HOME > メッセージバックナンバー > 2014年バックナンバー > 7月 > 7月6日

『あなたは祝福されます

2014年7月6日 (日)
新城教会牧師 滝元明 
民数記6章22節〜27節

『ついで主はモーセに告げて仰せられた。「アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」』

 ハレルヤ!おはようございます。今日は、「あなたは祝福されます」というテーマでお話ししたいと思いますが、期待をしてください。

 その前に、少し感謝をしたいですが、六月にはミニストリーがありまして、お祈りして下さって、本当にありがとうございました。今度のミニストリーは真剣勝負でした。いつでも真剣勝負ですが、祝福された一時を持つことができて感謝します。
 六月十四日は、加子母村でやりましたが、加子母村では三人の方がバプテスマを受けられました。また津具では十八日にやりましたが、その時、先週、バプテスマを受けたS兄弟がしっかりと決断してバプテスマを受けてくれました。また、二十一日には大石姉妹の所で集会をしました。その時に小出姉妹が、ご主人と一緒に来られて、バプテスマを決心され、今度バプテスマを受けるということで大きな恵みをいただいたことを、心から感謝します。今年は大勢の人が救われて、イエス様につながるよう、互いに覚えて祈っていただきたいと思います。

 先週は、今年、ミッションが開かれる堺市で決起集会をしました。堺福音教会という教会で持ちました。その教会は甲子園リバイバルミッションの時に協力してくださった教会ですが、礼拝が八時半からと十一時からの二回あります。ですからそのために、前の晩から行きました。新城教会のすばらしいことは、飯田線、茶臼山駅を降りたらすぐ教会が分かることです。しかし都会の教会は分かりにくいことがあります。
 私は土曜日に一人で行きましたが、新幹線で新大阪まで行って、環状線で新今宮まで行って、それからまた南海線に乗り換えて行きました。向こうの方が喜んでくださって、リバイバルミッションの集会ですから、「何人で来られますか?」と聞かれたので、「滝元が一人で行きます」と答えるとびっくりしたというのです。八十五歳の老人を一人で送るのかと、びっくりしたそうです。今のところ、元気で行くことが出来るのは、本当に感謝です。

 その集会が終わってから、私はうちに帰りました。その次の日の朝八時から、琵琶湖に行きました。関西リバイバルミッションのために、牧師たちと一緒にお祈りしようという集まりでした。全部で十九名の牧師たちが集まりました。同志社琵琶湖リトリートセンターで行いました。そこまで三時間くらい自動車で行きましたが、びっくりしました。すごく立派な施設でした。私もつくづく関心しました。将来、全日本リバイバルミッションも、こういう施設を持つことができたらいいと思いました。そこで一泊祈り会をしました。とても良い交わりを持つことができ感謝です。

 同志社琵琶湖リトリートセンターというのは、同志社大学の施設です。同志社大学は誰が始めたかご存じですか?みなさんよく知っていると思いますが、新島襄という人が始めたわけです。この人は、日本が鎖国から解放される過渡期に生きた人です。彼は武士でしたけれどよく勉強をしました。特に、蘭学といって、オランダの勉強をしているうちに「世界はすごい。」と感動しました。ちょうどその頃、ペリーが来たりして、軍艦を見たりして、「日本は遅れている。」と分かったのです。
 それから、ロビンソン・クルースを読んだ時、「日本は今までの鎖国で遅れている。なんとか日本から抜け出して、素晴らしい国々を見たいもんだ。」ということで、彼はひとつの志を持って、一八六四年、函館から脱出するわけです。脱出ということは、国から無断で逃げ出たということです。吉田松陰という人も有名ですが、彼は日本から脱出して死刑になりました。新島は「なんとかしてアメリカを見たい。あのすばらしいヨーロッパを見たい」と、函館から上海に渡り、上海から香港に行ってアメリカに渡りました。彼はアメリカで十年くらい過ごしたわけです。それを見た時に私はすばらしいと思ったことがありました。
 彼は武士でしたから刀を持っていました。しかし彼が一番求めたのは「自分は聖書を読みたい!」ということでした。聖書は日本にはありませんでした。そこで、香港で聖書を買いたかったけれど、買う金がないから船長に自分の刀を買ってもらい、それで聖書を買って読んだそうです。それからアメリカに行ったわけです。幸いにして彼は、アメリカに行って神学校に入って、牧師になるわけです。牧師になって考えたことは、とにかく鎖国の日本に大学を作ろう、ミッションスクールを作りたいという願いを持ち一九七五年に、新島は日本に帰ったわけです。

 ちょうど彼がアメリカに行った頃は、一八六五年、時の大統領は、アブラハム・リンカーンでした。その時代に彼はアメリカに行って勉強し、日本に帰って来て同志社大学を作るわけです。
 同志社大学を見たことがありますか?すごく大きいです。今、日本にはミッションスクールがいろんな所にあります。仙台にもあります。同じ系列です。今では、関東学院だとか、西南学院だとか、日本にミッションスクールがありますが、当時、新島が京都でミッションスクールを作ろうとした時、すごい反対がありました。幸い、知事がキリスト教に理解があり、許可を出してくれたそうです。誰が反対したかというと、一番先頭に立って反対したのが、寺の僧侶たちです。江戸時代までは仏教でした。だから、ものすごく反対したのです。反対デモを繰り返して、多い時には一万二千人ものデモ隊が出たのです。何を言ったのかというと、当時キリスト教は、耶蘇教と言われていました。「耶蘇教、反対!」「京都を滅ぼす耶蘇は出て行け!」とか、「耶蘇の学校を作ることを京都は認めるな!」と一万二千人の人たちが反対したというのです。
 今となっては考えられません。今、京都の同志社行ってみても、「耶蘇出てけ!」ということは言わないです。どこのミッションスクールを見ても、悪いとは言わないけれど、そういう先輩たちがいて今日の私たちがあることを考えると、感謝しないといけないと思います。

 新島襄は、一八七六年に八重さんという人と結婚しました。八重さんという人を知っていますか?テレビで見ましたね。「八重の桜」を昨年、NHKでやりましたが、山本八重さんという方です。新島襄と結婚し、今の女子大の基礎を作ったのです。いろいろ日本にも新しい光が入りました。かつては「キリスト教反対!」という高札がありましたが、現在はありません。感謝なことに、今は自由に礼拝できるのです。

 実は、最近、一つの資料をもらいました。これは「国際ナビゲーター」という団体の市村先生という、オランダの世界伝道会議に一緒に行った方が今、VIPという、いわゆる上の人たちに伝道する仕事をしています。その人が出している雑誌があって、それを見た時に、「すごい事が起きてるな」と思いました。
 みなさんは知っているかどうか知りませんが、仏教の本で「大法輪」という本があります。だいたい、百万人が読んでいる本です。日本は仏教の人が多いです。
 二〇一四年三月号の大法輪に、どういう記事が出たのかというと、六十六ページに渡り、「キリスト教徒になるには」という記事が出たそうです。
 一つは、「イエス・キリストという希望の光」。その次に、「キリスト教の教えの確信」。その次には、「キリスト者が目指すものは何か」、「イエス・キリストの生涯」、「日本人に薦めたい聖書の名言」、「キリスト教徒になるためには」。
 みなさん、仏教がいい記事を出したじゃないですか。迫害の時代から、そういう本が出たということはすばらしいことです。いつか仏教との人たちも「わしらもキリスト教徒じゃなきゃ駄目やねん」という時が来ると思います。「やっぱり神道じゃだめだ」と。

 私の夢は、この新城市全体、日本中が、真理に目覚めて、イエス様を知ること、これが一つの願いです。そういう時が必ず来ることを信じたいと思います。

 聖書を見ると、使徒の働きの六章七節にこういう事が書いてあります。

『こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰に入った。』

 祭司たちが次々に信仰に入ったとあります。いつかは仏教の寺の坊さんたちが次々とクリスチャンになる時が来るように、信仰を持って祈りましょう。

 そこで、これから本題に入っていきたいと思いますが、今日読んでいただいた御言葉、これは祝福の祈りなのです。もう一度、民数記六章二十二節を読んでみたいと思います。

『ついで主はモーセに告げて仰せられた。「アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。』

 みなさんで、二十四節から言ってみましょう。

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』

 次に何と書いてあるかというと、

『彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。』と書いてあります。

 これは、祝祷です。『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』祈ったら、主がイスラエル人たちを祝福されるのです。

 イエス様が十字架について死んでくださいました。イエス様は呪いとなったのです。木の上にかけられ、いばらの冠をかぶせられ、釘付けられて、木にかけるものは呪われると書いてありますが、呪いを受けて十字架で死んでくださったのです。それは何かというと、イエス様が救いを完成されたのです。それが今の時代です。悪から立ち返って祝福にあずからせるためだと書いてあります。
 神様の御心は、私たちを祝福したいのです。呪いじゃないのです。呪いは誰がかけるのかといいますと、悪魔です。人類を堕落させた天使が呪いをかけているわけです。しかしこの祝祷を見ると、『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。』と告げています。何から守られますか?すべての悪しき根源はサタンです。あなたをサタンの手から守られますように。
 そして、『主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。』すばらしいですね。「呪われますように」ではないのです。『恵まれますように。』です。
 『主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』今日、祝福されて、帰ってください。すばらしい祝福を神は私たちに与えることができるわけです。

 コリント第一の手紙二章九節にこういう事が書いてあります。

『目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。』

 イエス様を信じるということは、奇跡です。イエス様を信じると、今まで私たちが目で見たことのないもの、まだ耳で聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことのないものを、神様は準備しているというのです。
 イエス様を信じると、祝福が待っているのです。待っていて、「祝福をあげる!」と。みなさん、祝福が欲しいですか?誰でも欲しいですね。
 私も感謝なことに、六十五年間、イエス様を信じて来て、六十五年間を振り返ってみると、確かに十九歳の時にイエス様を信じてから、六十五年間祝福された。イエス様によって祝福された。すごいことですね。イエス様を信じたら絶対祝される。イエス様を捨てたら祝福はサタンの手に渡りますから、呪われるということです。イエス様を信じてまいりましょう。

 さて、みなさんどうでしょうか。イエス様を信じているけど、何が祝福になったのか?何を持っていますか?今、平安があります。罪から救われた。いろんな事があると思いますが、私は考えました。僕は十九歳の時にイエス様を信じて、どんな素晴らしいものをいただいたのかな?何をいただいたでしょうか。
 順番はないけど、一つは聖書を手に持ったということです。聖書。みなさん、神の御言葉を手にしたということです。イエス様を知るまで、聖書を知りませんでした。新島襄が船長に刀を売って聖書を買い勉強した、クリスチャンになった。しかし今では、聖書は気軽に手に入ります。神の御言葉です。絶対に変わらないもの。嘘はない。
 みなさん、聖書ほどすばらしいものはありません。マルチン・ルターという宗教改革をしたドイツの人はこう語りました。「聖書は古い本ではない。新しい本でもない。これは永遠の書物だ。」
 アブラハム・リンカーンは、「人間に必要なすべてのものは聖書の中に全部ある。」
 ゲーテは、「もし島流しになった時に、一冊だけ本を持って行っていいならば、聖書を持って行く。」だから聖書はすばらしいです。

 私にとって、人生において、何が祝福されたかというと、聖書を六十五年間、毎日読み続け、聖書を信じて生きてきたということが幸いです。みなさんは聖書を持っていますか?持っていますね。最近、うちの家内は、朝、礼拝していますが、iPadで聖書を読んでいます。最近では聖書を簡単に読むことができますが、軽く考えちゃいけないのです。
 ある国では牛一頭と聖書を代えた人もいます。昔の日本では聖書があるとはすごいことでした。聖書を読むと、「はじめに神が天と地を創造した」とあり、イエス様のことが書いてあって、「イエス様が私たちのために死んでよみがえってくださった」、「信じたら罪が赦される」。聖書があるから、今日、私たちがあるのです。

 信仰は何が大切かというと、第一に事実です。事実。そして信仰を持つことです。感情ではないのです。「教会に行ってみたらいい感じがしたから、クリスチャンになった。」ではないのです。永遠に変わらない神の言葉、聖書を信じた。それを信じて救いの確信が来たということです。聖書をしっかり読んでいきましょう。

 私も世界のいろいろな国々を回りましたが、最初に外国に行ったのは、スウェーデンでした。スウェーデンに行って、「今日は、ヨハネ三章十六節を話します」と言えばスウェーデンでも同じヨハネ三章十六節です。ドイツ行っても、ブラジルに行っても、アルゼンチンに行っても、世界中全部同じです。
 旧約聖書は、イエス様が生まれる四百年くらい前には書き終わっています。旧約聖書は三十九巻です。新約聖書は二十七巻。書かれて以来、訂正されていない。イエス様はおっしゃいました。天地は過ぎ去っても、わたしの言葉は決して過ぎ去らない。聖書は宝です。だからどこに行くにも聖書を持っていくことは、私たちの人生に対して、大きな祝福になります。

 そして、まだ目で見たことのないもの、第二番目に私が挙げるとしたら、教会に行って、ミセス穐近が私に話してくださったことは、ヨハネの福音書一章十二節の言葉。それから、ヨハネの福音書三章三節から。

『人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』『しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。』

 優しい言葉で「イエス様を心の中に迎え入れなさい。そうしたら、新しく生まれ変われますよ。信じたら罪が赦されますよ。」簡単なことですよ。『しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。』

 あの日、一九四九年二月二十日、私が信じた時、「信じます。受け入れます。」生まれ変わったのです。クリスチャンとは、イエス様を信じて新しく生まれ変わった人です。つくづく考えます。十九歳でイエス様を信じてよかったと思います。今日まで健康が守られ、ここまでイエス様のために働くことができたこと、若くてクリスチャンになったこと。
 クリスチャンになるのは、歳を取ってからよりも、若いほうがいいです。歳を取って、あと少ししかない時に信じるのもいいけど、やっとで天国に入るより、若い時に信じたら、新しく生まれ変わって、人生の使命が分かり、新しい人生を持つことができる。
 十九歳から今日まで考えてみると、酒も飲んだことがない。たばこも飲まない。健康で来れたことは感謝です。ロンさんがよく証しをしますね。「みなさん、私はスティービー・ワンダー、ダイアナ・ロスと一緒に、また超一流の人と世界中を回りました。それはすばらしかったです。だけど私は麻薬に手を出してしまって落ちるところまで落ちてしまった。」四年間だというのでしょう。それは、いいことではありません。麻薬に手を出したことがないことは感謝ですね。
 ロンさんが新しく生まれ変わったのは、友達が断食して祈ってくれた。その時に神の声を聞いた。「あなたは私の子。私について来なさい。」自分の人生を神に明け渡したということは、聖書にこう書いてあります。ローマ書十章十節、『人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。』と書いてあります。新しく生まれ変わるためには、「イエス様、あなたに全生涯をお委ねします。」「あなたのために私の人生を使ってください。」

ロンさんは「あれから私は変わって、二十二年間、麻薬をしたことはない。」すばらしいじゃないですか。あの人は生まれ変わったのです。ですから、みなさん、私たちが生まれ変わったことはすばらしいですね。

 それから、聖書を見ると、第二コリント五章十七節にこう書いてありますね。

『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』

 みなさん、信じますか?新しくされたことを感謝しましょう。呪いじゃなくて、祝福です。永遠のいのちが与えられています。これはすばらしいことじゃないですか。祝福をいただいたということは、クリスチャンになるということは、最高のことですね。

 それから、みなさん、何があるか。その次に祝福されたことは何かというと、出エジプト記二十章八節〜十一節、

『安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。‐‐あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も‐‐それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。』

と書いてあります。
 私たちは、財産でも、「これは私の土地だ!」というでしょう。そうではないのです。初めに神が天と地を造って、その土地を借りているだけです。管理者です。私たちの人生は、これも神様から与えられた時間だけです。歳が来て「もうこれでストップだよ」と言われたら、天に帰らなければいけない。

 聖書に見る祝福は何かというと、礼拝を守るということです。みなさん、この一週間は七日ということは、誰が造ったかといったら、神様です。六日間かけて七日目は主の安息である。「これを聖とせよ。」この日は神様の日です。今日、ここに礼拝に来られた日は、幸いな日です。神様の言葉を聞いて、日曜に礼拝できる。
 私も、イエス様を信じる前に東京にいて、日曜日に何をしていたかというと、随分お腹が空いたので、終戦直後で、おばさんの家に必ず毎週行っていました。なぜかというと、おばさんの家は、息子さんが闇屋をやっていました。お米をこっそり買ったり、さつまいもを買って来て、みんなに売っていたのです。日本はその時分は配給制度ですごく貧乏でした。しかしそこに行くと腹一杯食べられるので、日曜日の朝は楽しみで、そこに行って、出してもらったものをお腹いっぱい食べて、それから映画館に入って帰って来る。
 しかし、イエス様を信じた時から、ぱたっとやめました。教会に礼拝に行く。これで私の人生は幸せになりました。みなさん、礼拝を軽んじてはいけません。主の日だと書いてあります。

 私は今でも忘れることができないことがあります。東北の気仙沼という所でクルセードをやったことがあります。東日本大震災で随分被害にあった所ですが、そこで田中先生と一緒に、市長を訪問しました。クルセードの時には、必ず市長を訪問したり、県知事を訪問しました。それからいろいろ話しました。
 すると、若い市長でした。私が、「父親は村長をやっていたけど、眠れない夜もあると言っていましたよ」と言ったら、「はっ!!わしはそんなことはない。」と言いました。おもしろい市長でした。「わしはぐっすり眠れる」と言いました。悩むことはないと、ケラケラ笑っていました。大した市長だと思いました。その方が、今では考えられない発言ですが、「最近、市役所に働くやつらが、土曜日も休ませてくれと言っている!」と言いました。今、市役所でお勤めの方、土日休みでしょ。会社でも、大きな会社は土日休みでしょ?みなさん、なぜ休みか知っていますか?

 その市長がこう言いました。「キリスト教でもないのに、土曜日は休む必要はない。」土曜日はなぜ休みにしたかというと、日曜日は礼拝の日なのです。だから、土曜日にゆっくり休むようにヨーロッパが作った制度です。今は、土日休み。土曜日も遊んで、日曜日も遊んでです。しかし礼拝を守るために日曜日がある。だから土曜日は休みにした。だから、「キリスト教にもなっていないのに、土曜日なんて休む必要はない!」とその市長は言っていました。
 日曜日を軽んじてはいけません。日曜日は教会に来たら祝福されます。呪われるのではないのです、祝福されます。みなさん、来てごらんなさい。必ず祝福されます。

 私は先日、韓国に行きました。韓国はキリスト教が随分影響を与えています。今、どのくらいのクリスチャン率か知りませんが、日本では「日曜礼拝」と言いますが、韓国はそう言いません。「主日礼拝」と言います。主の日の礼拝。
 私がちょうど四月に韓国に行った時に選挙がありました。何曜日にあったか。日曜日ではないのです。韓国では日曜日に選挙はやらないのです。普通の日に選挙です。木曜日かに、それも特別、選挙の日は休みにします。なぜかというと、日曜日は教会に行く日なのです。教会が第一なのです。本当は日本でも選挙を日曜日にやっちゃいけないのです。日曜はみんなで教会に行きましょう。もし、教会に来たら、礼拝を守ったら、祝福されるということです。

 今日、ここに、岡本正広さんがいます。商売は祝されていますね。なぜ、祝されているのかというと、岡本正広さんはすごく頭の良い人です。なぜかというと、スーパーを日曜日休みにしたからです。だから祝されました。これは見本です。マルイチを見てみなさい。日曜日を休みにしているでしょう。今、六店舗になりました。これは祝福です。
 日曜日に礼拝を守るということは、「あなたを祝福しますよ」ということです。
 それからもう一つ。出エジプト記の言葉ですが、一緒に読んでみましょう。出エジプト記二十章三節〜六節、

『あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。』

 偶像礼拝から離れることです。偶像礼拝は何かというと、悪霊礼拝です。悪霊礼拝から解放されて、イエス様だけを礼拝したら、千代に至る祝福を与えると言ってくれています。すばらしいじゃないですか。偶像から離れたら、千代祝福してくれるというのです。
 偶像礼拝をしていたら呪われます。仏壇を拝んでいたら祝福されないけれど、捨てて、イエス様を礼拝したら、千代にいたる祝福を与えてあげます。みなさん、千代というのは、自分も、子どもたちも、千代。千代とは、永遠のいのちに関わってきます。信じたら天国に行けるし、イエス様が帰ってきたら、再臨の時には復活することができるし、御国の相続者として、私たちはこの世の管理者となることができるのです。みなさんに祝福が与えられているということを感謝しましょう。

 それから、申命記二十八章一節〜六節を読んでみたいと思います。祝福される為に、神の御声を聞くことは大切です。こう書いてあります。

『もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。』

 祝福されるには、条件があるのです。『あなたの神、主の御声によく聞き従い』とあります。教会に来て、「今日の話、良かったね。」では、いけないのです。聞いた言葉をそのまま信じ従ったら、そこに書いてありますね。『もし、従うなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。』

 それから二節〜六節に、

『あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。あなたのかごも、こね鉢も祝福される。あなたは、入るときも祝福され、出て行くときにも祝福される。』

 これは神様の約束です。今日から必ず神様が祝福される。目で見たことのない、耳で聞いたことのない、思い浮かびもしなかったことを、あなたのために準備しています。祝福を与えます。心を決めて、「信じます!従います!」少しくらい悪口を言われても、反対されても、信じることです。
 あの新島襄さんが随分、迫害に遭いながらがんばって、同志社大学が祝されていますが、ひとつ残念なことは、あのミッションスクールを出た人たちがクリスチャンになっていないことです。種は蒔かれていますが、祈りましょう。ミッションスクールを出た人は多いです。救われるように祈りましょう。
 今、日本は隠れクリスチャンが多いのです。「将来、あなたは信仰を持つとしたら、何を持ちますか?」多くの方は、「キリスト教」と思っているのです。二百五十年も続いた徳川の圧政、キリシタン迫害。みんな恐れました。

 新島襄がアメリカにいる時に、日本の政府の人が来ました。田中という人が来て、「お会いしたい。」「是非とも、一年の間、ヨーロッパを岩倉具視や伊藤博文たちと一緒に回るから通訳に行ってください」とお願いしたのです。そうしたら、田中という人に向かって、付いて来た人たちが、明治の初めは何をしたかというと、ひれ伏したというのです。
 水戸黄門なんかを見ると、「この紋所が目に入らぬか!」なんてやると、ひれ伏しますよね。おかしいですよ。ということは、権力者に対して、頭を下げる。
 みんなが頭を下げたけれど、新島襄だけは、頭を下げなかったのです。「なんだおまえは!手をついてひれ伏さないか!」と言われましたが、ひれ伏さなかったのです。何をしたかといったら、握手をしたのです。

 新島襄はアメリカに行ってびっくりしました。上の人でも下の人でも握手をするでしょ。みなさん、教会に来て、今、握手をするでしょ。キリスト教のおかげです。教会に来て「俺は滝元じゃ!ひれ伏せ!」そんな時代だったらどうでしょうか。たいへんです。
 みなさん、教会は、金持ちも貧乏も、頭の良い人も悪い人も、権力者もないのです。みんな平等で兄弟姉妹で愛し合うのです。これはキリスト教から出たことです。
 彼は握手して一年間ずっとヨーロッパを回りました。彼は国から逃げ出したわけですから、吉田松陰みたいに死刑にされないといけません。しかし田中という人が言いました。「もし一緒に回ってくれたら、パスポートもあげるし、かかった費用も全て政府が払ってあげます。どうぞお願いします。」彼は考えました。「パスポートもらったら、また日本に帰られる。」それで日本に帰ったのです。

 命をかけてイエス様に従ったら祝福が与えられます。みなさんの家庭が祝されたかったら、礼拝を守りなさい。祝されたかったら、イエス様第一で偶像から離れていくこと。必ず祝福されます。これは私の知恵ではありません。聖書の知恵です。絶対に変わらない神の御言葉が、我々を保証します。今日はみなさんは、祝福された人です。一言お祈りしましょう。

 愛する天のお父様。心から感謝します。あなたは祝福の神であることを心から感謝します。主よ、あなたがアロンに、モーセに告げて言いました。『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。』これから聖餐を守りますが、お一人一人祝福されて、今週も守られますように。『主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』
 この聖餐を通して、神との和解ができ、平安な生活ができるように祝してください。お願い致します。イエス様の御血潮と、イエス様の裂かれた肉を感謝し、イエス様と一つになれることを感謝します。主イエスの御名によって祝福します。アーメン。