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『天は神の栄光を語り告げる

2014年11月2日 (日)
新城教会副牧師 四元雅也
詩編19篇1節

『天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。』

 ハレルヤ。今日この場所に立つことができ感謝いたします。今、滝元美佐子姉の特別賛美演奏を聴き、いつも素晴らしい奉仕をしてくださいますので感心するのですが、今日は、いつにもまして感動しました。というのも、姉妹は新城教会専属ピアニストのように礼拝などでいつも賛美の奉仕をしてくださっています。また、特別賛美のお願いも私がしているわけですが、今回は事情があって、お願いしたのが先週の月曜日になってしまい、当日まで一週間もない、練習する時間もなかなか取れないような、差し迫った状態で無理にお願いしたのですが、姉妹は意にも介さず「あ、いいですよ!」と、快く引き受けてくださったのです。礼拝の大切な奉仕なのですが、いつも重荷を持って奉仕してくださっていることを感じ、また、このような素晴らしい演奏をされて、本当に頼りになるといいますか、神様に感謝しました。

 前回ここでお話しさせていただいたのは8月3日のことでしたが、『救いがもっと近づいて来ています』というタイトルでお話しさせていただきました。
 科学の世界と信仰の世界がだんだんと近づいて来ている、というテーマでした。現代社会の中では、科学と宗教を別のものとして考えている人がいます。私たちが、イエス様について、「イエス様を信じると罪から救われます。喜びを持つことができます」と勧めても「まあ、宗教もいいかもしれないけれども、神様なんて科学的じゃないからね」といわれることがあります。現代の科学が宗教を信じることに否定的だと捉え、「現代社会において神様は単なる気休めでしかない。信仰と現実は別のものだよ」という考えを持っている方もいると思います。
 しかし、科学が目覚ましく発展していく中で、信仰がよりリアルな、現実的なものとして証明されてきている、神様の存在が思い込みや気休めではなくて、科学の領域から考えてみても、神様の存在がないとつじつまが合わないようになってきている。今こそ、自信を持って神様を述べ伝えていきましょう。そういうお話をしました。

 今回は、その続編となっています。科学の例に触れながら、神様について確認するときになったらと思います。
 先週、知立市で集会があり、そこでも同じテーマでお話ししたところ、メッセージの後で一人の方が、「今日のメッセージは難しかったです。」とおっしゃいました。でも、「ついていくのが大変でしたが、メッセージの最後にきて、『ああ、そうつながるのか、そうなっていくのか』と全体像が分かりましたので、よかったです。」と言ってフォローしてくださいましたのでホッとしました。
 また、たまたまうちの長男も、その集会に参加していたんですが、集会からの帰り道、彼が「お父さん、今日のメッセージは本当によくわかったよ。」と言ってくれました。今日のメッセージは、数学とか物理とかが得意な理系の方や、学生諸君たちに向いたメッセージで、そうでない方にはわかりにくいメッセージかもしれません。でも、できるだけわかりやすくお話ししたいと思います。最後に「ああ、そうなるのか」と納得していただけるように頑張りたいと思いますので、忍耐してお聞きいただきますようお願いいたします。

 前回もお話ししましたが、信仰と学問、信仰と科学とが分かれてしまっているような認識が持たれている現代社会ではないかと思います。信仰もいいかもしれないが、「科学時代」に信仰なんて、現実離れしているんじゃない?という態度を取る人がいます。ここに18世紀に起こった啓蒙思想という考えによる影響があります。これが、科学と宗教を分離させるような影響を与えました。
 啓蒙思想とは何かというと、もともとは「暗いところを光で照らす」という意味があります。あらゆる人間が共通の理性をもっていると措定し、世界に何らかの根本法則があり、それは理性によって捉えることが可能であるとする考え方です。その後、この考え方は世界中に波及していきます。そして近代教育の成立にも影響を与え、19世紀の産業革命を生み、産業的なもの、経済的な価値観に勢いを与えていき、また自然科学も発展していき、私たちはそのような文明の中で恩恵を受けてきました。
 しかし、啓蒙思想は、大学で教えられる学問の中で、それまで最も権威があったキリスト教神学を中心から外し、自然科学的な方法を重視し、宗教と科学の分離を促していく新しいカリキュラムが導入されるようになっていきました。そういった流れの中で、聖書を聖典としてではなく歴史的資料として、文献として研究することもおこなわれたのです。

 ですから、科学者の多くは『科学と信仰は、異なる教導権あるいは分野に属する』という考え方を支持します。科学では、自然主義的説明だけが考慮されるべきだという意見がはびこり、自然界における神の役割や働きついて考慮することを拒絶する傾向が見られるのです。
確かに、科学と信仰は互いに得意とする領域が異なり、両者の間には、常に緊張や摩擦が生じていくと思われます。しかし、20世紀末から今までにあった主な科学的発見は、神様がおられることを強く示しているのを見ることができます。今日はそのことを主題にお話ししたいと思います。

 先月の8日、この地域でひとつの天体ショーが起こりました。皆さんもご存じだと思いますが、皆既月食です。実際ご覧になった方もおられるかもしれません。私は当日まで知らなかったのですが、当日、月食が始まり、教会でみんなが月を眺めているのを見かけ、さっそく自分もカメラを持ち出して写真を撮りました。それがこの写真です。

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これは、もう少しで皆既月食になるところです。

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 そして、これが完全に月食した写真です。
 これを見て、不思議に思われる方もいるかもしれませんが、太陽と月の間に地球が入って、月が完全に陰に隠れて全く見えなくなると思うのに、なぜか赤っぽく月を見ることができます。

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 これが、皆既月食が赤っぽく見える原理です。地球の近くを通る太陽光は、地球の大気によって屈折して、光の中で赤い成分だけが月まで届いて月を赤く照らすのだそうです。

『天は神の栄光を語りつげる。大空は、御手のわざを告げ知らせる』

と読みましたが、こういう天体ショーを見ましても、何か神秘的なものを感じます。

 物理学者で神学者であるジョン・ポーキングホーンという人が、こう言っています。『科学と宗教は(中略)知識に対する共通の探求において、敵ではなく友である。これを聞いて驚く人もいるかもしれない。というのは、科学的時代において宗教的信念などというものは時代遅れか、まったくあり得ないものである、という印象が社会にいきわたっているからである。私はそれには賛成しない。実際、さらに進んでこう言わせていただきたい。いわゆる「科学的時代」の中にいる人々が、もし彼らの大部分が実際に知っているよりも、もう少し科学について知っているなら、私と同じ見解をさらに抱きやすくなるであろう、と。』

 そのことについて、ひとつだけお話ししていきたいと思います。宇宙の究極的な理論である、『ビッグバン理論』というものについてです。

 ビッグバン理論について聞いたことはありますか?20世紀になって提唱された、この宇宙の起源について考える理論です。その元となった理論が、有名なアルバート・アインシュタインが編み出した、一般相対性理論です。1915年、アルバート・アインシュタインが一般相対性理論を発見しました。この理論を宇宙全体に応用してみると、宇宙が静止状態にあることは不可能であり、膨張しているか収縮しているかの二者択一であることになりました。これは、当時の科学者たちにとって衝撃的な出来事でした。それまでの宇宙観は、永遠に普遍である中で存在していることが定説でした。しかし、膨張にしても収縮にしても、宇宙が永遠ではなくなってしまいます。ですから、この理論は当時全く受け入れられませんでした。
 ところが、1920年代ロシアの数学者アレクサンドル・フリードマンとベルギーの天文学者ジョルジュ・ルメートルが、アインシュタインの理論に基づいて、宇宙は爆発(膨張)していると予測しました。
 1929年アメリカの天文学者のエドウィン・ハッブルは、望遠鏡で天の川銀河以外の、別の銀河を発見しました。そして、それらの銀河が私たちの銀河からどんどん遠ざかっている、また遠方の銀河ほど速いスピードで私たちから遠ざかっていることを発見し、よって、宇宙は高速で文字通りバラバラになっていると結論づけました。この観測結果が、フリードマンとルメートルの予測に対する証拠となりました。
 1940年代ジョージ・ガモフが『宇宙の背景放射』について予測し、それが非常に初期の状態の宇宙の名残であると予言します。
 1965年二人の科学者が偶然、絶対零度より約3.7度高い『宇宙の背景放射』を発見し、ガモフの予言を裏付けました。
 このように、ビッグバンに関する予測は、科学的データで繰り返し証明されており、さらに、そうした予測の間違いを証明しようとした代替理論の失敗によっても、その正しさが立証されています。ビッグバン理論は、宇宙の起源を解くうえで、現在、科学的に最も信用できる理論であるといえるのです。

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 これは、ビッグバンのモデル図です。筒の一番右端の縁の部分が、現在私たちがいる宇宙です。下に137億年と書かれていますが、これが宇宙の年齢です。でも、昨年だと思いますが、138億年に訂正されました。そして、一番左端の光っている点がビッグバンを表しています。このビッグバンの瞬間は見ることはできないのですが、物理学の計算によって、あるいは実験によってわかってきているものです。

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 これもビッグバンの図です。これは一番下がビッグバンです。この図には宇宙の年齢が138億年と書かれていますね。この図を見るとビッグバンのあたりに10の-43乗と書かれています。
 これは何かというと、いま、科学者たちが必死になってビッグバンの瞬間まで解明しようとしているのですが、10の-43乗秒よりも前にはどうしても遡ることができないのです。これ以前には、あらゆる物理法則が破綻してしまい、私たちが生きている世界の法則や定理、定数が全然通用しない世界です。10の-43乗秒というのは1秒の10の43乗分の一の長さの時間ということですので、少数にすると、

0.00000000000000000000
00000000000000000000001秒

となります。宇宙が始まって、ほんのわずかの時間まで遡れることになりますが、どうしてもそれ以上先には行けないのです。これ以上は確認できません。

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 この図の赤い点を、『特異点』と呼び、10の-43乗秒以前を表しています。特異点は私たちの生活の基準である物理法則、たとえば光の速さであったり、重力の法則であったり、長さ高さといった空間の法則であったり、そういったものが通用しないポイントです。この赤い点が、科学者たちを困惑させ、いらだたせています。
 今まで、人間が理性の力ですべてを解明できると信じて、科学を進歩させてきたのに、特異点はそれが通用しない。ですから、ものすごく厄介な点なのです。何とかこれを解明しようとしています。
 現在科学によって解明されたデータは、今、私たちが生きている空間、時間、エネルギーや、重さ、速さといった自然の法則が、ビッグバンの瞬間にできたことを示しています。啓蒙思想を精神的な象徴とし、蒸気機関から内燃機関、そして電気機関へと加速度的に発展してきた近代文明。様々な原理や法則が発見され、私たちの存在の根源的なテーマ、それまで神様が座を占めていた「命の起源」という分野にも、ダーウィンが進化論を提唱したことで、科学の光が当てられ、沸き立っていた人間たち。理性がすべてを解明できると息巻いてきた人間たちが、ビッグバンに遭遇し、あっけなくその限界を露呈したのです。
 ビッグバンが実際に起こったとすると、それ以前には何があったのか?そして、何が(誰が)ビッグバンを引き起こしたのかという疑問が出てきます。これほどに科学者たちに限界を思い知らせる現象はないのです。
 それにしても、ビッグバン宇宙論は、およそつかみどころのない世界に足を踏み入れているといえます。そうなってくると、研究の性格が宗教っぽくなってきています。

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 この図は『膨張宇宙』という理論です。風船が膨らむように、どこかから宇宙が吹き込まれて補充されているという理論です。これは早いうちに否定されています。

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 次は『サイクリック理論』とか『循環宇宙』とか言われている理論で、宇宙が膨張と収縮を繰り返し、そのたびに『進化』して、永遠に数珠のようにつながっているという考え方です。

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 これは、『泡宇宙』、この泡のようなものの一つ一つが宇宙で、どんどん湧き出している宇宙の一つが私たちの住んでいる宇宙である」、という考え方です。『インフレーション理論』とか言われたり、『多元宇宙論』とかいう理論もあります。そういういろんな宇宙論を科学者たちは考えています。

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この人は、スティーブン・ホーキングというカリスマです。ニュースや科学ドキュメント番組でご覧になった方も多いのではないでしょうか?彼が提唱しているのが、『量子重力論をもとにした虚数時間論』という理論です。これがいけるかも!?ということで研究がすすめられています。

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 詳しくはよくわかりませんが、ビッグバン理論の数式に、『虚数』を当てはめます。虚数は二乗した値がマイナスになる数学上の概念的な数です。これを当てはめることで宇宙の始まりであるビッグバンを認めつつ、特異点を排除し、宇宙の始まりを理解しようとしています。しかし、物理的に存在し得ない『虚数』を代入することは事実上ありえない、ちょっと苦しい理論です。
 意見や学説はよりどりみどりで、ある有名な宇宙科学者は「これはもう、科学というより、宗教的な問いかけと紙一重だ」と言っているほど、わけのわからないものになってきている、苦しまみれに出てくる理論を証明する手立てもない、というわけです。結局、宇宙の始まりは人間には理解できないものである、ということがわかっています。

 しかし、私たちが生きている宇宙を観測してみるとき、驚くべき事柄を発見することができます。それを今からお話ししていきたいと思います。

 宇宙を成り立たせている物理の基本法則というものがあります。これが、驚くほど精密に微調整された上に宇宙が成り立っていることを示しているのです。
例えば、ビッグバンによってできた宇宙は、今膨張を続けているのですが、膨張の速度がほんの少し遅く、あるいは早くなっただけでも、生命が生きられる宇宙は維持されません。
重力の強さについてお話ししましょう。重力は物質を互いにひきつける力です。重力があるので私たちが地球の上で生きることができます。

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 さて、ものさしを想像してください。このものさしが、宇宙全体を横切っているとします。その目盛は、およそ25ミリ間隔に刻まれています。すると、ものさしは宇宙の端から端までありますので、全宇宙でその目盛の全数は約10の18乗目盛になるそうです。これだけ桁数が大きいと、もうピンとこないのですが、1兆は10の12乗なので、100万兆目盛となります。この目盛には、昔のラジオのように、目盛を合わせるための針がついており、針を動かすためのダイヤルがあるとします。宇宙が始まった時に設定可能であった重力の強さの調整可能な値が、ゼロが18個付くだけの桁数になる、というわけです。
 さて、あなたは神様のように、目盛の値を自由に設定できるダイヤルを持っていたとします。今、宇宙の重力を決定づけている針の位置を、あなたがダイヤルを回して一目盛だけ動かすとどうなるか?
 なんと、重力の値は、10億単位で増加することとなります。ダイヤル全目盛に比べれば桁外れのわずかな小ささであるのに、宇宙全体にとっても影響はほとんどない変更、しかし、それが生物界に与える影響は壊滅的です。こうした重力の強い世界では、小さな虫でさえ自分の体を支えるために太い脚を持たなければなりません。人間のような大きさの動物は、すべてつぶされてしまうため、存在できなくなります。
 このように、自然界の力の全範囲と比べた場合、生命体が存在できる重力の設定範囲は想像を絶する正確さで微調整されているのです。宇宙環境は、目盛の端から端まで目いっぱいダイヤルを使って設定できるようになっていました。その中で、私たちの住む宇宙で生命体を維持できる範囲は、とても狭いのです。その範囲内に、驚異的な正確さで、まさにダイヤルがセットされているのです。

 宇宙定数というのがあります。空間のエネルギー密度をあらわすこの定数も、我々が生きるために、非常に好都合な状況に調整されています。アインシュタインの相対性理論を完成させるために不可欠なこの定数は、一つの値を持っています。この値も、正の大数であったなら、初期状態の宇宙で銀河系や恒星を形成できなくさせていた可能性があり、負の大数であったなら、瞬時に宇宙を崩壊させたかもしれない、ということがわかってきています。その微調整の正確さは、10の53乗分の一の驚異的な正確さだといいます。重力の設定値よりも、もっとシビアに設定されていますね。これらの設定値が、ビッグバンの瞬間に決定づけられたというのです。それ以前には、これらの数値はどの値でも取ることができたのに、宇宙ができたときに、まさに、私たちが生きられる宇宙になるように設定されたというのです。

 これら、宇宙定数の正確さと重力の値をまとめるだけで、その微調整の正確さは、ありえない数値になります。単純に言って10の60乗分の一という正確さです。わかりやすく言うとこうなります。

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 宇宙のはるか彼方から地球にダーツの矢を投げ、地表にある「的」に当てるようなイメージです。しかも、「的」の大きさは、一個の原子よりも小さいサイズです!
 ちなみに宝くじで一等が当たる確率は500万分の一、10の6乗分の五程度です。

 他にもこのような例が数多くあります。宇宙の始まりに微調整された物理定数は、全部で15あるといわれています。これは、宇宙の物理法則は、「生命を誕生させ、保護する」という目的のため、信じられないほどの精密さで微調整されている、ということを意味します。宇宙の起源について理解が進んだ今、自然界における驚異的な一致といえる興味深い事柄がいくつも発見され、科学者たちを困惑させているのです。これらの宇宙の不思議を科学者たちは『人間原理』と呼んでいます。これらの定数がすべて、複雑な生命体を維持できる安定した宇宙を生み出すのに必要な値を取る可能性は、限りなく小さい、にもかかわらず、測定で得られるのは、まさに!そのような数値なのです。

 「人間原理」の要求する厳しい条件を、私たちの住む宇宙がまさに満たしているその理由について考えるとき、下の三つの仮説が考えられるといわれています。

人間原理を説明する三つの仮説

仮説①
宇宙は一つだけでなく、無数に存在している可能性がある。それは我々の宇宙と同時に進行しているかもしれないし、前後につながっているか、異なる物理定数や物理法則を持つかもしれない。我々の宇宙は奇跡的なのではなく、偶然の結果登場した珍しい存在であるに過ぎない。しかし、そのような別の宇宙は観測できない。私たちは、生命を生みだすための条件を満たした、私たちの宇宙の内側しか理解できないからだ。

仮説②
宇宙は一つしか存在せず、我々の宇宙がそれである。たまたま知的生命体を生み出すのに必要なすべての特性が揃っただけのことだ。我々は、非現実的な確率の宝くじに当たったように、ただ非常に幸運だったのである。

仮説③
宇宙は一つしか存在せず、我々の宇宙がそれである。知的生命の生存を可能にするために、すべての物理定数や物理法則が精密に調整されているのは、偶然ではない。誰かが宇宙を創造したのであり、すべてがうまく調整されているのは、その方による意図的な行為によるものだった。

 この三つの仮説の中で、確率的に見て一番ありそうもないのは②です。一つしかない宇宙が、単なる偶然によって、何十乗分の一の確率を満たし、我々が生きることができるようになったと考えるのは、あまりに無謀でしょう。①の仮説は、無数の宇宙は観測し得ないので正否を証明することができません。③については、特異点の前に創造主、神様を持ってきているのですが、神が自然を超越した存在であるので、これも科学的手法では存在を証明できません。

 しかし、今の科学の指示している、私たちの生きている環境の特異性、その驚異的な正確さを見るときに、③の仮説のように、その原因となる存在である神様を当てはめることが、あながち無謀なことではないと思われるのです。私たちのすべての理性、自然のすべての法則を超えて存在しておられる神様がおられるとするならば、③の仮説は何の不思議も矛盾もない、状況を説明するために都合の良い、結論を出すために都合の良い仮説になるのです。
 ①は説明できないものを観測できないものに責任転嫁しているもので、正否を計ることはできません。それで、科学者たちはいろんな理論を打ち出していますが、決定的なものはありません。

 聖書は、宇宙は神様が創ったと主張しています。この③の仮説と①の仮説は、証明できないことを原因とする点では同じです。しかし、③の仮説は大変スッキリとした結論を提供しています。苦しい理論を次々と打ち出さなければならない、神様抜きの科学ではなく、スッキリと結論に至る③は、聖書に昔から書かれています。そして、現代科学は、その仮説を矛盾することなく受け入れることができるような状況を私たちに示しているのです。すごいことです。
 ①の説を取るためにも、私たちが神様を信じているのと同様に、信仰のようなものが必要なのです。そして、苦しい理論が次々と打ち出されては否定されていっているのです。

 先ほどご紹介しました、車いすの科学者、ホーキング氏は次のように述べています。「我々が住む宇宙が、ビッグバンのようなものから出現する可能性はとてつもなく少ない。なぜ宇宙がまさにこのやり方で始まらなければならなかったのかを説明するのは、われわれに似た存在を創造しようとする、神の意図的な行為として見るのでなければ、大変難しいだろう。」
彼は無神論者ですが、彼をしても、ビッグバンによって宇宙が始まったのを前提とするとき、「そこに神様の存在は必然である」と言います。
 もう一人、卓越した物理学者、フリーマン・ダイソンは、「宇宙とその構造の詳細を研究すればするほど、宇宙は我々人間が後に登場することを知っていたに違いない、という思いにさせられる」と述べています。
 最初にビッグバンの強力な証拠となった宇宙マイクロ波背景放射の発見によって、ノーベル賞を受賞したア-ノ・ペンジアスは、「いま我々の手元にある最良のデータは、仮にモーセの律法の書と詩篇と聖書だけをもとに予想したとしても、そこから得られるであろう結果とまったく同じなのである」と言っています。
ローマ人への手紙1章20節には、

『神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって…』

と書かれています。③仮説「神による天地創造」は、冒頭にお読みした『天は神の栄光を語りつげ、大空は御手のわざを告げ知らせる』というみ言葉を思い起させます。今やこのみ言葉は、最新の科学的発見と、観測データに照らし合わせて見ても、何ら矛盾のない、十分に説得力のあることばとなったのです。

 自然科学の力で宇宙を解明しようとする努力が、宇宙の起源についての疑問のすべてに十分な解答を与えることはできないのは明らかです。一方で、③仮説「神による天地創造」を取るなら、ビッグバン以前の世界には何があったのか、なぜ宇宙は人間が地球に存在するためにぴったり調整されているように見えるのか、といった大きな疑問のいくつかに答えることができるのです。
 冒頭にお話しした「科学と信仰とは敵ではなく友である」とジョン・ポーキングホーンが言った意味がお分かりでしょうか?私たちの存在の根源を探求するビッグバン理論から、理性により暗闇を照らそうとした科学的世界観の限界が明らかにされ、出口を見いだせずにいます。そして、そこを満たす究極的要素こそ、神様であることを知るのです。また、今日学んだような科学的な発見が、神様の存在を如実に証言していることを、今、私たちは知ることができるのです。まさに、科学の限界を神様が満たし、科学が神様の存在を必要とし、証言している、『敵ではなく友である』という関係が現実となっているのです。

 ひとつ証をして終わりたいと思います。20年ほど前、私が献身したてのスタッフだったころ、ある月曜日の、県民の森祈祷会での出来事です。
 県民の森では、星空がとてもきれいに見られます。新城市の街中では見ることができない天の川、北極星などいろんな星々もよく見えます。
 祈っているときに、ふと思いました。「神様はこの星々、宇宙も創られたという。無限と思えるほど大きな宇宙を創られた神様に祈っているけれども、私の祈りは、はたして神様に届いているのだろうか?」と。
 宇宙の何千億個あるかわからない銀河の一つに、何千何百億あるか知らない星の、一つの星を回る一つの惑星。その惑星に生きている、何十億といわれる人間の一人である自分を考えるとき、なんと神様は大きいのか。それに比べ、自分がなんと小さな取るに足りないものか、と思えてきて、少しさびしい気持ちになりました。
 神様が自分のことを愛してくださっていることを疑うつもりはないのですが、そんな大きな神様が、こんなちっぽけな自分のささげている祈りを聞くことができるのだろうか?という思いが頭をよぎります。神様は自分のことを目に留めていて下さっているのかな?

 祈祷会が進んで、牧師先生から一人ひとり祝福の按手を受ける時間がありました。神様の臨在に多くの人が倒れたりしていました。私も按手を受けて倒れたのですが、あおむけに地面に寝そべったとき、夜空に星々がキラキラと美しく輝いていました。その美しさにしばらく見入っていたのですが、その時、心にささやかれる素晴らしい声を聴きました。

『この宇宙は、あなたがこの星々を見てわたしを信じるために、わたしの栄光を表すために、あなたがわたしの偉大さを知るために、あなたのためにわたしが創ったのだよ。』と。

 そして、『天は神の栄光を語りつげ、大空は御手のわざを告げ知らせる』という詩篇19編1節のみ言葉が心に来ました。私は泣けるほど感動しました。神様が、「あなたのためにわたしは宇宙を創りました」と仰せられたことに、特に感動しました。個人的に私を指さして言われたように受け取りました。
 広大でエネルギーに満ち、100億年以上存在している、この宇宙は、自分が生きて神様を信じ、神様の栄光を見るために作られたというのです。すごい感動でした。この体験は、今も私の宝物です。そして、その意味もより深くなっています。

 宇宙はただ無駄に広いだけではなく、今や宇宙全体に7兆個もあるという銀河も無駄ではないのです。神様は、私たちのことを考えて宇宙を創られています。そして、私のことをそれほどに愛し、大切に思っていて下さるということを実感しました。
 ここにおられる皆さんのことも、神様は同様に、大切に思っておられます。私に語って下さったように、あなたにも、「宇宙を創った私が、あなたとともにいるよ」と語って下さっています。気持ちを大きく持ってください。安心してください。

『天は神の栄光を語りつげ、大空は御手のわざを告げ知らせる』

 このみ言葉を受け入れ神様に感謝しましょう。私にいのちを与え、いのちをはぐくみ、そして永遠を生きておられる神様が私たちのすべての人生を握っていて下さり、良いもので満たしてくださる事を信じましょう。
 また、今問題があり、悩み苦しんでおられる方がいましたら、それらをこの神様にゆだねていきましょう。そして、神様にあっては、あなたは小さくも、取るに足りないものでもない、素晴らしい愛される価値のある存在として、神様がこの宇宙を設定してくださったほどに、あなたのことを大切に思っていてくださる事を確認しましょう。
 今日まで神様を信じてこられなかった方がおられましたら、今日から、少しでも、神様の存在が、雲をつかむようなわけのわからないものや、単なる気休めを超えて、現代の科学的社会においても、無視できないほどに、矛盾のないリアルな存在であり、信じるに値する存在であることを知っていただきたいと思います。聖書に書かれてある神様による世界の創造が、神話や作り話ではない事実であることを信じていただきたいと思います。
 ひとこと祈ります。

 ハレルヤ、天のお父様、感謝いたします。天地を創られた神様、聖書に紹介されています神様、あなたが天と地を創られ、まさに私たちが住まうために、私たちのいのちを楽しみ喜ぶために、必要なすべての設定をあらかじめしてくださったことを学びました。大きなあなたの愛を、広い宇宙・大きな宇宙から知ることができるように、特別な存在としてあなたの愛を、これらのことからも感じることができるようにしてくださった神様、あなたへの信仰を新たに強く持つことができますように。そして、多くの方々に祝福を分け与えるものとなることができますように。
 科学こそ人間の英知であり、誉であり、栄であるという考え方を持つこの世界の中で、神様をなき者として信じさせないように働く悪の力が打ち破られますように。すべての人があなたを信じ、あなたを愛することができますように。感謝を持って、イエスキリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。