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『あなたは地球の管理人!パート2』

2014年4月13日 (日)
新城教会主任牧師 滝元順

創世記1章26〜28節

『神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」』

 ハレルヤ!おはようございます。今日も、みなさんと共に、主を礼拝できますことを感謝します。
 花粉が多い中、ここまで来るのが辛かった方もおられるかもしれません。先週から、花粉の質が変わったそうです。それはスギ花粉から、ヒノキ花粉に変わったそうです。変わった瞬間が分かった、という人もおりました。

 私は、何年か前に花粉症になりました。病院で検査してもらったら、「あなたは立派な花粉症です」と言われました。花粉症に立派も何もあるかと思いましたが、「ついになってしまったか・・・」と。一回、花粉症になったら、二度と治らないといわれましたから、ちょっとショックでした。
 でも絶対に花粉症に負けちゃいけないと思い、戦って祈らなくちゃいけないと思いました。花粉が飛んでくるのは、北側の雁峰山からです。それは黄色い嵐です。
 ある朝、祈りの時間に、祈りながら山の中に突進していきました。「主よ!いやしてください!」と、花粉の山で叫んで祈りました。そうしたら、治りました。今は鼻水が出ません。先日、ちょっと鼻水が出たのですが、家内が「出た~」と言いました。彼女は花粉症なので、仲間になったと言いました。でもそれはただの風邪でした。主は癒やし主です。花粉症の方、私も癒やされましたから、癒やされると信じてくださいね。

 次の日曜日は「復活祭」です。イエス様が死を打ち破り、よみがえってくださった記念日です。世界中でお祝いされます。九時半からは「召天者記念会」があります。この教会でかつて、一緒に礼拝を守っておられ、すでに天にお帰りになった方々を記念し、主を礼拝する一時がもたれます。
 また、十時半からは復活祭礼拝です。普段の礼拝とはちょっと違って、すばらしいプログラムが用意されています。今も素晴らしい演奏を聴きましたが、来週は聖歌隊が特別な賛美を歌ってくれます。また、開・典子の二人も歌ってくれるそうです。伝道礼拝になりますから、是非とも新しい方々をお連れになって下さい。
 イエス様を救い主と信じ、永遠のいのちをもらって下さい。永遠の行き先が分かったら、どんなにすばらしいことでしょうか。

 四月になり、少し戸惑っている方もおられるかもしれません。四月は、新しい事が始まる月です。先週はリバイバル聖書神学校の入学式があったり、ミュージックスクールも、新年度が開講されたり、教会でもいろいろと新しい事があります。
 全日本リバイバルミッションでは、夏に「環・関西リバイバルミッション」を開催することにしています。今日もその準備集会のために、チームが遣わされています。また、今、私の父たちは、韓国でロンさんたちと一緒に集会を持っています。
 実は、今回の韓国ツアーに、私の母も一緒に行きました。母は九十一歳ですが、私は「本当に行くの?」とちょっと心配なので聞きました。すると、「まぁ人生最後の旅だ。はっはっは」と笑っておりましたが、その台詞、去年も聞いたな?と思いました。いつまで続くのかな、あの人はという感じです。でも、九十一歳にもなって韓国まで行き、集会に出ると言うんですから、大したもんだと思いました。人間は死ぬまで生きるわけですが、私も、最後まで燃え尽きたいと思います。そして永遠のいのちがあるから安心です。

 私は先週、「環・関西リバイバルミッション」の準備集会で、関西のある教会で奉仕をさせていただきました。その教会は毎年お邪魔する教会の一つでもあるのですが、ちょっと特殊な教会です。その教会の牧師の経歴は、どこどこ大学卒業とかではなく、彼はかつて山口系の暴力団の幹部でした。「どうして他の指に比べて、小指が短いの?」というような方ですが、彼はある時イエス様を信じ、神学校を卒業し、今では立派な牧師になっています。
 そして、普通では扱えないような人たちが、その教会には大勢来ています。先生と同じような、小指だけがなんとなく短い人とか、目が何か泳いでるような、「どうした?寝不足?」というような方も来ているわけです。いろんな方がおられますが、先生は我が身を滅ぼした領域を勝ち取り、今では、同じような方々の癒やしと解放のために働いています。すばらしいなぁと感動しました。

 「ところで先生はいつ牧師になる決断をしたんですか?」と聞いたら、なんと、一九九三年十一月に行われた「甲子園ミッション」だというのです。甲子園ミッションを知らない方も多くおられると思うのですが、写真をお見せしたいと思います。

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 阪神甲子園球場を会場にして行いました。三日間、すばらしい集会でした。メッセージ後の招きの時間は、何千人という人たちが招きに応じて前に出て来られました。そういう中で、「生涯、イエス様のために働きたい人、献身したい人は出て来てください」という招きに応じ、先生は、「私はイエス様のために命をかけて働きたい!」と決心したそうです。ちょうど当時組を抜けて、クリスチャンになったばかりだったそうです。今までは暴力団の親分に命をかけていたのですが、今度はイエス様に命をかけようと、大きな十字架の舞台に進み出ました。

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 あの時、あまりにも大勢が決心を表されたものだから、舞台上にあまり大勢上ると、舞台が壊れる危険性がありました。だから「もう上らないでください!上らないでください!」と、平岡先生が叫んでいました。しかし多くの方々がイエス様を信じ、献身の思いを新たにして、前に出て来ました。「上らないでください!」と言ったけれど、その先生は持ち前の積極性で、「何を言われても、上って行って祈ってもらうんだ」と、最前列まで潜り込んで、按手して祈ってもらったそうです。それで人生が変わったというのです。彼は牧師になり、今がありますと話してくれました。

 私も、甲子園ミッションのただ中で働かせていただきましたが、大変な思い出も多くありますが、やって良かったなと思います。彼が変えられ、主の為に働いている姿は、なんとすばらしいことでしょう。
 一人の人生が変えられるとは、後に、大きな祝福をもたらします。それは特殊な事ではなく、全員に神が計画をお持ちだからです。

 次の日曜日は復活祭で、イエス様が十字架にかかって死んで、三日目によみがえってくださったことを記念します。イエス様の十字架とは、どのような意味があるのかについて、前々回も、お話をさせていただきました。
 普通は「イエス・キリストを信じたら、永遠のいのちが与えられます。天国に行けますよ」という理解が中心ですが、聖書をしっかりと読むと、救われるとはただ単に、天国行きの切符がもらえるだけにとどまっていないのです。地上においても、大きな使命があります。
 今日読んだ聖書の箇所は、最初の人間、アダムとエバに対して、神が告げられた言葉です。

 四月になりますと、会社で辞令が交付されたりします。私はこう見えても、公務員をやったことがあります。全然合わずに、辞めましたが、入った時辞令をもらいました。「あなたを○○に任命する」「はい!」と言って、辞令を受け取り、使命が与えられた部署に出向いて行ったことを、昨日のように覚えています。この御言葉は、全人類に対する、神からの辞令交付です。
 辞令には何と記されていたのかというと、創世記一章二十八節の括弧から、

『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』

と記されていました。これが人類全体に交付された、神様からの辞令です。あなたに手渡された辞令には、『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。』

 分かりやすく、リビングバイブルで読みますと、『地に増え広がり、大地を支配せよ。 おまえたちは、魚と鳥とすべての動物の主人なのだ。』となっています。
 『地に増え広がり、大地を支配せよ。』これが、全人類に交付された神からの辞令です。この事を、私たちはどのくらい意識しているでしょうか。前々回のメッセージでも、そのことについて語らせていただきました。

 創世記一章と関連し、ヘブル書二章六節〜十三節までを取り上げて話しました。実は私が語ったメッセージは、私が編み出したメッセージではなく、リバイバル聖書神学校に時々来て下さる先生がおられるのですが、その方はたいへん優れた聖書学者で、聖書の注解書なども書いておられるのですが、その先生が近頃、私たちに一つの論文を送ってくださいました。それがヘブル書二章六節〜十三節の理解についてでした。
 その論文を読むと、日頃、霊的な戦いという領域で働いて感じている事柄を、言葉にしてくださっていました。この理解はたいへん重要です。ヘブル人への手紙二章六節〜十節、

『むしろ、ある個所で、ある人がこうあかししています。「人間が何者だというので、これをみこころに留められるのでしょう。人の子が何者だというので、これを顧みられるのでしょう。あなたは、彼を、御使いよりも、しばらくの間、低いものとし、彼に栄光と誉れの冠を与え、万物をその足の下に従わせられました。」万物を彼に従わせたとき、神は、彼に従わないものを何一つ残されなかったのです。それなのに、今でもなお、私たちはすべてのものが人間に従わせられているのを見てはいません。ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。』

 ヘブル書二章六節からは、旧約聖書詩篇八篇からの引用です。前々回のメッセージの復習になるのですが、「人とは何者なのだろう」という、その答えが二章八節、『万物をその足の下に従わせられました』となっています。
 創世記一章の記述と合わせて見てみると、神は私たちの足もとに、被造物のすべてを従わせたというのです。
 人間は、どういう存在として造られたのかというと、万物を管理するための「管理人」のような存在として、造られたというのです。ですから人間だけが、神に近い存在となったわけです。
 神はご自分が創造した、被造物のすべてを「人の足もとにおいた」というのです。これはすごいことではないでしょうか。

 みなさんの中に、マンションに住んでいる方がいらっしゃるかもしれません。マンションには、必ず管理人のおじさんがいます。管理人のおじさんは、オーナーから委託を受け、マンション管理のために遣わされた人です。
 管理人のおじさんは、腰にたくさん鍵をぶらさげて、一日中、忙しそうに走り回っています。管理人のおじさんがいることにより、不具合が調整され、様々なトラブルも回避され、安全に生活ができるのです。
 私たち人類も同じだというのです。神様は天地宇宙を造られたのですが、その管理を、ただ神ご自身だけでなく、人類に管理するように命じられたわけです。
 それが事実なら、私たち人類には、信じられないほど大きな使命が課せられている事になります。

 特に、イエス・キリストを信じた者たちは、その役割が、一般の方々よりも数段大きく与えられた存在です。
 「地を這う生き物を支配せよ」という言葉の中に、悪魔・悪霊どもが含まれていたわけです。もしも人類が地を這う生き物族を支配するなら、悪魔・悪霊どももいっぺんに支配されてしまいますから、悪魔はすぐに人類の所に飛んで来て、騙して、人類に神から与えられた管理権を盗んだわけです。以来、人類に本来与えられた被造物の管理権が、悪魔の手に渡ってしまったわけです。
 だから、人類はどうでしょう。見えない力に支配されている今日この頃ではないでしょうか。

 今回、お邪魔した教会でいろんな方とお話ししたのですが、そこにはかつて、薬がないと生きていけなかったという方々がおられました。ここにも、薬がないと生きていけない人がいるかと思いますが、そういう薬とはちょっと種類が違うのです。それは普通の薬局や、ドラッグストアに行っても売っていない薬です。
 どこに売っているのかと聞くと、道ばたで売っている薬があるそうです。そういう人たちは、どんな雑踏の中でも、薬を売ってくれる人が誰かがすぐに分かるというのです。その実態を聞くと、「これからの日本はどうなっちゃうのかな・・・」と心配になりました。事実は報道されているよりも、もっともっとひどいです。それは、目に見えない世界に支配されているわけです。

 しかしみなさん、イエス・キリストを信じると、かつてアダムとエバが失った管理権が回復されるのです。今度は地球の管理人として、働きを始めるのです。
 その先生の教会は、ある意味で管理権が回復された教会だと思います。ヤクザの世界や、薬の世界にいた人たちが解放され、今度は、そのような領域に陥っている人たちを救出するために、働いているからです。
 イエス・キリストを信じるとは、ただ天国行きの切符を手に入れるだけではなく、地球の管理人として、任命された者たちです。ヘブル書の記者はそのことを語っています。

 二章八節に、『万物を彼に従わせたとき、神は、彼に従わないものを何一つ残されなかったのです。』とありますが、この「彼」とは、「人」を指さしています。多くの注解書が、「彼」を人ではなく、イエス様だけに限定していると、指摘されていました。しかし人類に「すべてが従わさせられた」のだと。
 『それなのに、今でもなお、私たちはすべてのものが人間に従わせられているのを見てはいません。』と記者は嘆いています。
 本当にそうです。本来は、人類に与えられた権限なのにも関わらず、人類はその仕事をやっていないのです。これは嘆かわしいことだと述べているわけです。

 しかし、続いて『ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。』と告げています。「イエス様だけは違う」というのです。人類は役割を果たしていないけれど、イエス様だけは役割を果たしていたじゃないか、と言っているわけです。

 イエス様は、私たち人類が本来しなければならない仕事の手本を見せて下さった方なのです。イエス様が支配し、管理された領域は本当に広かったです。
 ガリラヤ湖を渡ってゲラサに行く時に、大風・大波が襲って来ましたが、「黙れ静まれ!」と、一言で自然界を管理されました。また、ゲラサに着いた時には、レギオンという悪霊の軍団を支配されました。
 病を癒やし、病を管理されました。また山に向かって「海に移れ」と言ったらその通りになると言われました。見えるものから見えないもの、神の被造物すべてに関して管理する能力をお持ちでした。
 これは何を意味するのでしょう。それは本来、人に与えられていた役割だというのです。

 ヘブル人への手紙の二章では、「福音とは被造物管理権の回復を含む」と述べているのです。
 このことを深く受け止め、この四月、主から与えられた管理権を使っていただきたいのです。その時、環境は変えられるのです。それは「オーナーである神からの声を聞いて、管理権を使う時」に起きるのです。

 前々回のメッセージの中で、そのことを語らせていただきました。その話を聞いた一人の方が、会社に行ったそうです。四月は、人事異動の季節です。人事課は、あまり現場のことを知らないで、人の配置を変えたりすることがあります。会社に行くと、人員の配置が強制的に変えられていたそうです。現場のことを知らないで、変えたようでみんな混乱したそうです。
 でも、ちょうどメッセージを聞いた後だったので、「そうだ。私はこの課の管理人なんだ」と意識して、祈ったそうです。「主よ。現場が混乱しています。一番良い形に変えてください。私に与えられた権威によって管理します!」と祈ったそうです。
 そうしたら、突然、人事課が来て、「すいません。こっちに変えてください」と、現場が最高だと考えていた配置に変わったというのです。みんなお昼を食べながら、「なんで急に変わったんだろうね」と、びっくりしていたそうです。その方は「わしが祈ったから変わったんじゃ」と思ったそうです。そのような権限が神から委託されているのです。
 この権限を使わないと、地球はさらに悪くなっていくのではないでしょうか。自然界から、霊的な世界から、病の世界も、すべてを管理できるとしたら、そんなすごいことはありません。

 実は、リバイバルミッションの働きで、今までに様々な奇跡が起こりました。
 甲子園ミッションに来られた方は知っていますが、甲子園ミッションの二日目までは天気が良かったのですが、三日目の最終日、一番盛り上がる日でした。突然、にわかに曇って、大雨が降って来ました。それで大阪の環状線は全て止まってしまいました。その時、甲子園球場に集められたクリスチャンたちは、真剣に祈りました。「主よ。この天候を変えてください!」と祈ったら、甲子園球場の上だけ晴れたのです。晴れたというか、雲が禿げたというか、そこだけ天が開きました。あの場にいた方々は知っていると思いますが、すごかったですね。
 あれは「神様が祈りを聞いてくださった!」と考えていましたが、もちろんそうですが、日本中のクリスチャンが集まり、祈ったのは、自然界に対する管理権の行使であったはずです。神の御心がそこにありましたから、多くのクリスチャンが心を一つにして天候に向かって管理権を行使したから晴れたのです。

 その後、沖縄でリバイバルミッションを行いました。野外で集会を行ったのですが、集会が始まる前でした。海のほうから、太い竜巻が二本やって来ました。私は竜巻を見たことがなかったですが、自分の目で初めて見ました。超太い恐ろしい竜巻がこっちに向かって来ました。あの時も、みんなで祈りました。何が起こりましたか?竜巻が消えたのです。
 ある時は台風が来ました。台風で集会ができなくなる寸前でしたが、台風は直前に横にずれて行きました。ある時はUターンしました。

 あれらはみな、神様が祈りを聞いて下さったということですが、同時に、私たちに与えられている管理権が行使されたことを意味するはずです。
 私たちは管理者ですから、新しい領域に踏み込んだら、「この場を、神から与えられた管理権によって管理します!」と宣言して下さい。「この場を無秩序にすることはできない!」と宣言していただきたいと思います。

 ここまでは、前々回の復習みたいですが、実は、私たちが管理権を行使するために、重要なポイントがあります。そこをしっかりと抑えたら、正しく管理権を行使できるはずです。その重要な箇所が聖書の中に出て来ます。
 新約聖書に、「管理人」という言葉が出て来ます。そこには「賢い管理人」と、「不正な管理人」の二種類があります。賢い管理人とは、主が帰って来られるその日に、管理者として働いている人たちの事です。そのような器になりなさいと、イエス様は語られました。
 そんな中、賢い管理人になる為に、不正な管理人を例に出し、どの領域を正しく管理しなければならないのかについて、教えられました。それがルカの福音書十六章一節からです。

『イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。「ある金持ちにひとりの管理人がいた。この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。』

 ある金持ちが、すべての財産を管理人に預けていました。しかし、管理人は主人からまかされた財産を乱費していて、ちょろまかしていたわけです。その事に主人が気づき、彼を呼びました。
 その時、管理人が取った行動が、二節〜八節までに記されています。読んでみたいと思います。ルカの福音書十六章二節〜八節、

『主人は、彼を呼んで言った。『おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計の報告を出しなさい。』管理人は心の中で言った。『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。土を掘るには力がないし、物ごいをするのは恥ずかしいし。ああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。』そこで彼は、主人の債務者たちをひとりひとり呼んで、まず最初の者に、『私の主人に、いくら借りがありますか』と言うと、その人は、『油百バテ』と言った。すると彼は、『さあ、あなたの証文だ。すぐにすわって五十と書きなさい』と言った。それから、別の人に、『さて、あなたは、いくら借りがありますか』と言うと、『小麦百コル』と言った。彼は、『さあ、あなたの証文だ。八十と書きなさい』と言った。この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。』

 この箇所は、聖書の中で、かなり分かりにくい箇所ですが、主人からクビにされそうになった管理人は、主人の債務者たちを呼んで「さて、あなたは主人からどんなものを借りたんですか?」「油百パテです」・・・パテとか、コルとか、単位が分からないので、リビングバイブルで読むと、ルカ十六章六節〜七節(リビングバイブル)、

『オリーブ油三千五百リットルです。』『そうですか。 えーと、これが証文ですね。 さあ破って、破って。 代わりに、その半分を借りたという証文を書くんですよ。』次の人にも同じように。 『あなたの借りはどのくらいですか。』『小麦三十トンです。』『いいでしょう。 これが証文……。 じゃあ、新しく二十五トンの証文を書いてください。 これと取り替えてあげるから。』

 彼には債務者管理も任されていましたから、オリーブ油を三千五百リットル、主人から借りている人に対しては、文書を偽造して証文を書き直したわけです。そのように助けておけば、自分がクビになった時、「私はあなたを助けてあげたでしょ。今度は私を助けてくださいよ」と、天下りできるから、管理人の立場を使ってうまくやったということです。それを主人は、『不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた』というのです。

 このような不正の管理人について話して、イエスさまは続いて九節〜十三節で、こんなことを語っておられます。ルカの福音書十六章九節〜十三節、

『そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」』

 これはどういう意味なのでしょうか。この例えは、弟子たちに、「地上の富を賢明に使え」と語っておられるのです。そして、神と富に同時に仕えることはできないと話されたわけです。その例として、不正の管理人を引き合いに出し、「弟子たちは、神に仕えることが根本で、そのために地上の富をも有効に利用し、これを多くの人に惜しみなく与え、福音のために用い、天国に入る友を多く作るべき」と、その必要性について語られたわけです。

 以前にもお話ししましたが、私たちは経済の領域と切り離しては、生活はできません。しかし、聖書が語っているように、経済の世界は、「不正の富」と呼ばれる悪の手に陥っている世界です。以前にもその理由について、お話しさせていただきました。私たちは、金がなかったら、生きることは出来ません。しかし、金融の世界の始まりは、詐欺まがいなところから始まっているわけです。今でも私たちは、不正の富のシステムがなかったら、生きることは出来ないのです。一言で言えば、経済の世界は、マモンという富を支配する悪霊どもの手中にあるわけです。
 しかし、私たちはそのシステムを否定しては、生活は出来ません。今の時代、自給自足でやることは不可能です。

 ところで、私たちはお金を何気なく使っていますが、お金には紙幣とコインがあります。どちらが好きですか?紙幣のほうが好きですか?コインが好きですか?「私はコインが好きです」という人は、あまり聞いたことがないです。やっぱり紙のお金のほうが好きですよね。特に「諭吉さんが大好きです」という人が多いかもしれません。
 ところでコインと紙幣では、発行元が違うってご存じですか?え?お金はすべて同じ所から発行されているんじゃないの?と言うかもしれませんが、実は、違うのです。これを見てください。これは日本のコインです。

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 「日本国」と書いてあります。コインは日本国が発行しているのです。では、紙幣には、どう記されているのでしょうか。

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 「日本銀行券」とあります。紙幣は「日本銀行」が発行しているのです。日銀が発行しているのです。ちょっとおかしいと思いませんか?
 一円玉を一個作るには、二円かかるそうです。コインを作るのには金属がいりますから、相当原価がかかります。しかし、一万円札を印刷するには、原価は二十円くらいだと言われています。でもこの間、銀行関係者の方に聞いたら、原価はたった三円だというのです。日銀は一枚三円で一万円札を作っているようです。そうすれば、九千九百九十七円儲かるのです。
 しかし一方、日本国は一円作ると、二円もかかるので赤字です。なんで、こういうちっちゃなお金は国に発行させておき、日銀が紙のお札の発行権を持っているのでしょうか。日銀はJASDAQに上場しており、一部の株は買うことも可能です。株の半分くらいは国が持っていますが、あとは誰が持っているかはっきり分からないのです。なんで国が、原価の高いお金を発行し、上場企業である日銀が紙幣を発行しているのかわかりません。誰かが利益を受け取っているような気がします。
 これはアメリカでも同じシステムです。アメリカドルを発行するFRBは、ドル札全てを発行する権限を持っていますが、FRBはすべて個人銀行家の持ち物です。何か裏があるような気がしませんか。
 経済の世界は、今でも不正の富の世界です。最も強い、偽りの父の力が働いているのです。

 使徒の働きの十九章を読んでいただきたいのですが、そこにはエペソという町のことが出ています。エペソでパウロたちはすごいリバイバルを体験しました。病は癒やされ、悪霊は出て行き、人々は今までエペソの文化となっていた魔術さえ、やめてしまうという、すごいリバイバルが起こりました。
 しかし、『この道のことからただならぬ騒動が起こった』というのです。誰が騒動を起こしたのかといったら、デメテリオという、アルテミス神殿のお土産屋さん組合の組合長みたいな人でした。それが大変な騒動となって、パウロたちは殺されそうになりました。
 エペソにリバイバルが起こって、神の秩序が現れたと言うのですが、その道から大混乱が起こったと言う事は、本当の意味でエペソでは勝利していないのです。悪霊が追い出されたとは言うものの、どこかに、さらにもっと強い悪霊が働いていた証拠です。

 さて、どこで働いていたのでしょう?それは、「売り上げが減った」ということで組合が怒り始めた事からもわかるように、経済界に今までの働きを覆すほどの、最強の力が働いていたと言えます。イエス様も同じ事を語られました。「神と富とに共に仕えることができない」と。
 私たちは経済のただ中で働いていますけれど、そこは最も強い、悪しき力が支配している領域です。ということは、最も意識して管理しなければならないのが、経済の領域だということになります。しかし、そのことについては、あまり気づいていないのです。

 では、どうやって、私たちはこの富の世界、悪魔の手の中にある経済界を管理出来るのでしょうか。それが、先ほど述べられていた箇所に示されています。
 イエスさまは弟子たちに、「地上の富を有効に使用し、これを多くの人に惜しみなく与え、福音のために用いる」ことを教えました。それは、ひいては経済の世界を管理することにつながるわけです。これが「賢い管理人」だというのです。
 教会に来ると、献金があります。時々、「献金か、惜しいな・・・」と思う人もいるかもしれません。「十分の一献金か。もったいないな・・・」と。
 私はこの頃、考え方が大きく変わりました。経済の領域を管理する具体的な方法が、献金の中にあるのです。献金は不正の富を勝ち取り、神様の領域のために使うことです。これは、ある意味、最も大きな霊的戦いです。
 経済の世界に管理権を向ける時に、他の領域においても、賢い管理人となれるのです。経済界の混乱を管理する時、他の混乱も治める管理者になれるのです。

 みなさんは、豊かな人になりたいですか?みなさんは豊かな人ですか?それとも、豊かではないでしょうか?
 豊かな人はどういう人かについて、前回のメッセージでも紹介した、ドイツの社会心理学者、エイリッヒ・フロムが「愛するということ」という本で、おもしろいことを語っています。
 富んでいる人とはどういう人か。それはお金持ちではないのです。富んでいる人とは、持っている物を人に施すことのできる人、自分の物を他の人のために使うことができる人が富んでいる人だというのです。いくら巨万の富を持っていても、ブラックホールのように貯め込んでいる人は、乏しい人だというのです。

 みなさんはどうでしょうか。どのくらい収入があるかないかは別にして、神様のために使うことができるか否かが鍵なのです。心にブレーキがかからないで献げる事ができる人は、富んだ人なのです。
 豊かな人生を送りたかったら、貯め込むのではなく、神様のために使うのが、豊かな人生であり、最も強い敵が支配している領域を勝ち取る、重要な戦いの鍵なのです。それが賢い管理人として、聖書が告げていることです。これは重要な真理だと、私はこの頃考えています。

 今日はみなさんと共に献金の時があります。それは、「国際ギデオン協会」の働きのための献金です。この働きのために献金することは祝福です。みなさんが日頃働いた稼ぎの中から、聖書配布のために捧げるのはどうでしょうか。これは、経済の世界に対する管理権の行使であり、同時に、あなたが豊かな人となるための条件ということです。
 どこの教会でも、献金がありますけれど、これは貧乏になるためではなくて、豊かになるためです。与えることが豊かさの原点であるわけです。

 ルカ二十一章の一節〜四節を見ると、ある時イエス様が献金をしている人たちを見ていたら、金持ちたちが献金箱に多額の献金を投げ入れていました。しかし、ある貧しいやもめが来て、レプタ硬貨二つを投げ入れたというのです。その時にイエス様がなんと言われたか。ルカ二十一章三節を見ると、

『それでイエスは言われた。「わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」』

 二レプタとは、二円くらいのことです。彼女の全財産です。それを投げ入れたというのです。この人が最も豊かな人だとイエス様は語られました。
 このやもめを神は助けたでしょうか。助けなかったでしょうか。飢え死にしてしまったのでしょうか。聖書には記述はありませんが、神が助けなかったはずはないです。

 今から献金の時がありますが、今日はギデオン協会のためにも捧げますが、是非、経済の領域を管理する意味においても、自分が良き管理者となるためにも意識して献げましょう。献金の時間は、経済の領域を管理するために、大変重要なプログラムです。一言祈ります。

 ハレルヤ。父なる神様。感謝いたします。今から聖餐式を行います。心から感謝いたします。
 今日は、経済という領域を管理したいと願っています。経済の領域で勝利を与えてくだり、すべての領域で私たちを管理者とさせてください。
 主よ、聖餐式を祝福し、み言葉と聖霊によって、この聖餐を受け取らせてください。イエス様の御名を通して祈ります。アーメン。