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「よい知らせを伝えよう」

2011.6.19(SUN)
新城教会牧師 滝元 明
ローマ人への手紙 10章13節〜15節

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」

 今日は、滝元明牧師のメッセージの前に、昨日、宮城県気仙沼市に行って活動して来ました、写真を見ていただき、報告を岡本信弘牧師にしていただきたいと思います。

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 ハレルヤ!お祈りいただいて心から感謝します。前回の仙台に引き続いて、二回とも最年長として私が選ばれて行くことができました。十七日の夜、七時くらいに出発しまして、十時間少しで到着して、朝食を食べてから、現地に入りました。
 今回は津波で被害を受けた「気仙沼第一聖書バプテスト教会」の嶺岸先生の教会とタイアップし、新城教会の青年たちを中心に、リバイバルミッションに集められた義援献金、また、新城教会の献金によって、炊き出しを行なうことができました。前回は、震災後すぐだったので、被災者のみなさんにただ食事を提供し、伝道まではなかなか難しい状況でした。ただ「私たちは愛知県の教会から、みなさんに食事を届けに来ました」というだけでしたが、今回は、一歩踏み込んで宣教という視点で働きを進めたいということで、気仙沼の教会とタイアップして、バーベキューと同時に、コンサートを開催するということでした。菊池陽子さんのソロと、ゴスペルクワイヤーが一緒に賛美をして、その後、メッセージを語る、ゴスペルサパーのような感じで開催しました。事前に現地の先生方がチラシを配り、案内をして、「是非、コンサートがありますのでおでかけ下さい。」とPRしました。現地の教会と共に働きをしたという形を取らせていただきました。
 全部で百名くらいの方々が来てくださいました。教会自体は少し離れた所にあるのですが、今は基礎だけが残っていて、後は全て流され、今はかなり瓦礫の撤去が進んで、割と整然としている状態でした。
 私たちは初めに先生と共に教会跡地でお祈りしたのですが、嶺岸先生が「本当にリバイバル・ミッションや新城教会の方々の協力と祈りなくして、ここまで来れなかった」としみじみと、証しをされていました。前回、明先生が気仙沼に来たとき、「何か知らないけど、私は涙が出て来ました。涙が出たのはその時だけ」と言われました。「みなさんのお祈りを心から感謝します」と言われました。
 今は少し離れた場所で、教会を継続されています。あいりん社という印刷所を経営している方の場所で礼拝されています。そこも建物は流されていて建物はありません。津波が来て、全て水に浸かって印刷機械とか二、三千万円くらいする機械も全部浸かってしまったそうです。その印刷所の一画を仕切って、教会の働きを進めています。印刷所は復興に向けて準備をしていますが、是非、引き続きお祈りいただきたいと思います。
 今回も強行軍でしたが、みなさんのお祈りに支えられ、健康も支えられ、私は一時半くらいに新城に戻りました。心から感謝したいと思います。
 バーベキューをして、その後にコンサートとメッセージタイムがあり、その後、コーヒーとお菓子をみなさんに振る舞って、お交わりをしました。今回は野菜を提供してくださった方がいましたので、野菜も差し上げました。
 今回私は、プレイズ出版からカレンダーが結構残っていたので持って行きました。「あと半年しかないようなカレンダー貰っても」と思うんですが、向こうの方たちは、カレンダーもなくなってしまっていて、カレンダーを持って行ったらすごく喜んでくださいました。
 そして、何よりも聖書からのメッセージを被災者の皆さんが聞くことが出来たことは、素晴らしかったと思います。近くを通りかかった高校生も「食事があるから」と、そこに参加して下り、メッセージを聞いたり、食事もおいしいと喜んでいました。
 みなさんのお祈りを感謝し、また、東北の地において、これからも宣教の働きが前進していくように、お祈りいただきたいと思います。お祈りを心から感謝します。


 ハレルヤ。ご苦労様でした。朝こちらに帰られました。三十人くらいの方々が行ったわけですが、礼拝中その人たちが寝ていても、大目に見てあげてください。
 七月十日の日に、ざわめきが仙台の内藤先生の教会で特別賛美集会をすることになっています。それから、私とロン・ブラウンさんとティム・ケプラーさんと岩井兄弟の四人で七月十二日にもそちらで集会をすることになっています。今から覚えて祈っていただければ嬉しいです。

 これから御言葉を学んで行きたいと思いますが、まずは、みなさんに韓国の集会のためにお祈りしていただき、無事守られて、帰って来れたことを心から感謝します。教会の仕事はいろいろ忙しいですけれど、守りがあることを感謝しています。
 今回、私は韓国に家内を連れて行こうと思いました。家内は今日も来ていますけれど、みなさんもご存知のように、体があまり強くありません。しかしどうしても連れて行きたいと思いました。航空券を買ったりいろんな手配をしましたが、家内も自分の弱さを知っていますから、二週間くらい前になり弱音を吐いて、「私、やっぱり今回はやめとく」と言いました。私もびっくりして「やめてもいいけど、子どもたちもほとんど行っちゃうし、期間中は自分のことを自分で全てやらなきゃいけないよ。大丈夫?」と言ったら、考えた末、一緒に行くことになりました。
 私も心配で、イエス様に御言葉を求めました。「韓国に家内と行きますけれど、御言葉をください」と祈ったところ、詩篇四篇三節が与えられました。

『知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。』

この御言葉が与えられ、「あっ、そうだ。イエス様が特別に扱ってくださるんだ」と、この信仰を持って韓国に出かけました。家内が病気ですから、ちょっと弱いところがあるので、飛行機も早くからビジネスクラスを取りました。ビジネスは普通の料金の倍くらいしますが、二ヶ月前からいろいろと調べてくれて安いのがありました。往復で四万九千円でした。普通の席でも、三万九千円くらいしますが、四万九千円で往復でき感謝でした。それから、私と家内の面倒を見てもらうために、孫のあきに頼んで行きました。
 家内もうちでは歩くことは出来ますが、飛行場は広いので車いすをお願いをし、普通の人は並んでいても、車いすということで誰も並んでいないところで検査してくれて、係の人が車いすを押してくれて、ラウンジまで連れて行ってくれました。そうしたら、係員が「六時半の飛行機ですけれども、六時にはお迎えに来ます」と言って、ちゃんと迎えに来て、飛行機に乗せてくれました。飛行機も一番前のいい席で、おいしいごちそうを食べて、韓国に行くことができました。
 感謝なことに、今回行った方はよくわかりますけれど、集会場の中にホテルがありました。私は六階に泊まっていましたけれど、そこからすぐに会場まで出ることが出来、七回聖会がありましたけれど、七回の聖会のうち六回出席できました。
 なぜ一回休んだのかというと、午前中、とりなしに行ったからです。どこに行ったかというと、朝鮮神宮という日本が作った神社の跡地に行きました。なぜかというと、私の家内の父親は、太平洋戦争の時、「翼賛政治会」(昭和17年、東条英機の提唱により、挙国一致の政治体制強化を目的として結成された政治結社)のメンバーで、三羽烏の一人で、ある意味、重要な地位にいたからです。ですから、韓国支配とも関わりがあるので、その父の娘としてその罪を悔い改め、「父親がやった罪を赦してください。韓国を祝福して下さい」と祈りをしに行ったからです。
 午後に私が、「午前中とりなしに行って、午後の集会も、夜の集会にも出るのは大変だから少し休んでいなさい」と家内を休ませたんですが、集会の後で部屋に帰ったら、家内が「行けば良かった〜」と言っていました。それ一回だけで、あとは会場の一番前で、ずっと集会に出ました。そして帰りもすべて守られて、私の旅行の中でも一番楽でした。
 飛行場のラウンジに入ったことあるかどうかわかりませんが、すごくいい所です。中に入るとコーヒーでもジュースでも、なんでもただで食べられます。そこに行った時に、私たちと一緒に、森勇士君が行きました。ビジネスの券を持っていたら入らせてくれるんですけれども、持っていない人は入らせてくれません。勇士君はエコノミーですので、「この人も」と言ったら「入れません」と言われました。私はANAのゴールドカードを持っているので、「これで入れてください」と言ったら、「ここはアシアナですから、ANAは入れません」と言われました。ケチですね。
 そうしたら一人のご婦人の方が私の横に来て、「私、アシアナのゴールドカードを持ってるから入れますよ。入りなさい。」と言って、勇士君も一緒に入ることができました。

 先週は順牧師から、「私たちの国籍は天にある」というメッセージが語られました。やはり、クリスチャンになるということは、素晴らしい祝福があります。「イエス様を信じた人には、神の子となる特権を与える」とあります。それから「神の家族である」とあります。「国籍が天にある。」そして、最後には、「永遠の命、天に入れてくださる」ということですから、クリスチャン生活には、素晴らしい特権があるのです。特別扱いしてくださいます。神様が面倒見てくださいます。
 だからクリスチャンには、結論が出ています。最後は一番良くなりますという結論です。天国に行き、永遠に主と共に住みます。
 しかし、その行程では、いろいろなところを通りますが、イエス様が最もよくして下さるのです。だから、信仰を持たなければいけません。
 信仰を持っていても、気仙沼の教会は全部流されてしまいました。嶺岸先生は牧師ですから、緊張していたわけですが、私が行った時には私に抱きついておいおい泣いて、私も一緒に泣きました。あれから前にも後にも一回しか泣かなかったと言われました。あれで悩みが取られたと思います。クリスチャンであっても、家や教会が流されるとかいろいろな問題があります。
 しかし不思議に、クリスチャンたちはほとんど守られたと言います。先週、仙台でミッションをやった時責任をもってくださった先生がここに来られました。先生は東北大学の農学部の教授をやっておられた方ですが、献身して今は牧師になっています。長いこといろいろ話しました。
 すると、その先生が「このネクタイ覚えていますか?」と、ネクタイを見せてくれました。見たら、一九九二年にリバイバルミッションで発売した甲子園ミッションのネクタイをしていました。覚えていてくださっているということを感謝しました。
 そうしたら先生がこんなことを話しました。先生の教会は六、七十人来てると思いますが、恵みによって震災被害から信徒全員が守られたそうです。しかし、全員を確認するまでに一週間かかったと言われました。連絡がつかず、あっち、こっち行ってみたりして、探したそうです。しかし最終的には全員が助かっていたというのです。
 名取に大きな被害がありました。そこに求道者の方がいらっしゃったそうです。その方の家が流されたことを聞き、あの方だけは駄目かと思ったそうです。そうしたら、一週間後にわかったそうですが、ちょうど津波が来る前に、人から借り物があって、それを返しに行こうと思い立ち、仙台の街の方に行ったそうです。その間に津波が来て、その方は仙台にいて助かったそうです。「求道者まで助かりました」と言われました。
 みなさん、私たちも、もしかして東海地震があったり、いろんなことがあるかもしれません。しかし主を信じる者たちは特別扱いですから、安心して下さい。どんなことがあっても大丈夫だという、信仰をもっていきたいと思います。祈りは聞かれます。みなさん、祈りをして、これからの人生をイエス様に頼って行きたいと思います。

 六月十三日の朝方、私のところに電話がありました。誰かと思ったら、「おじいちゃん、お腹が痛い。祈って。」孫のけいからの電話でした。学校行く前にすごくお腹が痛くなり、あんまり痛がっているから、祈ってあげました。「イエス様、助けてあげてください!」と祈った時、詩篇一〇二編十七節がきました。

『窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされなかったからです。』

 こういう言葉が与えられました。「これは祈りが聞かれた」と信じました。聖書には難しい言葉が書いてあります。「窮した」という言葉です。それは困った時の事です。困った時にお祈りしたら、その祈りをないがしろにされなかった、と約束されています。
 みなさん「ないがしろ」っていう意味はわかりますか?辞書を見てみると、「大したものでないと思って、馬鹿にする様子」とありました。「親をないがしろにする」というのは、「親を馬鹿にする」ということです。「人をないがしろにする」というのは、人を「大したことない」と思うことです。「子供がお腹痛い助けて」と言っているのに、「大したことない。子供のお腹痛いくらい」という意味です。しかし、そういう軽い感情ではなく、神様はどんな苦しい時にも、ないがしろにしないで助けてくださいます。だからみなさん、なにか問題があったら、イエス様は私たちの祈りを、絶対にないがしろにするようなことはないから、なんでもイエス様にお祈りすることが大切です。

 私にとって先週はすごく嬉しい時でした。何が嬉しかったかというと、私と家内の結婚記念日でした。記念日は六月十七日でした。うちの孫からお祝いのカードが来て、「おじいちゃん、結婚記念日おめでとう」とお祝いされました。
 感謝なことに結婚して何年になったかというと、六十一年です。六十一年目の結婚記念日を迎えました。
 私の家内も病気とはいっても、痛いところはありません。筋肉が少し無力症になっているのですが、今まで集会を休んだことはありませんし、朝は今朝も五時半に起きて、聖書を一緒に五章読んで、みんなのためにお祈りしています。今日まで守られているわけです。感謝なことに、結婚して六十一年間、夫婦生活が出来たということを考えると感謝だと思います。イエス様がここまで導いてくださった。感謝です。

 私も終戦後、東京に勉強に行って、初めて教会に行った時に、私を導いた先生が「とにかく聖書を読みなさい。そうしたら、聖書を読んでいると、イエス様が必要な時に語ってくださるから」と言われました。それから、聖書をよく読んで、いくつかの御言葉をいただきました。今でも忘れることができませんけれど、マルコによる福音書九章三十五節、

『イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。』

これはある意味において、私の人生を変えた御言葉だと思います。文語体の聖書では、

『人もし頭たらんと思おもはば、凡の人ひとの後へとなり、凡の人の役者となるべし』

 私はこの御言葉で感動しました。なぜ感動したかというと、私が田口の学校を卒業して東京に行く時、学校の校長が私を呼んで、「滝元君。東京の農業研究所に入れることになっておめでとう。とにかくがんばりなさい。」と、非常に期待をして送り出してくれました。ある方は「偉い人になって帰って来い。」と言われました。今ではそういうことはないと思いますけれど、昔はこう言われました。
 ですから、私が東京に出て三年間の間、心の中にあったのは何かというと、いつも「偉い人になりたい」ということでした。偉い人になるというのは、人の上に立って人を顎で使うとか、この世の中の総理大臣だとか、部長だとか、課長だとかそういう人たちが偉い人だと考えます。とにかく負けちゃいかんと、高慢な気持ちがありました。
 ですから、イエス様を信じるまで、「偉い人になりたい、偉い人になりたい」と考えていました。それで結局どうなったかというと、私は人からすごく嫌われました。というのは、私は理屈屋だったので、人が白と言えば「いや、黒じゃないですか。」人が真っすぐと言えば、「いや、曲がっているじゃないか」と反抗しなくちゃおもしろくありませんでした。そこにいた職員の人たちとも随分議論したり、随分人を馬鹿にして、友達が「滝元。お前はいつでも人を見ると馬鹿にするじゃないか」と言われ、「あいつ少し程度が低い」とか、随分批判的でした。しかし、それは自分の中にある一つの高慢さでした。
 しかし、聖書を見ると、『人もし頭たらんと思おもはば、凡の人ひとの後へとなり、凡の人の役者となるべし』とあります。
 イエス様が来られたのは、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであって、最後には贖いの代価として、ご自身を与えるために来られたのです。神は王の王です。そんな天の神が人類を救うために、神の栄光の座を捨てて、この地上に馬小屋に生まれてくださり、しかも、ナザレの村という、当時は二、三百人しかいないような田舎村で大工さんやって、三十歳まで育てられて、三年六ヶ月伝道なさり、イエス様がおっしゃったことは、「人の子が来たのは、仕えられるためではない。かえって仕えるためであって、最後には自分の命を贖いの代価として与えるために来た」と言われました。弟子たちの足を洗い、最後には十字架につけられ「彼らを赦してください」と言われました。素晴らしい生涯でした。
 私は「いや〜すごい。なんと気高い方か。こんなつまらない者が、偉そうに高ぶっている・・・。」
 そこで考えたことは、「人生の向きを変えよう。これからは人に仕える人になりたい。人のために生きよう。神様のために生きよう。」
 これが、私の伝道者となるきっかけになりました。イエスさまがへりくだっている、という姿によって私は祝福されたと思います。

 私の家内は、日本女子大にいた時、『朽ちる糧のためではなくて、朽ちない糧のために働け』という御言葉をいただいて献身しました。それで、こちらに伝道に来るように導かれ、献身したわけです。
 一九五〇年の六月十七日、私たちは結婚しました。それは土曜日でした。その時分、私の家も、親もすごく反対していたので、結婚式に来てくれたのは、私の兄と東京におばさんが二人いて、家内の方ではお母さんと弟が来てくれました。しかしクリスチャンたちは百人くらい集まってくれて、いい結婚式でした。
 結婚式の時、家内は随分日焼けをしていました。そうしたらお母さんが「結婚式くらいおしろいでもつけなさい。」と随分悪く言われました。でも、私の家内は「いいです。イエス様から与えられた素顔で大丈夫です。」と結婚式をしました。
 結婚式はリースというアメリカ人の先生が司式をしてくださり、植松という先生がメッセージを語ってくださいました。その時に、一緒に教え子の生徒が見て「わ〜。斉藤先生!顔が白ロウみたい!」と言いました。白ロウというのは、みなさんわかるかどうか知りませんけれども、白いロウソクです。すごいきれいで、私の人生の中でも、あんなにきれいな家内を見たのは、初めで最後でした。栄光を現してくださいました。そのようなところから結婚しました。
 結婚して六十一年間、家内と一緒にやってきました。先日も家内が「六十一年間、喧嘩もしないでこれて感謝ですね」と言いました。
 みなさんもご存知のように、私と家内は夫婦喧嘩はほとんどしませんから、愛し合ってここまで、良い家庭が与えられました。子供たちも与えられて感謝なことだです。六十一年間来れた恵みを今日も考えました。
 なぜここまで来れたのか。それはイエス様がおられるから、素晴らしい人生を歩むことが出来たのです。イエス様のおかげで六十一年間生活出来たのです。

 もう一つは何かというと、新城教会にはすばらしいクリスチャンがいっぱい来ていて、私のために祈ってくださる。だから幸せな六十一年を過ごすことが出来ました。今日も兄弟姉妹のことを考え、またそれだけでなく、日本中で祈ってくれる方々もたくさんいます。それで六十一年間やって来ることができました。私はつくづく考え、六十一年の間、守られて祝されたことは、もう一つは天国に行ったら最初に会いたい人は誰かというと、やっぱりイエス様ですが、いろんな人に会いたいです。恩人にも会いたいと思っています。恩人というのは誰かというと、私を導いてくれた穐近という先生です。一九九二年には追放されたり、いろんなこともあったけれど、私たちを救いに導いてくださったあの先生を、私は尊敬しています。もう天国に帰ったけれど、穐近先生という方は立派な方でした。私にいい影響を与えてくださったと感謝しています。だから、天国に行ったら、「先生、導いてくれてありがとう。」と感謝します。
 あの先生の言葉は、非常に私の人生に重みを与えてくれました。それから、いろんな先輩方が私たちを助けてくださったから、六十一年間来ることができたのです。

 穐近という先生は非常にはっきりと物を言う先生で、ある集会で献金の奨めをしたことがありました。献金の奨めで「貧乏で本当に困っていますけど、イエス様が助けてくださいました」と言ったら、穐近先生がつかつかと出て来て、「何を言っているんだ!兄弟!牧師が貧乏するなんてどこに書いてある!」と、うちの子供たちがおる前で「おまえはけちけちしてるから貧乏だ!」と言われました。みんなの前で怒鳴り飛ばされて、「くそ!」と思ったけれど、反省しました。私にはケチなところがあるのです。
 その時、ちょうどブラジルに宣教師を送り出すということで、予約献金をすることになりました。私と家内は、「予約献金。どうする?」と話し、あんまり怒られたので、もう思い切ってやろうということで、これだけ出したら三ヶ月は食べられないかもしれないというほどの予約献金をしました。
 しかしあの時から、ある意味で私たちの経済は良くなりました。だから、あの先生の言葉は、私にとって人生に大きな重みがあります。
 それから結婚する前、穐近先生が結婚の話をして、「家と財産とは先祖から受け継ぐ物。賢き妻は主からもらうと箴言に書いてある。だから兄弟たち。いい人と結婚しろよ」と言われました。ちょうど私は伝道に出る前で、結婚のことを考えていました。教会で、あの子がいいかな、この子がいいかな、ときょろきょろしていた頃で、だから照れくさくて一番前で「へへへへっ」と笑ったら、突然、講壇から降りてきて、「兄弟。へへへじゃないよ」と頭をぐりぐりされ、私はその時に悔い改めました。「妻は主が与えて下さるから、自分で選んではいけない。イエス様に任せよう。」
 あの先生の一喝が、私にいい奥さんが与えられるきっかけになったと思います。

 結婚する時、穐近先生がこう言いました。私の妻を呼びました。「姉妹、あなたは滝元兄弟よりも六歳半年上だけど、聖書には、どんなに年上であっても、『妻たる者よ。自分の夫に従え』とあるから、姉妹、従うんだよ」と言ってくださいました。その言葉を家内は受け入れてくれました。馬鹿にしたりして、「年下だ」とか「学問がある」とかではなくて、『妻たる者よ。自分の夫に従え』と書いてあるからどこまでも従うんだよと。
 それから私を呼んで「兄弟、『キリストが教会を愛して命を捨てたように、妻を愛せよ』とあるから、兄弟、妻を愛するんだよ。わかった?」と言われました。
 一つの助言が私たちの人生を祝福してくださいました。私と家内は「何やってんの。あんたたち。だめじゃないの。」と子供たちをよく叱りましたが、家内は私がやってくれということには、従順にしたがってくれました。争いもなく、今日まで喧嘩をすることもなく出来たのは、あの一言が大きかったと思います。

 それから伝道に出る前に「兄弟。絶対、乞食するなよ」と言いました。「聖書はな、まず神の国と神の義を求めたら、全て必要な物が与えられるとあるからな、乞食するな。」と、いい事を言われました。
 だから結婚する前、私の母親が泣きながら「明。どうやって食って行くんだ。アメリカからいくらくらい金来るだ?」『アメリカからは金は来ないよ。俺は働いて行く。』「子供でも出来たらどうする?保証でもあるか?」『うん。保証はあるよ。聖書は空の鳥を見なさい。種を蒔くことも刈ることも倉に収めることもなくても、しかし天の父が養ってくださると書いてあるから、僕の信じている神様は天と地も創ってくださった神様だから、空の鳥を養っているんだから大丈夫だよ。』「うまいこといいやがって・・・。」と母は言いました。
 しかし、本当に明日の米もない。それから、お金もない中で、実家の前に一年くらい住んでいましたが、どんなに困っても、「おとっつぁん。金ください」とは言いませんでした。米がなくても、「おっかさん。米貸して」と言ったら、必ずこう言われるのです。「それ見ろ。明。イエス様も助けること出来ないだろ。」そのように言われる位なら、死んだ方がましだと思いました。飢え死んだら天国に行って、「イエス様がくれなかったから来ましたよ」と言えば済みますから。
 みなさん、「乞食しないで」というのは、先生が僕にいい財産を与えてくれたのです。今日まで、乞食したことないというのも恵みですが、神の国と神の義を求めたら必要な物は付け加えられるのです。

 それから、私がいろんなことをして、伝道者として、一九七一年から県民の森で教職ゼミナールを始めました。全国で十箇所くらい教職ゼミナールを開いたんですが、穐近という先生はなかなかきつい先生で、私と田中先生が日本リバイバルクルセードを始めた時、「田中兄弟!滝元兄弟!出て来い!」なんて言われて、「大丈夫か。兄弟!女に対して大丈夫か!」と言うのです。あの先生はすごく厳しかったです。「女性との問題は、噂だけ出ても除名するぞ!」というくらいでした。だからこころ引き締まりました。私は六十一年間、家内と一緒に来れて感謝したことは、今日まで浮気をしないで来れたことが感謝です。一人の女性だけを愛し通すことができた。
 みなさん、結婚したら少しくらい悪くても良くても、世界に一人だから、最後まで愛し通すことが非常に大切です。

 それから、いろんないい先輩にも出会いました。今、聖歌を歌いました。「丘に立てる荒削りの」というのは聖歌です。今、ここで歌っているのは、だいたいざわめきから歌っていますが、聖歌を編集したのは、中田羽後という先生です。その先生の記念会が東京であって、私が講師に招かれました。その時に、その教会の先生はもう亡くなりましたが森山という立派な方でした。そこに、みなさんは知らないと思いますけれども、アライアンス・ミッションの大石先生が来て話を聞いておられました。
 私は何を話したか覚えていませんが、大石先生が私の所につかつかと来て、「兄弟。あのね、神様は使い捨てだよ。」と言われました。メッセージをした後です。私の所に来て、「神様は使い捨てだよ」と言って帰られました。
 これが私の心の中に一生涯残りました。「使い捨て」というのは、どんなに用いられても、高ぶったり、罪を犯したら祝福を失います。だから、使い捨てだというのは、よい忠告をもらいました。

 それから、私が横浜のホーリネス教会に行ったら、私にいろんな話をしてくださいました。昔ホーリネス時代に分裂があったことだとか、いろんな話をしてくれて、その話の後でこう言いました。「先生、寂しいですな。用いられた先生たちの晩年が寂しかった」と言われるのです。
 日本でもいろいろ用いられた人がいますが、晩年が寂しかったというのは何故寂しかったかというと、いろんな面があると思います。歳を取ったら少しは頭がぼけてくる面もあったかもしれませんが、ある意味において、高慢になったのかもしれません。「晩年が寂しかったですね」と言われるのです。
 私は、心に決めています。「あの滝元先生は晩年が寂しかったね。」と神から見放されたようなことになったら困ります。だから私は祈っています。死ぬ日まで妻を愛し通すことができるように。死ぬ日まで、浮気をしたりすることがないように。死ぬ日まで主を信じ通すことができるように。

 今朝もペテロの手紙をずっと読んでいましたけれども、読んでいる時に、私が幕屋を脱ぎ去るのが間近になっているということを読みました。ペテロが文章を書きながら歳を取って、幕屋を脱ぐというのは、肉体から離れて天国に行くのが間近になっているということですけれど、私も考えました。間近になったと。よく、「私も間もなく召されると思う。あと三十年くらいだと思います」と冗談を言ったりしていますけれども、しかし、みなさん、神の前に出るけれど、出る時に、「守られてここまで来ることが出来ました」というのは、やっぱり証しが出来なきゃいけません。

 本田弘慈という先生は、素晴らしい伝道者の一人でした。あの方はこの教会にも何回か来たことがあります。あの人はよく人に注意をしました。ここでクルセードをやった時も、「ちょいちょいちょい、君。あんたね。司会でいちいちああだこうだ言わないで、さささと流しなさい。」とか、ある時は、「滝元先生。ちょっとおいで。僕な、この間、宇都宮の教会に行ったら、君の話が出ていたよ。最近、滝元先生は力がなくなったと言ってたぞ。祈り不足じゃないかと話していたよ」と言うのです。あの人の考えたことか、本当かわかりませんが、それを聞いてぐさっと来ました。「祈り不足じゃないか・・・」と。
 みなさん、クリスチャンは祈りが少なかったらいい生活はできません。だから私もあの言葉でいつも祈るということに注意しています。これは多くの人たちのある意味において助けというか忠告がありました。

 聖書の中に『知恵ある者は人の教訓を聞く』とあります。しかし、愚かな者は教訓を聞きません。みなさん、教会に来て、時々自分に痛いメッセージがある時に、「チェ!」じゃいけません。自分に示されたら、「はい」と、それを大切にしたら、良い生活ができます。
 今回、私の家内も韓国に行って、息子たちのメッセージを聞いたりして、「がんばっている」と喜んでいました。これは神様の恵みです。
 だから、みなさん。教会に来る前は失敗したとしても、これからのクリスチャン生活はとにかくイエス様を愛して、御言葉をよく学んで、信じて、最後までイエス様に頼って生活していただきたいと思います。

 教会という場所は非常にすごいところだと思います。私も今日つくづく考えていました。新城教会も、今、息子が主任牧師でやっていますけれども、とりなしの祈りはすごいです。
 五月三日。浜岡原発に遠足に行った人、どのくらいいますか?百人ぐらい行きましたね。なんのために行きましたか?ただ「原発。どんな所か?おもしろいな〜」と行った人もいるかもしれませんけれど、目的は「あの浜岡原発が危ない。東海地震が来たら、この辺も放射能で駄目になる可能性がある、その前に行ってとりなしをする」という目的でした。「浜岡原発を守ってください。主よ、お願いします」と。

 次のシオンタイムで、伊庭兄弟がこう言われました。「浜岡原発のために祈ってきました。必ず祈りが聞かれると信じました。」彼は断言しました。彼は頭のいい人です。みなさんなんと、あれから二日の後に、管総理大臣が、「国民のみなさん。重大なことを報告しなければなりません。浜岡原発を停止します」と言われました。「やったー!!」この大きな祈りを聞いてくださったのは、教会の祈りは大きいのではないでしょうか。

 それから今度の韓国ミッション。どんな祈りだったでしょうか?国を越え、言葉を越え、時を越え、空を越え、そして一つになって、「みなさん私たちは天国の市民です。みなさん、怒っても罪を犯してはいけません。みなさん悪魔に機会を与えないように。韓国と日本が一つにならなきゃ祝福は来ません。」
 みなさん、韓国と日本の壁を破るということは、政治家でも絶対出来ないことをリバイバルミッションでやっているのです。すごい働きじゃないですか。
 これからもみなさんにお願いしたいと思いますが、先週の礼拝は今日よりも多かったかもしれません。二階が今日はいっぱいですけれども、先週は、三百七十何人とあります。
 けれども、みなさんまもなくおびただしい数の群衆が、この教会に来ます。ですから、早くいらっしゃい。早く席を取らないとなくなりますよ。みなさん。「俺の席は・・」なんて言ってたら、「ない!」なんてことになります。
 私の家の便所に御言葉が貼ってあります。『私たちの羊は野原で幾千幾万となりますように。』それを見て、「主よ、この言葉が成りますように」と祈っています。
 それから、お祈りも「日本を救ってください」「新城を救ってください」「街を救ってください」と大きいでしょ。しかし、みなさん、この大きい祈りも大切だけど、今日はみなさん、聖書の中の一つの御言葉をみなさんと一緒に学んでみたいと思いますけれども、何かというと、それは、家族のために祈りたいと思います。日本の為にも、原発も祈る必要がありますが、自分の家族をとにかく、しっかりと導くことが大切です。

 なぜ私がこの地方に伝道に入ったかと言うと、ミセス穐近が、ある晩のこと、土曜日の集会で五、六人だったと思いますが、「どうですか?みなさんの村に教会がありますか?」と言われました。私も正直に、「いえ、ありません」と言いました。すると、「そうですか。そうしたらいつか自分の村に伝道に帰ったらいいですわね」と言われました。
 「イエス様を信じる者は永遠の命を持つ。信じない者は滅びてしまう。地獄に行ってしまう。」その時に考えた時に、津具にも教会がない。北設楽郡にもない。南設楽郡にもない。八名郡にもない。聖書はなんと書いてあるか。『宣べ伝える人がいなかったら聞くことができない。聞かなければ信じることができない。ああ麗しきかな。よいことを告げる者の足は』と書いてあるから、その時に私は、「イエス様。じゃぁ、故郷に帰ります。」と決心しました。
 みなさん、私が十九歳の時です。十九歳の時にある意味で決断して「帰ります。」と帰ったことが、今日こうしてここにあるのです。ということは、もし帰らなかったら、福音は伝わらなかったと思います。
 今日、ここにいるみなさんに神様がおっしゃっています。「あなたの家族のためにあなたが伝えなければならない。あなたが伝えなかったら、あなたの親戚が救われることはできない。」
 聖書のヨシュア記を見ると、ヨシュア記の中に斥候を遣わしたとあります。その時に、「ここにスパイが入った。」どこに入ったかというと、遊女ラハブの家に入ったというのです。その時に調べ「おまえの所にスパイが入ったろ。隠してないか」と言うと、「いえ、隠していません」と言ったれど、ラハブは隠していたのです。助けてあげました。
 その時に、素晴らしい言葉があります。ヨシュア記 二章一一節〜十三節、

『私たちは、それを聞いたとき、あなたがたのために、心がしなえて、もうだれにも、勇気がなくなってしまいました。あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。どうか、私があなたがたに真実を尽くしたように、あなたがたもまた私の父の家に真実を尽くすと、今、主にかけて私に誓ってください。そして、私に確かな証拠を下さい。私の父、母、兄弟、姉妹、また、すべて彼らに属する者を生かし、私たちのいのちを死から救い出してください。』

 これはどういう意味かというと、ちょうど今の津波みたいなものです。イスラエルがカナンの地を征服しようと来て、いろんな民族を滅ぼしながらずっと来て、エリコの街のすぐそこまで来た時、彼らは「もうこの津波にのまれるかもしれない。自分たちはだめだ。」心がしなえてしまっていたのです。そこへスパイが入った時に、助けてあげたのです。その見返りを願ったのです。何を言ったかというと、『私の父、母、兄弟、姉妹、また、すべて彼らに属する者を生かし、私たちのいのちを死から救い出してください。』
 これは、自分の家族を考えました。みなさん、これからリバイバルが来ますけれども、一番救われなければならないのは、自分の家族です。みなさん、伝道してください。家族が救われるように、みなさん思い切って伝道してください。
 今日はみなさん、この教会に入る時にいろんなものをもらったと思いますが、これは新城教会ニュースですけれども、大切に読んでください。これは感謝なことに、今、四万五千くらいですか。毎月、設楽町も豊根にも行っていると思いますし、津具も行っています。これを何年間、新城教会が出しているかというと、「二十四年間」出しています。みなさん、読んでいる人が大勢います。
 昔、教会に来ていた新城高校の生徒が、話をしたそうです。「これが出る日を楽しみにしている」と言うのです。来たらすぐに読んで、おじいちゃんもおばあちゃんも読んでいるというのです。
 みなさん、二十四年間、新城教会ニュースを読んで楽しみにしている人はたくさんいると思います。リバイバルが来たら、この教会を訪れる可能性があるのです。

 それから、もう一つ、このチラシを差し上げましたけれども、是非ともみなさん覚えてください。ここに書いてありますけれども、「津具村が生んだキリスト教伝道者が送るゴスペルミュージックとメッセージの夜。」八月十七日。津具で伝道集会をやります。
 なぜやるかというと、私はある朝のこと、夢を見ました。ロンさんたちを連れて、津具でコンサートをやっているのです。「あっ!そうだ!新城の教会でやっても津具から来ることができないから、そうだ!津具で、自分の村で、コンサート伝道をやろう」と考えました。
 そうしましたら感謝なことに、外国人たちが三人、堅志とか全員で七人来てくれるのです。津具村に。考えてみたら、私のやっているミニストリーでは、あまりたくさん報酬を出しませんが、津具村が金を出してくれるわけではないので、私が出します。みなさん、私も一生懸命お金を貯めています。
 みなさん、八月十五日は浜松です。これには是非とも行ってください。JJJの集会ですから、これは大切な集会ですから、是非とも行っていただきたいですけれども、終わった後、今度は津具村にいらっしゃってください。そして是非とも助けてください。
 また、みなさんの中に、関心のある方は、津具のために献金してください。十円でもいいし、百円でもいい。津具のために重荷を持ってください。兄貴の所に行って、「グリーンホールを借りてやるんだ」と言ったら、「津具で集まるかね〜」と言っていました。戸数は五百人です。あそこは全部入れたら、四百人入ります。だから、なんとかいっぱいになるように、これは私が責任を果たすことです。なんとかして、私の祈っていることは、寺の僧侶も来ますように。神主も来ますように。津具中の人たちが来て、イエス様の御言葉を聞きますようにと、お祈りしています。是非ともみなさん、覚えて祈ってください。
 ですから、みなさん、親族のために一つ覚えて祈らなければなりません。『主イエスを信じなさい。そうしたらあなたもあなたの家族も救われます』とありますから、みなさん、ひとつ自分の親族のために重荷を持って、もし親戚が地獄に行ったとしたら、悲しみですから、どうしてもこの機会に、大きなことだけじゃなくて、自分の家族の救いのために重荷を持っていただきたいと思います。
 聖書をみると、親族のためにこんな御言葉もあります。第一テモテ人への手紙 五章八節、

『もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。』

 みなさん、クリスチャンは自分の家族を大切にしなきゃいけません。だから、とにかく自分の家族を省みていくことが大切です。祝福された道を歩んで行きたいと思います。
 自分の家族が祝されるように。まだ救われていない人は何がなんでも、時が良くても悪くても、聞いても聞かなくても、伝えなければいけません。「難しいかもしれないな」というのは、それはあなたの思いです。しかし、必ず収穫の時が来ますから、一つ伝道していただきたいと思います。

 ということで、今日の話はここで終わりますけれども、これから聖餐にあずかりましょう。神の家族として、いつの日か天国で一緒に住みますけれども、この地上でイエス様の愛を感謝しながら、聖餐にあずかっていきたいと思います。
 一言お祈りします。

 愛する天のお父様。感謝します。今日、こうして愛を持って、東北に行って来た愛する兄弟姉妹も無事に帰って来て、一緒に聖餐にあずかることが出来ることを感謝します。また、祈っていた兄弟姉妹も共に集まり、祝福を受けることができ感謝します。
 主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われると書いてありますけれども、あなたが私たちを救ってくださいました。どうか主よ、一人一人の上に祝福を与えてくださって、良い家庭を作り、子供たちも孫たちも、あなたの恵みの中にあずかることができるように祝福してください。
 これから聖餐にあずかります。イエス様、あなたの御血・御肉をいただきますから、あなたと同じ性格、性質を持つことができますように。神の家族として、私たちの国籍は天にあるとありますから、素晴らしい祝福を与えてくださいますようにお願いいたします。これからの時を祝福してくださるように。イエス様の御名によって祝福してお祈りします。アーメン。