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『クリスマス世界の希望

2014年12月21日 (日)
新城教会牧師 滝元明
ヘブル人への手紙 9章27節〜28節

『そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。』


 ハレルヤ!クリスマス、おめでとうございます。今年も皆様方にお祈りいただき、今日まで守られましたことを心から感謝しております。
 特に今年は、ロン・ブラウンさんと一緒に、日本、韓国、アメリカと、約七十回くらいの集会を持ちました。みなさんの熱い祈りによって、今日まで健康が支えられ、ここまで来れたことを、心から感謝をしております。

 クリスマスになりましたので、クリスマスカードを出しましたが、新城の皆様方には、切手を貼らないで、メールボックスに入れています。一つ、私たちのためにも覚えて祈ってください。
 今年は家内も、写真屋さんが上手に撮って下さったので、少し若返っています。本当に今日まで健康が支えられていますことを、感謝します。

 先週の金曜日は、シオンタイムで遠足に行きました。どこに行ったかというと、豊川イオンに行きました。私には願いがありました。何かというと、よいクリスマスカードをなんとか買いたいと思いました。それから誕生カードも探していました。新城には良いものがなかったので、イオンに行って探しました。すると、すごくいいクリスマスカードと誕生カードがありました。
 なぜかというと、毎年私は天皇ご夫妻にクリスマスカードと誕生カードを出しているからです。お手紙も入れて、全日本リバイバルミッションのニュースも入れて出しています。今年も、お送りできて感謝です。日本の国が救われるように、覚えて祈ってください。

 また昨日は、すばらしい集会がありました。それは「親子クリスマス会」でした。今までそのような集会はなかったと思いますが、昨日は、百五十人くらいの親子が集まりました。お父さんとお母さん、そして小学校に入っていない子どもたちを持っている両親の為の集会でしたが、百五十人も集まりました。
 それは教会の若いお母さんたちが計画した集会です。多くの方が最近教会に来られています。その前の週には、子どもクリスマスがあったり、先週の日曜日には、ロン・ブラウンさんたちのコンサートもありました。会場いっぱいで、入りきれないくらいの方たちが来てくださり感謝です。
 私の願いは、すべての人が救われて、真理を知ることです。こういう機会に、すべての人が救われるように、互いに祈り、伝道したいと願っています。

 今日は、「クリスマス世界の希望」というテーマで、お話をします。もう一度、最初の御言葉を読んでみます。ヘブル人への手紙九章二十七節〜二十八節、

『そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。』

 私たち人間にとって、ある意味、一番嫌なことは、「死ぬ」ことです。人間は一度死ぬ。信じなくても信じても、いつかは必ず、死にます。私もいつかは分かりませんが、いつかは死にます。みなさんも、死ぬのです。
 しかし、死んだのちに、「裁きがある」と聖書は告げています。それぞれの行いや言葉に対し、神の前で審判を受けなければならないと書いてあるわけです。いったい、なぜ死ぬかといいますと、最初の人、アダムとエバが罪を犯したからです。聖書を見ると、「一人の人によって、罪がこの世に入って、一人の人の罪によって、すべての人は死ぬ者になった。」とあります。
 だから、今の世界のいろんな苦しみ、悲しみは、結局、アダムとエバが罪を犯したためです。支配権が、サタンの手に渡ってしまったために、人間は苦しんでいるわけです。
 しかし、感謝なことに、救い主なるイエス様が、神の御子として来られ、私たちの身代わりとなり、死んでくださったのです。死の力を打ち破り、よみがえってくださったのです。これは大きなことです。すばらしいことです。

 考えてみると、イエス様は、二千十四年前にお生まれになり、三十三歳くらいまでこの世におられました。伝道なさった期間は、三年六ヶ月くらいだと言われます。たった三年六ヶ月しか伝道されず、死んでよみがえられました。それでも今や、全世界でクリスマスがお祝いされています。それは不思議なことですね。
 徳川時代は三百年も鎖国時代があり、キリシタン弾圧があって、太平洋戦争時代もキリスト教は弾圧されました。しかし今日、日本のどこでも、クリスマスをお祝いします。不思議なことではないですか。
 やがてイエス様がご再臨なされる時には、全世界の人たちが、「イエスは主である」と告白し、礼拝する時が来るのです。非常にすばらしいことですね。イエス様がこの地上に来られたことは大きなことです。
 私たちにとってすばらしいことは何かというと、イエス様を信じて、神に対する罪が赦された事です。これが非常に大きなことです。

 マルコの福音書二章五節を見ると、中風の人がイエス様の所に運ばれて来た時、イエス様がおっしゃった言葉があります。

『イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。』

 「子よ。あなたの罪は赦されました。」…罪が赦されたことは、神の前に出ることができるということです。過去にどんな罪があったとしても、イエス様が身代わりになって死んでくださったことにより、罪が赦され、赦されただけでなく、ヨハネの福音書一章十二節には、こう書いてあります。

『しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。』

 イエス様を信じ受け入れたことは、神の子となる特権を与えてくださったのです。神様の子です。聖書を見ると、アダムとエバが罪を犯したのですが、聖書には「善悪を知る木の実を取って食べてはいけない」と書いてあります。神が心配していたことは、彼らが罪を犯した時、いのちの木の実も食べるかもしれない、ということで追放したわけです。
 しかし今私たちは、イエス様を信じることによって、罪が赦され、今度は、神の子となって、しかも、いのちの木の実を食し、永遠のいのちを持つことができる。これはすばらしいことですね。アダムとエバが罪を犯したおかげで、私たちは神の子になることができ、永遠のいのちを持つことが出来たとは、すばらしいです。 
 聖書を見ると、ヨハネの福音書一章十三節、

『この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。』

 今日、イエス様を信じていますか?救われたということは、普通考えると、家庭に問題があって、ここに来たら解決されたとか、病気が癒されたとか、精神的に病んでいたけど癒されたとか、これもすばらしい救いです。
 しかし、「イエス様を信じて救われ、神の子になった」、「永遠のいのちをもらった」ということは、永遠に関することなのです。
 永遠のいのちとは、この地上では、いつ死ぬかも分からないけれど、死んだら天国に行く。やがてイエス様が帰って来られる時には、復活するのです。しかも、イエス様ご自身が王となられた時には、イエス様と共に生きることができるのです。しかも、永遠に生きると考えたら、救いって本当に大きいです。軽んじてはいけません。永遠のことは、今は分からない。しかし、必ず来るのです。

 神様の約束ってすばらしいですね。アダムとエバが罪を犯した時、神が「女の末から救い主を与える。」とおっしゃいました。そしてアブラハムを選び、「あなたの末から地の諸族は祝福され、救い主が生まれる。」と語られました。
 神様は、永遠の方です。アブラハムに言いました。「この地をあなたにあげる。」「カナンの地をあげますよ。」
 いつ、あげるのかといったら、あなたの子孫たちが、他国に行き、四百年間奴隷となり、それから帰って来てから、この地をあげる、と約束されたのです。
 考えてみると、私たちは、約束されたら「明日、約束が成就しなきゃいけない!」と思いますが、神様から見たら、アブラハムの末、アブラハム、イサク、ヤコブ。ヨセフがエジプトに売られ、四百三十年の間、奴隷となり、それから解放され、カナンの地が与えられたのです。みなさん、四百年ですよ。

 聖書を見ると、神様の前には、千年は一日のようであり、一日は千年のようだとあります。神様は、大きいのです。永遠の方。しかも、その永遠の方によって救われて、永遠のいのちを持つことができるとは、すばらしいことです。感謝しましょう。

 みなさん、まもなくイエス様が帰って来られます。第一テサロニケ四章十六節〜十七節、

『主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。』

 クリスマスのお祝いは、クリスチャンにとって何を望むのか?それはイエス様によって罪赦され!神様の子になった!やがて、イエス様が再臨なさる時に、復活することができる!それが望みです。すごい大きなことですね。
 世界の希望は何か、それはイエス様が再臨される日です。順牧師が最近、「主の道を備えよ」という、メッセージをしていますが、まもなくイエス様が帰って来られるのです。その時、何が起こるのか。ここには、『主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。』
 これは、空中再臨と言われます。信じても、信じなくても、神の言葉は絶対に間違いありません。まもなくイエス様が帰って来られ、私たちは復活するのです。希望がありますね。

 私も時々、いろいろな所で話をしますが、何回かフランスに行ったことがありますが、ルーブル美術館に行った時、非常に希望のある絵を見ました。それは、「回春の池」という絵でした。その回春の池とは、どういう池かというと、野原みたいな所にあって、一方には今にも死にかかった、私のような白髪で腰も曲がった、おじいちゃんやおばあちゃんがいます。よちよち歩いて、運ばれて来て、回春の池に「どぶん」と投げ込まれた瞬間、ぱっと青年になり、おばあちゃんは娘になるという絵でした。池の一方では、綺麗な肉体美をした女性たちの絵でした。
 これは何を意味しているのかというと、万物をご自身に従わせる方の力によって、私たちの卑しい体を、イエス様と同じ姿に変えてくださると言うことです。みなさん、信じますか?

 だんだん歳を取って、「歯が抜けた。」「目が見えなくなった。」「耳が遠くなった。」「腰が曲がった。」「食べる物も食べられなくなった。」「人生むなしいな・・・」と思ったら終わりです。
 しかし、イエス様を信じたら、たとえ歯が抜けようと、耳が聞こえなかろうと、死が近づいても、イエス様が来られた瞬間にパッと変えられるのです。
 有賀喜一先生は、こんなことを話しました。イエス様と同じ姿に変えられるということは、イエス様は三十三歳で天に帰られたから、私たちも、三十三歳くらいになるのだろうと言われました。
 三十三歳の方、いらっしゃいますか?三十三歳。一番、油がのって、綺麗な時です。もしもその姿で、永遠に生きることができるとは、すばらしいです。

 しかしみなさん、この時には、イエス様を信じた人だけが復活するのです。信じない人は残されます。終末にはいろいろな説がありますが、一挙に天に引き上げられ、天に行って、子羊の婚姻があると書いてあります。イエス様と教会とのすばらしい時があり、それからイエス様ご自身が世界に君臨される。この世に帰って来られると書いてあります。ゼカリヤ書十四章四節〜九節に、こういう預言があります。

『その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。山々の谷がアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、主が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。その日には、光も、寒さも、霜もなくなる。これはただ一つの日であって、これは主に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある。その日には、エルサレムから湧き水が流れ出て、その半分は東の海に、他の半分は西の海に流れ、夏にも冬にも、それは流れる。主は地のすべての王となられる。その日には、主はただひとり、御名もただ一つとなる。』

 みなさん、イエス様が十字架につけられ、みがえったでしょ。四十日の間、みんなの前に現れました。そして最後に、どこの山から天に帰って行きましたか?オリーブ山です。オリーブ山から、雲に包まれた時、天の使いが来て、「なぜ、あなたがたは、イエス様が天に帰って行かれるのを見ているのですか?今、あながた見たように、イエス様はもう一度帰って来る。」と、告げました。イエス様が今度は世界を治めるために、王の王として帰って来られます。その日、オリーブ山に立つと書いてあります。
 オリーブ山に行ったことがある人、何人くらいいらっしゃいますか?エルサレム、私も何度か行きました。あのオリーブ山に立つ。エルサレムから水が湧き出るとか、いろんな事が書いてありますが、その日、すべての聖徒と共に来る。私たちも復活したら、イエス様と共に帰って来るのです。信じられますか。
 信じても信じなくても、イエス様は再臨されます。信じても信じなくても、イエス様は王の王として、この地に帰って来られるのです。その時、私たちは復活の体です。死ぬこともない体になって、イエス様と共に生きるということは、なんとすばらしいことでしょう。

 イエス様が帰って来られたら、次にどんなことが起こるのでしょう。イザヤ書二章四節、

『主は国々の間をさばき、多くの国々の民に、判決を下す。彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。』

 やがて来る世界、戦争のない世界が来ます。みなさん、戦争好きですか?この世界は、あちらこちらで、戦争やテロがあります。しかし、イエス様が来られたら、終結します。戦争はなくなるのです。
 一九七四年に、私はニューヨークの国連本部に行きました。それで働いていた知っている人が、国連本部の中をいろいろ見せて下さいました。その時に聞きましたが、国連本部の土台には、今の御言葉、『彼らはその剣を鋤に、その槍をかまに打ち直し、国は国に向かって剣を上げず、二度と戦いのことを習わない。』という、この御言葉が記されているのです。
 今は夢みたいです。「剣を鋤に、槍をかまに、二度と戦争のことを学ばない。」・・・世界に、戦争のない日が来ます。それは、イエス様が王の王として来られた時に実現します。

 クリスマスとは、赤子のイエス様が来られて、死ぬために来られ、死んでくださったのです。そのことによって、私たちには希望が与えられています。永遠のいのちが与えられ、神の子になりました!再臨の時には、イエス様と一緒に空中で主に会うのです。やがてイエス様が来られた時には、世界は、イエス様の統治になるのです。王の王として、イエス様がエルサレムから、世界を治めるのです。その時には、戦争がなくなるのです。
 今、いろんな心配事がありますね。原発の問題、戦争に向かっていったらどうだろうか、テロは・・・、毎日、新聞に悪いことばかり出ています。政治家でも悪いことをする人もいるし、いろんな人がいます。しかし、やがてそれらは終わります。
 王の王なるイエス様が世界を治める時が来たら、戦争はなくなります。
 信じますか?アーメン!気持ちがいいですね。戦争のない平和、まことの平和がやってくることを信じましょう。
 もう一つ、イザヤ書十一章六節〜九節を読みましょう。こういう時が来るのです。

『狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。』

 みなさん、そのとき、獣たちもあがなわれるのです。時々アフリカで、ライオンなどの猛獣が忍び寄って、シマウマなんかをガバッと噛みついて食べたりと、残酷です。ヒョウが獣を追いかけて、生で食べている姿も、気持ち良くないでしょう。それがなくなるというのです。
 『狼は子羊とともに宿り、』とあります。

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 これは狼と子羊です。一緒に宿るとは、一緒に寝たりするというのです。すばらしいですね。いつか、狼と子羊が、仲良くねんねする時が来ます。
 それから、ヒョウ。『ひょうは子やぎとともに伏し、』

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 今だったらどうでしょう。ヒョウの前に子やぎがいたら、すぐ噛みつくでしょう。それがなくなります。すばらしい時が来ます。
 それから、『子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。』とあります。

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 『雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。』

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 北海道で困ることは、牧場の牛をヒグマが襲ったりする事です。しかしそれはなくなります。地に主を知る霊がいっぱいになるからです。

 今日、話したことは、聖書の言葉ですから、いつの日にか成就します。イエス様が来られる日、それを見ます。あなたは見ます。やがてイエス様が来られた日に、戦争がなくなるのを見ます。そして獣たちもあがなわれるのを見ます。この目で見ることができるのです。
 みなさん、信仰を持ちましょう。楽しみですね。将来、捨てたもんじゃないです。
少しくらい悩みがあって、人からいじめられたとか、貧乏とか、病気だとか、腰が痛いとか、大したことではない!それはしばらくの間です。今私は、八十五歳。いつ八十五歳になったのか分からんけれど、年をとりました。昨日私の妹が来ました。彼女も八十二歳になりました。どっちがお妹だか、お兄ちゃんだか分からなくなりました。それも大したことない。腰が曲がっても、いつかは娘みたいに、姿は変わります。それを永遠に見ることができるとは、私たちの希望です。
 次に、ヨハネの黙示録二十一章三節〜四節に、こういう約束があります。

『そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」』

 「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。」私も最近、涙もろくなりました。今年もすごくよく泣きました。何んで泣いたかというと、ロン・ブラウンさんと一緒に七十日くらい集会をした時、ロンさんが作った歌で、「もしあなたがいなかったら(If not for you)」という歌があります。あれはロンさんが自分の証しを書きました。もしイエス様がいなかったら・・・、彼は四年間も麻薬で苦しんだけれど、イエス様にお会いして、麻薬から解放され二十二年になりました。「もしあなたがいなかったら」私はライオンの餌食になったでしょう。敵から抑圧され、立つこともできなかったでしょう。しかし解放されました。あの歌を聴くと、いつでも、涙が出ます。
 今回はイヴォンヌさんとリオネシアさんがその曲を歌いました。涙が出た。もしイエス様がいなかったら、今頃どうしていたかな・・・。今頃イエス様を知らなかったら、私は酒でも呑んで、くたばって死んでいたかもしれません。炭焼き小屋で、炭でも焼いていたかもしれません。しかしイエス様を信じたから、今日まで幸せに過ごせたと考えると、涙が出ます。

 少しは苦しいことがあっても、苦しみは益となるのです。それを通して救われることもできるし、そのことを通し、イエス様に近づくこともできるのです。
 もう一度、今の所を出していただきましょう。『彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。』
 その続きを、一緒に読んでみましょうか。『もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」』

 やがてイエス様によって死ぬことはない!我らは勝利をした!第一コリント十五章には、イエス様ご自身の再臨によって、死が敗北することが書いてあります。私たちは永遠に、イエス様によって、死はない!死なんか勝つことはできない!復活の勝利を持った!すばらしいことです。

 今、悲しんでいる人はいますか?今のうちに、楽しんで、悲しんで下さい。なぜなら将来、悲しみはなくなりますから。今のうちに叫んでおきなさい。やがて叫びもなくなります。苦しんでいますか?しかし大丈夫です。苦しみはなくなります。こういう時を主が準備してくださるのです。感謝しましょう。すばらしい時がきます。

 ヨハネの黙示録二十一章五節〜九節、

『すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」』

 人生を軽んじてはいけないのです。イエス様を軽んじてはいけないのです。聖書は確かな言葉です。ここに書いてあるように、『おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、』
 最近ではおっかない人もいます。女性でも、何回も結婚をし、現金を取ってみたり、遺産をもらったり、毒殺したとか、殺して切断したとか、恐ろしいことがあります。人殺し、盗む者、姦淫する者、不品行な者、神の前に立つことはできないと書いてあります。
 私が一番考えることは、一番残念なことは、使徒パウロ自体がこう語っています。「自ら宣べ伝えておきながら、捨てられることがないように。」と書いてあります。

 私も一生涯、六十何年、イエス様にかけてきました。しかし、八十五歳でイエス様から離れてしまったり、罪でも犯して地獄に入ったら、そんな情けないことはないです。
 教会に来て、バプテスマを受けても、イエス様が来られた時、再臨の時、残されて、最後には火と硫黄の中に投げ込まれたら、こんな無意味な人生はないのです。イエス様を知った以上、どんな苦しみがあっても、どんな誘惑があっても、イエス様にしっかりとくっついていく事は大切です。イエス様は帰って来られます!
 ヨハネの黙示録二十章十節、嬉しいことがあります。みなさん、一緒に読んでみましょう。

『そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。』

 嬉しいじゃないですか。今の私たちの最大の敵は悪魔です。堕落した天使です。これが今は時が近づいているので、一番働いているのです。聖書を見ると、イエス様がゲラサに行った時、イエス様が、「出て行け!」と言ったとき、彼が何を言ったかというと、彼らは「底知れない所に投げ込まれないようにお願いします。」と頼みました。
 悪魔が一番恐ろしいことは、イエス様の再臨の時、地獄に投げ込まれ、封印される事です。千年王国の時、主のみが、崇められます。
 みなさん、やった!じゃないですか。悪魔どもは、地獄に投げ込まれた。そこには偽預言者や獣もいます。獣とは、罪を犯した人、偽預言者たちです。
 彼らは日夜苦しみ続ける。永遠に。地獄は、永遠に苦しみ続ける所。そこに行かないように、イエス様はこの地に来てくださって、私たちのために死んで、よみがえってくださったのです。そのために、クリスマスがあります。
 イエス様は、私たちを永遠の苦しみから救うために、来てくださったことを、信じましょう。

 希望がありますね!戦争がなくなります!死がなくなります!滅びもなくなります!叫びもない。苦しみもない。病気もなくなります。すばらしい時がやってきます。今、少しは苦しみがあっても、イエス様に希望をかけてまいりましょう。
 最後に、ヨハネの黙示録二十二章二十節、ご一緒に、大きな声で読んでみましょう。

『これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。』

 一日も早くイエス様に帰って来てもらいたいですね。「わたしはすぐに来る。」アーメン!来てもらいたいですか?
 時々、「ちょっと待って!結婚するまで来てもらっちゃ困る!」とか、そういう人もおりますが、親が救われていない人もいます。しかしみなさん、一日も早くイエス様が来られ、イエス様と共にすばらしい時を過ごすことができる、これが世界の希望です。
 イエス様は救い主です。再臨されます。世界を治めます。戦争もなくなります。叫びも、悩みも、病気もなくなります。悪魔は地獄に投げ込まれます。これがクリスマスの喜びです。みなさん、信じていきましょう。

 地獄に行くのがいいですか。天国に行くのがいいですか。永遠のいのちがいいですか。滅びがいいですか。分かったことですね。
 まだ信じていない人、今日の話は、私の頭から出たことではなく、永遠に変わらない神の言葉から話をしました。これは神の責任の中の言葉ですから、ぜひともイエス様を信じていない方は、はっきりと心を決め、臆病者と書いてあるから、親戚がなんと言うかとか、人が褒めるとか、そんなことは関係ない。永遠のいのちを受けるため、命がけで信じることが大切です。信仰を持ってまいりましょう。
 「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。お祈りしましょう。


 愛する主よ。一度死ぬことと、死んだのちに裁きを受けることが決まっていると書いてありますが、あなたはこの地上に来られ、ご自身を捧げてくださいました。私たちは永遠のいのちを持ちました。二度目には、死ぬためではなく、待ち望むすべての人に迎えられるために来るとあります。あなたがこの地上に王の王として帰って来られる事を感謝します。
 今日、このクリスマスの日、やがて来たるべき、あなたの約束を信じます。私たちはよみがえります。イエス様と共に住むことができることを感謝します。そのことを信じて、イエス様の流された御血潮、裂かれた肉、聖餐にあずかります。イエス様、一人一人が深い敬虔な信仰を持つことができますように。罪を恐れることができるように。悔い改めるように。主を恐れて、愛していくことができるよう、お願いいします。イエスキリストのみ名により、感謝してお祈りします。アーメン。