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「この地に輝け!主の光!」

2011.7.3(SUN)
新城教会副牧師 滝元 開
マタイの福音書 5章13節~16節

『あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。』

 今日はこうしてみなさんと共に賛美礼拝をする機会が与えられたことを感謝します。四月三日にメッセージをさせていただいて以来となりますけれど、あの日以来、みなさんの前で感謝しなければならないことがあまりにも多くあるので、先ず感謝を述べさせていただきたいと思って用意しました。
 
 ひとつ目は、今日健康でみなさんの前に立てることを心から感謝します。五月八日の礼拝のことでした。賛美リードをここでさせていただいている時に倒れそうになりました。それまで、レコーディングの作業がずっと続いていた毎日で、五月六日金曜日に全行程が終わりました。金曜日には東京に朝六時に私一人で運転して行き、一日中作業をしました。その作業はすごく神経を使うものですから、随分疲れていたのだと思います。そして、すべての作業を終えて、再び夜中に車を走らせ帰宅し、新城に着いたのは夜中二時くらいで、ほとんど一日起きているような感じで、そして次の日は普段通り教会の仕事をさせていただいたんですが、夜になったら少しお腹が痛いと思ったんですね。そして、夜中になって何度かトイレに通っているうちに下痢でしたので朝には治ると思っていました。でも朝起きたらちょっと普通じゃありませんでした。これは礼拝の奉仕まずいな、と思ったんですけれども、その時ちょうど雅也先生のメッセージで、ソングリードを変わっていただくこともできなさそうなので、ソングリードだけしようと思って、礼拝ギリギリ十時半に来ました。歌い始めて一曲目は静かな曲で良かったんですけれども、二曲目を歌った途端、顔面から血の気が引いて行きました。そしてだんだんと視界が狭くなって、このままだと吐くか倒れるか出しちゃうかどれかだと思って、これは大変なことになると思いつつ、早く雅也先生気づかないかなぁと思って、そのうちギターを置いて、講壇に手を置いたころやっと来て下さって、五曲目くらいで交代してもらいました。お腹にウイルスが入ったらしくて、脱水症状のような状態になっていました。その時は本当に多くの方々が、「開が倒れた!」という想定の中でみなさんお祈りくださいました。「普段はあまり祈ってないけど、今回は祈ったよ」と何人にも言われました、でも、本当にその祈りのおかげで、二日後には元気になってまた賛美することができて大きな恵みでした。高いところからですけれども、皆さまのお祈りを心から感謝いたします。

 そしてもう一つは、六月一日に全国一斉販売されたザワメキ・イレブンです。神様の御手の中で発売することができたことを心から感謝します。みなさんの大きな祈りとまた助けによって無事にレコーディングがなされて、そのレポートは前回のメッセージの中でさせていただきましたけれども、普通ではありえないような奇跡のレコーディングでした。
 今回も、制作にかかる費用の半分をプレイズ出版がになってくださり、そしてザワメキが半分持つ予定でした。ザワメキのメンバーズのみなさんには一生懸命献金していただいて、随分与えられて来てたんですけれども、発売の前にお金の計算をしていただいたら、ザワメキが払わなければならない分がまだ九十万円残っていました。奇跡のレコーディングとか言っておきながら、これで発売だと言う時に九十万円はきついなと思いつつ、これから地道にその穴埋めをしないといけないなと思っていました。そんな状況の中でザワメキのメンバーズのみなさんに手紙を書きました。「九十万円必要ですから、お捧げください」と。
 そして、その手紙を出す寸前でした。一人の方が献金してくださり、振り替え用紙が来たんですけれども、私は見て目を疑いました。ザワメキ史上初めての高額献金でした。見ると何と「九十万円」と書かれていました。神さまは本当にすごいことをなさる方だと思いながら、早速その方にお電話しました。そうしたらご主人が出られて、「今、被災地にボランティアに行っていていないんだ」と言われるのです。それから私は韓国に行ってしまったので、しばらく電話が出来なくて、韓国から帰ってからもう一度電話をしました。
 そうしたら、やっと繋がって、その方がこう言われるのです。「いや、あれはイエス様が背中を押したんですよ。」と二度おっしゃるんです。ですから、「実は、今回この奇跡のレコーディングがなされて本当に素晴らしい恵みをいただいたんですけれども、いよいよ発売だという時になんと九十万円足らなかったんです。そしたら九十万円届けられたんですよ。私たちはザワメキのメンバーズのみなさんに九十万円献金してくださいとお願いしたんですよ」と言ったら、「そんなことは私は知りませんよ」と言われて、「はい、知らなかったことは存じております。手紙を送る前に振り込まれたのです」と言いました。その方は、四月に私たちとイスラエル旅行に一緒に行った方でした。そして、旅行の中で賛美している内に「ザワメキの働きはとても重要だ」と感じられたそうです。ザワメキというのはエレミヤ書の十章の十一節から取られていますけれども、この御言葉の賛美は、これからの時代必要だと思いながら歌っておられたというのです。
 そして、ゴールデンウィークに行われたリバイバルミッションの集会にも来られて、恵まれて帰ろうとしていたら、イエス様がおっしゃられたそうです。「ザワメキに献金しなさい」と。でも最初は聞いても聞かないふりしていたそうです。すると、また幾日かした時、また「ザワメキに献金しなさい」とイエス様に語られたそうです。そこでイエスさまに「では、いくら献金したらいいですか?」と祈ったそうです。するとイエス様が「九十万円しなさい」とおっしゃったと言うのです。私はそういう声を聞いたことがないです。聞いたことがない、というより、持っていない人には神様も言わないと思うんですけれども、、、(笑)。とにかく「九十万円献金しなさい」と神様がおっしゃったそうです。でも、その方は、お金が有り余っていたわけではないので、「イエス様、うちにそんな九十万円もないじゃないですか」と言ったら、今度はイエス様はこうおっしゃったそうです。「あそこにあるお金とあれとこれを合わせたら九十になるだろ。だからそれを捧げなさい」とイエス様がおっしゃったんですって。それで捧げてくださったというのです。だから、本当に今回のことは神様のご計画の中でなされたことでした。私が「なんと言ってお礼を言ったらいいかわからないんです」と言ったら、最後にその方がおっしゃったことがこうでした。「いや~、素晴らしいお証しを聞かせてくださってありがとうございました。」本当はお礼を言うのはこっちなんですけれども、彼女が感動しておられる声を聞くことができて本当に感謝でした。

 それからもう一つは韓国ミッションの感謝です。ザワメキも韓国で奉仕させていただく中で、大きな祝福をたくさんいただきました。韓国に行かれたみなさん言われていますが、「今回のミッションは本当に祝福された。規模じゃなくて、集まった人数じゃなくて、神様が成されたみ業はすごかった」と一様に感じとられたのでした。集会を進めて行く中で、浮かび上がってきたひとつのテーマは「私たちの国籍は天にある。」でした。同じ天の父という共通の神様に、韓日が一つになって賛美することができて感謝でした。
 集会の中では、何度も何度も涙なくしては過ごせないほどの恵みの集会で、神様の愛に触れられて本当に感謝しました。昨年の八月に韓国の中高生の子たちがここに来て、新城の中高生と一緒にキャンプをしました。その子たちも来てくださって、またその友達が来てくれ、そしてこの日本からも中高生の何人か韓国まで行ってくれて、一緒になって集会に出ていました。最後、みんなで、会衆一同で天の父なる神様に「アボジー」と叫びました。「アボジ」というのは、「お父様」という韓国語なんですけれども、順先生が「天国に行ったら共通語は韓国語だと思います」と、韓国ミッションだからだと思うんですけど、そういう風におっしゃったので、一緒に共通語であるハングルで「アボジー!!」と叫びました。なんとも言えない感動が心に与えられて、そして皆で祈って賛美をする中で老いも若きも神様の愛に触れられて泣くのです。若い子たちが泣いて祈っている姿に、まるで天国がそこにあるかのような、そんな集会に参加させていただいことを心から感謝しました。

 そして、もう一つの感謝は金曜日に中高生の伝道会レッツプレイズがあったのですが、多くの中学生高校生を主が与えてくださって、大きな祝福をいただきました。全部で百八十二名の方が集ったんですけれども、そのうち、カウントできた人だけでも、ノンクリスチャンの子たちが九十七名来ました。イエスさまは本当に大きな祝福を、このレッツプレイズの中に与えてくださいました。その九十七名の中には顔見知りというか、毎回来てくれる子たちがたくさんいます。「おじさん、また来たよ」という顔をしてみんなが来てくれて、その中で本当に喜んで賛美を捧げてくれて、賛美を聴いてくれて、メッセージまで聞いて、お祈りして、そして最後はみんなでドーナッツを食べて帰るというすごく慌ただしい集会なんですけれども、その中に深い神様のご臨在があって大きな祝福でした。
 そのノンクリスチャンの子たちがアンケート用紙を残してくれたんですけれども、レツプレのアンケート用紙はちょっと普通のアンケートとは違います。いろんなことを聞きます。その中で、「今の日本に必要なことはなんだと思う?」という質問がありました。すると、彼らなりにいろんなことを書いてくれます。多かったものを紹介すると、今の日本に必要なものは「やさしさ、笑顔、歌声、団結力、お金、神様」というのがありましたけど、これはクリスチャンでない子たちが書いた言葉です。やさしさだとか、笑顔だとか、歌声だとか、団結力、そして、神さまとありました。「違う総理大臣」なんていうシビアなのもありましたけれども、いろんな意見がありました。
 それから、「イエス様ってどんな方だと思いますか?」という質問をしました。これが一番大切な質問の一つなんですが、ノンクリスチャンの大半の子が書くのが何と「神様」なんです。本当に神様は働いてくださって、まだもちろん洗礼を受けてクリスチャンになってここに集っているわけじゃないんですけれども、彼らの心の中にイエス様という方がいてくださることを見ることができて感謝でした。大半が「神様」、その他が、「やさしい人」だとか、「祈りを聞いてくれる人」だとか。若い世代に福音を届ける働きを、主が今してくださっていることを見て本当に感謝しています。

 先週はこの場でジョー先生がメッセージをしてくださり、特に新しい世代に対してのメッセージをしてくださいました。メッセージの最後に「古い年配の方々は新しい世代の方のために。新しい世代の方は年配の方のために祈りなさい」と言われましたけれども、みなさんはどちらの世代のために祈られましたか?「主よ、若者が祝福されますように」と祈った人もいれば、「年配の方のために」と祈った人もいたと思うんですが、神様は、全ての人を選んでおられる中でも、やはり特別これからの新しい世代の中に働こうとされていると思います。ですからぜひ、特に年配の方々はこれからの新しい世代の中に新しいことが動き始めるようにお祈りいただきたいと思います。
 ジェネレーションギャップというか世代のギャップがあるので、理解できないことも多いと思います。若い彼らは一日中ゲームをピコピコやっていて、全然飽きないらしいんです。考えられないですね。でもその世代の中にある神様のご計画を信じ期待していきたいと思います。否定することは簡単なんですけれども、しかし、その世代の中に神様が入られて、彼らでなければできないことがあるのではないかと思います。

 先々週に、東京でザワメキの集会があった時に、一人のご婦人が来られて、「嬉しい知らせがあります」とおっしゃいました。その方のご主人はまだクリスチャンじゃなくて、中学の先生で、しかも生徒指導のすごく厳しい先生だというのです。そのご主人以外は家族中みんな熱心なクリスチャンです。その婦人が、今から二年前のザワメキ軽井沢大会にそのご主人を無理矢理連れて来られました。「教会行こう」と言っても、「絶対行かない」って言っていたご主人も「軽井沢だから」ということで初めて教会に入ってきました。
 そこで私たちは賛美させていただいていたんですけれども、その時の奏楽メンバーは、ザワメキの奏楽者の中でも若者たちが演奏していました。若いジェネレーションの彼らなので、礼拝の演奏中であっても、いつも自由な格好をしています。ほとんどみんなハーフパンツです。以前も、明牧師と一緒に決起大会に行った時「そんな半パンで礼拝に出るな」と注意を受けたにも関わらず、彼らは最後まで半パンでした。そんな彼らがまた自由な格好で賛美をしていました。髪の毛も茶髪をしていたんですね。その中でもS兄弟に至ってはタオルを首に巻いてギター弾いていました。そこへ初めて入ってきたこの先生にとっては、生徒指導室に呼ばれて来るような少年が会衆の前で楽器を弾いているようですごくびっくりしたらしいです。
 でも、その中で神様が働いておられる姿を感じ取られて、すごく感動したそうです。始めは「どこの更生施設から出て来た少年たちがやってるのかと思った」と言うのです。そして、「いいのか、あれで?」とおっしゃっていましたが、集会の最後に私と一緒に祈りました。
 その先生が、奥様かおっしゃるには「絶対教会なんかいやだって言っていた主人がバプテスマを受ける決心をしました」という話でした。そして「どうなさったんですか?」聞いてみると、「バプテスマを受けたいから受けさせてくれ。」と言って来たので、「なんのために受けたいの?」と聞くと、「家族のためだ」と言ったそうです。そうしたら、その奥様は立派な方で、「家族のためなら受けなくていいよ」と言ったそうです。すると「家族のためじゃないよ」と言われるので、「それじゃぁ、なんのために受けるの?」と聞くと、「死ぬのが怖いんだ。永遠の命が欲しいんだ。」そう言って、洗礼を受ける決心をしたというのです。その婦人は、茶髪の青年たちを通してお父さんの心が開かれたことを知っておられて、「だから本当にあの時の祈りを通して、あの時の賛美を通して主がしてくださったことを本当に感謝しているんですよ」とおっしゃってくださいました。このことを通しても神様がこれからのリバイバルの中で、主はあらゆる世代を用いようとしておられると思いますけれども、そんな中でもやはり若い力というのは素晴らしいと思います。

 先週、山に登ってとりなしの祈りに行きました。二人の少年と私と雅也先生だったんですけれども、結構急な山で、登って行ったんですけれども、私は「はぁはぁ」言っていたんですけど、そうしたら雅也先生も「はぁはぁ」と言いながら登って行っていたんですけれども、二人の少年たちはしゃべりながら息一つ切らさず上まで行きましたからね。やっぱり若いって素敵だなって思いました。その力を神様が用いないはずはないと思います。
 ですから、今、神様が始めようとしておられるリバイバルの中で、新しい世代の中に新しい主の霊を注ぎ、また、それだけじゃなくて、ヨシュア記を見ると、カレブが八十五歳になっても「私は今も壮健だ」と言っています。ヨシュア記 十四章七節~十三節、

『主のしもべモーセがこの地を偵察するために、私をカデシュ・バルネアから遣わしたとき、私は四十歳でした。そのとき、私は自分の心の中にあるとおりを彼に報告しました。私といっしょに上って行った私の身内の者たちは、民の心をくじいたのですが、私は私の神、主に従い通しました。そこでその日、モーセは誓って、『あなたの足が踏み行く地は、必ず永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。あなたが、私の神、主に従い通したからである』と言いました。今、ご覧のとおり、主がこのことばをモーセに告げられた時からこのかた、イスラエルが荒野を歩いた四十五年間、主は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。」それでヨシュアは、エフネの子カレブを祝福し、彼にヘブロンを相続地として与えた。』

ということで、カレブがその約束の地を偵察に行って、そして戦って、既に四十歳から四十五年間、八十五歳になる時まで戦い続けたというのです。そして今も壮健だと、戦い続けて、最後に約束の地を手にしたというその言葉がありますので、これからのリバイバルの中では、各世代の中にある主のご計画が動きだし、若い人だけじゃなくて、八十五歳になったこのカレブのように、それぞれに与えられた神様の使命を、それぞれが輝かせ始める時にリバイバルの働きが大きく進むので、「それは若い人に任せておいて、もう俺はいいぞ」ではなくて、リバイバルの大きな御業がなされる時に、神様は必ず全ての方を用いてくださるので、そのことを信じて、絶えず主の前に、自分を通して主がなされる業を期待していきたいと思います。それがどこでどのような瞬間に起こるかわからないと思うんですね。ただ、伝道者のように人の前で多くを語る人だけのことではなくて、日常の何気ない職場での出会いの中に主御自身が働いてくださって、その中に救いの業を現されるのではないかと思います。

 今日のテーマは、「この地に輝け!主の光!」ということで、マタイの福音書 5章13節~16節を用意させていただきましたけれども、私たち一人一人に与えられたそれぞれの使命を通して、今こそ主が与えてくださっているそれぞれの賜物を通して、それぞれの使命とそれぞれの立ち場を通して、輝き始める時であると信じています。『あなたがたは、地の塩です。世の光です。』とイエス様はおっしゃっておられるので、そのことを信じて輝く時に、イエス様ご自身のご栄光が現される時なのです。

 今回の韓国ミッションを通して、私たちが本当に強く感じたのは、「これから始まるな」ということでした。そこに参加された方全員が同じよう感じたのは、「天の父なる神様の愛の中で一つにされて素晴らしいな」ということと共に、「さぁ、これからだぞ。今から始まる」ということを皆が共通に感じました。それはやっぱり、規模じゃなくて、イエス様ご自身の心意気というものを皆が感じたのではないかと思います。
 この街のリバイバルのためにも、一九九二年に主が立ち上がってくださり、一九九二年の七月九日に霊的戦いというのが、この設楽が原の地に始まりました。七月九日の朝六時に霊的戦いの祈りが始まったんですけれども、その時は何もわからずに神様に導かれるようにして、この地域に悪しき覆いがあるから、その覆いが取りのけられて悪魔の力が打ち砕かれないと人々が救われないんだということを示されて、出て行って祈ったのが、七月九日の朝六時だったのです。
 そのことはみなさんご存知だと思うんですけれども、後になって調べたら、この設楽が原の戦いが始まったのが一五七五年の七月九日の朝六時にその決戦の火蓋が切られたという記録があります。神様はどうしてその日その時その時間に合わせてその霊的戦いを始められたかと言ったら、四百三十数年前のその日その時に入り込んだ悪しき呪いを打ち砕くために、主が立ち上がってくださったのです。霊的戦いが始まって、今年の七月九日で二十年目になります。ですから、十九年間、ずっとひたすら霊的戦いが続けられましたけれども、しかし神様がこれからしようとしておられる大きなリバイバルのためには、やっぱりどうしても必要なことなので、この地域を勝ち取るために主が初めてくださったことをもう一度受けとめて、この二〇一一年の中にある主の栄光が現されるために、私たち一人一人が世界の光、世の光、地の塩としての働きを全うしていく時にイエス様の栄光が現されると、固く強く信じています。
 今、このちょうど同じ時間に馬防柵では設楽が原決戦場祭りがなされています。小学校中学校もそのような祭りに参加しないといけないというそのような状況にあるので、このためには私たちは祈っていかないといけないと思います。東小学校、西小学校、東郷中学校の子たちが参加するそうなんですが、聞くところによると、東小学校の子たちは毎年殺される役だというのです。そして、東郷中学校の一年生と三年生は殺す役です。二年生になると殺される役だと。大変なことを毎年しているわけです。
 昨日も大宮という場所の、設楽が原の真ん中に住んでいる私の同級生に会いました。そして、彼と話していたら、「あの祭りっていうのは、結局供養だから、学校とリンクするのも良くないよね」と彼もそう言っていました。その通りです。最初に何をするかと言ったら、この地域の寺の和尚さんが来て、供養から始めるのです。その供養の一貫として、その昔の戦いの真似をして、殺したり殺されたり普通じゃありえないことをしているわけで、このような中で神様の真の光が投ぜられるように私たちは信じて祈っていきたいと思います。

 五月に馬防柵に私と滝川兄弟ととりなしに行きました。その日は雨が降っていて、彼が運転していて、私は助手席に乗っていました。そして、馬防柵に行ったら、車が三台停まっていて、中に入れない状況なので、「なんだ?これおかしいな」と思って見ると、十人くらいの人がみんな黒い服を着て立っているのです。「あれ?ここでお葬式っておかしいな?」って思ったら、黒塗りの車と、黒い服を着た人たちの中に一人、グレーのスーツを着たおじさんが立っていました。よく見たら、何と小泉純一郎元首相でした。どういうわけか彼がそこにいたのです。「あれ?小泉さんだ。」
 私は個人的に小泉さんに対してあまり好意的な思いを持っていなかったので、今となっては、もっと愛を持てば良かったと後悔したんですけれども、「こんな所来て、悪い契約を結ばないように」という祈りを一生懸命しました。そして車が馬防柵に入れなかったもんですから、奥に行ってUターンして帰って来て、私は助手席にいて、車の窓を開けたら、彼がこっちを見てにやっとしたんですね。その時に聖霊様は確かに私に、彼に対して「この街で牧師をしている者です。あなたの祝福を祈ります」と言いなさいとおっしゃったと思うんです。でも、私の中には苦い思いがあったので、何をしたかと言ったら、窓を開けていたんですが、また窓を閉めてしまったんですね。そして、「悪しき力が砕かれるように」と祈ったのですが、後からすごく心が責められました。
 聖書の中には『すべての人が真理を知るように望んでいる』と。また『高い地位にある人たちのために祈りなさい』と、第一テモテの御言葉があり、これからのリバイバルのためには、全ての人が救われなければいけない。「あの人はああいう人だから。あの人は靖国神社を公式参拝したからもう駄目だ」じゃなくて、神様は彼にも福音を伝えるようにとチャンスを与えてくださったのにも関わらず、私のように窓を閉じてしまうようなことがないように、「全ての人に対して福音の光を伝えなければいけない時が今来てるんだぞ」と主は教えてくださった気がします。今回は主からのテストを失敗してしまいましたけれども、是非みなさん、それぞれの立ち場の中で何が起こるかわからないので、それが地位の高い人のためだけじゃなくて、全ての人たちに対して主はことをなそうとしておられるので、そのことを成し遂げていただきたいと思います。もう一度マタイの福音書 五章十四節をお読みして終わりにしたいと思います。

『あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。』

と書かれていますけれども、私たち一人一人がイエス様によって救われて罪贖われたというのは、どういう者になったかというと、「世界の光」になったというのです。罪が赦されて、私たちの心にイエス様がいてくださるというのは、存在そのものが世界の光なのです。だから私たちが世界の光だということを覚えると共に、そして、「山の上にある街は隠れる事ができません」とあるように、山の上にある街のような存在なんですね。だから、私たちは「街の光」でもあるということなのです。世界の光であり街の光である私たちがそれぞれの場所で光を輝かせていかなければならないと思います。
 そして十五節、

『また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。』

とありますので、それはやはり「家庭の光」でなければいけないと思います。
 先々週、明牧師が家族の救いということを語ってくださいましたけれども、私たちは「世界の光!」、「街の光!」そして、私たち一人一人の存在が「家庭の光」だというその信仰に立って、歩んで行きたいと思います。
 そして十六節、

『このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。』

と書かれています。私たち一人一人を通して、神様ご自身に栄光をお返しすることができるのです。私たちを通して、天の父なる神様が栄光を受け取ってくださるので、私たち一人一人、この地の光としての業をなしていきたいと思います。「この地に輝かせよう!主の光!」今日のテーマですけれども、私たち一人一人がその光となって、それぞれの場所に遣わされて行きたいと思います。一言お祈りします。

 ハレルヤ。愛する天のお父様。あなたの素晴らしい御名をあがめて心から感謝します。あなたがこの新城教会をこの地域に建てあげてくださって、一九九二年の七月九日に新しい霊的戦いを初めてくださり、それ以来ここまで守って導いてくださったことを心から感謝します。
 今、二十年目を迎えようとしていますけれども、もう一度私たちがこの地の光としての働きを全うすることができるように助けてください。天の父なる神様の大きなご計画が既に私たちの中に用意されていることを心から感謝します。この二〇一一年もこの半年、大きな祝福の中で来ることができたことを心から感謝します。
 あの三月十一日を通して今日本が大変な中にありますけれども、この時こそ、私たちがこの世界の光としての働きを全うすることができるように助けてください。新しい油注ぎを与えてください。そして、お一人お一人をそれぞれの場所へと遣わされていただくことができますように。そして、あなたご自身のご栄光を輝かすことができるように。そのことを通して、天の父なる神様、あなたが栄光を受けてください。
 すべての栄光を主にお返しし、尊きイエス・キリストの御名によってこの祈りを父なる神様の御前にお捧げ致します。アーメン。

 天の父なる神様に拍手の賛美をお捧げ致します。