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「準備は万全ですか?」

2014年6月15日 (日)
新城教会牧師 岡本信弘

エレミヤ29章10節〜13節

『まことに、主はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。」

 ハレルヤ! 主の御名を心から賛美します。六月に入って急に暑くなりました。体調を崩しやすい季節ですので気を付けてください。私は皆さんのお祈りに支えられて、こうして健康が守られ、主の奉仕ができることを感謝しています。

 さて、先に読んでいただいたみ言葉は、イスラエルの民がバビロンへと捕囚され、自分たちがこれからどうなってしまうのかという不安と失望の中にいた時、「決して忘れない。決してあなたを見捨てない」という、神様からの約束が示されています。この約束を手にするために、私たちがなすべきことを探りながら、『未来の準備は万全ですか?』というテーマでお話をしたいと思います。
 私がこの年のために与えられたみ言葉は、『また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。』(第一テモテ六章十九節)です。私はいつも心に止めていますが、そのためには、しっかりとした基礎が必要であり、今が大事だということも学ばされています。
 皆さんは、時々に過去を振り返り、いろいろなことを思い出されているのではないかと思います。最近、先生方も年をとったのか、昔話をよくされるようになったと思います。時には私の写真がここに映し出されます。誰が許可したよ…と思ったりしますが…(笑)。
 私は家で、昔を懐かしんでアルバムを見るということがほとんどありませんので、礼拝の時に映し出される写真を見て、「あぁ、あんな若い時もあったなぁ」と、思い出がよみがえってきます。といっても、私は結構、昔のことを忘れてしまっているのですが…(笑)。
 皆さんには、楽しかったこと、嬉しかったこと、恵まれたことなどたくさんの思い出があるでしょう。しかし、人生の中で一番の恵みは、イエス様に救われ、今こうしてここにいることができているということではないでしょうか。
 そして大事なことは、今までどんな生き方をしてきたかではなく、これからどのように生きていくかだと思います。しかし、明日のことは誰にも分かりませんから、不安がつきまといます。
 
大きな被害をもたらしたあの東日本大震災から、三年以上が過ぎました。日本では、地震がいつ、どこで起きても不思議ではないし、この辺りでも、明日、地震が来るかもしれません。さすがに新城に津波が押し寄せることはたぶんありませんが…。
あの時、家が流され、車が流され、そして人々の不安に満ちた様子が、連日テレビで映し出されていました。こんなことが起こるのだろうかというほどの、信じられない光景でした。
すぐに救出、復興支援がいろいろな形でなされてきましたが、先日、住む家だけでなく、田畑を失い、最愛の家族を失った方がインタビューを受けている姿を目にしました。その方は、「みんな、将来に希望があると言うけど、こんな状態にどんな希望があるのか。失望しかない」と話しておられました。表面的には復興されているかもしれませんが、心に残った傷は、簡単に癒えるものではなく、苦しんでおられる方がまだまだたくさんいるということを、あらためて思わされました。
 私は、あの東日本大震災の時に東京にいました。東京でもかなり揺れて、大勢の人が近くの公園に避難していました。
私はなぜか、大きな地震が起きる時には新城にいないことが多いのです。ですから、よけいに神様の守りがあるなぁと思うのですが…。
 阪神淡路大震災の時には滋賀県にいました。夜中に大阪に向かっていたのですが途中疲れて眠くなり、彦根のサービスエリアで休んでいました。朝六時過ぎに目覚めて、何か様子が違うなぁとは思いましたが、気にも留めず走り出しました。本線に出てしばらくすると、「すぐ外に出よ」と警告ランプが点灯していました。「何が起きたのかな?」と思いながら、すぐ次のインターで降りて、お腹が空いたから何か食べようとファミリーレストランに入り、テレビを見て愕然としました。もし休まずに走っていたら、きっと地震が起こった時刻には大阪に着いていただろうと思うと、ぞっとします。
新潟の地震の時も車に乗っていましたし、ハワイの時には、明先生と一緒にホテルの十何階にいました。朝方で、「あぁ、なんかベッドがゆらゆら揺れている」と半分寝ぼけていて、明先生に「おい! 地震だぞ!」と言われて飛び起きました。そんなことがある度に、主の守りがあったことを本当に感謝しています。
誰も過去に対して準備する人はいません。準備とは、これから起こり得ることのためにするわけです。地震はいつ起こるか分かりませんが、防災のための準備が必要ですね。
 聖書にはこんなことが書かれています。

『主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのような時に、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。』(第一テサロニケ第一五章二〜四節)

 この世の終わりは突如として訪れるとあります。ここにいるほとんどの方は、イエス・キリストを信じています。イエス様を信じた私たちは、すでに暗やみから救われ光の中に入れられていますので、主の守りがありますが、主の日に備えて身を慎むことも大切です。明日のために今日が重要であり、今の準備によって未来が開かれるのです。

 誰もが幸せな人生を送りたいと願っていることでしょう。では、そのために必要なことは何でしょうか?
 マタイの福音書に、家を建てた二人の人のたとえ話が書かれています。一人は岩の上に、もう一人は砂の上に建てました。ある日、洪水が来ました。岩の上に建てられた家はびくともしませんでしたが、砂の上に建てられた家は、押し流され倒れてしまいました。どちらも外見は変わらず、立派であったかもしれません。しかし、見えるところではなく、土台が問題だったのです。

『ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。この福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられているのであって、このパウロはそれに仕える者となったのです。』(コロサイ人への手紙一章二十三節)

私たちクリスチャン人生も、土台がしっかりしているかどうかが重要です。その土台は、イエス・キリストです。イエス様という信仰の土台をしっかり固めているかどうかが重要です。

 私は、二十数年前に家を建てました。元々は畑地でしたので、まず地盤調査をして、しっかりと土台を固めました。
 次に、使い勝手・動線・間取りを考え、設計士さんと何度も相談し、設計図を書いてもらいました。
 このように、家を建てる時にはいろんな準備が必要です。「家は三回建てて、やっと満足するものができる」そうです(三回も家を建てられる人はどんな人だろうと思いますが…)。しかし、どんなに考え抜いて建てても、住んでいるうちに、「あそこをこうしておけば良かった、ここは使いにくい」などと不備が出てくることは、家を建てた人なら少なからず体験しているでしょう。

 そんな中で、今日は、三つの設計図について考えてみたいと思います。
 第一にあなた自身の設計図を考えてみましょう。
誰も、生まれてすぐ、「私は将来こうなりたい、こうしよう」と人生設計をした人はいないでしょう。ある程度大きくなるまで、親があなたの性格、得意なことなどを見つけて「この習い事をさせたらいいのでは、あれをさせよう」と設計図を描くものだと思います。
 しかし、ほとんどの場合、親の描いた設計図どおりにはいかないものです。いつしか自分で設計図を描き始め、人生経験豊かな人のアドバイスを聞きながら進んでいきます。しかし、「これで大丈夫」と思ってみても、時々に失敗したり、壁にぶち当たったりします。

 余談ですが、私は今年五十八歳になります。今回メッセージを考えながら思い返していたのですが、五十年以上も前、保育園に通っていた時(私にもかわいい時がありました)のことです。
 私は保育園の先生から「天才!」と呼ばれていました。現在、その片鱗もありませんが…(笑)。当時の学芸会には必ず主役がいて(今は主役が一人だけということはないようですが)、私は、毎年主役でした。なぜかというと、たぶん声が大きかったからだと思います(笑)。後で母から聞いたことですが、園長先生から、「お宅の子は台詞をすぐに覚えるし、将来きっと大物になる」と言われていたみたいです。親は、「期待を裏切られた」と思っていたかもしれませんが…(笑)。

 皆さんは今までにどんな選択をしてきたでしょう。高校受験、大学受験、就職先でしょうか。私の人生においては、就職するまでは、親が用意してくれた設計図どおりの人生を進んでいたといえるかもしれません。私にとって、自分の選択で一番大きなことは、結婚でした。
 私は、あまり物事を深く考えない、いい加減なクリスチャンでした。しかし、小さい時、明先生から「結婚は重要だよ。人生を大きく変えるものだ」と聞いて、結婚に対しては真剣に「良い結婚をしたい」と思っていました。
私が家内と出会ったのは、私がまだ二十歳の頃でした。以前属していた教団で、毎年夏にキャンプが行われていて、そこで初めて出会い一目ぼれしました。若かった私は、その時には漠然と「将来こんな人と結婚できたら…」というくらいの思いでした。しかし、だんだんと「この人が、御心(みこころ―神様の思い)の人かもしれない」という思いと、「これは、お心(おこころ―自分の思い)ではないか」という思いの中で迷っていました。
 ある時、「しっかり祈って神様の御心を求めよう」と思い、「神様、この人が私の御心の人であるなら教えてください」と真剣に祈り始めました。何の答えも来ませんでしたので、やっぱりお心かと思い、あきらめようと思いました。しかし、どうしてもあきらめられず、数ヵ月たった時、私は意を決して、五日間の断食の祈りをしました。
 その当時、私はマルイチで働いており、朝四時に起きて市場に行き、夜の十一時頃まで仕事をするという日々でした。自分で魚を切り、横では天ぷらを揚げているような、食べ物に囲まれた状況で五日間の断食をしました。よくやったなぁと思いますが、その時は苦になりませんでした。私は、「神様、私にはどうしても御心が分かりませんが神様はご存知です。もしこの思いが御心なら、私が手を下さないところでこの話を決めてください」と、神様にすべて委ねて祈りました。
 すると何ヵ月かして、静岡教会の見城先生の奥様から突然、電話がありました。私はちょうど店で働いていましたので、なんだろうと思って電話に出てみると、「信君が長橋さんのことを祈っていることを聞いたから、私が姉妹に聞いてあげたよ。そうしたら姉妹が三日間断食して祈り、今日、結婚のOKが出たから」と言われたのです(家内はその頃、静岡教会に通っていました)。
 私は何も頼んでいないし、家内が断食して祈っていたことも知りませんでしたが、後から聞いてみると、私の気持ちを知っていた新城教会の悪友たち(この講壇で話しているような先生たちですが…)から、話が見城姉に伝わったようでした。私の知らないところで話が決まったのです。自分の願いを神に委ねた時、私の願ったとおりに神様が御心をなしてくださったのです。この事に関しては、御心を疑う余地がありません。本当に、感謝しています。
 神様は私たちに恵みを与え、いつも正しい道へと導いてくださいます。
エペソ一章十一節に、『私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。』とありますが、私たちには神様が用意してくださった計画書があるのです。これからも、決断を迫られることが何度もあると思います。ただ、神様の立ててくださった計画書どおりに進むかどうかは、私たちにかかっています。
最近、書類申請などのために何度か愛知県庁に行っているのですが、設計士さんと一緒に出掛けた際、「ここ、かなり古いみたいですけど、地震が来ても大丈夫なんですか?」と尋ねると、「この建物はすごい古いんだけど、重要書類がたくさん保管されているからいうことで、つい最近、建物はそのままで周りを掘っていき、土台だけを造り直したんですよ」と言うのです。そんなことができるのかと思い、ビックリしました。
 すでに皆さんはそれぞれ人生を積み上げてこられました。今からやり直せるのか、そんなに簡単に修正できるのかと思うかもしれませんが、神様を土台にしっかりと据え、神様の立ててくださった計画書どおりに歩む決心をするなら、良き人生を建て上げることができるのです。
 ヨハネ十五章十六節には、『あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたががわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。』と書かれています。すでにあなたは神様によって選ばれており、神様があなたが幸せに生きるための設計図を用意しておられるということです。
最終的な決断はあなたに委ねられていますが、神が遣わそうとされている所に進んでいき、精一杯仕えていくなら、多くの実を結ぶことができると約束されています。

 第二に、あなたが属しているこの新城教会の未来設計図です。
新城教会に霊的戦いが始まって、来月で二十二年となります。あの日以来、教会の働きは一遍しました。全国に八千近くの教会があると言われていますが、霊的戦いによってこんなにも変わった教会は、なかなかないでしょう。誰が今の新城教会の姿を想像したことでしょう。
 家には重要な柱が何本かあります。皆さんが家を建てる時に、見た目を考え「この柱は邪魔だから取ってほしい」と言っても、構造上どうしてもはずせない柱が何本かあります。それと同じように、霊的戦いは、神様の設計図の中で、新城教会になくてはならない柱のひとつだと思います。神様が、この働きをこの教会に与え、導いておられるのです。
 そして、この働きを担うために選ばれたのが、ここにいるあなたであり、私なのです。それは、二十二年前にいた人も、それから加わった人も、それぞれに神様に任せられた役割があります。最近、順先生が話されている「管理人としての責任」を果たすことが大切であるということを、覚えていただきたいと思います。
 一九九二年七月九日の早朝、突如として霊的戦いが始まりました。その日がどんな日か誰も知らなかったのですが、それは、今から四百年以上前の一九五七年五月二十一日(現在の暦に直すと、七月九日になります)、織田・徳川連合軍三万八千と武田軍一万五千との戦いが起こった、まさにその日だったのです。この戦いで、一日のうちに一万数千人が犠牲になったと言われており、その死者の怨念を鎮めるためにという名目で、慰霊碑や神社が建てられ、今も祭りが続けられています。
 偶像礼拝に縛られている民をその悪しき力から引き離し、目を覚まさせ、神に立ち返らせること、これが、新城教会に与えられた使命のひとつです。神様は、かつて悪しき力によって日本の歴史を変えることになったこの地域を、今、日本のリバイバルを切り開くポイントとして、この教会を選ばれたのだと私は信じています。

 この敷地内には現在、新城教会、全日本リバイバルミッション、プレイズ出版の三つの働きがあります。霊的戦い以降、霊的戦いを学ぶことのできる神学校が起こされ、近年では、霊的戦い専門コースも開設され多くの方が学びに来られています。
 また、プレイズ出版は、印刷・出版を業務としていますが、教会、ミッションと志をひとつにしています。そんな中で皆様にすでにお知らせしていますように、プレイズ出版は、老人ホームとレストランの建設という新規事業に着手しました。来春には、オープンしたいと願っています。
 私の兄である岡本正弘は以前から「いつか老人ホームを建てたい」と語っていました。しかし商売に忙しく、なかなか進めることができずにいました。そのビジョンを引き継ぐ意味も含めて、マルイチを設計してくださった方に老人ホームの設計をしていただいています。
 また、イタリアンレストランは、皆さんもよくご存じの平岡先生の橋本教会の教育館を設計された方に、お願いしています。平岡先生は、プレイズの取締役の一人でもありますし、ご自分でもレストランをしていることもあって、いろいろとアドバイスもいただきながら準備を進めています。現在は、様々な申請に追われていますが、着々とその準備が進められています。
 老人ホームの名前は、「アークホーム」と決まりました。アークとは、神様が人類を救うためにノアに命じて造らせた「箱舟」を意味していますが、神様の守りの中で、お年寄りたちが平安に楽しく生活できるように、という願いを込めてつけられました。これがそのロゴマークです。

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 また、この老人ホームのイラストですが、元の設計図から描いたイラストはこんな感じです。

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 私は、この働きが新城においてよき証しとなり、この地を勝ち取るためにも大きな役割を果たしていけたらと願っています。ぜひ、お祈りください。
 このことについて話し出したら時間がどれだけあっても足りません。パンフレットもできましたので、話を聞いてみたいと思われる方に、礼拝後、ご説明させていただきます。入居する、しないにかかわらず、興味のある方に集まっていただければと思います。

 そして第三に、日本のリバイバルの設計図です。
 先日、年金についてのテレビ番組を見ました。百年安心と言われてきた年金制度ですが、現在、年金に対する不安から、多くの若者たちが年金を滞納しているという問題がクローズアップされていました。「ほんとうに年金を受け取ることができるか?」という質問に対して、「少なくなるけど受け取れるだろう」と政治家が答えていました。しかし、これにも何の保証もありません。国会の答弁を聞いていても、議員定数削減や議員の歳費削減の議論がなされるものの、一向に進んでいないことをみると、口先だけで、身を切る覚悟など初めからないと思わざるを得ません。
日本のリバイバルも同じだと思います。日本の教会が、日本のクリスチャンが、リバイバルを願っていますが、言うだけなら誰でもできます。そのためにどれだけ祈り、どれだけ捧げ、どれだけそのために労したか、どれだけ犠牲を払うことができるかで、日本の将来が決まっていくのではないでしょうか。
 明日を知っておられるイエス様は、日本に大きな計画を持っておられ、将来に向けて素晴らしい設計図を用意されておられると信じています。しかし、どんなに良い設計図ができていても、実際に建て上げる人がいなければ、その設計図は意味のないものになってしまいます。
 日本のクリスチャンが、そして、あなたが働かなかったらリバイバルは、実現しないことを覚えてください。

 今年、「環・関西リバイバルミッション」の計画が導かれ、毎週のようにミッションの先生方が、決起大会に出かけておられます。月に一度、大阪において勇士祈祷会も開かれています。そこには毎回、大勢の方が集い、力強く祈っていると聞いています。特に、甲子園で共に戦ってくださった先生方や兄姉が、再び集まってくださっているとのことです。感謝ですね。
 この大会をさらに盛り上げようと、「やっぱ祈りやねん 関西!!」の文字をプリントした特製Tシャツを作りました。一枚千円です。これを売って儲けようということではありません。これを着ているのをほかの人が見たら、「やっぱ祈らなくちゃ!」という気持ちになると思います。関西ミッションの認知を高め、祈りの意識づけをするためにも、ぜひお買い求めいただけたらと思います。今日は、プレイズのスタッフも何人か着ています。なかなかカッコいいですね。

 全日本リバイバルミッションの発足に大きくかかわったのは、二十数年前、「阪神甲子園球場で、日本人の手で、日本人の説教者によって集会をしたい」というビジョンを下條先生が語られたのを、明先生が信仰によって受け取ったことから始まった、甲子園リバイバルミッションでした。
 新城教会の歴史の中でも、甲子園ミッションは、大きな転機であったことは間違いないでしょう。
 明先生から「やろう!」と言われた時には、あまりの大きい計画に、到底できるとは思えなかったので、私も順先生も反対したことを覚えています。しかし、神様の描いた設計図は、どんなに人が反対したところで、くつがえされることはないと知りました。
開催することが決定してから、様々な戦いがありました。外部からの反対の声が消えることはなく、ある人は「リバイバルミッションはデカいことばっかり言って、お金を使うだけだ」「売名行為だ」と言い、また、「甲子園に、そんな集会をする小さな部屋があるのか」と笑いました。
 結果はどうだったでしょうか。確かに金銭的な面など大変なこともありましたが、その集会では多くの方が神様の前に救われ、献身の意を表し、癒しが起こされました。本当に素晴らしい神様の栄光の現された時でした。
 私は、その時に財務運営を担当し運営本部に詰めていたので、ほとんど集会には参加していませんでしたが、連日、集会の最後に先生方の招きに応じて、あの白い十字架の講壇に涙ながらに上がっていく何百人、何千人という人々の姿を目にし、感動しました。
 そして、すべてが終わった時、私は球場の出口に立って、球場から出て来られる方々に挨拶をしていましたが、皆さんの顔が喜びで輝いているのを見て、涙があふれて止まりませんでした。神様は確かにここに働いてくださったんだと強く感じる時でした。
甲子園以来、各地でミッションが開かれてきました。ハワイ、韓国、台湾、タイ、そして今回の「環・関西リバイバルミッション」、来年はインドと言われていますが、その度に「ミッションをやることによっての新城教会メリットは何ですか?」と聞かれることがあります。新城教会には直接的には何のメリットもありません。私がビジネスの観点に立つなら、こんなにリスクが大きくメリットが少ないことは、決してしないでしょう。
 では、なぜミッションはこの働きを続けるのでしょうか。福音を伝えること、これが神様の命令であり、私たちの使命だからです。そしてそれを行うことが、すべてなのです。

『結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。』(伝道者の書十二章十三節)

 皆さんもいろいろな計画をして未来に向けて何度も設計図を書き直してきたことでしょう。素晴らしい設計図だと思って家を建てても、後で後悔してしまうように、ましてや、自分の人生がこれからどんなふうになるかを予測して完璧な設計図を描くことなど誰にもできません。
 しかし、今日の御言葉『わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』(エレミヤ二十九章十一節)は、希望のメッセージです。最も信頼できる神様は、すでにあなたに素晴らしい未来を与えるために、完璧な設計図を用意してくださっているのです。
目の前にある様々な問題に不安を覚え、立ち止まっている方もいるかもしれません。しかし、続く十二〜十三節を見ますと、『あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。』と書かれています。心新たにもう一度、神を呼び求め祈るなら、神様は、「聞こう」と言ってくださり、また心を尽くして探し求めるなら、「見つけることができる」と約束してくださっています。これが、私たち一人一人が未来に対して成すべきことであり、今準備するべきことであると思います。
 
 今から少しお祈りをしたいと思います。皆さんお一人おひとりの未来設計を考えることは重要なことです。また皆さんには、それぞれ希望があるかと思います。しかし、それらのことを一時置いて、『神の国と神の義をまず第一に求めなさい。そうすればすべてのものは与えられる』と、神様が約束してくださっているとおり、自分のことだけを考えるのではなく、神様の御前に自分自身をもう一度ささげ、自分の思い、自分の計画ではなく、まず神様の計画に従うことを決意しリバイバルを祈る時に、皆さんの必要、皆さんの癒やし、皆さんの問題の解決、すべてが与えられると信じます。
あなたが信じている神様は、あなたを決して裏切ることなく、必ずあなたに応答してくださる、今も生きておられる神様です。
お祈りしましょう。