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「幸せな家庭 結婚生活

2014年5月11日 (日)
新城教会牧師 滝元明

ヨハネの福音書 2章1節~11節

『それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、そこにイエスの母がいた。イエスも、また弟子たちも、その婚礼に招かれた。ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、‐‐しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた‐‐彼は、花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。』

 ハレルヤ!おはようございます。すばらしいダンスで、みなさん驚いたと思います。今朝一緒に礼拝が守れることを感謝します。
 私も久しぶりに、講壇に立つことを許され感謝します。四月は韓国に行ったわけですが、みなさんが祈ってくださって本当に感謝でした。また今月の三十一日から六月六日まで、もう一度、韓国のほうで集会がありますから、覚えて祈って下されば感謝です。

 今日は、今読んだ聖書の箇所からお話をしたいと思います。私が結婚したのは、一九五〇年六月十七日です。そして、家内を連れて私の生まれた村に帰ったのですが、それからちょうど今年で「六十四年」になります。六十四年間、お互いに健康が支えられたことを感謝します。ですからそれを感謝して、今日は結婚について少し、みなさんと一緒に学んでみたいと思います。

 私が結婚した時、随分親に反対され、私の父と母も結婚式に来てくれなかったのですが、兄が一人で様子を見に来ました。それから家内のほうの母も来てくれたのですが、最近順牧師が話している、東久留米の現在、クリスチャンアカデミーになっている場所で結婚式をあげました。大勢の人たちが来てくれました。
 その時のことを考えると、すばらしい結婚式を与えてくださり、奇跡を与えてくださいました。

 私は結婚式を前にして津具に帰り、家の手伝いをしたり、山仕事をしたり、畑仕事をしたり、田んぼの仕事をしたりして、肋間神経痛みたいになって、痛くて痛くて眠れない夜を過ごしました。でも、親の前で痛い顔をしたら、「そらみろ、イエス様信じてても痛いだろ」とか、「結婚なんかするな!」と言われるから、親の前では痛みを我慢していたのですが、結婚式の中で不思議なことに、聖霊様が臨んでくださいました。私の痛みを全部取ってくださいました。それ以来、今日まで、痛みがなくここまで来ていることは、あの時にイエス様が顧みてくださったと思います。

 それから、私の家内にも栄光を見せてくださいました。その頃は、今の信仰とはちょっと違うかもしれませんが、家内は結婚式の時におしろいとか化粧をしませんでした。
 「化粧はいりません。イエス様の造ってくださった顔で結構です。」と、化粧もしなかったのです。それで家内の母が心配しました。東京は紫外線が強いから、家内の顔は日焼けをしていました。「あんたね、黒い顔をして…」と、随分心配していたのですが、式の最中に、一緒に出た娘さんが二人いて、その人たちがびっくりしました。家内は斉藤清子といいますが、「あら、斉藤先生の顔、白ろうみたい」と、黒いしみがなくなって、栄光に満ちた顔になりました。それを見たお母さんが、「イエス様がかわいそうだと、白くしてくださった」と言いました。イエス様が栄光を現してくださいました。
 結婚から今日まで、とにかく六十四年間の間、守られて、幸せに来ることができたことを心から感謝をします。

 そういう感謝の中で、みなさんも、すでに祈ってくださっていると思うのですが、私が結婚して津具に入ったのが六月十八ですから、今年の六月十八日は、津具でロン・ブラウンさんとイヴォンヌさんを招いて、コンサート伝道をすることにしています。覚えて祈ってください。
 今から三年前くらいにもやりましたが、もう一度やりたいと考えています。原点に立ち返る意味でもやります。
 風喜がベース、寛太がドラム、石塚君がピアノを弾いてくださり、チアゴ君がギターをやってくださいます。そういう集会をします。ですから来れる方は、津具のほうにいらっしゃってください。
 興味のある方は、チラシをすでに作ってありますから、帰りに持って行って、覚えて祈ってください。
 また、十九日は豊根でやります。豊根は二年前のクリスマスにやらせていただきました。あの時には熊滝姉妹が、一人で百三十人券を売りました。それで、二百五十人くらい集まりました。今年もそこでやりますから覚えて祈ってください。
 今回、津具と豊根は入場無料にしてやります。無料ということは、自分でお金を出すことにしています。それから六月二十日には、豊橋で集会をやります。先日、ゴスペルコンサートをした所でやりますから、覚えて祈ってください。今度は少し小さい場所で三百人の会場です。豊橋は入場料が千五百円にしています。協力してくだされば感謝です。
 それと加子母村でもやります。岩木姉妹が自分の家でもやりたいということで、お母さんが召されて少し寂しいところもあると思いますが、やりますから、加子母村のためにも祈ってください。
 それから、大石姉妹の家でもやります。六月二十一日です。親戚の人たちを集めてコンサートをして、福音を伝えたいと願われています。去年は百人くらい集まりました。大石姉妹のためにも祈って、応援できる方は応援してくだされば感謝です。

 今日は、なぜ、この箇所を選んだのかというと、私が結婚する時、メッセージを植松という牧師先生、司式に立ってくださったのは、アメリカのリースという先生でした。二人で結婚式をしてくださいました。
 その時、植松先生がメッセージの中で、今日の箇所を開き、イエス様がガリラヤのカナで最初の奇跡を現されたことについてお話しなさいました。

 この結婚式にイエス様も招かれ、当時の習慣で、披露宴でぶどう酒を出したけれど、ぶどう酒がなくなってしまったのです。それで、「ぶどう酒がなくなりました」と言うと、イエス様が、「そこにある六つのかめに水を注ぎなさい」と、八十リットル、百二十リットルも入るような水瓶に水を入れなさいと言われました。水を入れて持って行って飲ませたというのです。
 そうしたら、水がぶどう酒になっていたのです。「ぶどう酒になった水」と書いてありますから、水ですが、すごく美味しいぶどう酒になった水を出した時、宴会の責任者がびっくりしたのです。なんといったかというと、「普通はだいたい先に良いものを出して、酔いが回ったら、悪いものを出すものだけれど、あなたは良いものを最後まで取っておきました」という箇所です。

 この事を通して、植松先生が普通の結婚は、初めは甘くて良くても、だんだん年月が過ぎると悪くなる。けれども、クリスチャンの結婚はそうではなく、後から良いものが出て来ますと、メッセージをしてくれました。それは六十四年前です。
 私はその時のメッセージを思い出しながら、家内は九十一歳、私も八十五歳ですが、ここまで守られたことは、本当にイエス様の恵みしかないと思います。

 私の好きなみ言葉に、エレミヤ書十章二十三節があります。こういう言葉があります。

『主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。』

 こういう言葉があります。今日まで、六十数年の間、恵まれた結婚生活ができたことは、「私は知っています。人間の道、滝元の歩いた道は、その人によるのでない。歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。」ということです。幸せにしたのは「あんた自身じゃないよ。主だよ」ということですね。
 ですから、今日まで良く導いてくださったことを考える時、イエス様が幸せにしてくださったことを、つくづく感謝しています。

 家でゆっくりテレビを見ることは少ないですが、二日ほど前、家内と一緒に長くテレビを見ました。どういうテレビ番組かというと、みなさんも見たかもしれませんが、森光子さんの生涯をやっていました。
 森光子さんは国民栄誉賞をもらい、「放浪記」を千何百回もやったという、素晴らしい人で、日本では「愛されているお母さん」と言われるような人です。その人の生涯をやっていました。私もちょっと見てみました。
 そうしたら彼女は、一人の男性と愛し合い、結婚する直前に、その男に奥さんがいる事がわかったそうです。「私は結婚しません。」と言うと、その男が「あんたがなくては生きていくことができない。私はあなたを愛している」ということで、結局、男は離婚して、森光子さんと結婚したというのです。それから彼女は有名になったそうですが、演劇に夢中になり、うちのことをあまりしないということで、その男は「離婚する!」と言って、結局、離婚したそうです。
 有名な人ですが、ある意味においては、人のご主人を取ったり、離婚したりして、「結婚生活は不幸だったな」と思います。

 幸せに生きる為には、やっぱり、イエス様がなくては生きることができないと思います。イエス様がなくて良い家庭を作ることは、今の時代は特に難しいと思います。
 ビリーグラハムという人がこう話していました。「幸いな家庭は、この地上に神の国、天国を見る。結婚して天国をもっと深く知った。」と語っています。
 ビリーグラハムはアメリカの大伝道者です。今ちょうど、札幌でビリーグラハムの息子、フランクリン・グラハムが来て集会をしています。その舞台監督をしているのは、娘婿の岩井寛君がやっています。今年の五月も福岡でやりました。
 あの家庭は良い家庭です。グラハム先生たちは愛し合って、奥さんは亡くなったけれど、イエス様の中にあったから、息子もすばらしい伝道者になりました。
 私たちの人生で必要なことは、神様が祝福してくださることが第一です。

 ある方がこう言っていました。「不幸な家庭は、この地上で地獄を見る」と。家庭で問題が起きたりすると、その中に地獄を見るような家庭になります。しかし、幸せな家庭を作る秘訣は、難しいことではないのです。イエス様の支配する家庭は幸せになるのです。
 イエス様が家庭を支配してくださったら、必ず幸せになる。しかし、悪魔が支配する家庭は不幸になるのです。
 私も十九歳の時にイエス様を信じて、結婚したのが二十歳ですが、早めに結婚しました。自分の人生を考えてみて、今日まで来れたのはイエス様しかないなと思います。

 この間、遠足がありました。設楽町名倉の川口という場所に行きました。マスを捕って、それを焼いて食べたり、楽しい一時を持ちました。バスで行きましたが、私もつくづく感謝しました。
 行く途中に、設楽町に川向という場所がありました。ダムで沈んでしまう場所ですが、川向という場所を見た時に、「いや〜、良かったなぁ〜」と思いました。

 私は十一人兄弟です。九番目に生まれました。川向に、私の父親の弟、大久保米兵という人が住んでいました。そこには子どもがありませんでした。
 私が生まれた時、父親と約束をしました。「今度生まれた子を、俺の家にくれ」ということで、私は大久保家にもらわれる事になりました。
 今でも忘れることができませんが、三歳くらいの時、津具から私の兄と、私の母と、三人で田口に行きました。それは、私をその家にあげるために、母親が私を連れて行ったのです。そうしたらおばさんが喜んで、私をおんぶし、三歳くらいだったと思いますが、あやしてくれたり、いろいろやってくれました。
 そうしたら、母親が「明。歯医者行って帰って来るからな。ここでいい子にしておれよ」と言いました。随分時間が経った後、家の向いに一五一号線の道路が見えるのですが、ぱっと見たら、母と兄が手をつないで走って逃げていくのが見えました。私はそれを見つけ、悲しくて後を追いかけました。
 「おっかさん!なんで俺を置いていくの!!」と母に飛びつきました。その時、母親が情に負けました。おじさんとおばさんに「もう少し大きくなってからあげるわ」と言いました。しかし結局、あげなかったのです。
 もし、あの時、私が川向の子どもになっていたら、私は今頃、津具で百姓をやっていると思います。炭焼か何かやって、今頃、ここにはいなかったと思います。イエス様の摂理です。

 田口の学校を出て、東京に勉強に行く時、親父がそのおじさんと相談しました。「東京に勉強にやってもいいか」『まぁ一年くらいだったらいいじゃないか』ということで、私は東京農業研究所に行きました。全国から三十人くらい集まった所に行きました
 しかし、私は、「俺はあんな田舎では飯は食わん」と考えました。正直いって、私は田口農林の時には成績が悪かったのです。今でも覚えていますが、二年生の時の成績は六十人のうち四十番目でした。三年生の時には十九番でした。進歩賞というのをもらいました。
 なぜかというと、勉強できるような状態じゃありませんでした。私は家から歩いて学校まで毎日、二十四キロも歩いたのです。だから勉強どころじゃありませんでした。
 だけど、東京に行ったら、寮に入っているので、歩く必要もなく、勉強ができるのです。感謝なことに、ある時のこと、先生がみんなの前でこう言いました。「この度、農業経済学で百点取った男がおる」
 誰かな〜と思ったら、「滝元明君」と言ったのです。私だったのです。私が一番良い成績を取ったのです。

 その時から「将来、あんな所で飯を食わないで、農業経済学を勉強しよう。」それから、私の夢は学者になりたいという考えになりました。そして特別頼まれて、将来のための研究員として残されました。
 あの時、一年で田舎に帰ったら、私はクリスチャンになりませんでした。三年目にイエス様にお会いしたのです。イエス様にお会いして、「このために命をかけていこう!」と決心して、自分の村に帰りました。

 神の摂理は、みなさんにもあります。みなさんも考えてください。結婚されている方も、すでにご主人や奥さんが亡くなった方もいらっしゃるかもしれません。また、これから結婚される方もいらっしゃると思います。神なくて選択して結婚する人もいますし、神なくて生きる人もいるけれど、イエス様がいなかったら幸せになることは出来ません。私も、イエス様がいてくださったおかげで、結婚して六十四年も幸せに生きることができたことを、本当に心から感謝しています。

 私は東京で「将来いい人と結婚したいな」と考えました。ある時、伝道者になることを決心しましたから、教会に行って、きょろきょろしたことがありました。「あの女の子がいいかな。この女の子がいいかな・・・」と、いろいろ、きょろきょろしました。
 その時に、私を導いた穐近という先生が説教をしました。どういう説教をしたかというと、箴言十九章十四節の言葉から話しました。まだ結婚していない方、このみ言葉をよく覚えてください。箴言十九章十四節、

『家と財産とは先祖から受け継ぐもの。思慮深い妻は主からのもの。』

このみ言葉が与えられたのです。
 その時、私は一番前の席に座っていましたが、先生が説教で、「兄弟たち!いい結婚をしなさいよ!」と言ったのです。私は結婚のことを考えていたから、照れくさくて、「へっへへへ」と笑いました。そうしたら先生が来て、「兄弟、へへへじゃないよ!」と、頭つかまれ振り回され、私はその時に平安を失いました。
 その晩、非常に苦しくなって、「結婚のことはイエス様におゆだねしよう」と考えました。自分で考えないで。

 それである時のこと、私は路傍伝道に行きました。最初に行ったのは舘川という所に集会に行きました。ジープの後ろにトレイラーがあって、それに乗って行きました。あの時分、自動車に乗れるのが嬉しくて、トレーラーに乗って舘川の駅前で証しをしました。すごく恵まれました。路傍伝道ってすごいなと思いました。
 そうしたら、私を導いたミセス穐近という先生が、「路傍伝道もいいけど、あまり実を結ばないから、日曜学校をやったほうがいい。」と言いました。斉藤清子さんに、「あなた、滝元さんを連れて日曜学校に行きなさい。」と言うのです。
 それで「滝元さん、今度の日曜、日曜学校に行きましょう。」と言いました。『どこへ行くんですか?何で行くんですか?』「電車に乗って行く。」と言いました。私は自動車に乗りたくて、電車か…と思いましたが、行きますとついて行きました。

 付いて行って、私は新米なので、家内が先生でお話をするのです。「はい、滝元さん、賛美歌を持っていてください」と言われて、「主我を愛す♪」と賛美して、「つまらんな。こんなことやるよりも路傍伝道の方がいい」と思っていました。
 帰ったら、一人の娘さんが「滝元さん、今度の日曜日、池袋で路傍伝道をやるので、自動車に乗っていきますが、行きませんか?」と言いました。「うわっ!やった!」と思いました。あんな電車で、女たちと一緒ばっかよりもジープに乗ったほうがいいと思って、私は家内に断りに行きました。
 『今度の日曜日はお断りします。私は池袋の路傍伝道にジープに乗って行きたいと思いますからお断りします』と言ったら、「そうですか。いいですよ。ご自由にしてください」と言われました。
 あんまり強い口調じゃありませんでしたが、「そうですか。ご自由にしてください」と言われた時に、何かすごく重荷が来てしまいました。
 なんだか知らないけれど、平安がなくなって、その晩、私は家に帰って祈りました。その時、何曜日だったか忘れましたが、「イエス様、路傍伝道に行ったらいいか。それとも斉藤さんと一緒に、電車に乗って日曜学校に行ったほうがいいか。どっちがいいか教えてください」と祈りました。
 いくら祈っても分からないで、私は最後に「イエス様、これから寝ますから夢で教えてください」と祈って寝ました。

 その晩、イエス様が夢を見せてくださいました。どういう夢を見たかというと、川で四つ網、昔はせせりというのがあって、私が四つ網を川に入れると、斎藤清子姉妹が、一生懸命魚を追ってくるのです。そして網をあげたら、ものすごい魚が捕れました。
 その夢の中で、イエス様が「斉藤さんと一緒に魚を捕りなさい。たくさんの魚が捕れます。」と言われました。それで「わかりました」と言って、私は日曜日に「一緒に連れて行ってください」と言って、行くことになりました。

 もし、あの時、他のほうに行っていたら、家内と一緒にならなかったのかもしれません。分からない時に、主は教えてくださるのです。
 先ほど読んだみ言葉の中に、『家と財産とは先祖から受け継ぐもの。思慮深い妻は主からのもの。』とありますが、ああいうことがなかったら、私は家内と結婚しなかったと思います。
 故郷に伝道に帰ると、おじさんの所に婿に入らないかと言われました。なぜなら約束していましたから。それで私は言いました。「はい。入ってもいいですが、財産を伝道のために使っても良ければ入ります」と言ったら、「ばかやろー!」と怒られました。しかしここまで来れたことは、イエス様の導きがあったからです。自分で道を選ぶのではなく、イエス様におゆだねすることは非常に大切です。

 結婚を考えてみると、マルコの福音書十章六節~九節にこのように書かれています。みなさんがよく知っている言葉です。

『しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。それゆえ、人はその父と母を離れ、ふたりは一体となるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。』

 キリスト教の結婚式に行くと、必ずこのみ言葉を使います。『創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。それゆえ、人はその父と母を離れ、ふたりは一体となるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。』
 だから教会は、結婚式の時に、「誓いますか?」と聞くのです。「あなたはこの女子と結婚し、男子と結婚し、生涯貞操を守ることを誓うか?」「はい、誓います。」
 今、離婚が多いですが、聖書からいうと離婚は間違いです。神様があわせてくださった者だからです。まだ結婚していない方は、神があわせてくださる方があるのです。
 アダムの胸から骨を取り出してエバを造り、「これぞ骨の骨。肉の肉。」と言いました。「神があわせたもう者」とありますから、みなさん、神様が合わせてくださる結婚は非常に大切です。
 ですから、すでに結婚している方は、「俺の家内」と思うけれど、「神様が与えてくれた家内だ」と信じなければならないです。信ずる。大切なことですね。

 マタイの福音書十八章十九節にこう書いてあります。これは大切なことです。いい結婚生活ができる秘訣です。声を出して一緒に読んでみましょう。

『まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。』

 結婚生活の中で、良い夫婦生活を送る為には、夫婦が祈り合うことです。夫婦が朝起きたら祈り合う。み言葉を学ぶ。これは非常に大切なことです。ですからみなさんも、「地上でふたりが心を一つにして祈ったら、天の父が聞いてくださる。」を覚えて祈ってください。

 それから、人生の中で、良い結婚生活を送る秘訣は何かというと、神第一の生活をすることです。神第一。マタイの福音書六章三十三節を一緒に読んでみましょう。

『だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』

 私は家内と結婚する時に、一つの契約を結びました。それは、イエス様以上には家内を愛さないことを約束しました。イエス様の血潮であがなわれて救われた、だから、家内によって救われたわけではない。神によって救われたわけですから、結婚しても、イエス様が第一で、二番目は家内。だから、どんなことがあっても、イエス様を第一にしていきます。家内も、イエス様が第一。次に夫。神を第一にする。
 最近、私が外によく出るので、家内が寂しがるところがあります。韓国には連れて行ったけれど、来週は八尾に行きます。その次の日曜日は、河内長野に行きます。五月三十一日から韓国に行って六日に帰ります。その次の日曜日は、堺福音教会に行って、夜は「やっぱ祈りやねん」という集会に出ます。六月もミニストリーで十日間くらい出ます。家内がよく言います。「あんた、また行くの?いつ帰って来る?」寂しくて時々言うのです。「いつ帰って来る?いつ行く?」と。
 でも家内に言うのです。「僕は、イエス様が第一だから、まぁ我慢しとれ。」

 今日まで、六十四年間、生かしてくださったのは、家内があってだけれども、イエス様があって、家内と一緒に来れたことですから、まず神の国と神の義を第一に求めなさい。
 みなさん、家庭で一番上はイエス様です。イエス様を第一にする。そうしたら必ず祝されるということを教えています。

 この六十四年間、いい結婚生活ができた一つの秘訣は、何回も話しているように、家内は私よりも年上です。七歳も年上で、と言うと、「いえ、六歳半です」と、家内は怒りますが。まぁ大した差はないです。
 七歳くらい年上ですから、私を導いた穐近という先生が心配しました。私は山の中の小僧で、あの人は東京の娘で、私より先に献身しました。家内は一九四七年十月頃に救われて、一九四八年四月二十九日に久留米に引っ越して、それからずっと働いたわけです。
 私が教会に行ったのが、一九四九年二月十三日に初めて行って、二十日に信じたので、私が後輩です。それが結婚することになって、穐近先生は心配しました。
 結婚する前に、私の家内を呼びました。何を言ったかというと、「斉藤姉妹、あんたは滝元兄弟と結婚するけど、あんたは年上だけど、聖書は年上であっても年下であっても、妻たる者、夫に従えとあるから、夫に従うんだよ。」と言ったのです。第一ペテロ三章一節に書いてありますね。

『同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。』

 今日、結婚している方、奥さんは、ご主人によく従っていますか。従わなければいけません。従ったら祝されます。
 この前、この話を他の教会でしたら、「先生!そんなこと言ったら、うちの主人は高ぶっちゃいますよ」なんて言いましたが、それは別です。『たとい、みことばに従わない夫であっても従え』と書いてあります。

 それから私を呼んで、先生が私にこう言いました。第一ペテロ三章七節、

『同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。』

 こういう事が書いてあります。みなさん、結婚生活で妻を尊敬しなさいとあります。それから、キリストが教会を愛して命を捨てたように、命がけで妻を愛しなさいとあります。
 教会に来て「イエス様を愛します!」と言っても、夫婦喧嘩をしている人は本当に愛しているとは言えません。奥さんに暴力をふるっていて、「イエス様愛します!」これはないのです。ご主人のいうことを全然聞かないで「イエス様愛します!」これもないのです。
 愛するということは、神のみ言葉に従うかどうかが問題だから、妻を尊敬しなさいとあります。いい家庭を作るためには、奥さんを尊敬しなさいと書いてあります。

 穐近先生が私に忠告したことがあります。「兄弟、夫婦喧嘩するな。」随分厳しい先生で、「夫婦喧嘩なんかしたら除名する。喧嘩するなよ!」と言われました。
 その点、穐近先生という方は偉い方で、夫婦喧嘩をしない方でした。あの人はよく人を怒鳴っていましたが、奥さんを怒鳴っている所は見たことがありません。
 しかしその先生がぽつりと言いました。「だいたい夫婦喧嘩は、子どもができてからやる。子どもができても夫婦喧嘩をやっちゃいかん。」と言うのです。

 なぜかというと、結婚したばかりは、愛し合っているでしょ。会社行く時に「あなた、いってらっしゃい〜!」帰って来たら、「あなたおかえりなさい〜!愛してる!」と、ご主人たちは、会社に行くと随分戦いがありますから、傷ついて帰って来ても、奥さんの愛で、「待ってた!」と言ったら、心癒やされるのです。
 しかし、子どもが生まれたりすると、奥さんの愛が子どもに移ってしまうのです。子どもがかわいいから、朝だったら、手を振って「いってらっしゃ〜い!」と言っていたのが、子どもをあやしながら「いってらっしゃい」に変わるのです。帰って来たら、「そこにご飯作ってあるから食べといて。」こうなると、だんだん心が冷えてくるのです。外で傷ついているのは同じなので、「ちぇっ、バーにでも寄って一杯飲むか」という人もいます。それで浮気する人もいる。
 結婚生活の中で一番大切なことは、子どもよりも妻を愛すること。子どもはだいたい中学生くらいまでは「母ちゃん母ちゃん」というけど、中学二、三年生、高校生になると、言わなくなります。恋人ができると、そちらの方が良くなるのです。いつの間にか離れるでしょ。
 だけど、夫と妻は別れちゃいけない。最後まで、子どもよりも妻を愛する。これは大切なことです。エペソ人への手紙四章二六節、

『怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。』

 みなさん、怒ると悪魔にやられてしまうのです。だから、夫婦喧嘩をして、「もう絶対ものも言わん!」なんて言うと、悪魔にやられてしまうのです。みなさん、もし怒ることがあっても、日が暮れるまで怒ってはいけないのです。
 だから夫婦喧嘩はしない。互いに許し合っていくということは、大切なことですね。

 私の好きなみ言葉を、最後に二つ紹介します。ヨブ記三一章一節~十二節。私は、このヨブ記が大好きです。こう書いてあります。

『私は自分の目と契約を結んだ。どうしておとめに目を留めよう。』

 人間というのは、だんだん変わりますね。この間、長男が私と家内の結婚式の写真を出しました。それから穐近先生の奥さんの写真を出しました。私の家内も出て、家内の写真を見て、「うちの家内は美人だったな」と思いました。
 今見ると、しわくちゃばあさんになりましたが、昔は美人だなぁと。
 だんだん年を取ると、誰でもしわが増えるものです。女性としての魅力も少なくなるけど、ヨブという人は、『私は自分の目と契約を結んだ。どうしておとめに目を留めよう。』かわいい娘が歩いていても、目をきょろきょろしないということです。
 私たちは結婚した以上、契約を結ばなければいけません。自分の妻だけを最後までしっかりと愛する。どんなに弱くなっても、年老いても妻を愛していくんだと、しっかりしないと祝福はないですね。
 長い所ですから、九節から見てみましょう。

『もしも、私の心が女に惑わされ、隣人の門で待ち伏せしたことがあったなら、私の妻が他人のために粉をひいてもよい。また、他人が彼女と寝てもよい。これは恥ずべき行い、裁判にかけて罰せられる罪だ。実に、それは滅びの淵まで焼き尽くす火だ。私の収穫をことごとく根こぎにする。』

 結婚生活で一番の悪いことは、不倫です。クリスチャンは絶対に不倫してはいけません。自分の妻だけを最後まで愛し通す。ヨブという人は、目と契約を結び、おとめに目を向けない、もしも心が女に惑わされて、待ち伏せしたことがあったら、隣の奥さんを惑わしたら、私の妻が他人のために粉をひいてもよいし、他人が彼女と寝てもかまわんと、そう言っています。
 私も祈っています。「イエス様!生涯かけて死ぬ日まで、妻以外の女性には心移さないで、愛し通すことができますように。」と。今でも私は家内を愛しています。

 それからもう一カ所だけ読みます。箴言五章十五節~二十三節、

『あなたの水ためから、水を飲め。豊かな水をあなたの井戸から。あなたの泉を外に散らし、通りを水路にしてよいものか。それを自分だけのものにせよ。あなたのところにいる他国人のものにするな。あなたの泉を祝福されたものとし、あなたの若い時の妻と喜び楽しめ。愛らしい雌鹿、いとしいかもしかよ。その乳房がいつもあなたを酔わせ、いつも彼女の愛に夢中になれ。わが子よ。あなたはどうして他国の女に夢中になり、見知らぬ女の胸を抱くのか。人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。悪者は自分の咎に捕らえられ、自分の罪のなわにつながれる。彼は懲らしめがないために死に、その愚かさが大きいためにあやまちを犯す。』

 自分の妻はどれだけ愛してもいい。妻を楽しめと書いてあります。奥さんに対して愛が少なくなった方は、今日、家に帰ったら言ってください。「僕、君を愛しています」と。夫に対して愛が足らなかったら、ご主人に「私も思い直して、愛します」と。愛し合っていくことが祝福になるのです。
 私は心に決めています。私は巡回しているでしょ。私はアダルトビデオとか見たことはありません。金をちょっと入れると汚いものが出ています。見ない。あれを見ていると捕らえられます。それはサタンの罠です。だから、汚れたものに目をやらない。雑誌でも目を留めない。なんでもいいのではないのです。
 いい家庭を築くために、命をかけて、神様の前に従わなければなりません。

 結婚式の時に、リースという先生が、プレゼントをくれました。贈り物です。今でも覚えています。スプーン、フォーク、ナイフ。それはどうでもいいけれど、その中にみ言葉が書いてありました。「志の堅固な者を神は守る」とありました。志を決めるのです。
 教会に来たら、「これから聖い生活を送ります。」
 まだ結婚しない方は、「私は神を恐れた、すばらしい女性と結婚します。」「神様の備えた人と結婚するのを待ちます。」「結婚したら、私は生涯、浮気をしません。」結婚している方は、「これからも妻を愛していきます。」
 すでにご主人か奥さんを天国に行った方もいらっしゃいますが、その方も、最後まで、聖い人生を全うすることが祝福される道です。
 夫婦喧嘩をやっている家庭は良い家庭ができません。
 お互いに愛し合って、いい家庭を作り、幸せな結婚生活を送っていただきたいと思います。これから結婚する方には、良い人が与えられるようにお祈りしたいと思います。

 ということで、今日のメッセージはこれで終わります。一言お祈りします。みなさん、今日、自分の妻を愛しているか、ひとつ考えてください。奥さんを愛しているか。夫を愛しているか。もう一度考えて、愛が冷えたら、今日は、これから愛して行きます。それから子どもも愛さなきゃいけない。しかし妻以上に、子どもを愛しちゃいけない。子どもよりも夫を愛する。妻を愛する。一言お祈りして聖餐にあずかりたいと思います。

 愛する天のお父様、感謝します。結婚して、六十四年の間、あなたのご愛の中で、こうしてしあわせをいただいたことを、心から感謝します。人の道は自分によるものではありません。私たちは自分の力、自分の意思、そういうこともなく、あなたの恵みだけが、私たちをここまで幸せにしてくださいました。どうかこの教会に来るお一人一人が、幸せな家庭を作り、これから良い結婚生活ができるように導いてください。
 これから聖餐にあずかります。イエス様、あなたが私たちのために、教会のために、命を捨ててくださったように、私たちも命がけで妻を愛し、また夫を愛して従っていくことができるように、イエス様ご自身の血潮によって聖め、あなたの裂かれた肉によって、私たちの傷も癒やしてくださるようにお願いいたします。これからの聖餐を、特別祝福してくだるように。主イエスの御名によってお祈りします。アーメン。