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『ことばを回復させて頂こう

2014年11月9日 (日)
新城教会牧師 上條実
ヤコブの手紙 3章2節~10節

『私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。馬を御するために、くつわをその口にかけると、馬のからだ全体を引き回す ことができます。また、船を見なさい。あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるのです。同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。 あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。どのような種類の獣も鳥も、はうものも海の生き物も、人類によって制せられるし、すでに制せられています。しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。』

 ハレルヤ!今日こうしてみなさんの前でお話ができることを感謝します。先ほども皆さんとともにお祈りしましたが、滝元順牧師はインドのナガランドへとりなしの祈りと来年の環・太平洋ミッションの話し合いに出かけています。今はすごく便利な時代です。携帯電話のアプリを使って、無料で写真などが送信されてきます。遠くのインドと時を同じく祈ることができます。是非良い時となるようにお祈りください。また滝元明牧師は茨城県の土浦市において、ざわめきは鹿児島県で奉仕をしております。続けてお祈りください。また今日はインターナショナル部会の特別講師としてベネレッチ先生ご家族が来て下さって下さっています。この時間奥様がリバイバル聖書神学校二階の大講義室にて女性セミナーをして下さっています。心から歓迎しましょう。
 また週報に書かれてありますように先週の二日、K兄とA姉が浜松市の結婚式場にて滝元明牧師が司式をして結婚されました。今日結婚されたご夫妻が今日礼拝に参加されています。ご紹介します。彼らのこれからのためにお祈りください。

 さて今日、読んでいただきましたみことばから「ことば」について学んで行きたいと思います。「ことば」とはとても難しいものです。先ほどのヤコブの手紙にあるように、馬を御するために、くつわを口にかけると、馬を引き回すことができる。また大きな船も、強い風に押されているとき、ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるとあります。それと同様、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇る。小さい火が大きい森を燃やす。舌は火であり、不義の世界だと書かれています。私たちはコミュニケーションを取るためにことばを使います。しかし私たちはそのことばで多くの失敗をしてしまいます。愛し合って結婚された夫婦や、血を分け労苦をともにしてきた親子、友人、同僚など様々な関係が、「ことば」によって関係が破壊されている時代になってしまっています。我が家にも四人の子どもがいますが、私に対しての呼び方が知らない間に「お父さん」から「親父」と変わってきました。また神を恐れ、聖く生きていくことを教えていますが、知らないのは親だけで、他の人から「お宅の息子さんが・・・・」とかある大変なことをしでかしたのにも関わらず、黙っていたりしていたことがありました。また夫婦では、言われたことに傷つき、また話してくれないと言うことで傷つき、苦しむことがあります。先ほど読んで頂いたヤコブの手紙にも

『舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。』

とありますが、ことばで死をもたらせてしまう出来事が今私たちの社会で数多く存在しています。子どもたちのいじめの問題。携帯電話でのメール、SNSの会話で子どもたちや多くの人々が苦しんでいます。また一日誰ともしゃべらずにいると孤独感で苦しみます。とにかく私たちの会話が暗闇の力に支配されてしまっている。ことばが取られてしまっているように感じます。この教会でこの頃語られているみことばの中に、私たちは神の管理人である。この地の管理者だと教えられています。しかしまだ勝ち取られていない部分がたくさんあると思います。その一つがことばだと思います。自分も疲れたり、イライラしている時悪いことばで子どもや人に対して語ってしまいます。自分は普通に語ったつもりでも、相手は「なんでそんなに怒ってる?」と言われたり、受けとられたりしています。私たちは今日、神様によって聖められ、勝ち取っていきたいと願います。

箴言十二章十八節~十九節には、こんなみことばがあります。

『軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。真実のくちびるはいつまでも堅く立つ。偽りの舌はまばたきの間だけ。』

 ドキッとするみことばです。自分もこのみことばを読んで軽率に話して、どれだけの人を剣で刺してしまっただろうかと反省させられます。私たちの唇、ことばは神様から与えられたすばらしい賜物であり、力であると信じます。しかし私たちはふさわしくない使い方、ことばを語ってしまっています。特に先ほども言いましたように、私たちは神様の管理人です。神の権威を持って、大胆に語ることができるという素晴らしい権威を頂いています。にも関わらず、賛美をしながら怒り、賛美とのろいが同じ口から出てしまうのです。自分自身は神の権威でことばを勝ち取りたい。回復したいと主に教えられました。

 私たちの教会で、「とりなしメール」というのが発信されます。皆さんの中でも、多くの方が受け取っておられると思います。まだ受け取っておられない方は、ぜひ教会スタッフにお知らせ下さい。一週間私たち、特に教会として何を祈らなくてはならないかを、週一のメールで配信しています。またSIRネットワークではもっと具体的に細かく祈る資料をメールで配信しています。ぜひその祈りの課題をお祈りください。特に今週祈らなくてはいけない事をそのメールで知らされました。今週は日本の教会が悔い改め、とりなしの祈りをしなくてはならない大切な週であると思います。そして日本の教会のことば。唇を回復させていただかなくてはならない大切な時だと教えられました。それは何かというと、昔の新聞の記事を見て頂きたいと思います。

Koki2600.Church_of_Christ_in_Japan.JPG

 これは皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会の写真です。青山学院に二万人を集めて開かれた紀元二千六百年記念行事です。皇紀とは、明治政府が定めた日本独自の紀元、年数を数える出発点となる年で、一八七二年、明治五年に明治政府が、神武天皇が即位した年を皇紀元年としました。一九四〇年、昭和一五年は皇紀二千六百年に当たるとして、十一月十日、宮城前広場において内閣が主催し「紀元二千六百年式典」が盛大に開催され、十四日まで関連行事が繰り広げられて、国民の祝賀ムードは最高潮に達したと記されていました。その出来事が一九四〇年の今週行われたのです。そして、その前月、十月十七日に青山学院において、なんと二万人集まって大集会を行いました。しかしこれはまことの神を礼拝するためではなく神話に基づいた天皇制を日本教会が祝い、キリスト教会主催で礼拝したというのです。そのときの礼拝プログラムはこんなものでした。

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午前の礼拝

開会の宣言 司会者富田満
国歌斉唱(君が代)
宮城遥拝
黙祷
奉祝前奏曲 作曲木岡英三郎
開会の辞 司会者富田満
皇統連綿という無比の歴史に意味があり、日本人の誇りはここにある。キリストの十字架の精神こそ滅私奉公という精神に最も近い。

讃美歌54番
聖書朗読 黙示録21章1節

「我また新しき天と新しき地とを見たり」

祈祷 今泉真幸

 二千六百年の昔に、神武の御門が大和の国をはじめ、皇国の基をすえたまいしことを感謝し奉る。爾来二千六百年の間、列聖相継いで皇国を知し召し給い、大八洲の民草広く深くその御恩に与かりしことを感謝し奉る。将士に一死報国の精神をあたえ、真にあなたの息子息女となることを得しめ給え。斯くすることに由って大君の赤子にふさわしい者とし、皇国の民草としての忠誠を全うさせてくださるように。

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 何というふうに祈っているか。この国は、天皇があるから、私たちがあるんだということを認めて、一生懸命ここで祈っています。誰に祈っているか。本当に言葉が汚されてしまっていると思います。その後、説教がありますが、この後、こんな風に書かれています。
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讃美歌350番
説教 阿部義宗

 日本のキリスト教徒は新天新地の黙示を見ている。皇紀二千六百年の皇運を喜ぶ集まりであると共に、日本のキリスト教の歴史におけるペンテコステである。教会合同の黙示は、日本独自の神の恩寵である。

祈祷 千葉勇五郎の祈り

 一心一体祖国の使命達成のために、御国建設の為に、我らの身も魂も尽くすことをゆるしてくださるように。新しき天と新しき地を地上に実現する者となることができるように。

聖歌隊「祝祭讃歌」 作曲岡本敏明
奨励「献金の趣旨」 真鍋頼一

日本においてキリスト教徒の為すべきことは、大東亜建設の事業である。

献金
感謝祈祷 白戸八郎

東亜大陸における伝道事業の為に献金を用い、実を結ばせ給わんことを切に祈る。

頌栄566番
祝祷 松井米太郎

各種報告を持って午前の部終了。

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 また午後は、祝会という名で集会をしています。
 この皇紀二千六百年の礼拝でのメッセージは、なんと日本のキリスト教徒は新天新地の黙示を見ている。皇紀二千六百年の皇運を喜ぶ集まりであると共に、日本のキリスト教の歴史におけるペンテコステである。教会合同の黙示は、日本独自の神の恩寵であると言ってしまっています。ペンテコステだと言ってしまっています。天地を創造された私たちの主ではなく、天皇を崇拝し、日本のクリスチャンが偶像礼拝してしまったのです。日本のキリスト教会、クリスチャンが、言葉を取られて、権威どころか権威が全くなくなり、ことばが悪魔に握られた週が、一九四〇年のこの時期なのです。真の神である父なる神、子なる神、聖霊のみ名の権威によって祈り宣言するのではなく、ことばが取られてしまいました。
ヨハネによる福音書一章一節に

『 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。』

とありますが、ことばである神がけがされてしまっています。私たちは、ことばに対して悔い改め、とりなしていかなければと思います。私たちは神の管理人でありながら、呪いと賛美が一緒に出てしまうのではなく、ことばを回復し、聖さの唇、ことばを勝ち取って宣言しなくてはいけないと教えられました。今日本のキリスト教会は、先ほど紹介した皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会のメッセージで「皇紀二千六百年の皇運を喜ぶ集まりであると共に、日本のキリスト教の歴史におけるペンテコステである。」と宣言したように、真の神の権威あるみことばではなく、悪魔にみことばとメッセージが取られてしまっている現状が日本の教会かも知れません。しかしことばを回復させて頂き、聖霊さまによって本物のペンテコステ、リバイバルをこの日本に見せていただきたいと思います。

 創世記三章の中に、これはアダムとエバがエデンの園で生活する場面が書かれています。これは、読まなくても良いほど有名な箇所です。この所で神はアダムとエバを造り、「エデンの園の木の実を食べても良い、しかし園の中央に、いのちの木、それから善悪の知識の木とを生えさせ、その実は絶対食べてはならない」とおっしゃいました。そこに野の獣のうちで、一番狡猾である蛇がエバを誘惑し、その善悪の知識の木の実を食べさせ、アダムにも食べさせたのです。狡猾な蛇は巧みなことば、偽りをもって誘導しました。ヨハネによる福音書八章四十四節に、

『あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。』

 偽りの父である悪魔が真理を真逆に、言葉巧みにエバをだましました。創世記三章一節では、

『「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」』

と言っています。神のアダムに言ったことばは違います。創世記二章十六節~十七節

『神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。』
と言っています。偽りです。ことばをうまくごまかしています。するとエバは、二節、三節、

『「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」』

 ここで、エバは神のことばを違うことばで蛇に答えています。「必ず死ぬ」と言われたにも関わらず、「死ぬといけないから」と語っています。すると、四節、五節で、蛇はエバに言います。

『「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」』

すると創世記三章六節

『そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。』

 蛇のことばに誘惑されて、二人は食べてしまったのです。この一出来事は最初の人間、アダムとエバに対し、蛇を使い悪魔はことばで騙し、神が創造されたものを堕落させてしまったのです。天皇遙拝という偶像礼拝をしてしまった日本のクリスチャン、教会が、その罪を悔い改め、二度とことばを取られないように勝ち取らせていただき、権威あることば、神の管理者としてのことばとして回復させて頂きたいと節に願います。

 また創世記十一章一節を見るとここも有名なバベルの塔の出来事が書かれています。その時まで、言語は一つの言語だったみたいです。しかし創世記十一章四節、

『そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」』

 人類がバベルの塔を建てたことにより、神の怒りに触れ、多くの言語に分かれてしまいました。神がそのようにされたのです。なぜでしょうか?一番の原因はシャーマニズムだと以前滝元順牧師が語っていましたが、人が自ら、自分の利益のために、悪霊を呼び、交渉したことによって一つの言語で生きる民が、神により多くの言語に変えられてしまいました。そのため共に住むことができなくなり世界中に散ってしまいました。偶像礼拝によってことばがバラバラにされてしまいました。罪によってことばが通じなくなってしまいました。神が天地を創造され、人が創造されての値、ことばを悪魔に取られてしまっています。有名な創世記一章一節~三節に、

『初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。』

 創造者である、私たちの主が、「光よ。あれ。」と、ことばでこの天と地を創造されました。神のことばには力があります。ことばで創造なさいました。今日何度も言いますが、神の管理人として、神のことばを回復させて頂きたいと願います。ことばを神ではなく、握っている暗闇の力に対抗して戦い回復したいと願います。

 ある方は、先祖崇拝のために悪しき経をあげた方がおられると思います。また新興宗教にてさまざまな呪文を唱えた方もおられると思います。また偽りをよく言ってしまう人もいるかも分かりません。またすぐに怒ってしまう方、よくことばで人を傷つけてしまう人、逆にことばによって傷を受けてしまう人がいます。また心配になり、心配を口で語ってしまいます。ある方は噂話によって失敗する方、それによって傷つく方がいます。ことばが悪魔に奪い取られています。
 この九月七日のメッセージで「あなたは地球の管理人!パート7~スーパーナチュラル管理人」というタイトルでメッセージされましたその中でこんな事を語っていました。

『「私たちには、超自然の法則を駆使する権限が与えられているのです。「そんな権限は、特殊な人にしか与えられていないだろうね」と、皆思います。しかしそれが悪魔の策略です。ヘブル書二章を見れば、人には、神の被造物すべてを管理する管理人です。神が被造物を造った時、最初に定められた自然界の法則の上に、私たちは立っているわけです。ゆえに自然界の法則を越えた、超自然の法則で働くことができるのです。それは特殊な人ではなく、人間なら、その権限を持っているのです。イエス・キリストを信じたら、栄光と誉れの冠が回復しているのです。』

と語っていました。神が被造物を造った時、最初に定められた自然界の法則の上に、私たちは立っている。神の被造物すべてを管理する管理人だと語っていました。ヘブル書二章八節~九節を読んでみたいと思います。

『万物をその足の下に従わせられました。」万物を彼に従わせたとき、神は、彼に従わないものを何一つ残されなかったのです。それなのに、今でもなお、 私たちはすべてのものが人間に従わせられているのを見てはいません。ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。』

『万物をその足の下に従わせられました。』とあります。私たちは、イエス・キリストを信じたら、私たちは万物を従わせる事のできる力が神から与えられている管理人です。
神が被造物を造った時、最初に定められた自然界の法則の上に、私たちは立っている。神の被造物すべてを管理する管理人であるとしたら、ことばで攻撃された時よりも、それ以前の状況の管理人だと言うことです。ならば主の前に悔い改める事は悔い改め、ことばまで回復させて頂いた管理人とさせて頂きたいと願います。

 私たちはどれだけ賛美をささげていますか?気分が良い時には賛美はするけど、後はあまり賛美できていない時があります。賛美が悪魔に取られてしまっています。また聖書をどのくらい読んでいますか。またどれだけ管理人として宣言されていますか?会社、家庭、地域で権威を行使して宣言しなければいけないと、主が語っておられる時があると思います。しかし宣言できていますか?またお祈りしていますか?また愛のことばを必要としている家族、親族、また苦しんでおられる方がいても愛のことばを語ることができないものではありませんか?また喜びはありますか?今日、私たちの神は、私たちを永遠のいのちを与えてくださるために、十字架にかかり。葬られ、よみがえって下さった神が、私の神です。そのよみがえりの主を喜んでいきたいと思います。またどれだけ感謝をしていますか?感謝しなくてはいけないとわかっていてもできないものです。感謝の反対語は「当たり前」だと言われていますが、感謝ができなくなり、満足できずに、不平不満を語ってしまいます。

 今日、悪魔に取られたことばを取り返しましょう。そして神の管理人としてのポジションに立ちたいと願います。

 早いものでまもなく十二月が来ます。今日受付においてクリスマスコンサートのチラシを頂いたと思います。クリスマスの時は一番伝道がしやすい時です。しかし私たちはなかなか語れないのです。ことばが取られています。今日、私たちは、この年に、本当にこのクリスマスの伝道の前に、しっかりと唇を勝ち取らせていただき神の勝利が見える時であるようにと願います。

 先ほど、ヤコブの手紙の中で、こんな事が書いてありました。あなたの口で大きな森を燃やすことができるとありました。私たちが一言言ったことで、会社、家庭、友達、地域がもめたり、破壊されるのではなく、今度は神から権威をいただいて、ことばを回復させていただいたら、今度はあなたのことばで大きな森を燃やすことができるのです。ということは、あなたが語る時、この日本がリバイバルされるのです。スーパーナチュラルの出来事が起こされるのです。

 私は今週、このメッセージを準備するにあたって様々なみことばを読みました。その中ですばらしいみことばいただきました。「ことばを取り戻したら、こんな状況になるんだろうな。」というみことばをいただきました。それは詩篇一二六篇です。

『主がシオンの捕われ人を帰されたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなされた。」主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。主よ。ネゲブの流れのように、私たちの捕われ人を帰らせてください。涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。』

 このような事が日本に起こる事を信じましょう。この箇所をリビングバイブルで読むともっとわかりやすいと思います。
詩篇一二六篇(リビングバイブル)、

『神様が、捕虜となっていた人々をエルサレムへ連れ戻された時は、まるで夢でも見ているようでした。笑いが込み上げ、ひとりでに歌っていました。 外国人の驚きようと言ったらありませんでした。「神様って、すごいことをなさるもんだな」と 騒いでいたではありませんか。確かにすばらしいことでした。信じられないようなことでした。どれほどうれしかったことか!旅人が砂漠でオアシスを見つけた時のように、私たちをすっかり元気にしてください。涙をまく人は、やがて喜びを刈り取ります。種を手にし、目を泣きはらして出て行った人々が、やがて収穫の束をかかえ、歌いながら帰って来ます。』

 悪魔に捕らえられた日本が、家族、親族、地域、日本が「神様って、すごいことをなさるもんだな」と騒ぎだし、信じられないようなことが起き始めたらなんと幸いでしょうか?スーパーナチュラルなお方が現実の私たちの世界で働かれるのです。すべての人が主を賛美するのです。また五旬節の時が書かれてあるみことば使徒の働き二章一節~四節、

『五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。』

とあります。あの五旬節、聖霊様が臨んだ時に、一人一人に聖霊が臨んで、どうなったと書かれていましたか?それは炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりに触れたのです。その時に、本当に多くの人は異言を語りはじめ、他国のことばで話し出しています。このときもことばを一人一人に与えたのです。今日聖霊を求めましょう。そして炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまったとあるように、聖霊さまによってことばを頂きましょう。あのアダムとエバの時や、バベルの塔、また様々な場面でことばが失われ、権威がなくなり。悪魔の手に握られてしまった「ことば」が、聖霊さまより力を頂きスーパーナチュラルな地球の管理人として、宣言しましょう。聖霊が臨まれた時に、あの裏切ってしまったペテロが宮に座っていた、生まれつき足のきかない男がに対して大胆に ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい。」と言い、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、彼の右手を取って立たせたのです。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。という出来事が起こりました。私たちは過去、どんなに罪があったとしたって、主は十字架と復活によってすべての罪を赦して頂けます。そして聖霊さまの力を頂き、管理者としての使命を果たしなさいと主は語っておられると思います。今から聖餐式を持ちます。十字架を信じ、悔い改め、そして私に聖霊の火を注いでください。聖霊の油注ぎを与えてくださいと聖霊を求めて、私たちは祈っていきたいと思います。
 最後に、イザヤ書六章五節~八節を読んで終わりにしたいと思います。

『そこで、私は言った。「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、くちびるの汚れた民の間に住んでいる。しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」すると、私のもとに、セラフィムのひとりが飛んで来たが、その手には、祭壇の上から火ばさみで取った燃えさかる炭があった。彼は、私の口に触れて言った。「見よ。これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた。」私は、「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」』

 今日、唇を本当に聖霊様に触れていただきましょう。今日は「主よ、私を使ってください。私はクリスマスの時に、多くの人を導きたいです。」と祈りたいと思います。多くの人を導ける方もいますが、なかなか導けない人もいるかも分かりません。しかし、私たちは誘う事ができなくても祈ることはできます今年のクリスマス集会の日程が週報に掲載されていますが、どんな形であれ「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」と祈ってください。また、ある方はささげてください。あなたが今までより一歩進んで、奉仕し「主よ、私を用いてください」と願う時生まれ変わることができる。炭火を口に当てた時に、すべての罪を赦されたとあります。私たちも聖霊の炭火を持って唇をことばを聖めて頂きましょう。今からお祈りをしたいと思います。まずは今日皇紀二千六百年の時に、真の神ではなく天皇を神とした日本の教会の罪を悔い改めましょう。そして私たちはすべての罪を赦された者として、神の管理人として宣言しましょう。今まで悪魔に奪い取られていたことばを回復してくださいと祈りましょう。今日、全く新しい唇へと変えていただけるようにお祈りしましょう。お祈りします。

 愛する主よ。今日、私たちに触れてください。この日本に触れてください。まず皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会などで行った偶像礼拝を心から赦してください。日本の教会の罪をお赦しください。皇紀二千六百年の時に宣言したことばを、撤回してください。赦してください。また私たちクリスチャンの唇を、神の被造物すべてを管理する管理人としてください。神が被造物を造った時、最初に定められた自然界の法則の上に、私たちは立ちます。自然界の法則を越えた、超自然の法則で働くことができる神の管理人である事を宣言します。今日、この聖餐をいただく時に、私たちの罪がすべて赦され、そして新しくされ、聖霊の油注ぎの中でことばが回復しますように。今からの聖餐の時、聖霊さまが一人一人に臨んでくださいますように。今日聖餐を頂く時主が触れてくださり、油注ぎを頂く事ができますようにしてください。尊い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。アーメン。