒たちと空中で出会うのです。
 イエス様が帰って来られることは、動かすことのできない事実なのですが、その前後についてはいろんな説があります。再臨の前に、大きな患難があるというのです。それは大患難時代と呼ばれるもので、人類が未だかつて体験したことがないような 患難が起きるというのです。
 しかし大患難の前に、空中再臨があり、私たちを引き上げてくださるという説と、教会はその大患難まで入って行くという説もあります。 大患難時代は七年くらい続くらしいですが、患難の最後に主は帰って来られるという説、いや、大患難時代の真ん中に帰って来られるという説もあるみたいです。
 こういう図がありました。英語ですが。

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 患難前携挙説と、患難中携挙説と、患難後携挙説とあるのですが、みなさん、どれがいいですか?患難の前にイエス様が帰って来てくれるのがいいのか、ただ中の方がいいのか、全て終わってからがいいのか、みなさんどれがいいですか?患難の前に来て欲しいなと思いますよね。
 でも、その時、主を信じていない人たちは地上に取り残されるわけですから、患難の中で私たちクリスチャンも一緒に戦った方がいいんじゃないかな。
 いやいや、先にバイバイしたい…。聖書の読み方によっては、いろいろな説が生まれるのです。リバイバル聖書神学校では、いろいろな説を教えてくれます。イエス様が帰って来られることは事実だけれども、前後はどうなるかは分かりません。
 この間、ある先生のメッセージを聞いたら、その方は、患難の前にイエス様は帰って来るんだと話していました。携きょで、教会が地上から取り去られるものだから、今まで教会が悪魔・悪霊どもを押さえていた為に、世界は悪いけれど、ある程度は守られていたのが、クリスチャンがこの地上からいなくなって、教会がなくなっちゃうと、悪魔のやりたい放題で、それで大患難が起こると話していました。それも納得だなと思いました。いずれにしても、イエス様がお帰りになることは、正夢で、絶対に起こることです。
 ダニエルが解き明かしたように、今、私たちは主の再臨の直前に生かされています。私たちは、そのことを知って、雄々しく生きていく必要があるわけです。

 古代の国々は、地層の下に埋まっていて関係ないと思いがちです。しかしそうではなく、全て関連性を持っています。時代を支配していた悪しき軍団は、新しい時代になって加わった軍団を加え、さらに強力になって現代を踏みつけているのです。古代から現代に至るまで、積み重ねられて来た様々な悪しき軍団との契約を発見し、取り消す祈りが必要です。
 日々、とりなしていることは、主が帰られる道を用意していることです。

 そんな中、とりなしの大きな要素は、日本がアジアに置いた、大きな罪と束縛、それが太平洋戦争だと思います。今、「環太平洋リバイバルミッション」をやっているのですが、環太平洋で犯した日本の罪を日本の教会が現地に行って悔い改め、現地の教会と心を合わせ、主の再臨に備えていく働きはきわめて大切だと思わされています。
 実は今日の午後から、セミナーがあります。誰がセミナーで語るかというと、私の弟の滝元望が講師です。彼はSIRという戦略的とりなしの働きをしています。彼が主からもらった使命は、かつて日本が大東亜共栄圏と呼び、帝国主義の衣をまとってアジアに出て行きましたが、その罪を悔い改めて、日本の置いた呪いを、日本のクリスチャンが解かなければいけないという働きをしています。それで彼は、いろんな場所に行ってとりなしの祈りをしています。近頃は、日本がかつて戦争で玉砕したような、南太平洋の島々にも行って、とりなしの祈りをしています。
 この間彼は、ブーゲンビル島に行ったそうです。ブーゲンビル島って知っていますか?昔の人なら知っているのですが、ブーゲンビル島は、昔、日本が攻め取って支配していました。ここにおられる夏目のおじいちゃんは、そこで戦い、ほとんどの人が戦死したのですが、何万人も死んだ中で五十人くらいしか生き残らなかった中の一人に入ったのです。しかし日本がこの近所の島々を戦場とした為、島にはその後もずっと戦いが続いているというのです。日本から解放された後は、部族抗争が始まり、いつも戦っているというのです。

 先日、ブーゲンビル島の空港に着いたら、島の大統領と出会ったというのです。大統領ですよ。すごいですね。とはいっても、大統領は短パンを履いていたと言いますが。
 それでいろいろと話したというのです。「私たち日本人は、この島に霊的な呪いを置いてしまったから、悔い改めをして、とりなしの祈りをしたい」と告げて、島の人たちと一緒に祈ったというのです。大統領はその祈りを聞いて、「この祈りは大事だ。この祈りを私は受け入れます。」と言って、その後も大統領と島のクリスチャンたちが、弟の望が祈った祈りを受け取って、祈り続けたそうです。
 その二ヶ月後、何が起こったのか。なんと部族間でずっと続いていた戦いが、歴史的な和解に導かれたというのです。すごいですね。
 今日、そのような話もしてくれるらしいですから、是非出席していただきたいと思います。

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 これは爆撃機でしょうか。山本五十六がこの辺で戦死しています。日本がおいた罪と呪いにより、多くの人たちが未だに苦しんでいます。でも出て行って、とりなして祈る時に、神は不思議なことを行ってくださるのです。
 今回のタイも、大きな意味合いがあると思います。それは私たちが、イエス様の帰られる直前の時代に生きているからです。鉄と粘土が混ざったような、主義主張を超えて経済で国境線がなくなっている時代です。

 ダニエルが解き明かした像とは、本質的には何を意味するかというと、バビロニアも、ペルシャも、ギリシャも、ローマも、すべてイスラエルを蹂躙した国々です。イスラエルを中心とした預言です。ですから足首とは、やはりイスラエルを含んで、何らかの経済連合体ができる時、イエス様が帰られる日が近づいた事を意味するのではないかと思われます。
 実は、足には指が十本あり十の国による連合ができるのだろうと聖書学者は予測した時期がありました。イスラエルが建国されたのが一九四八年です。しかし一九五七年には欧州連合ができました。その時、世界の教会は、「イエス様が帰られる日は近い!」と思ったわけです。しかしEUは、あれよあれよという間に、今では28カ国も参加しています。

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 ありゃ、これは違うなという感じです。しかし、EU連合は、歴史も、民族も、文化もお互い違うけれど、ユーロという通貨で一つになっています。トルコもEUに入りたいと言っているそうです。トルコはイスラムの国です。ヨーロッパはキリスト教国ですから、イスラムとは水と油です。しかし加わりたいのです。ヨーロッパに、鉄と粘土の足首が形成されています。
 預言はイスラエルが中心です。私はまさかイスラエルに、EUに入る意思があるはずはないと思いました。イスラエルは独自の民族性を持っていますから。
しかし、ちょっと調べてみてびっくりしました。二年前、イスラエルの外相が次のように演説をしました。

 『 ウィーンで開幕した国際会議「欧州発展の展望」で、イスラエルのアビグドル・リーベルマン外相は、イスラエルはEUの一員となるべきだと発言した。
 リーベルマン外相は、「イスラエルは中東で唯一の安定した民主政権で、同地域で西側文明の全てを体現している」と述べ、同国が「悪い隣国」に囲まれていることに遺憾の意を表している。さらに、同外相は「モーセがユダヤ人をドイツかオーストリアかイタリアの隣に導いてくれれば良かった」と発言している。』

 このような意味深な発言をしたのです。私はちょっとびっくりしました。ユダヤ人たちでEUに入りたいと思っている人たちは結構多いそうです。キプロスという、イスラエルの対岸の島は、すでに欧州連合に入っています。

 このような動きを目にする時、イエス様が再び帰られる直前に生きていることが、わかります。私たちが生きている時代がどういう時代であるのかを、しっかりと意識し、日々を歩んでいくことが重要ではないでしょうか。
 イエス様が帰られるその日に、すべての支配、主権、力のすべて一掃され、国は神の手に戻るのです。これがパウロが告げた霊的戦いの勝利の瞬間です。

 私たちが日々、「マラナタ!イエス様帰って来てください!」と祈り続けることが、現代を生きるクリスチャンにとって重要な祈りと使命であると信じます。

 この教会は「リバイバルのために祈りなさい!」と主から使命を受け取りました。特に、一九九二年に聖霊様が訪れてくださってから、ずっとリバイバルのために祈っています。

 リバイバルってどうしたら起こるのでしょうか。先週も少しお話ししましたが、大正と昭和の時代に、日本にリバイバルが起きました。それはホーリネスという群れの中にリバイバルが起きました。彼らはどうしてリバイバルを体験したのかというと、世界が平和になるためには、イエス様が帰って来られるしか方法がないことを聖霊様によって教えられたのです。
 それで彼らは、主が帰って来られる日を待望し、祈祷会を始めたのです。
「主よ、帰って来てください。早く帰って来てください!」と祈っているただ中に、聖霊がくだり、リバイバルが起こったのです。千五百人くらいの群れが、十年間で一万人くらいに増えたというのです。彼らはリバイバルを祈っていたというよりも、再臨にフォーカスを当てて、祈っている中でリバイバルを体験したのです。
 私たちも同じではないでしょうか。主が帰られる日が間近であることを知り、「マラナタ。主よ、来てください!」と真剣に祈るただ中に聖霊を注ぎ、力を与え、終わりの日の宣教のために遣わしてくださると信じます。そして一人一人の抱えている問題さえも、聖霊の激しい油注ぎの中で、打ち破られていくということではないかと思います。

 私たちが過ごしている時代をよく理解し、ゴールを目指して日々、マラナタと宣言しましょう!最後に、先週も読みましたが、黙示録二十二章十七節のみ言葉を読みます。

『御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。』

「花嫁」とは、教会を意味します。聖霊の促しによって、教会が「来てください。イエス様帰って来てください。マラナタ!」と祈る時、いのちの水が人々に分け与えられるリバイバルが起こると信じます。
 この時代に生かされていることを心から感謝して、イエス様が帰って来る日が早められるように、祈り続けたいと思います。
「マラナタ。主よ、来てください!」と今日も祈りながら、聖餐式を持ちたいと思います。一言祈ります。

 ハレルヤ。今、私たちは歴史的な時代の中に生かされていることを心から感謝します。時代を任されていることに、心から感謝します。主よ、この時代に成さなければならない働きを教えてください。日々の生活のただ中で時代を知り、主の帰りを心から祈る者とさせてください。今日も私たちはこの聖餐式をもって「イエス様、帰って来てください」という心からの思いをあなたの前に表します。
主よ、私たちの生きているただ中で、再臨を体験することができますように。
イエス・キリストの御名によって、この聖餐式を祝福して祈ります。アーメン。