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「主に立ち返ろう」

2011.4.17(SUN)
新城教会牧師  滝元 明
ホセア書 6章1節〜3節

さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。

 ハレルヤ!久し振りにここに立つ事が許されて、心から感謝です。3月、4月はすごく忙しい時を持ちました。3月5日に家を出て、韓国に行き、8日に帰りました。それから、3月17日から29日までは、ずっとアメリカを周って集会をして帰ってきて、すぐに大阪で集会をして、また6日から13日までイスラエルに行って帰ってまいりました。みなさんが本当に祈ってくださって感謝です。
 多くの人から電話をいただきまして、「祈ってましたよ」という言葉をいただきました。祈ってくださったゆえに、健康で来れたと思って感謝します。

 イスラエル旅行も非常に恵まれまして、なぜ恵まれたかと言いますと、今回は36人で行ったんですが、私は初めから考えました。私も81歳ですから、私が大勢引き連れて行くのは無理だから、なんとか岡本先生に後押ししていただきたいと願い、「一緒に行ってくれ」とお願いしたら、快く奥様と共に行ってくださいました。それだけでなく、去年、開先生たちがイスラエルに行った時、賛美で恵まれたということでお願いして、一緒に行ってもらいました。ですから、今回は最高でした。
 イスラエルは6回目だったのですが、私は少し耳が遠くて、心配していたことはガイドさんが小さい声で話すと聞こえないのです。だから孫も一緒に行ったので、「おじいちゃんの耳になって、よく聞いて、通訳してくれ」と言ったんですが、そういうこともなくて、今回はイヤホンをみんなに配りまして、ガイドさんの話す言葉が全て聞こえるのです。遠く離れていても聞こえたので、全て逃さず聞く事が出来、恵まれて帰ってきました。

 賛美も素晴らしかったです。シロアムの池に行って賛美をしていたら、ガーナのツアーの方々が来て、一緒になって賛美して本当に国際的な素晴らしいツアーとなりました。みなさんにお祈りしていただいて感謝します。

 今日は、今読んでいただいた聖書の御言葉から学びたいと思います。これはホセア書のみ言葉で、もう一回読んでみます。
ホセア書 6章1節〜3節、

『さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。』

 今の日本は、災害である意味、引き裂かれたようなところがあります。私もアメリカをずっと回りましたが、アメリカのいろいろな教会に行ったのですが、特に、東北の大震災の現状を世界中で見ることができるので、みんな心を痛めて祈ってくれました。
 私が感じたことは、今までの歴史の中で、日本がこれほど世界中の人から愛され祈ってくれたことは初めてだと思います。私はアメリカで、今までの人生の中でこれほど涙を流したことがないほど、日本のために涙を流して祈りました。
 韓国教会に行っても映像が映し出され、切に祈ってくれて、本当に感謝でした。黒人教会に行っても祈ってくれました。ビクトリーチャーチという教会に行った時、チャリティーコンサートを開いてくださり、ロン・ブラウンさん、ティム・ケプラーさん、レミーさんが、日本人も入っているゴスペルの聖歌隊と共に50人くらいで賛美して、そこに集ったいっぱいの会衆は、日本のために真剣に祈ってくれました。東北の仙台から、次男の望がコンピューターを使ってライブで映像を送ってくれました。仙台には家が流された内藤という新城出身の牧師がおりますけれど、内藤先生ご夫妻が現状を報告してくれました。その姿を見ながら、みなさんが心を込めて祈ってくれました。私は、「日本は愛されている!」と思いました。

 今、日本の国はある意味において引き裂かれたようなところがありますけれど、神様が癒して、包んでくださることを、確信しました。ですから、私たちもこの後、日本にリバイバルが来ることを信じて祈り求めていきたいと思います。

 この御言葉は、私にとっても忘れがたい御言葉です。人生は良い事ばかりじゃありません。時々、悲しいこともあります。私の人生の中で一番悲しかった思い出は何であるかというと、今から50年くらい前になりますけれど、私には今7人子供がありますけれども、8人子供が生まれました。開の次に生まれた子供に「ますみちゃん」というかわいい子がいました。その子が3ヶ月で疫病にかかり、予期もしない内に亡くなったのです。その時の悲しみは、今でも忘れることができないくらい、引き裂かれた悲しみでした。「どうして?どうして?」と、もし信仰がなかったら私は気が変になるくらい悲しかったです。愛している3ヶ月になる赤ちゃんが亡くなったという悲しい時に、聖書を読むとこの御言葉が与えられました。『引き裂いたが、また、いやしてくださる。』この御言葉をいただいて、勇気づけられました。そして、その後3節に、

『私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。』

 神様は悲しみの中で、素晴らしい恵みを与えてくださることを信じました。ここまで新城教会が祝されてきたのは、素晴らしい恵みだと思います。
 私もあの悲しみを知ったことによって、ある意味において、少しは同情心というか、人の悲しみもわかってきたような感じがします。
 私には素晴らしい友達がいて、ヨナタンとダビデみたいなオーケ・レナンデルというスウェーデンの宣教師がいて、その方がすぐに駆けつけてくれて慰めてくれました。悲しんでいる時、私を抱きしめて、ぽろぽろと涙を流しながら、「先生、悲しかったね」と一緒に泣いてくれたのです。私の頬の上にレナンデル先生の涙がぽろぽろ流れるくらいでした。その涙で私の心は癒されました。不思議に癒されたのです。
 なぜかというと、オーケ・レナンデル先生には4人の子供がいたのですが、一人ハンス君という子供がいました。ハンス君は、いわゆる身体的な障害を持っていた子で、生まれてから歩いたことがありませんでした。3歳になっても4歳になっても歩いたことがない子供でした。私が行くと話すこともできないハンス君を抱いて来て、「先生、うちの宝よ〜」と奥さんが出て来るのです。非常に愛している姿を見ました。
実はその先生は一つの悲しみとか痛みを持っていましたから、哀れみ深い心を持っていたのです。
 しかしもう一人、まだ結婚しない歳取った宣教師の方にもそのことを打ち明けたことがありました。「子供が亡くなって…」と告げると、「あっ、良かったわね。天国は心配ない。交通事故もない。悲しいこともない。いいわ。」と簡単に言いました。私はその言葉を聞いて、慰められるどころではありませんでした。天国は死も悲しみもないことは分かっていましたが、その言い方に傷つきました。やっぱり、涙を流してくれた人から慰めを受けました。
 時々人生の中で苦しみを味わったりすることは、人間的にも成長すると思います。

 もう一つ恵みをいただいたのは何かというと、この近くにターリー・アンダーソンという宣教師がいて、その宣教師も私が子供を亡くした時に来て、こういう話をしてくれました。「先生、御言葉を一つ差し上げます」と言われました。どういう御言葉かというと、ヨハネによる福音書 13章7節、

『イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」』

 この言葉を読んでくださいました。今は子供を亡くして悲しい。その意味はわからないけれど、後でわかるようになる。この言葉を教えてくださって、その言葉が私の心の中に入りました。「今はわからない。後でわかるようになる。」その言葉を忘れることができません。

 この度の災害のことを考えると、みなさんきっと「どうしてか?」と考えると思います。「どうして一瞬にして、家が波にさらわれたり、多くの人が死んで・・・どうしてか?」と考えると思います。
 しかし、今は意味はわからなくても、いつかわかる日が来ます。という言葉を心に留めなければいけないと思います。
 良い事ばかりがあるのも素晴らしいですが、時々苦しい時もあります。伝道者の書7章14節、

『順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。』

とありますけれど、こういう一つの問題が起きた時には、「なぜ、日本にこういう問題が起きたのだろうか?」と考えなければならないと思います。「どうして起きたのか?」
 なぜ地震があったのかは、先週も、順牧師が詳しく話していましたが、やっぱり地核変動とプレートの問題であることは確かです。けれども、神様の目から見たら視点で、私たちは何を考えなければならないでしょうか。

 実は、昨年の9月20日。東北の盛岡でリバイバルミッションを行いました。私は記憶力が良いです。9月20日と覚えています。なぜかと言うと、それは私の誕生日だからです。1週間くらい北海道で集会をして、それから盛岡に入って、そこで集会をして、その後、名取市で集会をしたわけです。
私はメッセージの前に、モーセは生ける神の御言葉をシナイ山で預かったと書いてありますから、いつもお祈りします。「イエス様、どういうメッセージをしたらいいですか?」とお祈りします。みんないろんな所で私のメッセージを聞いているので、同じメッセージは出来ないのです。どういうメッセージがいいですか、とお祈りしました。その時に、意外な御言葉をもらいました。ヨハネの福音書3章36節の言葉から語りなさいと語られました。
ヨハネによる福音書 3章36節、

『御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。』

 この御言葉から話すように言われました。普通は「神は愛です」とか、「信じたら罪は赦されます」とか、これは十字架の血潮を一度は話さなければいけないので、当然ですけれども、その時に、『御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。』
「神の怒り」について語りなさいと言われるのです。私は「神の怒り」について、その時に話しました。
 時々、私たちはメッセージを聞く時、甘い愛の言葉、優しい言葉が好きです。しかし、みなさん、食事でも時々、塩辛い物も必要だし、甘い物も必要だし、柔らかい物も必要だし、固い物も必要であるように、メッセージも、やわらかいだけじゃなくて、少しは食べにくいような固い言葉も必要です。イエス様が「神の怒りについて語りなさい」と言われたので、「私たちはイエス様を信じたら救われます!赦されない罪は一つもありません!悔い改めて信じましょう!しかし、悔い改めない場合には、聖書の中には、救いを拒否したら、神の裁きがくるから、裁きが来ないように警戒しましょう。」と話しました。

 その時、私がどんな話をしたかと言いますと、随分前になりますが、カナダのトロントにオズワルド・スミスという先生がいました。その先生は有名な先生で、日本にも何回も説教に来られました。この先生は、魂への情熱だとか、リバイバルのための本を書いていて、私もその方の本を読んですごく感動しました。
 その感動した中に、名前は忘れましたけれども、カナダのある街にリバイバルが起きた時に、街中の人たちが教会に来るようになったそうです。新城にもそういう時が来たら嬉しいですね。来ることを信じてますけれども。
 街中の人たちがこぞって集会に来たそうです。人々が救われて、罪を悔い改めて、夫婦仲が回復して、泥棒がいなくなって、素晴らしい街になったそうです。
 しかし、その中にリバイバルを喜ばない人がいたそうです。みなさん、リバイバルを喜ばない人がいるのです。なぜ喜ばなかったかと言うと、誰が喜ばなかったかというと、酒屋の主人でした。今までは酒屋に来て飲んで楽しんでいた人たちが、酒屋に来なくなって、飲まなくなって、酒屋ががらがらになったからでした。  
 そこで酒屋の主人は怒って、「ひとつあの集会を妨害しないといかん!」ということで、彼は何をしたかというと、ならず者の所に行って「あの集会を妨害してくれ」と頼んだそうです。雇われたヤクザたちが集会に入り込んだそうです。そして、「よーし。妨害してやろう!」と機会を狙ってるうちに、話を聞いている内に彼らは怖くなってしまったそうです。
 「俺たちはこのままだったら地獄に行ってしまう。大変だ。俺は悔い改める。イエス様を信じます!」ということで、悔い改めてイエス様を信じたそうです。素晴らしいことです。ですから、みなさん、日本全国のヤクザの人たちが救われたら、こんな素晴らしいことはないです。酒屋もなくなったら素晴らしいと思います。みなさん、だいたい、悪の根源は一つは酒です。飲んで事故を起こしたり、飲んで病気になったりします。
 そういうようなリバイバルが日本に来ると素晴らしいと思いますけれど、この親父は、自分が遣わしたヤクザたちがイエス様を信じたということで酌に触って、彼自身が妨害に入ったそうです。
彼は席の真ん中に入って、妨害するために時を待っていたそうです。すると説教者がお祈りして、「今日はどこからメッセージを語ったら良いですか。教えてください」と祈った時に、イザヤ書の38章の1節の御言葉から語れ、と主は言われたそうです。その御言葉はどういう御言葉かというと、ヒゼキヤに言われた言葉ですが、イザヤ書 38章1節、

『そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。「主はこう仰せられます。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。』」』

 この神様がおっしゃったことは、「あなたの家を整理しなさい。あなたは死ぬ。」文語体には「必ず死ぬ」とあります。
 これは、王様であったヒゼキヤ王にイザヤという預言者が語った言葉ですが、神が説教者に与えて、「あなたは今日この言葉を語りなさい。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。』」
 しかし説教者は「いや〜、そういう説教はなかなかしにくい。」と言ったそうですが、「語れ」と言われたそうです。それで説教者は立ち上がって、「みなさん、今晩の聖書のテキストをお読みします。『あなたの家を整理しなさい。あなたは必ず死ぬ。』と語った途端に、酒屋の親父が立ち上がって叫び出したそうです。「何を言っている!キリストなんか嘘だ!神なんかいらん!」と叫び出し、集会は全てぶち壊されたそうです。みんなその男に集中したそうです。
その途端、この男の声がぴたっと止まったそうです。止まった途端に口から血が吹き出て倒れて死んだそうです。みなさん、誰が介入したと思いますか?
 時々、私たちは神様を恐れず、悪いことやっても神は愛ですから赦してくださると考えますけれども、神に反抗し続けたら死ぬのですという説教を、オズワード・スミスという先生は語りました。私も彼のメッセージを語りました。

 それからもう一つ、この教会のみなさんがよく知っている人の事ですが、すでに天国に帰ってしまいましたけれども、岡本家のおじいちゃんの話をしました。岡本さんの家では初めキヨさんが救われて、おばあちゃんが救われて、子供たちも救われました。
 しかし、おじいちゃんだけがすごく反対しました。ずっと反対していました。頑固な人で、私が大嫌いでした。すぐ隣ですから、よく話しました。
「おじいちゃん、イエス様を信じてください。信じたら天国に行けるよ」と言うと、「ばかやろー。キヨをクリスチャンにしやがって!キリストにしやがって!俺の家はめちゃめちゃだ。ばかやろーめ。」と言いました。
 また、ある時に、私が一人の人に電車の中でイエス様の話をしたら、その隣に眠ったようなふりをして、おじいちゃんが座っていました。電車を降りてから、こう言ったそうです。「あの滝元の野郎。しゃべるしゃべるしゃべりまくりやがって。あれだけしゃべれば、てめーみたいな馬鹿は騙されるわけだ」とキヨさんに言ったそうです。
 それでも私は、「おじいちゃん、イエス様を信じてください。信じたら天国に行けますよ。」と言うと、おじいちゃんには決まり文句がありました。「ばかやろー。天国?見た人がいるか?地獄?誰かそこから来た人がおるか?ばかやろー。てめーなー、商売だからって、うまいこと言いやがって。人を騙しやがって。ばかやろー。」
 私は優しいところもありますので、「そうですか。すいません」と言っていました。それから何ヶ月か経って再度、「おじいさん、イエス様信じて天国に行くようにね」と話すと、「ばかやろー。おまえ、商売だからってうまいこといいやがって」と、いつも決め手は「商売でうまいこと言いやがる」でした。

 そうしたら、おじいちゃんが81歳か82歳くらいの時に彼は病気になりました。キヨさんが私と家内のところに頼みに来ました。「先生。今度は駄目かもしれない。だから、おじいさんがイエス様を信じるように、話してください。葬式も教会でするのに、地獄に行った人のために讃美歌を歌うわけにはいかないので、なんとか救いに導いてください」と頼まれました。
 だから、私と家内はおみやげを持って、おじいちゃんの所に行きました。おじいちゃんは死にかかった顔をして寝ていました。人間は弱くなると心が弱くなります。「おじいちゃん、どうですか?」と聞くと、おじいちゃんは死にかかった声で「もう俺、駄目だと思うよ」と言うのです。私もはっきりと、「そうでしょう。もう駄目でしょう。」と言いました。
 そこで「おじいちゃん、どうですか?天国に行く準備は出来ましたか?イエス様を信じないと天国に入れないよ」と話をしたら、おじいちゃんは口だけはまだ達者で、なんと言ったかと言うと、「天国?おまえな、商売だでうまいこと言いやがって、人を騙しやがって、何を言っている・・・」と、死にかかっていても私に向かって商売だと言うのです。
 私は、その時に、かーっとなりました。私が伝道をしてるのを商売だと思わせて、地獄に行ったらいけないから、私は優しいところもあるけれど、強いところもありますから、死にかかったおじいさんに怒鳴りました。
 「じいさん!黙ってたらいい気になって!商売だ商売だって何が商売だ!商売だったら鉱山の土方なんてやって伝道せんよ。東京で勉強していたのを止めて、ここまで来て伝道しないよ。アーメンだソーメンだ、商売だって言われても黙ってやってきたけど、じいさん、このまま死んだら地獄だよ!」
 死にかかったじいさんを怒鳴りつけました。そうしたら、おじいさんはすごくびっくりしました。
おじいさんはどうしたと思いますか?おじいさんは布団から起き上がって、私に手を付いて誤りました。「俺が悪かった。俺はイエスを信じる」と言ったのです。
 みなさん、優しいばっかりでもいけないのです。おじいさんは、怒鳴られたショックで病気が治りました。それから2年間いやされて、教会に来ました。
 みなさん、私たちが伝道しているのは商売じゃありません。真理を正しく伝えるのが伝道者の仕事なのです。なるべく優しく、心を傷つけないようにではなく、傷つけても真理を伝えなければならないです。だからおじいさんは今ごろ、「あの滝元が怒鳴ってくれたんで目が覚めた」と喜んでいるに違いないと思います。

 みなさん、時々、今のような地震なんかがあると、ああいう災害があると、「どこに神様はいるの?神様がいたら、どうしてあんな残酷な事が起きるの?」という言います。しかし、みなさん聖書を読むと、分からないこともあるのです。
 イスラエルに行きました。みなさん、今のイスラエルの国を考えてみると、430年の間、エジプトに奴隷生活をしていました。そして、神様が奴隷から解放して、40年経って、カナンの地に入りました。カナンの地に入った時、あのカナンの地には7つの民族が住んでいました。聖書を見ると、神様はこう言ってらっしゃいます。イスラエルの人たちに、「あの7つの民族を全部殺せ」と言われました。「子供も女も男も全部殺せ」とあります。これは聖書の中では聖絶と書いてあります。
残酷じゃないですか。なんで神様はそんなことを言うのでしょうか。そして、出エジプトの時には、エジプトの長男を全部殺してしまいました。「神様、残酷だな」と思うでしょ。
 しかし、聖書をよく読むと、なぜカナンの人たちを滅ぼせと言われたかがわかります。みなさん時間があったら、レビ記の18章をよく読んでみてください。レビ記18章を見ると、最後にこういうことが書いてあります。
レビ記 18章28節、

『あなたがたがこの地を汚すことによって、この地が、あなたがたより先にいた国民を吐き出したように、あなたがたを吐き出すことのないためである。』

と書いてあります。聖書を見ると、カナンの地は、すごく地が汚されていました。なんで汚されたかというと、性的な問題で汚されていたのです。近親相姦があり、獣とも関係する。結婚が乱れている。めちゃめちゃな肉欲の街であまりにも汚れすぎていました。
それから聖書の他の箇所を見ると、「血が流されて地が汚れてしまったので、結局、地、そのものが民衆を吐き出した」と書いてあります。みなさん、地が住民を吐き出した。「あなた方も吐き出されないようにしなさい」と書いてあります。

 今、原発の問題を考えて見ると非常に悲しいです。20km以内の人たちは、どこかに行きなさいと言うのです。みなさん、そうなったらどうでしょうか。この近くの原発がもしも爆発したら、「新城にすむ人は全部、どっかに避難しなさい。全員どっかに行け」と言われたら、たまったもんじゃありません。
 しかし、聖書を見ると、神がソロモンに言ったことは何かというと、「異国の女性と結婚しちゃいかん。そうするとその女性が偶像で惑わして、あなたが偶像を拝むようになる。そうしたら祝福を失う」と言われました。
ソロモン王は奥さんをたくさん持ちました。何人持ったか知っていますか?奥さんが700人です。そして、そばめが300人です。女性が1000人もいたということです。あれだけ素晴らしいソロモン王様が何をしたかというと、結局彼は、奥さんたちが持ち込んだ偶像を神殿の中に置いて拝みました。それで神が怒られたのです。
 それで次の子供がレハベアムですけれど、そのレハベアムの時に、国が二つに分断して、北イスラエルと南ユダに別れたのです。それでもなお、偶像礼拝を続けたから、結局、70年の間、バビロンに連れて行かれたと書いてあります。捕虜になりました。イスラエルの人たちはみんな縛られて、自分の国からバビロンの国に連れて行かれたのです。
日本の国は戦争に負けたけれど、外国に捕虜になって連れて行かれたことはありません。
 しかし、それは罪の結果だと書いてありますから、今の時、私たちは何を考えないといけないかというと、聖書の中にイエス様はこうおっしゃっています。『あなた方は罪の目盛りの足らないところを満たすがよい』とありますが、神様から見ると、「罪の目盛り」があるのだと思います。
 例えば、1から100までの目盛りがあって、だんだん罪が上がってくると、神様が「悔い改めなさい。罪から離れなさい。」
 だけど、神を無視して、「神なんかいるか。神がいたらどこにいるのか。なにやったって構わない。」しかし、罪が満ちた時、裁きが来ると聖書に書いてありますから、日本も悔い改めなければならないのです。

 1976年、私が韓国に行った時に、もう亡くなりましけれど申賢均という牧師に出会いました。その時に申牧師がこう言いました。彼が寝ている時にすごい幻を見たそうです。大きな建物があって、大きな街があって、突然、地震が起きて街が崩壊したと。びっくりしたそうです。
「主よ、何事ですか」と聞いた時に、神様がおっしゃったことは、「これは日本の東京だ。もし日本が偶像礼拝と淫乱の罪を悔い改めなかったら、わたしはまもなく東京を裁こうと思っている。だからあなたを遣わすから、そのことを話しなさい。」
 そのときから申牧師が日本に来ては、「みなさん、悔い改めなかったら裁きが来ます」と話しました。そこでみなさん私たちは何をしたかというと、1998年に日本武道館を借りて10日間集会をしました。それから2000年には、東京で40日間集会をしました。何をしたかと言うと、「みなさん、悔い改めましょう!裁かれないように!」と話しました。
 私たちの働きは何かというと、裁きをストップする仕事です。「悔い改めなかったら東京に裁きが来ます!だから、罪から離れましょう!」これが、私たち伝道者の仕事です。
 ある方が言いました。2000年に東京に大地震が来ると言われていたけれど、先生方が集会をしてくださったから、東京に裁きが来ないですんでいますと。それはどうかは分かりませんが、日本で一番地震が来る可能性のある所は東海地震です。
 みなさんここに教会が建てられていますけれど、1980年に教会堂が建てられた時に、委員会の人たちが設計しましたけれども、市役所に図面を出したら、「地震が来ると困るから、もっと基礎をしっかりしなさい」ということで、もっと深く掘り下げました。ここはどんな地震が来ても大丈夫な避難所になるように作られました。1970年ぐらいから、東海地震が叫ばれたけれど、今まで来なかったということは、ある意味において、私たちの祈りが聞かれたと思います。
 みなさん、今日本で大切なことは何かというと、正直言って教会が偶像に妥協したり、クリスチャンが汚れた生活をしたり、家庭生活をめちゃめちゃにしたらいけないのです。私たちは本気になって、神の御前に悔い改めて、神の怒りから逃れるように祈ることが大切です。
 ある方は言います。今の東北大地震より、もっと大きな地震が来る可能性があると。私はそれを信じないけれど、信じないというより、信じたくないけれど、ある国の人たちは預言して、もっと大きな大地震が日本に来ると言っています。けれども、これにストップかけるのが、クリスチャンの仕事です。
聖書の中にこんな言葉があります。これは大切な言葉ですから、みなさん一緒に読みましょう。第2歴代誌 7章14節、

『わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。』

 この中には『わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり』とあります。この日本を救うことが出来るのはだれかと言ったら、私たちクリスチャンです。イエス様の名前を知っているクリスチャンが、本当に、神の前にへりくだって、「日本の罪を赦してください。偶像礼拝の罪を赦してください。汚れた罪を赦してください。そしてこの地を癒してください。」と、真剣に神の御顔を求めたら、神様が地を癒してくださると書いてありますから、日本の国が癒されるように祈りましょう。

 私は日本には望みがあると思います。私は1949年に救われたけれど、戦争が終わったすぐ後に、私は東京に17歳の時に勉強に出ました。東京は焼け野が原でした。東京は一晩の空襲で10万人も死んだり、広島は一発の原爆で20万人も死んだり、日本はほとんど壊滅状態でした。しかし、ここまで立ち上がって来ました。その時、日本人の心はすごく砕かれていて、教会にみんな集まったのです。
 しかし、朝鮮動乱以来、教会に来なくなったというのは、日本人は物質を求めたのです。「儲けよう、儲けよう、商売だ、商売だ」と。しかし、みなさん、あの地震の時に一生涯かかった家も財産も、一瞬にしてなくなりました。いつまでも残る物は、魂の問題です。ですから、みなさん、もう一度、ここで砕かれた魂を持って、私たち、日本人たちが、本当に悔い改めて、罪から離れて神の前に立ち返ることができたら希望があるのです。その為に祈りましょう。イエス様が「収穫の時が来たからです」と言われています。
 まもなくリバイバルが来ると思います。それは私たちがへりくだる事によって来ます。真剣に悔い改め、祈ってまいりましょう。

 誤解してほしくないのは、絶対に、災害にあった人、東北の人が悪いのではありません。これは日本全体の問題です。日本の復興と未来のために、日本中が悔い改めて、神の前に帰ることが大切です。
もし、みなさんの中で、まだ罪を悔い改めていない方は、神様を甘く考えないで、しっかりと悔い改め、イエス様の前に信仰を持っていきましょう。
 ということで、今日の話はここで終わりますけれど、一言お祈りして、聖餐に預かりましょう。今日は、自らを省みて、「もし神の前に喜ばれないところがあったら、赦してください」とお祈りして、それから聖餐に預かりましょう。
 みなさん、ご一緒にお祈りしましょう。日本のためにへりくだって、「わたしの名を呼び求めているわたしの民が自らへりくだって、御顔を求めて、罪からは慣れたら地をいやしてくださる」と約束されていますから、日本のために、みなさんご一緒にお祈りし、日本にリバイバルが来るようにお祈りしましょう。

 愛する天のお父様。罪深い私たちを愛してくださって、イエス様の流された血潮のゆえに救ってくださって、今日この恵みをくださっていることを感謝します。主よ、日本全体のためにお願いします。どうか、知らないで犯している全ての罪を赦してください。どうか私たちに、もっと福音を伝える力を与えてください。リバイバルが来ますように。お願い致します。
 今日、主よ、日本を省みて、地が癒されるようにお願いします。災害にあった友達を癒やし、祝福し、立ち直ることができるように恵んでください。
 これから聖餐に預かります。イエス様の打たれた御傷によって、私たちの傷を癒し、今日、心の傷がある人も癒されるように。肉体の病も癒されますように。また、イエス様の血潮によって、全ての罪を洗い清めてくださいますようにお願いします。イエス様の御名によってお祈り致します。アーメン