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『世に勝つ者』

2014年2月9日 (日)
新城教会牧師 滝元明

ヨハネの手紙第一 5章5節

『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』


ヨハネの福音書 16章33節

『わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。』

 ハレルヤ!みなさん、おはようございます。今朝はこうして、ひさしぶりにメッセージができることを、感謝しております。私も皆様方のお祈りに支えられ、今日までとにかく守られていますことを感謝します。
 昨日は雪だったので、今日はみなさんが来れるか心配しましたが、良い天気になって礼拝を一緒に守れることを心から感謝いたします。

 今年はすばらしいことを、イエス様がしてくださることを期待しておりますけれど、この二月は期待の月ですね。二月十三日、県民の森で聖霊が注がれたということで、今週の木曜日には、その場所で祈祷会があるということですから、お時間のある方は、夜ですけれども、一緒に行きましょう。
 また二月十三日というのは、私にとっても大きな記念日です。なぜかというと、私が十九歳の時、東京で初めて教会に行った日が、一九四九年二月十三日だからです。ですから、私にとっても非常に感謝な日です。
 ちょうどその頃、私は夜学に通っていて、一人の友達が「君の顔は牧師に似合いそうな顔をしている」と言われたことがきっかけで、興味を持って教会に行ったのが、二月十三日でした。そして、イエス様を信じたのが、二月二十日です。十九歳で信じてバプテスマを受け、今年で六十五年という長い年月になります。今日まで来れたことを、本当に感謝します。神様の恵みに感謝します。

 また、二月十五日は私の家内の誕生日です。今年で九十一歳になりました。結婚して六十四年間、一緒に生活ができたことも、主に感謝をしたいと思います。

 今年、私は、一月十二日、十三日、十四日と、九州に行きリバイバル聖会を持ちました。

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 これが聖会で一緒に撮った写真です。「天下にイエス・キリスト以外に救いはない!」という標語で、一九七二年に、田中先生と一緒に日本リバイバルクルセードを始めたわけですが、それ以来、ずっと続いていまして、九州リバイバル聖会は、今年で三十三年目です。一年だけ地震で休みましたが、三十三年間続いて、一度も休まないで行くことができて感謝でした。
 感謝なことに、この歳になっても一人で飛行機に乗って九州に行って集会して、一人で帰って来れたことを考えると感謝です。
 三十三年も続いていると、非常に感謝なことは、三十三年前にまだ高校生だった人たちが、献身して、牧師になって今は司会したり、賛美したりしている姿を見ると非常に嬉しいです。「いや~、この集会で多くの人が成長した」と心から感謝ですね。

 また、一つおもしろい写真を見せたいと思います。

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 これは、杉浦兄弟姉妹が持っていたそうですが、みなさん分かりますか?グロリアシンガースです。グロリアシンガースが文化会館でコンサートを行った時の写真です。おもしろいですね。今、順牧師も主任牧師で、望もSIRのとりなしとか、開も歌ったりしていますが、彼らも成長しました。
 非常に感謝なことは、新城教会でメッセージする牧師たちは七人くらいいますが、主がみんな成長させてくださったと考える時、本当に感謝です。

 十四日に九州から帰って来まして、十五日は静岡に行きました。静岡に行ったのは何かというと、この教会で救われ、献身をして、静岡に伝道に出られた見城良雄という先生が、九十六歳で危篤だということで行きました。
 見城先生は奥さんが先に救われましたが、当時は製材所をやっていました。奥さんが救われてから、五、六年はすごく迫害した人で、狼のような人でしたが、断食して祈ったら四十歳で救われました。
 彼は五十八歳で、「自分の郷里が静岡だから、自分の郷里に福音を伝えよう」と伝道に出ました。六畳の部屋を借りて集会を始め、祈る場所もないから、毎朝、阿部川に行って一生懸命祈って、三ヶ月くらいで二十人くらい集まりました。すばらしい働きをしましたが、奥さんは六十八歳で亡くなりました。
けれども前立腺ガンで入院し、医者が「もう駄目です」ということで、「自分のうちで天に行くことができるように」ということで、子どもたちが教会に引き取ったわけです。

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私はそこに会いに行きました。喜んでくれました。いろんな過去がありましたが、私が行ったら、「滝元兄弟!ひさしぶり!」と喜んでくれました。それから私が見城さんのために祈りました。祈った後で、ふと考えて、この方は九十六歳で、先輩ですから、「僕のために祝福を祈ってくれ」と言ったら祈ってくれました。頭に手を置いて祈り、私の顔をなでながら「主を感謝します」と、赤ちゃんでも触るみたいに祈ってくれました。
 そうしましたら娘さんが言いました。「最後に会うべき人が来てくれて、これで安心して天国に行ける」と言いました。本当に、良い和解もできて、この方を見送ることができたことは、神様の恵みだと思って感謝しています。
 見城さんの家には、十二人の子どもが生まれました。今、子どもたちはみんな立派に牧師になったり、クリスチャンホームを作っています。見城さんの一家のためにも覚えて祈っていただければ幸いです。

 こうして集会をさせていただいたのですが、聖書の中に、こういう言葉があります。詩篇九十二篇十四節、

『彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。』

 それからイザヤ書四十六節四節、

『あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。』

 実は私も今年の九月で八十五歳になるのですけれど、八十五歳って、みなさん、若いか、歳を取ったか、どっちでしょうか。一般から言ったら若くはないと思うけれど、自分の感覚の中には、歳を取ったという感覚がないのです。ちょっと変かもしれませんが、それでも今日まで健康が支えられて、ここまで来れたことを感謝します。しかしこれは単に、イエス様の恵みで来られたと思っています。

 年老いてもなおとありますが、「なお」ということは、「さらに」とか「その上に」という意味です。年老いても、さらに、その上に、実を結び、みずみずしく、おい茂ると約束されています。ですから、晩年になっても、みずみずしく、生い茂って行きましょう。
 それから、「年老いても、しらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。」
なお、運ぼうですから、今年も、いのちのある限り、イエス様のために働きたいと願っています。みなさんも覚えて、私のために祈ってください。

 私のスケジュールがここにありますが、これは三月です。

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 こういう所に行きます。また、四月には、韓国でミニストリーを十日間予定しています。みなさん是非祈ってください。海外の伝道というのは、やはり犠牲が要ります。去年の十一月にハワイで集会をしましたが、すごく費用がかかりました。韓国にティム・ケプラーとロン・ブラウンさんが十日間行く予定ですから、覚えてお祈りしてくだされば感謝です。

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 六月はこの近くでやります。十八日に、「六十四年記念コンサート」を津具村でやることにしました。
私と家内は一九五〇年六月十七日に東京で結婚しました。そして、十八日に津具に入りました。それが元で、今日まで来ているわけですから、津具でやって、豊根でもやりたいと思っています。
それから、豊橋だとか、十四日は岩木姉妹の加子母村で、二十一日は大石姉妹の家でホームコンサートをするので、覚えて祈ってください。費用もかかると思いますから、岩木姉妹や大石姉妹のためにも援助してあげてくださいね。

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 七月はこういうスケジュールになっております。

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 十月は九州ですが、「なおも」ということでやることにしています。また、ロンさんのために覚えてお祈りください。ロンさんは、ちょっと記憶が薄れたりすることもあります。でも、日本を愛しておられるすばらしい方です。
 私は一年間に六十日くらい、ロンさんの演奏を聴きますが、飽きたことがありません。毎回感動します。なぜかというと、あの人たちはリハーサルも真剣にやるし、本当に日本を愛しているから、なおも日本のために用いられるように祈ってください。
 また、今月はタイでのミッションがありますが、タイのためにお祈りしてくださり、行けない方は援助してあげてください。すばらしい集会になると思います。ティム・ケプラーが行くことになっています。

 今日は「世に勝つ者」というテーマで、みなさんと一緒に聖書を学んでいきたいと思います。第一ヨハネ五章五節を、一緒に読んでみましょう。

『世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。』

 すばらしいですね。世に勝つ。この世は悪しき者に属しているとありますが、アダムとエバが堕落したことにより、サタンの支配下におかれ暗闇ですが、暗闇の力、サタンの力に対して勝つ者はだれでしょう。それは、イエスを神の御子と信じる者ではありませんか、難しいことではありませんね。これからがんばりましょう!ということではなくて、ただイエス・キリストを神の御子と信じる者です。

 それから、もう一つ、ヨハネの福音書十六章三十三節に、こう書いてあります。

『わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。』

 キリスト教の歴史は、平安無事ばかりではありません。患難もあります。迫害もありました。いろいろありますが、世にあっては患難もありますが、すでにわたしは世に勝ったと。

 実は、昨日からロシアのソチでオリンピックが始まりました。開会式見ましたか?夜中の二時ですから、見た人はあまりいないかと思いますが、私は見ました。なぜ見たかというと、夜中の二時頃に家内が「眠れない」と言うのです。普通はよく寝るのですが、眠れんと言うので、「そうか。じゃぁ、祈ろう」ということで、起きて祈りました。祈ってから、テレビをつけたら、ちょうど開会式でしたので見ましたが、すばらしい開会式でした。
 ソチでオリンピックが開かれるということは、非常に感謝なことですね。あの中でいろいろやっていましたが、歴史について出ていました。その中に、レーニン時代のことも演出されていました。レーニンによって、いわゆる共産革命が起きたのがいつかというと、一九一七年です。それから、ソビエト連邦が出来ました。あの国は「神はいない」と言いました。共産主義の根本は、神を否定するのです。「人間の力で何でもできるんだ!」と考えていましたけれど、一九九一年にソビエトは崩壊しました。
 七十四年間、共産主義が続いたあの国が崩壊したということは、誰が勝ったのか。「神はいない」ではなく、死人の中からよみがえってくださったイエス様が生きていらっしゃるからです。世に勝つ者は誰か。個人的にも、国家的にも、イエス様が勝たれたということですね。

 考えてみてください。日本も同じではないでしょうか。徳川時代に、キリスト教を徹底的に根絶やしにしようとしました。続けて明治時代から太平洋戦争まで、キリスト教を迫害したけれど、こうして礼拝ができるということは、世に勝つ者は誰ですか?イエスを神の子と信じる者ではありませんか。

 イエス様が、今から二千十四年前に、ユダヤのベツレヘムの馬小屋にお生まれになった。聖書によると、「処女によってみごもってお生まれになった。」ナザレの村で、大工の息子として、三十歳。それから三年六ヶ月くらい伝道して、ユダヤ全土を回ってすばらしい奇跡をなされた。最後はイエス様を十字架につけて殺した。

 問題は何かというと、なぜ殺したかというと、人々がイエス様が神であるということを認めなかったからです。イエスはキリストである。メシアである。救い主だ。イエス様はユダヤ人の前にこう言いました。『あなた方の先祖、アブラハムもわたしの日を見ようとして喜び楽しんでいる。』「五十歳にもならないのに、我らの先祖、アブラハムを見たことがあるのかい」と言ったら、『わたしはアブラハムより先からある』と言われました。アブラハムより先からあるということは、旧約時代に、モーセに神が現れた時に、「あなたの名前は何ですか?」『わたしはある。』イエス様はアブラハムより先からある。神と同一の方です。『父と我とは一つだ』とおっしゃいました。神様の子だったのです。
 だから、「神を冒涜した!十字架につけて殺せ!」しかし、イエス様は死人の中からよみがえられたのです。みなさん、死者の中からよみがえられたのは、この歴史を通してイエス様以外にないです。よみがえられた主は、今日も生きてらっしゃいます。
 私たちは、どんなに弱くても、イエス様が神の御子であると信じたら必ず勝つ。世にあっては患難があります。みなさんの中でいろいろと患難があったりするかもしれませんが、信じたら必ず勝つ。感謝ですね。

 私も感謝だなと思いますね。私と家内が結婚した時、いつも話しますが、私の親が「東京のばばあに騙された」と言ったけど、結婚して親の前に行って「清子でございます」と頭下げた時に、じろっと睨みつけられ、「ばばあ、うちの息子を騙したな」というような顔をしていました。それから実家の前の家に入った時、家内は気を失いました。ぱたっと倒れました。泣きました。「イエス様、早くここから出してください」と泣きましたが、出されませんでした。そこに一年二ヶ月住みました。
 それから、八橋マンガンに来て、またこちらに来て、感謝なことに、私の母親も八十二歳でクリスチャンになって、「明、おまえが一番親孝行してくれた。死ぬことが恐くなくなった。」と言いました。
 みなさん、これは誰かというと、私の力ではない。主イエス様が生きていらっしゃるからです。みなさん、イエスを神の御子と信じる者は必ず勝ちます!

 弱くても大丈夫です。オリンピックって、国の代表ですから、強い人が出ます。勝つか負けるか。しかし、私たちの人生は長いです。世に勝つか。世に負けるか。すばらしい成績、またすばらしい体力があっても、世の中に出て負ける人もいる。弱くてもイエス様を信じるだけで、世に勝つ者は誰か。イエスを神の子と信じる者ではないか。今日まで、「イエス様信じます!」と、六十何年かの間、イエス様がここまで勝利させてくださったことは感謝です。
 今、問題があっても、問題が問題じゃないのです。イエス様があったら必ず勝利することができます。ローマ人への手紙の八章三十一節~三十七節、

『では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。』

 「イエス様は神様の子」と言ったら、神様が味方になる。『だれが私たちに敵対できるでしょう。』どんなことが起きても、イエス様がいらっしゃる。味方であるから大丈夫ですよ。その次に、三十二節、

『私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。』

 訴える者は悪魔ですね。三十四節~三十五節、

『罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。』

 こう書いています。三十七節、

『しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。』

 イエス様と一緒にいたら大丈夫。イエス様から離れたら勝てない。難しくないでしょう。子どもでも、「イエス様を信じます!イエス様を神の子と信じます!」
イエス様を神様の子として信じますか?信じますか?信じますね。

 聖書を見ると、マルコの福音書の中で、『神の子、イエス・キリストの福音の初め』と書いています。ルカの中には、天の使いがマリアに会う時に、『いと高き方、神の子が生まれる』と、「いと高き方のこども」と表現しています。

 それから、ヨハネの福音書一章一節~三節には、

『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。』

 『初めに、ことば』ということは、イエス・キリストがいらっしゃったのです。イエス様が天に帰る前に、「父よ、世の初めからあなたと一緒にもった栄光で輝かせてください。」と言われました。三位一体の神様ですから、イエス様は神様です。神様の御子。この地上に来た時に、限定された御子として来られ、私のために十字架につけられたけど、死人の中からよみがえってくださった。
 聖書は、『初めに、ことばがあった』ということは、初めにイエス・キリストがいらっしゃった。『ことばは神とともにあった。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。』ということは、目に見えるもの、見えないもの、全部イエス・キリストが造られた。その神が人となって、この地上に救いに来てくださって、悪魔の力を打ち破って、十字架にかけられたけど、よみがえられた。このイエス様を信じたら、私たちは勝利することが出来るのです。

 またローマ人への一章の中には、こういう書き出しになっています。ローマ人への手紙一章二節~四節、

『この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。』

 イエス様が十字架につけられてよみがえったということで、公に神の子として認められたのです。私たちの神様は生きています。今少しくらい問題があるかもしれませんが、問題を気にしないで、「私はイエス様は神だと信じます」、神様を信じなければいけない。

 イスラムだったらアラーの神。イエス様を信じない、いろんな宗派があります。キリスト教と言っても、「イエスを神の子と信じない。神は信じます。天と地を創造した神様がいらっしゃることは信じるけれど、あの十字架につけられた大工のせがれが神の子とは信じられません。」では駄目です。

 イエス様はこうおっしゃっています。「わたしは道であり、真理であり、いのちです。誰でもわたしの他に父のもとに行くことはできない。」
 イエス様は神の子です。それを信じたら、私たちは勝利することができると約束していますから、信じましょう。コロサイ書一章十五節~十七節、

『御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。』

と書いてありますが、どんなにイエス様に敵対して、反対してみても勝てません。イエス様は勝利者です。ですから、弱いようだけども、やがてイエス様が来られて復活することができる。すごいことじゃないですか。イエス様が万物の支配者であることを信仰もって行きましょう。

 この「世に勝つ者はだれか」と書いてありますが、ヨハネの福音書八章三十一節~三十四節で、イエス様は言われました。

『そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」彼らはイエスに答えた。「私たちはアブラハムの子孫であって、決してだれの奴隷になったこともありません。あなたはどうして、『あなたがたは自由になる』と言われるのですか。」イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行っている者はみな、罪の奴隷です。』

 世に勝つことができるとは、罪の奴隷から解放されて自由になる。すごいことですね。

 去年も九州に行きましたが、電車に乗っている時、目の前にニュースが出ました。その時、かつて金メダルを取った人がセクハラで逮捕された、と出ていました。知っている人もいるでしょう。世界の頂点に立って金メダルを取った方が、気の毒なことに、教えていた娘たちにセクハラをした。ばれた。逮捕された。結局、負けたのです。
 テトス書の中に書いてある言葉には、テトス書三章三節、

『私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。』

と書いてありますが、私も考えます。もし、イエス様がなかったらどうなったか。イエス様を信じて良かった。十九歳。若い時に、クリスチャンになれたことはすばらしいことです。

 今、オリンピックに出ている方で、特に十代で出ている人たち、時々祈ってあげます。全部の選手のために祈らないけど、十七歳で、ジャンプのさらちゃんという子。「さらちゃん、守ってあげてください」とか。昨日も十七歳の子がやっていましたが、ああいう子たちのためにお祈りしますが、祈ってあげることは大切なことです。若い時にイエス様を信じることはすばらしいですね。
私は十九歳の時にイエス様を信じました。二月二十日の日に、「どうですか?イエス様を心の中に受け入れませんか?」『はい、信じます』と受け入れたのです。

 そしてイエス様を信じてまだ一ヶ月も経たない時に、友達から電話がかかってきました。彼は私と同じ田口の学校を出たのですが、彼が東京に来ました。彼は夜学に入って、昼間は墨田区の区役所で働いていました。「おい、滝元君。田口で教えてもらった青山先生が結婚して、東京に出て来たから、遊びに来いと言われたから行かないか?」私はイエス様を信じて一ヶ月も経たないくらいの時です。「行こう!」と行きました。
 後に、彼は墨田区の区長になりましたが、彼と一緒に青山先生の所に行きました。結婚早々で、新婚の家庭で、すごく喜んでくださいました。
「滝元君、よく来た!今日は楽しもうじゃないか!」そして何を出してくれたかというと、ウイスキーだとか、ごちそうをいっぱい出してくれました。
 私は救われてまだ一ヶ月も経っていなかったから、迷いました。ウイスキー飲んでいいかな。悪いかな。その時に戦いました。一ヶ月しか経っていないから、聖書はまだよく分からない。聖書は何て書いてあるかな。その時にふと思い出しました。「酒に酔うな」という言葉を思い出しました。
「あっ!酔ってはいけない。お祈りしよう。」お祈りしました。「イエス様、これから飲みますけど、酔わないようにお願いします。」と祈りました。
 それで、「奥さん!一緒に飲みましょう。」と言ったら、奥さんが「私、クリスチャンです。だから飲みません」と言うのです。『え?僕もクリスチャンになったんですよ。でも聖書には酔うなと書いてあるじゃないですか。酔わなきゃいいと思いますよ』と言うと、「あら、そうですか」と、奥さんも飲んで真っ赤になりました。私は自分では分からないけど、たくさん飲んだけど酔わなかったと思うのです。祈りが聞かれたなと思いました。
 そして、その次の日、日曜日に友達と一緒に教会に行こうと思って、道を歩いていたら、横断歩道を赤信号で渡って警察官に捕まって、教会に行けなくなりました。それで、私は夜の集会に行って話そうかと思いました。「何か祈りが聞かれたことがありますか?」『はい。飲んだけど酔いませんでした。』と言おうと思ったけど、なんとなく心が責められて言わなかったのです。

 その時に、特に私を導いた先生は酒に対しては厳しかったのです。「酒に酔うな。飲むな。一杯飲むのも二杯も同じことだ!」そうか。飲んじゃいけないのか。あれ限りで酒をやめました。
 私はクリスチャンになってよかったことは、この六十四年間の間、酒を飲まなかったことが、今日の健康だと思います。みなさん酒に酔うと、交通事故が多いでしょ。だいたい自殺する人の三割くらいの人は酒をよく飲む人だといいますから、酒は悪魔の毒薬です。

 たばこも飲まない。たばこは害はあっても、一つもいいことないでしょ。イエス様を信じたら、世に勝つ者です。
 私が昔タクシーに乗せてもらったら、「教会まで連れて行ってください。」と言って、運転手さんに「どうですか?イエス様信じませんか?」と話をしました。すると彼がこう言うのです。『まぁね、信仰する人なんて弱い人ですよ。弱い人のすることですからね』と言うのです。彼はたばこを吸いながら言いました。
 私はこう言いました。「あぁ、そうですか。たばこをやめたいと思うことはありませんか?」と聞くと『いや、やめたいと思っても、なかなかやめられないんです。』「一本のたばこをやめられないなんて、なんて弱い人ですか。」『それはそうですけど…』と言っていました。

 世に勝つ者はだれか。罪から救われるということは、最高です。若い人たちも、これからしっかり、生涯、酒もたばこも飲まない、ばくちもしないと決めていくことです。世に勝つ者はだれかと書いてありますから、私たちも勝利の生活をすることができるわけです。

また、こういうことが書いてあります。ヘブル書二章十四節~十五節、

『そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。』

 みなさん、一番すばらしいことは何でしょう。イエス様が十字架の上にかけられて、死の力を打ち破ってよみがえられた。死から解放してくださる。私たちもいつ何時、どうなるか分かりませんが、いつどうなっても天国に行くことができる。希望があることは世に勝ったということです。
 やがて、最終的にイエス様が再臨される時に、イエス様は王の王となって、千年王国ができる。みなさん、その時に私たちは復活することができる。最高の勝利者になることができるのがクリスチャンです。難しいことではない。イエス様を信じます。愛します。イエスを神の子と信じる者。世に勝つ者はだれですか?イエスを神の子と信じる者です。みなさん、信じますか?信じましょう。勝利者です。
 誰がどう言っても、どんなに問題があっても、心配せんでもいい。最後は必ずイエス様が勝利させてくださいます。この日本の国においても、イエス様が必ず勝利を取ってくださることを信じましょう。ということで、心から感謝して、一言、お祈りしましょう。

 みなさんの中で、世に勝つ者はだれか?「私はまだ世に勝てない」という人がいたら、一緒にお祈りしましょう。目を閉じてください。今、悩みがあるという人はちょっと手をあげてください。それから、悪い習慣から抜けられない。たばこも飲みます、酒も飲みます、そんな人いますか?
 みなさん、今日は勝つんですよ。死ぬことが恐い方、人が許せない方、妬みを取れない方。今日は許しましょう。では、一緒に祈りましょう。世に勝つ者はだれですか。イエスを神の子と信じる者ではないですか。信じます!難しいことは言わないで、「イエス様を信じます。勝たせてください。自分の力ではできません。イエス様を信じます。」一言、みなさん、一緒にお祈りしましょう。
 今、手をあげた方のために今、私がお祈りします。手をあげた方、胸の上に手をおいてください。お祈りしますよ。病気の方も悪い所に手をおいてください。お祈りします。

 愛する天の父なる神様。今、感謝します。御子、イエス・キリスト様を私たちの救い主として信じています。イエス様が私のためにこの地上に来られ、罪のあがないのために十字架の上に死んで、よみがえってくださったことを感謝します。
 あなたは死者の中からよみがえられた神であることを信じます。「二、三人、わたしの名によって集まる所にわたしもそこの中にいる」とおっしゃいましたから、今、どうか主よ、手をあげた方、胸の上に手をおいている方のために、触れてくださって、今日から勝利者になりますように。今、苦しめている悪しき力を、ナザレのイエス・キリストのイエス様によって打ち砕きます!サタンよ、しりぞけ!弱い者を強くさせてください。イエス様によって勝利させてください。病気の者は癒やされますように、お願いいたします。
 これから悪い習慣の人も断ち切ります。祝福された人生を送ることができるように、お助けください。お願いします。イエス様の御名によってお願いします。
 イエス様、これから聖餐にあずかります。どうか主よ、これからの聖餐式、あなたご自身がこの地上に来られて、渡される夜、パンを取って、裂いて、「これはあなた方のための、わたしのからだだ」とおっしゃいましたように、どうか主よ、あなたの御からだをいただきます。どうか、弱い体を強めてください。
 また、杯をとって、「これはあなたのために流す契約の血だ」とおっしゃいました。今日、失敗したすべての罪を十字架の血潮で聖めてくださるように、よみがえりの力で勝利させてくださるようにお願いいたします。
 これからの聖餐の時を特別祝福してくださるように、イエス様の御名によってお祈りします。アーメン。