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『信仰によって未来を勝ち取る』

2014年3月9日 (日)
新城教会牧師 岡本信弘

へブル人への手紙11章33節〜34節

『彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行ない、約束のものを得、ししの口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。』

ハレルヤ! 主の御名を心から賛美します。

皆さんにお祈りいただき、二月二十一~二十三日に行われたタイのリバイバルミッションが祝福されたことを心から感謝いたします。私も参加して、とても恵まれました。
ミッションの集会は三日間でしたが、移動距離が長いこともあり、ツアーでは集会の終わった次の日の夜にタイを出発することになっていたので、一日観光に出かけることになっていました。私は観光というのが苦手なのですが、今回は、皆さんと一緒に、初めてのことにも挑戦しました。それは、象に乗るという体験でした。「タイに行ったら、やっぱり象に乗らなくちゃ!」とある人に言われ、最初で最後だと思って乗りました。写真があります。

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私と里田登君です。何人かの方も乗っておられましたが、みなさん楽しそうでした。ここは、象の村という所なのですが、象が様々な芸を披露している中に、絵を描くというパフォーマンスがありました。これがその時の様子です。

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鼻に筆を持って絵を描きます。そして、出来上がった絵がこれです。

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どうですか。象が描いたとはとても思えませんよね。「いや〜、私よりもうまいなぁ」と思いました。この時は、四頭がそれぞれ違う絵を描いていましたが、待合室には、八頭が協力して描いたという縦二・四メートル、横十二メートルの巨大な水彩画がありました。それは、ギネスブックにも登録されているそうです。どうやって調教したのかと思います。
このように、みなさんと楽しい時を過ごすことができました。

さて、二〇一四年もすでに二ヵ月以上が過ぎ、少しずつ春らしくなってきました。あっという間に過ぎていくものだと思いつつ、時を大切にしなければと思わされます。
そのためにも、順先生が、この年のために牧師たちに与えられた御言葉を、日々それを読み、祈っておられるということを聞いて、私も見習って、事あるごとに御言葉を開き、祈るように心がけています。そして、
 
『まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。』(テモテ第一の手紙六章十九節)

昨年末のカウントダウンで、神様がこの年のために私に与えてくださったこの御言葉を、いつも心に留めています。
当然ですが、時代は移り変わっていきます。過去があって現在があり、未来へと続いていきます。みなさんも、過去を振り返ると苦しいこと、悲しいことがあり、また失敗もしてこられたでしょう。私はそんなに苦しいことはありませんでしたが、たくさんの失敗をしたことを思い出します。しかし、そのような失敗や体験が、今に生かされているということを感じます。そして、この場所に集い、神様をほめたたえていること、天国へ行く望みがあることは何にも変えがたい恵みであると、皆さんも感じておられると思いますが、私たちがさらに恵まれ、さらに祝福をいただくためには、これからも戦いが続くことも覚悟しておいていただきたいと思います。

新城教会が始まって六十数年がたちました。ここにいらっしゃる方の中で、私はすでに古株になってきました。
因習が深く、祭りや偶像礼拝が盛んに行われていた中で伝道が始められ、初期の信徒の方たちが堅く信仰に立ち、いろいろな戦いがあったことを私たちは聞いています。その信仰が受け継がれ、一人一人の伝道と献げものによって、三十四年前にこの会堂が建てられ、そして二十二年前に、隣の教育館が建てられました。私たちは、冬は暖かく、夏は涼しく過ごすことができます。多くの方の犠牲と献身があってこの場所があるということを忘れてはならないと思います。
この会堂は、一九八〇年八月に献堂式が行われました。その年のことをよく覚えています。というのは、その一ヶ月前に、私は家内とここで結婚式を挙げたからです。婚約してから一年半、会堂ができるのを待っていたのですから、私も忍耐がありましたね(笑)。あれからもう三十四年もたったのかと思いますが、今も仲良く結婚生活が守られていることも感謝したいと思います。

クリスチャンにとって最も重要なことのひとつは、信仰です。「信仰によって未来を勝ち取る」と、今日のタイトルにも掲げましたが、信仰は、私たちクリスチャンにとっては、切っても切り離せないものです。

『信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。』
(へブル書十一章一節)

ある人は、「見ていないものを、どうやって信じろというのか!」と言われますが、見た時点で、それは信仰ではありません。世の人からすれば馬鹿げたように思えるかもしれませんが、神様に頼り、まだ見てはいないことを、人にはできないことであっても神さまには必ずできる、と信じるからこそ信仰といえるわけです。そして、一人一人のその信仰によって、未来が開かれていくことも確かなことです。
種を蒔く時には、だれもが多くの収穫を期待します。しかし、種を蒔いたばかりの時は、種が土の中に埋もれていて目に見えませんし、すぐに芽が出てくるわけではないので、本当に芽が出るだろうか、良い実を実らせることができるだろうか、と不安になることがあるでしょう。
一九九三年に全日本甲子園ミッションがありました。その時は、まさにそのような先の見えない、本当に収穫が得られるのだろうかといった不安だらけの手探りの状態で、働きをスタートしました。
その二年ほど前から甲子園球場のすぐ近くに事務所を構え、準備を始めたある日、打ち合わせのために甲子園球場に入り、広い球場を見渡しました。その時、どのくらいの人が集まるだろうか、大会は成功するだろうかと心配になりました。 
もちろん多くの祈りが捧げられ、北海道から沖縄、日本各地から、「私は何人の人を連れて行きますよ」「教会員と一緒にバスで行きますよ」と励ましをいただきました。私は計算が早いこともあって、「あそこから何人来る」「あそこから何人来る」との連絡を受けるたびに人数を数えていましたが、どんなに積み上げても「万」という数字は出てきませんでした。二十年前、まだ若造だった私は財務運営を任されていましたから、人が集まらなかったらどうなるのだろうかと、とてつもないプレッシャーを感じる毎日でした。
心配し、祈ってくださる方が大勢いらっしゃる一方で、多くの反対もありました。絶対に成功しないと断言した人までいました。しかし、私たちはそのプレッシャーの中でも、信仰をもって前進し続けました。その時に与えられたテーマの御言葉が、エレミヤ書十章十三節です。

『主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される。』

この御言葉どおり、主が声を出してくださり、大いなることをなしてくださいました。主ご自身が働いてくださったことにより、この大会には延べ十二万以上の人たちが集まり多くの方が救われ、癒しと解放が起こされた素晴らしい集会となりました。人々が救いの決心をし、十字架の舞台にぞくぞくと進み出ていく光景を見た時、私は感動して涙が溢れてきました。それはまさに、信仰によって未来を勝ち取った出来事の一つといえるのではないでしょうか。

カウントダウンの際、私はヨセフの人生についてもお話ししました。ヨセフは波瀾万丈の人生を送った人でした。奴隷として売られ、偽りによって牢に入れられ、とても幸せだとは言えない人生でした。しかし、忠実に神様に信頼し続け、信仰をもって歩んだゆえに祝福され、神様の摂理の中でエジプトの総理大臣となり、自分が祝福をいただくだけでなく、一族を救いに導いたことが聖書に記されています。

エステル記を見てみましょう。

『モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」』(エステル記 四章十三〜十四節)

有名な御言葉です。エステルのおじであるモルデカイは、ユダヤ人を根絶やしにしようとたくらんでいるハマンのことを知り、その解決を、同じユダヤ人でありながら王様の妃として王宮にいるエステルに託そうとしたのです。当時は、王妃であっても自由に王様に会うことはできない中で、彼女は自分の同胞であるユダヤ人や使用人に断食を依頼し、無謀と思える選択をして、死を覚悟の上で王の前に進み出たのです。そして、ハマンの悪事は明るみに出され、ユダヤ人が救われたことが記されています。彼女が意を決し、信仰をもって一歩踏み出した時に知恵が与えられ、事が動き、救いの扉が開かれたのです。
この御言葉のキーワードは、十四節の『あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない』です。彼女は何も知らず、ただ喜んで王宮に嫁いできたことでしょう。しかしこの時のために、ずっと前から神が彼女を選んで準備されていました。神様のご計画と信じ従うなら、素晴らしい結果が現されることが分かります。
最初にお読みしたヘブル書十一章三十四節の『火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました』の御言葉のとおり、エステルは弱い者でしたが、信仰により戦いの勇士となり、勝利を手にすることができたのです。

みなさんの中には、問題が山積し、なかなか解決しないと悩んでおられる方、また、長年、家族のために祈って伝道しているのに救われないと思っておられる方がいらっしゃるでしょう。見えるところでは何も変化がなく、動いていないように思われますが、しかし必ず答えは来ます。伝道者の書十一章一節に、

『あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。』

という、みなさんもよく知っている有名な御言葉があります。結果はすぐ現れないかもしれませんが、先ほど言ったように、蒔いた種は必ず芽を出し、必ず収穫の時が来ます。あの問題が、あの時の祈りが、今の祝福につながっていると分かる時が必ず来ると、私は信じています。

私は、牧師の働きと同時に、現在プレイズ出版の働きをさせていただいています。献身して数年後、教会の印刷物の担当になり六畳一間のプレハブ小屋の中で印刷することから始まったプレイズ出版の働きも、今年で二十三年になりました。甲子園ミッション当時には、リバイバルミッション関係の印刷物がプレイズ出版全体の九〇%以上を占めており、甲子園一色といった日々でした。ですから、甲子園が終わったらどうなるだろう。印刷の注文がなくなったらどうしよう…という不安がありました。しかし、みなさんの祈りにより、またプレイズ出版スタッフの献身的な働きにより、だんだんと全国各地の教会から、チラシやトラクトなど、多くの注文をいただけるようになり、働きが広がってきたことを心から感謝しています。
 しかし、印刷業界はこの不況とデジタル化の普及によるペーパーレスという厳しい状況にあります。そのような中で、新規事業の立ち上げを主に導かれています。
私の好きな御言葉のひとつに、コリント人への手紙第一 十章十三〜十五節があります。

『私たちは、限度を越えて誇りはしません。私たちがあなたがたのところまで行くのも、神が私たちに量って割り当ててくださった限度内で行くのです。私たちは、あなたがたのところまでは行かないのに無理に手を伸ばしているのではありません。事実、私たちは、キリストの福音を携えてあなたがたのところにまで行ったのです。私たちは、自分の限度を越えてほかの人の働きを誇ることはしません。ただ、あなたがたの信仰が成長し、あなたがたによって、私たちの領域内で私たちの働きが広げられることを望んでいます。』

人にはそれぞれに与えられた役割、神様から託された領域があります。私は時々、自分にどの領域が任せられているのかということを考えます。また、その任せられた範囲をすべて使っているのだろうか、自分の領域の中で働きが拡げられていくために、何をすべきだろうかと考えさせられ、祈らされる時があります。
その中で与えられたビジョンのひとつが、老人ホームとデイサービスです。偶像行事とかかわることなく過ごせる場所、安心して老後を楽しめる場所をつくりたいという思いを以前から持っていました。クリスチャンスタッフによるケアと、霊的に支えることのできる場所を作るために、祈りつつ準備を進めています。
すでに皆さんには概要をお知らせしてありますが、先日、県外からも問い合わせがありました。その方は「自分の住んでいる近くにも老人ホームはあるけれど、行ってみると玄関に仏像が置いてあり、宗教行事が絡んでくる施設がほとんどなので、老後を神様と共に歩む、そんな場所で過ごしたい」と熱く語っておられました。
これから建てようとしている老人ホームをお見せします。これは絵ですから、こんな感じのものが建つのか、とイメージしていただければと思います。

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 そしてもうひとつは、同じ敷地内の駐車場を挟んで建てようとしているレストランです。教会が地域を勝ち取るために、食文化を勝ち取ることも重要なポイントではないでしょうか。
実は私はプレイズ出版を始めた早い段階から、将来、教会直営のレストランをつくりたいという願いをもって祈っていました。そこでは、ただ単に食事を提供するだけでなく、伝道会やライブコンサートなどが行えるスペースとしても利用できたらと願っています。
この写真は模型を撮ったものです。

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私がこの二つの事業をやると言った時、何人かの方から「先生、毎日毎日忙しいのに、なぜ新しいことをやるのですか」と言われました。もちろん一人ではできません。ですから、これからどうやって形にしたらいいのだろうか、人材も与えられるようにと祈っている時、朏智之君夫妻がこの働きを共に担ってくださることになったのです。そのほかにも、手助けをしてくださる方も起こされていることを心から感謝します。
現在、土地はすでに購入し、様々な申請のために準備をしている状況です。来春にはオープンしたいと願っています。なにぶん多くの資金が必要です。「どのくらいかかるんですか?」と聞かれ、「これだけかかる」と金額を言うと、「そんな金どこにあるんですか。先生はよっぽど金持ちなんですね」と言われたりしますが、お金はもちろんありません。しかし、神様の御心の働きならば、神様が与えてくださると信じています。
経験のない者ですので、いろいろな知恵も必要です。そしてこれからが信仰が試されている時だと思っていますが、信仰をもって踏み出す時に、必ず主が導いてくださるという信仰をもって進んでいきますので、是非お祈りに加えていただければと思います。

さて、最初に少しご報告したタイミッションの証しをさせていただきます。
ハワイ、韓国、台湾で行ってきて、次のミッション開催地をどこにすべきだろうかと、リバイバルミッションでは一昨年からいくつかの国の候補を挙げて祈っていました。その中で、タイのチェンマイでの開催が導かれ、その交渉のために、本大会前に二度、今まで行ったことのない国、タイへ行きました。
初めて行った時は、ほとんど知り合いもいないこの地で、本当にミッションができるのかと不安がありました。しかしそんな中でも、私たちが信仰によって一歩踏み出した時に、神様は必要な人材を備えてくださり、開催場所も与えてくださいました。
今回は、チェンマイ市内と山岳地方のホートとメートムの三ヵ所で行われました。それぞれ五百名くらいの会衆が集まり、大変恵まれた集会となりました。日本からは、スタッフを含めて五十名ほどの人が参加しましたが、だれも健康を害することなく守られたことを感謝します。
日本から行った方たちの写真をお見せします。神学生の方々やツアーで行った方々、三十数名の写真です。このような方々が一緒に行って、とりなしをしてくださり、支えてくださったことを心から感謝します。

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経済的には、直前になって「タイでは、席上献金の習慣がないから、献金はできない」と言われ、財務を受け持つ私としては、どこからお金を捻出しようかと祈っていましたが、実際には、ツアーに参加してくださった人たち、また全国のクリスチャンの方々が献げてくださり、ほとんどが満たされたことを心から感謝します。

日曜日の礼拝は、チェンマイ市内から車で四時間ほど山奥に入った山岳民族の住むメートムという村で行われました。私はそこに行く間、家もなく何もないような光景を見て、「こんな所に人がいるのだろうか、人は集まってくるのだろうか」と思っていました。明先生が育った津具みたいな所でした。ここに住む人たちは時計を持っていないのです。明るくなったら起き上がり、暗くなったら寝るという生活です。

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これは私が教会の入り口から撮った写真ですが、遠くから近くから、何キロも歩いてこの教会にゾロゾロと、列をなすように教会に向かって集ってくる人々の姿を目の当たりにし、すごく感動しました。
子どもたちにも出会いましたが、みな、すごくいい顔をしていました。それを見て、私もすごく恵まれました。

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子どもたちと一緒に撮った写真です。「この子たちは貧しい生活をしているのだろうな」と感じましたが、とても生き生きしていて、顔が輝いていました。それを見て、貧しさと幸せは違うんだなと、あらためて思わされました。

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これはカレン族の一歳くらいの赤ちゃんです。私を見てニコニコ笑ったので、抱き上げたところを一緒に撮ってもらいました。私はどこに行っても、赤ちゃんには好かれます。ある人に「先生は声も大きいし、恐く見える」と言われたことがありますが、それは大きな誤解ですので(笑)、覚えておいてください。

前の二日間はタイ語が通じましたので、ドリアさんが日本語から英語に、ナロン先生が英語からタイ語に通訳してくれて、素晴らしい連携のもとメッセージが伝わっていきました。
最後の集会は、カレン族の方が集まる教会の礼拝で、司会を平岡先生、メッセージを順先生と有賀先生が日本語で語ることになっていました。しかし、彼らはカレン語しか分かりませんし、タイ語も通じないということで、日本語から英語、英語からタイ語、タイ語からカレン語という四次元通訳する予定となっていました。
ところが集会が始まった時、先生方は三人とも英語で話し始め、三次元通訳となりました。私は「すごいな~この人たちは。頭がいいなぁ~」とあらためて感心させられました。
このカレン族の方々の中には、日本人に会ったのが初めてという方も多くおられたと思いますし、もちろん日本人のメッセージを聞くことは、初めてのことだったと思います。しかし、そこで交わりをした時、ここにも私たちの信じている同じ神様がおられるという霊的な一致を感じましたし、とても平安を感じるひとときでした。
そこでは、ミッションが経済的なサポートをして、教会の兄弟姉妹が調理してくださった昼食を共に食べ、お交わりをしました。後から聞いたのですが、「この日は特別な日」として、この食事のために豚を三頭ほふって料理し、もてなしをしてくださったということでした。
この食事の後、クリスチャンのお宅を四つのグループに分かれて訪問することになり、家庭集会のような時を過ごしました。これがそのお宅です。

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高床式の家を訪れたのは初めてで、とても興味深かったです。
私たちが訪問したその家庭は、クリスチャンになる前は大変貧乏だったそうです。しかし奥さんが救われ、続いてご主人が救われ、次々と問題が解決されていき、今では経済的にも豊かな生活ができるようになったと、とても喜んで話してくださいました。

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メートムの主任牧師先生が同じグループで行ってくださったのですが、その交わりの中で、先生からも素晴らしい証しを伺うことができました。
先生がここで十七年間伝道していると聞き、それにしては若い先生だと思い年齢を尋ねると、現在三十七歳ということでした。逆算したら二十歳から開拓したことになりますので、ちょうど明先生が東京から郷里に伝道に出られたのと同じくらいだなぁと思いながら聞いていました。
先生がこの村に一人で開拓に入った当初は、迫害され、魔術をかけられ、殺されそうになったことが何度もあり、いつ死んでもおかしくないというような状況だったそうです。そのようななかでも伝道を続け、救われる人が続々と起こされてくると、「なぜ教会に人がこんなに集まるんだ」と村の有力者たちが次々に先生のもとを訪れ、村から出ていくように強要したそうです。それまで、その村にはキリスト教を伝える人はだれもいなかったわけですから、きっと脅威に感じたのでしょう。最後には、「二十四時間以内にこの村から出て行かなければ、必ず死ぬことになる」と脅迫されられたそうですが、それでも出て行かずに戦っていった結果、さらに人々が救われてきたというのです。
初めは、プレハブ小屋のような小さな教会から始まり、二回の会堂建築をして今の大きな教会堂が与えられたと熱く語ってくださいました。これが会堂と、中の様子です。みんな喜んで、踊りながら賛美していました。

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詰めれば千人以上入ると思いますが、私はすぐに、「この立派な建物を建てるのに、いくらくらいかかったのかなぁ」と計算したくなりました(笑)。驚くことにこの教会は、先生自ら設計し、大きな重機などを何も使わないで、教会員だけで建てたそうです。

この先生の壮絶な戦いによる伝道の証しを伺い、自分は死を覚悟するような試練にあったこともなく、まだまだ甘いと感じさせられ、もっと頑張らねばと思わされました。そしてまた、かつて日本は武力をもって東南アジアを侵略・征服していきましたが、最初にお読みした『彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行ない、約束のものを得、ししの口をふさぎ』(へブル書十一章三十三節)のように、これからは、信仰による霊的祝福をもって、東南アジアに、各国に、世界に前進していく時代が来ていると感じています。今回のタイミッションは豊かに祝福されましたが、さらに救いが拡大するように、癒しや解放が進むように祈っていただければと思います。

未来を勝ち取るためにすべきこと。そのひとつは、信仰もって一歩踏み出すことだと、今回のタイのミッションにおいても教えられました。『火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。』(へブル書十一章三十四節)とあるように、信仰をもって歩むなら、弱い者でも強くされ、そして戦いの勇士となることができます。サタンの支配から神の支配へと、この国を勝ち取る働きを私たちは委ねられています。
聖書には、様々な信仰の勇者たちが信仰もって一歩踏み出したことによって、主の大いなる御業が現されたことがいくつも書かれています。へブル書十一章六節には、
 
『信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。』
とありますが、私たちが主に喜ばれる者となり神様の大きな恵みをいただくためには、たとえ弱さを覚えていたとしても、信仰をもって一歩を踏み出していくことが大切です。
明日を知っておられる主は、私たちを導き、そして必ず祝福してくださいます。私たちが信仰をもって一歩踏み出した時に、主は問題の解決を与え、そして『主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われる』という御言葉どおりに、まだ救われていない家族の救いを実現してくださいます。
ですから、今、みなさんの中で不信仰なところがあったら、それを主の前に悔い改め、お祈りしましょう。そしてもう一度、「主よ、私と共にいてください。弱い者ですけれども、主を信じます。主に従います。主に期待します。信仰をもって一歩踏み出します」と、祈りましょう。
いつもお話ししていますが、明日のことはだれにも分かりません。しかし私たちには、明日を知っておられる主が共におられます。これは、私たちクリスチャンに与えられた特権であり恵みです。主に信頼する者を、主は必ず祝福してくださいます。そのことを是非、忘れないでください。

お祈りします。