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「あなたは地球の管理人!
〜パート4〜」

2014年5月4日 (日)
新城教会主任牧師 滝元順

創世記2章8節〜15節

『神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。一つの川が、この園を潤すため、エデンから出ており、そこから分かれて、四つの源となっていた。第一のものの名はピション。それはハビラの全土を巡って流れる。そこには金があった。その地の金は、良質で、また、そこにはベドラハとしまめのうもあった。第二の川の名はギホン。それはクシュの全土を巡って流れる。第三の川の名はティグリス。それはアシュルの東を流れる。第四の川、それはユーフラテスである。神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。』

 ハレルヤ!おはようございます。今日はゴールデン・ウィークのただ中です。教会に来るまでに結構、交通渋滞があったりして、大変だったと思います。しかし共に礼拝が守れますことを、心から感謝します。
 今日は、夜七時から、リバイバルミッションのPPHが開かれるということで、その集りに参加するために、早めに来て礼拝に出席して下さっている方々もおられます。心から歓迎いたします。
 五月になり、少し暑くなってきました。クールビズということで、私もネクタイを取ったのですが、日本は四季がはっきりしていて、変化に富んだ国です。しかし様々な領域で変化に富みすぎていて、良い面もあれば、悪い面もあります。

 近頃、シリーズで学んでいますように、私たちは地球に管理人として造られました。今日のタイトルも、「あなたは地球の管理人!〜パート4〜」です。どこまで行くのだろうという感じですが、メッセージのタイトルをつけるのは、結構大変です。タイトルを見ただけで、何が語られるのかすべてわかってしまい、興味を失う場合もあるからです。なかなかタイトルって難しいなと思うのですが、同じタイトルを使って、中身だけ変えればいいところもあります。
 私たち人間は、被造物を管理するための、特別な存在です。もしも私たちが地球の管理人だとはっきり理解したら、人生は変わると思います。また、日本も変わり、世界も変わるはずです。

 宣教の働きは、この地を管理する働きです。目に見えない世界から人々におおいをかけ、人が管理人として働くことができないように働く敵を打ち破り、人々を解放し、天国に入れるだけでなく、この地を治める者として変えるための働きです。

 今年八月、九月は、関西において、「環・関西リバイバルミッション」が開かれます。ぜひお祈りしていただきたいと思うのですが、すでに、その活動が関西で始まっています。先週は、環・関西リバイバルミッションのテーマ曲が録音され、仕上がって来ました。また、環・関西リバイバルミッションのポスターもできました。

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 今から、先週、録音された、環・関西リバイバルミッションのテーマソング、「主イエスの愛がここに」と、関西は関西弁で話さないと通じない文化圏ですが、「やっぱ祈りやねん」というリバイバル応援歌の二曲を、お聞かせしたいと思います。
 このポスターを見ながら、関西のために、祈っていただきたいと思います。管理人の使命は、突き詰めれば。祈りの働きです。祈りによって、地を従えることができるのです。ですから、祈りは、本当に重要です。主の愛に押し出され、祈りによってこの地を管理するのが、私たちの使命です。
 すばらしい曲が与えられました。演奏は、ミュージックスクールの先生方です。生徒さんたちは、先生方の演奏をよく聴き、がんばってくださいね。
 では、「主イエスの愛がここに」と「やっぱ祈りやねん」です。少し長いですが、私のメッセージを聴くよりいいでしょう。祈り心を持って聴いてい下さい。

〜主イエスの愛がここに〜
心打ち砕かれた者をいやし 傷を包む
心貧しい者を支える 主イエスはあなたのそばに
心をいやす 主イエスの愛が 今 あなたに注がれる
痛み 悲しみを担う 主イエスの愛がここに

〜やっぱ祈りやねん〜
やっぱ祈りやねん この街を救うために
やっぱ祈りやねん 祈りの手 高くあげよう
やっぱ祈りやねん この街を愛し続けて
やっぱ祈りやねん 変わらない約束信じて
主イエスの救いがこの街を包む
主イエスの救いの名前 この街に輝く


 どうもありがとうございました!本邦初公開です。今日の七時からのPPHで、限定百五十枚、自由献金でこのCDをお持ち帰りいただけます。このようなすばらしい曲も与えてくださり、主はすべてを備えてくださっています。

 昨日は、教会の遠足もありました。楽しいひと時を過ごさせていただきました。
 六十人くらい行かれました。マスのつかみ取りをしました。これは行った人数分です。

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 賛美をしたりして、大変楽しいひとときを過ごしました。
 このゴールデンウィーク、リラックスして、力を蓄え、主のために立ち上がっていきましょう。
 私たちが造られた目的について、シリーズでお話をさせていただいていますけれど、私たちは管理人として造られたのです。
 創世記には、地球が造られた経緯が出て来ます。一章と二章で、地球が造られた経緯、人が造られた経緯が記されているのですが、一章と二章を比べると、ちょっと違うのです。「んっ?ちょっと順序が違うんじゃないの?」と気づくかもしれません。
 一章は、天と地が造られ、人が造られた、全体像を告げています。しかし、二章になると、中心軸が人に移るのです。人を中心に、すべてのものが整えられていく様子が記されています。一章と二章を比べながら読んでいくと、大変興味深いです。

 そして、人がどのような領域の管理人として造られたのかが、二章を見ますと、はっきり分かります。二章十五節に、このように書かれています。

『神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。』

 ここからわかるように、神は人を地を耕し、その地を守る番人として造られたことが分かります。これは、人類の役割の全体像です。私たちをそれぞれの土地に配備し、その場所を守るために創られたのです。主はあなたを遣わし、その地を守り、見張るために派遣しておられるのです。

 園には、人が食べるに十分な食料がありました。しかし、ひとつだけ食べてはいけない物がありました。それは、絶対に食べてはいけないものでした。それが「善悪の知識の木の実」で、それを食べたら死ぬと神は言われたのです。
 なぜ神は、そんな余計な物を造ったのだろうかと思うかもしれません。しかし私は、神が善悪の知識の木を、管理地の真ん中に、いのちの木と並べておいたのは、たいへん重要だと思います。
 なぜなら管理人は、オーナーから委託を受け、その地を管理するからです。管理人の善し悪しで、その地が良くもなるし、悪くもなります。
 それはどこで決まるのかといったら、「管理人が、オーナーの言うことを聞くか否か」にかかっているのです。オーナーが指図した事を、オーナーがいなくても自主的に守る事により、園は管理されるからです。

 私たちの遣わされた地にも、いのちの木と、善悪の知識の木が生えていることを意識しなければいけないと思います。私たちクリスチャンには、どんな時にも、自分の意思と決断で、主に従うことを要求されているのです。

 先週も話しましたが、私たち人類には、イエス様と同じように自然界をも管理する権威が与えられていると話しました。また、悪魔・悪霊どもを支配する権威も与えられています。
 また、誰かが罪に対して、神から委託され、「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と、赦しを宣言する権威まで、委ねられているとお話しさせていただきました。

 人間は、神が与えた情報から始まっています。神が遺伝子情報を、最初に組まれたからです。私たちの体は三十億ほどの塩基配列、A、G、C、Tという四つの物質によって成り立っているのです。その情報が狂うと、病気になったり、いろんな問題が起きることが、現代は分かってきました。神が元々正しい塩基配列を与えたのに、人の罪と悪霊どもが関わり、環境は変化し、遺伝子は変化してしまったのです。しかしそれらも、管理することだって、もしかしたらできるはずだとお話しさせていただきました。
 遺伝子さえも癒やされたら、大きな希望です。

 実は、遺伝子の領域を祈る事を気づいたのは、私が気づいたというよりも、娘婿でした。彼が教会スタッフの勉強会で、遺伝子について扱いました。遺伝子についてよく知り、祈らなくてはいけないと話しました。
 なぜ彼がそのような領域に興味を持ったのかというと、一才の息子が、ひどいアレルギーで苦しんでいたからです。生まれてしばらくして、息子にアレルギーがあることがわかり、本当にみんな暗くなりました。
 彼が食べることができる物って、白いご飯にしそのふりかけしか食べられないのです。小麦はだめ。牛乳はだめ。卵はだめ。そうなると、本当に食べ物ってないのです。
 私の娘がアレルギーの子を持つ会に入りました。入ってみたら、そのような子どもたちが本当に多い事が分かりました。その人たちも一緒に癒やされたら、どんなにすばらしいだろうと、祈り始めたわけです。
 パンをちょっと食べただけで、湿疹が全身に出るわけです。本当にかわいそうでした。
 この中にも、そのような病で苦しんでいる方もおられると思います。私たちは案外、自分の身内や周りにそういう体験がないと、なかなか重荷が持てないものです。
 もちろんそのような方々のために、今までにも祈らせていただきましたが、自分の孫がそうなると、おじいちゃんは黙っておられません。さらに真剣に祈るわけです。うちの娘婿の実家は米屋です。だから米しか食えないようになってるのかとか、いろいろ考えました。けれども調べると、やはり遺伝子の問題だということが分かりました。
 それで遺伝子のために、真剣に祈らなくてはいけないと思わされたのです。もしかしたら、三歳、四歳くらいになったら、良くなるかもしれないと医者に言われました。医者に行くと、孫はブラックリストに載っているのです。アレルギー反応が出たら、いくら他の人が待っていても、すぐに治療してもらえるのです。なぜなら、アレルギーの子たちには、命に関わる問題だからです。
 しかし彼は、ある時から突然、食べられるようになって、今、二歳になりましたが、ほとんど何でも食られるようになりました。

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 嬉しそうに食べておりますが、見てください。これ、簡単に思いますが、パンケーキは、小麦粉、卵、バター、牛乳と、アレルギーの子どもたちには、最悪な食べ物です。しかし、これらも食べられるようになったのです。遺伝子を祈り始めた時から、変わりました。本当に心から感謝しています。
 まだ治っていない方々もおられますから、この勝利に弾みをつけ、さらに祈りたいです。遺伝子さえも変える管理権が委託されているなら、大きな希望です。

 先日もお話しさせていただきましたが、去年の十二月に、一人の奥さんが赤ちゃんを連れて教会に来られました。子どもが障がいを持っていると言われました。どんな障害かと聞くと、両耳が全く聞こえないというのです。大学病院で調べてもらったら、「音を伝える神経がないから、どうしようもありません」ということだったそうです。
 初めて会った時、反応がないというか、覇気がない赤ちゃんでした。私はそれを見て、ご両親は、これからほんとうに大変だろうと思いました。どんな苦労がこれから先、待っているのだろうか思いました。
 でも、ちょうど遺伝子のことを祈るように教えられていました。このような障害も、全て遺伝子の問題だというのです。普通は、お腹の中で、遺伝子が「神経を造りなさい」と命令を出して、人はほとんど完成品として出てくるのですが、必要な機能が造られていないわけです。
 赤ちゃんが生まれて、半年間くらいは、まだ造られる可能性があるそうです。でも、それを越えてしまうと、だめだというのです。その子は、すでにその期間を越えていました。
 祈る時、お母さんが言いました。「神様って奇跡を起こしますよね?奇跡って起きますよね?」と、何度も言われたのを覚えています。でも、私は、「起きます!」とはっきり言うことはできませんでした。周りの人たちと一緒に、心から祈りました。「この子に奇跡が起きますように!」と。
 何が起こったと思いますか?何も起こらなかったら、こんな事、話すわけないじゃないですか。完全に良くなったのです。
 今は聞こえるようになりました。また、遺伝子異常で成長が止まっているような子だったのですが、大きくなり始めました。ハレルヤ!心から感謝します。

  人類は、被造物のすべてを具合よく管理するために、造られたのです。今まで、シリーズで語って来ましたから、他のメッセージもホームページで読んでいただきたいと思います。
 特に、神が人をエデンの園に配備し、何を管理させようとされたのか、原点の情報を受け取る時、祈りをどこに向けたらいいのかがわかります。
 エデンの園には、園の真ん中に木が生えていました。いのちの木と、善悪を知る知識の木でした。管理人である私たちが、自主的に仕えていくか否かを、ある意味で試すためのものだったかもしれません。
 「この木から取って食べちゃいけませんよ」と言われたら、いくら、うまそうに見えても管理人は、オーナーから管理を委託されているわけですから、取って食べちゃいけないのです。
 聖書に記されている事柄を、一般から比べると、ちょっと堅苦しく思うのかもしれません。しかし、管理人は、オーナーの言うことを百パーセント聞いて、正しい管理人となることが大切なわけです。

 神は、管理人を園に置き、そこを「守らせた」というのです。守らせたとはどういうことでしょうか。そこが攻撃され、敵が侵入する可能性があることを示唆しています。
 神が管理人アダムを何のために園に配備したのかというと、園を守らせるという、土地との関連性があることが分かります。
 私たちは土地に住んでいます。土地に家を建てて、ある地域に住んでいます。
 アダムは、エデンの園という土地を管理するという、土地に対して派遣されたのです。それも、敵の侵入を阻止するためでした。

 そしてもう一つの意味でも、エデンの園は重要な場所でした。そこにはわき水があり、一本の川が流れ、やがてその川は四本に分離して、様々な地域に流れて行ったからです。人は、水がなかったら、生きることができない存在です。
 この頃、水が商品となってしまいました。私たちの小さい頃、水にお金を出すなんて考えたことはありません。ミネラルウォーターが発売された頃、こんなもん、誰が買うの!と思ったものです。しかし今は、水を買っています。いつから変わったのだろうか・・・と思います。しかし水がなかったら、人類は一日も生きることができないわけです。

 そして、特に重要なのが、水の源でした。アダムが管理人として派遣されたエデンの園には、水の源がありました。水の源を管理する管理人として、水の源を守る為に配備されたことが分ります。
 私たちは住んでいる土地や水に関して、当然のように考えていますが、管理人はそこに目を向け、敵が侵入しないように、しっかりと守る必要があるわけです。善悪を知る知識の木が目の前にあっても、惑わされずに、その地を管理する必要があるのです。

 先週、興味深いことがありました。ある方から電話があり、「是非とも祈って欲しいです」と言われました。
 一人の女性が、突然、精神的な病気になり病院に行ったそうです。そうしたら、「この症状は、精神病にはいろいろカテゴリーがあるけれど、全く当てはまらない」と言われたそうです。「これは俗に言う霊が憑いているとしか考えようがない」と言われたそうです。その人はある時は豹変し、悪霊のような声を出し、おかしくなるというのです。医者から、どうすることもできませんと言われたそうです。
 入院もさせてくれず、家に帰されたそうです。それで、霊を取るために、様々な日本の神々の所に行って、拝んでもらったというのです。
 それで全国から札をもらったり、仏像をもらったりと、家の中が偶像博物館のようになってしまったそうです。それでも全く良くならないというのです。 

 ある日、ある人がこう言ったそうです。「たくさんの神々があるけど。キリストさんだけいないね。」
 それは当たり前です。クリスチャンは目に見えない神を信じています。教会には何も祭っていません。どこでも祈りを聞いてくださる神様です。私たちの神様は「あの山に登れ!」とか、「ここに来たら祈りを聞いてやるぞ!」というような、交換条件の神ではないからです。どこでも、祈りを聞くことが出来ます。
 時々、クリスチャンホームの家にお邪魔して、トイレを貸ると、トイレに祈りの課題が貼ってあることがあります。普通ならどうでしょう。神様がそんなの見たら、怒るかも知れません。「なんでおまえは、こんなくさい所で祈るんだ。少しは力が入るかもしれないけれど、トイレなんかで祈るな!」と怒って、祈りなんか聞いてくれないと思います。
 しかし、私たちの神様は、トイレでの祈りも聞いてくれます。風呂に入りながら祈ったって聞いてくれます。どこでも祈りを聞いてくれる神様です。この世の神々と一緒に祭られるような神様ではないのです。

 「キリストさんだけはないね」と言われ、助けを求めて近くの教会に相談したそうです。そうしたら、新城教会の電話番号を渡してくれたそうです。それで、先週、来てくださいました。私は喜んで、お受けさせていただきました。
 ご家族で来てくださいました。その方のお母さんは現役の尼さんでした。家では占い、降霊をやっていると言うのです。でも、「いろいろと霊を降ろしても、どうにもならない」と言われました。

 「なんでもしますから、うちの娘を助けて下さい。」と言うのです。私はその方々に話しました。「霊能者は、人々に指示を出すでしょう。『こうしなさい。あそこに行きなさい。そしてこうやって拝みなさい。そうしたら良くしてやる』という指示を出すでしょ?しかし私たちクリスチャンは、指示は出しませんよ。あなた次第です。あなたの決断で、キリストに従うか否かを決めてください」と話をしました。
 善悪を知る知識の木が土地の真ん中に立っていても、それを食べるか食べないかは、その人次第だからです。誰かに指示されてではなく、惑わされてでもなく、自分がどう対応するかです。

 「霊能者たちの結末は悪いですよ。最後は苦しんで死んでいく人が多いですよ。」と話したら、『分かります。』というのです。「あなたたちが呼んでいる霊が、敵か味方かを自分で判断し、どうするかを決断をしてください。」と話しました。そうしたら『わかりました』と言われました。
 最後には、家族全員で、『イエス様、助けてください。これからイエス様に従って行きます』と祈って帰って行かれましたよ。ハレルヤ!娘さんも落ち着きを取り戻し、帰って行かれました。
 この世の神々では駄目だ、イエス様しかだめだ、と人々が気づいたら最高です。悪霊どもが管理人によって支配されると、敵方から助けを求めてくるのです。不思議なことです。

 これが全国的に広がり、偶像礼拝をしたり、降霊術をやったり、占いをしたりしている人たちが、自分でやっちゃいけないことだと分り、本物の神はイエス様お一人だと分かったら、どんなにすばらしいことでしょう。
 それぞれの場所で、主がそのような働きをさせてくださるよう、祈っていかなければいけません。

 そのためにも、自分が住んでいる土地に関して、管理する祈りをしなければならないと思います。みなさんが救われたのも、ある場所に住んだ事により、教会に来て、クリスチャンになったと思います。必ず、特定の場所が関わっています。
 ということは、特定の場所は偶然ではないのです。教会が新城市にある、家が市内にあるとか、豊川にあるとか、豊橋にあるのは、偶然ではありません。その環境があって教会に来られたわけですから。

 旧約聖書ルツ記を見ますと、「土地を買い戻す権利を持つ者」が出て来ます。ボアズという人がルツのために働いたことが書かれています。イスラエルにおける土地の概念は、現代人とは全く違っていました。
 当時のユダヤ人の土地に対する考え方は、神が人に教えたものでした。
 それがどういうものかというと、土地の真の所有者は神であり、すべての土地の所有権は神にあるというものです。そして、人間に与えられているのは、土地の所有権ではなくて「使用権」だという、考え方です。そのような考えを古代ユダヤ人たちは持っていました。
 それは現代でも同様なはずです。すべての土地の所有権は神にあり、私たちはただ使わせてもらっているのです。私たちには「使用権」のみです。

 イスラエルにおいては、金に困って先祖からの土地を手放したとしても、やがて、先祖の土地が戻ってくるシステムがありました。それが、「ヨベルの年」と呼ばれるものでした。五十年ごとに訪れるヨベルの年には、土地を返却しなければなりませんでした。ちょうど現代で言えば、借地権付の家みたいです。五十年経ったら、元々の所有者に返さないといけない掟がありました。
 ですから、土地の価格は、ヨベルの年まで何年あるかによって、価格が決まったのです。基本的に土地は、「神に属する」ものであり、私たちは使わせてもらっているに過ぎないという、考え方です。

 私たちも、土地に住んでいますが、すべての土地は、神に所有権があるのです。
 しかし、悪魔は、神が所有している土地に侵入するのです。そして、所有権を奪おうとします。管理人は、神が所有されている地に、敵が侵入しないよう守る働きをしなければならないのです。

 是非、家に帰ったら、自分が住んでいる土地のために祈ってください。「この土地の所有権は主イエスにある!この街の主人は、主イエスだ!」と、はっきり、土地の所有権が神にあることを宣言して下さい。この祈りは、土地を管理する事に他ならないのです。

 歴史の中で、様々な角度で敵が土地に侵入し、あたかも悪魔が土地の所有者かのようにしています。そのために、本来、その土地に神が持っておられる計画が大きく変わるのです。

 私がなぜ生まれたのかについて、以前、話しました。私が生まれたのは、偶然といえば偶然です。一つでもボタンの掛け違いがあったら、私はこの世に生まれていません。私の父と母もこの場所にいません。新城教会もありません。みなさんの人生も大きく変わったはずです。それは、すべて土地がらみです。

 戦争が終わった直後、私の両親が救われる原点となった、穐近先生夫妻が日本に来られました。
 特に、奥さんは、たいへん霊的な人でした。戦時中、アメリカのアイダホ州に住んでいた時、幻を見せられたというのです。それは日本の光景だったそうです。そして主から「この場所をあなたにあげます」と言われたそうです。
 やがて日本に来て、自分たちが住んでいる場所は、アイダホで見た光景とは全く違ったそうです。だから「ここじゃない。」といつも思っていたそうです。そんな中、私の母がその奥さんの導きにより、クリスチャンになりました。そして母は、その奥さんと共に働くようになりました。
 ある日、東京から郊外に出て行った時に、電車の窓からまさしく、アメリカの田舎で見た光景とそっくりの場所が目に入って来たそうです。すぐに最寄りの駅で降り、その場所に行ったそうです。奥さんと、母の若い頃の写真があったので、並べてみました。

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 それがどこかというと、現在の東京都東久留米市です。

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 そこは今、クリスチャン・アカデミーというアメリカンスクールになっています。大変広い土地です。最終的に、この三千坪の土地を、タダでもらってしまったのです。

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 これが当時の写真です。ここはかつて牧場だったそうです。そして、この牧場の近くに住んでいたのが、滝元明、私の父でした。以前にも話しましたので、今日は詳しいことはお話ししませんが、父はそこでクリスチャンになり、母と出会って、この牧場で結婚式を挙げました。これが、父と母の結婚式の写真です。孫にこの写真を見せたら、「誰これ〜?」と言っていました。

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 母と穐近先生の奥さんは、「イエス様がくれた土地だ」と言って、その場に無断で移り住んだそうです。でもこれは、戦後のどさくさの時代ですから、みんな同じように空いた家に住んだわけです。
 住んでいたら、ある日、所有者がやって来たそうです。しかしその日、そこで子どもたちの集会をやっていたそうです。大勢の子どもたちが集まっていたというのです。
 先週、さらに詳しい資料を、ドリアさんがクリスチャン・アカデミーのライブラリーで見つけてくれました。私は本当にびっくりしました。その資料を読んで、土地に関して、真剣に祈らなければと思わされました。ちょっとでも手順が狂えば、私はこの世に生まれていないし、この教会もありません。リバイバルミッションも何もかも、ないのです。
 土地がらみの問題は、将来の方向性を大きく左右します。神の計画と大きなつながりがあることが分かりました。

 前回も話したように、所有者は、在日の韓国人の方でした。戦後、在日韓国人の方々が自国に帰るためには、日本国内に所有する不動産を放棄しなければなりませんでした。この人は自国に帰る決断をしていた人でした。だから土地を、穐近先生たちに寄付したのです。
 新しい資料によりますと、クリスマスにはこの土地に八百人くらい子どもたちが集まっていたというのです。それを見て、この韓国人はたいへん感動したというのです。それで、土地をくれたそうです。それでその場所に教会が建ち、父が救われ、母と出会って、私が生まれました。韓国の方が土地を寄付しなければ、私は生まれていないのです。
 日韓併合や太平洋戦争という、たいへん悲しい出来事と、終戦と共に財産を放棄しなければならない特殊な状況をも用いて、主が働かれたのです。
 そもそも戦争は土地所有権争いです。今、ウクライナで、ロシアがウクライナに侵入するか否かで、土地がらみの戦いが起こっています。

 また今回、新事実が分かりました。その在日韓国人の男性が、なぜ、その土地を手に入れたかについても分かりました。実は戦時中、その牧場で中島飛行機という会社が、一時、零戦を作っていたそうです。

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 しかし戦争が終わり、中島飛行機は解体され、ある食品会社がその土地を手に入れようと交渉していたそうです。けれども、手続きの途中で、GHQが土地取引を禁止したというのです。それで、土地が動かなくなり、権利書を金庫に保管したそうです。
 ちょうど、正月のお休みの期間、広い場所ですから、ある人に土地の管理を頼んだそうです。「正月の期間、管理してください」と頼みました。しかし、その管理人が悪いやつだったのです。なんと、事務所にもぐり込み、金庫をやぶって、その土地の権利書を盗み出したというのです。そして、それを東京に持って行って、闇市で売ったそうです。それをある韓国人が手に入れたのです。

 泥棒がいなかったら、今がないわけです。泥棒に感謝しなければならないのかも知れません。しかし、これらはすべて戦後の混乱期の中で起こった出来事です。その資料にも、「これらは戦後の無秩序状態の中での出来事だ」と、但し書きがありました。泥棒が権利書をかっぱらって、他人に売ったのです。戦後の闇市は何でもありでした。韓国の方がそれを買って、所有者となっていたのです。
 こんな大混乱さえも使って、私は生まれました。また、この教会も生まれました。

 今、様々な悪い事件が起こっています。けれども、真の管理人が混乱の領域に入る時、過去の暗闇の痕跡も消し去り、神の栄光が現れるのです。
 泥棒がどんな人だったか、今では全く分かりません。その権利書を買った人にも、何の罪もありません。しかし、それらのすべて相働き、益となったわけです。不思議だと思いました。

 しかし、この土地が与えられるまでには、霊的戦いがありました。その鍵となったのが、穐近先生の奥さんと私の母が、その土地に入って、祈ったからです。「この土地は主のものだ!」と宣言して祈ったのです。二人は七日間、土地を回って祈ったそうです。エリコの城壁を回ったヨシュアのように、最後の日は七周回ったというのです。それで、この土地を手に入れたとその資料には記されていました。
 私たち一人一人が派遣された場所で、「ここは主のものだ!」と宣言する時、信じられないことが起こるのです。

 今日は、土地に関してお話しさせていただきましたが、「水の源」というテーマに関しては、時間がないので今日は話しませんが、帰ったら、ぜひ、自分の住んでいる土地に、主の所有権を宣言して下さい。
 また、水の源にも勝利を宣言してください。そこから流れるすべてが生きると宣言して下さい。みなさんが、宣言する時、地は主のものとなり、主の持っておられる計画が成し遂げられるのです。
 私たちは管理者です。主からいただいた管理権を、しっかりと使っていきたいと願っています。最後にお祈りして、メッセージを終わります。


 ハレルヤ。父なる神様。御名をあがめて心から感謝します。今日、私たちは管理者です。過去にどんな歴史があっても、私たち管理人が入って行って、勝利を宣言する時、すべてを良くして下さることを感謝します。
 今日、私たちがここにあるのは、この地を管理するためです。その為に遣わしてくださいました。
 主よ、私たちが、任されたエデンの園に出向き、あなたの勝利を宣言し、その場所を管理する者とさせてください。主イエスの御名を通し、今から聖餐をいただきます。アーメン。